欲の深い僕はどうしても詳しくは話したくなくなってしまうのさ。 彼の何処が良いのです? そう吐かれた煙は誂いの色も、嫌悪の色も呈してはいなかった。ただ、純粋に好奇心、といったような。 「…君でもそういう話に興味を持つのだな、唐沢くん」 きらきらと悪戯っ子のように光る瞳に、少しだけ笑ってみせた。 彼、というのが誰を指すのか、今更問わなくても分かっている。先ほどまで同じ会議室に座っていた、あの男のことだ。別段関係を隠している訳でもないので、指摘されたところで慌てはしない。一応、名誉のためにところかまわずいちゃついている訳ではないとは言っておくが。隠している訳でもないとは言ったが、だからと言って公言したりしている訳でもないのだ。 「私だって人間ですからね」 先ほどの質問の意味は、あれが城戸に相応しくない、という意味ではないだろう。城戸と林藤という組み合わせは異色とも思える、そういう意味だ。何故分かるかというと、何度か問われたことがあるからだった。 ふう、とその煙が昇っていくのを見てから口を開く。 「あれの良さは目には見えないところにある」 ほう、とその瞳が僅かに開かれた。好奇心の映った瞳は一欠片の悪意もない。それを見ていると、彼を引き抜いた自分の目は確かだったと、そう思う。能力面でも、人間性の面でも。 「そして、」 唇の端がつり上がる。 「私はそれを、君に教えるつもりはないんだ」 悪いな、と呟けば、城戸司令も人の子なんですねぇ、と笑われた。 * そうだよ、家でも星でも砂漠でも、その美しいところは、目に見えないのさ(星の王子さま) *** それは致死量の愛ですか? *細かいこと考えないひと向け あのさぁ、と吐いた息は思ったよりも呆れの色をしていた。 「ホントに城戸さんって何も出来ないんすねー!」 そんな失礼なことを言われた城戸はと言えば、ぐずぐずと泣いている赤子を前におろおろするだけだった。おむつを手に、どうしたら良いのかと考えているのが良く分かる。 「学校とかでやらなかったんですか。保育園とかに行ってさ」 「そういう授業はあったにはあったが私は老人ホームに行った」 「似たようなモンじゃん〜老人だろうと赤子だろうと」 「違うだろう、赤子は何をして欲しいか言わない」 「はいはい…」 貸してください、と出した手に、丁寧におむつが手渡された。まるで、とてつもなく高級なものを扱うかのような手付きである。そんな緊張しなくても、と苦笑いで受け取ると、そのままテキパキとおむつを替えていく。 それを隣で見ていた城戸が、素直にすごいな、と漏らした。 「そうでもないでしょ。慣れれば出来るよ」 「私には無理だ」 「あのねぇ、城戸さんだってもういい年なんだからこれくらい出来ないと。結婚出来ても奥さんに見限られちゃうよ」 そうでなくても最近は男性も育児に参加! って強く言われてるんだから、そうぐちぐちと続ければ、難しそうな顔がもっと歪んだ。 「本当に、お前は煩いな」 昔と変わらない、と呟かれて、むっと眉を寄せる。 「俺だって成長してますー。現におむつ替えられるし」 「それだけだろう」 手が伸ばされる。不穏の空気を纏って耳の裏を撫でていく指。引き寄せられる寸前、すいっと身を捩らせてその射程圏から外れる。 「…黙って受け取っておけば良いものを」 「そういう訳にも行かないでしょう」 子供の前ですよ、と険しい顔をしてみせると、怖くないぞ、なんて言ってくるものだから肩パンしておいた。 そのまま視線を少し落として、城戸さん、と呼びかける。 「俺にはこいつで手一杯ですよ。…でもそうですね、もしもこいつが手がかからないくらいになって、それでも物好きな誰かさんが待っててくれるってんなら、話は別ですけど」 「言ったな」 「俺は別に城戸さんだなんて言ってませんよ」 「お前みたいなのを好くような物好きが三人も四人もいてたまるか」 「ひっでえ!」 顔を上げる。目の前の頬には彼の精一杯の微笑みがのっていて、それだけで。 * 確恋 http://85.xmbs.jp/utis/ *** マシンガントーク ぺらぺらぺらとよくもまぁ飽きもせず。目の前で引っ切り無しにしゃべり続ける、おしゃべりロボットと言われたら信じてしまいそうな男を、半目で眺めていた。山積みになった仕事の合間、休憩は必要だと誰もいない食堂でカップラーメンを啜る間も、それは鳴り止まなかった。それでいてちゃんとラーメンは減っているし行儀もそこそこ良いのだから不思議だ。 まだこちらの器が半分残っている中、目の前の男はごちそうさま、と呟いた。静かになったのはその一瞬だけで、また言葉の雨が降り注ぐ。音の洪水だ、それほどまでに話したいことが、良く見つかると逆に感心してしまう。 しかしながら、城戸は食事は静かにしたい派だった。そして、口で言ったところでこのおしゃべり人形が止まることはないと分かっていた。 「わっ!?」 なので、胸ぐらを掴むと、 「え、…う、ん!?」 そのまま接吻けた。 驚いているのか抵抗も忘れているその口腔内を好き勝手に荒らす。それはもう本当に好き勝手に。苦しくなったのかようやっとたしたしと胸ぐらを掴んだままの手が叩かれて、仕方がないので解放してやることにした。 大きく息を吸い込んで咳き込む姿に、また半目になる。確かに唐突ではあっただろうが、彼にも経験の一つや二つくらいはあるはずだ。そこまで咳き込むこともないだろう。 げほ、と涙目になりながら見上げてきた顔は何故、と問うていた。ので、答えをやる。 「煩い」 「…うるさ、って…」 げほ、ともう一度大きな咳をすると、はぁ、と長く息が吐かれた。 「う、わー…城戸さんてこういうことしちゃうタイプなの。やだー。誰にでもしてんの? もしかして俺が知らないだけでみんなされてたりする訳? タラシー」 後半に勢いが戻ってきたのを確認して、それから置いてあった箸を取る。まだ途中だった麺をすする。なんか言ってよ、と喚く男に、麺を咀嚼して飲み込んでから一言。 「煩いと思うのなんてお前くらいだ」 ぽかん、とした顔をしたまま止まっている男に、普段からこれくらい静かであったらなぁ、とそんな夢物語みたいなことを思った。 * image song「マシンガントーク」ポルノグラフィティ *** 美味しい朝食を食べる方法 *なんか都合の良い未来の話 まだ少し寝ぼけた顔のその人が食卓につくのは日常ではない。珍しいことでもなかったが、そう毎回やっていられる訳でもない。今はまだ良いが少し昔は対立する立場だったのだ、本人たちはそうは思っていなくても。そういう立場を考えるだけの頭はあった。 もっもと黙って朝食を頬張るその様を観察するように見つめていた。 「ねー城戸さん」 その喉がこくり、と口の中のものを嚥下してからなんだ、と返される。 「美味い?」 それ、と指差したのは今日の朝食だ。 目玉焼きに付け合せのボイル野菜、たまねぎのスープにこんがり焼けたトースト。簡単なものではあるがこちとら腕によりを掛けて作った朝食だ。不味いなんてことはあるまい。 その自信の通りに、まだ眠たげな顔をしたその人はこっくりと頷いてみせた。 「美味い。お前の作るものは大体美味い」 予想以上の言葉によっしゃ、と小さく拳を作る。それから、ねぇ、城戸さん、と本題を投げかけることにした。 「俺さぁ、これでも男で一つで陽太郎育てて来てんのよ」 そりゃあ最近は木崎が飯担当ではあるけどさ、と笑う。 「だからさ、めちゃくちゃ美味いーって訳には行かないかもだけど、そこそこ美味いモンは作れちゃうんだよね」 「そうか」 「ね、城戸さんもさ、どっちかって言ったら美味しいものが食べたいと思わない?」 じろ、と胡乱な視線が投げられる。 「林藤」 「なーに」 まるで今から説教するぞとでも言いたげな厳しい顔だが、これはただまだ眠いだけなのだと分かっていた。分かってはいたが、心なしか背筋が伸びる。 「もっと簡単に言ってみろ」 「…分かってるくせに」 「それでも言わせたいんだ、分かれ」 「っとにもー、城戸さんってそういうとこ意地悪いよね」 変わんない、と睨みつけてみてもまずそもそもの顔の造りからして、威嚇というかそういったものの度合いは負けていた。別に勝ちたい訳でもないが。 真っ直ぐな視線の中に幾許かの期待と、こちらを急かす色を織り交ぜて、凝り固まった表情筋に少しだけ、笑みを乗せてみせるなんて、卑怯だ。 一度唇をやわく噛んで、それから決心をして、目を瞑って若干叫ぶように。 「俺と一緒に暮らしませんか、城戸正宗さん!」 机の上に置いたままだった手が取られた。 「…喜んで」 その甲へと接吻けられる、そんな行為にすら気障などとは思わなくなっているのは、もう慣れとかそういうものではない。 「…まぁ、時々は私もつくろう」 「城戸さん作れんの」 「作れない訳ではないレベルだ。玉子焼きくらい巻ける」 「へー楽しみにしてる」 「不味くても残すなよ」 「自信なさげだね。でもだいじょーぶだって」 へへ、と熱の冷め切らない頬で笑う。 一番すきなひとと食べるものなら、なんだって美味しいに決まっているのだ。 * 一番星にくちづけを https://twitter.com/firststarxxx (「っていうか俺の家玉狛だけど玉狛に住むってことで良い?」「お前の料理ならば何処でも良い」「うわーうわーはずかしいよこの人」「誰の所為だろうな」「俺!?」「お前以外に誰がいる」「ですよねー!」) *** 失くしものに慣れ過ぎたこの手が満ちる時 *事後表現あり 白い波、などとはよく言ったものだ。ぼんやりする頭でぐしゃぐしゃになったシーツを眺めながら思う。確かに歪められて高低差のついたそれは、波のように見える。 「たくみ」 少し上から声がした。 ゆるゆると頭をもたげると、いつものオールバックを乱したままのその人が見下ろしてきている。そういえばあれは自分がやったのだったな、と思い出した。そのままにされているのはなんとなく、許されたようで悪くない。 「こういう時だけ名前呼びになるアンタの狡いとこ、俺すきだよ」 「そうか」 手が伸びて来て、くしゃり、髪を撫ぜていく。こういう、恐らく子供扱いをしようとしているのであろうところも、それなりに好きだ。 「私は、こういう時でも頑なに名前を呼ばないお前がすきじゃない」 「ははっ、それはどうも」 丁寧とは言えない、こちらのことを慮っている様子だって感じられない。けれどもすべての埋め合わせをするような、この時間は嫌いではない。 「…お前は、悪趣味だ」 「なんとでも言ってよ」 同輩でも先輩でも、こんなにはっきりは言わなかった。ただ、不毛だとは言われた。一つひとつ、この人の落としたものたちを丁寧に拾い上げていくこの行為を、隠すつもりなどなく、まるで宣戦布告のように見せつける。それを悪趣味だと言われても、別に痛くも痒くもない。 だから、笑う。 「お前は馬鹿だな」 「はいはい」 いつか、それが意味を持てば良いと、そう願いながら。 * (貴方が、笑ってくれたら) image song「ガーネット」cocco *** 酷く今さらな話ですね きらきらとした瞳が分厚い硝子に遮られるようになって、どれだけが経っただろう。二人とも子供だった時分には軽々しく口に出来た言葉も、こうして年を経てしまったことで難しくなることがある。それを悲しいとは思いはしないが、少しだけもったいないと思うことはあった。 「林藤」 呼ぶ。 「なーんですか、城戸さん」 いつものように感情の読みにくい胡散臭い笑み。それでも返事はきっちりするのだから、そのちぐはぐさに少し笑った。 「何、人の名前呼んどいて笑うとか」 「悪い、思い出し笑いだ」 「思い出し笑いする人ってえろいらしいですよ」 「試してみるか?」 「ンな男子高校生みたいな誘い方やめてくださいよ」 城戸さん自分の容姿分かってる? なんて些か失礼な言葉に、いちいち突っかかることはしない。 もう慣れたこと、そう言ってしまえばそれだけかもしれないが。そんな失礼な言葉も、彼なりのコミュニケーションであり愛情表現だとわかっていれば、許せてしまうのは。 林藤、ともう一度呼びかける。何ですか、と返されてから、首を振った。 「匠」 「…なんです、正宗先輩」 昔の呼び方。くすぐられるのは脳の奥か胸の奥か。 「好きだ」 「俺も好きですよ」 「愛している」 「俺も愛してます」 顔を見合わせて笑う。 言葉にしてみるとそれがどれだけ当たり前になっているか、再認識出来てやたらと可笑しかった。 * イトシイヒトヘ http://nanos.jp/zelp/ *** 咲かない花、鳴かない鳥。(無価値と君は笑うだろうか) *最林前提城戸→林 中身のない墓の前に、こうして立つのは何度目だろうか。墓石を綺麗に掃除して、花を替えて、線香を上げて、手を合わせる。もう此処にはいないその人間に、届けたい想いがあるかのように。 その静まり返った横顔を見ながら、城戸は苛立ちが腹の底で煮立っているのを感じていた。悲しみだとか悔しさだとか、前に進もうとしないこの男を、過去に囚われ続けるこの男を、どうにかしてやりたいと。そういう感情たちが入り混じった手が、その肩を掴む。 「忘れてしまえ」 そのまま、引き寄せた。見せつけるように、手放したことを後悔しろとでも言うように。 そこには、何もいないのに。 本当はずっと黙っているつもりだった。別に身を引くことが美徳だと思った訳ではないが、それでも身を引いても良いと思うくらいには二人して幸せそうな顔をしていたから。 なのに。 あれは明確な選択だった、もう少し立場が違えば裏切りだと罵っていたかもしれない。 「だめだよ、城戸さん」 思考を遮ったのはそんな言葉と、丁寧に肩の手を退ける彼の掌だった。 「俺は天邪鬼だもん。忘れろって言われたら言われた分だけ、覚えていたくなる。忘れられなくなるよ」 ごめんね、と落とされた言葉は墓の方を向いていた。 「馬鹿でごめんね」 約束、守れなくて。 そう石に向かって、笑って見せる、そんな横顔に。愚かしいなどと、言える訳がなかった。 * 一人遊び。 http://wordgame.ame-zaiku.com/ *** 気の済むまでキスして 「今日から一週間禁煙してみろ」 城戸がそんなことを言い出したのは会議が終わったあとのことだった。 「何、城戸さん急に」 「少し実験してみたくなった」 「実験て。本人前にして言っちゃうんだ?」 ぶは、と堪え切れないと言ったように林藤がふき出す。ぎろり、と睨まれはしたがここ数年、なんていう付き合いではないのだ。気にもならない。 「じゃあさ、」 いつもの悪戯を思いついたような表情が城戸を見上げる。 「俺が煙草しばらく良いや、って思うくらいの体験をさせてよ」 「………おまえは、」 そういう、と目を細めてみせる動作も、林藤には通用しない。だからそう分かっていてやっていると分かる林藤はその笑みを湛えたままで、引っ込めるつもりもない。 「もっと、気の利いた言い方は出来ないのか」 「カワイイオネダリがご希望なら風俗にでも行ってきなよ」 「誰が行くか」 「それはさ、俺以外じゃ無理って意味?」 苛ついたような乱暴さでネクタイが掴まれる。わあ、とわざとらしく声を上げてみせる林藤に、城戸の温度の読み取りにくい視線が落とされた。 鼻と、鼻がくっつきそうな、距離。 「………好きにとれ」 苦々しく吐かれた言葉のその後は、ご想像の通りなので説明は割愛させていただこう。 * 確恋 http://85.xmbs.jp/utis/ *** 最初も最後も一瞬 *黒トリ化 触れ合うことなんて、出来なかった。 ただ時折交わす目線が、妙な熱を持っている。それを知っているのはその目線の先にいるその人と自分だけ、そういう秘密に酔っていた。 若くなかった、そう言ってしまえばただそれだけのことなのかもしれない。林藤の方は既に一児の父であり、それを放り出して自分のために走れるほど、非情な人間にはなれなかった。 放り出そうと、思っていた訳ではない。けれども何度か夢想しては、そうでもしてしまえばその人は自分を見限るだろうと、その選択が正しいのだと言い聞かせていた。 そうして子供から手が離れる頃、何度目かになる大規模侵攻が起こった。 戦況は、芳しくなかった。 こうなることは事前に迅の未来視で分かっていた。それが一番良いんだろう、そう言ったら迅は泣きそうな顔をして、何年経ってもこういうところは変わらないな、と思った。 「お前は、それを聞いた俺が意見を変えると思った?」 「…思わなかったよ。でもね、支部長(ボス)、おれは、アンタの甘いところに賭けたかったんだ」 「そっか。期待裏切って悪ィな」 「支部長(ボス)、」 その先の言葉は首を振って殺した。何を言っても無駄だ、というのが分かったのか、迅がそれ以上何を言うことはなかった。 書類はすべて揃っていた。玉狛支部長の退任と、その後継についての書類も、ちゃんと揃えてあった。あとは本人が判子を押すだけだ。まだ、何も話していないけれど、きっと迅が説得してくれるだろう。 ギリギリまで待って、迅は言った。そうならなくて良い未来を探すから。泣く寸前の顔をして縋りついてきた子供を裏切るのは少しばかり心が痛んだが、戦況が此処まで悪化してしまえばもう一刻の猶予も許されなかった。 玉狛支部を出て、久しぶりにトリガーを起動する。そうして走れば、本部まではすぐだった。慣れた道を通って管制室まで行く。 「きーどさん」 突然現れた林藤に、其処にいた誰もが驚いたようだった。 「ちょーっと俺とオハナシしてくんね?」 じっと見つめると、諦めたように息が吐かれた。 「場所変えよ」 「…分かった」 指揮は今回も忍田に一任のはずだ。最高責任者であるこの人が数分外したところで、困ることはあるまい。 それが分かっているのか、管制室の誰もがそれを止めなかった。ただ指揮を担っている忍田だけが、止めたそうな顔をしていたくらいで。 ひと気のない廊下に出ると、開口一番にやめろ、と言われた。その言葉に迅から聞いたのだな、と笑う。 「城戸さん」 でも、もう決めたのだ。 「俺の我が侭、聞いてよ」 「林藤」 ふわり、と自分が光り始めたような心地がした。消えていく視界の中でその瞳が少しばかり燦いた気がして、それが泣いてるように見えて笑う。 「城戸さん、おれはね―――アンタに全部、あげちゃいたいんだよ」 形の変わった自分がその掌に落ちて、その感触がさいごだった。 * 夢見月 http://aoineko.soragoto.net/title/top.html *** 美しい嘘の呼び名 その人は絶対に、林藤の目を見ない。 分厚い書類に没頭していた林藤は何かに呼ばれたような気がした。しかしながら気がしただけで確実に呼ばれたと分かった訳でもないので、気のせいと思って書類の続きを読み進めていると、突然その書類がなくなった。 「林藤」 書類を追って顔を上げると、怖い顔をした城戸が其処にいた。 「なに、城戸さん」 「呼び掛けても答えないから」 「集中してたからね」 俺の集中力知ってるでしょ、と言えば知っている、としかめっ面で返された。 顔を上げたからと言って書類が返って来るでもなく、恐らく手を伸ばしたところで避けられるだけなので大人しく見上げるだけに留める。 「林藤」 「なに、城戸さん」 城戸が、用もなしにこういった行動をする人間ではないことを林藤は良く知っていた。だから、待つ。彼の薄っぺらい唇が、一体全体何の理由をもってして、真面目に勤労している後輩の邪魔をしたのか。 じっと、その唇が紡ぐ理由を待つ。 「お前は、」 掠れて、今にも消えそうな声だった。 「お前は、私の敵でずっといろよ」 何処か乞うような色をした、その声。林藤はそれに、笑ってみせた。何でもないことのように、ずっと前から知ってたと言うように。 「了解、先輩」 いつものように、からからと。 「あ、城戸さん。これとこれ、どうせ城戸さんとこ持ってく予定だったやつだから、今持ってっちゃってよ」 「…この横着者が」 「そう言わずに!」 すぐに日常会話へと移行させたら、呆れたと言ったように城戸はため息を吐いた。その指が先ほど指し示した二枚を引き抜いていく。 林藤は知っている。本当は城戸はそうは思っていないことを。 それでも彼がそう言うならと、林藤は騙されたふりでその願いを叶えてやる。それが幸せならば、それが脆い鎧ならば。 人はそれを烏滸がましくも、愛と呼ぶ。 * 烏合 http://nanos.jp/tachibana/ *** 20140709 20150809 編集 |