その日、燭台切光忠が己を顕現した審神者の元を訪れたのはどうしても言わなければいけないことがあったからだ。近侍にして初期刀である加州清光が主である女とは一緒に資料の整理をしていたが、燭台切光忠としては彼にいてもらった方が良かったのでそのままでいてもらう。
「主」
居住まいを正して、燭台切光忠は頭を下げる。
「僕を、刀解して欲しい」

灰にもならないので被ることすら出来なかった 燭さに

 主と加州清光は顔を見合わせて、とりあえず、と理由を聞いてきた。燭台切光忠もそれが当然と思っていたので一旦息を吐いて、それから言う。
「君と、肉体関係を持ちたいと思うように、なったから」
これを言葉にする自分は、一体どんな顔をしているのだろう、と思う。せめて諦観のようなものを全面に押し出せていれば格好もつくだろうか。否、こんな言葉を吐いた時点でつける格好も何もないのだろう、と思う。その証拠に主も加州清光もええと、と言葉を探したままその先を言いはしない。
「主、良いんだ。主にとっては突然僕がこんな突拍子もないことを言い出したように思えるだろうけれど、僕はここ一年ほど、ずっと君にこんなことを考えてしまっていた。主が今驚いているなら、きっと僕はそれを上手に隠せていたんだろうと思う。僕がこのまま黙っていれば良かったんだろうとも思うよ。そうすれば君に不快な思いをさせずに済んだ。でも、このままではいけないと思ったんだ。このままでは、きっと僕は君に良くないことをしてしまう。だから、」
此処で一旦息が切れた。主も加州清光も何も言わない。ならば、と再び息を吸って続ける。
「だから、何かが起こる前に、君に不快な思いをさせても、僕は、君を、主を。………君に、健全であって欲しいと、そう願うから」
刀解を、してください。
 深く頭を下げた燭台切光忠に、主も加州清光もやっと、言葉を取り戻したようだった。
「ええと…何から言ったら良いのやら」
「主の言いたいことからで良いと思うよ」
加州清光の言葉に、主がいつもの声を出した。もっと嫌悪感や何やらを滲ませられると思っていたのに、どうやら燭台切光忠の主は寛大らしい。それとも、寛大なふりをしているだけなのだろうか。一刀剣男士としてはポーカーフェイスくらい出来て欲しいとは思うけれど、もしも不快であるのを隠しているだけなのだとしたら、それは燭台切光忠にとってはひどく心苦しいものだった。
 これから去りゆくものに、そんな心の砕かせ方をするというのは。燭台切光忠を刀解したあとにもしかしたら主は思う存分侮蔑を吐き出したり、不快感で泣いたりするのかもしれないけれど、今この瞬間をそんなふうに燭台切光忠に使わせていることが嫌でたまらなかった。けれども言わなければ何も始まらない。だから、燭台切光忠は頭を下げたのだ。主は頭を上げろとは言わない。加州清光も、頭を上げさせたらどうか、とは言わない。
「とりあえずツッコミどころを丁寧に行こう」
「うん、それがいいね」
 そんなことを考えていたものだから、主のその言葉と賛同した加州清光に、何か言うこともままならなかった。
「まず燭台切光忠、別に、誰かと肉体関係を持ちたいと思うこと自体は悪いことではない。まあ確かに口に出したりするのは…関係や評判の悪化にも繋がるし、今の時代は基本的には一夫一妻制だからね。性別のことはさておき、さ。重んじられる、とされている部分が欠落しているのではないかと思われることもあるたろう。けれど、別に恥ずべきことではないよ。…とは言っておく。勿論無理強いは犯罪であるけれど。特に君の場合もしも自分が何かしでかしたら、という心配を自分で持つことが出来ているし、頼れる―――かはさておき、上司に相談に来ている。その点は満点をやっても良い」
「………勿体ない、言葉に感じるよ」
「そうかな」
主の声は何処か他人事のようにも聞こえた。こんなではいけないのだ、と思う。
 主は女性だ、そして刀剣男士はその名の通り男の貌(かたち)をしている。それが何を意味するのか、分からない訳ではないだろう。審神者のすべてが女性とは言わないが、仮にも神の末席を穢すもの。この存在がどれほど人間に寄り添うものであっても、人間がそういうものを尊んでいる以上、それに倣う方が良いに決まっている。
 だと言うのに、主の反応もその近侍である加州清光の反応も何か、燭台切光忠の思っていたものと違う。何か計算違いでもしたのだろうか、と冷や汗が滲み出るが最早後戻りは出来ない。こんな危険なものを主の側に置いておくべきではないのだ。それでなくとも生命の危険のある仕事だと言うのに。
「あと、質問もしたいんだが」
「…はい」
「ひどい聞き方にはなると思うが、君が関係を持ちたいと思っているのは、本当に私なのか?」
「えっ?」
 何を言われているのか分からなかった。
「こう言ってはなんだが、刀剣男士が審神者に肉体関係を望むことは少なくはない事例なんだ。しかし、その大多数が自らが男の身体を持っていることを自認し、それならばと持っていた欲求をその型に嵌めて割り振って、その結果性欲を持っている、と思うパターンでな。審神者というのはこの本丸で唯一の人間であるし、その性別が女となればそちらに目が行くのも当然だろう。だが、女―――まあ別に人の形をしたものなら何でも良いのかもしれないが、まあ女、としよう。女、と関係を持ってみたいという好奇心と、一個体として見た審神者―――この場合は私だな、と、関係を持ちたいという恋情に基づくものでは、話が大分違ってくるのは分かるだろう?」
 何を言っているのか分からなかったけれど、それでも燭台切光忠はその言葉を咀嚼して飲み込むしか出来なかった。
「主じゃない、女の子…」
「女の子って歳でもないけどな」
主は苦笑する。いつもは女の子で良いじゃん、と言うだろう加州清光もだんまりだ。
「…考えたこと、なかった」
 しかし、そんな異常な空気も気にならないほど、そのあっけらかんとした提示は燭台切光忠の価値観に大きなゆらぎを与えたのだ。そして主はそのゆらぎを見落とさなかった。まあ、燭台切光忠が無様にも言葉に出してみたのも勿論あるが。無駄に追求することもしなかったけれど、彼女はそういう事例もあるから、とまるでなんでもないことのように手を振って見せた。
「まあ一度考えてみると良い。興味があるなら刀剣男士用の花街があるから手配してやろう」
「え。そういうのってあるの」
「あるよ。逆にないと思っていたのか」
「………うん」
「あるんだよ。うちの戦績ならすぐに通せるはずだ。行くだけ行ってみたらどうだ」
「そんな、流石に…ハードルが高くないかい?」
「別にお茶して帰って来るだけでも良いんだぞ」
普通に刀剣以外の付喪神と話したい、という欲求の受け皿でもあるんだから、と主の羅列する言葉が異国語のように聞こえていた。
 それでも何とか頷いて、とりあえず話だけ、と燭台切光忠は頷いたのだ。
 別に、気に入ったお嬢さんがいたなら楽しんで来ても良いんだぞ? という主の台詞は聞かなかったことにした。

 そういう訳でやってきた花街だったが、燭台切光忠が思っていたよりもずっと和やかな場所だった。主の言っていた通り、会話を主目的としているだけの刀剣男士も少なくないようだ。
「貴方たちには肉の器があるからね」
燭台切光忠を対応してくれたのは花器の付喪神だった。何処か質素にも感じる彼女が、それでも人間に大切にされ尊ばれてきたことが肌で感じられる。彼女には最初から洗いざらいぶちまけてしまっていた。此処へ来た経緯も、主本人にすすめられたことも。言葉にしてしまうとあまりにも格好悪いのに、どうしてか今はそうは思えなかった。
「肉の器?」
燭台切光忠が繰り返すと、彼女はそう、肉の器、と返す。
「私たちと違って貴方たちは血も出る、身体にも傷がつく」
今貴方の目に映っている私の身体は確かに現(うつつ)にあるものだけれども、物質として在る訳ではない。でも、貴方たち刀剣男士は、仮初とは言え肉の器を持っている。その依代の状態にもよるけれど、物質として此処に存在している。それが他の付喪神と一線を画するのだと。
「だから人間には、貴方たちの方が近いのかもね」
 私たちが性行為をそういうこと≠ニしてしか見ていないのは、意味を見出していないのは、それがないからなんだろうね、と彼女は言った。肉の器を持ったから、その在り様は人間に近くなって、心は人間に近くなって、けれども刀剣男士は人間ではなくて。だからその欲の置き場に困ってしまうのだと。
「此処にも時々来るのよね、貴方みたいな刀剣男士」
その欲が一体何なのか分からずに、送り込まれてくる刀剣男士。彼女はそれを羨ましいとは思わないのだと言う。でも、煩わしそうだとも思わないと、そう言ってくれた。
「さて、どうする?」
 彼女の視線が指すのは奥の部屋だった。
「楽しんでいくかね?」
―――もう。
 その答えを燭台切光忠は持っていた。
 持ってしまっていた。

 そうして花街から本丸へと戻る。
 どうにも知らない香りが染み付いているようで、少し早い時間だったが湯を借りる。決して不快なものではなかった。上品な、客をもてなす心遣いの感じられるものだった。
―――でも、
その先の思考には蓋をする。
 燭台切光忠は、再び主の前で頭を下げる。
「………主」
こんな短期間に二度も主に頭を下げる羽目になると思っていなかった。そもそも、燭台切光忠の当初の考えでは最初の申し出で刀解されているはずで、だからまあ、この二度目の頭は彼女の審神者としての意地だったのかもしれなかったけれど。それを恨むつもりはなかった。寧ろ、その温情をかけられていながらも、主に最適である感情を勝ち得ることの出来なかった燭台切光忠が悪かった。
「やっぱり僕を刀解してくれ」
 主のためには、刀剣男士として、その欲を適度に発散する、そういうものであるべきだったのに。
「僕は、君のことが好きみたいだ」
花街の付喪神と話して出た答えはそれだった。それが、燭台切光忠の揺るぎない答えだった。どうにも出来ない答えだった。
 主と肉体関係を持ちたい、と思ったのはただの性欲由来のものではなかった。ただ、目についたのが彼女だけであったと、そういうことでもなかった。燭台切光忠のそれは、思慕によるものだった。ならば、もう、どうしようも出来ないだろう。心というのは難儀だ、一旦認識してしまったものを完全に消し去ることは出来ない。でも、燭台切光忠自体は消し去ることは出来るのだ。そして、同じように燭台切光忠を顕現させたとしても、それは今此処にいる自分とは違う存在になる。記憶の引き継ぎはされない、まったく同じ顔をしていても恐らく細かいところの違う存在だ、同一にはならない。それが、主に安寧を齎すのであれば、燭台切光忠はそれで良かった。
 彼女のために、燭台切光忠は刀解を選ぶことを誇りにすら思った。
「君は、本当にそれでいいの」
なのに、主はかたい声でそんなことを言うから。
 ぐちゃり、と胸が潰れたような心地になる。真っ黒なクレヨンで塗り潰されたような、そんなものが蠢いて。動かなかったのは今回も加州清光が主の隣に控えていたからだ。彼は彼で何も口出ししては来なかったけれど。
「…抱かせて、って言ったら抱かせてくれるの?」
思わず、言葉が漏れいでる。
「僕は、一回じゃあ気が済まないよ。何回も、君に求めてしまう。それじゃあ話にならないだろう。君は審神者だ。一人の人間だ。僕一振りのためだけに何かをするなんて、何かをし続けるだなんて。それが心を押し殺す行為だなんて、だめだよ。それは僕でも分かる」
「心を押し殺す行為」
「そうだろう? だって―――」
 唇を噛まなかったのは、偏に矜持があったからだった。
「君は、僕のことが好きじゃないんだから」
これだけ格好悪いところを見せても、それでも燭台切光忠は主にとっての正しく在れる刀剣男士であったのだと、それだけは証明していきたかった。次の燭台切光忠が今度こそ、主にとって健全なる刀剣男士であれるように、その願いも込めて。
 だと言うのに、主の顔色は晴れない。暫く黙ったままだった彼女はそうか、と言って立ち上がる。
「君は、私の心を勝手に決めるんだな」
「―――え、」
「君が望むのなら仕方ない。意志は固そうだしな。刀解してやろう。でも、今すぐと言うのも無理だ。私にだって予定があるし、心の準備だってしたい。三日猶予をやるからそれまでに考えが変わらなければもう一度申し出てくれ」
予定は空けておく、と付け足した時にはもう、主は燭台切光忠を見てはいなかった。そのまま部屋を出て行くのを燭台切光忠は追いかけることも出来ない。加州清光がため息を吐いてから主を追いかけるために立ち上がる。
「き、よみつくん、」
「主これから外務だから。適当にひとりで頭冷やしてなよ」
言外に手助けはしない、と言われてしまってはもう、燭台切光忠には手立てがなかった。

 一体、何が間違いだったのか。
 単に己の刀剣男士に思慕を向けられたから、自分が性欲の対象になったからこその怒りや恥じらいなのかと最初は考えたが、どうにもそれでは何かがかけちがったままだった。パズルのピースがはまらない、そんな心地で。
―――君は、
主の言葉を反芻する。
―――私の心を勝手に決めるんだな。
 それは、どういうことなのだろう。燭台切光忠には、どうしたって自分の都合の良いことしか考えられなかった。都合の良いように受け取っても良いのだろうか。それとも、黙って三日後に刀解されるべきなのか。猶予は与えられた。だから考え続けた。主が燭台切光忠にしてくれたことを思い出す。頭の中に並べ立てる。
 そして。
 一つ、燭台切光忠は賭けをすることにした。
「主」
運命の三日後。主は答えを急かすことはなかった。だから燭台切光忠は彼女の前に座って、大きく息を吸う。今日も加州清光は主の隣に控えていた。もう彼に関してはずっとそういう位置取りだから、空気のようなものと思った方が良いのだろう。実際、此処までもそのようにしてしまっていたのだし。彼女に万一のことが、と考えると、加州清光にはいてもらった方が良いだろうし。それくらい、燭台切光忠は己のことを信用していなかった。
「最後に一度だけ、僕にチャンスをください」
この胸にあふれる思慕を、留める術を知らなかった。
「僕は、君が好きです」
 言葉にしてしまえばなんて短いのだろう! あまりにも寂しいので、そのまま付け足す。流れるように言葉が紡ぎ出される。嗚呼、一体何年、燭台切光忠は主に対して言葉を尽くして来なかったのだろう。顕現されて、七年と少し。人間と人間であったら、もっと言葉を交わすことが出来ていたのだろうか。分からない、けれども燭台切光忠が刀剣男士ではなく人間であったら、なんていう仮定は無意味だった。どうせ心なんてものの話に着地するそれは、どうしようもないものなのだから。
「最初はちょっと無愛想な子だと思ったよ。でも僕たちの本分は戦うことで、この時代の人間がそう戦いに向いている訳ではないことだって分かってた。それでも君は頑張ってくれたし、分からないことを自覚してたから、僕たちの意見もちゃんと聞いてくれてた。そういうところを見て、君が別に嫌な人間ではないんだな、って思った。別に嫌な人間だと思っていた訳じゃないけど…。それで、もっと君のことを知ってみたいと思った。だから僕は少しずつ君を観察するようになって、それは人間のことに触れることでもあって、君を通していろいろな人間のことを知った。聖人君子みたいな人間のことや、君よりずーっとおしゃべりな人間、君よりも更に無愛想な人間、君に泣きついてきた後輩もいたし、そういえばあの子経由で僕は人間の欲について学んだんだった。君にはそういうことないのかとちょっと心配になったし、そもそも君にそういう欲がちゃんとあるのかとか、そういうことも心配になったりした」
「余計なお世話だ」
「うん、分かってる。そんなことも思ったりしたけど、脱線したけど、僕はそうやって君を知りたいって思うようになって、君の好物とか、書類の癖とか、スケジュールの組み方とか、お風呂がすごく好きなこととか、清光くんのことを信頼していることもすっごくよく分かったし、秋田くんのお土産を結構楽しみにしてることも、宗三くんと実はお菓子の趣味が合うことも、骨喰くんと本の趣味が合うことも、分かってきた。僕は君のことを全然知らなかったんだなって、そう思ったんだ。そして、君の一つひとつの些細な行為が、ありふれた優しさで出来ているんだって思ったんだ。君が当たり前に、人に接するにあたって、悪意なく、けれども善意だけでもなく、ただ、丁寧に関係を築き上げてそれを大切にしてる人なんだって、そう分かった。そういうところを見て、ああ、好きだな、って思ったんだ。好きだから触れたいって、そう思ったんだ」
手は伸ばさない。
「好きだから、君を傷付けるかもしれない、って思って怖くなった。だから、僕だけ先走って話を聞いてもらうこともしないまま、答えを出した。…でも、これはもう、恋なんだ。だから、僕だけの問題じゃあない」
 今はまだ、燭台切光忠にそんな資格はないから。否、本当は資格なんてものは何処にもないのだろうけれど、それでも燭台切光忠は己に恥じないおこないをしたかった。
「僕は、君に最初に問うべきだった。問うまでしなくても、僕は自分の意思表示をあんな形ですることはなかった。あんまりに投げやりだった。君に失礼だった。………だから、問わせて」
顔を上げる。顔を上げないままこんな告白をしたなんて、もう、本当に仕方がなかった。
「君は?」
目が合う。
「君は、僕のこと、どう思ってる?」
 特別強い訳でもない、平々凡々な瞳が燭台切光忠を映している。ただの人間でしかない、彼女の瞳がそれでもまっすぐに、燭台切光忠を見つめている。涙を流してくれるような人間でないのは分かっていた。だから、一瞬、その瞳の中で光が一周したように見えたのは気の所為なのだ。
 彼女が、息を吸う。何処か諦めたように、さっぱりしたように、その秘密を吐き出す。
「―――ずっと好きだった」
その言葉に、燭台切光忠は漸く、その恋を腕の中に収めたのだった。

***

 人間の七年は、決して短いものではないだろう、とその女の初期刀である加州清光は思っていた。

私は貴方を見守る 燭さに+清光

 審神者は内外に敵を持つ職業であるからして、その本名を秘匿することが義務付けられている。故に加州清光の主である女もまた、その本名を秘匿したまま生活をしていた。しかし呼び名がなければ識別に面倒だろう、ということで、上からは仮の名を与えられている、というのが審神者の現状だ。
「七竈だって」
「あの、赤い実の?」
「多分」
数字じゃないだけ良かったのかもね、と女は言う。数字だと、単に管理されているだけで個性は必要がないのだと言われている気分になるのだと。
「そういうもの?」
「少なくとも私はそうかな」
「ふうん」
人間って難しいね、と。まだ顕現して一日目の加州清光はそんなことを言ったのを覚えている。
 本丸が本格的に稼働し始めて、その運営も安定して。その変化に気付いたのは加州清光が初期刀であったからか。
「…主、」
呼んだだけなのに、女は察したようだった。
「清光にはバレるんだね」
「…俺くらいだよ、多分」
「なら良いか」
「良いの?」
「だって清光は誰にも言わないだろう?」
「言わないけどさ」
そりゃあそういうことだって起こるよな、と思った。嫌悪感はない。なるほどとすら思うくらいだった。燭台切光忠は元々気の利く性格のようだったし、この本丸では妙に慎重な部分もあるが、それが味と言えば味で、恐らく女はそういった部分を見ていたのだろうけれど。
「告白とか、しないの」
「しないよ」
「どうして、って聞いても?」
「私が審神者だから、かな」
女は言う。
「戦争をしているからとか、そういうんじゃないんだ。私は審神者だ、刀剣男士を取りまとめる者。そういう人間でなくてはいけない。それは君たちの上に立つ存在でなくてはいけないということでもある。裏を返せば、君たちが有事の際には私の言うことをちゃんと聞くように育てる必要がある」
「パワハラになるって言いたいの?」
「あけすけに言ってしまうと、表向きはそうだな」
「じゃあ、違うのもあるんだ」
「うん」
「何、って聞いても?」
「怖いんだ」
「怖い?」
「だって―――」
 好きなひとに振られるのは、嫌だろう。
 その台詞はとても人間らしかったのに、女は意識して人間らしさを切り落としたようだった。
―――恋というのは、
そんなに苦しいものなのか、と加州清光は自分の胸に手を当ててみた。
 勿論、分からなかった。

 そういう七年があって、燭台切光忠が刀解を申し出てきた時は吐くかと思った。此処数年、燭台切光忠の方も主に恋に近い好意を抱いていることを加州清光は察していたし、直接の手出しはしていないけれども意識が向くようにはまあ、仕向けていた部分はあるのでそのうちに、何かあるだろうとは思っていたが。
 まさかこんな方向に拗れるとは思わなかった。
 燭台切光忠も、考えに考え抜いたのだろう。それは分かる。刀剣男士にとって、己を顕現させた審神者というのは特別な意味を持つ。それを害する可能性のある存在に自分が成り得るのだとしたら、確かに加州清光だって刀解を申し出るだろう。
 しかし、この話は恋の話なのだった。あまりに一飛びが過ぎる。どうして誰にも相談しなかったのだろう、と思うけれどもこのやけに慎重な、所謂ところの個体差というやつが燭台切光忠にそうさせたのであろうことは想像に難くなく、最早加州清光に出来るのは女の代わりにため息を吐いてやることだけだった。
「主」
「…大丈夫」
「うん、そっか。主もちゃんと審神者やれてたよ」
「清光に言われると安心出来るな」
 たった、恋、一つ。
 それで泣くような女でないことを、この日初めて、加州清光は難儀に思った。

 それからまた、ひと悶着があって。
「主」
「大丈夫」
女の言う大丈夫が本当に大丈夫でないことを加州清光だって分かっていた。けれどもそう、と言うしか出来なかった。
―――もし、
燭台切光忠が三度目の刀解を申し出たら。加州清光はどうするべきだろうか。最大限の侮蔑をもってして、自己完結してしまった彼を責めるべきだろうか。否、それは女の望むところではないだろう。
 でも、加州清光は女の恋を一番近くで見てきたのだ。人間にとっての七年は、決して短いものではないだろう。それを戦いに費やしているのも、一つの恋をひた隠しにしているのにも、加州清光は思うことがあるのだ。
―――どうして、
問わないのだと、それくらい言うことは許されるだろうか。加州清光だって、燭台切光忠のことが憎い訳ではない。その思考の回路も帰着もよく、分かる。けれども分かったからと言って、納得出来る訳ではないのだ。
 誰が悪い訳でもない問題。だからこそ、女は苦しそうに恋をしていたのだと、今更になって理解する。ヒントはもう出した。なら、あとは猶予期間で燭台切光忠が気付くかどうかにかかっている。
―――光忠なら大丈夫だよ。
そんな無責任なことは言えなかった。言えなかったから、女が審神者として仕事にちゃんと打ち込めるように、そのサポートに徹した。
 まあ大丈夫だと思ってたけどね、なんてことは言えない。その日が来るまで、加州清光とてどうなることかとはらはらしっぱなしだったのだから。
 七年、七年だ。燭台切光忠の方はどうだか知らないが、七年というのは人間の傍で過ごせばとてつもなく長い時間のように感じられた。その歳月を経て尚朽ちることのなかった恋は、漸く正しい場所に落ち着いた。
「人間って、」
女を抱き締める燭台切光忠が呟く。
「面倒臭いね」
 正直それにはものすごく頷きたかった。この場では流石に加州清光は空気に徹するべきだろうから、何もしないけれど。人間というのはものすごく面倒だ。それはきっと、この女に限ったことではない。いや、確かにこの女は大分頑固な部類に入るだろうけれど、それを除いても人間というのは面倒だった。
「君は、ずっとこうして生きていくの」
燭台切光忠の声は凪いでいる。
「こうして、死ぬつもりなの」
 女からどんな答えが返ってくるのか、もう分かっているような聞き方だった。
「ああ」
それを女も分かったからか、返答は短いものになる。
「私は、狡い人間だよ」
肯定の先に付け足されるのは詰まらない自分語りだ。それを加州清光は咎めることをしない。
「君が私と違う価値観を持つものだと分かっている、分かっていても恋なんてものをした。矜持のために、私は私の心を守るために、君の刀解だって受け入れるつもりだった」
それを個性と呼ぶのだと、もう加州清光は知っているのだから。そして、その個性を持った女を、加州清光は主として愛しているのだから。
「うん、君は、」
 燭台切光忠の声は震えていた。
「とても狡いね」
「そうだな」
「だから、今度からは僕も、その狡さに付き合うよ」
「え、いや、」
「付き合わせてよ」
「………絶対面倒だぞ」
「自覚あったんだ」
「なかったらこんな面倒なことしてない」
「それもそっか」
燭台切光忠が抱擁を解いて、主のいつもと変わらぬ顔が加州清光からでも見えるようになった。折角なんだからキスの一つや二つでもしたら良いのに、と思ったけれど、まあ、どうせ女のことだ、まだ執務時間中であることを理由に断りそうだ。
「清光くん」
燭台切光忠がこちらを向く。
「あれ、俺のことなんて忘れててくれて良かったのに」
「そういう訳にはいかないでしょう。…えっと、そういう訳で、主とお付き合いを、させていただくことになりました」
「良かったね、ってこれ言うべきかな。俺、特に何もしなかったけど」
「ううん、あの時突き放してくれてありがとう」
 どの時、なのかはすぐに分かった。猶予が与えられた時のことだ。
「あれがなかったら、多分僕は主のヒントを見落としただろうから」
まさか、そんなことはないと思うけれど。どうにも否定しきる要素も思い浮かばないのでそのままにする。
「君が主の初期刀で良かった」
「………主泣かせたら容赦しないからね」
「うん、絶対に泣かせない」
「絶対なんて絶対無理っていう矛盾、知ってる?」
「手厳しいなあ」
ありがとうね、と燭台切光忠が繰り返す。仕事に戻るぞ、と女が声を上げて、いつもの日常が流れ出す。
「清光」
「なあに、主」
「ありがとう」
「俺は何もしてないよ」
「でも、ずっと見守っててくれた」
「俺が好きでしたことだよ」
「それでも、お礼が言いたいんだ」
「…うん」
一つ、頷く。
「………うん。主、よかった、ね」
「全く、どうして私より私の刀剣男士の方が涙もろいんだろうな」
どれだけ女が苦しく思っていたのか、加州清光には想像しか出来ないけれど。
 七年目、七度火に焼べられた恋の実が、その名の通り、ようやっとその恋をあかく、煌めかせたことがこんなにも嬉しかった。



20191221