このあとめちゃくちゃ手入れ部屋行った へしさに

 自分とは、何なのだろう。
 へし切長谷部は自らが刀剣であるということを忘れたことなどないが、最近良くそんな哲学的な思考をする。自分とは、へし切長谷部とは。一体何なのだろう。そう思うことをする。
 というのもへし切長谷部を顕現させた彼の主が、よくそう言うことを訊ねてくるからだった。別に彼女が哲学者である訳ではないし、彼女がすべての答えを知っている訳でもないのだが。質問を振るだけのこともあるし、自分の考えを述べることもある、へし切長谷部が答えなければずっと黙っていることもある。彼女のそれはいつだって気まぐれだ。気まぐれで、へし切長谷部というものをはかろうとする。
 それをそのままにしているのは、それが心地好いと感じているからだ。彼女のその唇から放たれる言葉の一つひとつがへし切長谷部に向いている、これ以上の幸福があるだろうか。そう思って初めて、へし切長谷部はああ、と思った。
―――俺は、この人を愛している。
それは主への忠誠とはまた違った感情だった。人の身に降りたからこそ湧いた感情だったのかもしれない。道具であれば、人間への思慕は当たり前のように奥底に根付くものだ。これはその類ではない、とそう思った。
 恋、と。
 その名をその感情につけられたのは、もうずっと問答が繰り返されたあとのことで、既にへし切長谷部と主である彼女の間では、答えが出ないかもしれない遣り取りは当たり前になっていた。これが、恋、とへし切長谷部は思う。彼女はへし切長谷部を定義したいようだった。だからだろうか、問いと平行してへし切長谷部にいろいろなことをやらせた。どれも嫌ではなかった、どれをやるのにつけてもへし切長谷部には喜びが伴った。
「これが、恋だから!」
胸の高鳴りはへし切長谷部に幸福をもたらした。
 と、へし切長谷部は思っていた。
 だがどうやら彼女の中では違ったらしい。
「ねえ、長谷部」
いつものあの、答えの出ないかもしれない問いの口調で彼女はへし切長谷部を呼ぶ。
「私は君を幸せにしたいのにどうしてもその道筋が見えないんだ。ねえ、長谷部、君はどうやったらしあわせになれるの」
しあわせ、なんて。へし切長谷部は震える。今、この瞬間こそが。
「主、」
 こんなに甘ったるい声が出るのだな、と思った。まるでとっくりと蜜に漬けられた少女のような。何万年も石の中で眠っていた幼虫のような。へし切長谷部はずっと永遠にへし切長谷部だろうに、彼女の定義したがるへし切長谷部を毎回演じて、それが大変かと問われれば少し、大変だけれども。
「俺は、貴方がいてくれさえすれば」
しあわせです、と。その一番重要な部分は押しとどめられた。
 指が。
 彼女の細い指が、へし切長谷部の唇をやわらかく塞いでいる。それが分かった瞬間、へし切長谷部はもう何も言葉を発することが出来なくなった。もしも何か言おうとすれば、へし切長谷部の唇が彼女のその細い指を嬲ることになる。それは、と考えるだけで腹の底が熱くなった。
 彼女は指をそのままに、はぁ、とため息を吐く。
「君はそうやって嘘ばかり、口滑りの良い言葉ばかり、上っ面だ」
慎重に、息をする。
「私に本当のことを言えないとでも思っているのか、言わない方が良いと思っているのか…それとも、本当に君は君のその上辺具合に気付いていないのか」
鼻呼吸というのはこんなに難しいものだったろうか、頬の筋肉を動かさないということは、こんなに難易度の高いものだっただろうか。
 それでも微かに動く唇が、その指先の凹凸までも感じ取っていくようで。
「もう分かった、君の頭に直接聞こう、ねえ、良いよね?」
何を言われても頭に直接酒を流し込まれたようで、しかしそれはあまりに残酷な言葉で。
―――ああ、主。
動かせない唇の代わりに眼球を動かして訴える。
―――俺の言葉は信用に足りませんか。
 彼女にはその視線は違うものとして伝わったらしかった。
「だってこれは君の幸せのためなんだから、良いでしょう、良いに決まってる、良いよね?」
ねえ、うん、って言って。甘えるような様子で少しだけ首を傾げられれば、それにつられるように首が縦に動く。唇へめり込んだ、その少しだけ長い爪の痛みに、ずくりと脳髄が疼く。
「君を、貸して」
 断る理由はなかった。この先、何が起こるのだとしても。自分の生命とも言える本体を恭しく献上する。今この瞬間が、どれほどへし切長谷部のすべてなのか、彼女に伝えるように。
「さあ、君の中を見てみよう」
すう、と冷たい空気がへし切長谷部のこめかみをくすぐっていった。自らがこんなにも人を殺すための道具であったことを実感する機会なんて、きっともうないだろう。
 ひたり、圧し当てられたところから鉄の香りがした。
 もうすぐ、彼女の願いは叶うだろう。



(「結局分かりましたか」「分かんなかったから、もう一回」)