しるし 

 悪魔は耳の穴から入ってくると言う。
 そんな話を聞いたのは何かのテレビドラマだったか、もう良く覚えていないけれども。諏訪の耳には左にだけ穴が開いていた。開けてみたは良いものの思いの外痛くて、右も開けるなんて正気の沙汰じゃないとそのままにしているらしい。なんつー理由だと最初聞いた時は思ったものだったが、それが現在付き合っている彼女からピアスを貰ったためだと聞いてからは、なんとなくざまあみろという気分になっていた。ざまあみろ、ざまあみろ、何に対してそんなことを思ったかは不明であったが。
 悪魔は耳の穴から入ってくると言う。だから魔除けにピアスをつける。
 そんな続きを思い出したのはそのピアスが外れた頃だった。知らない負け犬のマーキングの名残、そんなことまで思った自分に笑ってしまった。なんだ、簡単なことじゃないか。暫く前に買ってあったピアスはずっと鞄に入っていた。勿論、片方分だけだ。手だけで探り当てて、それを眼前に突き出す。
「あげます」
少し驚いたような顔のその人ににっこり笑う。
「オレは要りませんから」
 そう付け足して押し付けて、その可哀想な傷痕に君臨する自分の印を思い浮かべて、とても満たされた気分になった。



image song「左耳」クリープハイプ

***



*エネドラ後

 夜が腐っていく。饐えた匂いが退いてくれなくて、息が出来なくて、代わりと言うようにキスを交わす。唾液が交じり合って、自分というものの境界が消えたようで、それでもまだ足りなくて。このまま夜と一緒に腐って、自分たちも宇宙の一部になってしまえれば良いのに、そうもならない。朝はまた同じようにやってくる。饐えた匂いも腹の奥に引っ込んでいく。
 死というものは。
 もっともっと身近にあるものなのだと勘違いしていた。
「わかんないですよ、もう」
泣き言のように堤が零した。
「死んだもんな」
「死んだんです」
「わかってるよ」
「眠れないですし」
「オレだって同じだ」
「諏訪さんもっと図太いかと思ってました」
「お前ホント失礼だな」
こんな、こんな。ばかばかしい会話を交わすことが、こんなに尊いことだなんて知りたくなかった。それは流石に言葉に出来ないで、しかしながらどうせ同じものが双方の胸にあることを、互いがもう知ってしまっていて。
 夜が腐っていく。饐えた匂いに混じって、自分たちも腐っていく。死とは終わりだ、そんな当たり前のものが理解出来ていなかった。一つ紛れ込んだらその腐敗が感染していくように、人間は蜜柑と同じだ、死という腐敗から永遠逃げられない。逃げられない。いつか、いつか同じように腐っていく、それが分かってしまえば今がどれほど大切なのか、なんていう道徳じみたものが湧いてくる。
「俺はアンタのこと好きですよ」
「偶然だな、オレもオマエのこと好きだわ」
朝が来る。冷蔵庫のスイッチが入るように。けれども進んだ腐食が消える訳ではない。じわじわと広まるこれは、忘れた頃に唐突に終わりを告げる。だからあの目は見開かれていた、きっとそれを、その時に思い出す。
「…朝なんて来なければ良いのにな」
「そう、ですね」
 傷の舐め合いよりもよっぽど子供の遊びのようだった。



天井の木目の渦がゆっくりと銀河に溶ける 死を知りそめて / 佐藤弓生

***

新しい朝が来る 

 せんべい布団に二人、狭いなんて文句も言わないで転がって。細く開けた窓から冷たい空気が流れ込んでくるというのに、動いたあとでは半袖でも寒さは感じない。
「誕生日なんです、今日」
ぼそり、と呟く。
「今日っていうか、もう昨日ですけど」
 言われたその人は暗闇の中でもぼんやりしているのだろう視線を寄越した。
「たんじょうび」
「俺が生まれた日です」
「ンなことたぁ分かってら」
っていうか昨日ずっと一緒にいたんだから知ってるっつーの。
 少々不機嫌な様子で返された言葉に、嘘はなかった。昨日も訓練室のオペレーション業務が入っていて、いろんな人からおめでとうと祝われていたのを、ずっと隣にいたこの人は聞いていたはずなのだ。なのに、昨日は結局最後までその言葉を言われなかった。
 誕生日を祝われなかったからと言って拗ねるような年齢ではないが、仮にも恋人という関係を結んでいるのだ。それなのに誕生日を知らなかったならまだしも、知った場面に居合わせたというのに一言もないとなれば、流石の堤も一言言いたくはなる。
「俺、多分ですけど、アンタに祝ってもらいたかったんですよ」
「…なんで」
「アンタが好きだからですって」
いつも言わない言葉は、こうして八つ当たり紛いに吐き出すために取っておいたのではなかったのにな、と思う。こんな、こんな。
 子供っぽい理由で。
 聞いていたその人はふうん、とだけ漏らすとごろりと寝返りを打った。それを見てからイラッとした気持ちを抑えて、同じように逆側へと寝返りを打ってやった。何も抑えられていないような気はするが、こんな夜中に怒鳴りつけるよりはましだろう。
「…お前がさあ」
そんなふうにカッカした気持ちを沈めようと頭の中でコーギーの数を数えていると、後ろで声が上がった。
「そんなに誕生日にこだわるとは思ってなかった」
「すみませんね、女々しくて」
「そうは言ってねえだろ」
 とは言うものの声から面倒臭そうな空気がにじみ出ている。
「オレはさあ…割りと独占欲とか強え方だから。お前がいろんな奴に祝われてんの昨日一日見てて、そのあとから言うのってなんか…こう…」
寝返りを打ちなおした。元の方向に戻れば、むず痒そうな背中が闇に浮き上がる。
「プライド、とか…が………」
「………ンなもんより俺のこと大事にしてくださいよ」
「悪かったって」
「何ですか、来年一番最初に言えば良いとか思ってたんですか。今年は今年、来年は来年ですよ。何なんですか、馬鹿なんですか、阿呆なんですか。ひどいです。恋人にあまりの仕打ちでしょうこれ」
「…ッうるっせーなお前!」
「煩くて結構です! オレはアンタが祝ってくんなきゃ誰に祝われたって意味ないんですよ!!」
「ああ!?」
目の前の背中が振り返った。
 双方はあはあと息を荒げながら向き合う。
「………その」
「何ですか」
「…悪、かった」
「俺が欲しいのはその言葉じゃないです」
詰まったその人を、じっと見つめると、諦めたように息が吐かれた。
 少しの光をかき集めるようにして、その唇に全注意を向ける。
「…誕生日、おめでとう」
「…それだけ、ですか」
「…遅くなって悪かった。…お前が………生まれてきてくれて、感謝。してる」
 恐らく照れているであろう、こういった台詞の死ぬほど似合わない恋人がそれでも我が侭を受け入れてくれたのが嬉しくてそのまま抱き着いた。
「ありがとうございます」
「…来年は一番に言ってやるから」
「楽しみにしてます」
一つ年を取ったくらいでは何も変わらないかもしれないけれど。
 とりあえず、二十二歳の一年もまた楽しそうだ。



堤誕

***

おばかさんメロディ 

 もしも来世なんてもんがあったらお前どうすんの、とその人がまた馬鹿なことを言い出したのでオレははぁ、と間抜けな声を出してしまった。
「来世って、今度は何ですか」
「今度はってなんだよ、こちとら真面目に喋ってんだぞ」
「はいはい諏訪さんはいつだって真面目でしたね」
「てめぇ思ってねえだろ」
 じいっとその人の様子を観察してみる。
「だからさ、堤、来世」
諦める様子はなさそうだ。
「来世って、どんな感じの」
「感じってーと」
「全部覚えてる系ですか、強くてニューゲームですか」
「ばっか、そんな都合の良いことがあるかよ」
「都合、良いですか?」
「良いから強くて、なんだろ」
「ああ、それもそうですね」
笑う。
「まあ、そうですね」
「どうすんの」
「どっちにしろ来世ってなってみないと分かんないですし、特にどうもしないです。今のオレは今のオレで手一杯ですし、余計なこと考える馬鹿な先輩の世話もしなきゃですし」
「まさかその先輩は金髪だとか言わねーよな?」
「金髪ですよ、んでヘビースモーカー」
「それで推理小説好き?」
「麻雀も」
「オレみたいな奴だな」
「アンタですよ」
もしも来世なんてものがあっても。
 どうせ同じように馬鹿をするのだろうと思ったら、それで良いような気がした。

***

一心論 

 現代のヒーローは誰だと思いますか?
 ふとそんなことを聞きたくなったのは別に目の前で人間の死を、敵だった人間の死を見たからではない。結果的にそれは向こうのごたごたで死んだのだけれども、そのまま生きてこちらがとらえたとしてもきっと同じ結末になっていたんだろうと、そんなことを思った。
 ヒーローは誰も殺さない。そんなのは幻想だ。それは分かっていたことだったけれども、この組織に入って更によく分かったことだったけれども、そうなのだけれども。しかしどうしても、現実として目の前に突きつけられてしまう、と。
「なに、お前、怖かったの」
 同じ思考をしていたらしい。当たり前だ、この組織に入ってすべての思考は、この人になぞらえたものだった。幼かった堤大地が死んでしまって、それを助けたのがこの人だった。この人、諏訪洸太郎で、それしかなかった。なかったから、同じ思考をする。もしかしたらもう堤大地は諏訪洸太郎なのかもしれなかった。それを、証明する術はない、けれど。
「…そうですね、怖かったです」
「そっか」
「だって死んだんですよ」
「ああ、死んだな」
「あんなに、あんなに…」
「生きてたのに?」
「はい」
こんな問答は意味がなかった。それだって良く分かっていた。それでもやめられない、やめてはいけないとまで思った。だって、こんな問答でもしていなければ、堤と諏訪が違うことを示していられない。けれどもそれも証明には至らなくて、ああでも、本当はそんなことしなくて良かったのに。
 だって堤大地は、
「諏訪さん」
「ンだよ」
「すきです」
「知ってる」
諏訪洸太郎になりたかった。
 幼くして死んだ可哀想な子供を救ってくれたヒーローに、いつかで良いからどうしても、なりたかった。

***

ピンポン鳴らせ馬鹿 

 それは唐突だった。突然にシチューが作りたくなった。自分の家で作っても味気ない、そう思った諏訪洸太郎はその思い立った足でもらっていた合鍵を握り締めその家へと向かった。途中でスーパーに向かうことも忘れない。頭に浮かんだ具材をどすどすとカゴに放り込んで、実のところこういう時一番ボーダーに所属していて良かったな、なんて思う。好きなものを好きなだけ買える、それが食べ物である。幸福この上ない。
 そうして買い物を済ませて勝手に入った台所の換気扇をつけて、ちゃきちゃきと鍋を出してまな板を出して料理を始める。まあよくテレビでやっているようなオシャレなものは出来ないし、同級生のようにちゃんとした家庭料理のようにもならないけれど。
 はやく、帰って来い。
 さっさと出来上がってしまったそのシチューを更に煮込みながら思う。さっきメールはした、したけれども返って来ない。早く返信して帰って来い。ピンポンを鳴らして、そしたら出迎えてやるから。ことことと煮こまれていくシチューを眺めながら、そんなことを思う。はやくしないともっとこれはとろっとろになる。諏訪はその方が好きだけれど。気持ちが、きもちが、煮こまれていくようで。
「………何してんですか、人んちで」
背後でした声に、とても驚いた。
「ピンポンならせよ!!」
 何を隠そう家主である。換気扇の音で玄関の開いた音が分からなかったらしい。
「………なんで自分んちなのにピンポン鳴らすんですか」
 呆れた声に、ああそれもそうだな、と思った。



image song「ピンポンがなんない」きゃりーぱみゅぱみゅ

***

あなたの恋は死に絶えますので 

 諏訪さんに彼女が出来たらしい。そんな自慢話をもうかれこれ三時間も聞いているのだが、この人はこの不良みたいなひどい顔からは想像もつかないほど時折乙女のように真っ直ぐに恋に恋をしているように笑う時がある。それをオレは知っていて、というか知っているからこそ三時間も惚気けに付き合っているのではあったけれども。
 そろそろ。
 限界、が。
 オレはがたりと椅子を引きずる。どうした、なんてのんきな声がする。ジュースくらいなら奢るぜ、だからもうちょっと話聞いてけよ。笑う笑う、わらわないで。立ち上がってかつかつと歩いて行って、ねえ、なんて笑って。
 オレがこんなに中身をぐつぐつに、ぐずぐずにされているのが全部アンタの所為だなんて、本当わらえる。
 一瞬だった、だから多分、犬に噛まれたようなものだ。
「…なんでキスした訳」
「さあ」
笑う。笑ってみせる。
「何ででしょうね」
 諏訪さんにはきっと、一生分からないと思った。分からないでいて欲しいと思った。

***

さいごのはなし 

 堤大地は二度死んだことがある。そして何度目かの死を迎えて、それでも笑って愛してくれる人がいるのでその都度蘇ってくるのだったが。
「諏訪さん」
もう声は返って来ない。バカみたいに頭に響く声はしない。
「諏訪さん、いきますね」
 堤大地はもう二度と死なない。

***

「天国にひとりでいたらこれより大きな苦痛はあるまい」 R18

「ねえ諏訪さん俺、ここって地獄だと思うんですよねえ」
「なに堤クン天国行きたいの」
「諏訪さんが一緒に来てくれるならそっちでもいいですけど」
「無理じゃん、オレら人殺しちゃってんだからさあ」
「殺したのは近界民でしょう、あっちのお仲間さんですよ」
「こっちの世界はゴミ箱じゃねえんだけどな」
「まあ別にどっちでも良いんですよ」
「此処が地獄でも?」
「そ」
「天国も見れるし?」
「それはアンタだけでしょうよ」
「やーん、堤クンつめたーい」
「きしょ」
「そう言うなよ」
「天国って、誰もいないと思うんですよね」
「まあそうだろうな」
「だから俺はそんなとこにいるよか、諏訪さんのいる地獄のがよっぽど天国だなあって思う訳ですよ」
「なにそれ矛盾じゃん。ってかさあ」
「はい?」
「お前って思いの外オレのこと好きなのな」
「…いまさら」
「今更だな」
「ええいまさらですよ馬鹿じゃないですか」
「馬鹿だよ」
「幸せならそれで良いんだよな」
「はい」
「良いんだ」
「そーですよ」
「ふひ」
「やっぱアンタきしょいわ」
「そのきしょい諏訪サンと天国行こうぜ」
「はいはい分かりましたってば」
「愛してんぜ、堤」
「俺もですよ、諏訪さん」



ゲーテ

***

無限ループって、怖くね? 

*死ネタ

 その日、堤大地の大事で大事でこの上なく大事な隊長は顔を曇らせていた。どうしたのかと聞きたかったが、まぁそこは人間、嫌なことくらいあるだろうと、問い詰めることはしなかった。それでも何度も何度も堤の方を見遣るので、これは踏み込んでも良いだろうと問うた。
 なんか、とその人は浮かない顔のまま言う。
「死ななきゃいけねえんだって」
「は?」
差し向けられた言葉は突然のものすぎて、怪訝な顔をするしか出来ない。
「だから、死ななきゃならないんだってさ」
「何でです…?」
「さあ?」
 不明瞭な返事しかない割には、その人の目はいやにしっかりとしていた。これでいいかな、とその人は鋏を拾う。それで何をする気なのか、なんて。
「待ってください、諏訪さん…ッ」
手が、声が、
 じゃきん。
 届かない。

 だーいーちーくーん。
 ばっと、目が開いた。
「おー、何、こえー夢でも見たのかよ」
怖い顔してんぞ、と笑うのは自隊の隊長で。その笑みはいつでも変わらなくて。
「ゆ、め」
震える声がそう紡ぐ。
「夢だよ」
「ゆめ…」
「悪い夢でも見たのかよ。それは夢だ」
「よか、った…」
思わず、涙が零れそうになるのを押しとどめた。そんなことをしたらこの人に笑われるから。身を起こす。どうやらソファで眠っていたらしい。此処は堤の家なのに、どうしてこの人はいるのだろう。寝起きの頭ではそこまで頭が回らなかったし、何よりもこの人が生きていてくれて良かった。こんな仕事をしていても、いつ死ぬかも分からないと分かっていても。
 それでも、怖い。
「なあ、堤、俺さ、死ななきゃならないんだって」
息が、止まった。
 というのは気のせいで、やっぱり堤は息をしていた。
「す、わさん?」
声が震える。なんで、なんで、夢は冷めたはずなのに。なぁつつみ、とその人の目は堤を映す。いやにしっかりしていた。さっきまでの夢と同じように。これでいいよな、と鋏を拾う。そんなところに鋏なんか置いただろうか、でも見覚えがある。
「諏訪さん、待って、何でですか」
「何でって、堤お前、そりゃあ」
首に鋏を突き付けて、また、
「そうならなくちゃいけないからだよ」
おなじ、
 じゃきん。
 その音は堤の手の中から聞こえた。
「お前、馬鹿だな」
大事なその人は笑っている。
「…おれも、つれてってくださいよ」
「やーだよ。お前はすきにしろよ」
知っている笑みだった。大好きな笑みだった。だから、
 じゃきん。
 じゃきん。


***

20150809 編集