覚醒への墓標 

 ソファーに沈み込んだその呼吸音はひどく安定したもので、時枝充という人間がそこで間違いなく眠っていることを示している。遠目に見たら目を瞑っているだけにも見える静かな眠りが、菊地原は嫌いではない。
 ふいに、安寧さえも齎すその喉が、こくり、と動いた。夢でも見ているのか、それと連動して僅かに唇が動く。だれかを、呼んでいるのか。息だけの言葉が、菊地原に理解出来る訳もない。
 その首筋に手を伸ばして、押し付けるように掌を宛てがう。ん、と身動ぎをして瞼が持ち上がる、覚醒の瞬間にその眸に映り込むことは。
 「おはよ、ときえだ」
「…おはよ」
これを快感と呼べないのなら、この世界にきもちのいいことなど何処にもないのだ。



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「目を瞑る」「快感」「ソファー」

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絶対支配領域 

*「覚醒への墓標」続き

 ふかふかと背中が沈み込むソファーの上で、微妙に歪む視界に文句を言うことはしない。目覚めてすぐこんな目にあうのは、初めてのことではなかった。けれども抵抗一つ、文句一つないでそれを受け入れているのは、別に諦めたからではない。
 その行動に時枝が、彼なりの理解を示しているからだ。
 菊地原は時々こうして時枝に触れる。支配権を誇示するように、もしくはぐずる子供ように。此処が居場所だと、確認する行為のようで。
 縋るような瞳で掌を首に押し付ける、そんな菊地原を振り払うことなど、時枝には出来やしないのだ。



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「歪む」「支配」「ソファー」

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世界でいちばん美しいところへ 

 「どっか、行っちゃおっか」
そう言ったのは時枝だった。
「ちょっとオレも疲れちゃった」
「時枝でも疲れることあるんだね」
「オレのことなんだと思ってるの」
「人間だと思ってるけど、そういう弱音吐くイメージなかったから。安心した」
ふふ、と笑って見せる時枝の手を、菊地原はそっととる。とん、ととん。やさしい音の伝わる手。
「何処いこっか」
「菊地原と一緒なら何処へでもいけるよ」
それもそうだね、と笑い合う。
 するり、とどちらからともなく指を絡ませた。鞄にお財布と、ICカード、それからお菓子を詰め込んで。書き置き一つ、さがさないでください。どうせ今日は非番の日だ。

 煩い原因―――佐鳥と歌川(双方に悪気はなし)が、二人の小さな逃避行に気付いてもっと煩くなるのはまた別の話。



「とっきー! 菊地原とばっか一緒にいないでよ!」
「菊地原! 時枝に迷惑掛けてないだろうな!」

秋桜 http://nanos.jp/yukinohana7/

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擬似的ネクローシスの反復 

 左側の視界がごっそり失われていた。もくもくと上がる黒煙が右側も邪魔をして、ああ早く収まってくれないかな、と思う。けれども漏れ出るトリオンは生身で言う血液みたいなものではあるのだから、この欠損だとすると止まるまでに時間が掛かりそうだ。
「時枝さぁ」
少し離れた場所で菊地原がぽつり、呟いた。
「そんな状態でまだぼくに勝つ気なの」
 カメレオン禁止のハンデをつけてもなお、その差は明確だ。もとより時枝がサポートを得意とする性質であることも勿論あるが、それだけではいられないことも分かっている。息を吐く。
「は、菊地原、それで煽ってるつもり?」
 気付かれないように内腿に力を込めた。一瞬、一瞬で良い。トドメを刺そうと徐々に詰められる距離。油断なんてきっとしてくれない、菊地原はそういう人間だ。だから、チャンスは一瞬。
 その刃がこちらへ届く前に、この刃が彼を穿けば良い。



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「煽る」「内腿」「徐々に」

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その一瞬を 

 見せつけるみたいにきらり、こちらを狙う刃が光るのが見えた。その瞬間までがスローになって見えるのに、身体はまったく動かないままで。これが動けばなあ、なんて思う。死に面しているというのにひどくのんびりした思考だ。動けば、このピンチをチャンスに変えるだなんてことも言えるしい、何よりこの勝負を奪える、のに。
 ぐさり、胸を貫いたそれは痛みにすらなれない。限りなくゼロに近く設定した痛覚は、損傷箇所を伝える程度の役割しかしてくれない。
 赤い血の代わりに黒いトリオンが漏れ出て、平坦なアナウンス。
『トリオン供給機関破壊、時枝ダウン』
 それを聞いた唇の、吊り上がり方ももう憶えてしまった。
「…菊地原」
「また、ぼくの勝ちだね、時枝」
 ああ、なんて嬉しそうに笑う。



「見せ付ける」「痛み」「赤い」
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一緒に帰ろう 


 とん、と目の前に降り立ったその赤はもう既に見慣れたものだった。
 「………なにしてんの」
さすがに呆れの方が先に来る。
「迎えだけど」
「ばかじゃないの…」
後ろの方からきゃあきゃあという声が聞こえて来た。進学校と言えどもミーハーはいる。テレビの中の有名人が目の前にいるとなれば尚更だ。それが、分からない時枝ではないだろうに。
「仕事終わったの」
「オレがサボるような人間に見える?」
「見えないけど」
「すぐそこで仕事だったから、そのまま来てみた」
「もう、ほんと…」
その台詞が嬉しくない訳はないが、如何せん状況が状況だ。恐らく対面にいるのが菊地原なので、一応校内では菊地原とて一目置かれる存在であるので、今は遠巻きに見られているだけだが、一定数そういうのを気にしない人間というのはいる訳で。
「とりあえず、行くよ」
ひっつかんだ手の温度はトリオン体だからか分からなくて、それが少し勿体ないと思った。



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ふたり、手を繋いで 

 「じゃあおまえはひとりでもしあわせになれるの」
「なれるよ」
すぐに返って来たその声はひどくやわらかい。
「でもさ、菊地原」
 するり、髪の間を指がとおっていく。
「おまえといる方がだんぜん、しあわせになれるにきまってるよ」
 そんな当たり前のこと、と言わんばかりに鼻を鳴らしてやった。



私、思ったんだ。ひとりでしあわせでいられない人は、誰かといてもしあわせになれないんじゃないかな。 / 北川悦吏子「ロングバケーション」

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図書室の窓辺 

 眠っている。それは見ればわかった。呼び掛けようとしたその声を飲み込んで、静かにその正面へ回り込んだ。春の光がやわらかく窓から差し込んでいて、それとはうらはらにまだ冷たい風が通り抜けて行く。
 静か、だった。別れの名残もそこそこに、始まった部活動の声も気にならないほど。
 時枝充は誰も拒まない。そう思っている人は多いのではないか。そんな幻想を菊地原は嘲笑う。彼の擬態は殆ど完璧に近い。彼の隊長の方もその言葉にとても良く似合う性格をしてはいるが、菊地原はその隊長よりも時枝の方が重症であることを知っている。
 こうして眠っている時だけ、彼は安心して本性を曝け出す。誰も知らない弱い時枝充を、なんとしてでも守ろうとやわらかい拒絶の膜を作る。それが、菊地原には心底愛おしい。
 あれほどに、あれほどに! 人を愛してやまないというような表情をしてみせる、そんな人間の腹の中を垣間見ているようで。
「ときえだ」
小さく呼び掛けると、肩が僅かに揺らいだ。
「きくちはら…?」
「そだよ、起きて」
きっと時枝自身も知らないであろう、薄暗い、やわらかいいばらのことを。
 菊地原は誰にも教えるつもりはなかった。



図書室の窓辺に眠る姫君が纏う荊のやわらかな棘 / みずたま

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首をなくしたデュラハン 

 ないと困る、という訳でもなかった。ただ、落ち着かないというだけで。最初から切り離されていた、そんな気もするのに、ずっと手に持っていたような。
そんな気もして。
 まるで、有名なライトノベルのようだった。なくしてしまった首を探している、でもないからと言って困ることは別段ない、そんな感じで。そもそも感覚としては最初からくっついてなどいなかったのだ。接合していない身体の一部など、元からないのと一緒ではないか。ライナスの毛布だとか、もしかしたらそういう類のものだったのかもしれない。其処まで考えて、くあ、とあくびが出る。
 手元の課題は一文字だって進んではいなかった。目が勝手に壁掛けのカレンダーへと走って行く。今日の日付は先ほどとは変わらない、丸のついた日までまだ三日もある。
 遠征組の帰って来る日。それが、赤く記された丸の意味。
「…はやく、三日経たないかな」
はやく帰って来ないかな、そう言わないのは立場を理解しているから、そう言えたらよかったけれども。
「オレが世間体気にしてること、言ったらきっと怒られるよね」
 いつもなら容赦なく怒ってくれる、大切なひとがいない日々は、あまりに味気なかった。




青色狂気 @odai_mzekaki

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指をからませて手をつなぐ 

 「とっきーはしずかだね」
先ほどまで延々と呪詛を吐いていた口が、唐突にそう零した。
「しずか?」
「うん」
菊地原の言った意味が分からなくて聞き返す。確かに彼の呪詛を黙って聞いていたという点では静かだったのだろうが、きっと彼の言いたいことはそういうことではない。
「静か。とーっても、しずか」
するり、手遊びのように指が手の甲を滑っていった。
 「きくちはら」
呼ぶ。逃げるように離れかけた指を捕まえて、そのまま絡める。
「…ほら」
不満気な顔がこちらを向いて、
「むかつくくらい、しずか」
余裕なさそうに染まった目元が、やたらと愛おしかった。



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20211129 改定