二十日鼠の耳の日傘 

 歴史深き由緒ある日本国―――そう呼ばれていた国が、国民の国籍の売買により本土における日本国民を失い、その象徴をとある感染病の隔離のために関東湾に浮かんでいた人工島、東京自治区に掠め取られ、新たにその名を出雲≠ニして再出発を果たしたのがこの国です。
 自他共に認める馬鹿である慶がそんな難解な文章をすらすらと言えるのは、慶が水先案内人(ガイド)として作られたからだった。水先案内人はこの自治区の案内は勿論のこと、歴史の知識なども元からインプットされているものなのである。
 とある感染病というのは―――と先ほどの説明はまだ続く。〈種のアポトーシス〉と呼ばれる病であり、発生から二世紀近くが経つ今でも原因は未だ不明であり、感染拡大を防ぐためにも出雲(サナトリウム)から出ずに生活を送っています。性行為等幾つかの感染経路が確認されており、故に当時東京自治区にて生活を送っていた感染者は、生活圏を男女隔離のものにすることを決定しました。
 そこまで読み上げたところで、慶はがたん、と何かが落ちたような音を聞いた。はあ、とため息を吐いて立ち上がる。何事もなければその次は関東湾の出来た理由についての説明を唱えるつもりだったが、音がしたからにはそんなことをしている場合ではない。
 忍田さんは良くベッドから落ちる。何かの落ちる音がしたら大体が忍田さんの落ちた音。
 それが、朝起きて一番に確認した手持ちの日傘の内側に書いてあったことだった。

 コンコン、と一応ノックをする。返事はなかった。入ります、と声を上げてからそっと扉を開ける。日傘の内側には忍田さんは優しいひと≠ニの記述もあったが、優しい人間が寝起きまで優しいとは限らないのだと、慶の中の知識は言っていた。故に、部屋へと踏み入る足は慎重になる。
 紙だらけの部屋だ、というのが慶の印象だった。そろり、そろりと歩を進めていくと、部屋の丁度真ん中辺りに白いベッドが見えた。そのすぐ下には布団に丸まった何かが転がっている。
 恐らく、これが慶の親である忍田なのだろう。
 慶が忍田について知っていることは少ない。名前が忍田真史であること、一級精神原型師であること、優しい人であること、黒髪が綺麗なこと、良くベッドから落ちること、とても強いこと、煙草を嗜むこと、この日傘を贈ってくれたこと、この家の二階の奥の部屋を寝室としていること、それくらいだ。
「忍田さん?」
小さい声で呼び掛ける。もしもこれが泥棒だとかそういうもので、この呼び掛けに返事をしたなら、慶にはその嘘が分からないだろう。だって、慶は忍田の顔を知らないのだから。けれども此処が忍田の寝室であること、布団に丸まっている人間が美しい黒髪をしていること、それがベッドから落ちていること。まぁ三つも情報と一致していれば本人と見て間違いないだろう。
「忍田さん、朝だよ」
「ん、ん…? 慶?」
「うん。慶だよ」
 言葉を交わすと、ゆるゆるとその瞼が上がっていった。それに遅れて彼の意識が覚醒していくのが分かる。
「朝、か」
「うん」
「日傘の内側は読んだか?」
「読んだよ、だから此処にいるんじゃない」
笑ってみせると、忍田はそれもそうだな、とあくびをした。
 慶の記憶は一日しか続かない。それは水先案内人として作られた運命とでも言うべきだろうか。水先案内人というのはその名の通り、自治区を案内して回るものの呼び名だ。どんな人間に対しても愛想良く、まるで恋でもしたかのように親しく、接せられなければならない。そのために、水先案内人は一日しか記憶が続かないように作られる。毎日毎日、自分に話し掛け、案内を頼んで来た人間に恋をするように。
 そう、慶は人間ではない。男女隔離の生活の中で人間が生み出した第三の性、人工妖精(フィギュア)。人間と寄り添うように生み出された、まるで人のような微細機械(マイクロマシン)から成る人造人間だ。彼らは成長こそないものの、人のように笑い、人のように悲しみ、人のように怒り、人のように愛し、そして人のように愛される。
 これは、人間とそれを愛する人工妖精の、一つの戦いの物語である。



20141225



生命の呪文 

 慶は人工妖精(フィギュア)である。故に姓への拘りというのが少ない。ついでに言うと名前への拘りもあまりない。しかしながら人間の形をしたものを、同じように感情の揺れ動く機械を、数字で呼ぶのは如何なものかと思案した昔の人が名前をつけようと決めただけのこと。個人識別が出来れば良いと思う人工妖精からしたら、数字だろうと名前だろうとあまり違いは分からないが、数字はどんどん大きくなっていくばかりなので、もしかしたら慶の名前が『A-1000100(ひゃくまんとんでひゃく)号』になっていたかもしれない。自他共に認める馬鹿である慶がそんな番号を覚えられるはずもないので、やはり名前があって良かったと思い返した。
 けれども、ただ名前だけでは全世界に今や六十万体以上が存在する人工妖精の中で、同じ名前のものが溢れかえることになる。故に、殆ど識別と出身を正確にするためのものとしてしか使われはしないが、人工妖精にも苗字というものが存在する。
 太刀川之慶。それが慶の本名(フルネーム)である。太刀川と言うのは慶の元・配属先であった水先案内人(ガイド)を擁する会社の名前だ。慶は手に負えなくて先方からお断りされた個体ではあるのだが、元々先方の要望に応えて作ったものであったからか、未だその姓を名乗ることを許されている。
 更にもっと格好付けるならば、太刀川之水淵ヶ慶。慶の生みの親であり育ての親である忍田の所属する流派を冠せば、それなりの格式が人工妖精である慶にも通用されるので、便利である―――と、日傘に書いてあった。
 未だ寝ぼけ眼の忍田を連れて階下へと行くと、既に挨拶を済ませていた他の人工妖精が朝食を用意していた。充と士郎。それが彼らの名前だ。彼らは彼らで事情があって慶と同じように返品された人工妖精である。一緒に忍田の工房兼家で家事や助手業をしている。
「忍田さん、おはようございます。もう少しでパンが焼けますから顔洗って来てください」
小さく微笑んでこちらを見たのが充だ。その後ろで慶を一瞥しただけなのが士郎である。
 その気質のこともあって、士郎とはあまり仲良くない―――と日傘には書かれてあったが、慶はあまり気にならなかった。元々朝起きたら最初からプログラミングされている記憶以外はなくなってしまっているのだ、仲良くないと言われても、それが? となるのが現状である。
 忍田がまだ寝ぼけたままの顔で洗面所から戻ってきて、四人揃って食卓に座る。
「では、手を合わせてください」
充の声で、士郎と忍田が手を合わせる。ワンテンポ遅れて慶も合わせる。これは知っている、食事をする前の儀式だ。
「いただきます」
充のあとに続いていただきます、と繰り返す。
 元々いただきます≠ニは、生命をいただきます、という意味が強かったのだそうだ。慶の中にインプットされた知識がそう教えていた。今の時代、食べ物はすべて視肉という食材専門の微細機械(マイクロマシン)の培養炉で補われている。電力と充分な元素さえ揃っていれば、動物性・植物性を問わず何だって作り出すことが出来る万能の食料生産システムだ。そういうもので作られた食物の生命をいただく、なんて。少しズレているんじゃないかなあ、と慶はパンにジャムを塗る。
 ぱくり、と噛み付いたパンは、焼きたてなだけあってさくさくふわふわで美味しかった。美味しい、と零せば、食事を用意した充がふわり、と笑った。



20150124



天性のもの 

 そもそも何故慶が案内会社から返品されたのかと言うと、その気質が問題となっている。
 人工妖精(フィギュア)には今現在五つの気質が確認されていて、それぞれ土気質(トパーズ)、水気質(アクアマリン)、風気質(マラカイト)、火気質(ヘリオドール)、光気質(アイテール)と言う。最後の光気質に関しては発見から一世紀程度しか経っておらず、その技術も難しいものらしく、まだ五本の指で足りてしまう程度しか造られていないのだと言う。故に光気質の人工妖精は生まれながらにして大体高い地位を獲得する。今の総督である正宗様や有吾様も光気質であり、生まれながらにしてその総督の地位に将来つくことが決められていた。
 気質には大まかな性格の特徴もある。土気質であったなら几帳面で最も人間らしい、水気質であったら柔和で人間に従順、風気質であったら刹那的で奔放、火気質であったら情緒豊かで気性が激しい、などなど。光気質についてはまだ生産数が少ないこともあり、特徴についてはまとまった報告がないのだとか。
 気質同士の相性なんてものもあって、例えば火気質の士郎と風気質の慶ではものすごく合わない。次々に面倒事を持ってくる(勿論、風気質は面倒事だなんて思ってはいない訳だが)風気質に感情的になりやすい火気質、なんて合う訳がない。爆発する。あまりに一緒にしておくとどちらかが(この文脈で行くと多分火気質の方が)病んでしまう可能性もある。
 人間でないからと言って、人工妖精が半永久的に生きるなんてことはない。心もある存在だから、とでも言えば良いのか。機械(マシン)と同じように不具合が出ることもあれば、人間のように病に掛かることもある。最近は技術の発達によってそれも少なくなってきたらしいが、一昔前は不良品がわんさといたというのだから恐ろしい話だ。
 そういった不具合を解消すべく、この人工島のあちらこちらに点在している工房のうちの一つか、この忍田工房なのである。忍田は、謂わば人工妖精のお医者さんなのだ。
 話を戻そう。水先案内人(ガイド)というのは基本、水気質が採用される。それが先人の言葉遊びである可能性は否めなかったが、柔和で人間に従順な彼らは人間に打ち解けやすく、そして案内も丁寧なので水先案内人という仕事にはぴったりなのだ。しかし、慶は風気質であった。水先案内人を擁する会社が、他の気質の水先案内人を、という声に応えて作ろうと忍田に頼んだ個体。それが慶だ。忍田の仕事は完璧だった、完璧故に、慶はこれ以上なく風気質だった。案内会社がさじを投げるほどに。
 記憶の保たない慶は自分が過去に一体何をしでかしたのか知らなかったし、興味もなかったけれど、時折様子を見に来る営業担当の出水によると、とんでもなかったらしい―――と、ノートに書いてあった。詳しいことが何も書いていないので、本当にとんでもないことだったのか、怪しいけれど。
 るるる、と電話が鳴った。
「おれ、出るね!」
ソファの上から飛び降りて、電話のところへと走って行く。電話対応の仕方は電話のところにあると、これもノートに書いてあった。大丈夫。
「はい! 忍田工房です!」
元気な応答に、お茶を持ってきた充が目をまんまるくした。



20150226



20211129 改定