君のやわい場所に土足で立ち入りたい 

 時枝は菊地原の口がはくはくとあけられたりしめられたりするのを見ていた。時枝には菊地原のようなサイドエフェクトはないから、その唇の動きがや言葉にならないはずの音を拾うようなことは出来ない。というのを菊地原は分かっていて、それでいて付き合ってくれる時枝に甘えてこんなことを繰り返している。本当は、言うつもりなんてなかった。言わない方が良いということも良くわかっていた。
 なのになのに、菊地原の残酷な部分が、時枝のやわいところまですべて手に入れろと警鐘を鳴らすのだ。
―――あのね。
伝わらない。
―――時枝が前、可愛がってた野良猫。
伝わらなくていい。
―――ころしたの、ぼくなんだ。
 スコーピオンの感覚は向こうで人間を殺した時よりもリアルで、ああこれが時枝に関係することだからなのだと、菊地原はとても嬉しくて、けれどもそれはきっと一生言ってはいけないことなのだとよくわかっていた。
 だから、
「大好きだよ」
嘘じゃない言葉で、今日もこのきもちを誤魔化すのだ。



じつは、このあいだ、朝              なんでもありません / 穂村弘(手紙魔まみ)

***

少年に向いていた職業 

 例えば。
 朝起きる時のアラームは犬の声なこととか、玉子焼きより目玉焼き派なことだとか、ネクタイがまだ上手く結べないことだとか、靴は左足から履くことだとか、洗面所があれからずっとあんまり好きじゃないこととか、嘘が得意なことだとか、八方美人なのは周りがそうしているからだとか、みかんとオレンジは違うと思っていることとか、猫が大好きだとか、毎日同じ時間に電話をくれることだとか、菊地原がしているテレビの録画に気付かないふりをしてくれていることだとか、夜眠る時は丸まって眠るのだとか。
 他の人も知っているだろうけれど、きっと菊地原は時枝について、恐らく一番よく知っている。それは優越感を菊地原に与えたし、恐らく時枝にもそうだった。
―――誰も、誰も知らないけどね、
でも、本当はもっと、もっと。
 菊地原には時枝について、心が打ち震えるようなことを知っている。ボーダーに入るより前の話。時枝がまだ、家族なんてものに縛られていた頃の、悲しい話。そして菊地原が、彼に助けて貰った時の話。その時の話を、菊地原は誰にもしたことがない。だって時枝は強かったから。何よりも強かったから。だからその後二人でボーダーに入ろうと決め手、この三門市に残れるようにいろいろなことをした。それが上手く行って、
―――ぼくだけが知っていたけれどね、
叫びたかった。叫んで、叫んで回りたかった。菊地原が知っている、みんなのアイドルのただひとつの秘密。菊地原だけが知ることを許された、最高の秘密。
―――ぼくのともだちは、ぼくのあいしたともだちは、ぼくのあいしたときえだみつるは、
菊地原だけがずっと、きっとずっと、もうそれこそ墓場まで、そしてもしかしたら来世までもずっと。
 誰にも言わない、誰にも渡さない、誰にも気付かせない、時枝の秘密。
―――ほんもののさつじんしゃ、なんだよ!



ask
他の誰も気づいていなくて、あなたが知っていることは?
「少女には向かない職業」パロというかオマージュというか

***

隊長にはよく思われたい 

「〜ってことがあって、もう、さいあく」
「うん」
「やだもう風間さんにかっこわるいとこみられるし」
「うん」
「ちょっときいてるの時枝だって嵐山さんにかっこわるく思われたくないでしょ」
「うん」
「すきだよ」
「うん、おれもすきだよ」
「………ばか」
「ばかでも菊地原のこと好きでいいならそれでいいよ」
「ぼくもばかがいい」
「うん」

***

約束の朝、きみは、 

*死ネタ

 遠征艇の帰って来る朝。時枝充ははっと目を覚ました。ざわりざわりと胸が鳴る。なんだ、これはと問わなくても、なんとなく、その正体が分かってしまった。
 学校に体調が悪いと連絡を入れ、パーカーをかぶって本部へと行く。そうして昼頃つく予定の遠征艇を一人、休憩室に座って待っていた。
 どくり、どくり、音がする。こんなとき、煩いよ、と言ってくれる恋人は、今はいない。

 そうして、帰って来た中に、彼の姿はなかった。
―――おまえは、ぼくが忘れろって言っても、忘れないでしょう。
思い出される。
 そうに決まってる、だんっと殴った机は揺れただけで、何が起こる訳でもなかった。そんなことしないの、そう面倒そうに呟く彼はもういないから。いつもとは違う時枝の様子に、誰かが声をかけようとした、顔を上げて微笑む。
 彼がもういないのに、涙を流す気にはなれなかった。



白黒アイロニ @odai_bot01

***

心だけでもあなたの側に 

 もしぼくが死んだら。
 そんな不似合いな言葉を吐いた恋人を、時枝は驚きで見開かれた目で映した。何か悪いものでも食べたのだろうか、そんな失礼なことを考える時枝とは裏腹に、菊地原はじっと静かな表情で続きを綴った。
「遺書書けって言われたの」
「あ、遠征…」
「そ」
時枝の属する嵐山隊とは違い、菊地原の属する風間隊は遠征選抜試験に受かっている。細かいことを言うのならば、嵐山隊は表の仕事があるために受けない、というのが正しいのだが、今はそんなことは関係がないので横へ置いておく。
 菊地原の手元には紙が置かれていた。真っ白な。ペンも何も持っていないところを見ると、何も書くつもりはないらしい。
「でも遺書なんてさ、ぼくはいらないと思ったし。それなら言いたいこと全部、時枝に言いたいなって思って」
菊地原はよく暗いだの何だのと言われているのを聞くけれど、こうして近くに来てみると存外人をまっすぐに見る人間であることが知れる。
「時枝はさ、ぼくのこと忘れないでしょ」
「…自信満々だね」
「誰がくれた自信?」
「オレ?」
「当たり前」
 くすくすと笑う顔はいつものものだ。まるで遺書を書けと言われたことなどなかったように、遠征の先で死ぬことがあるというのを、既に受け入れているように。
「この先ずっと時枝がひとりを貫くってのも、ぼくのあと追ってくるのも、そうしてくれって頼むのも、まぁ悪くないかなって思ったんだけどさ」
そうゆうのじゃないな、っておもって。
「なんかさ、時枝が感動した時とか嬉しかった時…そういう、心が動いた時に、ぼくも傍にいるんだって、思い出してくれれば、良いかなって」
「うん」
「そしたら、遺書の意味ってないよね、って思った」
「うん、そうだね」
 オレは忘れないよ、と時枝は言った。
 うんそれでいいよ、と菊地原は言った。



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旧拍手

***

きれいな花束のための布石 


 贅沢だなあ、と思う。思うので口に出す。すると時枝は何の話? とでも言うように首を傾げる。特に用事もない日の午後。商店街をぶらぶらと歩いている。
「おまえと一緒にいられること」
「そうなの」
「そうだよ」
「菊地原がそんなこと言うなんて意外」
「知ってる」
「自覚あるんだ」
「あるよ。意外だから記念日にする?」
「何記念日?」
「菊地原記念日?」
「それじゃあ誕生日みたい」
「まだ先だよ」
「知ってる」
 じゃあ、と手を引いてそのまま先に見えていた花屋へと向かう。これください、と言えば花屋のお姉さんは時枝のことを知っていたらしくちょっとテンションがあがっていた。時枝の頼みだから写真に一緒に写ってやって、そうして花屋をあとにする。
「はいこれ」
「オレにくれるの」
「あげるよ」
「オレのため?」
「自分のためだよ」
「菊地原のため?」
「うん」
多分店頭で一番きれいに見えたものを選べたと思う。ゆらゆら揺れる赤い花。嵐山隊の隊服の色みたいな。
「ま、ちょっとした先行投資みたいなものだけど」
「先行投資」
「外堀」
「それオレに言っていいの」
「知らない」
「てきとうだなあ」
「てきとうだよ」
 きれいな花は時枝の手の中で揺れていた。そういえば花の名前を聞くのを忘れたので、結局記念日の上に冠する名前は得られなかった。



花屋に行って「そのとき」のきれいな花を選ぶというのは、自分の美意識を刺激される行為だと実感します。パーティのためでも、誰かへのプレゼントでもない。週に二回くらいの頻度で花屋に行く暮らしは、たいそうな贅沢。
松浦弥太郎「雨の日は花を買う」

***

君のいない朝は来ない 

 いつか死んじゃうかもしれないんだよ、なんて菊地原は思ってもいないことを口にする。絶対に生きて帰ってくるつもりのくせして、そういうことを時枝に言う。
「菊地原のそれってさあ、おまじない?」
「かもね」
「意外」
「ぼくもそう思う」
二人で笑って、こうして寄り添って。それが奇跡みたいなことなんだって本当はずっと知っている。だからこそのおまじない、なのかもしれなかった。
「人間はね、いつか死ぬよ」
「うん」
「もしかしたらオレだって明日事故で死ぬかもしれないし」
「時枝のことは流石に迅さんが見てるでしょ。広報部隊が事故で死ぬとか縁起悪いし」
「そうかもね」
 でも世界は万能じゃないよ、と言えば時枝のくせになまいき、と鼻をつままれたのだった。



魔法瓶に一晩泊まってゆくといい 銀色のお湯になれる幸福 / 嶋田さくらこ

***

寝付けない夜が続いている 

 ボーダーに所属する以上、そしてその中でも広報として活躍する嵐山隊にいる以上、こうなることは仕方なかった。遠征に行きたいという積極的な気持ちがなかったのもあるし、嵐山隊であることを誇りに思うことこそすれ、嫌だと思うことはなかった。やることが多くて大変だとは思うけれども、それだって遣り甲斐に感じている。そもそも出会うことが出来たのは、話をすることが出来たのはボーダーがあったからだし、それは少しだけこの街が侵略されたことを喜ぶような行為に思えて胸がちくりと痛んだけれどもきっと彼が今日も横にいたらまたどうでも良いことを気にしている、とぶすくれた顔を見せてくれたことだろう。
 けれども、それがない。今日だけではない、此処数日そうだった。仕方ない、A級である以上、そして遠征を望んでいる以上、この時間のことは付き合うことになった時に納得しているはずだった。事実、身体はしっかりと休めている。ただ深く眠れてはいないな、と思うだけで。
―――今日は心音が少しうるさいね。
そんな憎まれ口を叩く恋人が、傍にいないというだけで。
「きくちはら」
誕生日にプレゼントだと言って突き付けられた猫のぬいぐるみを抱き締める。
 彼が帰ってきてひと目を気にしないで良いところまで一緒に行けたら、一番に抱き締めようと心に決めながら。



(きみがいないからだよ)



アメジストはほくそ笑む
http://nanos.jp/xxamethyst/

***

なんでもしってるよ 

 明日、と隣を歩く時枝が言葉を発しようとするのを菊地原の耳は静かに捉えていた。
 いつだかこの関係が始まったくらいに、隠し事なんて出来ないんだからね、と言ったのをしっかりと覚えているはずだけれど、それでも時枝はそれに甘えて言葉を尽くさないということをしない。それについて何かを言うと、でも菊地原はこころが読める訳じゃあないでしょう、と返される。それは確かにそうだけれど。菊地原が分かるのは心音の変化くらいで、嘘発見器の真似事くらいは出来るけれども時枝の言うとおり、こころが読める訳じゃあない。
 黙っていればそれは肯定と取られるので、時枝はだから、と続けた。
―――だから、オレはオレの言葉で菊地原に言いたいんだよ。
それに菊地原はうん、そうなの、と返しただけだったけれど、時枝のことだからしっかり反応を見ていたのだと思う。
「明日、」
「うん」
学校から本部へ向かう道、その合流地点から並んで歩くだけなのはお付き合いをしている高校生として見てみたら、ひどくつまらないものなんだろうなあ、とも思う。思うけれども菊地原も時枝も、結局現状で満足してしまっているのであまり改善は見られなかった。ボーダー隊員なんてものをしているのだし、菊地原に至っては遠征部隊にだって選ばれているのだからいつ死ぬかなんて本当は分からないのだろうけれど、特別なことを特別だと思って出来るほど器用じゃなかったのかもしれない。
「防衛任務ないよね」
「一応ね」
「うちも珍しく休みなんだよ」
「うん、知ってる」
 嵐山隊のスケジュールは風間隊とは違った意味で過密で、だからスケジュールが出たら真っ先に知らせてもらっている。菊地原が合わせている、という訳ではないから文句はない。でもそういうところくらいこっちに丸投げしても良いのに、と思うことはあった。そのうち言おう、と思ってそのままになっている。
「猫、」
 こうして何か言い出すのだって、考えてみると時枝の方が多いのだし。
「猫に会いに行かない?」
「家?」
「ううん、河原の横の道、入ってくと集会場があるから」
「なにそれ」
「この間教えてもらったんだ」
「誰に?」
「とみおに」
「とみお、そういうの詳しいの」
「分かんない。教えてくれたの初めてだし」
でも時枝が言い出すことには菊地原だって興味がない訳ではないし、時枝が楽しいのが伝わってくるので見ている菊地原だって楽しくなるし。言葉にはしないけれど。
 時枝にはサイドエフェクトがないから、菊地原は言葉にすべきだろうのに。
「菊地原」
そんな会話をしていれば、本部はすぐだった。
「考えといてね」
そう言って別れる。
 小さく手を振った背中が曲がり角に消えていくのを、菊地原は無性に小石でも蹴り飛ばしたい気分で見ていた。

 そうして翌日。
 喧騒に耳が慣れないなんてことは今更なかったけれど、やっぱりこっちの学校の方が五月蝿いな、と思いながら校門にもたれかかる。時枝は決まった行動をする、菊地原とは違って。だから此処で待っていれば良い。
 連絡だって取ろうと思えば取れるのに、結局間違うとは思っていないから携帯はポケットに入ったまま。
「ときえだ」
そして、聞き慣れた足音を見つけた。
「菊地原。来てくれたんだ」
駆けてくるその姿に身を起こす。連絡くれたら良かったのに、とは言われない。
「うん。暇だったから」
あと猫に会わせてくれるって言ったでしょ、と菊地原が言うと、時枝はいつもの顔でうん、言った、と頷く。その頬に少しだけ笑みが乗っているのが分かる人間はたくさんいるだろうけれど、その鼓動が小鳥のように跳ねていることを知っているのはたぶん、世界でも菊地原くらいしかいない。聴覚強化のサイドエフェクトなんてそう珍しいものでもないから、本当はそんなこと、ないんだろうけれど。いつもの道から離れて進んでいく。喧騒が遠ざかっていく。
「ときえだ」
 河原の道が近くなって、人の目も遠くなって。
「ぼく、疲れた」
時枝が振り返る前に、だから、と続ける。猫ばかりの集会場で、幾つか文句を言ってやろうと思いながら。
「手」
 引っ張って、と前方に突き出した手がどうなるか、菊地原はよく知っているから。



image song「恋」back number

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夜は一人でも怖くない 

 誰だろう、と思っていた。かろがろしいと云うには慎重さがあって、それでも何処へでも行けそうな足音で。気付いたらその音にばかり耳を澄ますようになって、ああ、これを一目惚れだと言うんだな、なんて。
「菊地原」
それがまさか、何処へも行けないだろう時枝の音だなんて、一体どうして誰が予想出来るだろう。



文字書きワードパレット
4 一目惚れ/耳/足音

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20211129 改定