花咲くクオリア
「いーまよしせーんせっ」
麗らかな午後、研究室に明るい声が響いた。
「何や高尾くんかいな。今日は授業あらへんやろ?」
「うん、そうだけど。ちょっと気になる話聞いちゃったから〜」
にこにこと笑顔を絶やさないのは高尾和成という青年。
諏佐の授業を受ける物好きの一人だ。
諏佐佳典教授の講義は面白い―――くされ縁や助手の贔屓目なしにも、今吉はそう思っている。
だが、諏佐が教鞭を振るう分野というのは、
閑古鳥の鳴くような分野であって、必修になることは殆どない。
正直、何で教えていられるのか良く分からないくらいだ。
しかし、物好きな生徒は結構いるもので、諏佐の講義は学内一の受講人数を誇る。
その中には履修していない者もいるようだ。
話が逸れた。
「気になる話?」
今吉は聞き返す。
うん!と元気良く答えた高尾はにやり、と笑った。
「死を招くピアノ曲の話、知ってます?」
「死を招くピアノ曲?」
今吉は首を傾げた。
今吉翔一はこういった不可思議なことや、説明のつかない事象が好きだ。
占い、おまじないから始まりUFO、幽霊、妖怪など、都市伝説にも免疫がある。
この高尾とそのくされ縁の緑間と距離が縮まったのもそういう現象が切欠であり、
それ以来こうして時折高尾は今吉に不思議な噂を持ってくる。
念のために言っておくが、この行動が成績に関係するようなことは一切ない。
「その名の通り、聞いたら死にたくなるって曲なんだって」
数週間前動画サイトに突如投稿された短いピアノ曲。
それを聞いた人は自殺したくなる、という噂があるらしい。
「今吉先生、こういうの好きっしょ?」
ありきたりな話だと思いつつも、今吉は頷いた。
溢れていようと、そういったものには変わりない。
「当時中学生だった牧名勇智(まきなはやとも)って人が作ったみたい。
今、死を誘うメロディって言って、どこの動画サイトでも運営と追い掛けっこしてますよ」
「へぇ」
死を誘うメロディとは、またそれらしい。
「あー駄目だ、これも消えちゃってる」
スマートフォンを操作していた高尾が残念そうに声を上げる。
「すみません、今吉先生。消えちゃってました」
「良えよ、家帰ってから探してみるわー」
噂のものを探し当てるのも、また一興だろう。
そう思って今吉は手を振った。
すみません、頑張ってください、と言う高尾に、今吉はふと思いついて尋ねる。
「高尾くんはそれ、聞いたん?」
「オレ?聞きましたよー。真ちゃんも!」
ずっと高尾の隣で黙って立っているだけだった緑間が指差された。
授業でないからなのか、その手には大きめのテディベアが抱えられている。
緑間の命を守っているらしいラッキーアイテムは、
授業中は邪魔にならないように入り口のロッカーに入れておくことで、
彼と大学との間で話がついているのだ。
「緑間くんはピアノ得意なんやったよな」
「ええ、まぁ、それなりには」
「ピアノ弾く者から見て、死を誘うメロディはどうやった?」
呪いのようなオプションがつくとは言え、ピアノ曲なのだ。
楽器をやったことのない今吉には分からないヒントがあるかもしれない。
そう思って問いかける。
「構成としては、非常に簡単で…ピアノを一通りやった者ならば難なく弾けると思います。
そして…」
一旦緑間が迷うように言葉を切った。
「そして?」
その先を促すように問いかける。
「そして、作曲者は、確固たる自分の世界を持っているのだと、感じました」
「自分の世界?」
「ええ」
緑間の真っ直ぐな視線が少しの戸惑いを含んで、今吉を貫く。
「比喩ではなく…彼には、人とは違った世界が見えていたんだろうと、強く、感じました」
「ってことがあってなぁ、諏佐?」
家に帰るなり諏佐は着替えもそこそこにソファに座らされて、今吉の話を聞いていた。
「一応諏佐が帰ってくるまでにいろいろ調べてみたんやけどな、
音源は悉く消されてしもうてるし、その牧名っちゅう作曲者のことも分からんし」
ため息を吐く。
諏佐がちょっとした出張で研究室にいない間に今吉は随分好き勝手にやっていたらしい。
今に始まったことではないのでもう何も言わないが。
一般常識として言って聞かせたところで、
それに重きを置いている訳ではない諏佐の言葉など、今吉には届かない。
「でも気になるやんか?」
「それを探せば良いのか?」
「いや、その必要はない」
じゃ・じゃ〜ん!と今吉が何かを取り出す。
「高尾くんはこれ、今削除とミラーの追い掛けっこって言うてたけどな、
ワシ、カセット持ってんねん」
「カセット?また何で」
情報記録機器が進歩していくこのご時世にカセットとは。
「正確にはワシのやあらへんのやけどな。花宮ンのや」
ほう、と諏佐は目を瞬かせた。
どうやったかまでは知らないが、今吉は花宮の死後、幾つか遺品を分けてもらっていた。
どれも今吉チョイスの琴線が分からないものばかりで、
今回のカセットはその内の一つのようだ。
「花宮も音楽聞くんやなーって何か可笑しくなってな、
ほら、クラシックばっか聞いてそうやん?
何処の誰かも分からない中学生の趣味みたいな曲、聞くんやな、って」
クローゼットを徐に開けた今吉はがさがさと中を漁っている。
カセットデッキを探しているのだろう。
前回の大掃除の時、捨てないものとしてあそこに閉まった覚えがある。
「噂は噂やと思ってたんやけどな?
青峰に話振ってみたら、死ぬ前にこれ聞いてたっちゅー人間は増えてるらしいで」
あった、と振り返った今吉の手には黒いカセットデッキ。
捨てないで良かったなぁ、とセットしていく。
「何曲か入ってるけど、呪いの曲だけにするか?」
「今吉が良いなら順番に聞いてみたい」
「分かった、順番な」
かちり、と再生ボタンが押され、テープがゆっくりと回り始めた。
A面にのみ録音されていたそれは、七曲目に差し掛かっていた。
これが最後の曲や、と今吉が言う横で、じっと聞いていた諏佐が小さな声で問う。
「今吉、曲にタイトルはついているか?」
「ん?ああ、ついてるで?読み上げよか?」
「頼む」
「花屋の日曜日、満ち足りた部屋、木枯らし…」
今吉が書いてあるタイトルを読み上げていく。
「で、最後、今流れてんのが、死を誘うメロディ、まだ貴方はかえって来ない、や」
ふむ、と頷いた諏佐が今吉の方を向いた。
「お前は…これ聞いて、どう思った?」
「ワシ?」
聞かれた今吉は目をぱちくりさせる。
こういうのはお前の方が得意だろ、と付け加えると、
まぁそうやけど、と腑に落ちない表情で少し考え込んだ。
「うーん…緑間と被るんやけど、作曲者のマイワールド全開って感じたわ。
ついて来れる人間だけで良えでー、みたいな」
その答えに、諏佐は満足したように目を細めた。
「共感覚だろうな」
「共感覚?」
共感覚とは特殊な知覚現象のことである。
とある刺激に対して通常の感覚のみならず、異なる種類の感覚も発生させるものだ。
例を挙げるならば、文字に色を感じたり、形に色を感じたりする。
一説によれば二万五千人に一人存在するらしい。
「タイトルと照らし合わせてみたが…使っている音が妙にばらついてる。
恐らく、音と文字に色が見えていて、それを組み合わせたんだろう」
緑間も此処まではっきりはしていないが、共感覚を持っているんじゃないか、と付け足した。
だからこそ、彼の見ていた世界を垣間見ることが出来たのだろう。
今吉はと言えばぽかん、として、やがてあー…と気の抜けた声を出しながら頭を掻いた。
「共感覚は…考えてなかったわ…。
じゃあ、これ聞いて死んだってやつも共感覚持ってたっちゅー訳か?」
「そうだろうな。その時の精神状態も関係してくると思うが」
「一応緑間くんには注意しとくわー」
この曲を聞いて自殺した人間たちは、遅かれ早かれそうなっていたのだろう、と諏佐は思う。
これは日常生活に数多ある引き金のうちの一つにすぎないのだ。
「はー何を考えてこんなん作ったのか、この牧名さんに聞いてみたいわぁ」
「聞いてみれば良いんじゃないか?」
「へ?」
諏佐の視線は部屋の中、直射日光の当たらない低めの棚の上に注がれていた。
「…そう、なん?」
「ああ」
短く答える。
今吉は何とも言えない笑みを浮かべて諏佐の答えを噛み砕き、やっとのことでうん、と頷いた。
「そう、か。あー…そうなんか、そういうことか」
何や簡単な言葉遊びやったな、と何処か悔しそうな今吉を尻目に、
諏佐はくたびれたエプロンを拾い上げる。
「今日の夕飯はシチューで良いか?」
「良えよ、人参大きめでなー」
「はいはい」
向かう先は台所。
こうした確かな日常が限りない幸せであると知っている人間は、その引き金では誘われない。
それが分かっているからこそ、諏佐は頼まれた通り、人参を大きめに刻むのだ。
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20130114