手繰り寄せた糸の先 

 憎かった。
 はずだった。このような人の身を受けて、人のように顔をあわせることになって。きれいに形作られた感情というものが憎悪の体をなしていることに、気付けぬほど阿呆ではなかった。
 だというのに、どうして目の前に、彼がいるのだろう。美しいと、そう称しても良いかんばせはきっと、人間たちが彼に対して抱く印象の総結だ。それに意味などない。意味があるのは、彼の来歴、だけで。
「…貴方も、そういう表情(かお)をするんですね」
そう人の頬を擽る手を、どうして跳ね除けないのか。
 どうして、何処か嬉しそうな色を乗せるのか、なんて。



https://shindanmaker.com/375517

***

静かに運命は変わる 

 転換期が一体何処だったのか正直分からない。ただ顔を合わせる度にいがみ合って、殴りあうような下劣な真似はしなかったけれども。冷戦状態が続いていた、それは大げさな表現ではなかったはずだ。
 確かに二人はいがみ合って、顔を合わせる度に、互いの厚い面の皮の下に隠された気に食わなさを腹の中で飼い殺しにしていたはずなのだから。
 それが。
 どうして。
「…なんだ」
不機嫌そうな顔がこちらを向いている。彼のその表情の中にも、今までと違うものを見つけてしまう。こんな、こんなの、気付きたくなかった。
「なんでもありませんよ」
いつものように笑ってみせる。
 ひくり、いつになく頬が、かたく感じた。

***

思惑通り動きたくないよ 

 何を望んでいるのか、というのはいつだって手に取るように分かった。それは生来のものだったのか、それとも人から人へと奪われ続けた記憶というものがそうさせているのか。分からなかったし、わかりたくもなかった。こんな人の身を持ったことで。
 こんなにも。
 誰かに胸を焦がすだなんて。今までずっと焦される方だった。焦がれるままに奪われて、こちらの意志も分からぬままに。
 それがもしかしたら幸せだったのかもしれないなんて、馬鹿なことすら思うのだから。

***

好きにならないはずがない 

 大嫌いだった。どうしてこんなのと顔を合わせなければならないのかと、そんなことすら思った。なのに、彼は馬鹿真面目に向き合ってくるから。
「…貴方、ほんと、馬鹿ですよね」
「ひとに向かって馬鹿とはなんだ」
 その馬鹿さ加減に、絆されただなんて。



https://shindanmaker.com/375517

***

愛する臆病者 

 何をそんなに恐れているのか、と何度思ったか知れない。そんなに愛されたかったのか、流石にそんなことを面と向かって問えば殴られるだろうから問いはしない。宗三左文字は別に、痛いことが好きな訳ではない。
「…何を、考えている」
じとり、とした目がこちらを向く。嫉妬や羨望、そういったものとはまた違う色に、あれ、と目を瞬かせた。
「…貴方、」
「なんだ」
「いえ…」
「そんな、」
 吐かれる息。
「そんな、顔をするな」
「………どんな顔です」
何、を。
「さあな」
 ふっと笑うその頬は何処か嘲笑うような色を見せた。
「怖いものがあるならずっと引きこもっていればどうだ」
「別に怖いものなどありませんよ。貴方じゃあるまいし」
「俺だって怖いものなどない」
「じゃあ主に捨てられることも恐ろしくないのですね?」
剣呑な視線が絡まって、それから解けた。
「………ああ」
「うそつき」
「お前こそ」
「だから僕に怖いものなどありません」
「その刻印が、人目に触れるのが恐ろしいくせに、よく言う」
もう言葉に刺はなかった。どちらからともなく伸ばした手が触れる。
 ただなんとなく、この関係性に名前を付けたいと、そう思った。



https://shindanmaker.com/375517

***

君が嘘だと云うのならば其れはきっと嘘なのでしょう 

 さくらんぼのヘタを口の中で結べるか。暗闇の中でそんなことを問われて、さあ、と返した。
「出来るとどうなんだ?」
「舌遣いが上手い、ということになるでしょう」
なんだ、と半眼になる。
「じゃあお前はきっと出来るんだろうな」
「…なんですか、それ」
 もぞり、隣で動く気配。
「誘ってます?」
「好きにとれ」
「…ああ、もう」
ふと、以前言われた言葉が蘇った。
―――それは、恋でも愛でもないだろう。虚像だ、旦那はそれで虚しくないのか。
 笑う。
「…なんです」
「いや」
もう目前にあった頬に触れる。
「真実の愛など、まやかしだとおもっただけだ」
「貴方がそのような、甘い言葉を口にするなんて明日は雨ですかね?」
「言ってろ」
触れ合った温度は優しかった。
 こんな関係でも優しさを見出せることに、また少し、笑った。



暗闇、真実の、さくらんぼ
ライトレ

***

たまにはこんな戯言を 

 ねえ貴方にとって戦場とはなんなのでしょうねえ。
 酒が入っているのか、それとも桜に惑わされたか。宗三左文字は珍しくその頬を火照らせてそんなことを問うた。
「何か答えてくださいよ」
ゆらゆらと自らの持つ杯を揺すって見せながら、宗三左文字はからからと笑う。本本当に珍しいな、とへし切長谷部は思いながら、戦場か、と先ほどの問を繰り返した。
「ええ、戦場です」
「そういうお前はどうなんだ、宗三」
「僕? 僕ですか?」
「ああ、お前にとっての戦場とは」
質問に質問で返すのは無作法ですよ、と言いながらも、そうですね、と宗三左文字は目を閉じる。
「―――もう、」
まるで夢でも見るように。
「もう、戻れない、場所かもしれませんね」
 風が吹く。
 桜の枝のしなる音がする。
「………戻れないも何も、お前は今戦場に出ているだろう」
こんなふうに、人のような身まで持って、と開いている方の手をひらりとさせて見ればそうでしたね、と返された。
「ですが貴方のようにとはいきませんし」
「弱音か? 宗三左文字ともあろうものが珍しいことをするものだな」
「弱音」
は、と笑い声は鼻を抜けたようだった。
「そうですね、弱音かもしれません」
僕はですね、とまだ残っている杯を押し付けながら、宗三左文字は言う。
「何処かの誰かさんがひとの目のつかないところで折れてしまいそうだと、そういう夢を見せられそうだと、そう思っただけですよ」
 受け取った杯を飲み干して、へし切長谷部はそれを見返した。
「戯言を」
「ええ、戯言です」
「その何処かの馬鹿に言っておけ」
空になった杯に、ひらり、一枚桜の花片が舞い落ちる。
「へし切長谷部という刀はそう簡単に折れるものではない」
ましてや、いきてかえれとの命がある中で。
 そう付け加えなかったのはただの気まぐれだった。伝えておきましょう、と頷く宗三左文字に杯を突き返す。彼はおかしそうにしていた。へし切長谷部は恐らく、おかしそうにはしていられなかった。



あちらこちらうそばかり。
http://shindanmaker.com/160701

***

かみさまは、きれいなみずのむしきの蝶しかあいさない。 

 ひたり、とその掌が左胸へと当てられた。
「…お前は、美しいな」
「嘘も程々にしてくださいな」
宗三左文字の言葉に棘はなかった。慣れているから、と言ったらそうなのかもしれなかったけれども、彼の、へし切長谷部のその行動の根源を、既に知っているから、というのも勿論あった。
 左胸。人の身で言う、心臓の位置。まさかどうして、こんなところに刻まれたのか。もっと、他にも場所があっただろうに。薄く笑うもそれは常の微笑に阻まれて、彼にすべてを伝えない。
「別に、嘘じゃあない」
「では本気だと?」
「ああ」
こくり、その頭が上下に振れる。宗三左文字以外に誰も見ていないからか。その動きはいつもよりも緩慢で、何処か力の抜けているようにも見える。彼がそれを自覚しているかは知らないが、それはなんとなく、宗三左文字に対して秘められた領域をさらけ出しているような、そんな優越を感じさせた。
「お前は…美しいから。人から人へと、愛されたんだな」
そう、思ったんだ。
 言葉をぽつりぽつり、落としていくへし切長谷部は顔を上げない。ただ、宗三左文字のその左胸にあてられた掌だけが、彼が其処にいることを証明しているような気さえした。瞞しの人の身の、その生命の音を聞くことが、彼にとってそう意味のある行為であるとは思えないが。
 ひとから、ひとへと。
 言いたいことは分からなくもないが、それを最終的には国宝として大切にされた彼が言うのか。
「貴方は、僕を恨んでいるのだと思っていました」
矛盾のような、微妙なずれのような。それは致命的な気がして、ただ言葉を繋がなくてはいけないという気持ちに駆られる。ぴくり、と指先が動いた。反応がある。
 いきて、いる。
「…お前を恨んだことはない」
人の真似事だと、手に入れたものは心だとしても、それは人のものとは異なると、
「ただ、羨ましい…」
そう、思っていたのに。
 これでは。
「俺は、蝶になりたかった」
まるで懺悔のようだな、思う。彼の思う神様だったら、どうしただろうか。頭を撫でただろうか、抱きしめただろうか、それとも甘い言葉を囁いて、極上の快楽を与えただろうか。
 宗三左文字は知らない。宗三左文字は彼の、神様ではない。
「俺は、きれいな水しか飲めない蝶に、」
なりかった、という言葉は消えていった。ずるり、と手が力を失う。
蝶から、彼の神様から、その掌が離れていく。
「ええ」
 その手が地に落ちてしまう前にすくいあげる。その行動によって、やっとへし切長谷部は顔を上げた。いつもの真っ直ぐな眸に、自分が映っているのが見える。弱っているなんてとんでもない、懺悔をしていても彼はへし切長谷部で、きっとそれは永劫変わらない。
 それが、確認出来ただけで十分だ。
「そうですね」
だから宗三左文字は言わなかった。その愛を与えるべき存在に、既に自分たちがなっているという当たり前のことを、いまさら繰り返しへし切長谷部に伝えるつもりは、なかった。



(神様は奇麗な水で出来た私を愛してくれるでしょう)

***

何も知らないまま死ねるように 

 物には終わりがあることを宗三左文字は知っていた。例え永く人間に愛されたとは言え、永遠に残るものなど存在しない。すべてに平等に終わりは来る。遅いか早いかの違いであり、其処にそう差異はない。
 だからこそ、宗三左文字は何も持たないでいるよう心がけた。それは刀剣男士として、人のような身を持った後も同じこと。
 「貴方なんて嫌いです」
その言葉にへし切長谷部は微かに瞠目してみせた。
「なんです、その顔は。まさか貴方、僕に好かれているとでも思っていたんですか」
「そんなことはないが、お前、」
「言いたいことはそれだけです。では」
「おい、待て」
追ってこないだろう、足音が聞こえないことを願って背を向けた。
―――嫌いなら、それなら。
 へし切長谷部の声は聞こえないふりをする。
―――お前はどうしてそんな顔をするんだ。



image song「ディスコバルーン」米津玄師

***

さよならも言わせてくれない 

 宗三左文字が付喪神として顕現してへし切長谷部を避けるようになったことは向こうには分からずとも、宗三左文字にとってはとても当たり前の行為だった。来歴だけを見ればどうにも相容れないのである、それが分かっているのに近寄る馬鹿はいない。人の身を持ったのであれば尚更、言葉は使える拳は使える、そもそも宗三左文字とは日本刀でありその付喪神なのだ。何か起こってからでは遅いのである。
 しかしそれをよしとしなかったのはへし切長谷部の方であり、何故、と宗三左文字に問うてきたのだ。それも真っ向から。酒も入れずに何が話だと言わんばかりに持ってこられた手土産に、彼が黒田でどんな日々を過ごしたのか気にかかるところだが。
「僕は貴方を置いていきます」
「それがどうした」
酒気に色づく頬はそれでも夢のようではない。
「それは存在するすべてのものの常だ」
 言葉には力があった。
「常を何故恐れる必要がある」
元来言葉とはそういうものだった。
「貴方は狡い」
怖いくせに、というとそうかもな、と返される。自覚があるらしい。
「狡くて良い」
なのに開き直りと来た。これはひどい。ひどく、狡い。
「お前が一人で泣くくらいなら」
「泣きませんよ」
「泣くだろう」
―――今言っておくか。
 宗三左文字は首を振った。いつか来る未来のことは考えていたくなかった。



image song「vivi」米津玄師

***

20150323
20150410
20150605
20171102 追加・まとめ