君の名を呼ぶ



前編
「秋田楽しみやなぁ」 すう、と新幹線が動き出すと、今吉はそう呟いた。 「氷室くんか?」 「そうそう」 今日の出張先、秋田の陽泉大学には懇意にしている教授がいる。 それが氷室教授だ。 今吉と似通った趣味を持つ珍しい人間で、 それもあってか陽泉大学への出張は他の大学よりも少しだけ多い。 今回も氷室たっての希望とあって、陽泉大学での特別公演が決まったのである。 「ようこそ、ショウイチ、ヨシノリ!」 冬を体現したように真っ白に染まる大地に降り立った二人を出迎えたのは、 新幹線の中でも話題に出た氷室教授だった。 「辰也クン。わざわざ迎えに来てくれたんか?」 「うん。二人が来るって思ったらいてもたってもいられなくてね」 その綺麗な顔をきらきらっと光らせて氷室は言う。 車用意してるよ、と指差された先のタクシーに三人で乗り込んで、 「それでね、ショウイチ、雪女がね!」 待ちきれないと言ったように話し始める氷室に、今吉は目を輝かせて聞き入る体勢になった。 これから会わない間に培ったオカルト知識合戦をやるのだろう。 くあ、とあくびをした諏佐は車の外に目をやった。 白く雪を乗せる街はひどく美しく思える。 まだ陽泉大学までは距離がある。 諏佐は読もうと思っていた本を鞄にしまい、二人の会話をBGMに目を閉じた。 「辰也クンのとこの生徒はいつも良い子ばっかで、ほんま公演しやすいなぁ」 「ヨシノリは人気だからね。自然とちゃんと聞こうって気合いが入るんだよ」 公演はいつも通り平和に終わった。 今吉の言う通り、陽泉大学の氷室の教え子たちはいつ来ても礼儀正しく、 質問の質も良いので公演はそれなりに楽しい。 「昼食一緒にどう?生徒も何人か一緒に、って思ってるんだけど」 ヨシノリと喋りたいって言う子、結構いるよ、と氷室は続ける。 「良えよなぁ、諏佐?」 「ああ、勿論」 陽泉大学の食堂で催されたささやかな食事会も公演と同じく、 和気藹々とした空気の中、先ほどよりも深い内容の遣り取りとなった。 閑古鳥の鳴くような分野においてこうも熱心に取り組んでくれる若い人材というのは、 人間に興味がさほどない諏佐にとっても有り難いものだ。 物事は人間が伝えなければ消えていく。 埋没させてしまうには、この分野というものは惜しいものだと思っているのだ。 食事が終わり、 校門まで送っていくからと食器の返却へ行った氷室を待っていると、ふと視線を感じた。 今吉も感じたらしく首を回したので、諏佐もそれに倣ってみる。 「ええと、君は紫原くん、やったっけ」 氷室の教え子の中でもいっとうに背の高いその青年に、今吉が問うた。 紫原は一度こくりと頷いてから、のっそりと冬眠しそうな様子で、首を傾げる。 「…今晩は、こっちに泊まって行くのー?」 「そうやけど」 まだ諏佐に質問したいこととかあるん?と今吉も首を傾げてみせた。 ううんーそれはだいじょーぶ、と間延びした声でそれを否定してから、 紫原は今度は逆方向へと首を傾げる。 「この辺だと、陽泉旅館?」 「ああ、そやけど」 「…気を付けた方が良いしー」 それだけ言って去っていく紫原の背中を眺めながら、何やったんやろ、と今吉が呟いた。 「気を付けるって何にやろ。熊でも出るんかな」 「…さぁな」 返却口から帰って来た氷室と連れ添って、校門までゆっくりと歩く。 というのも食堂と校門は其処まで離れていないからだ。 「今回は暫く滞在するんだよね」 「おん、長い休みぶんどって来たからな〜」 「時間が空いたら訪ねても良いかい?」 「勿論」 今吉と氷室が固い握手を交わす。 「陽泉旅館の隣には神社があるんだ。 小さいところだけど、ショウイチも好きそうだし、時間があるなら行ってみると良いよ」 そうして手を振って校舎へと戻っていった氷室を見送って、 こちらを見上げた今吉の台詞を、諏佐は違うことなく予測していた。 「辰也クンの言ってた神社行ってみたいなぁ」 「まだ時間あるし、寄ってから行くか」 荷物は朝、先に旅館の方へ送ってもらっている。 二人の持ち物と言えば財布など最低限のものの入った小さな鞄と、 いつもの可愛らしいキャスター付きトランクだけだ。 諏佐の返答に今吉は嬉しそうな顔をして駆け出す。 諏佐はその後ろを、 いつものようにガラガラと音を立てながらトランクを引きずってついていった。 氷室の言っていた神社はすぐに見つかった。 小さいながらも豪勢な飾り付けがされていて、 もしかしたら祭りの最中なのかもしれないと思わせた。 「きれーなとこやな」 「ああ」 とりあえずは手をすすぎ、本殿まで一直線に進んで手を合わせる。 特別信仰心があるとは言えはしないが、 今吉の趣味の中に神社仏閣巡りもあるためにこういうところでのマナーは完璧である。 いるということは信じているが、 どうにも神様仏様というやつが救ってくれるなどとは思えないのが現状である。 「諏佐は何かお願いごとしたん?」 最後の一礼を済ませた今吉が振り返る。 「いつもと同じだ。何事もなく、用事が終わりますように」 「一つ聞いて良え?」 くてん、と今吉が首を傾げてみせた。 わざとらしいその仕草でにぃ、と唇の端を歪めて今吉は問う。 「それ、叶ったことあるん?」 その問いについては微笑むだけに留めておいた。 信仰心のない者の願いなど、そんなものだと思っていた。 ざくざく、と雪を踏みしめながら境内を歩いていく。 「ここの神さんは八人もいるんやなぁ」 八神と書かれた木の札を眺めながら、 これはやがみだろうかやつかみだろうか、はたまた別の読みなのだろうかと首を捻ってみた。 「水がくれない…?ミク様、やろか」 「右から順番にナモミ、アマメ、ナゴメ、コサギ、アツホ、ヤマハ、ハバキ、コシキってんだ。 ナマハゲは知ってるだろ? その元になったと言われている神の遺した精霊たちだ」 説明要るか?長くなるけど、と話しかけてきたのは蜂蜜色の髪をした男だった。 身にまとった白衣と紫の袴から宮司であろうと伺える。 「宮司さんですか?」 「ああ、ともいより神社宮司の福井だ」 しゃんと伸びた背筋が美しいと思った。 「そこの立て札、ふりがな振ってなくて読みづらいだろ。面倒なら一応パンフレットもあるけど」 「いや宮司さん自らお話していただけるんやったら、是非とも聞きたいわぁ」 嬉しそうな今吉に福井は分かった、と頷いて語り始めた。 「話の始まりは、とある神様が武者修行のためにこの地に降り立ったことだ―――」 雪融けし水せせらぎとなりて、水面に落つる赤き花弁しげく運ばれし。 その凄烈なる流れよりなり出たるが水紅(ナモミ)ぞ。 冬もやや遠くなり春もようよう、温みたる水の田畑行き渡りて頃合い良く、 種を蒔きたるに時得たりとて恵む力によりてなり出たるが雨萌(アマメ)ぞ。 夏も盛りも過ぎて田畑に吹き渡る風、の稲穂を揺らしたる様、まるで金色の波立ちたるに見ゆる。 其を人々糧とし、まずは神の宮に備え神祀りするにその稲穂よりなり出たるが多米(ナゴメ)ぞ。 鶴も鷺も皆馬に続いて薄氷の下にくぐもりて歩く田螺などを啄む音のみぞ聞こゆる。 その静寂(しじま)の中に生まれたるが呼鷺(コサギ)ぞ。 正月祝いの餅をつきたる時になりませるが重宝(アツホ)ぞ。 良き行いをした者を祓わんとしなりませるが疚晴(ヤマハ)ぞ、 悪しき行いをした者の正さんとして生まれたるが恥穿(ハバキ)ぞ。 其の年の営みを紡ぐにあれましたるが伊連(コシキ)ぞ。 「まぁ簡単に言えばその神様はこの土地に感動したんだ。 土地の持つ美しい自然にも、そこで暮らす人々にも、彼らが神様にしたことにも。 それで、喜びに呼応するように精霊たちが生まれていった。 ところがどっこい、悪霊がその土地に目をつけちまったんだ。 そこで立ち上がったのが、かの神様と八人の精霊たちだ」 人々に寄り添いたる八神(やつかみ)の力もちて、彼の神悪鬼を封ず。 祝いを遊(すさ)び乎(よ)ぶ彼の神、名乗らずて去り給うによりて、 名を送りて遊祝乎(ともいより)と申す。 「その後八人の精霊たちは、ともいより様を祀ったこの地を守っていきました」 めでたし、めでたし、と福井がしめると、今吉がぱちぱちと手を叩く。 「助けるだけ助けて名前言わずに去ってまうなんて、ヒーローみたいな神様やなぁ」 その横で諏佐はああ、やつかみの方だったか、と思っていた。 「もうすぐ八神祭って言って、精霊たちのためのお祭があるんだ」 「あ、やから飾り付けしてあるんやな」 「そういうこと。明後日から三日間はお祭りだ」 福井が頷く。 「直系の巫女が奉納の舞を舞ったり、その筋の男子が衣装着て禊をしたり。 観光にはちょいと足りない感じはあるけど、 そういうのが好きならオレとしてはおすすめしたいところだな」 「勿論見てくわぁ。まだ予定も決まっとらんかったし、宿も近くやし。 ちょうど良えな、なぁ、諏佐?」 諏佐がそうだな、と同意すると、福井はもしかして、と顔を上げた。 「陽泉旅館か?」 頷くと、それなら、と笑う。 「うちのアルバイトもそこで下宿してっから、もし困ったことがあったら使ってやってくれ」 「何か困ったらお願いするわ〜」 どちらからともなく手を差し出し、がしっと握手する二人を眺めながら、 諏佐は鳥居の紅が綺麗だな、と別のところに思いを馳せていた。 「良い人やったなぁ」 諏佐の隣で今吉はにこにこと上機嫌に微笑んでいた。 今にもスキップを始めそうにその足取りは浮ついている。 「しっかし、ナマハゲの元が八人の精霊言う話は初めて聞いたわ」 まだまだ知らんこと多いんやな、と呟く今吉は楽しそうだった。 「スサノオさん、知っとるよな?」 「スサノオノミコトのことか?」 ああ、と今吉が頷く。 「細かい説明は省くけど、天岩戸の話は分かるか?」 「高天原で天つ罪を犯したスサノオノミコトに嘆き悲しんだアマテラスオオミカミが、 天岩戸に引きこもってしまう話だろ?」 「せや。 それでまぁ、 世界が真っ暗になってしもーていろんな悪いことが起こるようになったっちゅー話や。 最後にはアマテラスさんも出て来はるんやけどな、 そないなことを起こした原因のスサノオさんを、周りが罰さないっちゅーことはないやろ?」 はぁ、と諏佐が気の抜けた返事をした。 今吉は構わず続ける。 「それでスサノオさんは天上を追放されるんやけど、罪償って来い言われてな。 そん時に神さんにとっての力の象徴である、 髪の毛やら髭やら歯やら爪やらをぜーんぶ引っこ抜かれててしもーたんよ。 流石のスサノオさんでもそれは堪えてな、 まぁ神さんにとって力の象徴が全部ない言うんはほんま恥ずかしいことなんや。 人に見られるん嫌やって訳で牛の面やら蓑で隠した、 ってのがナマハゲの起源やって説もあるんよ」 「へぇ…それは初めて聞いたな」 「なかなか面白い話やろ? 有名なヤマタノオロチの話はこの贖罪の旅の最後の方の話とされとるな」 「なるほど」 諏佐が呟くと今吉は満足気に頷いた。 そして気が済んだと言わんばかりに、階段を指差す。 「さ、そろそろ宿に向かおか」 陽泉旅館にはものの五分で辿り着いた。 厳かな紫の暖簾を潜る。 「あれ、紫原クンやないの」 今吉の声にそちらに視線を移せば、先ほど見た顔が其処にいた。 二人がそちらを向いたのと同じくして向こうもこちらに気付いたようで、 あ、室ちんの友達の先生じゃ〜ん、と言いながら近付いて来る。 「紫原クン、どして此処に?」 「オレ、此処の社長の甥っ子なの」 あそこにいるゴリラみたいな人〜と指差す先には、 談笑する従業員たちの中に大きな男の姿があった。 「岡村建一ってんだけどね〜。 オレの両親が死んじゃってからはずっと育ててくれてる、良いひとだよ」 ゴリラみたいだけど、ともう一度付け足す。 そんなにゴリラを推したいのだろうか。 「部屋分かる〜?なんならオレが案内しよっか?」 一応住んでるとこだし、ちょっとくらいは分かるよ、と紫原はのんびりと続ける。 「いつもはこういうことしないけどね、面倒だし。 でも、アンタたちはアレだし。室ちんみたいなやつだし」 ほっとけないよね。 そう言って伏せられた目に今吉は何かしら思うことがあったようだった。 「侘助の間、此処ね」 紫原が受付から受け取った鍵で扉を開け放った。 「窓おっきいなー!」 わぁと歓声を上げ今吉が部屋に駆け込んで行く。 「渓谷見えるやん!真っ白で綺麗やな!」 それを追う前に紫原に礼を言おうと諏佐が横を向くと、 「教授さぁ、分かってるんでしょ」 胡乱な眼差しが見下ろしてきていた。 「気を付けないと巻き込まれるよ」 諏佐は一度ゆっくり瞬くと、いつも今吉や花宮にやるように、小さく笑みを添えて返した。 「そうか」 旅館の中を探検してくると部屋を飛び出していった今吉を見送ると、 急に部屋が静かになったような気がした。 「…諏佐さん」 「何だ」 「紫原に言われたこと、そのまま繰り返しましょうか」 トランクの中まであの小さな声が聞こえるのか、などと諏佐は問わない。 「分かってるよ」 「気を付けるつもりはあると?」 「ああ」 「あるだけじゃ駄目だと分かって言ってますよね?」 諏佐はもう答えなかった。 小さく笑みを頬に浮かべると、可愛らしいトランクの中からは盛大なため息が聞こえてきた。 「ショウイチ!」 翌朝ロビーへ降りてみると、其処には氷室の姿があった。 「辰也クン、なんで此処に?」 「俺も休暇とってきたんだ!」 うきうきと氷室は続ける。 「ショウイチがいるところに事件ありだからね」 「嫌な認識の仕方されとんのなぁ」 ワシ別にどこぞの名探偵とちゃうんにな、と今吉は笑うが、 残念ながらそういうものを呼び寄せやすいらしい今吉は行く先々で事件に巻き込まれている。 否、引き起こしていると言っても過言ではない。 「あれ、氷室教授じゃねーか」 諏佐の後ろで声がした。 つい昨日聞いた声に振り返る。 「福井さん」 氷室がその名を呼べば、福井はよ、と片手を上げて見せた。 その際にぺこり、と会釈されて返す。 「氷室教授と知り合いだったのか?」 「うん、友達だよ」 こっちが教授のヨシノリ、そしてこっちがその助手のショウイチ。 氷室の紹介に与ってもう一度頭を下げると、福井はなるほどな、と頷いた。 好みとか似てそうだな、と思ったんだ、友達なら納得だな。 そう言われて、今吉も氷室も顔を見合わせて笑っていた。 「前夜祭、出るだろ?」 福井の問いかけに、氷室は曖昧にんーと首を傾げただけだった。 前夜祭?と今吉が氷室に問うと、代わりに福井が答えてくれる。 「昨日話した八神祭の前夜祭だ。関係者集めて酒盛りするだけのモンだけどさ。 氷室教授の友達ってことならみんな喜ぶだろうし、もし良かったら来いよ」 場所は氷室教授が知ってるから、と福井は旅館を出て行く。 手に持っている一升瓶は供え物なのかもしれない。 「前夜祭なんてあるんやなぁ」 「前夜祭って言っても明日も朝早いから、昼からやるんだけどね」 前から誘われてたから、なんとなく開けてはあったんだ。 でも、ショウイチが来てなくちゃこうして休んだりはしなかったかもしれないね。 内緒だよ、と唇に人差し指を当てる氷室は絵のようだった。 「福井さんもああ言っていることだし、もし予定がなかったのなら行こうよ」 美味しいお酒もあるよ。 そう付け足した瞬間今吉の良く見えない瞳がきらり、と輝いたのを氷室も見逃さなかったらしい。 じゃあ決まりだね、そう笑う氷室に、今吉は敵わんな、と肩を竦めて見せた。 「あ、オハヨウゴザイマス〜。良く眠れた?」 寒いロビーからストーブのついている談話室で話し込む二人の声をBGMに本を読んでいると、 入り口からひょっこりと覗く頭があった。 「アツシ」 「紫原クン」 二人が声を上げると紫原はひょこひょこと中に入ってくる。 「良く眠れたわ、昨日はありがとさん」 「ん〜。当たり前のことしただけだし〜」 室ちんもオハヨ〜と続ける紫原に、氷室もおはよう、と返した。 それを見ていた今吉がなんとなく高尾クンに似とるなぁ、と囁いたので、 諏佐はその亭々とした背中を見遣りながら、あの賑やかな声の主に思考を巡らす。 そうしてみると、ああ、確かに、と今吉の言いたい共通点が浮かんで来たので頷いて見せた。 そこから少し高尾ってだ〜れ?という紫原の質問から、桐皇大学の生徒の話になった。 占いを信奉している緑間の話は何処でもうけるらしい。 そんなふうに話をしていると、扉のない入口から見える外の廊下から慌ただしい足音がした。 顔を上げた紫原がその人影に、あ、と声をあげる。 「劉ちーん」 人影は脚を止めてこちらを見ると、なんだ、アツシか、と息を吐いた。 袴を着付けた、紫原と同じくらいに背の高い男だった。 その水色の生地からそこまで地位は高くないのだろうと伺える。 抱えている大きな鏡餅が重そうだ。 「準備中〜?」 「聞くまでもないこと聞くなアル」 「まぁそうだよね〜。 ねぇねぇ、この人たち、室ちんのオトモダチなんだって〜。 もし何か困ってそうだったら、助けてあげてよ」 オレも極力そうしたいけど、いつも手助け出来るとは限らないからさ〜と紫原は続ける。 「アツシ…確かにオレはアルバイトの身アルが、 それでも祭り前日っていうのは忙しいものアルよ」 「手が空いてたらで良いよ〜」 空く訳ないアルー!とだけ叫んでまた慌ただしい足音をさせ、劉が去っていく。 「昨日福井さんが言っとったアルバイトくんやろか?」 「そうかもしれないな」 暫く彼の去った方向を見つめていた今吉が、そういえば、と顔を上げた。 「前夜祭お呼ばれしたは良えけど、手伝いとかしなくて良えんかな」 それに対して氷室が何か言う前に、ずい、と出て来たのは紫原だった。 「前夜祭出るの〜?」 「おん、福井さんに誘われたんよ」 「そうなんだ〜」 うんうん、と首を縦に振ってから、 「前夜祭って言っても身内の集まりみたいなモンだし、そんな準備なんてないよ〜」 ストーブとかもうついてるだろうし、お汁粉とかも出来てるはずだから、もう行っちゃお〜。 そう誘う紫原を断る理由もなく、三人でその大きな背中に付いて行くことにした。 「こちら、荒木雅子ちゃん。 ともいより神社の直系の長女で、明日の舞を舞う巫女さんだ」 最初は四人しかいなかった大広間だったが、お汁粉で温まっている間に徐々に人が増え始め、 福井が来たところで始めちまうか、と宴会が始まった。 「べっぴんさんやな。桐皇大学教授助手の今吉です、よろしゅう」 「桐皇大学教授の諏佐だ、よろしく」 順番に握手をする。 「劉とは会ったか?」 「ん、オレが紹介したよ〜」 「アツシひでーアル、祭り前日で忙しいオレに客人手伝え言うアル」 「だってお客さんだよ〜?」 困ってたら手伝うなんてあったりまえじゃ〜ん、と間延びした声で言われ、 更に福井に俺も同じようなこと昨日言ったわ、なんて追撃され、 「…横暴アル…」 そう一言残して劉は持っていた酒瓶に口をつけた。 結果的にそれが引き金となり、 あっという間に酒瓶が何本も空く様を今吉は目をぱちくりさせて見ていた。 「北国の人はお酒強い言うけど、ほんまなんやなぁ…」 そういう今吉は弱くはないもののすぐに顔に出る方であり、 その頬は既に林檎のように真っ赤になっている。 「そうか?お連れさんも結構強いみたいじゃが」 岡村に目で示されたのは何回かの席移動で今吉とは対岸に座っている諏佐だ。 目元が仄かに赤くなっている程度で、そこまで酔っているという印象はない。 「諏佐は強い方やんなぁ。両親が東北の出とか言うとったし、その血もあるんかなぁ」 「遺伝というのはあるかもしれないな」 しゃん、と背筋を伸ばしたまま荒木は徳利を傾げて今吉の猪口に酒を注ぐ。 「そいえば、荒木さんと福井さんは親戚か何かなん?」 苗字は違うが小さな神社であるのだし、血縁関係があることの方が多い。 少々立ち入った質問かとも感じたが、 酒の力というものはそういった判断力も駄目にするものである。 「俺と雅子ちゃんは従姉弟なんだよ」 それに答えたのは対岸の福井だった。 直系に男子がいなくて俺にお鉢が回ってきたの、と続ける。 「で、敦の親父とも従兄弟。敦は俺らの従甥ってことになるんだろうな」 「敦の父方の親戚が福井の方、母方がワシ、ってことになるな」 まぁワシも福井も元から友人だったんじゃが、と語る岡村の目は優しい。 幸い、聞いても良い範囲の話だったようである。 「陽泉旅館とともいより神社は、大きな家族みたいなモンなんじゃ」 「勿論、氷室教授もセンセーたちも、な!」 今吉が穏やかに口角を和らげたのを見ながら、諏佐は酒を飲み続ける。 喉を嚥下していく熱さと鼻に抜けていく香りが、たまらなく心地よかった。   
20131120