うつつのまことかかみのたわむれか


きみのいるゆめ へしかり

 しん、とした空間ではくるくると回ることでインクを吐き出す球体が、紙をすべる音さえ良く聞こえる。出した茶で手を暖めているであろう彼が、じっと己の背中に視線を投げかけているのをへし切長谷部は感じていた。突き刺さるようなものでもない、温度のあるものでもない。ただぼんやりと、その目に映しているだけ、といったような視線は妙に心地が好かった。
 夜。
 出撃があることもあるが、基本夜は自由時間だ。だからこうして彼が、にっかり青江がへし切長谷部の部屋へとやって来ることもある。特に何をするでもなく、くだらない話をしたりして、時には同じ布団で眠って。
 最後の文字を書き終えてノートを閉じると、やっとへし切長谷部は振り返る。寝間着の上に、いつものあの白を引っさげて、にっかり青江はぼんやりとしていた。
「終わったの」
「ああ、待たせて悪かったな」
「べつに。君の背中、嫌いじゃないしねえ」
その焦点が曖昧なところから、へし切長谷部へとやって来る。そこで、ふっと一つのことに気付いた。
「…髪を、上げているんだな」
「あれ、君、そういうの気付くひとだったんだ」
「…お前は俺のことを何だと思っているんだ」
「朴念仁」
 反論はなかった。出来なかったとも言う。少しだけ唇を噛んでから、話を逸らすな、と返した。ごめんねえ、というのんびりした返事と共に、そうだね、とにっかり青江が上を向く。
「なんだかねえ、僕と君の仲が邪推されているようなんだよね」
「事実邪推されるような仲ではあるだろう」
「いやそうじゃなくて、性交してるっていう」
「ああ、そういう意味なら邪推だな」
頷いてから、で、と続ける。
「それがどうして髪を上げることに繋がるんだ」
「うん、それの所為なんだよ。なんだか最近やたら首の辺りとか、注意深く見られてるな、と思ってたんだよねえ。視線がむず痒くて。妙に着替えの時とかも気にされてるから、なんだろうなと思ってね。そしたら石切丸がこっそり教えてくれてねえ、邪推のこと。それでどうせなら、何もないって見せてやろうと思って」
それは逆効果ではなかろうか。
「まぁ、僕が気付いたと分かった面々の質問攻撃すごかったよ。加州くんなんか、長谷部くんは独占欲強そうなのに、とか言ってくるし」
「加州………。というか、質問?」
「うん、質問。気を使ってるのか、とか。どんな感じなの、とか」
容易に想像がつく。そして、にっかり青江が取ったであろう行動も。
「それで、お前はまたいつも通りに答えたのか」
「うん。だって君との本当は僕が知っていれば十分だろう?」
へし切長谷部の頭にはいつものように真意の掴めない表情をその頬に乗せながら、どちらともとれる答えを唇に乗せるにっかり青江が浮かんだ。ついでに、それに色めき立つ面々も。
「…お前がどうしてもしたいというのならば、まあ、下くらいならやれないこともないだろうが」
「君ねえ、僕がそんな乗り気でないひとに無理強いするとでも思ってるの」
 口調こそまるで叱るようなものではあったが、声色は何処か跳ねるようなものに聞こえた。
「そもそも僕らがそういうことをしないのは、単に君がそういうことに興味がないというだけだろう?」
僕のことを想っていない訳ではないだろう、とにっかり青江は言う。
「確かに君は言葉が足りないけれど、それでも僕は一応君の恋人で、君のことをいろいろ考えているんだよ」
知りたいと願っているし、知っている、と少しは言える自負もある、と。髪に隠れて片方しか見えない眸がきらきらとして見えた。そこに、虚勢は見受けられない。
「…形がないのは、不安ではないのか」
「形っていうのは、恋人であるからこそすること、みたいな?」
頷く。
 多くの人間を見てきた。その中で愛し合った人間が何をするのか、知らないへし切長谷部ではない。
 そう、知ってはいるのだ。
「うーん、でも、そもそもさあ。僕、君に抱かれても良いとは思うけど抱きたいとは思わないんだよねえ」
人間のような身を持っている割りには、そのような衝動は付随しては来なかったけれど。
「そもそも性交なんて人間のやることだしね」
ああ、と思った。
 以前、石切丸との会話を聞いたことがある。
―――なんで神剣になれないんだろう。
なりたいという気概も感じられない、ただの幼子のような疑問形を。だというのに何故言葉にしたのか、いつだって何処かに引っかかっていた。その、答えが。今、へし切長谷部の目前に示されている。ああ、この、男は。否、この、刀、は。
 既に。
「ああ、でも、恋仲と認識している時点で、それは人間の真似事なのかな」
真似事なのなら、もっと何か、したいよねえ、とにっかり青江は顎に指をあてて首を傾げる。性交以外で何かあるかなあ、と思考する顔は、確かに新しい遊びに手を出した幼子のようにも見える。
「じゃあ、こうしよう、長谷部くん」
傍らに置いてあった手放せない白を頭からかぶって、にっかり青江はいいことを思いついた、とばかりにへし切長谷部を見つめた。
「結納ごっこ」
 いつだか、主が話していた。彼の中で、あれはライナスの毛布なのかもね―――有名な古典絵本の登場人物から言われるようになった言葉なのだと言う。どうしても、毛布を手放せない子供。それがないと、不安で不安でどうしようもなくなる子供。その毛布があるということが、彼の存在を確かなものにしている。
「死人の服でか」
「良いじゃないか」
いつか消えてしまうだろう、この身はそうであれど、強制的に与えられたものなのだから。その不安を、誰もが言わない。誰もが、胸に秘めているのに。
「僕らは生命を奪う道具だ」
 にっかり青江は持っていた茶を一口飲む。既に冷め切っているようだった。
「それは今でも、同じだ」
はい、と差し出されたそれを受け取る。
 これは、真似事だ。真似事だから、何が正しくなくても良い。
「ひとを殺す道具がひとが死ぬ時の服で祝言をあげるなんて、ひどい皮肉で、きっと永劫、忘れないだろう?」
へし切長谷部はそれを飲み干して、それから湯のみを差し出したままの形で止まっている手を引いた。身体が倒れ込んで来る。中身のない湯のみが畳へ転がる。
 抱き締めた身体はあたたかかった。まるで人間のようだった。同じように抱き締め返してくる腕がある、白ははらり、と落ちていく。
「にっかり青江」
「なにかな、へし切長谷部」
「お前を愛している」
「僕も、君を愛しているよ」
 それは人間ではないからこそ出来る、残酷な諧謔なのかもしれなかった。



20150605
20171102 改定