執らぬ莟の明後日
[トらぬツボミのミョウゴニチ]
がたん。
電車が止まる時特有の揺れで、諏佐は目を覚ました。
イヤホンからは牧名勇智のやまない雨が流れている。
何やら車内放送が聞こえるが何を言っているのか分からない。
イヤホンを外して隣に目を向けると、意識を失う前と同様に今吉が寝こけていた。
邪魔にならないように抱え込んでいたトランクも無事だ。
どうやら乗り過ごしてしまったらしい。
此処は終点のようだった。
本来ならばもう五つほど前の駅で乗り換えをするはずだったのに。
しばし考え込んで、言葉を発さずに隣の今吉を揺さぶった。
「んー…?」
薄く目を開けて諏佐を呼ぼうとした唇を人差し指で抑えてやる。
それだけで何かを察したのか、今吉はこくん、と頷いた。
二人で黙って改札を抜ける。
ICカードのピッという音だけがいつも通りだった。
二人は一言も発することなく黙々と歩いていく。
ガラガラという可愛らしいトランクの車輪の音がやけに大きく聞こえていた。
知らない町並みである。
人通りの少ないその赤茶色の家々の並びをぼんやりと眺める。
遠くの方に見える山に靄がかかっているのがまた美しかった。
暫く歩くと寂れた公園に着いた。
今吉は何も言わずに其処へと入っていく。
「きさらぎ駅系統やないようやな…一安心、とは言えへんけど」
公園の看板を睨むように見ながら、今吉がぼそりと呟いた。
きさらぎ駅。
その名前は諏佐も、今吉の口から何度か聞いたことがある。
この世界の何処にも存在しないという無人の駅。
所謂都市伝説ではあるが、何処にも存在しない、というところから、
また諸説あるうちの前後駅の名前から、其処が異世界なのではないかという見方が多い…らしい。
しかし、先ほどの駅には人はいたし、ICカードだって使えた。
知らない場所ではあるが、
それなりに普通の場所に見えた―――文字が読めない、言葉が聞き取れない、という点を除けば。
「諏佐、マスク持っとったよな?」
ぐりん、と振り返った今吉は難しい顔をしていた。
「ああ、持ってるが」
「じゃあそれして、風邪で喉痛めて喋れないふりしとくか」
何故そんなものを持っているのかというと、緑間の所為である。
否、こういう事態になったことを考えるとおかげ、と言い換える方が正しいのだろうか。
曰く、彼の信奉する例の占い番組で、諏佐の星座は最下位だったのだと言う。
ラッキーアイテムはマスクだから、持っていてもそんなに邪魔にならないはずだから、
と朝、今吉の携帯にメールが入ったらしい。
「ワシも諏佐と同じ星座なんやけどなぁ。緑間クン、ちょっとワシに冷たいんちゃう」
ぷくっと頬を膨らました今吉がそう拗ねたように零していたが、
その話は今は関係ないので置いておく。
マスクを付け終えた今吉は真剣な目で諏佐を見上げた。
「すさぁ」
その息で眼鏡が白く曇って行って、大変そうだな、なんて思った。
「諏佐はあんま気にせぇへんかもしらんけど、ワシは元の世界に戻りたい。
やから、協力して?」
異世界っちゅーても、一つしかないとは言えなくてな、と、
周りに人がいないのを再度確認してから、今吉はぽつり、と話し出した。
大きく分けて二つ。
言葉が通じる世界と、通じない世界。
「まぁこれはワシの一説やから、正しいとは言えへんけど」
言葉が通じる世界とは、先ほど今吉が零したきさらぎ駅系統の世界のことだ。
幾つか話はあるがそれが全て同じ世界かどうかは分からない。
異世界、というよりは裏世界、と言った方がしっくり来るような気はする。
帰り方はどうもはっきりはしないが、トンネルを抜けたらいけない、ということは良く聞く。
今吉としてはこちらの方が恐ろしいと思っている。
帰り方がいまいちはっきりしないからである。
もう一つの方、言葉が通じない世界だが、本当はそう言うと語弊がある。
実際は通じない訳ではなく、少しばかり発音が違っていたりするだけだ。
しかし迂闊に喋れない、という点から見れば通じないと言っても間違いはないだろう。
こちらの世界は平行世界、という方がしっくりくるのかもしれない。
まぁ、所詮イメージではあるのだが。
良く聞く話ではこの世界の者はこちらの世界を知っていて、その上侵略を試みているのだとか。
違う世界の者だとバレれば何やら怪しげな組織に捕まり、幽閉されるなどすると聞く。
嘘か真か分からないが、こちらであるのなら帰り方ははっきりしている。
と言っても、これは今吉が勝手に大別しただけであり、
他にもこれに当てはまらない世界は存在するのだろうが。
「此処は、後者だと?」
「まぁな」
駅の看板、読めへんかったやろ?
あと、車内放送も聞き取れんかったと違うかな。
そう続ける今吉は尚も難しい顔だ。
「まぁ細かいこと言うと既出の話とは勿論差異があるんやけどな」
良く警報が鳴るとか住人を見ただけで通報されるとか、
言うてしまえば組織との連携がめっちゃ良く取れてるって聞くんやけど。
「まぁどうであれ帰る時は来た所から、ってパターンが多いと思うわ。
やから、とりあえず今日の道筋逆戻ししよか」
折角花宮のために外出したんになぁ、ついてないわ。
からからと笑って今吉がトランクを小突く。
「案外原因は花宮やったりして」
トランクの中からは何も返っては来なかった。
先ほどの駅までの道をまた言葉一つ交わすことなく辿っていく。
改札を抜けるところで駅員が何か言いたそうにこちらを見遣ったが、
今吉がわざとらしくげほごほと咳き込めば諦めたように業務に戻っていった。
出た時と同じようにICカードを翳して、止まっていた電車へと乗り込む。
勿論、先ほどとは逆方向の電車だ。
今吉と諏佐ががらんとした車内へ腰を下ろすと同時に、プシューとその扉が閉まった。
窓の外の景色が流れ出す。
靄の掛かった山が徐々に遠くなっていくのを、少しばかり寂しい気持ちで見ていた。
がたんごとん、と一定のリズムに身を委ねる。
途中、不安げな視線で今吉が見上げてきた。
それにはこっくりと一つ、深い頷きを返しておいた。
「…結局、此処まで戻ってきてもーたな」
がらん、とした駅のホームに降り立って今吉が小さく呟く。
其処は、今日の元々の目的地だった。
小さな町だ。
あの家から電車で四時間掛けないとやって来れない、小さな、町。
「すさぁ」
服の裾を掴んでくる今吉を一瞥すると、諏佐は歩き出す。
「信頼、して良えんやな?」
不安そうな声が追いかけてきた。
一旦止まって振り返る。
「それは好きにしろ」
その応えに今吉は満足したようだった。
十五分ほど歩くと墓地に着いた。
そのまま中へと足を踏み入れ、
「え」
今吉が驚いたような声を出し、慌てて諏佐を引っ張って物陰へと潜む。
目線の先にあったのは、三人分の背中。
「…花宮」
今吉の口から、思わずと言ったようにその名前が転がり出た。
現在共に生活をしている彼の、生前とも言える姿が其処にはあった。
その首は胴体から離れることなくそこに据えられており、
彼の言葉を借りるのなら、まるで真面な人間のように生きていた。
一緒にいる二人は友人だろうか、花宮は笑顔で彼らに話し掛けている。
こういうのを楽しそう、と言うのだろうな、と諏佐は思った。
長い時間だったような気がする。
今吉は信じられないものを見たような顔をしながら、
諏佐の持つ可愛らしいトランクの持ち手をギリギリと掴んでいた。
すっと諏佐が立ち上がる。
「え、諏佐!?」
今吉が止めようとするのも間に合わず、諏佐はそのまま歩き出した。
ちょ、ま、と短く悲鳴のような声を上げる今吉は置いていく。
ガラガラ、とトランクを引きずる音にひくり、とその肩が反応するのが見えた。
ゆっくりと、振り返る。
諏佐の視界にその美しい顔が映るより先に後ろから追ってきた今吉が触れ、
次の瞬間にはぐにゃりと世界が歪んで猛烈な吐き気にしゃがみ込んだ。
暫くそのまましゃがみ込んでいると、すうっと冷たい風が吹いて嘔気をさらっていくようだった。
「今吉」
顔をあげて確認する。
「花宮もいるな」
返事はなかったが恐らくいるだろう。
立ち上がって土埃を払ってから、今吉に手を差し出す。
「…ただいま?」
「おかえり」
頬に少しばかりの笑みを乗せてやれば、
その手を取って立ち上がった今吉が安心したように抱きついてきた。
「折角また来たんやし、もっかいお参りしてくか?」
「そうだな」
落ち着いたらしい今吉が諏佐から離れる。
目を擦っているところを見ると、泣いていたのかもしれない。
「ワシ、水取って来るわ」
先行っとって、と手桶の置いてある棚の方へ歩いて行く今吉。
「…弘、康次郎」
その足音が聞こえなくなった頃、トランクから声がした。
それが先ほどの青年たちの名前であろうことは、恐らく諏佐でなくとも分かるだろう。
「友人、なんです」
今吉が聞いたらまたあの細い目を見開きそうだ、と思った。
「前に言ったことがあったかもしれませんが、
弘の家が花屋で、オレたちは良くその手伝いをしていました。
中でも康次郎が一番良く手伝ってましたけど、そうか…今も、か」
諏佐はやわらかく笑う。
そう思い出をとつとつと語り続けるその声は、
先ほど違う世界で見たその彼と、何ら変わらないように思えた。
ガラガラと音をさせ、その墓石の前に立つ。
今吉と諏佐が一度目にお参りしてから二時間ほど経っただろうか。
其処には花が増えていた。
「タチアオイ」
花宮の声は何処か潤んでいるようにも聞こえる。
「オレの、好きな、花です」
「そうか」
その理由も、諏佐は知っていた。
「すーさー」
ばしゃばしゃと手桶の中の水を揺らしながら戻ってきた今吉が手を振った。
「今吉」
手を振り返す。
「雨が降りそうだ」
「ん?ああ、もう梅雨か」
「早く帰ろう」
「そやな」
帰り道は雨に降られた。
しかしそれも、家に着く頃には止んだ。
そういうものなのだろう、と諏佐は思う。
自ら選んだ道ならば後悔すら手折ってしまう、人間とはそういう面倒な生き物なのだ。
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20140121