煙の首輪 

 そういえば、と堤から声が上がったのはとある午後のことだった。
「アンタ、なんで俺の前では煙草、吸わないんですか」
「え」
「今も、やめた訳じゃあないんでしょう」
匂いがします、と首元へと顔を埋めれば、ああだのいやだの要領を得ない言葉だけが上がる。
 あの一件以来はれて恋人となった堤と諏訪だったが、どうにも諏訪は未だ距離感を掴みあぐねているようだった。堤としては長年あれやこれやしたいと思っていたことが許される関係になったので、大分はっちゃけている自覚は勿論あるが、それを差し引いたって諏訪の反応は初々しすぎる。とは言えそれを可愛いなどと思ってしまう堤も堤なのだが。
 話が逸れた。
「俺今植物ですよ」
「知ってる」
「光合成出来るんですよ」
「聞いた」
「だから大丈夫ですって」
堤の腕の中でうう、と唸る諏訪。
「…別に、お前が植物だってこと、気にしてた訳じゃねえよ」
じゃあ何を、と返すとまたその眉が困ったように寄せられる。別段困らせたい訳ではなかったが、隊長をしていた時では絶対に晒してくれなかったであろうその表情に、いろいろと沸き上がってくるものがあるのを感じた。今人間でないことにこれほど感謝したことはないかもしれない。人間だったら確実に襲っていた。
 暫くの間黙っていた諏訪だったが、沈黙に耐え切れなくなったようにぼそぼそと喋り出した。
「日佐人が、」
予想もしていなかった部下の名前に堤は小さく目を見開く。ここ数年二人には交流はないはずだったが。笹森が何度もメールも返って来ないのだと文句を言っている姿を目にしたことか。
「日佐人が、お前がモテるって、言ってたから」
メールで、と付け足される。どうやら見るだけは見ていたらしい。
「はぁ」
「ホントに一緒なの、諏訪さんなんですか≠チて」
煙草変えてからアイツに会ってなかったから、すっげー疑われた。その言葉にああ、と頷く。諏訪が煙草の銘柄を変えたのは現地調査員として世界中を飛び回ることになってからだったし、それから全くと言っていいほど会っていない笹森が知らないのも無理はない。
「オメーがオレと会ったあとって、煙草臭いんだってよ。それで、あっちこっちでヘビースモーカーの彼女がいるって噂が立ってた、って聞いて…」
「気にしてたんですか」
思わず笑うと、おまえなあ、とだれた目線が飛んできた。
「女々しいですね」
「いやオメーにはゼッテー言われたくねえよ」
 それにもう一度笑うと、また首元に顔を埋める。
「煙草、普通に吸って良いですから」
「吸ってるけど」
「もっとです」
「お前オレのこと殺したいの」
昔は量減らせって煩かったくせに。覚えられていたことに胸が詰まる。
「…今は、」
 大人になったんですよ、そう言うのは簡単だろうけれども。
「アンタの香りに包まれていたいんですよ」

***

馬鹿とはさみ +風太刀

 堤を助手という立場に置いてからというもの、研究棟からのあつーい熱望もあって、諏訪の活動報告書提出は研究棟に直接、という形になった。堤が毎回来るかどうかは本人次第であるものの、繋がりがほとんどなくなってしまうよりはマシ、と研究棟のメンバーの大部分が思っているらしかった。
 それを受けるのは大方が風間である。総務で主に雑用をこなしている、というのは別段皮肉や謙遜ではなく事実だったらしい。そのことを素直に告げれば、
「あれには出来ないだろうからな」
なんて言われてしまった。あれ、というのが誰を指すかなど、今更聞きはしない。
「まーオレだって別に報告とか、室長にするモンだと思ってる訳じゃねえけどよ…」
なんと言っても太刀川だ。あの、太刀川だ。大学の単位というか、ボーダーがなければ高校卒業も危うかったレベルの太刀川だ。諏訪とて今更、其処に期待などしていない。
 というか、だからこそ浮かぶ疑問がある。
「なんでアレが室長?」
「ノリとテンションじゃないか?」
「まじで?」
「じゃあお前は室長を務められる頭が太刀川に備わっていると」
「思わねえな」
「そらみろ」
 A級一位として指揮は出来たが、それ以外はからっきしだった後輩を思い出して、そしてそれに総じて甘かった本部の大人たちを思い出した。
過保護というのは人間を駄目にすると、実感することの出来たとても良い例だった。
「まぁ、実際のところ、太刀川を手放したくなかった上層部がそこそこの地位を与えたかったというのもあるのだろうな」
「…それこそ本部勤めでよくね?」
「理由は知らんが、駄々をこねたらしい」
言葉の上では知らんと言った風間だったが、その顔はどう見ても知っていると言っていた。
 それを訴えるようにじとり、と視線をやると、ふ、とその唇が歪む。
「あいつはあれで良いんだ」
目を伏せた風間が資料を引き寄せた。
「あのままが、一番良い」
 そうして資料に目を通し始めた同級生にため息を吐く。
「はいは、お熱いこって」
これ以上聞いたら、なんだかアテられそうな気がした。

***

エンドレス・キッドナップ 

 ジャングルの中だった。控えめに言ってもジャングルだった。周りに緑しか見えない上に、目の前には原住民の皆様がいる。しかも昔ながらの暮らしをしている感じの方々である。世界の果てである。諏訪だってこんなところに来たくはなかった。昔ながらの暮らしを馬鹿にする訳ではないけれど、電気も通っていないような所に進んで来たいと思う現代っ子がいるものか。子なんて年齢はもうとっくに過ぎたけれども。
 しかしながら諏訪とて社会人である。上司の命令には従うしかない、悲しい社会人である。そういうことなので諏訪はため息を吐き、隣の堤に話し掛けた。
「堤、翻訳」
「ええー…そろそろ諏訪さん自分で語学力磨いてくださいよ」
「そのうちな。ほら、はやくしろ」
よく今まで大丈夫でしたね、というツッコミには答えない。今まではトリガーを起動してこっそり採取やら何やらをやっていたので、現地民と喋ることは正直そんなに必要ではなくて、英語くらいでどうにかなっていたのだが。真面目な堤がそれを許すはずもなく、真正面から切り込んだところで、こんな原住民の皆様に囲まれる羽目になったのではあるが。
「ええと…この辺りは最近ずっと日照りが続いていて」
「大変だな」
「雨乞いの儀式をしようと思っていたところで」
「ほう」
「神に捧げる供物がなくて困っていたが」
「雲行き怪しくなったな?」
「生贄が来たからこれで安泰だ」
「なあ」
 嫌な予感に隣を見遣る。
「その生贄ってオレらのことじゃねえよな?」
「俺らのことですね」
「ねえ堤サン、もっと慌てて」
皆様は既に捕獲の体勢に入っていた。慌てて堤を担ぎ上げる。
「ちょ、諏訪さん何ですか、セクハラですか」
「ちっげーよ! 逃げるんだよ! 馬鹿!!」
「俺走れますけど」
「そんなオメーの子鹿みたいな足頼ってられっか!」
 後ろの方々はやんややんや言いながら追いかけてくる。ちょっと振り返った瞬間に槍とか見えたのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。そんな状態なのに担がれている堤の方は気楽なもので、のほほんと後ろの実況をしてくれる。
「あの網で俺らのこと捕まえる気ですかね。あ、あの槍、米屋思い出しますねー。他に槍使う子出て来たんでしょうか。槍良いのに! って言ってましたけど。弟子志望は結構来るけどなかなか槍使いたがる子がいないって嘆いてましたよー。あ、そうそう、三輪も開発に入ったんですよ、知ってました?」
「知らなかったけどそれ今言うこと!?」

 そうして死に物狂いで走って、なんとか皆様からは逃げ切った。逃げ切ったは良いが迷子になっていることは気にしない。今は逃げ切れたことを喜ぶべきだ。
 やっと地面に降ろされて、そのまだ頼りない足で立った堤は、何か不満があるような顔をしていた。
「もっとこう、運ぶのにもいろいろあったでしょう」
「何だ姫抱きの方が良かったか」
「そういう訳じゃないですけど、米俵みたいに…」
それが一番持ちやすかったからなのだが、言うことはしない。そんなことを言えば諏訪さんは男として何点ですね、とか始まりかねない。きっとその行き着くところはそれだから女にモテないからのだからこそ俺と一緒にいるんですかね、という結果本人が楽しそうな方向に行くので悪くはないのだが、それは右も左も分からないジャングルでそんなことをするほど諏訪の頭はぽわんぽわんではない。
「というか、良く生身で逃げ切りましたね」
「………ん? 生身?」
不思議な言葉が聞こえてきた。
「え、諏訪さん、トリガー持っているでしょう」
思いっきりその存在を忘れてたなんて言えなかったけれども、きっとバレているだろう。
 帰りはトリガーを起動してジャングルを飛び回っていたら、来た時の四分の一程度の時間で帰れた上に、目的であった採取もちゃっちゃと済んでしまったことについてはもう何も言わないことにしよう。

***

鏡の中の罪悪 

 誰も自分のことを知らない街だった。この街の一部で植物の異常発生があったとして、ボーダー本部から指令が下り、急遽飛行機に飛び乗る羽目になった諏訪は知らない街にいた。安っぽいホテルをとって、シャワーを浴びる。螺子が緩いのか、ぽたりぽたりと煩かった水音も、こうして出してしまえば気持ちの良い湯でしかなかった。
 顔を上げる。水浸しになった狭い浴室、ひび割れた鏡の向こうに、両目の色が違う人間がいた。紛れもない、諏訪だ。片方の目は普通の人間の色をしているのに、もう片方は真っ赤に染まって。ああ、まるで。
 あいつみたいだな、と思った。
 忘れることなど出来ない。片方の目の色合いが変わっていた、あの男のことを。諏訪の目の前で死んでいった、あの男のことを。ボーダーに所属している以上、そういう場面に立ち会う心構えはあった。自分がそうなる覚悟もあった。助けられなかった人が、味方が、死んでいくのを見るかもしれない、そういう最悪≠ヘいつだって考えていた。
 けれど、でも。あんな。思い出しても、空虚な同情しか浮かんで来ないけれど。仲間に殺されるなんて。思わなかっただろうに。
 きゅっと蛇口を捻った音が響いて聞こえた。鏡から目を逸らして、タオルを取る。ごわごわのタオルがあちこちに沁みるような気がした。液体でもないのに、この身体には傷なんてないのに。
 国外に出るにあたって、流石に攻撃用のトリガーは取り上げられたが、あれこれ逃げたりする用のオプションはたくさん付けられた。だからこそ、諏訪はどんな危険地帯にも足を踏み入れられる。ボーダーにふざけた地形訓練があって良かったと思ったのは、この仕事についてからだった。少なくとも、現役時代にはその恩恵にあずかることはなかった。
 ぽたん、ぽたん、ちゃんと閉まりきらない蛇口が音を立てている。冷える前に服を着てしまわなければ、そう思う。ごわごわのタオルが肌を引っ掻いていく。生身でさえ、此処に諏訪を傷付けるものなど何処にもないのに。
 誰も知らない街。誰も諏訪を知らない街。そんなところの安いホテルの一室で、諏訪が三門へ置いてきたはずの心を、締め付けるものなど何もないはずなのに。

***

言葉じゃ言えない 

 世界中を回っていればうつくしいものなんてくさるほど見られる。そんなことを思いながら、世界の何処かの断崖絶壁で、堤と諏訪は夕日を見ていた。
「きれーだろ」
「きれーですね」
人格がバターみたいに塗り込められている以上、堤にもまだちゃんと、ものをうつくしいと思う気持ちはあるのだが。
「何点?」
「三十二点でしょうか」
「低いな」
「まぁ、夕日って基本何処でも見られますし」
場所が変わったからといって、と言えばお前ってもったいない感性してるよな、と貶された。
 じっと、夕日を見つめる肩を、引き寄せる。
「…なに、」
「いえ、その」
自分が満点であることを除いても、こんなにも。
 うつくしいものが傍にあるからだなんて、口が裂けても言えなかった。



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***

馬鹿三人 +風太刀

 所謂科学者という分類の人間が、しかも同じ分野にいる人間(もうこの際人間の定義についてはあれこれ言わないことにする)が並べば、何かしらその分野の話になる。
 帰国した諏訪と堤はいつもの報告のため、研究棟に寄っていた。
「…という訳で、トリオン産出器として学習したこの生物たちを上手く口の中だとか、そういう比較的取り出しやすい場所に住まわせることが出来れば、身体に負担を掛けることなくトリオン量の底上げをすることが出来るのではないかと、
思った…んですけど、ね」
「知能がついてくるのは厄介だな」
「ですよねー…。元々バクテリアだったんで、そういうこと考えてなかったんですよ」
「っていうかバクテリアもおれらが認知出来てないだけで喋ったりとかしてるんじゃね?」
「ヤダきもい。なんでお前ら理系ってそういうことしか考えられねえの」
久々に堤が報告に顔を出したということもあり、近況報告から始まってもう諏訪にはついていけない話になった。風間も太刀川も科学者である。この中で、諏訪だけがそうではない。
 へいへい仲間はずれですよ、と煙草を手に取ったところで、部屋の外が騒がしいのに気付いた。
「今日、なんかあんのか?」
「いや、特に何もないはずだが…」
その騒ぎはどんどんとこちらへ近付いて来て、ばんっと勢い良く部屋の扉が開けられた。大きな音に諏訪は煙草を取り落とす。火をつけていなくて良かった。
「って、室長いたッ!!」
「えっなに、おれ? 今日は報告会出て良いって風間さん言ってなかったっけ!?」
「言ったが不測の事態もあるだろう。行ってやれ」
「うえええ横暴ー!」
ずかずかと部屋に入ってきて風間と堤と諏訪に一礼すると、その白衣の男は太刀川の襟首をむんずと掴んで引っ張っていった。よくよく見たらあれは歌川だったようにも思える。当時の隊員がこの辺りに固まりすぎてて笑えてくるが、それにしても子供の成長は早い。
 そんなふうにぼうっと嵐を眺めていた諏訪の目の前で、なあ、と風間が低く声を上げた。
「堤、お前、戻って来る気はないか」
思わず、瞬く。
「お前の頭脳は放って置かれるべきではないだろう」
「…風間さん、最近物言いが太刀川に似てきましたね」
堤が、この研究室に。
 諏訪には難しいことは分からなかったけれど、一度は副室長まで務めた男だ。その発想と実力で人望も厚かったと聞く。堤が研究室に戻ることは当たり前のことのような気がした。最初堤はあのまま地底へと行ってしまうつもりだったのかもしれないけれど、今は人間ではないとは言え、風間もいることだし気を付けていれば通常の業務は楽勝だろう。
 何も、困ることは、ない、はず、なのに。
「太刀川が拗ねている」
風間はため息を吐く。
「ああいう表情は確かに可愛いとは思うが…出来たらそれをさせるのは俺だけでいたいからな」
「………あれを可愛いとか言えるの、オメーだけだろうよ…」
思わずツッコんだ。あの二人、進展したらしいですよ、と堤に教えてもらったのはつい先週のことだが、それにしても風間はこんな甘ったるい言葉を吐く人間だっただろうか。恋というのは人格を変えるのか。
「風間さん、俺、戻りませんよ」
 堤は静かに笑っている。
「俺は、諏訪さんと一緒に、いるって決めたんです」
―――びりびりにしたって良いんです。
ふいに、あの言葉を思い出した。
 まるで呪いのように晴れ渡る、あの言葉を思い出した。風間はそうか、と呟いて笑う。
「ノロケなら余所でやれ」
「風間さんだって今ノロケたじゃないですか」

***

20141015
20141127
20150410