何処どこまでも尾鰭は美しいから 

 人間という生き物がどういうものなのか鶴丸国永はよく分かっていなかったのだと思う。だからこそ己の主であるおんなにこんなにも手を指を、伸ばしてしまうのだろう、と思った。誰でも良かった、訳ではない。彼女の平凡な瞳に写してもらえることがこんなにも嬉しいのだと、そんな心を持て余しながらおんなの力となって戦うことが誇らしかった。でもそれだけでは足りなかった。でも彼女は人間で、人間でしかなくて、鶴丸国永はそれを理解したつもりになって自分に許される範囲のそれを謳歌していたつもりだった。
 祭りに行きたい、とぽつり、言葉を吐いたおんなに息抜きをしに行かないかと誘ったのも、その一つだった。人間の祭りというものが妙に賑やかで人間にとっては異界のようであることを、知識≠ニして知っていたから。おんなもそのような喧騒に興味があるのだと、もしかしたら好いているのかもしれない、と思った。鶴丸国永の目に映るおんなはあまり飾り気がなく、だからあのような華やかな場所で少し羽目を外したい願望があるのかもしれないと、そんなことを。
 すべては鶴丸国永の思考だった。おんなに何を聞くでもなく、けれども彼女は君がそう言うなら、と伸びをした。幸い仕事も片付いていることだしね、と。割り切りの良い性格が好ましかった。もし他の性格だったとしても、鶴丸国永はそう言っただろうけれど。誰でも良い訳ではなかった、それは繰り返す。けれども彼女が彼女であったことが、ことだけが、鶴丸国永にはとてつもなく重要であって、それ以外は恐らくそんなに重要ではないのだ。
 賑やかな音の中を歩いていく。からん、ころん、と下駄の音がする。履き慣れていない、と少し文句を言った彼女だったがその足取りは軽快だ。
「君は何がしたい?」
その斜め後ろを歩きながら鶴丸国永は問う。
「何がしたい、か」
彼女はまるでそんなことは初めて考えた、とでも言うように振り向いた。祭りに行きたいと言ったのは彼女だったものだから、てっきり目的があるのだと思っていた。否、目的はあったのだろう。鶴丸国永に問われるとは思っていなかったのか。それとも、出て来てしまったことで目的を達成してしまったのだろうか。
 それはないだろう、と思った。りんご飴もわたあめもお面もイカ焼きもハッカパイプもおんなの手にはない。おんなの視線の中にもない。鶴丸国永には分かってしまう、それほどにおんなの視線の先を追ってしまう。
「…鶴丸国永、」
鶴丸国永の思考を見破ったかのように彼女は笑った。少しだけ、力のない笑みだった。
「金魚でも、すくいに行こうか」
 人間とは祭りで金魚をすくって遊ぶという趣向があるらしい。それを少し残酷だな、と思いながら妙に上手い金魚すくいを後ろから見つめていた。屋台の親父には兄さんもやるかい、と問われたが断っておいた。ちなみに今の鶴丸国永は、その辺りの人間と同じように見えるように術が掛けられている。そうでなくてはおんなの傍を歩くことすらままならないだろう。
 仮にも名前に神とつくいきもの。いきものなのか、鶴丸国永には判断がつかなかったけれど。
「うん、これくらいで良いだろう」
「もう良いのか」
「そんなに育てられないしな」
彼女は三匹すくったところでポイを親父に返していた。まだ丈夫に紙の貼られたそれはもう何匹かはすくえただろうに、おんなは満足したようだった。育てる、という言葉におんなはそれを生きながらえさせるのだな、と思う。
 こんな小さな生命。
 すぐにでも死んでしまうと思うのに。
 三匹を袋に入れてもらって、その狭い水の中で泳ぐのを眺める。喧騒から遠ざかって、玉砂利の音ばかりを聞いている。誰もいない、という訳ではなかった。でもおんなが人の少ない方へと行っているのは確かだった。このまま帰るつもりなのだろう。
 おんなは、鶴丸国永の視線を意味を正しく理解している。それを利用し利用させているのだから、きっとこの関係は人間で言ったら不健康なのだ。不健全、なのではなく。
「君は水みたいだな」
からん、ころん、とその足音を掻き消すように鶴丸国永は言う。
「人間なんて皆そんなものさ」
返ってくる言葉が素っ気ないものであることを、鶴丸国永は予期していたように思う。おんなはいつもそうだった、其処にあるのは諦観ではない、けれども何か、閉塞を感じさせる。言葉の端々に、それ以上はないのだと突き付けてくる。それが彼女の武器だとでも言うように、言葉を弄すことも出来ないくせに。
「この歴史という大きな流れの中で名を残せるものが幾らいるか」
 ちゃぷん、と袋が揺れた。生きのいいのを選んですくったらしい。長く生きて欲しいと、その願いは、本当に金魚に対しての思いだったのか。
「私はそうはなりたくないんだよ、鶴丸国永」
鶴丸国永は知っている。おんなが此処に来るまでに捨てたものたちのことを。しかしこれは鶴丸国永だけが知っていることではなかった。この本丸の、おんなの刀剣男士たちは誰もが知っている。
―――これくらいしか覚悟を示せないけれど。
人間と、刀剣男士。
 本当に、それらは心を通わせることが出来るのか。
「他でもなく名の残っている君にこれを言うのは、少し狡いのだろうけれど」
価値観も何もかも違うのに。心の置き方一つとっても、すべてに齟齬を見つけてしまうのに。
「私は、」
 おんなは振り返らない。からん、と歩みが止まる。鶴丸国永もそれに倣って止まる。
「何処にも残りたくはない」
おんなが此処で、背中を震わせるような、拳を震わせるような人間であれば良かったのか、鶴丸国永には分からない。どういうものがおんなの幸福であるのか、そんなことを考えるのはあまりに傲慢なような気がして。神と名を与えられても、結局のところその根底は道具だった。人間の使うもの、それがどうやって人間をかたろうと言うのだろう。
「私は、私のいるこの歴史が正しいとは言えないから」
息を詰まらせるような真似はしなかった。おんなの不安など、もう、とっくの昔に知っていたから。
「聞かなかったことにしてくれ」
 振り返ったおんなはいつものように笑っていた。鶴丸国永の、鶴丸国永たちの主である顔で、笑っていた。それがあまりにたまらなくて、一歩、踏み出す。
「だから、君は―――」
視界の端で金魚が泳ぐ。狭苦しい中で、それでも懸命に。今を生きている、それが嫌でも分かる。しっかり世話をすれば長く生きるだろう。それこそおんなの望み通りに。
「君の娘のことをなかったことにするのか」
審神者になるにあたって、それまで持っていた親権を放棄したのだと、其処まで知っているのは鶴丸国永だけが良かった。現世に置いてきた娘がいる、捨ててきた娘がいる、夫も、家族も、何もかも。
 この手から落として来たのだと、それでもついて来てくれるかと、おんなは一振り一振りと対話をするのだ。それはおんなが此処にいるための赦しだった。誰が赦している訳ではなくても、おんなが勝手に受け取っている施しだった。
「…こんな母親など、いない方がいいのさ」
「それを決めるのは君の娘だろう」
「君がそれを言うのか」
「ああ、言うさ。何も分からない俺だからこそ、俺は言う」
どうしておんなは紅い金魚しかすくわなかったのだろう、と思う。黒いものも、銀色のかかったものも、いたはずなのに。
「何が本当か分からない、私たちはいつ消えてしまうかも分からない。私たちは、鶴、」
 紅が良いとばかりに、おんなはそれしかすくわない。
「戦うもの、なんだよ」
 おんなはいつ死んでしまうかも、とは言わなかった。それが彼女の矜持なのだと分かってしまった。鳴呼、本当に心なんて、持つべきものじゃあないんだと、そんなことを。
 思ってしまっても、結局、この心は消せないから。
「それでも、」
掴んだ手首を特別細いと思う理由はないはずだった。いつでも縊り殺せる、それでもしないのが刀剣男士であった、鶴丸国永であった。間違っている、などとは言わない。だから間違えたのは鶴丸国永の方で良かった。可笑しいのは鶴丸国永で良かった。それでおんながすくわれるなら、それで良かった。例えおんながそれを望んでいないとしても。
「俺は君を残したい」
「…戯言だ」
「ああ、戯言だ。いっときの気の迷いだ」
でも君たち人間のするものだってそんなものだろう、というのはきっと、人間であるおんなをひどく傷付けるものだった。それを知っていて、鶴丸国永は言った。傷付けは良いと思った、人間ではない、刀剣男士の鶴丸国永にも同じことが出来るのだと、全身で叫んでやりたかった。叫んで、叫んで、鶴丸国永の声だけでその耳の細胞を塗り潰したかった。
「―――」
何か言葉を重ねるためであろう、控えめに開かれた口のその中の舌がちろり、金魚の尾鰭のように揺れたものだから、もうそれ以上は聞きたくなくて息を奪った。
 一瞬抵抗しようとしたその指は諦めたように下されて、だから鶴丸国永はただ出来うる限りの優しさでもってしてその指を絡め取るのだ。

***

紅の尾をした金魚にすくう 

 金魚だったらきっととてつもなく美しい尾鰭がついていたのだろうな、ところころと転がるような足跡(そくせき)を追いながら思う。活発なこどもだ、そして利発でもある。凡そこどもらしからぬ、と言っても差し支えないだろうそれは鶴丸国永から見たら大して変わりのないこどもに見えた。ただのこどもだ、ただの。似ていないのだな、と思った。別れたのだと言う夫の方に似たのだろう、といっていたのを思い出す。それを引き出したのが何処であるのか、それを今だけは忘れることにした。少なくともこどもの前でする思考ではない。
 そもそも此処に来ていることが彼女にバレたら怒られそうだな、と思う。今度こそ呆れられて逃げられるかもしれない。彼女が自分の仕事に誇りを持っていることを鶴丸国永は知っていたけれども、自分を擲つような性格ではないことを知っていた。だから人間の価値観に合わせている。その方が、長く一緒にいられることを理解っているから。あの時、祭りですくった金魚のように。
 あれからあの金魚たちは元気に生きていた。本丸という空間にあるからかもしれなかったけれど、それとは別に甲斐甲斐しく世話をするものがあるからこそであると鶴丸国永は分かっていた。
 金魚に名前はついていなかった。彼女は名前をつけなかった。他の刀剣男士たちもまた、それに倣った。三匹まとめて金魚、とそれだけで通じるのだから問題はなかったとも言える。
 長く、此処に留まっていることも出来ない。だから鶴丸国永は、ざっと音を立てて、その樹の上から降りた。音にこどもが振り返る。やはり利発そうな顔をしていた。きっとつり上がった瞳は、やはり、似ていない。
「君、金魚は好きかい?」
手の中には何もなかったけれども、あの時彼女が持っていたものを持っているかのような調子で、鶴丸国永は問うた。こどもの視線は、完全に不審者を見るもののそれである。まあ、そうだろう。今の鶴丸国永は特に術も掛けていない。鶴丸国永の姿そのままだ。視えないものには視えないだろうが、相手がこどもであること、そして彼女の血を受け継いでいることで、恐らく視えないことはないだろうと思っての行動だった。怪訝な顔をされている辺り、その予測は間違っていなかったらしい。
 このこどもも。
 いつか戦うようになるのだろうか。彼女がどうしたって遠ざけておきたかった戦場で、血に塗れることになるのだろうか。その時このこどもは彼女と同じように何もかも捨てるのか、それとも何もかも手放さないことを選ぶのか。それはその時になってみなければ分からないけれど、きっと彼女はこどもが何もかも手放さないことを選んで欲しいのだと、そう思った。
 暫くして、こどもがはあ、と大きく息を吐いた。ため息、のようではあったがため息ではなかった。
「知らないひととは喋っちゃいけないって言われてるの」
そりゃあそうだろうな、とは口にしない。別れた夫はとてもしっかりした人間だったのだと、握られた手の温度が忘れられない。
「なのに、喋るのかい?」
「だって、お兄さんはひとじゃあないでしょう」
「さあ、どうだろうな」
正しい答えを与えてやるのは流石に憚られた。彼女のこともあったし、そもそも政府なんてものが何処まで何を把握しているのかも分からない。本来であれば現世に出るのに術など面倒な申請をおこなうのが通例であるから、きっと怒られるのだとは思っている。こういう時、鶴丸国永は自身が鶴丸国永であったことに感謝する。妙にはっちゃけた同位体がいると、まあ鶴丸国永だから≠ナ流されることがあるのだと知ってしまっている。そんな鶴丸国永と出遭ってしまった審神者は大変だろうが、今鶴丸国永はその恩恵を受けているような気がするので胸の内で手を合わせておくことにする。
「ひとかもしれんぜ」
「そんな、まっしろけなひとがいるものですか」
「まっしろけ…」
「まっくろくろすけをつかまえにいったらいいんだわ」
 意味のない会話。これはまくらだった。これから本題に入るための、息継ぎ。自分よりずっとちいさなこどもを虐める趣味はないので、鶴丸国永はただそれを聞いている。まっくろになれば良い、と言われたことは少し笑ってしまうが。帰ったら大掃除でも手伝ったら良いのだろうか。そんなふうに話が続いて、それから途切れて。
 こどもは、息を吸う。
「おかあさんを、知っているの」
おかあさん=B当たり前のようにこどもが彼女のことをそう呼ぶことを知っていたはずなのに、どうしてか鶴丸国永はがつん、と頭を殴られたような心地になった。
「かえして」
苛烈な瞳が、彼女とは似ても似つかぬ瞳が、鶴丸国永を見つめている。睨め付ける、まで至らないのは未だこどもであるからか、それとも。
 桜色の唇が、ふ、と緩んで。
「―――なんて、きっと、おかあさんは言ってほしく、ないんだわ」
上の段の歯が一つ、抜けていることに気付いた。真正面でなかったからすぐには気付かなかった。
「わたしには、おかあさんはいないの」
そういうことになっているの、とこどもは言う。こどもに不似合いな苛烈さで、鶴丸国永と向き合う。どうにか出来るのが鶴丸国永だけだからではない。
 目の前に現れたのだから。
 何かして然るべきだろうと、幼いくせにそう決め付けるのだ。
「でも、おかあさんには娘がいるの」
胸が叩かれるような心地だった。怒涛の攻撃だった。こどもだからと言って侮るなと、全身で訴えるように。
「だから、誰かがかわりをやらなくちゃいけないの」
語彙は少ない。ただ言葉を並べただけ。幼稚な言葉だと、こどもの戯言だと、笑い飛ばせば良かったのかもしれない。でも、
「おままごとって、そういうものだから」
 それが出来たら鶴丸国永は此処へなど来てはいないのだ。
「お兄さんは、」
翻るような笑みが広がる。満面の笑み。彼女が主として立つ時にしてみせるような笑みとは似ても似つかないのに、どうしてかそれを思い出す。
「きっといじわるだから、娘にはなってくれないのよね」
だから嫌いって言っておくわ、とその幼い顔に似つかわしくない背伸びをした台詞でこどもは言い切った。
 それが、それだけが今の彼女にとてもよく似ていて、だから鶴丸国永は涙を流さなかった。

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20190328