お願い、風間さん、ちょっと玉狛来てよ。胡散臭い笑みの似合う後輩から珍しく真剣な顔で拝み倒されて、一刀両断するほど風間は冷血な人間ではなかった。 ワーカーホリック・ターミネーション 「…あれは何だ」 「何って、五徹目の支部長(ボス)かな…」 部屋の扉を薄く開けて、廊下からそっと、二人は中を覗いていた。今にもその影から近界民でも出てきそうな、おどろおどろしい空気を醸しながら机にかじりつく、その姿に風間はため息を吐く。 「五徹目…」 「なんか本部から一気に書類回ってきたらしくてね。でももう、緊急性の高いものは一通り終わってるから休んで良いはずなんだよ。ってかこういう時こそ俺ら使えば良いと思わない?別に重要性高いやつな訳でもないんだしさ」 もう若くないのに、自分の仕事ってなるとびっくりするくらい譲らないの。更に続く迅の愚痴など耳に入らない。五というふざけた数字に頭痛さえする。 「…あれを、どうしろと」 「出来れば寝かせてやって欲しいんだよねー」 強制的にでも、と困ったように笑う迅。 「俺にどうしろと言うんだ」 お前たちで駄目なら俺でも駄目だろう、と言外に言えば、じゃん、と何やら部屋の外に置いてあった小さなキッチンワゴンを指差された。 「ここに眠剤入りのコーヒーがあります」 「あるならそれを出せば良いだろう」 「やってみたよ」 でも駄目だったの。あの人、自分で用意したもの以外一切口にしないの、と迅はお手上げのポーズを取る。 「あれこれやったんだけどね、最終的にトリガーでたたっ斬られそうになったから強攻策は諦めた」 それで、懐柔策(風間)という訳か、とため息を吐いた。 「風間さんならさー、最終手段があるでしょ」 そう唇を指し示す迅に頭を抱えるしか出来ない。 「…何処で聞いた」 「いやあ、おもくそ酒入れると口軽くなるよね、ボス」 「くっそ…」 迅が言っているのは、聞くまでもない、まだ風間が林藤に師事していた頃の話だ。今よりも身体の弱かった風間はよく風邪をこじらせて、しかしその無駄なプライドの高さから、看病されることも薬を飲むことも拒んでいた。それをどうにかしようと為された強行手段が、口移しでものを与えること、なのである。ちなみにこの作戦を思いついたのは太刀川だったそうで、後日全快した風間が一方的に彼を叩きのめしたのは、また別の話だ。 「まー俺たちがやっても良かったんだけどさ、というかやろうとしたんだけどさ」 「…したのか」 「うん。でも悉く躱されちゃってー…結局全員この部屋立入禁止って言われて、風間さんに頼ったわけ」 サイドエフェクトでもどうにもならないことってあるよねえ、と弱ったように笑う迅を、責めることなど出来そうにもない。三度目の大きなため息を吐いて、風間は立ち上がった。 「飲ませるにしても、場所はどうするんだ」 「んー…あんま動かそうとして疑われてもなんだし、この部屋のソファ、結構いいやつだし、そこで良いと思う」 「…分かった」 「成功したらブランケット、持っていくから俺はここで待機してんね」 扉に手を掛け、一度振り返る。 「迅」 「なに?」 「この作戦は成功するのか」 澄んだ眸がじっと、こちらを見透かすように見た。 「…うん」 ほろ、とその真剣さが消える。 「絶対、成功するよ」 だから大丈夫、とその言葉を背に、扉を開けた。 ノックもなしに開いた扉に、顔を上げた林藤はぽかん、としていた。 「お久しぶりです」 「蒼也じゃねえか。何、もしかして書類の催促? 悪い、まだ終わってねえんだよ」 「いえ」 「え、違うの?じゃあ、」 喋っている間に、その机の向かいへと到達する。迅から受け取ったコーヒーをおもむろに口にした。 そして、眠気で頭が回ってないのか、ぼうっとこちらを見ていた胸ぐらを掴むと、 「え、ちょ、は!?」 唇を合わせて、それを流し込んだ。 こくり、と喉が動いたのを確認して離れる。 「………ぬっる…」 まず第一声がそれで良いのかとも思うが、眠気を限界突破しても動き続けている人間に、まともなツッコミなど意味がないだろう。二口目を含んで、もう一度唇を合わせる。やけにコーヒーが甘いのは、彼が疲れていることを考慮してのものなのかもしれない、なんて思った。上司思いな部下を持っているようで何よりだ。 「…以前とは、逆ですね」 「え、あー…もしかして、そういう」 「はい」 あまり部下に心配をかけないでください、と言うと、悪い、と素直に反省が返って来る。三口目を流し込み終わると、その目がとろりとして来たので、手を引いてソファへと向かった。こんなに早く薬が効く訳がないので、おそらく、何かしら口にしたことで気が緩んだのだろうと思う。 よろよろと覚束ない足取りの林藤を座らせて、その隣へと腰を下ろす。確かに迅の言ったとおり、それなりに良いソファらしい。ふかふかとしていて心地好い。 「…やば、ねむ…」 「寝てください」 「でも、」 「緊急性の高いものは終わっているんでしょう? あとは他に書かせるなりしてください、仕事待っているようでしたけど」 「んー…」 がくり、と首が揺れる。これ以上何を言っても耳に入らないかもしれない。そう思った風間は、その頭を自分の膝の上へと移動させる。 「…これくらいは、妥当でしょう」 眼鏡を取り上げてサイドテーブルに置くと、あーと間の抜けた声がした。 「かっこよくなったなー蒼也」 優しげな眸でこちらを見やる目に、手を当てて視界を遮る。 「ありがとうございます、寝てください」 「んー…」 暗くしたのが効いたのか、すぐに規則正しい呼吸が聞こえてきた。入り口の方を見遣ると、迅が入ってくる。 「はい、ブランケット」 「悪いな」 「んーん。こっちの問題だったし、別に。 でも風間さん、時間とか大丈夫? 任務とか」 「任務は入っていない。自主練の予定はあったが、それはずらせば良いだけだ」 「あーごめんね。俺でよければ埋め合わせするけど」 「じゃあ模擬戦でも入れるか」 「りょーかい」 電気、消しとくね、と迅は部屋を出て行く。 暗くなった部屋で、風間はまたため息を吐いた。膝から伝わる温もりになんとなく眠気が湧いてきて、くあ、と一つあくびをする。携帯を操作して自主練中止の旨を送信すると、目を閉じた。 起きてからのことは起きてから考えれば良い、そう思いながら。 * https://shindanmaker.com/169048 睡眠薬で、なにをしてもしばらく相手が起きる気配がありません。 20140519 *** さようなら、私の我慢の上に成り立っていた日常よ。 ふうふうと荒い呼吸の音がしていた。これでも抑えている方なのだろう、そう思うとその小さな身体が内包する辛さというものはいかほどなのかと頭を抱えたくなる。 「お前さあ、ほんと、強情ね」 そう呟けば、風間はうっすらと目を開けてみせた。 じとっとした目線が林藤を見上げる。それだけで、彼のプライドの高さを窺い知ることが出来るレベル。こんなふうに苦しむより、さっさと治して修行でもなんでもに時間をあてた方が有意義だ。そうは思うも、流石に言わない。 「ほら、こっちむけ」 だけれどもこのまま風邪を引いているのを放っておく訳にも行かない訳で。 そういう訳で、林藤は強硬手段を取ることにした。しぶしぶと言ったように顔ごと林藤の方を向いた風間のその頬を、むにっと掴む。風間は元々子供体温ではあるが、その頬はいつもよりも熱い。こりゃあまずいよな、と思う。病院にも行きたがらない、薬も飲みたがらない、けれど保護者として、放っておくことも出来ない。 「はいはい良い子だな」 そう言ってから、風間の目の前で風間の分の薬を飲んだ。 びっくり。風間の目を見開かれて、何か言おうとしたのかその小さな唇が開かれる。それを見逃さずに口付けると、そのまま口の中にとどめていた薬を流し込む。 「んッ、う、ううっ」 苦しそうにばたばたと暴れる腕には力がない。熱で体力が落ちているのだこの馬鹿、と思いながらもその唇を離すことはしなかった。 やがて、小さな喉がこくり、と動いたのを確認して離れる。 「りんど、さん…?」 はあ、と息を上げる風間に林藤はにこっと笑いかけた。 「うし、飲んだな」 「そ、のために?」 「そうだけど?」 他に何の理由が? と首を傾げてみせると、風間の目がこれでもかと言うほどつり上がった。おおこわ、とわざとらしく震えてみせると、まだ近くにあった手が肩を掴む。 「う、お」 「これ、」 「ん?」 「こんなこと、誰にでもやってるんですか」 きょとん、と。そんな効果音が似合いそうな顔をしていただろう。 「林藤さん!」 「え? え、あ…まさか」 そんなに嫌だったのか、と頬を掻いてみせる。だがしかし元を辿れば風間が薬を飲まないからなのだ。林藤は保護者としての責務を果たそうとしただけで、何の非もないと思いたい。 「お前みたいに風邪引いてダダこねるやついないし」 「いたら今の、やるんですか」 「そういう訳じゃあ…」 「じゃあ俺だけなんですね!」 腫れてでがらがらの声がそう叫ぶので、思わず頷いてしまった。 「なら、良いです」 満足したように肩から手が離れていく。 布団をかぶりなおしてまた横たわった風間に、何がしたかったんだ、とはてなを浮かべるしか出来なかった。 「じゃあ、また少ししたら様子見にくっから」 「林藤さん」 踵を返そうとした身体は呼び止められる。 「誰の、入れ知恵ですか」 「入れ知恵ってお前…」 「林藤さん、こういうこと、思いつかないタイプでしょう」 子供のくせに、とは思わなくもないが、その通りなので頷いてやる。 「太刀川だよ」 「太刀川?」 「そ。お前があんまりに薬飲まないんで愚痴ったら、提案してきた」 アイツ頭使えるんだな、なんてさり気なく失礼なことも付け足した。 その答えに風間は納得したようだった。そうですか、とそれだけ呟いて布団を引き上げる。子供の行動はよくわからない、と部屋を出ていこうとしたところで、また林藤さん、と呼び止められた。 「さっきの、」 「ん?」 「俺だけってやつ」 「ああ」 布団の隙間からこちらを伺うように見ている風間。その行動が可愛らしいな、なんて思う。 「約束、してください」 「約束?」 「俺だけにしかしないって」 「え、別に良いけど」 お前、やだったんじゃないの。そう聞くより先に、約束しましたからね! との声に遮られた。勢いに押されて頷く。 すると途端にその頬がきらめいて、やはり子供は良く分からないな、と扉を閉めた。とりあえず、太刀川には礼を言わなければ。 そんなことを思っていた林藤は、風間が布団の中で太刀川フルボッコ計画を練っていたことなど、勿論知らないのだ。 * 20140802 *** 貴方の世話を焼く特権を ぱち、と電気のついた眩しさで目が覚めた。 「あ、風間さん起きた? 夕飯だから、一応起こしに来たんだけど」 「夕飯」 「そ。今日はレイジさんの肉肉肉野菜炒めだよ~」 勿論、ボスのために消化に良いものも作ってあるよ、と続けた迅に風間は頷く。 「そうだな、この人のことだからどうせ真面な食事を摂っていないんだろう」 「アタリ。殆ど水で済ませてたみたい」 お腹いっぱいになると眠くなるしね、と言われればそれもそうだな、としか返せない。 眠りに落ちる前と同じく、その頭は風間の膝の上にあった。 「林藤さん」 その髪の毛の間を滑らせるように頭を撫ぜれば、ん、と眠そうな声が上がる。 「夕食だそうです。起きられますか」 「んー…」 暫く肩を揺らし続けると、その目がぼんやりと開かれた。 「………そうや?」 「はい。夕飯の時間だそうです」 「ゆうはん…」 「腹減ってるでしょう」 「…いわれてみれば?」 「じゃあ起きましょうか」 ゆるゆると持ち上がった頭はまだ眠そうだった。寝かせてやりたいところではあるが、真面なものを食べていないとなればそうも行かない。どうせ病院に行くまでもないとゴネるのだから、こちらでやれるべきことはやっておくべきだ。 そんなことを思いながら迅のあとをついて階下へと下りる。 木崎の作る夕飯の、いい香りがふわりとした。 * (まだまだ玉狛連中にすべて渡してやるつもりはない) 20141024 *** 20211129 改定 |