染まらぬ枷



「なぁ、諏佐はおまじないとか信じるん?」
夕食の後ソファでくつろいでいた今吉が、ぐりんと首を傾けた。
「ものによるな。頼ろうとは思わないが」
皿洗いを終えた諏佐は答える。
そのままエプロンを外して、今吉の隣に腰を下ろした。
「花宮に聞いたら鼻で笑われてなー」
「確かに花宮はそういうの信じてなさそうだな」
今吉の膝の上にはいつものように花宮がちょこん、と鎮座している。
「あんな、今、学校でおまじない流行ってるらしいんよ」
生徒の子が教えてくれてなぁ、と今吉は笑った。

香で清めたビー玉を結ばれたい相手のことを考えながら一週間持ち歩き、
真夜中、冷水を張った水盆に落とすだけ。
今吉が聞いてきたというそのおまじないのやり方は、
絶対に効くと言われているにしてはやけに簡単なように思えた。
「ワシらが学生ン時もこんなの流行ったよなぁ」
今吉がにやりとする。
学生時代に流行ったおまじないが引き起こした騒動のことは、諏佐もしっかり覚えていた。
「また謎解きをしたら良いのか?」
あの時は諏佐も今吉も巻き込まれたから、
その防御策として今吉が謎解きを強請ったのもあるが。
この手の話の好きな今吉のことだ。
自分に実害がなかろうと、興味があれば強請るだろう。
「まぁ、この話だけやと少ないのも分かっとるよ」
ゆるりと今吉は目線を下げる。
「またいろいろ聞いてくるから、頼む、な?」
「分かったよ」
その後、目を輝かせた今吉により、
謎解きの為におまじない基礎知識講座が始まったのであった。



緑の髪をした背の高い男と
その前に立つ背の低い(と言ってももう片方と比べて、の話だ)男が、
話しかけたそうにしているのを今吉は作業しながら気付いていた。
二人とも諏佐の授業を受けている生徒だ。
毎回一番前の席を陣取るので、良く覚えている。
名前は背の高い方が緑間で、低い方が高尾。
「形は違えど、まるで君たちの昔を見ているようですねぇ」
諏佐と今吉の学生時代を知る武田教授に、そう言われたこともある。
「あの」
話しかけてきたのは高尾の方だった。
「今吉先生って、不思議な話とか、好きって聞いたんですけど」
「おん、好きやけど」
作業する手を止めて顔を上げる。
視界に入ったその顔にはありありと不安が浮かんでいて、
これはただごとではないかもしれない、と感じる。
今吉の記憶にある中で高尾という生徒は、いつでも明るい雰囲気を纏った青年だったから。
「ちょっと相談…乗ってくれません?」

招き入れた研究室で今吉はお茶を淹れる。
「ありがとうございます」
二人は頭を下げてからお茶に手を付けた。
暖かさにほっとしたのか、緊張感で張り詰めていた二人の表情が少し緩む。
「で、相談って何なん?」
高尾と緑間は顔を見合わせた。
緑間が頷くと、高尾がポケットに手を突っ込む。
「これ、何か分かりますか?」
差し出されたのは橙色の小さな二つの袋。
お守り、と拙く縫い込まれている。
「何って、お守りやないの?」
「ですよねー…」
この二つのお守りは、緑間のラッキーアイテムロッカーの中に入れられていたものらしい。
同封されていた手紙には、
二人に少しでも幸運が訪れるようにお守りを作りました。
開けたら効力がなくなってしまうので、開けないでください。
持ち歩いて貰えると嬉しいです。
と、可愛らしい字で書かれていたそうだ。
緑間のファンが多いことは周知の事実だ。
高尾も最初はそのうちの一人の仕業だと思って、気に留めていなかったらしい。
「でも何か、これもらってからやたら視線感じるんですよねー…。
オレの気のせいかとも思ったんですけど、真ちゃんも同じらしいし。
ちょっと不安になっちゃって」
オレ視野広いのに、誰が見てるとか全然分かんないし、と高尾は眉を下げる。

送り主の分からないお守りと視線。
まるでストーカーみたいやな、と今吉は思う。
セオリー通りならばこのお守りの中にカメラとか盗聴器が入っていて、
「今吉」
その思考を遮ったのは諏佐の声だった。
「うお、何や諏佐。珍しいな。
ワシが生徒と話してる時に来るなんて」
「それ、開けられないか」
それ、と諏佐が指差したのは今吉の手の中の二つのお守り。
今吉も開けるつもりだったので、特に不思議には思わず二人に話しかけた。
「高尾、緑間、開けてみても良えか?」
「え、まぁ、別にお守りの加護とかなくても、良いですけど…」
高尾は答えながらも、穴が開きそうな程の視線を諏佐に送っている。
隣の緑間も同じだった。
こうして諏佐から(今吉を介したとしても)生徒へ働きかけることは非常に珍しく、
この大学内では諏佐から話し掛けられたら類まれなる幸福が訪れる、とまで言われている。
ちなみに今吉を介した場合でも、
この先の人生において非常に重要なものを手に入れる、のだとか。
ちょっとした歩く吉兆の兆しである。
「良えなら開けるでー」
そわそわする二人とそれを物ともしない一人に声を掛けると、
今吉はその小さな袋に手を掛けた。

「…これ」
ころり、と今吉の掌に転がり出たのは、ビー玉だった。
もう一つの方も同じように開けると、ビー玉が転がり出てくる。
「これがロッカーに入っていたのはいつだ?」
「え、と…六日前になります」
「明日で七日目か」
「はい」
「…諏佐?」
訝しげに見上げた今吉を、諏佐は何でもないような顔で見返した。
「今吉、それ、預かれ」
「何でか、聞いても良えか?」
「明日送り主が取り返しに来るはずだから」
今吉が目を瞬く。
すぐに、何かに思い当たったようにきゅ、とビー玉を握りしめた。
「高尾、緑間、預かっても良えか?」
「ええと…それ、預けてもオレたちは大丈夫なんですか?」
「どうなんや?諏佐」
今吉の問いに諏佐は少し、視線を落とした。
「あ、の?」
高尾と緑間の間。
その空間をじっと見つめる諏佐に、高尾が戸惑ったように声を掛ける。
「…ああ、持っていない方が安全ではあるだろうな」
相手がこういう表情をしている時は微笑めば良いんだったな。
そう思いながら諏佐は、その頬に確かな微笑みを浮かべたのだった。

「昨日のおまじないの話、高尾と緑間のあれに関係してるんやな?」
高尾と緑間が帰った後、今吉は諏佐に詰め寄った。
「おまじないというよりは、占いの方が近いんじゃないのか」
「占い…?」
「人と人との間には、縁が生まれるだろ」
袖振り合うも多生の縁、という言葉があるように、
この国では縁というものは前世から続く程に深く強いものだ。
そしてそれらの多くは、結ばれるものである。
人は見えないそれらを見たがり、
自分で見られないのならばせめてその有無だけでも確認しようと縋る。
縋られたものは対価を要求する。
縁に関することならば、縁を。
望むものでないそれならば、と。
「…成功率100%てそういうことかいな」
「ああ」
「あの二人は巻き込まれてる、っちゅーことか?」
「まぁ、そういうことだろうな」
正しい形でないそれが何を引き起こすかまでは分からないが。
それでも報いというものは、道を踏み外した者に正しく与えられるものだ。
「こんな、一人かくれんぼ人にやらせるような真似…」
悪趣味や、と今吉が首を振る。
「まぁ、理解しかねると言ったらそうなんだが」
良くあることではあるだろ?と首を傾げれば、
今吉は困ったように流石に行き過ぎや、と答えた。

まだ仕事が残っている、という今吉を研究室において、
諏佐は花宮と一足先に自宅へと向かっていた。
「消す方が目的なんでしょうね」
がらがらという音の合間に花宮が言う。
「そうだろうな」
「恋とは得てしてそういうものですからね」
「花宮は…恋をしたことはあるか?」
「恋はありませんね。
度を越した執着ならありますけど」
「それが恋でないと言う理由は?」
「ありきたりな理由ですが、性欲が一切伴わなかったからです」
プラトニックな関係が存在するとは言え、
それは伴う性欲を押さえ込んでいるにすぎない、と花宮は言う。
だから、自身の持ったあの感情は恋ではなかったのだと。
「恋というのは、そんなに綺麗なものではないと思うんですよ」
その声には、分かりやすく棘が含まれていた。
「人間という生き物は恋が大好きですからね。
そんなものなくても生きてゆけるのに、やたらと求めたがる。
その成れの果てが蔓延するおまじないでしょう」
きっと顔の良い彼のことだ、何度もそういった対象にされて来たのだろう。
昨日聞きかじっただけでもおまじないと言うのは割とえげつない行為だ。
例えば消しゴムに名前を書くもの一つをとっても、
自分の持ち物でないものに名前を書かれるなんて気持ち悪く感じるのだろう。
名前というのはこの世で一番短い呪だ。
名前を知られるということは、魂の端を掴まれることと同義。
そんなものが自分の預かり知らぬところで使われているというのは、
とんでもない衝撃を与えるに違いない。
しかも、消しゴムだ。
消す役目を持ったそれに書かれた名前の末路など、考えなくても分かる。
「そういうものか」
「少なくともオレは、そう思っていますね」
まだ明るい夕暮れの道、湿度を含んだ夏の風は生微温かった。



「午後から出張やったっけ?」
「ああ、遅くなるが夜には帰って来る」
「花宮も連れてくんか?」
「ああ」
「…あの、お守りも?」
「そうだな」
ポケットから二つのビー玉を取り出す。
昨日高尾と緑間から預かったそれは、未だ諏佐の手元にあった。
「ワシが持ってたらあかんの?」
「お前が持っているよりもオレが持っていた方が対応出来ると思うが」
「それ、諏佐危なない?」
「ああ」
「…じゃあ、我慢するわ。帰って来たら話聞かせてーな」
「分かった」
「気を付けて行ってき。花宮も良い子にしてるんやで」
今吉の手がトントン、トランクを撫ぜる。
その手が名残惜しそうに離れるのを待ってから、諏佐は歩き出した。

桐皇大学の中庭は、
事務員の方々が毎日欠かさず手入れをしてくれているのもありとても綺麗だ。
そんな中庭を横切る諏佐の前に、その少女は現れた。
「それを渡していただけませんか、諏佐教授」
諏佐はその少女を見たことがあった。
でもきっと、あれは彼女本人ではなかった。
研究室、二人の間に佇んでいた影。
「…あれは、消えないぞ」
「そんなこと、やってみなければ分からないわ!!」
叫びと共に少女は諏佐の懐に飛び込む。
避けようとした諏佐のポケットに少女が手を掛け、
その勢いで二つのビー玉は宙へと飛び出した。
少女は素早くそれを掴むと、近くにあった水道に投げつける。
じゃぽん。
水道の中においてあった水を張ったバケツに、間抜けな音を立ててビー玉は吸い込まれた。

次の瞬間。
諏佐は、見た。

ぶわり、とバケツから空気が震えて、何か黒いものが飛び出してくるのを。

その霧状の黒いものは一直線に少女を取り巻き、そして、少女の口をこじ開けた。
少女は悲鳴を上げ、それを拒もうとするが霧はその抵抗をものともしない。
ずるり、ずるりと音を立てながら少女の中に入って行く霧は、
悲鳴を聞きつけて人がやって来る頃には完全に少女の中に収まってしまっていた。
「大丈夫ですか」
尻餅をついた状態の諏佐と、少し離れた所で放心状態で座り込む少女を見比べる。
突然、掴みかかられたんです。
眉尻を下げて言いにくそうにそう言った諏佐の言葉を、疑う者などいなかった。

「あれは一体何だったんでしょうね」
キャスターの音に混じって花宮は問う。
ひと気の少ない裏路地。
諏佐は少し逡巡した後、
「…報い、だろうな」
呟いた。
占いだろうと呪いだろうと、それは人智を超えた何かとの契約だ。
しっかり手順を踏まなければ、それ相応の報いが返って来るのは言うまでもない。
「でも諏佐さん、貴方、あれも見えていたんでしょう?」
花宮の言葉に諏佐の脳裏にはあるものが浮かんだ。

緑間と高尾。
二人の小指をしっかりと結んでいた、何色とも言えない糸状のもの。

「オレはそっちの方が何なのか、気になりますけど」
答え合わせのようだ、と諏佐は思った。
花宮がこうして聞いてくることは珍しい。
彼は諏佐に聞かずとも、解えに辿り着くのだから。
「縁(えにし)、じゃないか」
それでも諏佐は答える。
聞かれた以上、諏佐に答えない理由などない。
それが花宮(今吉もそうだと言えるが)であるのなら尚更。
「恋ではないと?」
「あれが恋かどうかは、本人たちが決めることだろう」
「赤く染めたがるのが人間の性なんでしょうかね」
人は、自分の見ているものを無意識の内に、自分の色眼鏡で染め上げてしまうものだ。
それはきっと、諏佐も今吉も花宮も、例外ではないのだろう。
「…貴方とあの人にも、同じものがありますよ」
「そうか」

裏路地から人通りの多い道へと紛れる。
喧騒が、ひどく心地好かった。



  



20130208