ふいに、自分が何もないはずのこめかみに触れている瞬間に気付いた。あれ、と思う。別に目が疲れているとか、そういうこともないはずだった。なら、どうして。怪我をしたということも―――と、そこまで思ってああ〜っと沈み込んだ。これは、これは。間違いなく、あの人の所為だ。思わず観察してしまう、その過程で。その癖が林藤にも染みこんでしまった。
 八つ当たりだ、会議中に、と思いつつも顔を上げてその人を睨め付けようとしてみると、妙な仕草をしていることに気付いた。口元に、手を当てる。あんな癖があっただろうか。そう暫く考えて、またああ〜っと沈み込む羽目になった。あれは、自分の癖だ。煙草を吸う時の、癖。林藤に向こうの癖が伝染ったように、向こうにも林藤の癖が伝染っていたのだ。なんてことだ。恥ずかしい。八つ当たりどころじゃない、これはもう流石に連帯責任だ。
 と、会議中にああ〜っとなる林藤の様子を余すことなく見ていた忍田は、二人が互いの癖を自分の癖にしてしまっていることにもっと前から気付いていた忍田は、盛大なため息を吐いてみせた。



ほれた証拠はお前の癖が いつか私のくせになる / 作者不詳

***

それでもいいよ。それがいいよ。そうしてくれよ 

 「お前は、私に殺される覚悟はあるか」
いつもよりも難しい顔をして何の話をされるのかと思ったら。林藤は目の前で指を組んでこちらをじっと見つめる、その上司に向かってにへら、と笑って見せた。
「…ンなの、当たり前じゃん」
城戸さんはねーの、俺に殺される覚悟。からかうように続けてやれば、案の定顰められる眉。
「………まさか」
不自然に空いた間のことは気付かなかったふりをした。
 この可哀想なくらいに不器用な人が、自分に言い聞かせている形とて、そう断言出来るなら。
 きっと、大丈夫なのだ。



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***

僕らには縁遠いもの 

 もしもさあ、と呟いたことに意味はない。そもそもピロートークなんてするような間柄ではないのだから。けれどもふっと浮かんでしまったものを自分一人の中にうずめておくのも何か違うと思って、だから林藤は顔も上げないまま城戸を巻き込むことにしたのだ。
「近界民なんてものがいなくてさ」
「………明日は隕石でも降るのか」
「城戸さんの中の俺って一体何なの」
大体何を言われるかは分かっているのですぐさま良いやそれは今関係ないし、と自分で終わりを告げる。
「で、いなくて、俺も城戸さんも全然普通に暮らしてて、多分社会人とか。で…そうだなあ、同じ会社の先輩後輩とかだったら、どんなだったかな」
「…想像もつかないな」
「そう? 城戸さん似合うと思うよ、スーツ。いつものボーダーの礼服じゃなくてさ」
「どの服でもネクタイが面倒なのは変わりないだろう」
「………ねえまさか俺がむかーし結んだやつそのまま使いまわしてるとかないよね?」
「流石にない。ちゃんとクリーニングにも出している。この前は唐沢くんにやってもらったか」
「まさか上層部全員にやらせてるとかないよね?」
「根付くんはなかなかにうまいぞ」
「根付さんの心労増やさないでくんない?」
「根付くんも林藤、お前だけには言われたくないだろうな」
「そんなことないですうー。ていうかそうじゃなくてね、普通に暮らしてたらどうだったのかな」
「お前らしくない仮定だ」
「俺だってたらればしたくなることあるんですうー」
「…そうだな」
 ぽん、と頭に手が乗せられる。
「その時はお前にブロッコリーを食べさせることに執心していられたのかもしれないと思うと、少し、惜しい気もするな」
「………もう、好き嫌いしてねーし」



ブロッコリー乗せたシチューは円満な家庭の象徴みたいでせつなし /遠藤由季

***

完璧な週末はどのように始まるべきですか? 

 大人は我慢するものなんだよ、とその人が言っていたのを思い出す。何を我慢していたのか、幼いながらに陽太郎は実のところ、分かっていたはずだった。だってその人は陽太郎の父ではあったけれど、限りなく陽太郎を対等に扱ってくれていたから。それに気付かないふりをしていたのは、陽太郎自身が子供である自分という存在の甘さを最大限に利用しようと、そう思ったからだった。そしてその人はそれを許してくれた、それが悪かったとは、言えないけれど。
「…たくみ」
「お前ってさ、ホントに俺を親と思ってないんだなあ」
俺だってさ、こう、オヤジとか呼ばれてみたい気持ちはそこそこにあった訳だよ、とおどけてみせるその人の頬を包んで、それからそんなことが出来るほどにまで成長してしまったことに絶望した。
「たくみ」
「何」
「もう、おれは子供じゃない」
「知ってんよ、誰がここまで育てたと思ってる」
「そうじゃなくて、」
息を吸う。
 落ち着いて、落ち着けば、言える。
「おれ、好きな人がいる」
「…それも、知ってるよ」
「その人のとこに、行きたいと思ってる」
「…そっか」
上手く行ったんだな、嬉しいことだ、と顔を綻ばせたその人に、きっとこのままはぐらかす気だ、と思った。だから、逃げるな、との意味も込めて、その瞳を覗き込む。
 分厚い眼鏡の、その向こうで。
 ずっと見てきたはずの目が、揺らぐのを初めて見た気がした。
「だから、たくみ、たくみももう、行っても良いんだ」
「陽太郎」
「たくみ、おれは幸せになれる。だから、だから、たくみにも、幸せになってほしい」
「陽太郎」
静かに、首が振られる。
「だめだ」
「なんで」
「陽太郎、俺は親なんだ」
「だからなんでだ」
「俺は、まず親として、お前の方が大事なんだ」
そんな嘘を吐いてほしくなかった。けれども否定することも出来なくて。
 これならずっと子供のままの方が良かった。ずっと子供のまま、この腕の中でぬくぬくと笑っていたかった。



(貴方がいない、それだけですべてが片付くはずなのに)
ask

***

注文の多い料理店 

 もらっていた合鍵を使って扉をあけたらその向こうには遅いという顔をしたその人が仁王立ちしていた。こっちの方があやしげな組織の長っぽいのになぁ、と思いながら林藤はにこぉっと笑ってみせる。
「遅くなりましたー」
「靴を脱げ」
「流石の俺でも人様のうちに土足で上がったりしないよ」
言われた通り靴を脱いで上がろうとすると、揃えろ、と怒られる。
「何度目だ」
「何回目だろうね、今までに食べたパンの数より分かんない」
「…漫画の台詞だったか」
「の、はず」
俺も読めてない、と返した。
 少年時代なんてものはまるでテレビか漫画の中みたいな日常で、本物のテレビや漫画の世界に浸ることはできなかった。それを、後悔はしてないけれど。
「煙草は」
「今日は吸ってないよ」
「渡せ」
「吸わないってば」
俺ってばそんなに信用ないの、と戯けてみせてもその眼光は緩まない。仕方なく箱を取り出して渡せば、ライターもだ、と言われた。ライターだけで煙草は吸えないと思うが、どうやら徹底したいらしい。
 渡したものが靴箱の上に置かれる。ゴミ箱に突っ込まれないだけ良心的な人間たと思うべきか。
「シャワーは」
「浴びてきた」
「何処でた」
「本部」
「もう一度浴びろ」
「ねーえ、城戸さん。本部のシャンプーが気に入んないのはわかるけどさ、別にそこまで気にしなくてもよくね」
「もう一度言う。もう一度浴びろ」
「ねえ、」
「林藤」
じっと、静かな瞳が見つめてくる。静かだけれど、圧力のある瞳。こういうのをみると、この人がトップに立ったのは決められていたことのように思えてくる。
「…はぁい」
降参、というように両手をあげて、勝手知ったる風呂場へと足を運ぶ。背広だけは押し付けるようにして預けた。あがる頃にはきっと好みの香りの消臭剤をかけられていることだろう。
 服を一枚一枚脱いで、それから風呂場へ足を踏み入れて。
「つーか俺、あの人のこと愛しすぎでしょう」
当たり前のことを口に出して、腹の底から笑った。



(耳の裏にクリームでも塗ってやろうか?)

***

あの日のきらめきを僕はいついつ忘れられるでしょうか 


 深夜帯。
 残って仕事をしていた城戸の前に、ほい、と赤が差し出された。
「差し入れだよ、城戸さん」
「…差し入れというのは食べ物が定石ではないのか」
「この時間帯にこの年齢の人に? 城戸さん、もう若くないんだからさ。太っちゃうよ」
すぐに来るんだからね〜という林藤はまだ赤をふらふらと揺らしている。
 薔薇だった。林藤が差し出している赤は、いつか見慣れていたそれではなく、人の愛でるそれだった。
「似合わないな」
「うん、自覚はあるよ。だから城戸さんにあげる」
「不要品処理か」
「適切なところへ贈っている、って言って欲しいなあ」
ほらはやく、ちゃんと棘はとってもらったから。そう言われてそれを押し返すほど、城戸は部下に冷たくはない。
 包装も何もないそれは、ともすればその辺から手折ってきたような印象さえ受ける。しかし先ほどの言い分からするに、花屋か何かで買ってきたのだろう。不要品処理と言いはしたが、林藤がそういうことをしない男だというのを城戸は知っている。
「…一本か」
「うん? 一本だよ」
くるり、回して見る。微かながらも芯のある香りが、疲れを少しずつ癒していくような気がした。
「薔薇の花を一本、というのは、一目惚れ≠ニいう意味があるらしいな」
 見上げたその顔は、いつもと変わらない。元々にやけた表情の似合う男ではあったが、ポーカーフェイスというものを覚えて、それは更に読ませないものに姿を変えた。しかし、城戸もまた、そういうものは見慣れている。
「…へーえ、そうなんだ。城戸さんもそーゆーの知ってるんだね、意外」
「こちらには唐沢くんがいるからな」
「ああ、あの人好きそうだもんね、そういうの」
役立ちそうだし、と付け加えられた言葉に、ふ、と笑う。
「そうか、お前は一目惚れだったのか」
「何が?」
 すぐさま返すのは悪手だ、と思いながら指摘はしてやらない。きっと言った瞬間に、本人が一番分かっている。
「オレが城戸さんに、一目惚れとか? ないと思うけど」
そうして、その焦りは自分の首を絞めていく。
「も≠ニ言っただろう」
「言葉のアヤでしょ」
「いや? 私の知っているお前はそんなミスはしない」
「城戸さん、オレのこと買いかぶりすぎだよ」
 まだまだ甘いな、と思って貰った薔薇を唇へと寄せる。そのままもう一度見上げれば、頬の色はそのままであるものの、耳がほんのり赤く染まっているのが分かった。
「まあ、及第点か」
「なにが〜…」
「もう少し、ポーカーフェイスを磨け。お前はどうせ止めても近界に出るんだろう」
「うん、ってか現在進行形だけどね」
「そんな拙い感情制御では隙を見せるだけだろう」
花瓶があっただろうか、と考えるがこの男のことだ、飾られるために渡した訳ではないのだろう。
「私はお前のボーダー内での動きを疎ましくは思っているが、別に、お前に死んで欲しい訳じゃあない」
 はあ、と大きなため息が吐かれて、そのまま林藤はずるずると机に崩れ込む。
「ンなの城戸さんに対してだけに決まってるだろ…」
どんどん赤く染まっていく耳を見ながら、城戸はそれなら良い、と呟いた。

***

ただ退化していく心 有城戸前提

 がり、と何かを思い出していたのか、力加減が疎かになった爪が林藤の腕に傷痕をつけていく。それにあーあ、とは思うも声に出すことはしない。
「…悪い」
ゆるゆると、その傷に気付いた城戸が頭を上げるのを見届けてから、林藤は首を振った。
「別に、いーよ」
出るのはため息。
「そういうのコミコミで良いっつってんだから、それをオレが責める資格ねーもん」
それは遠回しに責めているようなものではあったけれど。
 「アンタがすきなのは俺じゃねーじゃん」
それだけ、その事実だけ。鋭利に林藤の胸を裂いていく、それだけで今は良い。
 良い、はずだった。



喉元にカッター
http://nanos.jp/rhetoric00/

***

逆襲バロメーター 

 何がしたいのだろう、と林藤は思う。今までもこの人は林藤の思いもよらないことをしでかすことがあったけれども、今回のは本当に意図が読めない。
 今、林藤は城戸によって口内を荒らされていた。キス、などではなくただ指で。まるで愛撫するように丁寧に、と思ったらこちらがえづくのも構わず乱暴に。本当に、何がしたいのだろう。口に指を突っ込まれている所為で、静止の声もうまく上げられない。掴まれた顎がそろそろ痛いし、生理的な涙は浮かんでくるしでそろそろ離して欲しいのだが。
 そう、城戸を見上げると、城戸も同じことを思っていたのかやっと顎が解放された。げほ、と咳き込む林藤の口から城戸の指が抜け出る。
「き、どさん…」
「聞いた話だが、」
城戸が静かに、まるで教壇に立つ人間のように言う。
「人間は性的に興奮すると唾液が糸を引くらしい」
 もしも今林藤が平時のようであったらすかさずはぁ? と返したことだろう。そんな台詞似合わないですよ、何鵜呑みにしちゃってんですか、そんなことあるわけないでしょう、と。余裕綽々で返せたかもしれない。
 けれど。
「林藤」
「ッ、きいた、はなし、でしょ」
「ああ、科学的根拠は知らない」
それでも、と城戸は笑う。
「お前は今、興奮しているだろう?」
 城戸の指にべったりとついた林藤の唾液はその指の間で糸を引いていた。そして林藤もまた、それを否定するだけの余裕がなかった。



https://twitter.com/Carrrr08716/status/525656557866872832

***

眠れる獅子は起こすな 

 この人は自分のことを幼い頃から知っているからか、子供扱いする傾向にある―――林藤は城戸からの扱いについて、そう感じていた。
 二人は今現在、恋人という関係を結んでいる。派閥は違うままであるし、互いにその思想に影響を及ぼそうなどと思ってはいない。関係はそれなりに順調であったと思うし、なかなかに幸せだと林藤は胸を張って言える。
 言える、けれども。
 ここで冒頭の子供扱いに戻る。
 手を繋ぐことは勿論、キスだってしたけれども。どうしてかベッドだけは許してくれないのだ。最初は奥手なのかと思ったがそれにしては手を繋いだり抱き締めたりキスをしたり、接触はまるでためらわずにやってくるのだ。なのに、いざ布団に潜り込めば、明日も早い、早く寝ろ≠ナある。次は枯れているのかとも思ったがどうやらそれは違うらしい、というのをトイレのゴミ箱を漁って知った。これを知られたらあとで大目玉だろうが、それもまた子供扱いのような気がしてきたし、そろそろ林藤には反撃のチャンスがあっても良いはずだ。
 そういう背景があって、今、林藤は城戸を押し倒しているのである。
「林藤」
叱るように城戸が口にする。
「城戸さん」
負けじと林藤も見つめる。
「何で抱いてくんないの?」
「そういう、のは、」
「はやすぎる?」
そんなことはないはずだ。
「…オレ、もう子供じゃないよ」
「見れば分かる」
「つーかもう、良いおっさんなんだけど」
「…そうだな」
「だから、さあ」
「林藤」
 見上げてきた目を見て、あ、と思った。
「お前が煽ったのだから、覚悟は出来ているんだろうな?」



もうずいぶんながいあいだ生きてるの、ばかにしないでくれます。ぷん / 手紙魔まみ(ほむらひろし)

***

数年後ひっぱたかれる +陽レイ

 結婚するか。
 コーヒーを飲みながら城戸が呟いた言葉に、林藤は一瞬反応が遅れた。いやいやいや、と自分の飲んでいたカフェオレを置く。
「城戸さん、ボケにはまだはやいよ」
「呆けてなどいない」
「いや、日本では同性婚認められてないから」
「そうだな」
けれどそれも時間の問題だろう、と平然とコーヒーを啜る城戸に林藤はぽかん、とするしかない。それは確かにそうかもしれないけれど、今はそういう問題じゃあない気がする。
「えーと…」
思わず言葉を探してしまう。
 いや、嬉しいには嬉しいのだ。そういう形ある形に収まるというのはなんとなく証明のようであるし、林藤だって一度は結婚していた身だ。その意味もなんとなく分かっている。
「嬉しいんだけどさ、城戸さん。オレらもう正直結婚してるようなモンじゃね? 他に何やんの」
お揃いのペアリングだって持っているし、殆ど同棲しているようなものだし、これはぶっちゃけ事実婚みたいなものではないのだろうか。
「書類を書く」
「書くって。書いてどうすんの。ってかサインとかどうするの。オレたちだけの問題じゃないし男二人で婚姻届取り行くの? 流石にもらえないと思うよ?」
「此処に酔っ払った唐沢くんと忍田くんがサインした婚姻届がある」
「何やってんの」
頭を抱えるしかない。ちゃっかり妻の方に置かれていることにも頭を抱えたい。
「オレが苗字変わる方なの」
「お前の苗字が変わって困る者もいないだろう」
「いやいやいるってば。陽太郎。存在忘れてないでよおむつも変えたのに」
「アイツは良い嫁をもらうから大丈夫だ」
「意外に育ての親に似ちゃうかもよ?」
「その時は私が責任を持って殴り飛ばす」
「どっちを?」
「相手を」
どうやら意志はかたいらしい。
「林藤」
城戸はそう呼んでから首を振って、
「匠」
「―――」
 頭を下げられる。
「私と結婚してくれ」
「………城戸さん、さあ」
笑ってしまった。
「オレが断ると思ってんの」
「思ってない」
「はは、ジシンカジョー」
 返す言葉はひとつしかない。
「喜んで!」



「オレの恋人のレイジだ」「待て、待って、どういうこと」「匠、歯を食いしばれ」「オレ!?!?」

***

20150809