君といういきもの


最寄り駅から電車に揺られること四時間と少し。

今吉翔一は一人で、なんにもないような田舎の町に降り立っていた。
「あつ…」
木々の色の変わってきた日、まだ夏の名残が色濃く漂う熱さの中、今吉は汗を拭う。
暦の上ではもう秋のはずなのに、最近の残暑は粘り強い。

そんな中、何故こんな田舎に降り立ったのか。
それは単に今吉自身の興味の矛先の所為であり、
仕事だの付き合いだののそういった面倒なものは一切関わっていない。

きんこん、と古ぼけたチャイムを押すと、中からはあい、と声がする。
「先日お電話させて頂いた今吉です」
「あらあら、先生。いらっしゃいませ」
小柄な女性が今吉を出迎えた。
少し、頬が痩けているように見えるのは精神的にも肉体的にも彼女が疲れきっているからだろう。
一人息子が亡くなって、しかもそれが誰かに殺されたとなって、身体の一部は見つからず、
犯人も未だ捕まっていないとなれば、窶れるのも仕方ないように思える。
「お忙しいところ、突然、すみません。花宮さん」
彼女の息子の名前は、花宮真と言った。

何も出来ませんが、と女性は今吉を家の中へと招き入れた。
奥の座敷にあった仏壇に手をあわせ、拝む。
「ありがとうございます」
今吉が頭をあげると、女性はそう呟いた。
「あの子、自分のことはあまり話さない子でしたけど。
諏佐教授の話は帰って来る度、よくしていました」
それだけ尊敬していたんでしょうね、と彼女は笑う。
それに対して、今吉は少しばかり目を細めてみせた。
けれども元々細い目だ、今日初めて会ったような人間にその差異が読み取れる訳もない。
「諏佐教授、花宮くんのことえろう可愛がっとりましたから。
人には言いませんが、落ち込んでいまして…」
息を吐くように嘘が滑り出る。
こういうことにももう慣れた、罪悪感すらない。
いえ、今吉先生が来てくれただけで、あの子も浮かばれます。
そう言った女性に、今吉は胸の内でだけどうだかな、と返してみせた。

あの部屋で、今日は諏佐と一緒に留守番しているあれは、今日の今吉の行動を知らない。
知らないけれど、
きっと知ったら苦虫を噛み潰したような顔をするのだろうな、と想像に難くなかった。

そういえば、と言う声で今吉は現実に戻った。
お茶がことり、と置かれて白い手が退いていく。
「朝、お墓の方に背の高い男性がいらしてくださって。
お声をかける前に何処かへ行かれてしまわれたのですけれど」
やわらかい笑み。
「あの方が諏佐教授かもしれないと思っていたのですが、違ったんですね」
あの子に、他にお参りしてくれる年上の方がいたなんて。
くすくすと言った音の似合うそれは、まるで少女のようだった。

*

共同墓地は花宮の生家からさほど遠くはなかった。

バケツと柄杓を借りる。造花の挿してある花立の中身を入れ替えて、余った水で墓石を流す。
「暑いやろなぁ」
花宮、と言わなかったのは今吉にとっての花宮はあの部屋にいるからだった。
今吉の知っている、今吉のつくった、花宮真。
あれこそが花宮であるなら、首から下はちがういきものだ。

そうしてバケツの中身を空にして、線香を供えて。
さて帰ろう、と顔を上げた時だった。
「…諏佐?」
見間違えるはずがない。

にこり、と悪戯を思い付いたような顔で今吉を見遣ると、男はだっと駆け出す。
「…ッ!何処行くんねん!!」
反射のように、追い掛けていた。
放り出されたバケツがかんかんかん、と音を立てて転がっていく。

しかし、今吉にはそれが振り向いた時点で、それが諏佐でないと分かっていた。
諏佐が東京のあのこじんまりとした家にいることを知っているからではない。
あれだけ不思議事象に巻き込まれていれば、
いつの日か誰かが瞬間移動する日が来ても可笑しくないと思っている。
ぞっと背中を走った寒気は、もっと、他の、嫌悪感からだった。

単純に、気持ち悪かったのだ。

あんなふうに、まるで普通の人間のような表情をしてみせた、その諏佐の形をとったものが。
「…ッは、あ…ワシもオジサンになったもん、やな…ッ」
全力疾走で息は上がって、胸がぎりぎりと痛んでいた。
諏佐の形をしたものには追いつけなかった。
そういったものだと分かっていて、それでも反射的に追いかけなければ、
追いかけて―――なければ、と思った自分に嘲笑が漏れる。
「………すさ」
たらり、残暑に誘われるように落ちた汗に、今吉は呟いた。
その声がひどく弱々しく聞こえて、頭を振った。

投げ出してしまったバケツと柄杓を、片付けなければ。



また長い道を歩いて駅へと戻る。
これからまた四時間と少し、辛抱強く電車に揺られないとあの安全地帯にはかえれない。

電車を待つ間、閑散としたその駅で今吉は携帯を取り出した。
慣れた手つきで呼び出した番号は、少しの待機音を経て、いつもの声を届けてくれる。
「すさ」
その名前を呼んだ時、確かに自分が安心したのを、今吉は気付いていた。
「…なぁ」
『何だよ』
「諏佐、ちゃんと家におるよな?」
『ああ』
「そうか」

長く、息を吐き出した。
それで胸の中にあった違和感は全部、消えていった。
消えていったということにした。
「すさぁ」
甘えたような声が出る。
『何だよ』
白線の内側にお下がりください、のんびりとした駅員の声。
人もまばらな片田舎の駅、暮れる太陽。
「これからも、そのままでおってな」

その言葉に諏佐が首を傾げることはないのだろうと知りながら、今吉はそんなことを呟いた。



  



20140721