あなたにはかえれない 鳴狐+お供

 あの頃を思い出すことは、こうして審神者なるものに心を喚び起こされるようになってからもあるのだと、私は思う。思い出したくない訳ではないが、あまり思い出さない方が良いものでもあるのだと。そうも思うが忘れない方が良いような気もしていた。とても繊細なものなのだ、この記憶は。そんなことを思いながら私は物思いに沈む。
 其処には屹度、ふたりがいた。
 まっくらやみのような、けれども何か見えるような。手探りし合った訳ではない、それでも知っていた。自分と他人の区別もつかないような中で、それでももうひとり、そうだここにはふたりなのだ、と分かっていた。本能のようなもの。会話をしたことはなかったのだと思う、屹度言葉を知らなかった。だから急激に流れ込んでくるすべてに、明確に流し込まれ形になった心に、ああ、と呟いたのだ。
 そして、初めてした約束。
 最後の約束。
 暗いところでの約束。
『私たちはふたつでひとつです』
『けれども屹度どちらかと言えば貴方が主(しゅ)なのでしょう』
『ひとつの器にふたつは入りません』
『ですが私は貴方の傍にいましょう』
『戻れるのかって? さあそれは分かりません』
『けれども屹度大丈夫です、私は私、貴方は貴方、その差が出来るだけのこと』
『これまでと何も変わりませんよ』
『私が貴方をお守りします』
『ですから貴方は私を守ってくださいね―――〝鳴狐〟』

 本当にあったかも分からない、そんな話。



 顕現されて私が名乗りを上げると、そしてその後に彼がぼそり、と挨拶をすると決まって大抵の審神者は驚く。驚かないものもいるが、まあ大抵は驚く。お供の何かしらを連れている刀剣男士は少なくなく、だから私がいること自体には驚かないものの、どうやら彼らの中で喋るのは私だけのようだった。お供の動物同士意思疎通はそこそこに出来るので時折彼らと何故だろう、と話すものの、私はどうして私がこのような形であるのかとんと検討もつかなかった。彼らに聞いてもまた同じである。彼らは刀剣男士として喚ばれる前のことを覚えてはいない。否、きっと無理に思い出そうと思えば思い出すことは出来るのだろう。けれどもそれぞれが皆、今のこの形が最善であるのだと信じているのだ。
 それは、私も彼も変わらない。私も彼も、今のこの状態―――喋るキツネをお供にした鳴狐、という形が最善であるのだと信じているのだ。だからこそ、思い出さない方が良いと思っている。思い出す必要がないと思っている。よくは覚えていないけれども決まりごとを作ったのかもしれない、何か考えがあったのかもしれない、けれども〝今〟には関係がない。ただ、その程度のことで良かった。あの暗がりにまた舞い戻る時が来たら考えれば良いことなのだと、私も彼も知っていた。
 私は身体の小さなキツネであるからして、本丸の様々な場所を歩き回ることが出来る。その過程で毛並みは少し汚れたので、この時間なら主殿は仕事を終えて休憩しているだろうと、いつもであれば彼に頼むところを主殿に整えて貰おうと思った。あわよくばあまり口数が多い訳ではない彼に、この私から慣れて貰おうと、そんな打算があったことは気にしない。彼が誤解を招くようなことはしないと思っているが、主殿とてなかなか喋らなければ人となりを掴むことも難しいだろう、と思ってのことだった。
 私の予想通主殿は休憩をしており、本日の近侍殿とお茶を飲んでいた。そして私が声を掛けるよりも先に、嫌な話を聞いて貰っても良いかと近侍殿に話し掛けた。
「知り合いの審神者のところで、刀剣破壊が起こってしまったそうなんだ」
ぽつり、ぽつりと話す主殿の次の言葉に、足が竦んで動けなくなった。
―――鳴狐。
主殿のお知り合いの方のところで折れたのは、鳴狐だったらしい。
 主殿と同じようにモニター越しに戦場を見ていたお知り合いだったが、それでも鳴狐の最期の言葉は聞けずに、ただお供のキツネの声だけが悲しそうに響いていたのだと言う。目を開けなさい。息をしなさい、立ち上がりなさい。ああ確かに、私の言いそうな言葉だ。そして彼がもう起き上がらないのだと悟ったお供のキツネは、ああ、と空を仰いだそうだ。駄目なのかあ、と。
 同位体であるからか、それとも元から知っていたのか。私はそのお供のキツネがどんな気持ちでその言葉を言ったのか、分かってしまった。
 主殿の話は続く。近侍殿は静かに相槌を打っている。お供のキツネは鳴狐が破壊に至り、その人のような身が消えたあとも部隊に付き添っていたのだと言う。お知り合いの方はすぐに撤退命令を出したが、戻ってきたのは折れた刀と、存在感のなくなったお供のキツネだけだったのだと言う。そしてお供のキツネもまた、そのうち姿を消してしまった。
「彼らはどうなったのかな」
刀剣破壊が悪だとは言わない。戦争をしているのだ、そういうことだってある。それでも―――それでも、ああ、と思うのだ。本当は知っている、知っているのだ。鳴狐の名前は彼だけのもので、私はただの〝お供のキツネ〟。鳴狐と名乗れない、そういう存在。だのに鳴狐以外の名を名乗ることも怖くて、しかし彼から名を奪うこともしたくなくて。
 いつか。
 また、ひとつに戻れるのなら。
「その時は、私を貴方に差し上げますよ、鳴狐」
 私は小さく呟いて、話の終わった主殿のところへと元気よく駆け込んだ。主殿は少しばかり驚いた顔をしていたが、すぐに笑って道具を取りに行ってくれた。

 私は今日も名乗る。何処かで屹度、名乗っている。
「やあやあこれなるは、鎌倉時代の打刀、鳴狐と申します。わたくしはお付のキツネでございます!」
彼の静かな、よろしく、を引き出すために。

***

20170830