カロリー・オフ。


8.ねこの額 

 とある放課後のこと。
 教室まで行ってノート見せて、と言うと、何の教科だと問われた。古典、と短く返す。
「古典は今日持ってきてないよ」
今日はなかったから、と言われるが引き下がることはしない。というかそもそも、今日、時枝のクラスが古典がないことなど最初から知っている。
「家?」
「うん」
「この後暇だよね」
「まぁ任務入ってないけど。…来るの?」
「何、だめなの」
鞄の中身を詰めている時枝の机に顎をつけるようにしゃがんで、菊地原は見上げる。こういうあからさまなお願いの仕方に、時枝は弱い。
 「…別にだめじゃないけど、散らかってるから」
あと狭いよ、と付け足される。
「別に気にしない」
そう吐き捨てれば、意外、と返って来た。
「菊地原、そういうの気にするのかと思ってた」
潔癖症っぽいイメージあったから、と言われて顔を歪める。まるきり否定することはしないが、綺麗でなければやっていけない、という訳ではない。
 「…分かったよ」
降参だ、というように時枝は薄く笑ってみせた。



20140513
***

9.ねずみの肋 

 散らかってる、と言っていた割りにはその部屋は綺麗だった。はい、と渡されたノートを受け取って、ここで写して良い? と了承を取る。
 かりかり、と静かな部屋にシャープペンシルが紙面を擦る音だけが、暫く響いていた。時枝は何をするでもなく、菊地原を眺めている。時枝のノートは時折色ペンが使われているくらいで、殆どが白黒だった。それでも要点は分かりやすくまとめられているから、次のテスト前には一緒に勉強しよう、なんて殊勝なことを思う。
 元々書いてあった教科書の本文を写したものに、訳と注意書きを書き込むだけの作業は、すぐに終わった。
「ありがと」
「どういたしまして」
「時枝のノート分かりやすいね。今度から借りて良い?あとテスト前勉強一緒にやろ」
「あ、それいい」
時枝がノートを鞄にしまうのをじっと見つめる。
 そして、それが終わったのを見届けてから、とん、と押し倒した。
 完全に倒れる寸前、腹に力を込めたのか痛そうな音はしなかった。短いわけではない髪が、ばさりと広がる。驚いたように目が見開かれた以外は、特に目立った反応もない。
「きくち、はら?」
「付き合うからにはコウイウコトも込みでしょ?」
何カマトトぶってんの、とその手を脇腹へと下ろした。すう、となぞった身体は、そこそこ筋肉はついているものの、やはり薄い。菊地原とて人のことは言えないだろうが。制服の上からでも、でこぼことした肋の感触が分かる。
「ぼくおまえなんかに掘られたくないし。トーゼンおまえが掘られる側だよね?」
 拒否など、させるつもりは毛頭なかった。時枝はまだ驚きが収まらないようにぱちり、ぱちりと目を瞬かせて、まぁ、と頷く。
「それで良いけど…、ていうか別に、無理にセックスしなくても」
「は、」
思わず手が止まった。
 「したくないの?」
「そういう訳じゃないけど」
他にもいろいろやり方とかあるでしょ、と頬を掻いてみせる時枝に、今度は菊地原が、ぱちり、と目を瞬かせる番だった。

***

10.郭公の腹 

 「ぼくはしたい」
 あれやこれや。こういう方法もあるよ、という話を延々とされている間、菊地原はその体勢を崩さなかった。時枝が時折言葉を濁らせながら語る内容にうん、うんと頷きながらも、その手は髪を梳いたり頬を撫ぜたり、それはもう好き勝手していた。そうして、やっとのことで話し終わった時枝に、一刀両断とも言える強さで押し付けられたのが冒頭の台詞である。
 その言葉に時枝は困ったように眉根を寄せた。何かしら言いたいことがあるようなその顔に、言いたいことがあるなら言いなよ、とけしかける。勿論、何を言われようとすべて叩き返すつもりでいた。
「…だってさ、オレから言っといて何だけど、オレ、男だよ」
「分かってるけど」
「えっとさ、その、言いにくいんだけど…」
うろうろと揺蕩う視線。若干余裕はなくなっているらしいその様相に、少しだけ満足する。こういう時枝のことを、他の連中は見れない。ただの、独占欲と優越感。
「菊地原、童貞でしょ」
「それがどうかしたの」
特に拘ることなく肯定を返した。高校一年生で経験済みなんていう人口は比率的に少ないと思っているので、どうってことない。
「もしさ、オレたちが別れることになって、菊地原が普通に女の子と付き合うことになったとして、」
黙って聞く。
「その時に、童貞喪失が男だったなんて、嫌じゃない?」
だから、と尚も言い募る唇に、触れるだけのキスを落とした。
 少し力を抜けばまた触れられる、そんな距離で、あのね、と菊地原は紡ぐ。
「未来がどうだとか知らないけどね、今はおまえのことしか考えらんないの」
一言一句、すべて。底まで伝われ、そう思いながら。
「おまえがこうしたんだから、潔く責任くらいとりなよ」

***

11.おおかみの牙 

 どくどくと、このままでは口からその心臓が転がり出て来るのではないか。そんな心配を柄にもなくしてしまうほど鳴り響く時枝の胸に、菊地原は耳を澄ませていた。表情はさっきから喫驚を称えたままではあったが、ほんの僅かに耳が赤い。
「…ま、いますぐに、ってワケじゃなくても、いいけどね」
満足して、ふい、と身を退く。
 あ、と小さな声と共に、手が伸ばされた。驚いて時枝を見れば、手を伸ばした本人も目をまんまるくしていた。
「ねぇ、ときえだ」
その手を取る。
「今ぼく、ほんとにやめるつもりだったんだけど。そういうことされると期待するよ?」
ぶわり、と効果音がつきそうなほど勢いよく、その頬が朱に染まった。
「いや、あの、その、えっと」
「ねぇ、」
どうする?とまた顔を近付けると、え、あ、とまた意味のない音節が繰り返される。
「そ、そういうのはっ、準備、必要だし」
「鞄に入ってるけど」
「はァ!?」
「必要なときにないと困るでしょ」
それはそうだけど、と言葉に詰まる時枝に思わず笑った。
 大丈夫だよ、と呟く。
「おそったりしないから」
それはそれで、と言いたげな顔をする時枝に、今度は苦笑いを零した。でも、と続けて、かり、とその指先に歯を立てる。
「逃げないでよね」
「ぜ、善処する…」
 彼の上から退きながら、それいいえって意味だよね、と言えば、上体を起こす時枝からは、ちがう、と反射のように返って来た。それからすぐにあ、と呆けたように赤くなるのだから可笑しくなって、とりあえず、とその身体を思い切り抱き締めた。

***

12.ロットワイラーの小指 

 学校、例のサボりスポット。
 くちゅり、と耳の裏まで届きそうな水音に、こういうのを扇情的と言うのだろうな、と菊地原は思う。
「…も、きくちはら」
息継ぎの合間に時枝は首を振った。もとより拘束している訳でもなし、壁等に押し付けている訳でもなし。その薄っぺらい合わせ目が解けるのに、大した力は要らない。
「なに、ヤだった?」
「そうじゃなくて、」
誰か来たらどうすんの、と時枝は辺りを見回す。
「ん、ごめん」
その言葉に非難の色はなかったが、菊地原は素直に謝った。
 時枝は嵐山隊の一員だ。ボーダーの顔、一般市民に一番に知れ渡る、広報係。
 きっと、そうでなかったら見せつけてやれ、とそう言ったのだと思う。時枝は自分のものだと、その幼い独占欲を全面に押し出して、近付くなと牽制しただろう。男同士と誹られようと、その隣を譲るつもりなどないことを表明出来ただろう。それをしないのは、広報部隊というその重要性を、菊地原とて理解しているからだ。
 ボーダーのイメージが嵐山隊なのではない。嵐山隊のイメージが、ボーダーのイメージになる。
 組織とは面倒だと、そう思わないとは言わないが、時枝が納得してその位置にいることから、菊地原がそれを口に出すことはしない。
「明日、放課後、暇?」
打ち払うように問いかけた。
 一瞬、本当に一瞬、間が空く。
 「明日は午後に防衛任務入ってるから、それが終われば、暇」
「ん、分かった。おまえの家が良い? それともぼくの家来る?」
意味が分かっているかなど、聞くまでもない。明日は金曜日で、進学校でもないこの学校は土曜に授業などない。つまり、そういうことだ。
 「…菊地原の家、行ってみたい」
「わかった。掃除しとく」
小指を絡めた。
 それが名残惜しい唇の代わりだなんて、絆されているにも程がある。

***

13.鷲の爪 


 学校帰りの道で、その姿を見つけた。
「時枝」
逃げなかったんだ、えらいね、と無感動に言えば、逃げる必要もないでしょ、と返される。
「菊地原はオレが逃げると思ってたの」
「思ってなかったけど」
「じゃあ何でそんなこと言ったの…」
「なんとなく」
隣を歩き始めるその手を、握ることはしない。まぁ正直手を繋ぐくらいは、とも思わないこともなかったが、何処から煙が立つかも分からない。世の中にはどんな小さなことからも粗を探そうとする人種がいることを、菊地原は身をもって知ってしまっている。
 それが、時枝に向いたら。嵐山隊のように、組織のマスコットを務める存在が貶められるのは、ボーダーという組織が気に食わない者にとって非常にありがたいことだろう。
 そんな思考を振り払うように時枝の方を向く。
「まぁ、時枝が逃げたくなっても逃してやんないけど」
 その言葉に、時枝はふわりと笑った。
「オレだって、菊地原逃がしてやるつもり、ないからね」
やはり心臓はうさぎのように跳ねていて、こんなに穏やかな顔をしているのに、とちぐはぐさに口角が上がる。
「…のぞむところ」
 ひと目がなかったら今すぐ抱き締めてやるのに、とそんなことを思った。

***

14.らっこの舌 

 ん、ん、とうわずった、双方の鼻から甘く抜けていく呼気音に、じりじりと胸が焦がれるような心地になる。今、どんな顔をしているんだろう、ふと気になって目を開ければ、ほとんど同じタイミングで目を開けた時枝と目が合った。

 菊地原の部屋に入って一言、時枝はきれいだね、と零した。おまえの部屋ほどじゃないよ、と返せば、まぁそうかもしれないけど、と返って来る。時枝の部屋が本棚の中まできっちりしていたのに対し、菊地原の部屋の棚は、整理整頓されてるとは言いがたい。
 荷物をその辺に置いてベッドに腰掛ける。そうして自分の隣をたしたし、と叩けば、時枝は何も言わずにそれに従った。
 心臓の跳ねる音。
「今日、隣の部屋、両方ともいないから」
「…いない日選んだの?」
「うん」
菊地原はボーダーの管理する寮で暮らしている。寮とは言えど警戒区域近くで値段の大幅に下がったアパートを、ボーダーが丸々購入して寮として利用しているだけで、一人暮らしと何ら変わらない。
「だって困るでしょ、」
噂とか、立ったら。そう呟けば困ったような、不本意ではないとでも言いたげな顔をされたので、謝られる前に唇を塞いだ。

 どこかとろりとしたその目に、は、と息を吐くついでに唇を離す。きっと同じような目をしているんだろうな、そう思った。
 ねぇ、ときえだ、とその頬を包む。
「ああは言ったけどさ」
「ん?」
「もし時枝が、こないだ言った理由のほかに、怖いとか、そういうのがあるんなら、ぼくだってちゃんと引けるけど」
どうする、とその目を見据えた。
「…ばかじゃないの」
いつもとおなじ、まっすぐな目。
「ここまで来て、今更引くとか、生殺しでしょ」
 とん、と心臓の跳ねる音がした。
「菊地原はどうなの」
「どうって」
「やめても良いって、本気で思ってんの」
拗ねたような物言いに、もう、と口を尖らせる。
「頼むから、煽らないでよ。いっぱいっぱいなんだから」
「そこはお互い様だよ」
「もぉ〜…」
かなわない。そう思いながら引き寄せる。
 本日二度目のキスは、ひどく甘く感じた。

***

15.翡翠の肺 R18

 一つひとつ、釦を外していく丁寧さに、むずがるように時枝が身を震わせた。
「あの、さ、きくちはら」
緊張した声に、一度菊地原は手を止める。
「そんな、えっと。手順踏まなくても、いいよ」
「は?」
思わず声が漏れた。何の手順なのかは問うまでもない。
「時枝ばかなの? 手順踏まないとか出来る訳ないじゃん」
痛いのそっちでしょ、と責めるような口調になった。時枝は気にしないといった様相で、ゆるゆると首を振る。
「準備してきたから」
 じゅん、び。菊地原は暫しその言葉を口の中で繰り返した。そしてすぐにその意味に思い当たって、ええ、と零す。
「自分でほぐしてきた訳? うっわ、ヒく。へんたい」
「ほぼ自己防衛のためだからへんたいじゃないよ。菊地原セックス下手そうだし」
 ぴし、と何処かで音がした気がした。何かにヒビが入ったような、音。
 下手そうって、と思う。確かに、確かに経験がないことは認めたし、普段の行いからあれやこれや丁寧さのようなものが似合わないのも自覚はあるが。それでも仮にも恋人を捕まえて、下手そう、なんて言うのはひどくないか。
「ときえだ」
「なに」
微塵も悪いと思ってなさそうな顔に、ぷちん、と今度こそ何かが決壊する音がした。
「泣いてヨガらせて今の言葉、撤回させてやるから」
覚悟してよね、とそのまま押し倒した。

***

16.くじらの喉 R18

 意地でも優しくしてやる、と冷静な自分がいたら即座にツッコみそうなことを思いながら、丁寧に指を滑らせていく。時枝はと言えば口元を抑えて、耐えるように目を細めていた。
「声、我慢してもぼくには聞こえるからね」
意味ないよ、と震える喉に接吻けを落とす。その骨ばった喉が、自分と同じようにせり出した軟骨が、同じ男であるのだと伝えているようで、なんだか笑ってしまった。
 時枝も気にしていたように、本来こういうことは女とするものであって、今のこの状況は他から見たら異様なものなのだろう。
 でも、だから、それがどうしたと言うのだ。
 ときえだ、と呼んで、往生際悪く口を塞いでいた手を退ける。退かされた時枝は不満そうに、きこえるんじゃないの、と呻いた。それにきこえるけど、と返す。
「でも、がまんしてほしくないじゃん」
おまえが、ぼくでいっぱいいっぱいになってるの、ききたいじゃん。
 そう付け足すと、耳から首筋までがぼっと赤くなる。
「〜…ッ、もう…」
「わかった?」
 わかった、と返って来た声は蚊の鳴くような声だったけれど、菊地原にはそれで充分だった。

***

17.ペンギンの背骨 R18

 仰け反りそうになるのを耐えているのか、肩に置かれた指が食い込むのを感じた。
「ときえだ」
気を紛らわせるように、ぽんぽんと背中を叩く。大丈夫か、なんて聞かない、聞けない。本来そういう器官でない場所に指を突っ込んでいるのだ、いくら本人が準備して来たと言ったところで、感覚がそうすぐに追いつくかと言うとそんなことはない。
 汚れると困るので、二人とも制服は脱いでいた。ベッドの上で、菊地原が膝立ちになった時枝を抱えているような格好である。顔が見れない、と時枝がごねてこの体勢に決まったものの、当の時枝は菊地原の肩に顔を埋めてしまっていた。それがもったいないとは思いつつも、無理に顔を上げさせることもなく、指を動かす。
「きくちはら、ねちっこい…」
「そこは丁寧っていうとこじゃないの」
気持ち悪さが薄れて来たのか、発されたのはそんな言葉だった。動きに合わせて漏れる声も、先ほどまでの呻きとは少し変わってきている。
 本人もそれを自覚しているのか、ねえ、と呼びかけた。が、相変わらずその額は菊地原の肩に押し付けられている。
「もう、準備、出来てるんだから、いれたって良いのに」
「あのねえ」
流石に呆れて眉を寄せた。
「時枝って情緒とかないの」
あると思うけど、と弱々しい声があがる。
「寧ろ菊地原が情緒を大切にしようとしてることに驚いてる…」
「ぼくのことなんだと思ってんの」
盛大にため息を吐いてやった。
 背中に回したままだった手で、背骨をなぞる。くぐもった声は苦しそうなものではなく、それに幾許かの安心を感じて。
「心配しなくても、ちゃんとさいごまでするし」
その言葉に、肩口で嬉しそうな息がこぼれ落ちた。

***

18.うさぎの眼球 R18

 はいったよ、と耳元で囁いてやれば、菊地原の首に縋り付いていた腕が少し緩んだ。
「ぜんぶ?」
「ぜんぶ」
「ほんと?」
「ほんと」
よかった、と言った声は湿っているような気もした。
「みつる」
呼べばゆるゆると頭が持ち上がる。こちらを見やった目は確かな熱を帯びていて、それがひどくおいしそうに見えた。
 何を言うよりも先にその頭を引き寄せると、べろ、とどろどろの瞳に舌を這わせる。
「ん、あんまおいしくない」
「め、とか…ほんと、趣味、わる」
「その趣味悪いのが好きなのは誰だよ」
「オレだけどさ…」
苦い顔。それに笑ってから、
「ていうかぼくの名前は呼んでくれないわけ?」
ちょっと期待してたんだけど、と拗ねてみれば、確信犯だったの、と呆れた声が返って来た。
 「…しろう」
「なに」
間髪入れずに聞き返すと、また少しだけその眉根を寄せて。
「キス、してよ」
こてり、と首を傾げるなんていうあざとい仕草付きで言われたそのおねがいを、菊地原が断る理由などなかった。

***

19.ヤモリの瞼 R18

 ピピピ、と携帯のアラームで目が覚めた。
 いつものようにそれを止めると、隣でもぞりと動く時枝。
「…ん、あさ?」
「うん、朝」
「おはよう」
「おはよう」
双方寝ぼけ眼でそう交わすと、ぎゅう、と互いを引き寄せる。
「どっか痛いとことか、ない?」
「んー…多分、だいじょうぶ」
 一晩経ってみると昨日のことがすべて夢のようで、けれどもこうして二人一緒にいるのが、何よりもの証明のような気もした。
「今日、何時から?」
「四時」
「ならもうちょっとゆっくりしてられんね」
菊地原の任務も午後からのものだけだ。昨日は風呂を済ませてからすぐに眠りに就いてしまったこともあり、起きた現在の時間はまだ早朝である。
 そうだね、と頷いた時枝は暫く何か考えていたようだった。それから思い立ったようにするり、と菊地原の首に手を回す。
「…しろう」
「な」
に、と言葉が終わる前に、唇に啄むような接吻けがひとつ。
「すきだよ」
完全な不意打ちでぽかん、としている菊地原に、時枝はやわらかな微笑でそう言った。
 見蕩れる。
 しろうは、と問われて我に返った。先ほどされたように、触れるだけのキスをひとつ。しっとり、とはいえなくとも、カサつくことのない滑らかな薄い皮。テレビに出る関係もあるのかもしれないな、とどうでも良いことを思った。
「ぼくも」
至近距離。他の誰にも聞こえないだろう、そんな内緒事を囁くような声で。
 「ぼくも、みつるがすき」

***

 時折、こういうことをする。お互いの汗を塗り込め合うような、そんな遊びを。
「ときえだ」
薄い唇が甘々しくその名を呼ぶ。
 その瞬間が、オレはとても好きだ。

うさぎの顔では笑えないよ R18

 本当のところ、こうなったことを後悔することは、ないとは言えない。オレも菊地原も男同士で、これから先とか世間体とか、きっとこんなことを言ったら怒られるのだろうけれども、そういうものが気にならないということはない。一応はテレビに出て人の前に立って、時には笑顔を振りまいて。そんな立場にいれば自然と、所謂くだらないものがどれだけ大切なのか、分かってしまうから。
 だから、この感情を抱いた時、最初に思ったのはどうして、ではなくて。
―――ああ、これは絶対に黙っていよう。
そういう、ものだった。
 それでも悪運が強いのかそれとも神様とかの悪戯か、その感情は暴かれて、なんやかんやで付き合うことになって。しあわせだ。幸せだけれど、これで良いのだろうか、と思うことはなくならない。
「ときえだ」
今度は頬を叩くような、しっかりした声だった。ぐらぐらと身体を支配する痛みなのか快楽なのかもうよくわからない衝動に、追いすがるようにして菊地原を見る。
 あのね、と言葉を零した菊地原は、少し拗ねているようだった。
「そやって、ぼくでいっぱいいっぱいになってるおまえも良いけど。時々は笑ってよ、ちょっと自信ゆらぐから」
いっぱい。その言葉にゆるゆると羞恥がのぼってくるのが分かる。いっぱい、いっぱい。確かにそうだった。からだも、こころも。それを誤魔化すように呟く。
「…ちょっと、なんだ」
「ちょっとだよ。だって、」
 おまえがぼくをきらうなんて、ないんでしょう?
 そんな自信満々な言葉に、笑みが零れていった。そういう笑みを見たかった訳じゃないだろうに、それでも菊地原は頷いてくれた。
「………みつる」
そっと耳元で、内緒話のように囁かれた名前が、まるでオレのあさましさを許容してくれるようで泣きたくなった。



蝋梅
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20141127

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20200217