第一話 探偵の作法



「もうたくさんだ!!」
男の声が響き渡る。
その様子を見て花宮は隣でやる気なく伸びている男をつついた。
「今吉さん、もう限界ですって。起きてくださいってば」
小声でそう言うも、
そのくしゃっとした塊からはんー…やらあー…やらの不明瞭な呻きが返って来るだけだった。
昨日第二の職場と化しているこじんまりとしたビルの一室、
今吉探偵事務所から引き上げる時に早く寝てくださいよ、と一言忠告をしたはずだったのだが。
一向に起きる気配のないその塊に盛大なため息を聞かせてやる。
埒があかない。
「こんな意味の分からないこと…!」
「善知鳥(うとう)さん」
男の名前を呼ぶ。
そして広間のそれなりに大きなソファに寝転がっている今吉の襟首をむんずと掴むと、
思い切り引っ張って善知鳥の前へと突き付けた。
「今からこの人がすべての謎を解きますので、どうか落ち着いてください」
確認はしていないが今吉にはこのいくつかの謎がはっきりと解けていると、花宮は確信していた。
そもそも今吉がこうして寝たがっているのは徹夜でパズルを解いていたからで、
その分の睡眠は此処へ来るまでの車の中と、
此処へ来てからのソファで既に解消されているはずなのだ。
それでも尚眠たいふりをしているのは恐らく、
この善知鳥という男が気に食わないからという非常に子供じみた理由なのだろう。

今吉を突き付けられた善知鳥は、
涎を垂らしたままのその顔をゴミでも見るかのように睨んでから、ふん、と鼻を鳴らした。
「原澤の推薦だかなんだか知らないが、そんなにだらしのない男を信用出来るか。
来てからずっと寝ているだけじゃないか」
正確には警察庁長官である原澤に頼まれた、一課課長の諏佐の推薦であるのだけれども。
今吉のだらしなさについては花宮も反論の術を持たない。
シワだらけのYシャツによれよれのカーディガン。
そんな格好の人物が来るなり、
ソファ貸してくれません?なんてのたまったのならそれは確かに印象は最悪だろう。
顔に涎がついているのだから尚更だ。

そもそも刑事である花宮がどうしてこんな東京の端までやって来たかと言えば、
この善知鳥と言う男に稚拙な脅迫状が送られてきたからだった。
新聞の切り抜きで作られた良くあるタイプの脅迫状。
アナタニノロイガフリカカル―――貴方に呪いが降りかかる。
幼稚と言えば幼稚で今までも何度かこういったものを受け取っていたらしいのだが、
今回知事選に出馬するだとかで幼稚であろうと放っておけなくなったらしい。
全くお偉いさんと言うのは、というのが花宮の思ったことではあるが、
持ち前の猫かぶりでそんな思考は微塵も表情に乗せることはしない。
しかし脅迫状の届いた翌日、
つまり今日こうして来てみれば、怪奇現象じみたことが立て続けに起こり、
花宮と今吉以外のこの場の人間は精神的に追い詰められることになった、という訳である。

「今吉さん、このままだと貴方の名誉が危ないですよ」
「良えやん。なくなる程の名誉なんてハナから持っとらんわ」
今吉の気持ちは分からなくもない。
善知鳥の掲げる政策やら何やらは残念ながら国のためにも、
一般市民のためにもならないようなものであったし、
つまるところ、私腹を肥やすためだけのものでしかないのである。
こよなく正義を愛する今吉にとって、天敵と言っても良い存在だ。
謎を解くことによって制裁を加えられるのならまだしも、
そんなものを助ける形になるということが気に入らないのだろう。

しかし、そうも言っていられないのだ。
これはそれなりに地位のある男が警察のトップである原澤に依頼した案件なのである。
善知鳥が悪どい人間であるという考察には花宮とて全面的に同意だ、
けれどもそれとこれとは別である。
例えこれが秘密裏に対処されている真っ最中な案件だったとしても、
うまいこと解決に導いてやらなければ
あの手この手で警察の信用やら権威やらを失墜させに掛かるのだろう。
それは花宮の財布にもダイレクトに響きそうだからやめて欲しいというのが本音である。

よし、と花宮は一度ゆっくり瞬きをしながら思う。
こうなったら、最後の手段だ。
正直仕事とは言えこんな悪趣味な家に長居などしたくはない。
「多分今吉さんが名探偵ってことも疑われてると思いますけど」
自称名探偵とか、探偵ごっことか、その辺が関の山ですね。

これで動くだろうと投げ付けた言葉は、花宮の予想に違わず今吉に火をつけたようだった。
「そこまで言われたら…しゃあないなぁ」
今吉とてこの言葉が花宮による焚き付けだと分かっているのだ、
だがしかしこれは彼にとって譲れないものであるようで。
「名探偵のこのワシがきれいさっぱりすっきりくっきり、この謎を解いてやるわ」
その笑みがにっと深くなるのを、ひどい悪人面だな、と思いながら花宮は見ていた。

ゆらりと立ち上がってそう宣言した今吉に、周りの人間はぽかん、とするだけだった。
やっとのことで我に返った善知鳥が今吉を指差して叫ぶ。
「お前はずっと寝ていただけだろう!」
「嫌やなぁ。寝ててもこれくらいの謎、朝飯前やで、善知鳥さん」
それが可能なのは、何かが起こる度に事細かに話して聞かせていた花宮がいるからなのだが、
残念なことにこの数年この変人に付き合わされていたことで、
文句を言う労力が惜しい、という思考まで持つようになってしまっている。
故に花宮は急にやる気を見せた今吉の後ろに佇むだけだ。
「寧ろな、なーんでこない簡単な謎、だーあれも解けへんのか不思議なくらいや」
「貴様…ッ」
私を馬鹿にしているのか、とでも言うつもりだったであろう唇をわなわなと震わせて、
善知鳥ははっと笑って見せた。
「…良いだろう。
そこまで言うのなら、お前の推理とやらを聞いてやろうじゃないか。犯人は誰なんだ?」
「まぁまぁ落ち着きぃ。探偵には探偵による探偵のための謎解きの作法があるんや」
今吉ののんびりとした口調に、花宮はこっそりとため息を吐いた。
どうしてもこう、形にこだわるこの変人じみたところは治らないのだろうか。
現場に勝手に入り、煙草を吸いまくり、食事をするのを忘れ、新聞ばかり何部も読み漁り、
パズルの本がないと駄々を捏ね、事件が起こらないからつまらないと言ってみたり、
突然正義とは何かを正座して説教しだしたりするこの人とは、正直今すぐ縁を切りたい。
そのお目付け役、もとい世話係を任されている花宮身にもなって欲しい。

しかし、それでも、
「さて―――」
この人の推理能力は、確かなものなのだ。



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20131023