アンタがそんなことを言うから、オレはいつまで経っても「嫌いだ」なんて言えないでいるんだ。 patriotism へらり、とした顔でそいつは今日も笑った。 「…根暗め」 「褒めるなよ」 「褒めてねえよ」 ゆらゆらとトリオンが漏出するような空間に、エネドラはふんぞり返って座っている。ふんぞり返ってなどいるのはせめてもの抵抗だった。延々とぐだぐだ話を続ける、この目の前の男に対しての。 ねぇ、聞いてよ。そんな一言と共に男が曖昧な空間から、ずるりと這い出てきたのは成長痛で痛むその角が、黒く染まった日のことだった。 「ハァイ、君、名前は?」 頭が割れるかと思うほどの痛みの中、問われるままに答えていた。 「へえ、エネドラか」 良い名前だね。そう微笑んだ男が本当にそう思っていたのか、エネドラは分からなかった。 男は自分の名を名乗らなかった。エネドラも、聞くことはしなかった。 荒れた大地を前にして、思った。この国はこのままでは衰退していくしかない。同じように軍人として国に生命を捧げる中で、このままで良いのだろうか、と肩を並べた友人と呟いた。これは戦争だ、とこの国が気付いたのは相当な痛手を負ってからだった。蹂躙と強奪をやっとのことで防いで初めて、自分たちが弱者に相当すると気付いた、馬鹿な国。 トリガー。新たな文明を支える、根幹のもの。それを使うためには人間の持つトリオンというものが必要で、アフトクラトルはその点では強者になり得る条件は満たしていると言えた。荒れ果て傷付いていても、人間はまだたくさんいる。この時ばかりは大国であったことを喜んだ。 兵士を募り、研究を進め。そうして強者への階段を一歩一歩登っていくこの国は、それでも決定打に欠けていた。 「トリガーにはまだ一段階上の黒トリガーというものがある」 集められて言われたのは、そんなことだった。若い兵士ばかりだった。上官が黒トリガーについて淡々と語っていくと、彼らの目はきらきらと輝いた。そんなものがあるのか、それがあればこの国は安泰だ…若い兵士というのは愚かにも理想にしがみつきたがる。それは自分も同じだった。隣に座る友人と息を弾ませながら、この国の未来が約束されたような気持ちになっていた。 「しかしながら、黒トリガーというのはそう簡単に生産出来るものではない」 上官は難しい顔で続ける。 「けれども、それを成し遂げる素質というものは存在する。君たちを集めたのは言うまでもない、君たちに黒トリガーを精製する素質があると、我々は踏んでいるからだ」 ひゅっと、息を飲む音が各所から聞こえた。この国のために、そう捧げる兵士にとっては、あまりに光栄な任命だった。 「君たちには期待しているよ」 そうして上官が合図をすると、扉の向こうからわらわらと研究員が現れる。兵士たちは一人ずつ、彼らについていった。 ついていって、彼らが還ってくることは二度となかった。 最初に言われたのはイメージをしろ、ということだった。狭い部屋の中で静かに精神統一をしながら、どういう武器を作りたいのか良く考えろ、と。 最初考えたのはそこそこ機動力があり、比較的誰にでも発動出来る武器だった。黒トリガーというのは使う人間との相性というものが存在する、そういうものを考慮して精製して欲しい、研究者が更に与えてくれた知識にはそうあった。 すべてを注ぎ込むイメージで。言われた通りに、最初は上手く行かなかった。そもそも入隊してから真面にトリオンと言うものの使い方など習っていないのだ。しかし少しずつその使い方も分かって来て、そのイメージはゆらゆらと完成へと近付いているような気がしていた。 しかし、どうしても精製までは漕ぎ着けられなかった。 頭の中で警鐘が鳴るのだ。それ以上はいけない。リミッターでも存在するかのように、集中がばちん、と途切れるのだ。 今日も出来ないのか、と若干苛々とした口調の研究員に頬を掻く。すみません、と形ばかりの謝罪を述べた。 「…あの、」 「何だ」 「俺の身体って、どっか異常とかありますか?」 「健康診断ではないと出ているが。何か気になることでもあるのか?」 一つ。仮定が浮かんでいた。 「ええと…気になることっていうか、黒トリガー作ろうとして集中すると、呼吸の仕方とか、そういうのが、分からなくなりそうになるんですよね。なんていうか、そのまま死んじゃいそう、っていうか」 へら、と笑ってみせる。なんてことない、弱音。そう取られれば良い。 研究員の顔が、さっと歪んだ。それで、ああ、と思った。 「そんなことはない」 確かにひよっこの兵士だけれども、その唇の震えを見逃すほど鈍くはない。 「極度の集中に、感覚の齟齬が起こっているだけだろう。安定剤なら処方できるが?」 「いえ、遠慮しておきます」 ただ、あの日隣にいた友人のことが気がかりだった。 本日何度目か分からない電流に、叫び声を上げる気力ももう残っていなかった。 「賢いというのは損だな」 あの問答をしてから数日して、扱いは一変した。拷問紛いに苦痛を与えられ、束の間の休息を与えられる。せめてもの救いは投薬はされなかったことだろうか。恐らく、投薬すれば集中力に障りが出るからなのだろうが。 傷付いてぼろぼろになった身体で思うのは、ただ憎悪だった。何がこの国のためだ、きらめいていた自分を殺してしまいたかった。素質があるなんて、あまりにも見え透いた甘言だ、どうして気付かなかったのだろう。 未来のために死ねと、それくらいの価値しかないと、そう言われただけだったのに。 そんなふうに自分を抱き締めて、絶対死んでなんかやるものか、そう苦痛の中で思っていた。 だから、目の前に投げ出されたものが何なのか、理解するのに時間が掛かった。 悲鳴のように喉を通って行ったのは友人の名前だった。息も絶え絶えのその姿は、同じように答えにたどり着いてしまったのだと問わなくても分かった。 「お前たちには選択肢をやろう」 硬い表情のまま言う上官を見上げる。 「どちらか一人を、見逃してやる」 その言葉に、恐らくもう、残っているのは自分たちだけなのだろうと感じた。 家族、なんてものはいなかった。それは友人も同じだった。瓦礫の山に隠れるように、寄り添うようにして生きた、そういう背景を知っていたのだろう。 「…僕が、」 呻く友人に思わず蹴りを入れた。 「ふざけるな」 胸の内で爆発を感じていた。恨みなのか怒りなのか、もう分からなかった。けれども形は違えど、これは国のためになるのだ、と思ってしまった。 あの荒れた大地でひもじい思いをする子供は、減るのだろう。そんな偽善的な想いに、思わず涙が溢れた。 「…お前は、残れ」 友人は賢かった。此処で生き残って、この先国に関わり続けるとしたら友人の方が適役だ。 ばち、と自分の中の思考が統合されていく音がする。その中で、けれど、と思った。言い訳のように、祈りのように、友人の名を呼ぶ。 「お前に会えて良かった」 だから、最期の我が侭だ、これを呪いにさせてくれ。 きゃっきゃとあちらこちら寄り道をしながら何度も何度もなぞられた物語に、エネドラは盛大にため息を吐いて見せた。 「だからアンタ、こんなに性格ワリィのか」 「だから褒めないでってば」 「だから褒めてねえよ」 すっとその表情に影が差す。 「ほんとはねーアイツにしか使えないものになる予定だったんだけどね」 それが最善だったはずなのに、と男は言った。そうすれば、男の友人の生命は保証されただろう、それはエネドラでも分かる。 「何でそうしなかったんだよ」 「だって、アイツが死んだ後でもこの国は続くから」 真っ直ぐ。 向けられた目線にたじろぐ。 人間の寿命って限りがあるからね、でもこうなってしまったら寿命とかはないし、更に続けられる言葉に、息が詰まるとはこのことだ、と思った。 「そう考えたらさ、アイツだけが適合するものは駄目だな、って思ったワケ。でも簡単に適合するのも嫌でしょ。プライドが許さないってかさー仕返ししたいじゃん」 仕返し、なんて軽い言葉で良いのか。そうは思ったが言わないでいた。 「だから、アイツ以外では、めっちゃ性格の悪い奴にしか適合しないことにしたの」 おめでとう、と男がエネドラの額を突く。おまえは俺に認められたさいっあくに性格の悪いヤローだよ。 「ま、アイツが死ぬ前に俺を手放すなんて、思ってなかったんだけどね」 考えることは一緒だったよね、そう言って男は、今度は優しげにエネドラに手を伸ばした。それを避けることは出来なかった。この空間ではどうしても男の方に軍配が上がる、それはもう分かりきっていることなので、舌打ちをするだけに留める。 腕の中で、エネドラはこの男の友人を思い浮かべていた。優しげな笑みを絶やさない、のんびりした人間だと、そう思っている。けれどいざ闘いになると、ひどく冷酷な顔をする、そういう人間だった。この男に認められてから、何度も手合わせをしている。使い方だとか、そういうものを習うには闘いを通すのが手っ取り早かったから、それは建前だ。 恐らく、試されていた。そう思うのは、最近になってエネドラが近付いても、その杖を握る手に力がこもらなくなったからだ。適合したからと言って、使いこなせなければ意味がない。その時はきっと、エネドラを殺してでも取り返すと、そう決めていたのかもしれなかった。 男と共にいた期間が彼を変えたのか、それともそれを成長と呼ぶべきなのか、エネドラには分からない。 「…アンタは」 抱き締められている状態では、顔は見えなかった。 「そんな目にあっても、この国が好きなのかよ」 嘲るつもりだった、けれどもそれは違う色をしていた。 ふ、と息が漏れる。それが笑いの形をしていると、顔を見ずとも分かった。 「当たり前じゃん」 ゆるゆると瞼を押し上げると、見慣れた天井が目に入った。自室の天井。エネドラは己の角に触れる。 「オレには分かんねえよ」 既に成長もあらかた終わったそれが痛むことはもうなかったけれども、今はそれが、少しばかり熱を持っているような気がした。 これはくにをあいしたひとのはなし。
*** jelly 「あの人怖ェな」 「そう?」 ぽつり。就寝後やって来たいつものこの空間でそんなふうに零したのは、久々のトリオン体での稽古でこれでもかと言うほど切り刻まれたからだった。痛覚は限りなくゼロに近く設定されているものの、やはり斬られる感覚というものには毎回ぞっとする。 トリオン体というものは生身の身体よりも頑丈に出来ているがしかし、それでも限界はあるもので。その限界を越えてしまえば、生身の身体へと戻ってしまう。戻ってしまえばその戦闘体が再構築されるまで少し時間を要するので、普段は生身での稽古のみになっている。けれども実際に戦闘に出ることになったら使うのはトリオン体であるのだから、時折はこうしてトリオン体での模擬戦も行う、というのがエネドラの師匠であり、この男の前の持ち主である男の考えらしかった。 「っていうかエネドラちゃんにも怖いとかいう感情残ってたんだね」 「…アンタ、オレを何だと思ってるんだよ」 器用に片眉を吊り上げられるようになったのは、この空間においてエネドラに主導権はないも等しいのは、まあ此処が夢というよりかはこの目の前の男のものであるから置いておいても、一度あまりの腹立たしさに殴ろうとしてから身体の自由も軽く奪われているからだ。何かしら不満を訴える術でも持っていないと、本当に胃が捩じ切れそうだ。なんて言うときっと、エネドラちゃんそんな繊細じゃないでしょ、とそれこそ腹を抱えて笑われそうなので黙っておく。 男はそれには答えず、にっと笑ってみせた。 「アイツはね、さみしがり屋なの」 「はァ?」 彼の言うアイツ、が誰なのか分からなかった訳ではない。さみしがり屋という言葉があまりにも似合わないと感じたからだ。 思わず声を上げたまま停止するエネドラに、男はあのねえ、と呆れたように呟く。 「お前がどう思ってるかは知らないけど、アイツだって人間なんだよ?」 その目はいつだって、その幼なじみだと言う男のことを語る時に、不思議な色合いになった。それがは少しばかり、エネドラに居心地の悪さを与える。板挟みに、されているような。 前言ったじゃん、と男はまた話し始めた。停止したままのエネドラのことなどお構いなしである。 「エネドラちゃんに適合するまでは俺、アイツに適合してたでしょ。でもさ、それって俺がアイツに合わせてただけで、アイツが俺に合ってた訳じゃないの。それをね、アイツも分かってたと思うんだけどね。納得もしてたと思う。だから俺のこと手放したって、そう思ってる」 でもね、と続けられる言葉にいつものような軽薄さは感じられなかった。 「自分に出来なかったことを赤の他人が、しかも餓鬼が、やってみせているって言うのは。…やっぱり気に入らないんだと思うよ」 思い浮かぶのは自分を見つめる瞳。穏やかそうでいて、その奥に冷たいものを忍ばせているような。 その、冷たいものが。気に入らないなんていう、それこそ餓鬼のような感情から来ているなんて、そんなの。 「なーんてね! 小難しく言ってみたけどさーつまりねー、お馬鹿なエネドラちゃんがよおく分かるように簡単に言うとっ。俺とエネドラちゃんの運命的な仲良しさににアイツはかわいー嫉妬をしてるって訳!」 「誰が馬鹿だ。それに運命とか。気持ちワリィ」 いつもの軽いトーンに、胸にずくりと落ちてきた靄が霧散する。ひどい!と叫び声を上げる男を無視して目を閉じると、角の辺りにふわりとした感覚。撫でられているのだと、目を閉じていても分かった。 良い夢を、と尚も撫で続ける手はきっと、彼に触れていた時は温かかったのだろうと。その日最後の思考は、そんな柄にもないことだった。 *** daydream 黒く染まっている角がずきずきと痛んだ。それが別に体調不良だとかそういうものから来るものではなく、ただの成長通だと知っているので今更研究室に救けを求めるような真似はしない。 喜ぶべきか、午後の予定は丸々開いていた。出動もなければ稽古の予定もない。このまま自室に戻って昼寝をしても、誰に文句を言われることもないはずだ。 そんなふうに考えてやっと辿りついた自室で、エネドラは倒れこむようにして眠りに落ちていった。 あれえ、とわざとらしい声が上がる。 「今日は元気がないねえ」 いつものトリオンの充満するような空間。此処にエネドラがやってくるのはこの空間の主の気まぐれであって、エネドラに選択肢などないのだとしても、正直今は避けて欲しかった。 盛大に顔を顰めてその男を見上げる。くるりとやわらかく癖を残すオリーブの短髪、たれ下がったハシバミの瞳。一昔前のこの国のトリガー使いの軍服は、まだ幼さの残る顔立ちには少し不似合いだ。 「あはーこわいかお」 そんなナリでも一応死線はくぐっているらしく、エネドラちゃんのかわいー殺気なんてこわくなーい、なんていつもあしらわれていた。 「で、どしたのさ。エネドラちゃんらしくない顔しちゃって」 「痛むんだよ」 「研究室には行かないの?」 「成長痛だからどうしようもねえ」 その言葉に男は成長痛、と口の中でだけ繰り返した。咀嚼するような行為に付き合ってられるかとばかりに目を閉じると、するすると男が近付いてくるのが分かる。 「角も成長痛あるんだね」 「ああ」 ずきずきと脳内を犯していくような痛みにぞんざいな応えを返すと、男はそうかあ、と呟いた。 そして、その手でエネドラの額の辺りに触れた。 「いたいのーいたいのーとんでけー」 「…ンだよ、それ」 「あれ、知らないの」 世代間格差かな、と男は首を傾げた。そうして暫く角を撫でながら唸っていたが、あ、そうか、となにやら思い出したようにその指が止まる。 「あの子、玄界の子だったな」 「み、でん」 思わず、目を開けた。 「そ、前に侵攻した時は兵力少なかったから、兵隊人形による人員確保だけだったんだよね」 俺も出来てなかったし、それで連れて来られた子、と男は続ける。その表情に、エネドラはまた始まった、と思った。この男がこういう顔をするときは昔話の始まる合図だ。 「とっても優秀な子で、俺らの代の中では飛び抜けてたんじゃないかな。すぐに小隊任されてたし」 「待てよ」 遮る。話を聞いていると、まるで、玄界の人間が兵士として働いていたように聞こえる。 「そうだよ」 意図を正確に理解したらしい男は、静かに呟いた。 「あの子は玄界出身ながらも、この国の一兵士として仕えていたの」 それが可能だったのはそれだけ人手不足だったっていう背景があるからなんだけど。続けられた言葉にエネドラは一応は納得した、という顔を作って見せた。 「…そいつは、帰りたいって言わなかったのかよ」 エネドラとて、他の世界で確保されたトリオン能力の高い人間を目にしたことはある。隣の研究室へ連行されていく少女。わんわんと耳障りな声で、帰りたい、ママ、助けて、そう泣き喚く姿。そういうものを、見ている。そんな人間が、仮にも国のために生命を捧げると掲げる集団に入ることなんて、入って戦うなんて、あまりにも。 だからだろう、エネドラの目にしたそういう人間は大方が研究室の奥へと閉じ込められて、その後見ることはなかった。 「言わなかったよ」 記憶を揺蕩うエネドラを掬い上げたのは男の静かな声だった。 「あんまり、良い環境にいなかったみたい。見せてくれたお腹とか背中とか、傷だらけでさー。人間は存在を認められていないと生きていけないんだよ、って言ってたな。それを否定するのが親って存在なら、尚更居場所なんかないも同然、って」 息を呑むなんて真似はしなかった。そういう環境が存在することは知っている。エネドラだって人のをどうこう言えるほど良い環境で育った訳ではない。 「なんなんだよ、そいつ」 けれども祖国を裏切るという行為に、頷くことが出来る訳でもなかった。 この男を前にしているのだから、尚更。 しかし、男はその質問の意味を違うように取ったらしい。 「トモダチ…?」 その気の抜けた言葉に思わず肩を落としそうになる。もしかしたら、わざと違う意味で取ったのかもしれなかったが。 「かわいー子でねー。いつも俺とアイツと、その子で一緒にいたの。戦場では部隊変更あんまりないでしょ、少年兵だとそれが顕著でね。…あー、俺はそのままアイツとくっつくと睨んでたんだけど、どうなったんだろう」 「待て」 二度目の待ったをかける。 「…そいつ、女なのか」 「そうだけど」 「腹とか背中とか見たとかさっき言ってなかったか」 「言ったけど」 一拍置いて、ぶふふっ、と言った笑いが漏れた。発生源など言うまでもない。 「やだーエネドラちゃん思春期〜?」 「うるせえ」 「俺たちまだ子供だったんだもん」 「だからうるせえって」 「人手も足りなかったし、傷が出来たら仲間内で治して、って時代だったんだよ。男だとか女だとか、言ってる余裕なかった」 そう考えたらきっと、あの子は恵まれた部類なんだろうね。そう付け足された言葉に思い浮かんだのは、研究室で唯一、エネドラと同じように黒トリガーに適合した少女のことだった。ぴーぴー泣くような子供ではないと、それはもう分かっているが、それでも周りの扱いが少しばかりエネドラと違うように思うのは、彼女が女であるからなのだろう。 考えることに疲れたとでも言うように、またエネドラは目を閉じた。痛みはまた増していた。このまま乗っ取られるようにして本物の眠りに就くのだろう。 止まっていた手がまた角を撫ぜるのを再開する。 「良い夢を」 「…これも夢なんじゃねえのかよ」 「さあね」 男は笑った。目を閉じても、それくらいは分かった。 「夢かもしれないし、夢じゃないかもしれない。今俺がこうしてべらべら喋っているのは全部、君が寂しくて生み出した君自身かもしれない」 ンな訳あるか、という言葉は、面倒で口にしなかった。 *** confessio 彼は誰よりも国を愛した人間でした。 それをずっと隣で見てきた私は誰よりも知っています。彼との出会いは薄汚いスラムの端でのことでした。あの日、空が馬鹿馬鹿しいほどに晴れていて、大きな雲が一つ、そこから千切れたような雲が二つ、ぽっかりと浮いていたことまで憶えています。 私の腹はその時、既に悲鳴を上げ疲れていました。きりきりと痛む感覚も消え、身体の隅から徐々に力が抜けていくような、そんな忍び寄る死というものに、諦観にも似た感情を抱いていました。どうせ死ぬのならば晴れの日が良い、そう思いました。もっと言うならば、夜が良い。 何故って、私が夜空が好きだったのです。昼間の囂然たる蒼よりも、静かに光を注ぐ黒が私は好きでした。 そんなふうに死に寄り添うようにして目を閉じかけた私を、蹴飛ばしたのが彼でした。彼の手にはパンが抱えられていました。後から聞いた話によると、それは生きているか死んでいるかの確認だったようです。それにしてはあまりに乱暴な行為だとは思いましたが、両手がパンで塞がっていたら仕方ないとも思いました。それが盗んだパンで、逃げている最中だったのなら尚更です。 私が目を見開くのと同時に、彼はにかっと笑いました。 「腹減ってんの?」 そう尋ねると、私の答えも待たずに私の口にパンを捩じ込みました。 それはあまりにも乱暴に、私の思考を鮮明にしていき、そういう訳で私はあの日の空に浮かんでいた雲の数まで覚えているのです。 彼と私はそれから共に行動するようになりました。薄汚れたスラムに見切りを付けて首都へと出向き、少年兵として志願したのも彼の提案でした。主体性の弱かった私は彼の夢に乗っかっただけなのです。 彼は、この国を愛していました。そんな彼が、私には眩しかった。 そして、彼は眩しいまま、私の前から姿を消しました。最愛のこの国に裏切られて。 黒トリガー。重要なことを隠されて参加を強制されたその生成作戦。彼は最後に私に希望を託しました。その希望が、どれほど切ないものだったか。それを受け取った私が、どれほど泣き叫んだか。 彼のいなくなった時間は私に強さを与えました。黒トリガーになった彼は強く、そしてまた私も闘いを好む性格をしていたので、相性はそれなりに良かったのだと思います。 彼が私を選んだ、それだけではなく、彼の力を私が生かせる、そういうことに喜びを感じてたのもまた、事実です。 けれどもやはり、胸の底に沈むのは未来のことでした。私は己のことを強い人間だと思っています。彼が与えてくれた力を存分に使って、私は単体でも闘える強さを手に入れました。 しかし、私は不死ではありません。闘いの中に倒れることがなかったとしても、この身体にはいずれ終わりが来ます。そのときに、私は彼を独り遺していくことが、不安で堪らないのです。 *** oblivion 彼の名前を、本当の名前を、きっと知る人はいない。彼に魅入られた少年の鍛錬を眺めながら、そっとため息を吐く。 彼がどんな形になったとしても、もうその意思の疎通がはかれなくなったとしても、彼はいつまで経っても友人≠セった。たった一人、遺された自分がそう思わなければやっていられない、そういう弱さから生まれた認識なのかもしれなかったけれど。 彼が、どうしてあの少年を選んだのか、本当は分かっていた。そして、その少年がきっと、彼が少年を選んだ理由を履き違えていることも。 それを、愚かだとは思わない。 世界というのは残酷だ。この国では、それが顕著に見て取れる。あんな環境の中からのし上がったのならば尚更。あの中で、一人生き残ってしまったのなら、尚更。 「テュシアー」 今は誰が知ることもない、記録にすら残されることのなかった名を呼ぶ。 彼が遺したものは彼の名を冠することなく、しかしそれでも彼の名残を思わせる名を冠してこの手にあった。手放すと決めたのは自分で、それを後悔などしてはいないけれど。 「君と、一緒に死にたかった」 もうそれが叶うことはないのだと、知っているから。 *** fate 白衣の人間が目の前にいた。小さな人間だ、と思った。まだ子供であった自分もそう大きい方ではなかったけれど。 「今日から君の担当になるよ」 にっこりと笑う=Aその表現の意味を初めて知った気がした。あまりに悪意のない、そういう印象を受け取った。そんなものは初めてで、とても驚いたのを覚えている。 此処は施設だった。戦える人間を作るための、軍用研究施設。自分はその被験体で、白衣はその研究者。研究者というものはいつだってその辺りのネズミを見るような目で自分たちを見るので、こうして目線を合わせてよろしくね、なんて言ってくるのはあまりに変な態度だった。可笑しい、そう思う。演技か、演技なら次は何をさせられるのか。警戒が身体を駆け巡るか、それはもう意味のないことだと分かっていた。 此処では被験体に意志はない。何を言っても、どんな抵抗をしても、殺されずに国のために何でもされる。それを、受け入れる他ない。白衣の性別はどちらなのか良く分からなかった。こちらとしては男でも女でも同じだった。どちらにしても、何をされるのかはそう変わらない。 白衣はぺらぺらと資料を捲ると、ふむ、と頷いた。 「君は…そう、」 「前の奴はどうなった」 「死んだよ? 知らなかった?」 被験体の暴走でね、と白衣は言う。 「君たちには制御装置が埋め込まれているけれど、稀にそれが利かない時があるんだよ」 トリガーホーンの方で暴走されると、本体の生命維持を切ってもまだ動くことがあってね、と白衣は続けた。そういう時は誰かが死ぬこともあるさ、と。何でもないことみたいだ、と思った。 「オレたちを盾にはしないのか」 「そんな勿体無いこと出来ないでしょう」 僕たちは君たちを作るために頑張っているのに、と首が傾げられた。調子が掴めない。 それより、と白衣はずいっと顔を前に出して来た。思わず身を引く。 「君はね、ランバネインくんって言うんだって」 「らんばねいん」 「被験体番号としては857だけどね」 「知ってる」 それで呼ばれてるもんね、と言われて頷く。それが此処での自分の名前だった、というか名前なんてものがあるなんて、知らなかった。 「ランバネインくん」 白衣が呼ぶ。返事はしないでみた。 「ランバネインくん」 「………なんだ」 二回目を呼ばれたので諦めて返事をすると、そうそう、と喜ばれる。 「君は、ランバネインくんだよ」 「もうわかった」 「うん、うん、それで良いんだよ」 よろしくね、と白衣はもう一度言った。仕方なく、ランバネインはよろしく、と返した。 白衣がランバネインの担当になってからというもの、処置室―――モルモットたちは処刑室と呼んでいたが、其処に呼ばれることが多くなった。多くのモルモットが可哀想に、という目線と一緒に今はあいつに集中しているのなら、自分たちへの負担は減ると、そう分かった目をランバネインの背中に向けていた。此処はそういうところだった、ランバネインだって、誰かを見送る時はそういう目を向けていたから、恨むことはしない。 けれども。 「今日はトリガーホーンへデータを打ち込むよ」 うきうき、と言ったようなその白衣の様子を見ると、そんな視線を送っていた自分が馬鹿らしくなるのも事実だった。 「脳に近いところに膨大な量のデータを打ち込むからね、きついよ」 「そうか」 「心の準備が出来たらそこに寝てね。力を抜いて、まるで眠るように」 「毎回言わなくても分かってる」 白衣の言った通り、データ注入はとてつもない痛みを伴った。 「痛かった?」 頷く。声を出すのも億劫だった。涙なんか流さない、と決めていたはずなのに、身体は正直で涙があとからあとか溢れてくる。 白衣はランバネインが泣き止むまでその頭を撫でていた。ふかふかのタオルで頬を優しく拭いて、それからじゃあご褒美をあげよう、とたった今思いついたように声を上げる。 「ごほうび」 「うん、ご褒美」 ごそごそと白衣のポケットをあさり、あった! と何かを掴みあげた。そして、はい、と。 ころり、と手に丸いものが落とされる。 「…これは、なんだ?」 「飴玉だよ」 知らない? とその白衣は言った。口に入れるといいよ、と言われて素直に頷いて口に放り込む。此処ではもう、食べるものに何が仕込まれていても驚かなかった。だから、何が入っていようとどちらでも良いと思った。 「………あまい」 驚いた。 「何が入っているんだ?」 「何って、砂糖とかかな」 「砂糖? 体力強化の効能でもあるのか?」 「ん? ああ…」 なるほど、と言ったように白衣は頷いた。 「特にそれは僕の持ち物だから、何が入っているとか、ないんだよ」 それから笑う。 「僕はちゃんと何かを投与する時は説明をするよ。僕らは君たちにそういうことをすることが許されているから、隠す必要なんかないだろう?」 言われてみればそうではあったが、中にはこの施設内での絶対的優位を示すために、そういうことをする研究員も少なくはない。そう言ってみれば、うわあ、なんて勿体無いことを、と天井を仰ぐのだからやっぱりこの人は掴めない、と思った。 被験体の中には担当の研究員の性格を把握して、それで取り入ることをする者だっている。賢い方のランバネインもそれをしてきた。それをした方が、辛くないから。でも、この白衣は、どうにも傾向が読めない。 笑顔を向けるくせに、それが純粋の色をしているくせに、ランバネインに対する研究は容赦のないものなのだ。 「…貴方が分からない」 そう言わなかったのは、恐らく矜持だとか、そういったものだった。 担当が変わって三年ほどが過ぎた。担当がこんなに長く変わらないのは初めてだな、と思う。今日も辛い処置≠終えてランバネインは処置台から降りる。 「君は良い子だね」 はい、どうぞ。 その流れは最早定番になっていた。ランバネインもこの飴玉に何か施されていることはないのだと、もう疑わなくなっていた。 「君は大きくなったねえ」 「先生がたくさん薬をくれるからだ」 「くれるだなんて、僕は勝手に君に投与しているだけだよ」 最近は身体強化の薬ばかりだった。成長期だからね、と白衣は言っていたが。 「先生は身体が大きい方が好きなのか?」 「好きというか、それが君の兄上のご意向だからねえ」 あにうえ、と繰り返す。 「僕は小さいものも良いと思うんだけれどね、君の兄上は身体の大きな子に育ててくれって言ったから」 「…オレには兄が居るのか?」 「あれ? 知らなかったの?」 知ってると思ったのに、と白衣は目を瞬(しばたた)かせた。 「兄が居るのか」 「うん、ハイレイン様。この国でもなかなかに偉い人だよ」 君はその人の弟なんだ、と白衣は言う。とても立派な方でね、黒トリガーとの適合も観測されているから、そのうちこの国を背負って立つ人間の一人になるだろうね、と。知らない人間のことを兄だと言われて、その凄さを説明されてもランバネインには何も思うことはなかった。なかったけれども白衣の話を聞くのは嫌いではないので、黙って聞いていた。 「大丈夫=v 白衣は話の終わりに笑ってみせた。 「お兄ちゃんの役に立てる日がきっと来るからねえ=v その台詞だけが妙に、白衣から浮いて聞こえた。 聞こえたけれども、その理由をランバネインはついぞ知ることはなかった。 それから数日後のことだった。定期健診をしていたランバネインたちの元に、警報が鳴り響いた。 白衣が内線を取ると、その向こうから爆音。 『被験体187が…!!』 悲鳴と共に通信が途切れる。ぶつりと、それはそのままきっと、生命の終わった音だった。 白衣の行動は素早かった。室内の検査機器のデータのバックアップを取り、さっさと電源を落とす。そして、そのまま出ていこうとした。 「先生」 思わず引き止める。 「君たちは此処にいるんだよ」 「せんせい、」 「良いから。被験体857、此処にいなさい」 ランバネインくん、と。白衣は呼ばなかった。それで状況がどれほどに悪いのか分かってしまった。 「先生!!」 その白衣の裾を掴む。 「いいから、君は、此処に」 「先生は弱い」 「だから何だ」 「だから一緒に行く」 「我が侭はやめなさい」 忘れたことなどない。どうして自分の担当が変わったのか。生命維持装置を切っても止まらない、トリガーホーン由来の暴走。脳だけで動く彼らは一体、何なんだろう。 「先生、だめだ」 「いいから中にッ」 音が、迫ってくる。ランバネインには、それが、聞こえる。 「はやく!!」 切羽詰まった声を初めて聞いたな、と思った。いつもゆるりとした声しか聞いていなかったから。初めて白衣が同じ人間であるのだと感じられた気がした。 白衣よりもランバネインが動く方が早かった。その身体を押し退けて飛び出す。白衣の身体は軽かった、もうずっと前に、背は追い抜いていた。トリガーホーン由来の暴走なら、角を破壊してやれば暴走は止まる。それでなくても、身体を木っ端微塵にしてしまえば。 「ランバネインくんッ」 白、が。 紅、に。 見慣れていた、見慣れるようにされていた。だから動けたのだろうと思う。その身体を片手で抱えながら、最初に思い描いた計画を実行したのはランバネインだった。それが楽々と出来るほどにランバネインは育っていた、育てられていた。暴走した個体の角を粉砕して放り投げてから、白衣を抱きかかえる。 「先生」 白衣、ではなかった。もう、真っ赤だった。長くない、それが本人にも分かっているのだろう。ヒーヒューと、掠れた息の音がする。 「まぁ…この終わり方は…なかなかだよ…」 それで笑うのだから、この人は多分、可笑しい。 こんなところでモルモット同然の扱いを受けているのは、何も被験体だけではないと、この時初めて知った。知るのが遅すぎた。そうで、なければ。 「もう、飴はあげられないけど…頑張るんだよ」 ここで、笑うなんて。 ぱたり、と落ちたものが何なのか分かっていた。我慢しなくて良いのだと、白衣が教えてくれたものだった。力のない手がランバネインの頬を撫でていく。 「君は、僕の………最高、傑作だから。もうすぐ…此処から、出られるよ………」 そのまま瞼が閉じられて、ランバネインは吼えることも出来なかった。ばたばたと研究員たちがやって来て、暴走した個体の回収と一緒に、白衣の遺体も持って行ってしまった。 ―――もうすぐ此処から出られるよ。 その言葉通り白衣の死後、すぐに外の世界へと出された。白衣が死ぬ前に既に書類は通っていたらしい。あとは白衣がランバネインに伝えるだけだった、と。そう聞かされた。 兄だという人間の前に出されて、目をぱちぱちと瞬かせる。 「お前が、弟か」 「そう聞いている」 「名前は」 思わず、笑ってしまった。 彼は、弟の名すら知らなかった。ランバネインという名前すら、本当に自分の名前なのかすら分からない。白衣が死んでしまった今では確かめる術もないし、外に出られたからと言って被験個体に施設の資料を見せるほど、上は耄碌していない。 「ランバネイン」 だから、ランバネインは胸を張ってそう名乗る。その名に何が込められていたとしても、呪いでも、祝福でも。それはランバネインに与えられた、ランバネインが信じられる唯一のものなのだから。 「きっと兄上の役に立ってみせよう!」 あの甘ったるい飴玉が無性に恋しかった。もう二度と食べられないのが、とても悲しかった。 *** future 死ぬのか、と思った。じくじくとした痛みが身体中に広がっていく。寒い、とてもさむい。これが死か、これが抗いようのない、彼の体験した―――彼、の? 思考がまとまらなかった。ハイレインに切られ、ミラにとどめを刺され―――昔の自分がどうだったかなんて知らないけれど、もう、充分じゃないのか、と思った。充分に、この国の贄になった、犠牲になってやった。もう良いだろう、良いだろう? なぁ? 自分が誰に向かって思考しているのか、分からない。 玄界の猿たちが喚いているのが聞こえる。もうそれもきっとなくなる。ざっと、音がした。すぐ、近く。知らない子供が目の前に出て来る。幼い、と感じた。幼い、この戦場にあまりに不似合い、な。目なんてものがまだ機能しているのか分からないけれど、エネドラの感じる視界には知らない子供が立っていた。知らない、知らない、誰だお前は、そう思ってからこの服は知っている、と思う。何処のものでもない、自国の、一昔前の軍服。どうして知っているのだったか、歴史書を読んだからだっただろうか。もう、思い出せない。 子供は笑って手を伸ばす。ああ、知らなくなかった、とその笑みを見て思い出した。いつも暗い場所で見ていたから、あんなどろどろの空間で会っていたから、明るいところで見たこの瞬間に気付くことが出来なかった。 いいよ、と子供は言った。 「いいよ、助けてあげる。お前が大好きだからね―――」 ―――泥の王(ボルボロス)。 その名はきっと、彼の名ではなかった。 *** nausea ふわふわと、いつもの夢の中だった。この角にどんどん侵食されていく中、この夢の中に滞在する時間は増えてきた。何をするでもない、本を読んだりお茶をしたり、人の夢の中だというのに好き勝手するそいつのことを、エネドラは何も言えないでぼんやり眺めているだけだ。 「…アンタの、オレが気に入ったっていう言葉」 だから、そう声を上げたのはただの気まぐれでしかなかった。 「ん?」 「アレ、嘘だろ」 ぱたり、とそいつは読んでいた本を閉じた。話を聞こう、そんな態度で足を組み直し、指を組んでその上に顎を乗せる。子供の見た目を、エネドラよりとても幼い見た目をしているのに、こういう動作がひどく様になった。けれどもそれは、エネドラにとってはひどく今更なことなので、気にせず次の言葉を吐き出す。 「あの研究室で生き残ったのは僅かだ」 「そりゃあね」 「角のことだって成功率はそんなに高くねえ。成功したからと言って、予断が許される状況になる訳でもねえ。安定を待たずに黒トリガーへの適合実験をするなんて、無茶だってことくらいオレにも分かる」 「うん、アレどう考えても無茶だったよねえ」 この国もそれだけ切羽詰まってたんだよ、と子供は頷く。その様子にエネドラの言葉は肯定されることはなさそうだ、と判じてそのまま言葉を続けることにした。 「アンタは早く終わらせたかったんだろ」 これは、最早自己満足だった。 「国だとか未来だとかがだーいすきなアンタのことだ。どうせ、未来を担う子供が苦しむ姿を見るのが嫌だったとか、そんな甘ったるいこと考えてたンだろ」 それでも殆どあたっていると思っていた。子供の最大の理解者はきっと自分以外にはいないのだと、そう思っていたから。 彼に選ばれた、自負があったから。 「おしいねえ、エネドラちゃん」 でも及第点はあげられないな、と男はうっすら笑ってみせた。 その笑みを、エネドラは心底きもちわるいと思った。 *** favorite 人の夢の中なのに好き勝手する男に何を言わなかった訳でもない。でも此処が本当に君の夢かも分からないのに? と笑われてしまえばエネドラにしたら反論する術を封じられたようなものだった。何を言ってもどうせ適当なことしか返って来ない、それなら何を言うこともせずに流していた方が良いと、賢かったエネドラは学んだだけだった。賢さはそのまま生き残れるか否かにも繋がる。 エネドラは、ただただ生き残りたかった。生き残って、やり遂げたいことがあった。 そんなことを考えていたからだろうか、男はにまにまと笑った。 「…なんだよ」 「いや?」 そう言ったくせに男は大きく伸びをする。 「俺やっぱお前のこと大好きだわー」 「うえっ」 「オイ、うえってなんだようえって」 「吐きそうなほど気持ちワリィ」 「ひっど! ひっど!!」 笑う男より気付けばエネドラはずっと背が高くなっていて、それがなんだかとてつもなく悲しかった。 *** *** 20190806 |