いっそ嫌われたかった。 

 思い出ばなしというのはいつだって美しくなってしまうものですが、と当然の顔をして理性的に詰めてくる、この男をいつまでもこどもにしておける訳がなかった。それは林藤たち大人の傲慢であったし、故にそれが原因で林藤が追い詰められることになっても、仕方がないと、そう、言えるけれど。
「何で俺なんだよ」
自分の声がこんな泣きそうなものになるとは思わなかった。仲間を失った時より、ずっと震えてしまう声。
「どうして、」
「それに、」
 手が、取られる。
「理由をつけたら騙されてくれますか」
顔は似ていて、でも表情が似ていなくて、なのにきっと同じ時間を過ごしてきただろうその名残が分かるから。
 一体、誰になんと謝ったら良いのか、もう、分からないでいる。



@bollboy21

***

アイアル梅雨前線 

 好きです、嫌いだよ、その応酬を何度したか分からない。そうすることでしか繋がれなかった、傷付け合うことしか、互いに許してやれなかった。
 それを、愚かとは言わないけれど。
「なあ、蒼也」
なんで俺なわけ、と困ったように笑うその人の顔を見れただけで、もうすべてが許せてしまうような、そんな心地になった。



終末の時あるいは幾千かこの場でつづられた問いかけの果て / 中澤系

***

言葉が毒になるってことをよく知ってるから。 

 風間のことを縛りたいわけではない、寧ろその逆だ。手放したい、なのに、風間はそんなことをしたら死んでやるとばかりに脅しを掛けてくるのだ。
「…なに、もう、お前どうしたら良いの」
「手元に置いておいてくれればそれでいいんですよ」
「抱かせてやってもいいけど」
「お誘いとしては魅力的ですが、貴方はそれをさせたら役目は果たしたとばかりに逃げるでしょう」
だからだめです、と風間は言う。弟子によく似た顔で、弟子が絶対に言わなかったようなことを言う。
「それに、」
 見上げるこの瞳のことを、蠱惑的と言えたらまだ、林藤は道を踏み外せたのだろうか。
「こうしていれば、貴方は一生、兄のことを忘れないで済むでしょう?」



honey. @slohoney

***

狡いくちびる 

 俺はお前のこと嫌いだよ、と言われてしまえば信じてやるしかなくなると、分かっているのにやってみせる、その不器用で甘えているつもりの自傷行為を、自由にやらせてやりたくて。
「ええ、知っていますよ」
この世界で彼の願いを叶えてやれるのは風間蒼也ただ一人なのだと思ったらひどく興奮したし、それも承知の上での発言なのだからどうせ、茶番のようなものなのだ。



眼差しで破壊 @goodbye_my_tear

***

むすんでひらいて 

 その手がもうたくさんのものを持っていることを知っていた。人間の手には当然持てる限界があって、それでもその人は何も言わないから。何も言わずに、風間のことを風間と呼ぶことすら出来ないままのくせに、手が必要なら、なんてことをいつもの顔でやって来る。表情は読めないだろうと、そんなことを思われているようで。
 こどもを、馬鹿にしている訳ではないのだと思う。
 彼の周りには偶然かそうでないのか、こどもがよく集まった。戦うことしか選べなかったようなこどもが、戦うことしか選べないような未来を模索する大人の周りに集うのは、確かに当然のことと言えただろうけれど。それが風間にはどうしても、いびつなような気がして。
「林藤さんは、」
開けたままの窓から風が入ってくる。この窓は、本来開けておくべきものではないはずだった。支部だからと言って玉狛に守らなければならないものがない訳ではない、それが分かっているのに、林藤は窓を開けておくことをやめない。風間自身がやめろと言ったところでやめないだろうし、周囲だって止めないだろうことを分かっているから何も言わないけれど。どうせ危機管理くらいはやっているはずだった、だから風間が何を言うこともないというのも勿論、あったけれど。
「誰かをとくべつに思いたいと思いますか」
 どんな答えが返ってくるかなんて。
 とうの昔から知っていたような気がする。
「―――いいや?」
風間にとってのとうの昔が、林藤にとっての最近であることは分かっているけれど。
「そういうのは、俺には似合わないから」
「でしょうね」
「なにそれ、分かってるみたいな言い方」
「分かってるんですよ。………分かりたいんですよ」
手を伸ばすことは出来ない。そんなことをしたら林藤は風間の手を取るから、もう限界を越えているのに、それでも平気なふりをするから。
「貴方が分からせないように立ち回るから、賢くなりたくなったんですよ」
「………そりゃあ、」
 頬が掻かれる。その仕草の下に隠された感情がどういうものなのか、風間には未だ分からない。でも、何か隠されている、というのは流石にもう、分かる。
「悪いことしちゃったな?」
「いえ、役立つので良いです」
「役立つって何に」
「人生とか、何にでも」
「そんなスレた人間になって欲しかった訳じゃないんだけど」
「ボーダーに入ったならどうせ、同じでしたよ」
手を、伸ばすことと。
「林藤さん、」
 差し伸べることと。
 どうやったら違うように受け取ってもらえるのか、教えてはもらえないから。
「俺は、大人になりましたよ」
「お前はまだこどもだよ」
「そうでしょうね」
「何、聞き分けいいじゃん」
「いつも俺は聞き分けがいいですよ」
ただ言葉の応酬の末に、手を伸ばしてもらえることを待っている。
「聞き分けが、とても、」
 林藤がそういうことを決して、とくべつ風間に対してはしないだろうことを知りながら。
「良いんですよ」
「………知ってる」
 風が吹いている。
 その先を見てみれば月がぽっかりと浮いていて、なんだかおかしかった。



(巡り会えたよ)



とくべつなだれか 神経衰弱のようにいつかはめぐりあえるの? / 北原未明

***

冷たい指先に火を灯す 


 また冷えてる、とその指が頬に伸びてくる瞬間、ほんの少しだけ、一瞬以下、躊躇いというものがあるのだと知っている人間は幾らいるだろうか。あまりいないだろうな、と思う。そもそも林藤にとって風間みたいな存在の人間がそうそういてたまるか、とも思うのだし。風間みたいな、というのは死んだ弟子の身内であるとか、それが組織内で対立した意見を持っているままだとか、未だに何も入っていない墓参りに並んでいくことを断られるだとか、それでも痕跡を隠そうとはしないことだとか、まあ、きっと痕跡は隠しきろうと思えば出来るのだろうけれどそれをしたら墓参りをしていないと思われて風間に首根っこを掴まれて連行されることを恐れているのだろうこととか―――あとは、そう、恋愛的な好意、なんてものを抱かれていること、だとか。
 なんで俺? と第一声と共に煙草が落ちたのを今だってありありと思い出される。そういえば嘘だとか罰ゲームだとか、そういうことは言われなかったな、と。迅に確認したことがあるけれど、あの日のことは視えてはいたが伝えなかった、と言っていた。だって言ったってどうしようもなくない? とぼんち揚をばりばりと噛み砕きながら言った迅に、それもそうだな、と返したのだって記憶に鮮やかだ。
「寒い?」
「ん」
「その返事どっちだよ」
「ん」
「眠いみたいな声出しやがって。寝るなら布団行け」
「ソファで良いです」
「突然普通に喋るなよ、びっくりするだろ」
「注文が多い…」
なんで、という問いに。
 風間は解えられなかった。分からなかったから、正直に分かりません、と言った。その受け答えの間に林藤は落ちた煙草を拾って、それから火を消した。その一連のどうでも良い動きすらひどく大切なもののように思えてしまったのだから、もう手遅れだったのだろう、ということは分かるけれど。
―――今だって、
分からない、と言えば分からない。好きな箇所を挙げ連ねることは出来る。でも、それが理由になるかと問われると首を傾げてしまうことだろう。林藤の指が風間の頬を滑り終わったのをいいことに、そのまま捕まえる。風間が冷たいのではなくて林藤があたたかいのかもしれないと、この人であれば考えたことはあるだろうに。
―――恨んで、
いないと言ったらきっと、嘘になる。そういう嘘を吐く方が、きっと林藤にはこたえるのだろうけれど。そういう、間にある面倒なもののすべてをひっくるめても、好きだと思ってしまった。だから唇を噛むような真似も出来なくて。
 ただ。
 何の前情報もなくても、林藤が風間に真っ向から向き合ってくれる、ということだけは分かったから。分からないけれど、好きなんです、と言った。繰り返した。あー…、と困ったような声がして、どうしよう、と言ったようにそのまま林藤が座り込んで。
「林藤さん」
「何」
「寒いです」
「じゃあ窓から来るのやめろよ」
「林藤さんが窓閉めるようになったら考えます」
「それさあ、やめないって言ってるのと同じじゃん」
風間を見上げて、それから数度瞬きをしてみせて、それから言われた言葉を今でも覚えている。
「………蒼也、」
―――なんでお前、そんなに断る理由がないくらいの好青年なわけ?
 やわらかな声で現実に戻ってくる。あれから年齢の差だの思い出したように性別などを盾にされたけれど、結局林藤が断りきれずに恋人という関係に落ち着いた。当然、だからと言って間にある面倒なさまざまが一気に片付く訳でもないので、会う時間も限られてしまうけれど。
「………俺は、」
ふいに、反響する廊下が蘇った。
「ずっと、風間≠ノはなれませんか」
「何、なりたいの」
「いえ…」
 風間を呼び止めたのはC級の隊員だった。最近ではめっきり減った質問、それは林藤が玉狛にこもっていることが多かったからなのだろう。本部に詰めていれば自然、話を聞く人間は出てくるし、特に林藤は喫煙室を利用したりもするから、そこから話が伝言ゲーム式に広まることだってある。分かっていてやっている部分が、ない訳ではないのだろうけれど。
「太刀川のことがあるので、時々師弟なのかと聞かれるんです」
「そりゃあないだろ。俺とお前じゃやってけないって普通分かるじゃん。戦闘スタイルも思考も全然違うし」
「聞いてくるような層は貴方の戦闘スタイルを知りませんよ」
「あー…そうか」
そんなに経ったのか、と林藤は言わなかった。言わなかったけれども思ったのは分かった。
 だから、捕まえていただけだった手に指を絡める。
「林藤さん」
「何」
「寒いです」
「はいはい」
それで暖が取れるなら好きにしろよ、と。
 利き手ではないからと言って自由を任せてもらえることが風間にとってどれだけ優越を抱かせるのか、知らない訳ではないだろうのにやってしまうようなところが。
 この手を離せない理由の一つになれば良いのに、と願った。



イトシイヒトヘ @ZelP_t
作業BGM「ヘドニストの幸福な食卓」GUMI(TaKU.K)

***

御伽噺は要らない。


欲しいのは温もりだけ 

 換装体でない方が良かっただろうか、と一瞬、よこしまとも言える考えがそっと、頭を過ぎっていった。別に、生身であるからと言って何かが変わる、という訳でもなさそうだったけれど。ほとんど生身と同じように生成されるこの身体は風間たちの日常になっていたし、相手が換装体であるのに此方だけ生身に戻るというのも何か違うような気がした。
 こんな大きな建物の隅の方に隠れるようにして、身体を押し込めてくっついている、この状況を誰かに見られたらそれは大問題だろうな、と思う。旧くからの顔はさておき、諸々の事情を知らない世代の方が多くなってきたのだから。少し前までは玉狛まで行ってもひと目につかなかったけれど、向こうは向こうで新しい風が入ってきて、それもやりにくくなった。勿論、それに文句を言うようなことはしないけれど。人が増えるのは良いことだ、その分戦力も増えるのだから。戦力が増えれば戦略だって増える、昔のように―――何も出来ないまま終わってしまうことは、きっと、ないはずだった。当然、敵だって力をつけてくるのだから、絶対などないことはよく、分かっているけれど。
「何か考え事?」
降ってきた声に、まあ、そんなところです、と呟く。
「俺は聞かない方が良いこと?」
「いえ、………ただ、会える時間が減ったな、と思って」
「あー…まあ、そうね。忙しくなったし。遠征のことだってあるし」
「………それを考えると、回り回って貴方が部下を制御しきれなかったのが問題なのでは?」
「それを言っちゃったら俺らに黙って根付さんに指示出した城戸さんの所為になるよ」
何か言ってくれたら代替案だって出せただろうし、修をあんな場所に出すことだってなかったよ、と言われてしまえばそれまでだろうが。
「本当に代替案があったんですか」
「絞り出しただろうってこと」
「…まあ、貴方はそういうこと、得意ですからね」
「得意って訳じゃないけど、まあ、未来ある若者たちのためにはぎゅうぎゅうに脳みそ絞るよ」
「そうやって、八方美人みたいなことを言う」
「幹部なんてそんなモンでしょ。蒼也だってそのうちそうなると思うけど?」
「たとえこのままボーダーに残るのだとしても、貴方と同じようなことは出来ないと思いますが」
 風間に出来るとしたら、それは城戸の立ち位置に似たことくらい、なのではないか。忍田のような動きだって出来ないと思っていた。まあ、今の上層部はただ一つのモデルであって、本当に世代交代なんてものがあったとしてもそのモデルに拘る必要はない。何せ、風間の世代には太刀川も迅も嵐山もいるのだ。あと、まあ、唯我も世代に数えて良いだろうか。
「たとえ、って」
「何ですか」
「いや、蒼也がたとえ、とか言うの、ちょっと面白いなって」
「………」
言いたいことは、なんとなく分かった。
 絶対に死んでもこの組織にしがみついてやる、という覚悟でボーダーに入ったのだ。それ以外は考えていなかった。此処を墓とする、くらいの気持ちだったのだ。それが―――会話の端であったからと言って、たとえ≠ネんて。此処から離れるかもしれない未来を口にするなんて。あの頃の風間からは絶対に考えられないことだっただろう。
「…誰の所為だと思います?」
「俺の所為?」
「そうですね。誰かさんがふざけたように旅に誘ってくるので、少し意識が乱れてるんです」
「ふざけてるつもりはないんだけどなあ」
旅先でだってボーダーに貢献出来ない訳じゃないし、と呟く林藤は、きっと風間がそういうことに向いてはいないと知っている。二人とも、分かった上での会話なのだ、どうでも良い、空白を埋めるようなもの。くだらない未来の話を出来る、それが四年前には考えられなかったことだと、誰が分かるだろう。
「…林藤さんは、」
「なに」
「俺に甘いんじゃないですか」
「ええ、何、嫌なの」
「別に。嫌じゃあないですけど」
 これでも一応、恋人ではあるのだ。忙しくて大したことなんて出来てはいないけれど。そんなだから換装体でない方が良かったか、なんていう思考のことをよこしま、なんて思ってしまうのだろう。別によこしまでもなんでもないだろうに。風間が勝手に思っているだけだ。
「…冷たく、」
こんな台詞は。
 ぐりぐりと額をこすりつけながら言うようなものではないだろうに。お前それ好きよね、と言われたのが遠い昔のことのように感じられる。
「してくれても構わないんですよ」
「…誰が、」
嫌でも可愛い弟子のこと思い出すんだぜ、と言う言葉に棘はない。風間がそれを手段として使っても、追い詰める最後の一手としては使わなかったことが評価されているのだと思う。仮にも恋愛についての話で、評価、だなんて言葉を使うのは少々頭がかたいのかもしれなかったが。それでも評価は評価だった、風間と林藤の間にあるのはそういう、現実的なものばかりで、それを構築して恋愛なんていう毒にも薬にもならないものに仕立てあげているのだから。もしかしたらこれは笑うところなのかもしれないな、と思う。
「そんな器用な真似出来るかよ」
「貴方、意外と不器用ですもんね」
「馬鹿、お前にだけだよ」
「それは、まるで」
せめて換装体であっても、触れるくらいは―――そう思ったのに、結局、顔を上げたらそれも出来なくなった。仕方なく、ではないけれど、最初から言うつもりであった言葉をそのまま言う。
「告白のようですね、林藤さん」
「―――」
眼鏡の向こうで。
 ぱちり、とその目が瞬くのを見ることが出来るのが、風間だけであったら良かったのに。
「そういうふうに言うところは、」
ああ、もう、と言うように手が伸びてくる。わし、と頭を滑っていくその仕草にももう慣れた。最初はどうにも落ち着かなかったが、別に陽太郎にやっているのとは違うのだ、そう気にすることもない、と判断した。
 甘やかしたいのだ、と思う。
 それは今、林藤の目の前にいるのが風間だからで、林藤がそれくらいしか仕草を知らないからではなくて。なら甘んじて受けておこう、と思った。この仕草がいつか変わるのだとしても、風間が何か適当な反撃を思いつくのだとしても。どうせ未来にいることを想定してしまうのだから。
―――こんな戦場で、
どうしようもないくらいに、当たり前を実行している。
「全然似てねえよな…」
「こんなところまで似ていたら自己嫌悪でどうしようもなくなっていますよ」
「そもそもこんなくたびれたオッサンに構ってくれなくても良いんだぜ? ………あー、自分で言っててちょっとヘコんだけどそうなんだよな、俺、オッサンなんだよな…」
「何を今更」
それでも貴方が良いんです、とやっと、抱き締めるように腕を回したら、知ってる、と同じように返された。
 やっぱり換装体では、何かが物足りないような気がした。



ただ好きなだけ @tadasuki_bot
作業BGM「共依存」flower(ちいたな)

***

死ぬことも出来ない R18

 これに関して、もしも誰かにこぼすようなことがあって、その時にお前だってそうだっただろう、なんて言われるようなことがあっても、きっと林藤はいやそんなことはなかった、と胸を張って言えると思う。まあ、内容として胸を張って言うようなものではない、というのがまずもってあるのだけれど。最近生身でいることの方が少なくなってきたからだとか、単に加齢だとか、いろいろと言い訳は思いつくが、やっぱりこればかりはお前の所為だと少々喚いてもばちは当たらないだろう、と思う。
 清潔なシーツをぐしゃぐしゃと歪めていくのは、単なる睡眠でも同じだろうに。その度合いがどれくらい違うのか、どうしたって記憶に残るから、なのだろうか。罪悪感、までは行かずとも似たような感情が芽吹いてはぐるり、と欲に塗りつぶされて分からなくなる。否、目を逸らしているだけなのだろうけれど。
―――いけない、ことだと。
思っている訳ではない。ちゃんと納得して、あれこれ精算して、この関係は成り立っている。派閥だとか年齢だとか性別だとか、もうそういうのがどうでもよくなるほど真っ直ぐな感情を受け取ってしまえば、それはもう、絆されたって仕方のないことだろう、というのが林藤の主張だった。
「林藤さん」
「ん、」
「寝ないでください」
「ねれるかよ…」
 する、と背骨をたどる指を退かすようなことはしなかった。大抵最初の方は顔を見ていたいだのなんだの言うくせに、結局最後は半分うつ伏せになるような形になるんだよな、と思う。まあ、その方がすぐにベッドに転がれて良い、というのはあったけれど。いつの間にか外されていた眼鏡に手を伸ばそうか迷って、それからもう良いか、と思った。こんなに近いのだし、この距離であれば表情が見えないなんていう文句は言えないことは分かっている。
「なに、蒼也」
「何って」
「ねものがたり、でも、ご希望?」
「寝物語?」
「ピロートーク…って、言った方が、いい?」
「ああ…」
そういう意味ですか、と言ったその手がきゅ、とスキンの口を縛って、それからゴミ箱へと放り投げるのは分かった。見えなくても、まあ、それくらいは感覚で。風間が外しているところなんて想像も出来ないから、きっとちゃんと、ゴミ箱へと入ったのだろう。見えないからナイッシュー、なんてことは言ってやれないけれど。
 そんなふうに目を閉じようとしたのに、がさ、と箱を引き寄せる音で首を回す羽目になった。
「蒼也?」
「はい」
のそり、と。普段の動きからは想像もつかないような重たそうな仕草で―――いやこれは多分、甘ったるいと言うのだ―――風間がまた、背中側に回るのが分かる。腰の辺りを撫でられれば、未だ残る余韻がずくり、と頭を擡げるのは簡単だった。
「まて、って」
「林藤さん、」
「今ので、さいごだっただ、ろ」
「まだしたいです」
「わ、かい…のに付き合わせんな、いたわれ」
「そんなこと思ってないくせに」
額が押し付けられるのが分かる。そんな格好をすれば、まるで祈っているかのように見えることも、この目で見ることが出来なくとも想像くらいは容易かった。
 筋張っていく背中に、一体、何を願うのか。それを分からないでいられるほど残酷にはなれなかった、或いは、なりたくなかったのか。筋力を落とさないように、というのは考えているけれど、やっぱり人間の身体には全盛期、というのがあるから。それを考えるとやっぱり、二十歳前後のトリオン体はデータとして残しておいた方が良いだろうなあ、とも思う。それを使って真面に動けるか、というのはまだ分からなかったが。
「俺は、」
額と、背中の間に。
 その短い前髪が混じっていく。その感覚だけで、どれだけその背中が丸まっているのか分かる、のだから。
「しつこいですか」
「………そこまでは思ってないけどよ〜…」
そういう言い方は狡い、と思った。でもきっとそれを言えば、貴方の方が、と水掛け論になるのは目に見えている。せっかく触れ合っているのだ、そんな面倒なことはしたくない。でも、今すぐに頷いてやることも出来ない訳で。
「………もうちょっと休憩」
「休憩ということは続きがあると捉えますが」
「だってお前言い出したら聞かないじゃん」
「………それは、」
思っていたよりも驚いたような声がして、ん? と首を傾げる。やっぱり、眼鏡を取った方が良かったか。でも、この状態であればどれだけ身体を捻っても風間の表情は見えないだろう。
「貴方が…」
「俺が?」
「………いえ、良いです。休憩するなら水取ってきます」
「え、待って、水分補給必要なほど続けるつもり?」
「だめですか?」
「ええ、いや、うーん…」
 ひとが答えを探している間に、さっさとベッドを降りていく背中を見て、ああ、もう、と笑う。
「いーよ」
欲しい答えなんて一つしかないくせに、それが貰えなさそうな気配を察知すると背中を向ける、それがなんだか、取り残されたこどもの部分のように感じられてしまって。
「付き合ってやるよ」
「…掌、返さないでくださいね」
「お前、返す暇もくれないくせによく言うよ…」
俺の分も水ちょうだい、と言ったら、口移しで飲ませましょうか、と真顔で提案された。
 勿論、丁重に断った。



あきらめることだねきみのまわりには秩序が透き間なく繁茂した / 中澤系
作業BGM「とべない深海魚」琴葉葵(金魚線香)

***

ごめんねの代わりに愛してと言った 

 その人の真意の読めぬ笑みが、いつだって光で隠されてしまう目元が。鎧であるのだと悟るのはそう、難しいことではなかった。なのにどうして誰も踏み込まないのか、それは踏み込んだら面倒だということが分かっているからだ。いや、正しく言うのなら、分かるようにされている、からだった。その人の向こうに一体どういう過去が息づいているのか、それが一体誰の思想を裏返すようなことに鳴るのか、それが分からないほど、その人は近くに馬鹿を置かなかった。…馬鹿では、いさせてくれなかった。頭の出来の問題ではないのだ、戦闘の経験に近い。あの太刀川ですら関わるのはやめといた方が良いでしょ、と一歩引いてみせる。
 その先に。
 何があるのか、言語化出来ないくせに、それでも風間を引き止めてくれたのだろう、ことは分かっていた。
 だから、言う。
「太刀川」
「何」
「ありがとう」
「………いや、俺何もしてねーし」
「そうか」
「ただ、思ったこと言っただけ。それで風間さんが止まるとか思ってねーし、あと、風間さんが全部壊すとか、そういうことするとも思ってねーけど」
「………それは、過大評価だな」
「じゃあ出来ねーと思ってる」
「どうして」
「だって」
―――風間さん、林藤支部長の大事なもの壊せないだろ?
 踏み出した背中に乗った言葉は、憎らしいほどそのとおりだった。

 いつから、と問われたことはない。
「なんか気付いたらそうなんだろうなーって思ってさ、でもそれって別に派閥とかカンケーねえし。それでどうこう言うような城戸さんじゃあないだろ」
いつか問うてみたら太刀川にしては真面な言葉が返ってきて、笑ってしまったのを覚えている。何笑ってんだよ、と文句は言われたけれど。それほどまでに分かりやすかったとは思わない、素で気付いたのは太刀川くらいなものだろう。迅も気付いてはいるだろうが、それはきっとサイドエフェクトまで含めたものだから置いておくことにする。迅個人の観察力のことをおざなりに思っている訳ではないけれど。
―――蒼也、
いつだってその声は甘やかなものだった。からかいを含んでいるようで、距離を取らせるようで、その実ひどく、誠実で。もしも常の顔でそんなことを言ってみせたらきっと頭が可笑しくなったのだと言われることだろう。自分でもそう思うのだ、何か悪いものを食べたのでは、トリオンの影響かもしれない、なんて方向に話が進むのは予想に難くない。…そういう態度を、取っていた。取られていた。
 決して。
 この距離が一定以下にはならないように、けれども拒絶にもならないように。必要になったら使い倒せるように、そんな道まで作っておいたくせに。唇を噛むようなことはしない、もうそんな仕草は必要ない。
 技術開発室の横の道を入っていく。他にいた職員が、今日は迅じゃないのか、というような顔をしていた。
「風間です」
IDを提示して、入室許可をしっかり取って。当然それは機械相手だから文句など言われないけれど。
「林藤支部長、いますよね」
ぱちり、と瞬きをした職員がいるけど、と答えたのを聞いて、そのまま一番奥の部屋まで進んでいった。並んだ扉の向こうは見えないのに、どうしてか何処にいるのか分かってしまう。
「あれ、蒼也じゃん」
ノックもなしにどうしたの、緊急の頼み事? と笑ってみせたその仕草にもう惑わされることがないようにずい、と距離を縮める。目の端で扉がしっかり閉まったのが見えた。この部屋にだってカメラはあるだろうが、それで覗き見するような悪趣味な人間は此処にはいないだろう。
「―――」
 息を、吸って。
 吐いて。
 何から言おうか決めていなかったことに気付く。そもそも、何か言わなくてはいけないようなものでもないのに、どうしたってこの足は止まらなくて。それを衝動だとか、そういうものだけで片付けてしまえれば良かったのだろう。少なくともそれを望まれていたはずだった、でも、この胸には。
 どうしたって罪悪感が居座って仕方ない。
「俺は、」
ただの影に傷付けられてくれるような簡単な人ではないと思っているけれど、一度もそうやって呼ばないのはそういうこと≠セったのだろう。子供扱いされている、そう思えていた頃が正しかった、正しく、その意に添えていた。
 だけど。
 馬鹿でいられなくさせた大人たちの中に、この人だって入っているのだから。
「風間です」
「………知ってるよ、蒼也」
「風間蒼也です」
「だから、知ってる」
これは、共犯だと言っても良いはずだった。
「風間蒼也、」
 フルネームで呼ばれることだって、そんなになかった。それほどまでに風間≠ヘその人の中では大切な名前で、もう誰にも使いたくないのだと分かっていた、けれど。
「知ってるよ」
それを本当は共有したかった、けれど。
「怖いくらいに知ってるよ、蒼也」
「じゃあ、」
もうその先は言葉にならなかった。
 呼んで欲しい訳ではなかった、蒼也、で満足していた。
 そうだとしても欲しいものが出来てしまって、罪悪感と共に此処に来てしまったのだから、もう、どうしようもなくてただ手を伸ばして抱き締める。
 手は、振り払われなかった。
 それを感じながら、ああ、やっぱり共犯だ、と思った。



偉大なる何かへ捧ぐ贖罪の為だけにただ汝、愛せよ / とかげ
作業BGM「ハイファイレイディオ」KAFU(FLG4)

***

冷めたコーヒーみたいな体温の人。 

 人生はそう簡単に物語になってくれはしない、と思う。
 突然家族が失われて、それは異世界なんてものの所為で、そういう話を一気に流し込まれて納得するよりも先に現実が襲ってきて。それは後に大規模侵攻と呼ばれるようになるのだけれど、その頃は名前がつくなんてことにだって思い当たらなかった。それくらいに現実はありとあらゆる傷を残していったし、それで立ち直れなくて引っ越していく人々のことを責めよう、なんて思ったことはない。寧ろ、どうしてこんな危険な場所で和気藹々とやっていけるのか、正直分からなかった。
 ボーダーの人間になって、内部情報を知ったからではない。
―――兄が、
死んだのだ、と。そう言われたその日から、本当は風間の時間は動いていないのかもしれなかった。すべてではなくとも、そういう箇所があるような気がした。…あって、欲しかった。
 この、人が。
 兄の師匠であるこの人が。
 未だに風間を風間と呼ばないのと同じように。
「………」
黙ってから五分は経ったな、と思って唇を湿らせる。こういう、まるで腕の内に入れたような仕草を許されるようになったのはどうしてだろう。もし罪悪感だけであったら、そういうことはなかったと思う。きっかけがどんなものであっても、どうしたって時間は進んでしまうから、こうやってあの頃は考えもつかなかった関係で、隣に座っている。
「林藤支部長」
「………うわっ、…寝てた?」
「恐らく」
「あ〜スマン」
「別に謝らなくても」
忙しいんですか、とは問わない。答えの分かりきっていることを問うのが無駄だとは言わないが、今、この件に関しては無意味ではあった。
「…林藤さん」
「何? あ、煙草吸う?」
「吸いません」
「そう」
「少し、」
手を借りても良いですか。
 それに、答えはなかった。
 それでも、返答の代わりだろう、ほら、とでも言うように手が元の場所からずれて、風間の方へとやってくる。たった数センチのその動きが、ひどく、特別なことだと風間は知っている。
―――ほんとうは、
この温度がとてつもなく苦手だということを、いつか、林藤に言えたらいいと、そんなことを思いながら。
 いまいち、温度の分からないその手を、上から覆った。



一人遊び。 @hitoriasobi_bot

***

20221202