許してください
美しくなれない僕を
許さないでください
美しくなりたがる僕を


016 これから 

 その日、松本の逃走劇を許してしまったカナタは疲弊した身体を引きずって執務室に戻ってきた。今日こそは捕まえられると思ったのに、やはり副隊長というだけあって身体能力がまずカナタとは違う。それを他に生かして欲しいのだが、きっと無理だろう。
 カナタが疲弊しているのには訳があった。この間市丸に遭遇してからというもの、行く先々で他のお偉いさん方と出会うことに気付き、何かどうにか他に仕事はないかと日番谷に泣き付いたのだった。寝食は玄がなんとかしたらしく何も困っていないけれども、やはりタダ飯喰らいにはなりたくない。これでもカナタは真面目なのだ。自分で言うのもなんだが。
 そういう訳で泣き付いたカナタに日番谷はまあそんなに期待していない、という顔で松本乱菊の捕獲を命じたのだった。
「失礼します…束左カナタです…」
よれっとしたカナタの様子に結果を察したのだろう。日番谷は何も言わず、玄は茶を勧めてくれた。
 どうやら仕事はもう一段落しているらしかった。まだ此処へ来てそんなに経っていないが、日番谷の仕事がはやいことはとても良く分かっている。それなら、松本を引き戻しに行く必要はなかったのではないか、とも思うが、それとこれは別なのだろう。隊長が有能だからと言って、副隊長がサボって良いという訳ではない。
 何やら考え込んでいるらしい日番谷は、難しい顔をしていた。
「冬獅郎、眉間にシワ寄ってるよ〜?」
ぐい、と日番谷の眉間に埋め込まれる一円玉。何処から出した。
「…なんだ、これは」
「現世の硬貨」
 何故そんなものが此処に、と言いたげにまた日番谷の眉間の皺が濃くなったが、玄のすることにいちいちツッコんでいたら胃がもたないと判断したらしい。ため息を吐くだけに留められた。
「何考えてんの? 僕にも協力出来ること?」
一方玄の方は行動は可笑しくとも、一応恋人を心配する心はあるようだ。
「お前の配置について考えていた」
「エ、僕働かなきゃだめ?」
「働かざるもの食うべからず、執務室で茶菓子食いたかったら働け」
「オッケー任せろ」
どうやら玄にとって執務室でのおやつの有無は死活問題らしい。
「まぁ、お前の事情は汲んでいるつもりだ…駄目なようだったらさっさと言え。勝手に配置したりはしない」
「ありがと〜! やっぱ持つべきものは理解ある上司だね!」
普通に聞けば日番谷をヨイショしているだけの発言に聞こえるが、玄の一瞬見えた死にそうな顔は何だったのだろう。理解のない上司でもいるのだろうか。
「お前は別に大丈夫だと思うが、束左の方はどうなんだ」
「どうって」
「戦闘経験はあるのかって聞いてんだ」
 戦闘経験。カナタは口の中でだけ繰り返す。ついこの間まで普通の高校生をやっていたのだ、そんなもの、ある訳がない。玄の方を見ればもう話は終わったとばかりに茶菓子にありついていた。自分で答えるしかなさそうだ。
「ありません…けど…」
「じゃあ道場に話通してといてやるから鍛錬しとけ。人手が足りない時くらいは出撃してもらうからな」
死なれたら寝覚めが悪い、とぶっきらぼうに続けられる言葉が日番谷の優しさなのだと、この短期間で既にカナタは分かっていた。

  

20160923