恋はするものじゃなく、おちるものだ。 

 鶴丸国永は人間が作り出した道具に、人間が愛した故に心が宿った所謂付喪神の類であり、神社に祀られていたこともありその存在は限りなく神である。例えそれが末席の末席であろうとも、神は神である。
 それが何の因果か人の身のようなものを持つことになり、何世紀ぶりかに人の子に振り回され自分たちと似たようなものと戦うとなれば。
―――ああ、面白い。
欠伸をすることすら億劫な蔵暮らしの日々を思えば!
「主」
ほんの小娘とも言えるであろう人の子に鶴丸国永は微笑む。
「俺は末席の更には本霊ですらないがしかし、君の傍にいよう」
自分たちの言う〝約束〟がどういうものなのか知っていた。知っていて鶴丸国永は鶴丸国永として好き好んで口にする。
 その名を鶴丸国永は知らない。
 知らないまま、神のままに小娘の手の甲に接吻ける。



江國香織「東京タワー」

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わたしの眸をうばっていく 

 元はと言えば人につくられた道具なのである、意識が如何に神とは言え鶴丸国永にはその間に貴賎などないように思えていた。人の子が永遠願ったものが神になり、人の子を助ける。そんな話をしていればどちらが先か、なんて分からなくなるのも無理はない。
「兄上の呪(しゅ)がなければまた何か違っただろうか」
主のその狭い背中に額を押し付けながら鶴丸国永は呟く。
「俺と君は神と人以外でいられたか?」
それに返ってくるのはさあ、という気のないものであることを鶴丸国永は知っていた。
 知っていて、その温度を求める。

 「君がなんであろうと、私の目の前に現れた鶴丸国永、それだけがすべてだ」



image song「蝶」天野月子

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憂、燦々 

 触れていたい、と鶴丸国永が言うようになったのは例のハンストを半ば強引に解決してからのことだった。近侍である蜻蛉切はそれを何処まで止めるべきか迷っているようであったが、その傍らで私は神が人に願うなんて、と少し外れたことを考えていた。
 優秀な兄のおかげで、私は他の審神者よりも安全地帯にいるはすだった。それは油断ではなく兄への信頼だ。幼い日から今日まで、そしてこれからも私を守ってくれるという信頼だ。甘えかもしれないけれど。
「主」
鶴丸国永はねだる。お腹が空いた、とでも言うように。
 再度重ねるが、分霊と言えども彼は神なのであった。どちらが先か、なんて話はするつもりはないけれど。
「…私だって、そう霊力が有り余っている訳じゃあない」
「分かっている」
「それに、触れるだけでそう君が望む供給を得られるとも思えない」
私は平凡だった。とても平凡だった。
「分かっている。………気分、のようなものだ。それに、ながく使っているものには心が宿るというだろう。そもそも俺たちはそうやって神になったんだ。ならば、人に触れられていることがどれだけのことか、君にだって想像くらいつくだろ」
屁理屈だ、と思った。彼はとても美しくこの世界の原理を話したにすぎないのに、その表情ですべてが屁理屈へと行き着いている。
「…分かったよ」
食べても細いままの手を取る。
 「私を妨げない程度なら、どうぞ」



song by クリープハイプ

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もう愛でいいじゃないか 

 なんだっていい、と鶴丸国永は自分よりもひとまわり小さな人の子を抱き締める。最早慣れ切った肉の感触。
 これをいつか喪うとしても。
「君と居たい」



感情に名前をつけるおろかさをシャッター音ではぐらかしてく / 秋月祐一

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涙の似合う人にだけはならないで 

 ふと気がめぐってきて、鶴丸国永はその手を主の頭に載せてみた。何、と胡乱な視線を寄越す人の子に、なんとなく、と素直に返す。
「君は頑張っているなぁ、と思って」
「そりゃあ。今は戦争中だし」
「それだけか?」
「兄の働きを近くで見ていたのも大きいだろうな」
その言葉にきっと嘘はないのだろうが、それでも。
「…君、一番の理由を忘れてるぜ」
「何が」
「俺たちのためでもあるだろう?」
でなければ、霊力補給の大元である食事を拒否する、そんな付喪神は刀解してしまえたはずだ。
 でもこの人の子はそれをしなかった。
「君は今まで人間が俺たちにしてきたように、俺たちを愛している」
それ以上の言葉はいらなかった。
 もたれた背中はやはりあたたかくて、鶴丸国永は此処こそがその居場所なのだと、再度強く思うのだ。



ramie @mtreho

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シロクマにはシロクマの生き方がありました 

 君の傍は息がしやす過ぎるんだ、と彼女は言った。鶴丸国永の半分にも四半分にも満たないその生の途中で、人間である彼女はそんなことを言った。息がしやすくてたまらなくて、其処で生きていることが当たり前のような気がしてくるのだと。涙の気配すら見せない顔で、鶴丸国永しか知らないあの傷が疼くことを忘れてしまう、と掠れた声で言った。
「もし、」
言葉を探したのは賭けだった。
「もし、君が望むなら、俺は君が忘れないように繰り返し伝えよう。君が忘れそうになる度に、忘れるなと言葉にしよう」
それくらいは許されるはずだろう、と言ってみせると、彼女は軽く瞠目して、それからああ、頼む、と呟いた。



自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか / 梨木香歩「西の魔女が死んだ」

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花は生きることを迷わない 

 鶴丸国永の指がその傷をなぞっていくのを好きにさせている。この城でこの傷について知っているのは彼だけで、それもするっと口に出来る程度のことしか言っていない。事実、誰も知らないのと大差ない。
「このことを兄上は知っているのか?」
面白くもなさそうな表情で続けるそれに意味があるのか、正直分からなかったけれど。
「どうだろう。知っているんじゃないかな。でもその場合も理由は知らないと思う」
私は誰にも言わなかった。
 言えるほどの理由がなかった。
 ただつまらないから。
 それだけで、なんとなく、なんて。きっと偽善者たちが寄ってたかって生きたくても生きられない人がいるのに、と言ってくるに違いない。私は怖かった、私は臆病者だった。誰かが私を害すことが怖かった。私が誰かを害すことに臆病になっていた。
 鶴丸国永はそうか、と呟いただけだった。何本もあるミミズ腫れのような傷がその指の下で形を変えられる。それがなんだか面白くて笑ったら、何を笑っていると小突かれた。



song by LUNKHEAD

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一緒に歩むということ。 

 別に人間のふりをしているつもりはないのだけれども、と鶴丸国永は己を喚び出した主を時たまにじっと観察していたくなることがある。彼女が人間として当たり前にやることが一体何なのか、この身に落とし込みたいと、そう思うことがある。
「こりゃあ一体何なんだろうな」
その問いかけの答えるものはいない。彼女の兄が此処にいたら、またあの減らず口を叩くのかもしれなかったけれども。
 それでもきっと、どんな答えが貰えようとも彼女の言葉でないのなら何の意味もないのだ。



右あしの次に出すのは左あし ふと思い出し 歩きはじめる / 佐々木あらら

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誰かが創った終わりなんかいらない 

 この戦いの先にあるのが終わりだと言うことはきっとこの城では誰より鶴丸国永が分かっていた。それは他のものが分からないでいるのではなく、鶴丸国永くらいしかそれを意識すべきものがいなかったからだろう。
 自らを起こした主、審神者は戦争のための道具だ。そうであるからこそ、いっとう弱い彼女を彼女の兄は必死に守ろうとするのだ。家族の情がどういうものなのか鶴丸国永は知らなかったが、それで彼女がいなくならないのならばそれで良い。
「戦争が終わったら、君は俺を戻すのか?」
そんな無様な問いかけをするつもりはない。なかったけれど、強く、いつだって忘れないように胸に刻み付けている。
 太平の世が来ても、またいつか争いの世は巡ってくる。美術品と名を変えて、その武器はまた眠りにつくのだろう。今までがそうだったように。人間につくられたものは、人間に寄り添ったまま。
「だから君の隣だけで果てたいなんて、ああ、無茶な話だって分かっているんだ」



@kisasigu

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名を与えて、名を呼んで 

 これが恋というものではないのだと鶴丸国永は人の感情をすべて理解出来ていずとも、それだけは分かっていた。彼女の兄の呪(しゅ)の所為ではないことも、分かっていた。もしも呪が解けたとしても、鶴丸国永は彼女に劣情をもよおさないだろうし、彼女もまたそうであろうと自信のようなものがあった。
 あったが、しかし。
「主従というだけじゃあ足りないと言うのならば、俺は君のものになるのも吝かではないんだぜ?」
鶴丸国永の戯言を彼女はいつものように流してくれる。それが本気でないことを知っていてくれている。
 それの、なんと、満ち足りたことか!
「もしも政府が愛なんてくだらないものを尊重すると言うのなら、俺は君のものになるし、君を俺のものにしよう。それで君と一緒にいられるのなら安いものだろう」
そうかもしれないね、と彼女は返す。
 春の陽射しが縁側に射していた。とても穏やかな日のことだった。



箱庭006 @taitorubot



20161019