夏は死の香りがする からん、と音がしたからああなるほどこういうのを日本人っていうのはワビサビとかそういうふうに受け取るんだろうなあ、なんて思った。どうしようもない暑さの中、更に暑くなるような行為を、どうにもならないただの自己満足のような行為を続けている最中(さなか)のことである。 「諏訪さん、どうでも良いこと考えているでしょう」 「ン、まあ、大体そうだよ」 「大体って」 「ボーダーやってる時以外って大体どうでも良いことって感じじゃね?」 ただの大学生で、ただの男で、ただの恋人のいる人間で。そんなことを考えながら改めてああなんかこの街って普通じゃないんだな、と思った。今更。しかもこんな、セックス中に。 「セックス中ですよ」 「ふ、はは、」 「何ですか」 「いや俺も今同じこと思ったって思って」 「…はあ、集中出来ないならやめますか」 「やめるってお前、やめられんの堤クン」 「無理ですね」 「じゃあ聞くなよ、ほらさっさと続きしろって」 「誰の所為で中断したと思ってるんですか」 「だって氷が動いたから」 「氷?」 堤は顔を上げて、ああ、と呟く。 「時間の流れでしたっけ」 「何それ」 「なんかやったじゃないですか。論説文とかそういうので」 「あー…ししおどし」 「それです」 「断続的な…なんだっけ」 「忘れました」 「不真面目」 「諏訪さんに言われたくないです」 ちゃんと集中してくださいよ、と言われてはあい、と投げやりに返事をするけれども、別にしたくない訳ではない。だって諏訪は堤のことが好きなのだから。 「なあ、堤」 「何ですか」 「終わったらあの麦茶飲もうな」 「…多分めっちゃぬるくなってますよ」 「それがいんだろ?」 笑ってやたらもうなんか黙っててくださいと比喩ではなく唇に噛み付かれた。 * お題箱「麦茶つつすわ」 *** 明日も生きている。 鼓膜の内側 この街は戦争をしています、なんて言ってこの平和な国で一体誰が信じるだろう、と思う。珍しく県外のニュースを見ていたらパンダが生まれたとか電線に風船が引っかかったとか凄惨な殺人事件とか汚職だとかあれやこれや、この三門で生活していたら殆どと言っていいほどお目にかかれないようなもので前半は兎も角後半だって物珍しかった。 そもそもこっちは安全上の問題で動物園なんかないし(あったけどなくなった)電線に引っかかるのはよくて飛んでった近界民の欠片だし(そして上の人が怒られているらしい)(でもどうせその辺は根付だとか広報室が上手くやっているのだろう)(ご愁傷様です)凄惨な殺人事件よりも近くに何処とも分からない異世界への誘拐事件が跋扈しているし(一応それを止めるのがお仕事です)汚職とかそういう難しい話になると一気に分からなくなるから置いておいて(いろんなもので解決しないといけないものがあるのはボーダーの方な気がする)(主に金とか金とか金とかで)(B級なので知らないという顔がしたい)。 県外って今こんななんだな、大変だな、なんてことを思いながら煙草に火をつけようとして、一分前につけたことを思い出した。何やってんですか諏訪さん、と呆れた声がする。 「平和だなって思って」 「人死んでるっぽいですけど」 「でも犯人アガる訳だし」 「捕まらないやつもいるでしょうよ。指名手配とか」 「それもそーだけどさ」 「何ですか、諏訪さんのくせにセンチメンタルですかアンニュイですか」 寝ぼけてんなら火傷する前に煙草消してください、と言われて素直に消す。そう、素直に。テレビからは未だニュースが流れている。でも耳に入って来ない。 「どう思う? つつみくん」 「何がですか。ていうか突然くん付けとか気持ち悪いんですけど」 「そんなこと言うなよ、俺とお前の仲だろ」 「どんな仲だって言うんですか」 「なんでも出来ちゃうような仲」 「なんでも」 「そうだろ?」 「キスも?」 「セックスも」 「確かに」 「他何かしたいことある?」 「今のところはないです。ランク戦勝ちたいくらいで」 「うわ、模範解答来たわこれ」 面白いくらいに喉が震えて、人間も漫画みたいにククク、なんて言えることを初めて知った。これじゃあ魔王とかそういう、主人公を待ち構えてる方の存在っぽいけれども、勇者じゃなくても勇者一行かその勇者を鍛え上げる村とかそういうものだった。 兵隊、なんて言っていたけれど。 そんなことを思っているボーダー隊員が幾らいるだろう、とも。 「つつみ」 堤の手がテレビを消したのを見てから呼ぶ。何ですか、と返される。隣に座る音。ソファが揺れる。俺のソファなんだけど、と言ってみればオレの部屋ですよ、とため息を吐かれた。確かに堤の部屋だった。年下の部下の部屋に転がり込んで勝手にテレビを付けて眺めているだけだった隊長は一体堤の目にどう映っているのだろう。 「名前呼んで」 「諏訪さん」 「ちげえよ馬鹿、分かれよ」 「我が侭っすね」 部屋暗くしておいた方が良かったか、とも思ったけれども電気を消した部屋でテレビのニュースを流しているだけという図はどう考えてもよろしくないとも思うのでこれで良かったのだ、と思う。 堤の目が、開いてるのかよく分からない目が、それでも諏訪を映して。 「…洸太郎さん」 「よく出来ました」 今度こそ普通に笑いが口から転がり出て、そのまま膝に頭を落とした。かたい、と文句を言うと男の膝なんてそんなモンですよ、と返される。 「つつみィ」 思い出すことは、決して多くはないけれど。 「多分俺、生き残るわ」 「キューブにされたくせによく言いますよ」 「あ、お前信じられる? アレ、諏訪になったって言われてるらしいぜ。誰が言い出したんだろうな。どうせ風間とかだよな。お前模擬戦で良いから一発入れてこいよ」 「風間さんにとか無理でしょうよ。自分で行ってきて自分で死んでください」 「お前よく隊長にそんなひどいことが言えるよな」 「そのひどいことを部下に言ったの何処の誰です」 「俺じゃん」 「自分の部下のこともっと可愛がってくださいよ」 「ヤだよ、お前可愛くねえし」 「諏訪さんは可愛いですよ」 「うわどの口が」 「この口ですよ」 薄い、唇。特別特徴がある訳でもないもの。好きでしょう? と言われて何も言わないのはその通りだからだった。その誰でも持ってそうな唇の持ち主が堤であるから、こんなところに転がっている。やわらかくもない男の膝枕で。 「好きですよ、諏訪さん」 「堤のくせに、俺の言って欲しいこと当ててくる」 「はいはい、堤のくせに物分りがよくてすみませんね」 「そういうとこ好き」 「どうも」 笑った堤がぐ、と少しだけ上体を傾ける。部屋の電球の光が遮られて、影になる。 「諏訪さん」 「何」 「キスしても良いですか」 「セックスは?」 「それは明日とかで」 「セックスの予定入れるとか世も末じゃん」 「そうですか? 平和っぽくて良いと思いますけど」 「お前がそう思うならそれで良いわ」 この街は戦争をしているけれどもやっぱり平和で、死にかけたり攫われかけたりしても平和で、攻め込んできた敵が目の前で死んでしまっても平和で、昨日までいた誰かがいなくなっても平和で、合わせた唇が何処まで薄べったいものだったとしても堤が苦いと文句を言っても、やっぱり明日の約束が出来て名前を呼んでもらえるなら平和なのだった。 * image song「エイトリアム」v flower(R Sound Design) *** さよならの日は近い 人間っていつか死ぬんだよな、とあまりにも当たり前のように諏訪が言うので堤はそうですね、と返すしかなかった。 「何、堤クンはオレが死んでも良いワケ」 「嫌だって言ったら不老不死になってくれるんですか」 「ちょっとそれは…ないわ」 「でしょう」 「ていうか不老不死って………何………突然そのワードぶっこんできたお前の方にオレが驚いちゃてるんですけど」 「普通に出てくるでしょう」 「オレは出て来ない」 「読んでる本の違いですかね」 「そりゃあまあ…確かに推理小説に死なねえやつ出てきたら困るけど」 つまらないテレビを見て、ランク戦のおさらいをして、今自分たちに何が出来るか考える。これはゲーム、これはスポーツ、そんなようなもの。いつかこの生命を使って戦うような日は来ない。だって堤も諏訪もB級だから、勝ちたいけれども、他のチームにあるような遠征に行きたいだとかそういうことはない。隊員からそういう要望が出たら考えないことはないけれど、多分堤も諏訪も率先してそういうことを考えることは出来ない。 「不老不死にはなれないオレがさあ、お前より先に死んじゃうワケよ」 「諏訪さんの方が年上だから?」 「そう」 「俺が突然事故るかもしんないですよ」 「そんなんお前、トリガー起動させたらどうにかなんだろ」 「そんな一瞬の判断俺に出来ますかね。あと怒られるんじゃないですか」 「人命かかってんだからそれくらいオッケー出るだろ」 「わりと諏訪さん甘いこと考えますよね」 「で、そういう訳だからオレの方が先に死んで、」 「諏訪さんがそういう話したいのは分かったので先どうぞ」 「何だよオメーカワイくねえな。お前が一人残されるワケよ」 「はあ」 「でもお前一人で生きていけるじゃん」 「それは諏訪さんも同じですよね」 「うん」 「俺がいなくても生きていける」 「まあ俺お前より先に死ぬけど。絶対」 「妙な自信は捨てといてくださいよ。でもまあ、ここで会話止めるのもなんなんで続きをドーゾ」 「続きって言われてもな。ほら、一人でも困ることはないじゃん」 「はい」 「この部屋だってさ、ほぼドーセー状態だけど帰れっつったらお前帰るだろ?」 「えっ俺追い出されるんですか」 「何でそこだけ反応しちゃうの」 追い出さねえよ、と言われて堤は大仰に胸をなでおろして見せた。お前よくやるよな、そういうの、と諏訪が半目で見てくるけれど知らない。堤にとっては一大事なのだ。諏訪にとってもそうであるように。 「なんだっけ、ああ、そう、そういう訳だからさ、結局オレら、一人で生きていけちゃうじゃん」 「そうですね」 「でもオレらって一緒にいたいわけじゃん」 「ゼクシィでしたっけ」 「なんで先に言うんだよ。夢も希望もねえなあ」 給料三ヶ月分ってどれくらい? と聞かれたので通帳の場所なら知ってますけど、とだけ返しておいた。 * ひとりでも生きていけるという口がふたつどちらも口笛は下手 / 松野志保 *** 同じ意味で言いました 「諏訪さんコンビニ寄りたいです」「なんで」「ゴムないんで」「エー…マジでないの?」「はい」「コンビニ遠回りじゃん」「遠回りですね」「ホントにないの」「はい」「なくてもよくね」「腹下しますよ」「なんで当たり前のように中に出す予定なんだよ雑すぎね?」「雑なのアンタですけどね」「あっオレの財布に」「入ってたのをこないだ使いましたね」「補充…」「俺の部屋から学校行ったのにそんな余裕あったんですか」「ないわ」「ないでしょう」「なくてもよくね?」「それどっちで言いました?」 * フォロワー「ゴム買いに行く推しCPの話して」 *** うるせー! ギルティ! 告白裁判、さて貴方は有罪? 恋愛ってそもそもこんなに頭がぐちゃぐちゃになるものだったっけ? と諏訪は慣れない思考をブン回しながら考える。諏訪だって恋愛の一つや二つしたことはあるし自慢じゃないがカノジョがいたことだってある。でも今はそういう話じゃあなくて、今より少しばかり時間を遡ったところへと話を持っていかなくてはならない。 「バレンタイン、何かしましたっけ」 そう、事の発端は同じ隊でつまるところの部下である堤がそんなことを呟いたことにある。 いつもの作戦室。他二人は学校で、諏訪と堤だけがいたのはちょうど二人とも授業がなかったからで、じゃあ先に少し確認とかしておくか、なんて話になるのは可笑しいことじゃない。割と常日頃の話。うん、よし。いつも通り、ここまではいつも通りだった。その先がいつも通りじゃなかっただけで。 「バレンタインて。ボーダーでそんなこと言ってる暇なくね?」 諏訪の返しは正直夢がなかったとは思うが悲しいかなボーダー隊員は大抵こんな感じである。多分隊の中で義理チョコを普段の感謝のトリガーとして流通させることはあれど、仲良し度の可視化のようで、その点諏訪隊はいつも仲良し≠ニいう分類であるしそもそもオペレーターである小佐野はどっちかと言うと貰う方なので、特に隊の中で何かすることもなかったし、何もしなかったからと言って悲しくなったりもしなかった。ボーダーの中で表立ってバレンタインが大変なのは言わずもがな嵐山隊であろうし、まあ本当にそれ以外には『そんなイベントあったっけ?』とか『近界民がバレンタインを気にするか』とかそういう本当に夢のないことを言うようになってしまう組織なのだった。残念だがこれが現実だ。 話を戻す。 そういう訳で諏訪の返答は冷たくは聞こえるものの割とボーダーに染まりに染まりきった回答だったと言えよう。特に悪くはない。諏訪だってB級といえども隊長を張っているのだ、そういう思考に侵されたりもする。そして、それは堤も同じだと思っていたのだが。 「言ってる暇は、まあ、ないですけどね」 どうやら違ったらしい。妙に今日は食い下がる。 「何、堤、オメーなんかしたかったの? おサノからなんか貰いたかった? それとも友チョコとかみんなで買って回したかった感じ?」 「なんでそう諏訪さんて発想が微妙なんですか」 「微妙て」 「微妙じゃないですか」 諏訪としたら結構頑張って捻り出した返答だったのだが、堤のお気には召さなかったらしい。 「エー、じゃあ、何、何したい訳。オレに言ったってことはなんかしたいんだろ」 「そういうとこばっか鋭いんですから」 「はいはい、微妙に気の利かない隊長サマで悪かったね」 「悪いとは言ってませんよ」 そう言って堤は鞄を引き寄せると、がさごそとやってから何かを取り出した。チョコレートだった。しかも結構ガチ本命っぽいチョコレート。 「え…何…堤クンそういう人だったの…非モテ同盟だと思ってたのに…」 「なんですかそれ、そんなん入ったつもりないですけど」 「ていうか何? え? オレは隊の親睦を深めたい的なさむしんを予想してたのに堤はそんなやーさしい隊長に対して恋バナしてたワケ?」 「まあ恋バナと言ったら恋バナですかね、大別したら」 「そのやべえガンギマリ本命チョコレートを何処のお嬢さんからもらったんだよ…自慢かよ…あとで蜂の巣にしてやるからな…仮想戦闘体ってこういう時便利だよな…」 「いや、そういうんじゃないですし、その言い方は仮想戦闘モード作った人の名誉に関わりそうなんでやめましょうよ」 「ヤだ」 「やだって何歳ですか」 「今から諏訪さんは二歳になりました」 「イヤイヤ期かよ」 「流石堤クンツッコミ最高、でも裏切り者」 「裏切った訳じゃないですけどね」 だって、と堤がそのきらびやかな本命チョコレートの箱を差し出してくる。差し出されたからには受け取る。いや待て、何で差し出されたんだ。 「これ、諏訪さんに」 「は?」 「だから、諏訪さんに」 「本命にしか見えないんですけど」 「そうですね」 「結構ガチじゃんこれ」 「そうですね」 「いや値段とかであれこれ言うのクソだと思うけど…これ…高いやつじゃん…オレでも分かるわ…」 「そうですね」 「ごめん、そうですね以外も言って」 「やだ」 「仕返しかよ」 それでもチョコレートに罪はないのでありがとう、と言う。どうしたしまして、と返ってくる。 「そういう訳なので、」 「ん?」 堤が立ち上がる。ちょっと模擬戦行ってきます、と。 「返事、ホワイトデーまでにはくれると嬉しいです」 「うん」 「ホワイトデーって三月十四日なのですぐに来ますからね」 「そうだな」 「じゃあ、また夕方には作戦室に戻ってきますから」 「おう。模擬戦頑張れ。オレはもうちょいログ見ておくわ」 「諏訪さんも頑張ってください」 そうやって堤を見送ってから、諏訪は膝から崩れ落ちた。勿論チョコレートの箱は抱き締める形になる。えっ? 何? 今の告白? とブンブンと脳の回転する音が聞こえるようだ。でも正直あんまり意味のある回転には思えない。 「ええー…」 頬が熱い。 「どうしよ」 とりあえず期間は短いものの時間がない訳ではないので、適切な返答を考えつつ、この高級チョコレートは隊全員で食べようと思った。 入手元をどうやって誤魔化すかまでは思いつかなかった。 * [helpless] @helpless_odai *** 返品不可 かの有名な文豪は檸檬でとあるビルを爆破した気になっていたのだと言う。よくは覚えていないが、それは確か乱雑さによるところに一因があったような気がして、だから堤は今その気持ちがよく分かるような気がする。諏訪さん、と呼んでも視線が齎されるだけで特に何も変わらない。掃除してくださいよ、という言葉には、お前がしてくれるから良いじゃん、という跳ねるようなものが返された。 * 文字書きワードパレット 21 檸檬/跳ねる/視線 *** たとえばこの道の先に貴方がいないとして お前、星とか興味ある? そんなあまりにも顔に似合わぬことを言われたものだから、今度は何を読んだんですか、と問う羽目になった。 「何って、いつもどおり、本屋のおすすめどころ」 「ふうん」 「興味ないくせに聞かないでくんない」 「興味はありますよ。諏訪さんについてですけど」 「ふうん」 「諏訪さんこそ興味ないんですか、俺に」 「あるあるめっちゃある」 「うそくさ」 それで、なんでしたっけ、と話題を戻す。このままだと永久に話が留まったままだ。まあ、それも悪くはないだろうけれど。 「だから、星」 「星」 「ないんだろ、興味」 「だから諏訪さんには興味ありますって。だから諏訪さんが言い出した星にも興味ありますよ」 「屁理屈じゃん」 「まあ、そうですね」 「さいてー」 「さいてーな屁理屈言っても一緒にいたいんですよ」 「…まあ、そういうさいてーなとこも好きだけど」 「なんですか突然、ときめきました?」 「まあそれなりに」 だから星見に行こうぜ、とやっとちゃんとしたお誘いがかかって、最初からこう言ってくれる人だったらきっと好きになんてならなかったんだろうな、とどうしようもないことを思った。 * 蠍座が燃え落ちそうな夜のこと青い蜜柑の香にまみれつつ / 松野志保 *** 魔女だから、知らないこと知ってるから、炙られちゃうから 俺もお前も別に、此処でなくちゃいけねえってやつじゃないのにな、とソファと一体化したような様子で言う言葉じゃあないと思う。堤がそんなことを思ったのが分かったのか、なんだよ、これ俺が持ってきてやったのに、と頬を膨らませられた。かわいくない。いや、かわいい。こんなヤニ臭い男のことをかわいく思えてしまえるようになったのは多分致命的なバグだから、絶対に責任を取ってもらわねばならない。というか、持ってきたとは言ってもこのソファは酔っ払った諏訪が粗大ゴミを拾ってきてしまったものであって、こういう場合どうしたら良いのか! というので同級生たちに迷惑を掛けたのは記憶に新しい。どうにかしてもらったのでこのソファは此処に陣取っているのだけれど、諏訪がそれを知らないはずがないのに。もう忘れたのだろうか。 「何ですか、諏訪さん。旅行でも行きたくなりました?」 「そういう訳じゃねえけど。だって、別にボーダー隊員じゃなくても良かっただろって思うだろ。俺たち別にトリオン量がスゲーとかじゃないんだし」 「真っ先にラービットに食われた人がなんか言ってる」 「は?」 勿論あれはトリガー使い≠狙ったものであって、トリオン量に起因するものではないのだと、そう聞いてはいたけれど。だからと言って、もうトリガー使いじゃなかった頃には戻れないのに。 「ほんと、何なんですか、諏訪さん。ボーダー隊員以外になりたいものでもあったんですか」 「しらねー」 「知らねえってなんですか、自分のことでしょう」 「喫茶店とか憧れてたかも。本置いてあるやつ。煙草も吸えるやつ」 「ぽい」 「あと、今だったらユーチューバーとか言ってたかもしれねえしさ」 「顔も企画力も発想力もない人が何言ってんですか?」 「粗大ゴミ拾って後輩に押し付けたった、みたいな」 「それユーチューブじゃなくてクソスレの方では?」 というか覚えてたのか。それでこの態度とは恐れ入る。年齢が一つ上だからって、隊長だからって、そう偉い訳でもないのに。 此処が狭い箱庭だと、言われているみたいで。 「…すわさん」 「なに」 「ボーダー隊員になって後悔してますか」 「まあそれなりに。だってコエーし。食われるしキューブになるしアステロイドのこと諏訪って呼ぶ馬鹿もいるし」 「それは風間さん本人に言ってくださいね」 「えっ…アレやっぱ風間なの…あいつそういうとこあるよな…クソ…覚えてろ………」 ぐちぐち、と言ってから急に跳ね起きた諏訪が、堤、とやたらと真剣そうに呼んだ。 「なんですか」 「後悔はしてるけどよ、ボーダー入んなきゃお前に会えなかったと思うからそれはそれでいーや。別に、ボーダーも楽しくない訳じゃねーし」 「入らなくても会えたんじゃないですか、ほら、運命とかで」 「どう考えても俺ら運命じゃないだろ」 「そこは嘘でも運命って言ったらいーのに」 「馬鹿だな、堤、運命って言うのはさあ、」 がさり、とビニールの音がした。諏訪の持ち込んできたお菓子の山が崩れた音だった。 「嵐山が俺に笑顔で押し付けてきた大量のマシュマロを俺と一緒に消費しなきゃいけないことを言うんだよ」 「………」 異論は大いにあったけれどマシュマロは嫌いではないし、運命という言葉の響きはそれなりに甘美であったので協力してやることにした。 * 俺の人生が今日から急に『マシュマロ通信』みたいな感じになる。 / ロボもうふ *** 何処にも行けないまま、 失っていく街のことをどうやって愛せるんですか。 そんな疑問をぶつけられたものだから驚いて、そのまま煙草を落とした。慌ててキャッチされたけれど、多分火傷になってるのだろう。知らない。勝手にやったことだ。驚かせたのは堤なのだし。 「お前、愛してんの」 「逆にそういうこと考えないでやってんですか」 「うん」 「えっ…」 きもい…という素直な言葉はそのまま流してやる。戻された煙草をくゆらせて、少しだけ堤の言葉を考える。 ―――愛して、 なんて。 「…お前だけで手一杯だよ」 「はい?」 「なんでもねえよ。てのひら大丈夫か?」 「たぶん」 「オロナイン塗っとけ」 「塗ってください」 賞味期限大丈夫かな、と呟いたらオロナインは食べ物じゃないと突っ込まれた。 *** 出口のない街 オレンジの光の方が集中力が上がると言ったのは誰だっただろうか、テレビで見たのだったか。この三門のニュースの大半はボーダー関連のことばかりで、正直そういうよく分からない知識を何処で仕入れたのかは思い出せなかった。いや、一応全国ネットのバラエティだってやっているにはやっているが、一般市民ならまだしも、ボーダー隊員になってしまうと、そういう番組を見る時間で他の隊のログを見たり、戦闘にキレがあると評判の映画を見たりと、軸がズレてくるのだ。バラエティだって、きっと見たら笑えるのだろうけれど。そこまでかけ離れてしまったとは思わない。 そんなことを思っていたら、のし、と背中に重みがかかった。 「何ですか、諏訪さん」 「暇だから」 人の部屋に勝手に押しかけてきたくせに暇、とは何だろう、と思う。まあ、今に始まったことではないので何も言わないけれど。 「だーいちくん」 「諏訪さんがオレのこと名前で呼ぶ時ってどうでも良いこと言おうとしてる時ですよね」 「セックスしない?」 「課題終わってないし明日早いのでまた今度で」 「ちぇー」 「それって普通舌打ちなんじゃないですか? 口で言ってどうするんですか」 そういうところちょっとだけ可愛いですよね、と言ったら鳥肌立つようなこと言うなよ、と笑われた。鳥肌なんて立たせるつもりもないくせに、どうにもこの人には人を突き放して楽しんでいる部分があるのだと思う。 ―――セックスなんて、 愛がなかろうが出来る、とは思うけれど。少なくとも堤は諏訪のことが好きだったし、諏訪だってそうだということは分かっている。…なんて、口に出して言ったらきっと、傲慢、と笑われるのだろうけれど。 「堤ィ」 「何ですか」 「お前はなんで大学此処にしたの」 「だめでした?」 「そういう訳じゃねえけど」 なんで、と問われると困ってしまうな、と思う。だって高校生なんて結局そんなに判断力はなくて、だから楽に入れる大学に進んでおこう、学歴はあった方がきっと良いだろうから、くらいの気持ちで。当然、ボーダーの仕事のことを考えた、というのもあるけれど。一応生命を懸けている割にはそんなに思考の幅を取らないんだよな、というのは麻痺、だったのだろうか。 「お前は外に行くんだって思ってた」 「はあ」 「こんな町から、さっさと出て行って、でもビッグになって…なんてーの? 唐沢さんとか、そういう感じになって帰ってくるんだと思ってた」 「はは、もしそうなってたらスーパースターですね」 「真面目に言ってんだけど」 「煙草も吸わずに?」 諏訪のためだけに用意された灰皿。堤は煙草を吸わないから、この灰皿が使われるのは諏訪が来た時だけで。以前、諏訪が来て帰って、それから掃除したままになった冷たい銀の皿。煙も立ち昇らない。 「諏訪さん、真面目な話ほど煙草手放せなくなるじゃないですか」 「そんなことねーよ」 「それくらい、知ってますよ」 仕方ないですね、とだけ呟いて振り返る。顎を掴んで引き寄せる仕草にも慣れてしまった。今、吸っていないのだとしても煙の残り香は尾を引くように残っていて、舌が痛いと誤認するくらいに。 「………やっぱ、まず」 「文句言うくらいならキスなんかすんな」 「したくなったので」 「バッカじゃねえの」 早く課題終わらせて寝ちまえ、という諏訪がそのまま勝手に人のベッドに入っていったのに、今更何を言うこともしなかった。 * 銃を持つ指もて鳴らすスタインウェイ小さな耳が満たされるまで/バロック 松野志保 *** |