二律背反抱えて眠れ 

 多分米屋陽介が三輪秀次にいろんなことを言うことは簡単だった。三輪は米屋の言葉を適度に聞き流すし、全部受け止めることはしない。それを悲しいとは思わないしそれが出来なければ三輪はとっくに潰れていたと思う。
「ともだちでいてくれるか」
だから珍しく三輪が弱音を吐いたところで米屋は特別な反応をしないし、うん、と返す。
「ともだちでいるよ」
その言葉に嘘はない。いつか何処かで言った言葉と矛盾していたとしても、この時に真実であるのなら三輪は何も言わない。
「だから寝よ。オレ、ねむい」
「…ああ、そうだな」
 ともだち、という言葉を頭の中で繰り返しながら眠りにつく。怠かった。でも嫌じゃなかった。それでも多分、世間一般的にはともだちというのはセックスをしないのだと、それくらいの常識は米屋だって持っていた。



理想幻論 @asama_sousaku

***

ユフスリック・アヴァストゥス 

 嘘みたいに晴れた日のことだった。夏の音がじんじんと鼓膜を震わせて、それが遠くの出来事のような気がして。全部全部嘘みたいだ、そう、三輪は思っていた。
「お前はどう足掻いたって姉さんになれない」
その中で震える鼓膜を正すように聞こえた声は、聞き慣れた自分のものだった。
 ひどい、言葉だと思う。別に、この男がそうなりたい訳ではないことは百も承知だ。けれどもそれをずっと探していた三輪にとって、このフレーズを言わずにはおれなかった。
 対する米屋はうん、と頷いただけだった。そのくろぐろとした平坦な眸でこちらを見据えて、それから、と続きを促してくる。無言の待機は有難かった、まだ言いたいことはすべてじゃない。
「だけど、お前がいいと思うんだ」
「うん」
「お前では姉さんの代わりになれないのに、正反対なのに」
「うん」
「おれにとってお前の価値が、とてつもないことに気付いてしまったんだ」
 ほんとうは。
 本当はこんなふうに言い訳がましく言いたかった訳じゃあない。けれども三輪はこれ以上のものを知らなかった。知れなかった。このどうしようもなく憎悪と絶望に塗りたくられる伽藍堂な身体で、唯一輝いていた姉という存在。それだけで生きてきたのに、どうして。そう一度でも思ってしまったら、軽率に愛を叫ぶなど出来るはずがなかった。
 ねぇ、と目の前の存在が声を発したことに気付くまでに時間がかかった。秀次、と呼ばれてやっと顔を上げる。
 絡まった視線、その先のくろぐろとした眸は今も尚平坦で、だけれどもいつもとは少しばかり違うように思えた。その差異を説明する語彙を三輪は持っていない。ただ、そのまるい球体がいつもより、滑りよくなっているような、そんな印象を受けた。
「オレはこれからもおねーさんにはなれねぇよ」
「分かってる」
「オレはオレにしかなれないし、秀次が感じる価値ってのも分かんねぇ」
「ああ」
「でも、それでもいんなら」
 ぱち、り。目の、上と下の肉がぶつかり合う、そんな些細な音まで聞こえるようだった。
「これまでも、これからも、
変わりゆく米屋陽介という存在でいんなら、オレはお前と一緒にいたいと思うよ」
 触れた指先は冷たくなっていた。自分も同じように冷たくなっていた。同じくらいに緊張していたことが分かって、ひどく安心した。
「陽介」
「なに」
「すきだ」
泣きたいくらいにいっぱいいっぱいな胸で、こんな言葉を口にする日が来るなんて、思っていなかった。じわり、指先に温度が戻ってくる。
「…おれも、」
「陽介」
「おれも、秀次がすきだよ」
 嘘みたいな夏の日だった。すべて嘘でも良いからこの瞬間だけは本物でいてほしいと、そんなことを願っていた。



20140809

***

仄暗い腕 

 米屋陽介の記憶の始まりは暗い押入れの中である。別に、そこに入りっぱなしだった訳ではないが、それでも幼少期の大半をそこで過ごした身としては記憶のつくりがそうなってしまうのも当たり前だなぁ、と感じていた。きっと記憶の始まりだってそんな押入れの中ではなかったはずなのだ。もっと、幸せな。何処にでもいるような家族の団欒だとか、楽しいところへ遊びに行ったものだとか、そういう。
 けれども可哀想な米屋の小さな脳みそは、辛かった方の記憶の傷の方を良く憶えていて、結果的に記憶の始まりを暗い押入れの中としているのだろう。
 と、まあ、難しいことをつらつら連ねていたが、実のところ殆ど医者の受け売りだった。まだ幼い頃から虐待を受けていた米屋に気付いたのは親の兄妹(もしかしたら姉弟なのかもしれなかったが、詳しいことを知らないのだからとりあえず)で、そのまま通報やら何やらをして米屋を救出した―――らしい。先ほども言ったように幼少期の大半を押入れの中で過ごしていた米屋にとって、その時のことはあまりに眩しい出来事であったので、あんまり良く覚えていないというのが正直なところだった。
 眩しいところに慣れるには少し掛かったが、優しいおじさん、おばさん、可愛らしい従姉妹たち。そんなあたたかな家族に囲まれて、米屋は少しずつ明るい場所に適応して行った。だからだろうか、異世界からの侵略者なんてものがこの三門をめちゃめちゃにしてしまったあと、それを救ったらしいボーダーという機関に従姉妹の姉の方が入ると言った時、じゃあおれも、なんて言う軽い言葉が出たのは。
 勿論家族会議になった。ボーダーに隊員として入るとなればそれは、あの侵略者たちと戦うということで。あれらがどれほどの破壊力を持っているのか、どれほど人間の持つ武器が無効なのか。従姉妹がだからトリガーっていうものがあって、と一生懸命説明しているのに任せようと思った。米屋なんかは頭がひどく悪いので、何かしらこちらに不利になる情報を黙っているという選択が出来ない。というかそもそも、何が自分にとって不利になるのかが分からない。だから、賢い従姉妹にすべて任せている方が良いと思った。
 最終的に、従姉妹はトリガーという技術を学びたい、米屋の方は強くなりたい、という理由で入隊試験を受ける許可を勝ち取った。喜ぶ従姉妹と良かったね、と言い合って、本当は栞ちゃんが入るって言ったからなんだけどな、という責任を押し付けるような言葉は飲み込んだ。
 そして、その加わった先の組織で。
 米屋は出会った。
 自分とおなじ、仄暗い瞳。違ったのは、そこに宿るのが絶望だけではないことだったか。
 灼け付くような憎悪に、ああ、そんなやり方もあるのかと感動に似た感情すら抱いた。米屋は最後までそのやり方に辿りつかなかったし、それを知った後も自分はそうする気など起きなかった。知るには遅すぎた、そうとも言う。
 後悔はなかったけれどもしかし、やはり興味というものは沸いた。
「おれ、米屋陽介」
手が出る。握手の形。
「お前のさっきの模擬戦、すごかったな」
「…ありがとう」
「おれともやんねえ?」
「…今日は、ちょっと」
用事があるから、と目を逸らした先に、何がいたのか馬鹿な米屋には理解が出来ない。その後彼がお姉さんを失ったばかりであり、早くに帰るのは彼をひどく心配する両親がいるからなのだと知ったのではあったが、その情報を知った後でもよく理解は出来なかった。
―――大切にされるって、なんなんだろ。
羨ましかった訳ではない。米屋自身、従姉妹の家に保護されてからはきっと幸せな部類にいたのだろうし、家族同然に接してくれる家族に、米屋という苗字を捨てないことを申し訳なく思う程度には好意を抱いていたのは嘘ではないのだ。
 けれども。
―――おれの居場所は此処じゃあないんだよなあ。
そんな薄暗い感情がずっと胸にあった。それを見越していたのだろう、新しい家族は米屋を定期的に病院に連れて行っていた。それに対しても米屋は感謝していたし、病院の先生も良い人ではあったが、それでも米屋は居場所を見つけられないまま、ぽっかりとした喪失感を抱き続けていた。
「今日は、ってことは、明日とかなら良い? それともおれとやるのがヤ?」
「そういう意味じゃない。明日…は委員会があるから。明後日なら」
「委員会って。何入ってるの」
「生徒会」
「うわ忙しそう。今って選挙期間? っていうか学校何処?」
「…二中」
「マジで? おれも二中。何年? おれ二年だけど」
「…オレも二年だ」
灼け付くような憎悪を宿らせる割に、話し掛けてみればただの少年だった。彼と、米屋。何が違ったのだろう。経験したものが、違うからだろうか。
 何にせよ、彼が米屋に持っていないものを持っていて、もしかしたらそれが米屋に欠けているものを埋める手がかりになるかもしれない。それに、何より―――
「じゃあ明後日、この時間で良い? おれ、待ってるからさ」
「あ、ああ…」
了承のように手が握られる。握手。慣れないような手つきに、少しだけ笑ってしまう。
「三輪だ。三輪秀次」
「じゃあしゅーじって呼ぶわ。おれのことは好きに呼んで」
「………じゃあ、陽介」
「うん」
「また、明後日」
手は離れたけれども薄っすらとした笑みを受け取って、その日は別れた。
 自分に欠けているものだとか、居場所だとか、そんなものよりも―――ただ、三輪といると楽しそうだと、そう思った。

 約束したその日から米屋は三輪と毎日のように会うようになって、彼が忙しい時は生徒会の手伝いだってするようになって(米屋にだって荷物運びくらいは出来る)、いつの間にか一緒にいるのが当たり前になって。
「オレは、オレの隊を組もうと思う」
自販機の前で、三輪はひっそりとそんなことを言った。
「今の隊、どうすんの」
「解散…だろうな。そもそも次世代の隊長を育てるのが目的、と最初から言われていた。だから、解散の話が出たということは、オレが隊長としてやっていけると判断された…のだろう、と思う」
「自信ないの?」
「自信というより…」
視線を上げた三輪の目は、人間のようだった。否、ずっとそうだったのだけれども米屋がそれまでまったく気付かなかっただけの話なのだ。ああ、と思う。
「お前、オレの隊に入らないか」
「えっと、なんだっけそれ。ヘッドショット」
「多分お前が言いたいのはヘッドハンティングだ。意味は違うが、まあ、そうだな、大体そんなところで良いだろう、お前にとっては」
「へへ、なんか嬉しい」
米屋は三輪の申し出を受け入れた。その時の隊のメンバーには、三輪の誘いなら仕方ないな、と言われた。そんなに米屋と三輪はニコイチ扱いだったのだろうか。こんなにも性格は真逆なのに。それとも、目の奥の仄暗さに気付かれていたのだろうか。
 でも、と思う。
 三輪秀次は人間だった。灼け付く憎悪に生かされた、人間だった。
 ならば。
 米屋陽介は?

 同じ隊になってからは当たり前だが前よりずっと三輪と共に過ごすことが増えた。任務の後に同じ部屋で泊まるなんてことも何度もした。だから三輪は米屋が寝る時に豆球を付ける派だと知っている。奈良坂と古寺は暗くないと眠れないらしく、相部屋になる時はいつだって米屋の隣は三輪だった。
「しゅーじ」
「なんだ」
豆球のオレンジの光を見つめながら米屋は呟いた。
「おれさ、暗いところ嫌いなんだ」
「そうなのか」
「だから寝る時も豆球消せねーの」
「…ああ、なるほど」
「暗いとこ嫌いなのさ、昔、押入れの中にいることが多くて。今じゃあ栞ちゃんのとこで暮らしてるから、そういうのないんだけど」
喋りながらそう言えば三輪に昔の話をしたことはなかったな、と思う。三輪の昔の話は腐る程聞いたはずだったのに。
 お姉さんのことも知っている。
 迅との確執も知っている。
 学校でのことも、何が好きかも、家族構成も、なんなら家にお邪魔したことだってあるし、風呂では背中から洗う派だと言うことだって知っている。
「お前はオレに慰めて欲しいのか」
「う? んー…」
米屋が知っている分だけ三輪は米屋のことを知っているのだろうか、なんて考えていたら返事が曖昧なものになった。そのまま暫く考えてみたが、
「分かんない」
出た言葉はそれだけだった。
「分かんねーけど、秀次がどっか行っちゃうのは嫌かな…」
急いで探した言葉はなんだか接続が可笑しくて、米屋はただ豆球を見上げていることしか出来なかった。
「オレは、」
 静かに三輪が呟く。
「オレは、何処にも行かない」
三輪が起き上がって、米屋の寝ているベッドに入ってくる。それから幼子にするように抱き締められて頭を撫でられて、ああきっとこれは三輪がお姉さんにしてもらったことなのだと思った。思ったけれどもそれで良いと思った。それしかないのだと、そう思った。
「………そっか」
もう医者には通わなくて良い気がした。新しい家族の中で真面目に育てられた米屋はきっと行くのだろうけれど、きっとそのうちにも必要なくなることは分かっていた。
 米屋陽介は、正しい居場所を見つけた。
 暗い押入れの中ではない、仄暗い腕の中に。



20161116

***

 天気が良かった、恐らく理由なんてものはそれくらいで充分だったのだ。

春の闘争 

 陽介、と傍にいる友人を呼ぶ。
「ん?」
いつもの顔で振り返る顔。
「す、」
「す?」
「好きだ」
友人、ゆうじん。そんなのはきっと米屋の方からの一方通行で、三輪からは別の意味を込めた矢印が向いている。友人と思っていない訳じゃない。三輪にとって米屋は大切な友人だった。ただ、別の意味もあっただけで。
「ふえっ?」
 不意打ちのように言葉をぶつけられた米屋は素直に驚いていた。
「ええと、三輪サン。それはどういう、」
「どういうも何もそのままの意味だ」
「恋愛感情で?」
「そうなる」
「はあ、マジで?」
おどろ木ももの木さんしょの木。そう書いてあるような顔に、口に出さないだけの配慮はあったんだな、と思う。
「ええ、オレ、こういう時どうしたら良いんだろう。分かんねえや」
「告白されたことくらいあるだろう」
「いや、多分秀次が告白だと思ってるのは三輪くんって好きな人いるんですかー≠セから」
「お前なんだけどな」
「なんかさっきより開き直ってない?」
少しは調子が戻ってきたらしい。ええ、だの、ああ、だの、どうしようとは言うが米屋の表情に悪い感情は見られない。ただ突然のことに驚いている、それだけのように感じた。想定していた感触よりずっと良い。三輪は最悪のパターンまで考えていたのだ。言った瞬間『ないわー』とか言われたりすることなど。
「というか」
「うん?」
「お前は信じるんだな」
「何を」
「オレが、お前を好きだということを」
 米屋の顔がくしゃりと歪む。
「………あれ? え、じゃあ嘘? エイプリルフールだっけ? 四月馬鹿? 今七月だけどオレ四月の馬鹿?」
「落ち着け」
「ん? 今四月?」
「悪かった、嘘じゃない。そういうつもりで言ったんじゃない」
いろいろ言いたいことはあった。そんな顔をされたら期待するだとか、その気がないならそんな顔をするなだとか。
 けれども三輪はとても真面目なので、とても真面目なのでぐっとそれを飲み込んで、考えておいてくれ、と言った。それだけで終わらせるはずだった。
「え、考えるって」
「返事は今じゃなくて良い」
「いや、なんか、えー…オレが秀次の提案断るとか、フツーにないんだけど」
目を一回、二回、三回。きっちり開閉させて。そんな三輪に追い打ちをかけるように米屋は続ける。
「秀次はオレのこと好きなんだろ? ならそういうことでよくない? えっと、こういう時ってヨロシクオネガイシマスで良いの」
「…あ、ああ」
 それは本当に恋愛感情の好き≠ネのか。
 不安に思うことはあったけれども米屋が折角言葉にして向き合ってくれたのだ。それを無為にするのは勿体無い。
「よろしく」
「それじゃ、これからはコイビトも追加か」
「追加…」
「そうだろ? トモダチでなくなる訳じゃないんだからさ」
手が差し出される。けれどもなかなか三輪がその手を取らないので、しびれを切らした米屋が強引に掴んでひっぱって歩き始めた。
 天気が良かった、あとから思い出してもそれくらいの理由しか思いつかないが、やっぱり理由なんてそんなもので充分なのだ。



好きなら好き。大事なのはそれだけだ。その相手の「好き」を信じる気がないなら、つき合っていく意味なんかないじゃないか
村山由佳 / 緑の午後
20170306

***

許してほしいわけじゃないの 

 秀次は結構モテる。この話を聞いてくれてるオネーサンがそのことをどう思うかは知らないけど、やっぱり、って思うのか意外って思うのか、それは分かんないけど、まあ、オレから見たら結構モテる。秀次に直接キャーキャーいう感じじゃあないから、ある意味ひっそりなのかもしれないけど。そんな秀次が誰でもないオレのことを好きだって言ってくれたこととか、ユウエツ? を抱かなかったかっていうとそんなことはない。オレだってわりと周り見てるんだぜ? だから秀次のことを好きな子たちがどんな子かっていうのも知ってる。こういうこと言うの、怒られるかもしんないけど、まあまあモテる子たちばっかなんだよな。可愛かったり、丁寧だったり、気が効いたりして誰かの心を絶対掴んだことがあるタイプの女子。秀次は気付いてんのか気付いてないのか分かんないけどさ。オレだってまあ、秀次が黙ってろって言わなかったら言いふらして回ってるような気がする。だって自慢だし。はしゃぎたいし。オレだって秀次のことが好きだし。でも秀次が黙ってろって言ったからオレはうんって言ったわけ。いろいろ難しいことも言ってたけど、まとめたら独り占めしたいからナイショが良いって内容だったから絶対守ろうって思うよな。今破ってるわけだけど。これには理由があるから許して欲しいんだよな。秀次には…黙ってるつもりだけど、オレ、秀次誤魔化すの下手だしな。どうなるかは分かんねー。うん、そう、秀次には言いにくいことがあった。別にいじめられたとかじゃねえよ? 誰かにバレたとかでもない。ショージキ、オレの周りの奴らってフーンで済ませそうな気がするし。いろいろ考えるのかもしんないけど、最終的に変わらないなーとか、そういう考えになるような気もする。オレが楽観的すぎるって言ったら反論出来ねーけど。まあそれは良いのよ。今は関係ないし。…そのさ、秀次のことが好きな女子がさ。そろそろ秀次に告白したいな、って感じの空気だったわけ。オレも長いこと秀次のそばにいるから、そういうの分かっちゃうようになったんだよね。あと、だいたい女子って秀次に直接行かずに、オレから探ってくー…みたいなこと、するし。秀次が好きなのはオレなのにね。告白、されたってさ。秀次が断るって分かってんのにな。オレはやだなーって思って。だから、その女子がたぶん最後の仕上げで、確認で、秀次に苦手なものないかなって聞いてきた時に、さあーって言ってさ。でもオレがいつもジュース渡そうとすると断られるんだよな、って付け足したんだよ。秀次がジュース断るのってオレがジュース好きだって知ってるからだし、好きなモンは自分で飲んで良いっていうやつで、まあちゃんと渡すために買ってきた、とかそういう時は受け取ってくれるんだけどさ。ただの会話だったらそんなのさ、フーンで流せるじゃん。でも相手は告白したいなって考えてる女子でさ。秀次が好き嫌いしないこと知ってて、いや秀次にも好き嫌いくらいあるんだけどさ、でもその子は知ってると思ってて、オレと秀次は一番仲が良いって思ってて、まあそれはそうかもしんないけど、………分かってたんだよなあ。オレ。そう言えばあの子が、秀次が人から食べ物貰わないんだって思うことくらい。その子は知らないと思ってたと思うけど、オレ、その子が料理趣味なの知ってたんだよ。秀次と付き合えたらお弁当とか作ってあげたい、とか思ってるのも知ってたんだよなあ。…それから、その子はオレに話しかけて来なくなったし、秀次も告白とかされてないみたいだった。別に悪いことしたとは思ってないけどさ、ちゃんと告白して振られるのと、勘違いで勝手に諦めるの、どっちがマシなんだろうなって思っちゃって。どうせ結果は同じなのにな。そ、これはザンゲってやつなんだよ。多分。でも、オレはどうしたって秀次の隣にいたいし、秀次はもうそういうことはやめろって言ったらやめるけど、秀次は知っても止めないような気もしてるし。そういうのって、どうなのかなって思って、だから誰かに聞いて欲しかったんだよ。そのクリームソーダはオレの奢りだから、それに免じて聞いたこと、忘れてくんない? それとも高校生からは奢られてくんない? 思ってたよりちゃんとした大人なんだ。まあ、どっちにしても忘れてくれるよな。
 約束だぜ。



夏空 @sakura_odai

***

嫌なことなど忘却の淵へ 


 忘れちゃえよ、と言えなかったのは彼女が三輪秀次の中でどれだけ大きな存在だったのか、それなりに米屋が知っているからだった。忘れてしまったら三輪は米屋の知っている三輪ではなくなると分かっていたから、馬鹿なこと一つ言えなかった。
「秀次」
「うん」
「めし食った?」
「スポドリは飲んだ」
「えらいじゃん」
「お前に言われたくない」
「そういうことはここにあるツナマヨおにぎり大魔人を倒してから言ってもらおうか」
「やきたらこがいい」
「やきたらこ大魔人もいます」
「ありがとう」
「オレが熱出したりとかしたら看病で返して」
「………努力はする」
 三輪が目を閉じる。忘れられない悪夢に魘されることが、建設的だとは思えなかったけれど、やはり忘れちゃえよ、なんて言葉は言えないのでおやすみ、とだけ綴って接吻けた。



ぽつりと吐いて、 @__oDaibot__

***

零れ落ちる真珠色の涙 

 きれいだな、と思うことがある。
 人が抱えきれない悲しみを溢れさせる場面のことを、静かに声もあげずに泣いている姿のことを、そんなふうに言うなんてひどい話なんだろう。それは米屋も分かっているから何も言わない。感想なんていだきませんでした、という顔をして傍に寄っていって馬鹿みたいに笑うのは得意技だった。
「しゅーじ」
夜空には月が光っているばかり。雲もなくて、隠れる場所もない。
「朝飯、パン焼いてバターとマーマレードたっぷりにしような」
 だから、そんなどうでも良い話しか出来ないのだと、信じていたかった。



夢見月 http://aoineko.soragoto.net/title/top.html

***

いつかこの罪の分だけ一緒に泡になって、ひとつのものへと溶け合うまで。


薔薇色の朝 

 三輪秀次は沈んでいた。気泡も上がらない、真っ暗な海。夜なのかもしれない、月灯りらしきものがぼんやりと、遠くに見えた。でも、もう、見えなくなる。全身に絶え間なく奔っている痛みだけが、なんだか妙に三輪が生きていることを証明していた。
 しかしこんな息も出来ないような場所で生きているなんて。閉じかけた目を開いて自分の身体を見遣れば、ああなるほど、と頷かざるを得なかった。
 三輪の下半身は、びっしりと鱗に覆われていた。覆われていた、というよりこれは鰭だった。思いつきのようにぱたり、と力を入れてみると三輪の思った通りにそれは動いた。手と同じだった、三輪は最初からその使い方を知っていた。
 眠ろう、眠ろう、周りの水たちが纏わり付いてくる。少し長くなっていた髪が揺られて、ぺたぺたと頬を叩いた。起きろとでも言うように。どっちだ、そう思いながら目を閉じる。
 闇の中は、心地が好かった。何も、考えなくて良い―――そこまで思って、何も思い出せないことに気付いた。どうして此処にいるのか、どうしいてこんな鰭を持っているのか、どうして、どうして。それもまた、そのまま底へと沈んでいく。溶けるように、消えていく。眠りたかった、このどうしようもない寂しさに身を委ねながら。
 誰かが起こしに来る、その時まで。

 どれほど眠っただろう。ごぽり、ごぽり。頬に当たる気泡の感触で、三輪は瞼を押し上げた。くろぐろとした、平坦な眸。それが三輪を映している。知っている、自分はこれを知っている、だが、なんだったか、そうぼんやりと、今にも鼻と鼻が触れ合いそうなほどに近くなった顔を、三輪は見つめる。
「秀次」
男だった。男に呼ばれて、ああそういえばそういう名前だったな、と思った。そんなことまで忘れていた。
「秀次、なんでだよ」
ごぽり、男が何か言葉を発する度に、その口からは気泡が上がっていった。にんげんだ。そう思った。この男は、人間だ―――米屋陽介だ。
 ばちん、と気泡が弾けたような感覚がした。恐らくそれは三輪の頭の中でだった。ゆるりと覚醒に向かい始める頭の中で、三輪は米屋を見つめる。米屋には脚があった。鱗には覆われていなかった。
「どうして」
米屋は繰り返す。本当に何故なのか分からないという表情で、米屋は首を傾げる。
「秀次、どうして? なんで? 秀次の姉さんを取り戻す、絶好のチャンスだったじゃん。なんで、お前、取り戻さなかったの?」
なんの、はなしだ。
 そう言おうとした唇は、音を成さなかった。ぱくぱくとそれを数度繰り返して、そうして漸く三輪は自分の声が失われていることに気付く。鰭があって、声が失くて、童話でさえもどちらかだったのに。
「なんで、だよ。どうして…お前は、お前の姉さんを取り戻さなきゃいけなかったのに。俺を犠牲にしてでも、それは成されなくちゃいけないことだったのに」
ようすけを、ぎせいに。
 ごぽごぽと泡を吐き出す米屋とは裏腹に、三輪はやはり声も、泡も出すことは出来なかった。
「でも、大丈夫だから、俺、此処まで来たから」
頬に添えられる手。
 近かった、鼻と鼻が触れ合うほどに。だから、それだってすぐだ。そう思ったら、無意識のうちにその唇を掌で抑えていた。
「しゅーじ…?」
そんな、捨てられた子犬のような顔をしてみせるな、と思った。お前には、そういう顔は似合わない。馬鹿みたいにへらへら笑って、獲物を見つけたらぎらぎらとその目を光らせて。それが、お前らしいのだから、そんな。
 そこまで思って、あれ、と止まる。
「秀次、俺とキスすんの嫌?」
首を振った。初めてじゃない、嫌悪感もない、さてそもそも、どうしてこんな闇の中にいるのだったか、果たして鰭は最初から鰭だったか―――塞いだままの口から、ごぽごぽと気泡が溢れていく。掌がくすぐったい。
 ああ、そうだ。
「秀次、じゃあさ」
掌の向こうで、米屋は代替案とばかりに眉を下げた。
「もう、起きてよ」
ひとりはさみしいよ。
 いつもならばそんなこと、言うくらいなら舌を噛みちぎってやるという顔をするくせに。
 三輪は笑って頷いた。米屋は嬉しそうに笑った。

 眩しさで目を開ける。
 目の前には、先ほどと同じ顔があった。違うこと言えば、その眸が閉じられていることだろうか。
「ようすけ」
声は、出た。当たり前だ、と思う。あれは夢だったのだ、ただの夢だったのだ。現実に、声がでなくなるなんてこと、風邪でも引かない限りないだろう。それに、そこまでひどい風邪を引くほど、自己管理のなっていない人間ではない自覚もあった。
 もぞり、と動く。脚もあった。其処は鰭ではない、鱗もない。三輪が一人で立つための、脚が確かに其処にあった。
「陽介」
もう一度、今度ははっきりと呼び掛ける。気泡は上がらない。ううん、とその唇の合わせ目から呻きともとれる声があがって、うっすらと、その眸が開かれた。
「…しゅーじ?」
「そうだ」
「おは…よう…」
「おはよう」
まだ寝ぼけているらしい米屋の口端は、やたらと幼く聞こえる。
「なに、夢でも…みたの」
「ああ、悪夢だった」
「にしては、たのしそーだね」
「お前が、」
 息は薄いのだな、と思った。起き抜けというのもあるのかもしれないが、此処まで希薄なものだと、意識して見ることは今までなかったように思える。
「お前が、起こしに来たからな」
「そ、っかぁ」
「ああ」
「おてがら?」
「ああ」
ふふん、と自慢げに笑って、また米屋の瞼は降りていく。三輪はそれを止めなかった。もうきっとあんな夢など見ない、そういう確信があった。過去には戻れない、分かっているはずだった。何かを、替えることも出来ない。それも分かっているはずだった。
 三輪の認識が、無意識の領域まで届いていなかった、それだけ。
「かなしい、ゆめ、だった、なー」
すべてを知っているような言葉を浮かべながら、また米屋は眠りへと沈んでいく。それを追うように寄り添って、三輪もまた、目を閉じた。



image song「人魚姫の夢」松任谷由実
20141219

***

スパンコールの鱗 

 きらきらとしていた。
 アスファルトのそれをじっと見つめて何だろうと首を傾げてから、米屋陽介はしゃがんでみた。隣では三輪秀次が何してるんだ、という顔できっと米屋を見下ろしている。いちいち言葉に出さないのは、彼は米屋が自分の理解の範疇から出ていると知っているからだ。米屋に言わせればそれはただの怠惰なのではあるが(米屋は怠惰なんて言葉が咄嗟に出て来る人間ではないのだから、実際にはもっと面倒くさがり、とかそういう言葉で言うのではあるが)、三輪がそう言っているのだから米屋の中ではそうなのであった。
「なー秀次」
「なんだ」
しゃがみこんだままそれを見つめて、米屋は顔も上げずに呼びかける。
「人魚の話って知ってる?」
 きらきらとしたものが、米屋の脳内をかき回していた。聞いたことのある話。いつだっただろう、全然覚えていないけれども。穏やかな声は、悲しい物語をじっと作り替えてくれるんじゃないかと、いつも思っていたのに。悲しい話はいつもいつも悲しいままで、それがずっと心に残っている。
「人魚? 人魚姫か?」
「いや、姫じゃない方。なんか、ろうそくの」
「…ああ、なんとなくなら」
同じ話を聞いていた、はずだった。なんとなく、なんて嘘だった。それを知っていても米屋は指摘しない。三輪がそう言うなら、米屋の中ではそうなのだ。
「俺はさあ、人魚にはなれないから、お前の恨みを綴ってやることも出来ないけど」
落ちていたきらきらを拾う。安っぽいそれを、掌に乗せてやる。
「お前がずっとろうそく作り続けるってんなら、俺はちゃんとそれにつきあうよ」
 そんな話じゃなかったかもしれない。それでも三輪は米屋を否定しない。正しい答えを知っていても、そういう無粋な真似はしない。三輪は米屋のことを知っているから、米屋は三輪のことを知らないけれど。
 知らないからこそ、出来ることがある。三輪の掌でその欠片は、米屋が人魚を連想した安っぽいきらきらは、幸せそうだった。
「…行くぞ」
案の定、三輪は何を言うこともしなかった。握りこまれたきらきらが、米屋の視界から消える。このあと三輪があの鱗を何処へやってしまったとしても、捨ててしまったとしても、米屋には関係がなかった。三輪に返した、それだけの事実があれば良かった。三輪のものでないが三輪のものになったものを、どうしようが三輪の勝手だった。
 お前の憎しみを、放っておいたりしないよ。
 歩き出した背中についていく。米屋は何も知らない自身の隊長の背中が、一歩一歩大地を踏みしめて歩く脚が、好きだった。



蝋梅 http://sameha.biz/?roubai
20150410

***

むらさきいろに明日が染まる 

 三輪秀次のことを一人では生きていけない人間、だなんて評すやつの気が知れないなあ、と思う。別に長いこと知っている訳ではないけれど、これでも隊員と隊長の関係であるので、つまり、戦場では背中を預け合う仲であるので、他の人間よりかは三輪のことを分かっている、と言っても良かったのかもしれない。古寺辺りに言わせれば、分かってると思いますよ、と言ってくれるだろう。別に、言って欲しい訳でもなかったけれど。ついでに奈良坂辺りには分かってても言語化出来ないなら同じだ、とか何とか言われるのだろう。米屋は自分のことを馬鹿だと分かってはいるけれど、進んで言われにいくほど物好きではなかった。馬鹿にされても良いけれど、馬鹿にされることにそう折られるようなプライドなんて持っていなかったけれど、それはそれとして、というやつだ。
 何でそんなことを思ったんだろうな、と。本部の入り口に立っている背中を見つめる。それが誰かにとっては立ち竦んでいるように見えるからなのだろうか、米屋にはただぼうっと考え事をしているだけにしか見えないけれど。思っていることを誰かに懇切丁寧に説明してやる義理、というのは米屋にはないので、三輪について誰かと話をしたことはない。多分、これからもないだろう。あんな背中を見てああだのこうだの、言葉を探している時間がもったいないとすら思うのだから。だって、そんなことをしている時間があるのなら、一秒でも長く模擬戦に費やしていた方がマシだった。
―――それに、
きっと。
 三輪も同じことを思うだろう、し。
「秀次、」
遠巻きにされているのか、ぽつん、と空を見上げているような三輪の背中に呼びかける。確かに此処だけ切り取ったら世界から取り残されているみたいだな、と思った。米屋はそんなことはないと知っているし、三輪だって分かっているだろうけれど、何も知らない人間が見たらそういうふうに思うこともあるのだろう、と。
 理解は出来てしまう。
 絵、だとか。難しいことは分からなかったけれど、米屋だって見たら感想を抱くことがある。それと同じような感覚だった。三輪秀次という人間がただ其処にいるだけで、見ている人間が勝手に物語を追加していく。その大元の三輪は、ただの、普通の、米屋と変わらない人間なのに。…まあ、頭の出来は大分違ったけれど。だから隊を作る、と言われて誘われた時、乗ったのだし。三輪の指示になら従えると思った、三輪ならば、米屋をうまく使えると思った。
 振り返る。確かにちょっときつい顔をしているかもしれないが、それは米屋もあまり人のことを言えやしないだろうから何も言わない。というか、今更顔について何か言うのも変な話だった。
「傘持ってねーの」
「…忘れた」
「半分貸してやろうか」
「トリオン体で帰れば大丈夫だ」
「おっ、いつもの必要な時以外は使うな、は今日はなし?」
「………必要な時だろう」
「エエー? そう?」
三輪が口ごもるのを感じる。本気で必要な時、だと思っている訳ではなさそうだった。傘を開く。
「なあ、秀次」
 それを三輪の方へと傾けたら、三輪は何も言わずに入ってきた。他だったら、入る? とかそういう遣り取りがあるのかもしれないが、三輪と米屋の間ではもう、そういうもの≠セった。歩き出す。本部から三輪の家までの道のりを思い浮かべながら、ちょっとだけ三輪の家の方が遠いんだよな、と思った。だから何、ということでもないけれど。
「政経の授業、起きてた?」
「当たり前だろう」
「オレは寝てた」
「………ノートか」
「今ノート出したら濡れるから、えーっと、ガイヨウ、話してくれると頭に入りやすいかなーって思ったりなんだり」
―――三輪は、
 一人で生きていける。米屋がいなくても生きていける。もっと言葉を選ばずに言うのであれば、三輪に米屋は必要ない。
「………うちに来るんだな」
「だめ?」
それでも。
「いや、別に」
三輪は米屋を拒むようなことはしないから。家に連絡だけは入れろよ、と言われてよっしゃ、と拳を握る。
 そうしたら傘が揺れて、濡れる、と怒られた。



夕立とあいあいがさとかさなる手濡れるともだち揺れるあじさい / 卵塔

***

20211129 改定