寝物語 R18 何か薄いぴんく色をしたものが自分の身体に圧し掛かっているのが分かった。ぴょこりと揺れる長い耳、片方が折れ曲がっている。ふわふわとした生地、何処か抜けたような表情。遊園地やデパートなどにいるような、そんなのんびりした空気を醸し出すうさぎのきぐるみ。 ぼんやりした思考の中、ああまたか、と思った。身体がうまく動かないのはもう分かってしまっている。 これは、夢だ。 夢の中でも、所謂悪夢だ。 覆いかぶさる薄いぴんく色のうさぎに舌打ちをする。この夢が始まってしまえば逃げられない、目覚める方法も良く分からない、明晰夢だというのに何一つ諏訪の思い通りにはならなかった。それでももしかしたら、という希望を捨てられないでもぞり、身体を捩ろうとしてみるが、金縛りにでもあったみたいに動かない。 その間にも背後のうさぎの腕は諏訪の身体の上で不穏な動きをしていた。ふわふわと触れるか触れないか、そういった動きを続ける指は、諏訪の中の性的な快楽を呼び起こそうとしているのだと知っている。知っているけれども、どうにも出来ない。誰が感じてなんかやるか、そう歯を食いしばっても、ゆるゆるとアイスを溶かすようなやさしさで、そんな諏訪の意地を解いてしまう。 「ッや、だ」 相手はきぐるみだというのにその指先は妙に細くて、いとも簡単に諏訪の中へと這入り込んでくる。まるで、勝手知ったるとでもいうように。実際知っているのだろうが。そもそも其処はそんなふうに使う場所ではない、そう叫びたいのに、文句を言いたいのに喉が動かない。まぁこれは夢なのだから、その言葉の先はどうしても自分にしかならないのかもしれない。 「う、え」 いつのまにか前にも回っていた手がするりと、既に明確にかたちを持っているものを撫ぜていく。そんな仄かな刺激だけで、じりじりとくすぶっていたものに引火するのは充分だった。 慣れ親しんだ吐精感に身を委ねながら、今日もだめだったと目を閉じた。 *** 女王の没落 少年にはかつて母という存在がいた。 少年にとってそれは同じ年の頃の友人の言うようなあたたかい存在ではなかった。母、というものはきっとうちにはいないんだ、少年はそう思っていた。これは母の名を冠した、ただの女だ、と。 と言うのも、母の視線は腫れぼったい熱を孕んで少年に注がれることが常だったからだ。 「お前はお父さん似だね」 そう言ってその女は少年の頬を撫ぜる。傷一つない、きれいな頬を、装飾された長い爪が滑っていく。いつでも殺せる、少年には爪がそう言っているように聞こえた。か弱いお前なんて、いつだって切り裂いてしまえるよ―――それは彼女がいつも添い寝の際に語る物語の所為だったのかもしれない。とある国の森に住んでいた魔女が、ある日突然王様も女王様も食べてしまう話だ。そうして残った小さな王子様と一緒に魔女はお城に住み、毎日毎日王子様にいろんな話をする。まるでアラビアンナイトのように。 父親似と言われることは少年の中で比較的喜ばしいことだった。この女と似ているのだけは耐えがたかった。傲慢な女はよく少年を打(ぶ)った。 「お前を生んだのは私だよ」 それが、女の口癖。 そんなに言うならば生まなければ良かったのに、何度かそう思った。腫れた頬を冷やすことも少年は知らずにいた。 暫く時間が経つと女は少年に擦り寄ってきた。少年の父がつけたのだという少年の名前を呼んで、痛そう、と腫れた頬を引っかいた。自分がやったことを忘れているようだった。耳から流し込まれるように繰り返し呼ばれる名前はどろどろに溶けて、ひどくあまったるい腐臭を漂わせていた。 そうして暮らしていた少年は、ある日唐突気付く。その女が支配する自分という世界の存在に。 だから、とある冬の日。少年は当時住んでいた部屋の鍵を閉めた上で、丁寧にチェーンも掛けた。その日は世間では大きなイベントの日で、女の働いている店でもたくさん酒が振舞われるのだと言っていた。女は酒が好きだった、少年はそれを知っていた。そして、酒を飲んだ女がとてもだるいきもちになって、一旦足を止めると動きたがらなくなることも知っていた。 かくして少年のあまりに稚拙な目論みは成功し、朝には女は家の戸の前で冷たくなっていた。誰かが来る前に、そっと少年はチェーンを外した。そうして誰か、と声を上げると隣の部屋の人間が駆けつけてくれた。 そういう訳で少年は晴れて自由の身となった。多くの大人が可哀想に、と声を掛けてくれた。誰も少年の悪戯に気付く者はいなかった。それを少年は神か何か、そういう存在からの謝罪なのだと捉えた。今までずっと、あの女の瞳の奥にいた、父に重ねられてきた謝罪、なのだと。 自由になった部屋で、少年は鏡の前に立った。その中の自分に向かって、その名を呼んでみた。あの女には微塵も似ていなかったはずの顔が、まったく同じ表情をして居座っていた。 *** 三時にならないお茶会 珍しい悪夢ではなかった。少なくとも諏訪の中では、という話ではあったが。時々、この悪夢を見るのだ。最初はただ見て、嫌な夢を見たと起き上がるだけだったのに、今では立派に感覚までついてくる。今朝だって、その所為で朝から下着を替える羽目になってしまった。全くこの年にもなって、と少し泣きたい気分だ。それに加えて淫夢ならまだしも、という話である。いや、ある意味ではあれも淫夢なのではあろうが。 可愛らしいうさぎのきぐるみに犯される。もしくは、そこまで行かずとも何かしらの性的接触を受ける。 そんな悪夢を見続けて、もう二年近くが経とうとしていた。 「うさぎの性欲ってすごいらしいですね」 図書館でそう吐かれた言葉に、びくりと肩が揺れた。どうしたんですか、驚いたような顔をする後輩であり部下でもある男に、なんでもない、と笑う。 「なんで突然うさぎ」 「今、不思議の国のアリス取り上げてるんですよ」 その言葉に、ああ、三月うさぎ、と呟いた。 うさぎ、と言って連想されるものは残念ながら今はあの悪夢しかない。おもたくなった気分を隠しながら、アリスな、と繰り返す。有名な文学作品を紐解くことは大体どの年もやることだ。諏訪さんもやりました?と問われていや、と返す。過ぎ去ったことは忘れてしまう質であるので記憶は曖昧だが、確かハムレットだったように思う。こんな調子で悪夢のことも忘れられたらな、と思うのに、残念ながら現実はそううまくはいかない。 そうですか、と残念そうな呟きが聞こえた。 「やってたなら解釈手伝ってもらおうかと思ったのに」 「お前そういうの苦手だっけ」 「わりと」 「にしては要領良いよな」 「ありがとうございます」 そんな遣り取りの最中にもあくびが出そうだった。睡眠時間は取れている、取れているがあの悪夢の所為で眠った気にならないのだ。なにやらまだ続けている男をぼんやり眺める。 そして、思いついた。 「堤」 「何ですか?」 話を遮ったにも関わらず、彼はいやな顔一つしなかった。そんなんだから、と思う。けれども悪夢なんて見る日々が続けば一人が心細くなるのは必然的とも言える事象で、何ら可笑しくない。普通ならば人に相談したりなんなりがあるのだろうが、内容が内容故に人に言うのも憚られる。 「今日お前、暇?」 「暇ですけど」 「オレん家、来ない?」 そんなんだから、オレみたいなのにつけこまれるんだ。 そう思いながらも、彼が断りませんようにと願う部分は、諏訪の中には確かに存在するのだ。 *** 神様の哀れんだ少年 声を小さく落とすと少し掠れる。それが緊張のようだなんて思っていた。久しく緊張なんてしていなかったので、その感覚も怪しかったが。いやでも大学で何かしらプレゼンするときもこんな声が出た気がする、と思い出す。ならばこれはやはり、緊張なのかもしれない。 そういう時、いつだって思い出すのはあの女の寝物語だった。魔女が王子様にきかせた物語たちは、どれもひどいバッドエンドだった。それを聞きながら毎回毎回王子様は怖がるのだ、この物語のように、魔女は王子様を食べてしまうつもりではないのか。幼い少年もまた、王子様と一緒になって魔女に、女に怯えていた。 緊張というのは一種の怯えだ。だからだろう、耳元で囁かれているように、その物語たちが回り出すのは。 けれども残念ながら、他の人間にとっては所謂トラウマという分類になるであろうその現象は、自分にとっては後押しのようなものにしかならない。おまじない、そう言い換えても良かった。 だって。 それ以上に怯えた記憶など、なかったのだから。最悪を思い出してしまえば、この先それ以上に悪いことは起こらない、なんて思えることだってあるのだ。あの日の少年はそういう大人へと育っていた。 その所為、なのだろうか。彼に、その物語のうちの一つをきかせる気になったのは。 女といた頃の記憶は長いこと、自分にとっては重大なる禁忌であった。思い出してはいけない、なかったことにしておいた方が良い、そういうものだった。周りの大人たちがことを大きくしないためにとった、臭いものに蓋という考えも勿論あっただろう。それでも従ったのは、あれは外に出すべきものではないと、そう思っていたからだった。 掠れた声が語り出す、秘められた物語。 彼は、これをどう思うのだろう。 *** 罠 そう何度も理由もないのに泊まっていけと言うことなど、プライドが許さなかった。だから諏訪は餌を用意することにした。 餌、などと言うと妙にあぶない香りがしてくるが、この優しい後輩に諏訪は無体を働くつもりは勿論ない。むしろそんな輩がいれば慣れない拳を振るってでもまもってやると思うくらいには、諏訪は彼のことを可愛がっていた。 彼の好きな酒を選び、好きな本を選び、時には先輩らしく課題を手伝ってやったりして。目に入れても痛くないというのはこういうことを言うんだろうな、と思った。 その日も良い酒を手に入れたからとメールをいれたら、すぐに行くとの返事が返って来た。それなりに慕われているのが分かる現状に、利用しているという事実が重く圧し掛かっていた。餌は、それを拭うためのものとも言えた。 そんなことを考えていたからだろうか。その日は完全にペースを見誤った。ぐるぐる回る天井を転がった床で見上げながら、あれ、と思う。 「此処、堤ン家みたいだな」 酒に酔った末に飛び出た言葉に、思わず自分で頷いてしまった。 今飲んでいる酒も、本棚に新しく増えた本も、その辺に散らばるティーシャツも、どれもこれも諏訪の趣味ではない。というより、餌をまきすぎた所為かその部屋に諏訪の痕跡は殆ど残っていなかった。笑ってしまう。 それでもいいか、と思った。別に、彼が家に来たからと言って悪夢が止まる訳ではなかった。けれども確実に、一人の心細さは緩和されていた。彼がいれば悪夢を見た朝でも、泣きたくはならなかった。 「合鍵、作ってやろーか」 家主が持ってないんじゃカワイソーだろ、そう笑ってやると、諏訪さん忘れたんですか、と呆れた声が返って来る。何を、と問い返せば忘れたんですね、と少しばかり険のある言い方をされた。 「諏訪さん、前、オレに合鍵押し付けたんですよ」 もしもの時のために取っといてありますけど。 ぱちり、と目を瞬(しばたた)かせる。 「え、いつ」 「んー…二年くらい前だったと思いますけど」 「そんな前かよ」 「オレはまさか忘れられてるとは思ってなかったんですけどね」 どうします、返した方が良いですか。その言葉にはゆるく首を振った。 「おまえならいーよ」 それはやはり、罪悪を拭うための貢ぎ物の一部でしかないのだ。 *** 僕はヒーロー 彼と出会ったのは簡単に言って異世界人からこの世界を守る、そんな組織に入ってからのことだった。友人に其処の隊員がいた、理由はそれだけで、多分既定満たしてると思うから、とそんな軽いスカウトを受けたからだった。 最初は長く続けるつもりなどなかった。友人には悪いがそこまで戦闘というものに興味は沸かなかったし、異形のものであろうと生命を奪うのはどうだろう、というのはその胸の中に落ちていた。 別に、後悔をしている訳ではない。あの冬の日の選択は正しかったと今でも思う。あのまま支配を受けたままでいたら。そう考えるだけでぞっとする。 けれども神だとかそういうものがいたとして、あの日自分を許してくれたそういう存在は、二度目は許さないだろう、そう思っただけの話だった。 けれども、そんな思考を彼と出会ったことで一瞬にしてひっくり返される。 そのどんよりとした色に、ぞくり、と忘れていた記憶が引きずり出されるのを感じた。ずっと、ずっと奥にしまっていた記憶。あの女の支配を受けていた頃の、記憶。 同じだ、同じ色だ。頭の中で警告音が鳴っていた。それは自分のためのものではなく、目の前にしている彼のためのものであった。救わなくては、そう思った。 だって知らないのだ。もしこのまま放っておいたらどうなるか。あの日少年だった自分は自力で脱出が出来たが、彼はそれを思いつきすらしないようだった。 救わなくては。再度、そう思った。 自分はあの世界から脱出出来た、謂わば生還者だった。彼を救えるのは自分のような生還者しかいない。周りに生還者がいるようには思えなかった。そもそもそういった生還が必要なケースの方が稀なのだ、それは分かっていた。 二度目を許されたのだ。そう、胸に溢れる思いがあった。異形の生命を奪う償いのために、神と呼ばれる何かは彼と自分を引き合わせたのだと。 「誓います」 見よう見まねで十字を切る。テレビの中で見た行為でありそれはひどく曖昧で、更にいうならば自分をみているものが十字を好むかどうかも分からなかったが。 「彼を、きっと、救うと」 自分のやるべきことだけは、きちんと見えていた。 *** ルビコンの対岸へようこそ 蜂蜜と生姜のお酒もらったんですが諏訪さん飲みますか?そんなメールが入っていることに気付いたのは大学の図書館を出てからだった。普段ならば趣味じゃあないと断るところだったが、あの悪夢のことを思い出すと誰かと飲んでいる方がましだったし、その誰かの中でも一番に融通を効かせてくれる堤が来るというのなら、それを逃す理由もない。 そろそろ理由に困っていたところだったのだ。餌付けのように彼の好きなものを散りばめて、この家はその結果彼の居住区のようにはなっていたけれど。それでも、彼は此処に住んでいる訳ではないし、彼をおびき寄せるにはどうしても理由が必要となる。 今回の向こうからの働きかけは、そういうものが一切必要ないとても有難いものだった。 そういう訳で日が暮れてからやってきた彼を迎え入れ、今日もまた酒を飲む。趣味じゃないと思った割りには、結構その酒は美味しかった。 気に入った、と告げれば良かったです、と返される。そうして顔を上げて。 さっと血の気が引く音を聞いた。 「つつみ、」 舌がうまく回らない。 「それ、」 「え? あ、ああ、これですか」 ゼミの女の子のお土産なんですよ、とその糸目を更に細めて笑う。笑い事じゃない、そう思うのに、喉がからからと渇いていってうまく、声が出ない。 可愛らしい薄いぴんくのキーホルダー。先ほどまでは見えていなかったものだった。鞄のファスナーの取っ手部分につけられているそれは恐らく、鞄の中へと巻き込まれていたのだろう。それが何かの拍子に外へと出たのだ。 「…諏訪さん?」 こちらの様子が可笑しいことに気付いたのだろう。どうしたんですか、と問いかけられる。しかし、返す余裕などなかった。そのキーホルダーに吐き気が抑えられない。胃の内容物がせり上がってくる。 それと同時に、ずくり、と痛んだような気もした。 あつい。吐き気を霧散させていくようなあつさ。身体の奥が、じくじくと疼いて止まない。 「つつみ」 「諏訪さん、あの、その、」 「な、に」 じっと見つめたら目を逸らされた。どうにも挙動が可笑しい。 「俺、ちょっと、今…」 「ン、だよ」 ふと、視線が下りた。風呂まで貸した堤が今着ているのはゆるいジャージだ。だから、見える。 「すみません、ちょっと今日、可笑しいんです。ごめんなさい、先輩に対して、こんな…すみません、本当にすみません…」 何度も繰り返される謝罪に、まったく、と思った。こういうときくらい、ひとの所為にしたって良いのに。謝る頬を捕まえて、そのまま接吻けを落とす。 驚きに見開かれた目もそのままに、いいんですか、と問われた。 「…だめだったら、こんなことしてねぇよ」 ぶつり、と。何かが切れる音がしたような気がした。 *** パンドラの匣をあけるとき R18 ぐちぐち、と耳障りな音がしている。荒い呼吸がどちらのものなのか、もう分からないほどに接吻けは交わされていた。 「つつみ、つつみ」 「すわさんっ」 「な、っに、」 鼻に掛かる自分の声を無様だな、と思った。これではあの女と同じではないか。その場面に立ち会ったこともないのに、そう思った。 確信にも似た何かがあった。あの女はきっと、こうやって父に縋りついたのだ。何度も何度も、繰り返し繰り返し。父が女に飽きるまで。 「名前で、呼んでください」 「なま、え」 「はい」 名前、です。なまえ。知ってますよね。知ってるよ。 ずっと、呪いだと思っていた。誰に呼ばれても、あの女がちらつくのだ。もう顔も覚えていないのに、なんて律儀な。 けれども、と思う。こうなった今のことを考えると、あんな女の馬鹿げた呪いでも、役に立つことがあるのだ。 「出来ますよね、洸太郎さん?」 こどものような瞳。出会った頃から長く時間はかかってしまったが、誓いは果たせそうだった。唇が震える。 「だいち」 ああ、と思った。思い切り腰を打ち付ける。突然の刺激に驚いたのか、ひっという悲鳴と共に其処はぎゅうぎゅうと締め付けられた。それでも構わず好きに動いてやれば、普段のがらがら声と同じとは思えないほどに高い声があがる。 まるで今まさに屠殺されようとしている動物のようだとも思った。 「大地っ大地っ」 きもちい、と逸らされる喉の先。搾り取られるような収縮に、胸の裏辺りに張り付いていた僅かばかりの罪悪がこそげ取られるようだった。出しますよ、と呟けば懇願のような、聞き取れない嬌声。申し訳程度に触れてやれば、張り詰めていたのかいとも簡単に弾けてくれた。それを眺めながら、鞭を打つように同じものを注ぎ込む。 だいち。 掠れた声。 其処にあの冬の日の鏡の中と同じものを見て、堤はやっと、この人を救うことが出来た、と息を吐いた。 *** *** 20140825 20150807 編集 |