蛹の反芻 烏木

 園芸種の薔薇より楽チン―――そう言った匠の言葉に嘘はなかった。水につけていた腕は、レイジの夏休みが終わる頃には小さな子供の形にまで成長していた。
 それは陽太郎の形をしてはいなかった。当たり前だ、レイジの指が陽太郎になったように、陽太郎の腕が陽太郎になるはずもない。記憶を再生でもしてんのかね、その成長する姿を見た匠はそう言った。その記憶が今はいない父親のものだろうことは、言われなくても分かった。
 丁寧に世話をしたからか、彼が最初に発した言葉はレイジさん≠セった。良かったな、と匠は笑っていた。腕は陽太郎の本体よりも成長が早かった。色付いた葉が落ちて絨毯を作る頃には、もう小学生程度の外見が出来ていた。
「陽太郎が育ちにくいってだけだよ」
栄養の分配の問題でね、そういう植物は時々いるだろ、と匠はまだ赤子のままの陽太郎を抱いて言った。
「ところで、レイジ。お前はアイツに名前を付けてやらないのか?」
アイツ―――元・陽太郎の腕。レイジさんレイジさん、と慕ってくる彼に、レイジは未だ名前を付けられないでいる。
「…俺が、付けて良いんでしょうか」
「お前のためのものだからな。お前が付けるのが一番良いと思うぜ」
アイツもその方が嬉しいだろ。
 匠の言葉に賛同するかのように、きゅっと服の裾が掴まれた。
 そこで、レイジは彼の名前を決めた。
「―――京介」
「きょうすけ?」
「京介。京都の京にカイの介、で、京介」
まるで最初からそう決まっていたように、するりと、その名前も漢字も出て来た。
 もしかしたら核となったものの記憶なのかもしれなかった。木崎レイジの知り合いの中に、そんな名前の人間はいない。だから、きっと、そういうことなのだろう。それでも、と思った。元々の生まれが真面ではないのだ、今更真面ぶっても仕方ない。もうその大本がいないのなら、その話を聞けないのなら、とりあえずは散らばったその感覚から集めたって良いだろう。幸い、レイジは人間ではない。人間より繊細だけれども、ちゃんと手入れをしてやれば長く、長く生きることが出来る。時間はたくさんあった、ならその時間を自分のために使ったって良いだろう。
「お前は、京介だ」
 暫くの間きょとんとしていた子供は、小さくきょうすけ、と呟いた。それから何度も繰り返す。自分のその名前が嬉しいと言うように、身体いっぱいで幸福感を表現するように、レイジに抱きついてくる。
 それが、絶対的に変わらない愛のように見えて、レイジはその小さな身体を抱き締め返した。

***

かいらいごっこ 林藤夫妻

*死ネタ

 覚悟は、出来ていたはずだった。
 そう、だからその軽い身体を抱き上げた時も、とてつもない悲しみが去来したくらいで林藤匠を形成する何かを壊すまでには至らなかった。悲しかった、涙も出た、それでも悲しみの傍ら自分というものを保っていられるだけの余裕はあった。
 けれど、それは匠だけの話だったらしい。
 陽太郎の母親であるその人は嘆き悲しみ、ある日睡眠薬を大量に飲んでいるのを発見され病院へと担ぎ込まれた。忙しかったとは言え、ちゃんと注意を払えていなかった自分を匠は責めた。玉狛支部の隊員たちは、せめて奥さんが起きるまでは傍にいてやれと、あれこれの調整を図ってくれた。
 けれども。
 彼女が目を開けた時、何もかもが変わってしまっていた。医師を呼んで簡単な診察をしたあと、旦那さん、と匠が呼ばれた時だった。
「違います」
彼女は声を上げた。
 その部屋にいた誰もが、目を瞬かせたのが分かった。医師も看護師も、匠が彼女の夫であるということは知っている。
「林藤さん、では、この方はどなたなのでしょう」
医師は彼女と目を合わせて、優しく問うた。
 何故そんな質問を、と言わんばかりに首が傾げられる
「この人は、私の兄ですよ…? そう、ですよね?」
がつんと、何かで殴られたような気分になった。

 記憶の混濁。一言で片付けられてしまったそれは、精神的なものである以上回復するかどうかも分からないと言われた。匠は一人、病院の廊下に備え付けられた椅子に座っていた。彼女の記憶の中で、匠は兄ということになっているらしかった。陽太郎は兄の子供だと、自分の子供ではないと。そういうふうにして、悲しい記憶から逃げて、自分を守ろうとしているのでしょう。医師の言葉が延々とリフレインしていた。血縁関係を書き換えたのは、きっと、貴方と家族でいたいという願いが彼女の中にあるからだと思います。
 それは、何の慰めにもならない。
「…お前が、そう、選んだなら」
この悲しみも何もかも、一人で飲み込んで。
 ただの、妹を愛する兄の役に徹しよう。

***

噛みつくようにキスをして 陽レイ

 あたたかい日だった。太陽のやわらかな光が林藤家を照らし出していた。
 陽の当たる中庭で、そのこどもは眠っていた。こども―――もう赤ん坊になってしまったら、べつのものなのかもしれなかったが。レイジは思う。それでも、そう分かっていても、レイジの中の人間ではない部分が、彼と同じ部分が、さわぐ。
 あれは、おなじものだ、と。
 彼の一番である人間は眠っていた。最近は夜中までパソコンに向かっていることが多くなった。レポートをまとめているのだ、と聞いている。陽太郎やレイジに関して、彼は何処かに報告義務があるようだった。レイジの立ち入れる分野の話ではないので、詳しくは聞かない、けれどもきっと聞いたら教えてくれるのだろう。若干の哀しみと寂しさを纏った、あの顔で。
 足音を殺して赤ん坊に近付く。すやすやと寝息を立てて平和に眠っている赤ん坊を、レイジは未だ陽太郎と呼べてはいなかった。ちがうものだ、そう思い込もうとしているからかもしれなかった。赤い頬に触れたかった、触れて、その何も知らない唇に接吻けを落としたかった。純真無垢なその細胞を、蹴散らすように。
 願う。
 願っていた。
 けれど、レイジはしない。
 きっとこの赤ん坊は、赤ん坊になる前の陽太郎は、こうなることが分かっていた。分かっていて、レイジのために腕を切り落としたのだ。レイジを、いっとうに愛してくれる存在をうみ出すために。
「陽太郎」
 あたたかな日だった。
 レイジは未だ、赤ん坊には触れられないでいる。



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20140907 編集