美しい首



花宮真という生徒を、諏佐は知っているという程知らなかった。
彼が諏佐の生徒でありとても優秀だということは知っていたが、
人混みの中で正しく見つけられることは出来ないと分かる程容姿を知らなかったし、
個人的な付き合いもなかった。
半ば趣味でやっているような教授業だというのに受講している物好きな学生は多く、
興味もない一人ひとりを覚えていてやれる程、諏佐は優しくなどなかった。
しかし、そんな諏佐でも彼の名前くらいは聞いたことがあった。
というのも、今吉が時折話題にあげるからだ。
人間が好きだと言う今吉は、相手が生徒であっても良く話す。
その中で面白かった話や気になった話を諏佐に話したりするが、
それを除いても花宮の名前は良くあがった。

花宮の名前が初めて会話の中であがったのは、レポートの採点をしていた時だった。

レポートなどの提出物に目を通し採点するのは諏佐だが、
そのメモを元にして成績をつけたり評価するのは専ら今吉だ。
「…この子、諏佐の授業は好きなんやなぁ」
ぽつり、今吉が零す。
「花宮真っちゅー子なんやけどな、
他の授業では品行方正、ほんまお手本みたいなレポート書くんねん。
ワシも見せてもらって驚いたわ。
でもこの授業のレポートはやったら一生懸命書いてるのが分かるんよ」
にやにやと笑う今吉に、諏佐は玩具を見つけた子供のようだな、と思った。
「もっと素直になったら良えんになぁ」
それと、今吉が“個人”に対して執着めいた感情を示すことが、少し珍しいとも感じていた。

そんな未来ある青年の訃報が伝えられたのは、とある冬の日のことだった。
「聞きましたか、諏佐教授」
朝、研究室へ向かおうと大学の構内を歩いていると、同僚の老人と一緒になった。
何かと気にかけてくれる親切な彼は武田と言った。
諏佐も今吉もお世話になっている人である。
他愛もない世間話のあと、武田はふと思い出したように切り出した。
「花宮くんという生徒が一昨日、亡くなったそうです」
「そう、ですか」
諏佐にはそう返すことしか出来なかった。
花宮という名前に聞き覚えはあったが、さして感情を抱く程知らなかったのもあるし、
学生の死というのはそこら中に転がっているものだったからである。
しかし、こうして武田が話題に出すということは、それだけではなかったのだろう。
「何かあったんですか?」
先を促す。
「どうも、何者かに殺されてしまったようなんです」
眉を下げて武田が告げた言葉にも、諏佐はあまり驚けなかった。
今吉から仕込まれた形だけの悲嘆を添えて返す。
「とても奇妙な事件だったらしいです。
犯人の目星も全くつかないようで…昨日から大学にも警察の方が来ていましてね。
花宮くんの受けていた授業の先生方を片っ端から回っているようです。
諏佐教授のところにも直に来るでしょう」
武田は諏佐に花宮真の写真を渡した。
「出張でいらっしゃらなかった方は後日、と言っていましたから。
こんなに優秀な生徒のことを覚えていないなんて、と、
君が疑われてしまうのは心苦しいですからね」

諏佐が人の名前や顔を覚えるのがとても苦手だと言うこの誤解は、
今吉によって意図的に作り上げられたものだった。
本当は苦手以前の問題なのだ。
諏佐は人間に興味が持てない、ただそれだけ。
それを最初に指摘したのも今吉であった。
それでは困るだろう、と、
諏佐が素直に肯定(だってそもそも、それを隠す意味もない)した後は、
今吉が諏佐の人間関係を把握するようになっていた。
そうして気付いたら今吉が助手という位置に収まっていた、という訳だ。

諏佐は礼を言って写真を受け取る。
特徴的な眉をした、黒髪の美しい青年だった。
こうして写真を見れば、ああ、こんな生徒もいたな、と思う。
覚えていないとは言え記憶はしているし、記憶力に自信もある。
品行方正、良い意味であまり記憶に残らない生徒だった。
今吉の執着した人間はこんな顔をしていたのか。
捻り出した感想は、至極ありふれたものだった。
「それは君が持っていてください、その方が彼も喜ぶでしょう」
どうして諏佐が写真を持っていると花宮が喜ぶのかは分からないが、
有難く頂いておくことにした。
興味を持てないものをしっかりと覚えるには、何度も見るしかない。
それは諏佐にも分かっていた。



武田の言った通り、午後になると物々しい制服の人間が連れ立ってやって来た。
先頭の人物が手帳を見せ訳を話し、花宮について何か知っていることはないかと訊ねる。
「私は特に、何も…」
生徒のことなら助手の彼の方が詳しいですから、と今吉を見る。
振られた今吉は自己紹介をしてから、
「諏佐教授はレポートの内容でしか生徒覚えられんのやから」
と小さくフォローしてから喋り始めた。
その内容もレポートの成績が良かったとか、
大体いつも座る席が決まっているとかの当たり障りのない内容。
一通り話し終わると、今度は今吉が訊ねた。
「花宮は奇妙な事件に巻き込まれたて噂聞いてますけど、その辺についてはお聞きしても?」
朝、武田教授もそんなことを言っていたな、と思い出す。
今吉もそれを誰かから聞いたのだろう。
一学生の単なる死ならばここまで人が動くこともない。
花宮は一般家庭の出だと聞いているし、親がどうのという話ではなさそうだ。
それならば、此処までの人の動きは噂が正しいと言っているようなもの。
「人の口に戸は立てられませんね」
その人は苦笑すると、話し始めた。

花宮の死体は彼が一人暮らしする部屋の中で見つかった。
発見当時鍵は掛かっていなく、
連絡が付かないのを心配した大学の友人たちが様子を見に来て、
彼が死んでいるのを発見したそうだ。
死因は心臓を一突きにされたことによるショック死。
奇妙なのはその死体の状態だった。

花宮真の死体には首がなかった。
丁寧に其処だけ切り取られたかのように、首から上が現場からなくなっていた。

「そんな状態ですからね、花宮本人かも最初は疑わしかったんです」
今は遺族の確認により彼本人だと断定していますが。
ほう、と諏佐は息を吐く。
確かにこれは、奇妙な事件だ。
「早く犯人が見つかると良えですね」
尽力致します、とその人は今吉の出した茶を飲み干した。

「すさぁ」
物々しい背中を見送ってから、今吉が諏佐に話しかける。
「今日、夕飯食べに行っても良えか?」
「良いが、まだ内容決まってないぞ」
「リクエストしても良え?」
こうして今吉が夕飯を食べに来るのも、その内容をリクエストするのも珍しいことではない。
同じアパートの隣同士に住んでいる今吉は、学生時代から良く諏佐家に上がり込んで来る。
諏佐が頷くと、今吉は嬉しそうに笑った。
「じゃあな、オムライス食べたい」
「オムライス?」
「諏佐の得意なとろふわのやつ!」
「あれか。ケチャップで良いか?」
今からだとビーフシチューをかけるのは無理がある。
「良えよー。でもビーフシチューのもまた作ってな」
「覚えてたらな」
それで会話は終わりだった。



仕事を終え、諏佐は一人でアパートに帰る。
隣の部屋に住む今吉だが、あがる時間は必ずしも一緒ではない。
自分の仕事が終わるとさっさと帰った今吉は、オムライスが出来たら呼べば良い。
「ただいま」
一人暮らしの部屋の鍵を開ける。
ひんやりとした室内から返って来る声はない。
着替えてエプロンをつけ、台所に立つ。
リクエスト通り、とろふわのオムライスを作らなければ。

出来上がったオムライスの出来に一人頷いた。
端にゆでた人参とブロッコリーを添えて、ケチャップを格子状にかけて完成。
食卓にそれを整えて、エプロンを外して諏佐は部屋の外へ出た。
「今吉ー」
隣の部屋の扉を叩く。
小奇麗だが安いこのアパートにはチャイムがついておらず、
ノックするくらいしか中の住人を呼ぶ手立てはない。
しばらく待ったが返事はなかった。
ノブに手を掛けるが返って来るのは鍵が掛かっている時特有の反発。
寝ているのだろうか、諏佐は首を傾げた。
夕食をリクエストして来たのは今吉だ、何処か出掛けてしまったとは考え辛い。
一旦部屋に戻り、今度はベランダに回る。
玄関からよりもベランダから呼んだ方が中には声が届きやすいのだ。
玄関で音を立てると共有廊下に響いて煩いというのもあるが。
元からあったベランダの区切りは、置いてあるだけの柵だったので、
いつの間にか今吉がそれを退かし、諏佐家と今吉家のベランダは行き来自由になっていた。

窓を叩こうとひょい、と今吉の部屋を覗いて、諏佐は動きを止めた。
今吉は起きていた。
部屋の真ん中に突っ立って、何かを抱えている。

今吉の抱いているものが見えた。
諏佐は、それに見覚えがあった。

烏の濡れ羽色をしたつややかな髪、ちらりと見えた特徴的な眉。
武田に手渡された写真の中にいた、美しい青年。
現場から消えた、その首。

「花宮、綺麗やなぁ」
にこにこと笑うその表情は限りなく慈愛に満ちていた。

す、と身を引いて、諏佐は部屋の中が見えない位置まで下がる。
それから手を伸ばしてばん、と窓ガラスを叩いた。
しばらくしてカラカラと音がし今吉が顔を出す。
「オムライス出来たぞ」
「えらい早いな、いつ帰ってきたん?」
「三十分くらい前じゃないか?」
「全然気付かなかったわ…」
うわーと顔を歪める今吉に、早く来いよとだけ言って背を向ける。
「諏佐」
その腕は今吉に取られた。
「何だ?」
振り返って問う。
寒いから早くオムライス食べたいんだが、と呟けば、
今吉は少し困ったような顔で見上げてきた。
「…何か見たか?」

人間には一つや二つは他の人間に秘密にしておきたいことがあって、
今吉が花宮を愛でていることはそれに類するのだろうと諏佐は思った。
それを他人に知られるのは嫌と感じるということも知っていた。
だから諏佐は何も見なかったふりを通すことにした。

「何かって?」
「見てないなら良えわ」
「そうか」

これも、今吉が教えた嘘の吐き方だった。



それから何も起こらず月日は過ぎた。
花宮の事件は犯人の手がかりも掴めず、早くも迷宮入りと噂されている。

そろそろ春も来ようかと言う、麗らかな日のことだった。
トントン、軽快なリズムが客人の来訪を告げる。
「はい」
「ワシや、入れてぇな」
今吉だった。
諏佐が玄関を開けると大きな荷物を背負った今吉が其処に立っていた。
三つも四つもある荷物を残らず諏佐の部屋に運び入れ、
やっと今吉と諏佐はソファに腰を下ろす。
今吉は荷物の中から一つだけ、紫の風呂敷に包まれたものを抱えていた。
「すさぁ、明日から此処で暮らしても良え?」
今吉が突拍子もないことを言い出すのは今に始まったことではない。
「勿論家賃は半分出すで!家事もちゃんとやる!
…だから、諏佐ン家で暮らさせて?」
今吉は諏佐の性質を、諏佐以外では一番に理解している人間だ。
それと同じく、恐らく諏佐も今吉のことを今吉以外では一番に理解している。
人間に興味が持てない男と、人間に興味を持ちすぎる男。
二人をそう評して、
「なかなか相性良えと思うで?」
と言ったのは今吉だ。
「ある意味冷徹かもしれない諏佐くんと、虫も殺せない今吉くん。
君たちはきっと相性が良いんでしょうね」
そう言ったのは武田だ。

今吉が望んでいて、諏佐もそれが嫌な訳ではない。
実際には本当に今吉が望んだのか、疑問は残るところだが―――ならば、返す言葉は一つだ。
「別に良いが」 
「ほんま?」
「ああ」
嬉しそうに、本当に嬉しそうにやったぁ、と呟く今吉を見て、諏佐は小さく息を吐いた。

「あとな、もう一人、一緒に住まわせたい奴がおるんや」
今吉がずっと抱えていた風呂敷を解く。
中から出てきたのは予想通り。
「花宮や。諏佐は良う知らんと思うけど、良い子なんやで?」
透明な円柱型をしたガラスケースの中、満たされる液体に浸かりながら目を閉じている花宮。
「花宮、聞こえてたかもしれんけど、諏佐ン家に住めることになったで。良かったなぁ」
その言葉に、諏佐は自分の抱いた疑念が正しかったことを知る。

でも、だからどうということもない。
一人で暮らすには少々広い部屋。
今吉がご飯を食べに来たり、
持ち帰って来た仕事を諏佐家でこなすうちに眠ってしまったこともある。
今までと大して変わらない日常が新たに始まるだけだ。
家賃が半分になるところを見ればメリットはある。

こうして、二人と一人の奇妙な同居生活は幕を開けたのだった。



  



20130114