Borderline 

 最愛の姉を失ってそれはもう空っぽになりそうな三輪を黙って見ていられるほど、米屋陽介はお人好しではなかった。あれこれ会話という名の誘導をして、漸く三輪がその死にそうな瞳に憎悪を灯した時、ひどくほっとした。
 「大丈夫だよ」
へらり、と言う。
「秀次運動神経も良いし、何より真面目だもん」
「…お前はどうする」
昏い瞳がこちらを向いた。
「おれ?」
「お前」
「おれかぁ」
どうしよっかな、と思わせぶりに呟いた言葉に三輪は騙されなかったらしい。はぁ、とため息を吐くと同時に、その目線は逸らされてしまった。
 「…お前は素直だな」
「そう?」
「…いや、オレがそう思いたいだけだ」
「なにそれ」
笑いながら問う。答えなんて返ってこなくて良かった。
「おれも、ボーダー入るよ」
「そうか」
「でもお前とは違う理由」
「そうか」
案の定、三輪は米屋が答える前から答えを知っていたようだった。
 もしかしたら、あの誘導の意味も、すべて。それで良い、と米屋は思った。自分自身も理解の追いつかない自分のことを、三輪が理解してくれたら、それはなんて素敵なことだろう。
「お前に、ついていくよ」
何も知らないふりでそう呟く。
 そうであるなら、願えば三輪は叶えてくれたのかもしれない。まどろっこしい真似なんかしなくても、三輪は笑ってくれたのかもしれない。けれどもそれは希望論だ、だからこそ米屋は一番良い選択をした。
 つもりだ。
「その方がなんか楽しそうだしな!」
「お前がそういうならそうなんだろうな」
空っぽになったら。
「なにそれ、秀次さっきから難しいこと考えてね?」
「そんなことない」
その中に滑り込みたいなんて、浅ましいことを。
 そんな危うい規制線が、誰かによって消されてしまうことにこの上なく怯えていた。



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「怯える」「自身」「素直」

***

「何も出来ないなら、せめて笑えよ」 

 苦しそうだなあ、と思う。息も出来ないみたいに、ずっと下を向いて、首がもげてしまいそうだ。
 可哀想。な、部類なのだろう。米屋にはそういう難しいことは分からない。だってそういう目にあっているのは何も目の前の三輪だけではなくて、それなのに米屋の目にはいるのは目の前の三輪ばかりで。だけれども彼のことを可哀想と思うのかと問われると、それも何か違うような気がして。
 秀次。
 呼ぶ声は明るく、触れる前に掛けること。勉強を教えてほしいという名目で暇な放課後は家に押し掛けて、泊まってけと言われた日は素直に泊まること。そのために三輪家に着替えを何かしら理由を付けて置いておくこと。歯ブラシは持ち歩くこと。三輪が悪夢で魘されたなら起こしてやること。その時に魘されていた旨は伝えないこと。
 たくさんの制約を拾い上げて、そうしてその壊れそうな背中の荷物に気付かれないように手を貸す。
 でも知っているのだ。それが三輪にとってなんの意味も持たないことを。



一人遊び。 http://wordgame.ame-zaiku.com/

***

狭い布団の上の世界だけでも良いから 

 「ようすけ、」
舌がもつれるような拙い声に、米屋は慣れたようにはいはい、と返事をした。時間は夜中の二時。一度落ちた眠りから浅く揺り起こされるなんて、そんな非常識なことをする人間を米屋は一人しか知らない。
 掛け布団を捲って壁際へと寄って、そうして開けたスペースをぽんぽんと叩いてやれば、その影は安心したように息を吐いた。それからそのスペースへと潜り込んでくる。
「しゅーじ」
「起こして、悪かった」
「んーん、べつに」
擦り寄ってきた頭を抱えると、嬉しそうな吐息が漏れた。
 「ゆめだよ」
安全が確保された、そう相手が思ったであろうところで呟く。耳に吹き込むように、お伽話でも語るように。
「おまえがみたのはゆめ、だよ」
「…分かってる」
「でもこわいんだろ」
「…うるさい」
ぐり、と頭が押し付けられた僅かな痛みに笑ってから、宥めるように撫ぜた。
「だいじょうぶだよ」
呪文か何かのように、毎回この言葉を繰り返す。
「このせかいはこわくはねーから」
 世界は美しい、なんて。
 そんな当たり前のことを何度唱えれば、君は救われるんだろう。



旧拍手

***

運命に紐付けられた僕らの尊い出会いについて 

*出会い捏造

 鏡を見ているみたいだ、そんなことを米屋は思った。
 正反対だ、そう思ったのはその次だった。一瞬のうちに何を見たのか正直本人でさえわからなかったが、それでもそのぐらぐらと憎悪を飼い慣らす瞳を見た瞬間、鏡だ、と思ったのだ。
「なぁ、おれ、米屋。米屋陽介」
おまえは?と聞くと三輪秀次、と返って来る。その声もまた絶望を煮詰めたみたいで笑ってしまいそうになった。
「中二だけどおまえは?」
「俺も中二だ」
「あ、やっぱタメか。よろしくなっ」
手を差し出せばちゃんと握り返された。鏡の中の自分と握手、なんて。三輪は確かに違う人間であるのに、そんなことを思って勝手に笑いは込み上げて。
「なーんかおまえとは長い付き合いになりそーだなっ」
「…遠慮願いたい」
「そんなつれねーこというなよぉ」
 出会ってしまったらもう元には戻れない。あとは物語が始まるのを待つだけだ。それが破滅への物語だとて、それを知っていたとしても。
 ―――きっと出会わないなんて出来なかった。



おはなしが始まるの待つ洗面所割れた鏡をお目目に刺して / 森まとり

***

キミアジ 

  こくり、と動いた喉をじっと注視していると、なに、と気だるげな声が飛んできた。
 夏の始まる前の日のこと、いつもと変わらない縁側。真っ白な課題を広げた、そんな馬鹿馬鹿しさにはもう慣れてしまっていた。
「いや、お前は本当に何かしら飲むのが好きだな、と思って」
「ん、まぁね」
こくり、また喉が動く。前までは尖ってなどいなかったはずの骨が、その上下運動を更に明確なものへと変えていた。
 変わっていく。そう思う。それが悲しいことだなんて言わないけれど。
 外では雨が降っていた。吹き込んでこないそのしとしととした雨に、縁側の二人は暇を持て余していた。課題を手伝うなんていうのは口実だ、そうして縛り付けて―――と言うのは言い過ぎだが、目の届くところへといて欲しかっただけ。
「飲み物なら何でも良いのか」
「何でもって訳じゃねーけど。不味いのは嫌」
「ドクペは」
「ドクペは許容範囲内」
エナドリだと思えば、と付け足される。
「なぁ秀次」
「なんだ」
「俺さぁ、小さい頃は飲み物になりたかったんだよ」
 はぁ? と声を上げることはしなかった。ほら、子供のときって好きなものになりたがるじゃん、と言われてそういうものか、と返す。
「お前はなかったの?」
「なかったな。普通に花屋になりたかった」
「秀次がお花屋さんて」
「煩い、笑うな」
手をつかれた課題がくしゃり、と歪んだ。あーあ、とどうでも良さそうな声。実際、どうでも良いのだろう、きっとそこに書いてある半分も理解していないのだから。
「でさーもしも俺が飲み物になったらさ。秀次はどうすんのかなって」
「どうって」
「そのままの意味だよ。瓶に集める? 飲んじゃう? 冷蔵庫に入れとく? それとも捨てちゃう? ほっとく?」
「お前はくだらないことを聞くな。人間は飲み物にはならない」
「そうだけどさーノッてくれたって良いじゃん?」
ぶう、と口を尖らせる、そんな子供じみた仕草が良く似合う。あ、と気の抜けた声があがった。
「雨、あがったな」
にし、と笑う顔にそうだな、と言う。
 雲が退いてその隙間から青空が見えた。何処までも続いていきそうな、とうめいな青空だった。



雨あがりの とうめいな青空を からっぽのガラスびんに流しこんで、それを こくこくと、飲みほす想像をする。胸のなかに、青いひかりがさしてくるように。 / おーなり由子「365日のスプーン」

***

枠組みを彷徨う羊 


*嘔吐

 饐えた匂いなどもう慣れた。目の前で震える背中をぽんぽん、と一定のリズムで叩いてやることだって簡単だ。もらいゲロなんてきっともう出来ない。そんなことを考えながら、米屋陽介は友人の三輪秀次がトイレの便座を抱える様を眺めていた。
 こうしたことが、良くある。三輪隊のメンバーは勿論のこと、恐らく他にも知っている人間はいるはずだった。例えば出水だとか、例えば迅だとか。そこまで隠すことでもないし、あれだけ生きづらそうな様を見ていればそう意外なことでも何でもないようにも思えた。気を使われているのか、それとも傍にいるのが米屋だったからなのか、この状態を知った人々は一様に何も言わずにいる。
 それが、米屋には有難かった。どんな感情がそう思わせているのか、いまいち分かりはしなかったが。
 さすっていた背中の振動はいつの間にか止まっていた。そろそろだな、と思う。そうして米屋の予想通り、くるり、と三輪は振り返った。
 青い頬。いつもよりもどろっとした瞳。そういうものを眺めている米屋を、三輪の手は引き寄せる。
「………ん」
 そうして、触れるだけの接吻け。
 数秒も待たずに三輪は離れていった。
「秀次、くさいしまずい」
「嫌なら避けたら良いだろう」
「そういう話じゃないじゃん」
「そうだろうか」
今回も前には進まない。どちらも答えを求めていないのだから、当然かもしれない。
 もう一度、と囁く途中の唇が押し付けられる。それ以上はしてこない。それでも饐えた匂いが口から鼻から、米屋を侵食していく。ほんと、とそれらの感覚を受け取りつつ、米屋は思った。本当、どうして抵抗しないのだろう。
 けれどもそれよりも不思議なのは。
―――なんで、秀次は俺にキスなんかすんのかな。



友人が嘔吐している 友人はわたしの前で嘔吐ができる / 山階基

***

君の涙は君のかなしみ 

 涙は繰り返される。
 それを米屋は身をもって知っている。理屈がどうとかではないのだ。ただキャパシティオーバーの悲しみを、自分自身に塗り込むように繰り返さなくてはならない。だから三輪は涙する。米屋の前で、何度も何度も。正直それは見慣れたが―――
「ようすけ」
掠れた声が耳へと滑り込む。
 先ほどまで泣いていたなんて嘘だと思うような鋭い視線が米屋を射抜く。
「ようすけ」
縫い付けられたように動きを止めた米屋に、まるで縋るような丁寧さで三輪は口吻けを落とす。何度も何度も。触れるだけ、触れるだけ、それを繰り返す。
 かなしみの味には、まだ慣れなかった。



繰り返す、自身、先ほどまで
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つめたいにんげん 

 喪われるという感覚のことを知らない訳ではなかった。しかしこうして目の前にしてしまうと、どういうものだったか掴めなくなって、ただ泣き叫ぶ三輪を見つめていることしか出来なかった。
 かなしい。かなしい。
 それは確かに米屋の胸の中にあるはずなのに、その美しい人のために泣いてやることが出来ない。そうすることよりも、どうしても今にも壊れそうな三輪の方がつらくて痛くて。
「しゅうじ」
肩に手を置いてしゃがみ込む。
 泣きたいなんて。
 泣けない冷たいさを、庇い立てしたいだけなのに。



旧拍手

***

さよなら、My sweet Happiness。 

 その横顔から表情らしい表情が消えたのは、いつだったろうか。あれだけ、泣いていたのに。米屋は思う。泣いている心を置き去りにして、一体。彼は。
 隣にずっといたのに、何一つ分からなくて、彼女が連れて行ってくれた場所を連れ回しても。
 降り注ぐ星空の下。ぼんやりと浮かび上がる横顔は、米屋の知らないものだった。
―――何を、願ったんだろう。
言葉にして問うことも出来ずに、ただその手を握る。
 きらり、頭上を流れ星が流れていった。流れ星ははやすぎて、何を願うことも出来なかった。



旧拍手

***

君の影が溶けてしまう夢を見た 

 夏だった、何かそれらしいことを考えるならきっと、これは雨の日とか、そういうものでなくてはいけなくて、いやいけないなんてことはなかっただろうけれど、きっとその方がそれらしくて、せめて米屋陽介には納得のいくものだった。
「陽介」
夏、は。
 米屋と三輪が出逢った季節だ。
 夏服をすべてだめにして、だから長袖のワイシャツを引っ掛けていた日のこと。暑くないのか、と問われたから、暑いから脱いでる、と返して。そんなありふれたワンシーン。特別でもない特別。
「秀次、」
手を、取ったのは。
 どっちだったのか、今でも分からないけれど。
「何処にだって行っても良いんだよ」
そんな言葉はきっと、米屋に許されたものではないのに。この先誰も三輪にそんなこと言ってはくれないのかと思ったら、どうにかして言わなければならないような、そんな強迫観念に襲われるのだ。



@_sleep_bot_

***

20211129 改定