存在しない五秒間 

 水を打ったようだ、と思う。提出しようと差し出した書類、触れた指先。周りの音が一瞬で消えてしまって、世界に二人だけになったような。
「林藤」
じっと見上げてくる目にそろそろと手を離そうとすると、そうじゃないと首を振られた。
「林藤」
「呼ばれるだけじゃ分かんないよ、城戸さん」
 触れ合っている指先だけが今此処に存在している証明のようで、眩暈さえしそうだ。
「今なら、」
ゆるり、とその指が動く。輪郭をなぞるように、爪の先から第二関節まで。
「今なら、何をしても、見なかったふりをしてやる」
第二関節をくるりと回った指に、小さく息を漏らす。ほんと、とこぼれた言葉は呆れとそして、慈しみじみた気持ちと。
「城戸さんて、そういうの、下手だよね」
「…自覚はある」
あるんだ、と笑って身を屈める。
 この触れるだけの五秒間のことは、二人だけの秘密なのだ。



6ca
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***

Fluch

 ぼてり、とその小さな身体が地面に伏すのを見ていた。ああ、これは泣くな、とその予想通りに一瞬の間を置いて、浮かぶ大きな水の球。それに慌てて駆け寄ったその男はいつものように笑顔で、ぶつけて赤くなっている小さな膝に、手をかざしてみせた。
「痛いの痛いのとんでけー!」
大仰な仕草で泣き喚く子供にそう唱える、その背中をじっと見つめる。
 まじないが効いたのか子供はすぐに泣き止んで、また駆けていった。
「…お前は、あの手のまじないとは無縁だったな」
出会ったのは勿論、あの子供よりもう少し年がいってからであったけれど。
「まぁね」
振り向いた顔はあの頃のものと良く似ていた。
「憧れのひとに構ってもらえるなんてさ、おまじないなんて必要なかったんだよ」
だってほら、麻薬みたいなもんだったから。
 悪戯を思いついたようなその顔に、少しだけ顔を顰めて。
「あでっ」
デコピンをひとつ、打ってやった。



痛いの痛いのとんでいけ
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黙って泣きやがれ 

 「城戸さん」
唐突に名前を呼びたくなったのは、会議が終わってその空間に二人きりになった瞬間のことだった。
「何だ」
「殴って良い?」
「良い訳ないだろう」
間髪入れずに返って来る答え。もっと、はぁ? だとか何言ってんだとか、そういう反応をくれても別に減りゃあしないのに。
 ぴくりとも動かない―――訂正、少しばかり眉が上がったり眉間の皺が増えたりはするが、基本的には動かないその表情が憎い、なんて。
 「城戸さんはもっとこう、………」
じっと見つめる瞳に首を振る。言ったところで伝わらないなら。



(言わない方がマシだ、なんて)
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伝染する動作にまだ気付かない 

*忍田視点

 その傷を負ってからというもの、薄くなった皮膚が感覚を強調でもするのか、その人は其処に触れることが多くなった。それと時期を同じくして、一緒にいるのを見ることが増えた同僚にため息を吐く。
 別に、そういうものに反感がある訳ではない。男所帯で、生命の危険に晒されるようなところで、本能だとかそういうのを抜きにしてもそういう関係が出来たって可笑しくない。そもそも最初からスキンシップの多い奴だったのだ、それが今更少し増えたところで、目に余るものなんて何もない。
 そう、思うのに。
 いつしか目に止まるようになった癖に、胸の辺りがもやもやとわだかまるのを感じる。恐怖、名前をつけるならばそんなところだろうか。何もない、左のこめかみの辺りを薄くなぞる、癖。それが誰から来ているものかなんて。
 きっと気付いていないのは本人たちだけで、それが ひどく、不安にさせるのだ。



イトシイヒトヘ
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死することそれがすなわち彼の中で生き続けることになるならこの命ですら 城戸林←最

*風刃ネタ

 二人だけだった。
「最上さん、なんか良い案あります?」
「ねーなぁ」
「じゃあ玉砕覚悟で突っ込みますかー」
ここ、だめにする訳にはいかないですからねー、と笑う後輩を見遣る。いつものようにへらへらと笑った顔に、無駄な力は入っていない。いつか、こうなることを予想していたのだなぁ、とそう思うと、その成長に悲しささえ感じる。
「城戸さんの期待、裏切れないし。あの人にこれ以上背負わせるのも、ね」
「そーだな」
「あーあ、損な役回りっすよねー」
からからとした笑い声が青空に溶けていくようで、ほんとうに死ににいくみたいだな、とそう思った。
 死。明確に言葉にしたそれに、喉の奥が軋む。
 そして、思いついてしまった。
「林藤」
「なーに、最上さん」
「一個作戦思いついた」
「まじでっ」
「ちょっと目ぇつぶってろ」
はぁい、と素直に閉じられた目を確認して、近付く。触れるだけのそれが、ずっと願っていたそれが、電流みたいに胸を満たしていく。
「もがみ、さん?」
「林藤、」
驚いて見開かれた瞳を裏切るみたいに、今度は後頭部を押さえ付けて深く口吻けた。まだ戸惑いの方が勝るのか、仄かな抵抗なんか押し込めてしまえる。
「、は。な、にを…」
「お前がさ、」
ゆらゆら揺れるそんな目を見ていたくなくて、そのまま抱き締めた。
「城戸さんしか見えてないの、分かってんだよ」
ひくり、震えたのは喉か。
「分かってるけどさ、これ消せなくて」
「最上さん」
「だから、今、」
「最上さん、アンタ、」
何言ってんだ、と続けるつもりだったのだろう。それをまた塞いで、意識を集中する。
 もがみさん。
 最期に聞こえたのが縋るような呼び声だったなんて、それだけでもう、充分だ。



ヴァルキュリアの囁き
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生きている証明をして下さい 

 額から頬にかけて大きく切り裂かれたその形に、ひっと息がこすれるのを感じた。駆け寄ることも出来ずに固まる身体を、隣の忍田がぐいぐいと押していく。
「…林藤」
確かな声が自分の名前を呼ぶのが、まるで悪い夢でも見ているみたいで。わなわなと震える唇を抑えつけるのに精一杯で、何かを言う余裕なんてなくて。
 近くまでやった、これで仕事は終わったと言わんばかりに忍田がくるりと身体を転換する。お大事に、と投げ捨てられた言葉が少し怒って聞こえたのは、もしかしたら自分のためだったのかもしれないな、と思った。そういう、今はどうでもいいとさえ言えることには頭は回るのに、目の前のその人に対しては何をすることも出来ないで。
「…たくみ」
呼ばれる。下の名前をこの人が呼ぶ時は、専らこちらの機嫌を取りたい時だともう分かっている。
「…まさ、む、ねさ、ん」
やっとのことで呼んだ名前はこれ以上ないほどに震えていた。
「なんだ」
いつもと同じ調子で手が伸ばされる。それがこちらの頬を捉えて、でもその感覚が冷えていく身体に紛れてしまって。
「なん、ですか、それ」
「少し、相手が強かった」
「でも、」
「仕方ない、私が未熟だっただけの話だ」
「だって、」
「匠」
頬から滑り落ちた手が肩から腕をなぞって、そのまま掴んで引き寄せる。人形のように倒れ込んだ身体が、ぎゅっと抱き締められた。
「生きてる」
耳元で囁かれる。
「生きているぞ」
 そうやってやっと絡まった視線。誘われるようにして、未だ震える唇を開く。
「じゃあ、証明してください、よ」
なんて情けない声だろう。
 そうは思ったけれども、傷痕に侵されたその顔がこの上なく安心したように笑うのだから。
 ああ、本当に。

* 宵闇の祷り
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きらいにならないで 

 そのほころびに気付いた時、がらがらと世界が崩れていくような気がしていた。そりゃあ勿論、負の感情とかそういうものが、彼にないと思っていた訳ではない。いつか来ると思っていたはずなのに、目の当たりにしたそれに息が止まるほど苦しくなった。
 拒絶する、冷たい目。振り払われた手。
「そんなに甘い考えでいられるか」
絞り出すようなその声に、少しだけそうした原因を恨んだ。
 本当は、本当は分かっているのだ。だってあの人は賢い人だから。物事の本質を見抜ける人だから。でもそれが出来ないでいるのは別段その目が曇ったわけではなく、曇らせたくなるような出来事があっただけのこと。見たくない見たくないと、目を覆う子供のように。泣き喚くことが出来ないその人には、それくらいしか逃げ道がなかったから。
 それなら、と林藤は思う。
 それなら、貴方の敵になるから。味方の中でも、貴方にとって油断ならない、過去を魅せつける存在であるから。どうか。
 どうか、この世界を。



白黒アイロニ
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飲めないコーヒー 

 にがいなぁ、と、笑う横顔を見ていた。手元には黒い液体の入ったコップが見える。
 紙コップが出てくるタイプの自動販売機。その前でばったり、出会った後輩はいつも通りのへらへらした笑顔を呈した。派閥としては対立している城戸と林藤ではあるが、別段仲が悪い訳ではない。同じタイミングで飲み物を買いに来たからと言って、じゃあ、と避けて通る意味もない。
 そういう訳で二人並んで備え付けのソファに座り、飲み物を飲んでいるのではあったが。
「ミルクも砂糖も入れるの忘れちゃって」
その表情はやはり軽薄なもので、にがいことにそこまで苦しめられているようには見えない。
「取り替えるか」
「城戸さんの微糖だっけ」
「ああ」
「いいや。大して変わらないし」
気持ちだけもらっておく、ともう一度口をつける様を観察する。今度はぎゅっと目頭の辺りに力がこもったのを確認出来たので、少しだけ満足して自分のコップに口をつける。
 毎回だ。香りの薄いそれを飲みながら思う。元々小さな組織で共に戦ってきたのだ、今は対立しているとは言え好みくらいは知っている。嗜好が変わっていなければ、林藤は甘党のはずだ。それが今はにがいにがいと言いながらコーヒーを飲み、更には煙草まで吸っている。
「何でお前はそう毎回…」
「ん?」
 こくり、と喉仏が上下するのが見えた。
「コーヒーは、飲めないんだろう」
「ああ、これ」
 今度の笑みは、質が違った。少しだけ自嘲の混じった、諦めたような表情。
けれども妙に嬉しそうで。そのちぐはぐさにつばを飲む。
「城戸さんが飲んでるの見ると、気になっちゃうじゃんね」
でもにがいものはにがいよね、と呟いてからまた口をつける姿に騒いだのは胸だったのか。
 手の中の紙コップが、少し、形を変えていた。



白黒アイロニ
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うつくしいなまえ 

 きどさん、と名前を呼ぶ。それから下の名前で呼んだことはそういえばないなあと思った。思ってからすぐに浮かんできたのはおちゃらけた表情の似合う人で、その人のことを思ったら呼べなくなってしまった。
 「林藤」
返って来る声に、ごめん呼んだだけ、と返す。僅かに寄せられた眉。
「匠」
ああ、それは。



(免罪符ですか)

鈍感なぶんだけ人は 幸せになれるとしても幸せでいい / 佐藤真由美

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お世辞にも愛とは言えない 

 ひどく乱暴的な接吻けだった。
「ッ、き、どさん」
捻じ込まれそうになった舌を思いっきり噛んで距離を取る。
「アンタ、なに、」
何、なんて本当は聞かなくても分かっていた。
 遠征から帰って来てすぐ、何も言わずに掴まれた腕。おかえりもただいまもなしに人目を避けるように暗がりへもつれ込む、その意味が分からない程子供ではない。
「林藤」
「頼むからっ」
落ち着いてくれ、と睨みつける。
 正直泣きたい気分だったが、それを素直に表に出せば更に火を付けることになるだろう。何にとは言わないが。
 城戸はと言えばそんな視線慣れっこだとでも言うように、するり、頬を撫で上げる。そのまま頬骨をのぼって耳朶、辿るように耳殻。
―――たくみ。
流し込まれた声の、その茹(う)だる甘さに酔いそうになる。
「名前、呼べば言うこと聞くとでも思ってんですか」
俺はアンタの犬じゃあありませんよ、と押し返す。その腕の弱々しさが己の単純さを物語っているようで悔しかった。
 城戸もそれに気付いたのだろう、喉が揺れる。
「ちゃんと躾けてやるから安心しろ」
「それ全然安心できないっす」
虚勢でもう一度睨み上げれば、お前は馬鹿だな、と零された。馬鹿なのはアンタだ、その言葉は飲まれる。
 こんな名前もない関係がいつまで続くのか、そんなことを考えてしまう自分のことが嫌だった。



烏合
http://nanos.jp/tachibana/

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20140623
20140725
20140809