おしいれのひみつ モブ鶴 鶴丸国永には可笑しくなる時がある。それは自分でも理解しているところだった。 それは戦場で怪我を負ったあとに表れる症状だった。暗いところ、狭いところ、もっと付け足すとすると涼しいところががだめになるのだ。このすべてを兼ね備えている必要はなく、どれかを満たしているだけでそれは発症した。 自覚したのは出陣したあとに手入れを経て、そのままその日の当番であったから厨房に入ろうとした時だった。涼しい風が吹いてきた。それは冷蔵庫からで、同じくその日の当番であった五虎退が冷蔵庫の中身を確認していたから感じたものだった。厨房は明るかった。けれども他の部屋よりも区切られた空間であることがひどく浮き上がってきて、同時の身体の震えを感じた。入り口のところで止まっている鶴丸国永を不思議に思ったのか五虎退が顔を上げて何かを問うて来たから、適当な返事をしてその場を去った。恐らく怪我が治りきっていないとか、疲労が抜けきっていないとか言ったのだろう。 手入れ部屋に戻った方が良い。 それは勘のようなものだったが、結果的には合っていた。手入れ部屋に戻る途中で会った和泉守兼定に当番の交代を頼むと快く受けてもらえた。ので、鶴丸国永は何も気にすることなく手入れ部屋に戻り、そうしてそこに敷いてある布団に突っ伏して、その日はそのまま一人の人間の前で吐いた。 鶴丸国永が可笑しくなることを知っているのは、今の時点ではこの男だけだった。審神者、ではない。手入れ部屋に駐在している、人間でいうところの医者、だろうか。その男の素性を尋ねたことはなかったし、男もまた、自ら語ることをしなかった。手入れ自体は審神者の霊力とでも言えば良いのか、審神者自身の力で回っているものの、見落としがちな細かいところを調整するのがその男の役目のようだった。 「これは夢というんだな」 男が道具の片付けをするのを眺めながら、鶴丸国永は呟いた。鶴丸国永の他に男しかいないその部屋には、声が思っていたよりも静かに響いた。 「目を閉じるのが億劫だ。………でも、目を閉じなくても夢を見るんだ。人の身とは面倒だな」 「面倒、ですか」 「ああ。君もそう思うだろう?」 その言葉は鶴丸国永の事情を知っている男にだからこそ言える言葉だっただろう。男は鶴丸国永が可笑しくなって≠「る間に起こす奇行も見慣れていただろうし、審神者には伝えないでくれと頼んだそれを一人間である彼が伝えているはずもなかった。 吐いて蹲って泣きじゃくって、どうしようもない空虚感に苛まれて。手入れのあとには必ず何か起こす鶴丸国永を男は手入れ部屋から追い出すことなく、ただ空気のように寄り添ってくれた。 「厨房がだめだとは思わなかったんだ」 「はい」 「当番の日にもう怪我はしたくないものだな」 「そうですね」 「便所がだめなのは想像がついたんだが。………ああ、あの時は君に本当に迷惑を掛けた」 「いえ、迷惑など」 それが私の仕事ですから、と言う男の表情はやわらかいままだ。粗相こそしたことはないが、怪我を負って帰って来たら手入れ部屋より前に必ず便所に寄ることにしている。けれど、それでも行きたくなる時はある訳で。そういう時、男は時間を掛けて鶴丸国永の手を引いてくれる。たかが便所に行くだけのことにどれだけ時間を掛けても男は何も言わない。 いつもはそうして奇行を晒していればそのうちに落ち着くのだったが、その日は違った。落ち着かないまま鶴丸国永は立ち上がり、そうしてふらり、と部屋の奥へと向かう。 流石にその行動を眺めたままではいられなかったのか、男はすっと立ち上がり鶴丸国永に近付いて来た。 「鶴丸国永殿、何をしようとしているのです」 「何って、おしいれに入ろうと思ってな」 「貴方は暗いところがだめなのではなかったのですか」 「ああ、だめだ」 当然男も知っていることだった。そうして鶴丸国永も忘れてはいなかった。 「なのに何故だろう、暗いところにいないといけない気分になるんだ」 ぼう、と呟く鶴丸国永に思うことがあったのか、男は息を吐く。 「………鶴丸国永殿」 「何だ」 「私の話を聞いてくださいませんか」 「君の話?」 「ええ」 振り返った男は微かに微笑んだように見えた。 「どうでもいい話ですが」 男のどうでもいい話≠ヘ確かにどうでもいい話だった。しかし聞いていれば不思議と続きが気になるもので、耳を傾けているうちに気分が落ち着いていった。男が延々と話している時もあれば、鶴丸国永が他愛もない話を続ける時もあった。鶴丸国永が可笑しくなることは変わらずとも、それ以上に自らを追い詰めるような真似はしなくなった。吐く回数も減った。男は手入れ以上に、鶴丸国永に何かを与えていた。 「…君に、礼をしたい」 「礼なんて。これは私の仕事のうちです」 「そうだとしても、気が済まないんだ。それが君の仕事だとしても、俺から見ればそれは借りだ。大きな借りだ。それを残しておくのは落ち着かない」 「そうですか。ならば今度菓子の差し入れでもくださいな。甘いものが好きなので」 そう笑った男にそうなのか、と思った。男の話は聞けども男自身の話はまったく聞くことがなかったと、その時に初めて気付いた。それがわざとであったのか、それとも男自身特に自分の身の上話をする方ではなかったのかは分からなかったが。 この男のことを何一つ知らないも同然なのだ。 そう思えば、欲のようなものは働くもので。 「これも礼になるか?」 君の話もしてくれ、と強請(ねだ)り話させ、男を観察し知ることで、鶴丸国永は一つの結論に達していた。 「鶴丸国永殿」 男は慌てたように鶴丸国永の胸を押す。その手に力はあまり入っておらず、男が本当にその行為を嫌がっていた訳ではないと伝えているようなものだった。一瞬だけ触れた頬の熱は分からず、男が本当に人間なのかが分からない。 「これは人間では親しい者にする行為でありまして、外国では友人や家族間でも行いますがこの国ではそれが更に狭まりまして、恋情を互いに抱き合っている相手に対して行うのがよしとされているのです」 「知っているぞ」 「ならば、」 「君、は」 こんなものは抵抗にも入らない、と鶴丸国永は思う。それは男が審神者とは違う立場であり、付喪神である自分たちとは対等であると思っていないからかもしれなかった。けれど、それでも―――胸を押し返す手を握ることはしない。ただ、真っ直ぐに男を見つめる。 「俺に好意を抱いてはいないのか?」 男が鶴丸国永を見つめる、その視線の中に燻る熱の意味を読み違えたとは思っていなかった。 男は僅かに動揺したように目線を燻らせるのを黙って待つ。落ち着かないように薄く息をしていた男は、誤魔化しは効かないと観念したのか下を向いた。 「…正直に申し上げると、否定は出来ませんが」 「ほらな」 笑って見せたが、本当のところは否定されなくてほっとしていた。 鶴丸国永には長いこと人間の傍にあったという矜持があった。 「なあ、君」 どうしたものかと、途方に暮れている人間に、救いの手を差し伸べる。何故なら鶴丸国永は末席とは言え神であるのだから。人間にうみだされ、あいされつたえられ、そうして神になったものだから。 「俺と一緒におしいれに入ってはくれないか」 男が微かに瞠目したのが分かった。 「…鶴丸国永殿は、暗いところがだめなのでしょう」 「ああ、そうだな」 「ならば、」 「でも、今は手入れ後じゃない」 匂い立つ鉄の香りは身体が鉄で出来ているからではない。 男が押し返しきれなかった鶴丸国永の胸には、人間と同じように鼓動がある。 「手入れ前なら、君は俺の願いを聞いてくれるか?」 鶴丸国永が可笑しくなるのは手入れの後だけだ。それはきっと、男の方がよく知っている。 「………私などが、言うのも烏滸がましいことではありますが、」 「何だ」 「出来るものなら、怪我など負って欲しくはないのです」 「………そうか」 震えた声は、刀剣男士が戦場に出ていることを分かっているからだ。 此処へ来るのは何も鶴丸国永だけではない。必要以上に長く居座る―――居座らざるを得ないのが鶴丸国永というだけで、男はこの本丸中の刀剣男士の怪我の手入れをしているのだ。中には戦場のことを話す者もいるだろう。 以前主に聞いたことがある。歴史修正主義者の存在が確認されるまで、その時代には戦いらしい戦いがなかったのだと。 ―――だから、戦いを恐れている者が多い。 それは主の言葉だ。心を励起させるわざの依代として刀剣が選ばれたのには、そういった側面もあるのだと。 怖いか、とは口にしなかった。ただ一つ頷いて、 「君は、そういう人間なんだな」 そのまま男を抱き込んだ。 「鶴丸国永殿っ」 慌てたように男が声を上げるがそのままおしいれへと滑り込む。 思っていたよりもずっと、その場所は暗く、狭く、更には涼しい場所だった。閉めきれなかった襖から外の光が差し込んで、男の表情を浮かび上がらせている。 「君に礼をしたいんだ」 「それならばいつも、菓子をもらっています」 「それだけでは足りないと言ったら?」 「…もう少し、高い菓子を強請れと?」 「そういう話じゃないのを君は分かっているだろう」 俺は神だ、とは言わない。 「君の願いを叶えさせてくれ」 「鶴丸国永殿、私はッ」 更に顔を近付けた鶴丸国永に、男は間に手を差し込んできた。 「唇などもってのほか、か?」 その様子が何処か初心なように見えて思わず笑う。そんな訳でもないだろうに。 「だが君の心は嫌がっていないだろう」 差し込まれた手のひらは振り払わない。それでは意味がない。 「君が本当に嫌だと思うのならば、俺を押し返してくれ。力は要らない。ただ、押し返すだけで良い。俺はそれで退こう。だが、」 さあ。 「君はそれをしないだろう?」 ―――願え。 「………鶴丸国永殿は、お人が悪い」 「人ではないからな」 「そういう話ではなくてですね…」 ゆるゆると落とされる手のひら。 「こんな暗く狭く、更には涼しい場所に、貴方を一人置いていけるはずがないでしょう」 「ああ」 知っているさ、と笑う。 「君は、そういう人間だからな」 何もかもが怖くて仕方がない、弱く、可哀想なもの。それが鶴丸国永の目の前にいる人間。合わせた唇の温度は分からなかった。分からなかったはずなのに触れた部分からすっと朱が引くように熱が奔っていて、これこそが鶴丸国永を引き止めるものだとばかりに、鶴丸国永は更にその先の熱を強請る。 降参だ、と言うように捧げられた舌は、確かに鶴丸国永を引き止める楔だった。 *** 20161019 |