それはわたし、



がやがやと煩い人混みの中、今吉は周りの人と同じように上を見上げていた。
「あーあ」
何処か残念そうな声。
 周りの声と比較してみれば、それがどれだけ異常な反応であることか分かったであろう。
写真を撮る人、ウソーと軽い声を出す人、電話をし始める人、
その中へと交じるサイレン、連絡を取る通信機の雑音。
しかしながら諏佐にとってそれはいつだって隣にいる、
いわば日常であったし、そもそもそれ以前にそういったものには興味の抱けない質だった。
「ああなってまえば、もう、人間ではおれんわなぁ」
美しいけどな、そう笑った今吉に、不謹慎だぞ、と呟いた。
そうは思っていないけれども呟いた。
―――まもってくれ。
そう言った割りには、この男は自分の管理がなっていない。

透明なエレベーターの中から、虚ろな視線が群集を見下ろしていた。



覆いがされてその現場が見えなくなったところで、今吉は興味を失ったように帰ろか、と呟いた。
そうだな、と諏佐は返して、くるり、身体を反転させる。
「ワシな、気になってることがあるんや」
人通りの少ない裏道に入ったところで、今吉はそっと言った。
気になってること、と諏佐は繰り返す。
せや、と今吉は息を吐くように答えた。
まだ、顔は上がらない。
「花宮殺したのは誰なんか、って」

人混みなんて嫌です。
そう言った同居人は今日、家で留守番をしていた。
故に、今日はがらがらというキャスターの音もしない。

だから、というのもあるのだろう。
今日あの光景を見て、そして彼がいないというこの状況が、
今吉が今まで触れてこなかったその部分に触れさせている。
「このことについては花宮もだんまりでな」
貴方には関係のないことでしょう、って、めっちゃ拒絶されてもーたわ。
今吉はけらけらと笑ってみせるが、その唇の端が強張っていることは諏佐にだって分かる。
「ワシは、別に。復讐したい訳やないんよ。
別に良い玩具取られたから言うて拗ねるような子供やないんやから。
でも、でもな、諏佐…」
声が、震えていた。
「ワシが見つけた時、花宮はあんまりに綺麗だったんよ…」
まるで、望んでそうなったように。

今吉にとって―――生き残ることを望む今吉にとって、
望んでそうなった、というのは理解不可能の領域にいるのだろう。
人間といういきものは、自分の理解の及ばない領域のことをひどく恐れる。
今の、今吉のように。
「…お前は、解えを知りたいのか?」
かさついた唇を湿らせたのは、そんな言葉だった。

今吉はそれに、ゆるく首を振る。
「気にならないとは言えへんよ。
けどな、花宮が口を噤むっちゅーことは言いたくないっちゅーことや。
それを暴くような真似は、したらあかんと思うてる」
「…そうか」
影が伸び始めていた。

もう、夕暮れだった。



この書類だけ提出してくるなぁ、と今吉だけが出かけて行った昼のこと。
「読み聞かせしてくれません?」
いつもの定位置で、その琥珀色の瞳が開かれた。
「オレがか?」
「貴方以外に誰がいるっていうんです」
あの人訛ってるから嫌ですよ、と眉を寄せる花宮に苦笑する。
「本を読めないことはないですが、貴方の声が好きですから」
お暇でしょう、と言われてしまえばその通りであるし、
虚空を見つめてぼんやりするよりかは、朗読の方が有意義だと思った。

淡々と物語をなぞる。
指がページをめくるごとに、かさり、と薄っぺらい音を立てた。
「〈ある男が死んだ。つまらない事故でね。………」
物語の中盤に差し掛かって、主人公の少女がそう友人に問いかけをする場面。
ぴくり、その片眉が器用に上げられた。
「…同僚と妻はこんなときになんだけどいい雰囲気になった。………」
少女の回想の中で兄は語っていく。
美しく、家に引きこもっている兄。
物語の最後に兄は普通の人間に戻ってしまうけれども、
そうでない時の彼は諏佐に似ている、そう言ったのはこの本を買ってきた今吉だった。
「…自分の子供をとつぜん殺したんだ。さて、なぜでしょう?〉〈な、なぜって……〉………」
勿論、諏佐はそうは思わない。
「………〈答えられたらヤバイクイズ。これにて終了。我が妹は正常なり。ではね、」
「because I love you、ですか」
言葉が終わる前に、花宮はそう呟いた。
「あっている、でしょう?」
「この本ではbecause I miss you、だったがな。逢いたくて、だ」
「ふぅん」

興味がなさそうに花宮は頷く。
とは言っても、その琥珀色の瞳の開閉でそうだと判断したに過ぎないのだが。
「そんなふうな言葉を使うと、やたら可愛らしいものに聞こえますね」
まるで嘲るような、そんな調子だった。
「ぼくは…この〜うみ…に…なんーども…やあってーくるー…」
勝手に付けられたメロディに乗って、その歌はなんでもないように囀られていく。
流石中学生の時から趣味で作曲をしていただけのことはある。
「Who killed Cock Robin」
ふつり、とその歌声が消えた。

本をぱたん、と閉じる。
じとり、こちらを見つめてくる琥珀にふっと笑みを向けてやった。
「今吉が気にしていたぞ」
「…だから、なんだって言うんです」
「気にはなるけれど、知るつもりはないようだ」
其処はお前の領域だと。
そう続けてやれば、偽善者が、と吐き出される言葉。
「…貴方には、もう分かっているでしょう」
「ああ、理解は出来ないが」
「あの人が知ったら、オレは此処から放り出されてしまいます。それは、」
いやですから。

瞼が降ろされて、気泡がごぼり、その口から漏れていく。
「今は望んだ幸せの中にいますから」

ただいまー、と。
玄関から今吉の声がした。



  



20140920