1 自前のパソコンの前で、あーと林藤匠は息を吐いた。その間も手と思考は止めないが、それでも時が来た、と思う。林藤の周りには今、最小限の護衛しかいない。その護衛も、最速で離脱が可能な面子を揃えてもらった。 「プロテクト強いな。向こうの思考に侵入出来ない。これ以上は五分…いや五分もないかもなー」 林藤の弱気な、けれどもいつもと同じ調子の発言に、護衛たちがぎょっとする。どういうことですか、どうしますか、最後まで戦えと言うのならそうします、と言ってくる彼らにいや、と林藤は言う。 「お前らは基地放棄してとっとと引き上げろ。俺は此処に残るから」 「それは…」 「そ、囮になる」 話しながら作戦の方向性を変え、出力を上げていく。目の裏に光が走る。 「この異能力だからなー。殺されるってことはねえだろ。運が良かったらまた会おうぜ」 って小南に伝えといて、と言えば無茶を言わないでくださいと返された。 全員が離脱したのを確認してから短く息を吸う。 正念場だ、と思った。実のところ前々からこういう覚悟は出来ていた。政府直轄組織であるボーダーと戦うにあたって少し前から、なかなか向こうの思考が読めなくなってきていたのだ。対策をすればこの異能力を防ぐ手立てがない訳ではないが、これは完全に対自分用の某かが出来たか発見されたかしたのだろう、と推測するのは容易い。 此処に既に情報は残していなかった。なれば、最後まで林藤が粘って、少しでも遠くへ仲間を逃がすことが今は望まれる。キーボードを打つ手は止めない。例え対自分用の某かを使用されているのだとしても、今まで以上の力を出せば、或いは。耳がじんじんと熱い。音が聞こえなくなる。画面の中の世界、顔も知らない向こうの現場指揮官と、一対一。 「ぐッ―――ァ、」 情報が。 膨大な量の情報が流れ込んでくる。目の裏の光が増大する。 「形勢逆転ですね、いつもの異能力者」 誰かの笑ったような声がした。だらり、鼻から滴り落ちるのは血だろうか。 「今までしてやられた分は返してもらいます」 そうして、林藤の思考は一旦焼き切れた。 目が覚めると知らない天井だった。眼鏡を掛けていないからぼんやりとしか分からないが、綺麗な部屋だ。ふかふかのベッドに、拘束具は拘束者を傷付けないよう徹底されている手錠だけ。首にも違和感はあるが、こちらは場所探知用だろう。少なくとも爆発するような重量を感じない。高待遇、と言えるだろう。ベッドの横には人影があり、その人影が眼鏡を渡してきた。受け取って見遣ると、一人の少年―――否、青年だろうか、身長は低いがひどく大人びた顔をした男が其処に座っていた。 おはようございます、と青年が言う。おはよう、と林藤は返す。意識を失う前に聞いた声。画面越しにいつも思考を読もうとしていた相手。此処のところずっと、林藤たちの相手をしていたボーダーの現場指揮官だ。その隣には彼の部下であろう人間も立っている。若いな、とは思ったものの驚きはしなかった。林藤の所属していた組織・玉狛にも同じくらいの年の頃の人間はいた。 「異能力を破られると意識を失うんですか」 「いつもじゃねえよ、お前があんまりな容量突っ込んで来たからキャパオーバーしたんだよ。人の頭をなんだと思ってるわけ? おっさんの涎とか見たくないでしょ?」 「涎は出ていませんでしたよ」 「おーそりゃよかった」 「鼻血は出ていましたけど」 気分はどうですか、と問われて良いと思う? と返す。口の中に血の味は残っていなかった。代わりに消毒液の味がする。どうやら治療もしっかりされているらしい。 手錠をされた手を上げて青年に見せてみる。 「これ外してもらえない?」 「貴方は頭さえあれば異能力を行使できるでしょう」 「そうだけどねー…」 言外に困ったことはないだろう、と言われては林藤には返す言葉はない。 しかしながら画面越しでも知っていたが、やはりこの現場指揮官だけが林藤に対してプロテクトを張ることが出来るらしい。さっきから部下の方の思考は読めるのに、指揮官の方は全くだ。元々そういう異能力でも持っているのか、それとも対抗装置だけれども一つを作るのがやっとだったのか。まだ林藤には分からないが、急いて情報を集めても何にもならない。 「で? やたら高待遇で気持ち悪いんだけど、俺に何させたいの」 「決まっているでしょう。その異能力をボーダーのために使ってください」 林藤の異能力は、接続した対象の思考を読むことだ。昔は肉眼で映した相手の思考しか読めなかったが、今ではパソコンを駆使して様々な接続をすることでそれを可能にしている。自分で言うのもなんだが、なかなかに使い勝手の良い異能力だ。大きなデメリットは出力を上げれば上げるほど自分自身が無防備になることだろうか。思考を読んでいることは、相手がよほどの手練でない限りバレない。 「それ、うんと言うとでも思ってる?」 「言わせます」 「おお怖。先に言うけど組織の情報も売るつもりねーから」 「貴方が組織の情報を売らないのは分かっています」 打てば響くような返答。最初から林藤がそう言うことが分かっていたかのような、用意された感覚すらある。 「でも、だからと言って殺したりしませんよ」 じっと目の前の青年を見つめる。やはり思考は読めない。 「貴方は俺のものです。死ぬのにも俺の許可が必要ですから」 「とか言ってもお前に俺が勝手に死ぬの止められる?」 「迅悠一」 すかさず返されたのは仲間の名前だった。 「何も情報がないわけではないんですよ、林藤匠さん」 彼の名前がボーダーに知れていることはとっくに知っていた。だから林藤はその名が出て来たことには驚かないが、今それを出されたことの意味は分からなかった。先を促すように青年を見つめ続ける。 「貴方が死んだら俺は迅を殺します」 「…そこの部下くんは生け捕りしたいって考えてるみたいだけど?」 顔に動揺は出ていないが、内心は頼むからやめてくれと願う彼は、恐らく苦労人だ。 「オレが殺すんですよ」 組織は関係ない、と青年は言う。 「それが嫌だったら頑張って死なないようにしてくださいね」 そこで彼が初めて見せた笑顔は、とても獰猛なものだった。 青年は蒼也と名乗った。 下の名前しか言っていかなかった。 20170306 |