君が思い出になる前に 

 この主の元に下りることが出来て良かったと、鶴丸国永は心からそう思う。嘘偽りなく、此処での生活は鶴丸国永という刀剣男士によきものを与えてくれたと、そう思う。
 だからこそ、悲しい。
 彼女が人間で、とても弱い人間で、この先に正しい終わりしか残っていない事実が。けれどもどれだけ悲しくとも鶴丸国永が愛した主は確かに人間だからこそで、鶴丸国永は愛おしいその性質を殺す訳にはいかないのだ。誰よりも正しい、彼女の刀剣男士として。
 無花果、と呼ぶ。
「俺が思い出になる前に、一度だけ接吻けをくれないか」
彼女はいつだって多くのものを鶴丸国永にくれた。
 それは最後まで変わらなかった。

***




今君は此処にいるから(心の楔を) 

 演練から帰って来た主が仕事部屋に足を踏み入れるのを鶴丸国永は今か今かと待っていた。この本丸という空間が生まれた場所であり帰る場所となっている刀剣男士として、その空間に主が帰って来ることはいつだって喜ばしいことだったが、今日はそういう理由ではない。
 玄関が賑やかになって、演練組が帰って来たことを知る。
「ただいま」
「おかえり」
出迎えに行くと、いつもどおりに主と仲間があれこれ演練の感想を言いながら入ってきていた。今日も実りのある戦いが出来たらしい。主がこうして将として育っていくのを間近で見るのは鶴丸国永にとってもなかなかに楽しいものだった。演練組を労い、主を労い、新しい資料が届いていたと言って手を引く。
 そうしてたどり着いた部屋の襖を、主の代わりに鶴丸国永が開けた。
 途端に廊下を吹き抜けていく香り。鶴丸国永が用意していた香だった。彼女の好きなタイプのものだと、事前に調べはついている。
「いい香りだろう、通販というのも馬鹿に出来たものじゃあないな」
「通販だったのか」
「俺が頼んだんじゃあきっとバレるだろうから、歌仙に頼んで一緒に注文してもらったんだ」
「そんなことまで?」
「君に驚いて欲しかったのさ」
驚いたか? と聞けばああ、と返って来る声。
 こんな平和な遣り取りを、いつまでもしていたかった。



煮詰めれば透きとおるもの妬みつつ部屋は杏の香に満ちてゆく / 松野志保

***




はじめましてわたし、喜びと申します。  

 うつら、と主である女が目を閉じかけるのを鶴丸国永は見ていた。あたたかい陽射し、縁側。少し遠くで聞こえる刀剣男士たちの声。確かに昼寝にはもってこいの条件だし、そう寒くもないから風邪を引く心配もないだろう。だから鶴丸国永は彼女に起きろとは言わない。言わない代わりに、肩に触れて、使うか? と小さく囁く。
 うん、という子供のような返事が返ってきて、それから少しだけ凭れ掛かる頭。もっと体重を掛けて来ていいのに、彼女はそれをしない。
 きっと、出来ない。
 それを知っている鶴丸国永はそれ以上を彼女に求めなかったし、その代わりに彼女が袖で隠しているそれに触れて、それからおやすみ、と呟いた。



悲しみよこんにちは。今、あなたのため水色の椅子を空けておいたの。 / 小川弥生

***




嘘は吐けない(約束だから) 

 この城の主である審神者が臥せるようになったことに誰も何を言うこともしなかった。それもこれも主が時間を掛けて説得してきた結果だった。
「私にとっての三年も五年もきっととても長い時間だろうけれど、君たちにはきっと短いだろうから」
そう信じさせてくれ、と彼女は言った。もしそうでなくても、どうか最後まで私を騙していてくれと。
 まるで今までの面影が消えていくようなことを言うものだから、思わずその頬を軽くだが叩(はた)いたことを思い出す。
「やめてくれ」
その時、鶴丸国永は自分がどんな声をしているのかよく分からなかった。どんな顔をしているのかもよく分からなかった。
「君は、最後まで君でいてくれ」
そう言ったら彼女が笑った、それだけは覚えているのに。



愛する人に本当のことを言われるよりも騙されているほうがまだ幸せなときがある

ラ・ロシュフーコー

***




もし未来に色がなかったら? 

 楽しくない訳ではない。だってこんなふうに身体を持って何かを感じる心があって、だから楽しくない訳ではないのだ。ただ、一度捨てようとしたそれを後生大事に思っていることが少し、可笑しいだけで。
「主は俺になんて言ったと思う?」
「…それをオレに言うつもりがあるのか」
「つもりがあるから君にこうして話を振ったんだろうなあ」
鶴丸国永は笑う。
「主は、無花果は、」
 既にいなくなった少女のことを想って。
「未来を見てくれと」
「未来」
「迷いなく言ったんだ、何の迷いもなく…絶対に、未来が存在していると信じて、俺に後を託したんだぜ、兄上」
「だからその兄上ってやめろ」
「だからだろうか、俺はそれを聞いてからずっと怖くて仕方ないんだ」
「聞いてた?」
「なあ、兄上、」
鶴丸国永は笑う。泣きそうに笑う。
「この先もずっと未来が続くなんてこと、絶対なんて言い切れないのに、俺は主の願いを聞き遂げることは出来るんだろうか」



二人で生きる理由を 貫くような眼差しで確かめ合った 今でも息衝く痛みは 記憶 それ以上の何か 誓いそのもの

Salyu「iris」

***




愛してるよ、(それ以外に言えないよ) 

 その手をずっと握っていたのはきっと鶴丸国永の自己満足だった。彼女が最期までそれを認識していたのか鶴丸国永は知らないし、けれども彼女の口元には微かな笑みが浮かんでいたから。
「無花果」
彼女の本当の名前でないそれは、きっと正しく彼女の名前として此処では機能していたのだろう。
 鶴丸国永が呼べば彼女は振り向く。仮のものであってもやはり、そうであれば鶴丸国永にとっては本物だった。
「俺は、ずっと、君の刀剣男士だ」



みんなが行ってしまったら 酔ったふりして ちょっぴり泣こう みんなが行ってしまったら せめて朝から 晴着を着よう
寺山修司

***




金平糖の瓶詰めのように 

 この人のような身体を持つ前から、前田藤四郎は知っていた。自由に動く身体をもっても、こころというものを明確に持っても、万能なものはいないのだと。だから多くは望まないようにしようと目を開けた瞬間から決めていた。決めていたけれども、思うことはするのだ。美しいと思うもの、大切だと思うもの。それをすべて守っていけたら良いのに、と。
 けれども今は戦争をしているのだ。そして、前田藤四郎の主は前田藤四郎がそうすることを望まない。
 前田藤四郎が美しいと、大切だと思うものが主その人と、彼女の寄り添う刀剣男士である限り。
 それはきっと永遠に望まれないことなのだ。

***




こころに隷属 

 人間と言うのがどういうものなのか正直なところよく分かっていなかった。だから
同じような感情を抱いたという箇所に興味を持ったのかもしれない。そう切欠のことは考えるけれども、結局のところ始まりがどうであれ此処に着地していたような気もする。大切なのはこの喉の疼きだ。外に出られないで燻っている、悲しい叫びだ。今、鶴丸国永がどんなものを抱えているのか、それこそが彼女によって与えられた鶴丸国永の人間性だった。
 飽くことなきいのちの味だった。

***




人間になりきれぬ神の欠片 

 隠してしまえば良いものを、と三日月宗近は言う。そうすれば彼女もこんないざこざから救うことが出来るし、彼女を失うことを考えなくても良い。
―――ずっと一緒。
その感覚がどういうものなのか、よく分からなかったが。
 それでも鶴丸国永は選んだのだ。
―――いつか。
いつか語ったことを。
―――夢を見てくれ。
彼女がロマンチストと言った、その感性を。
「だめなんだよ、三日月」
鶴丸国永は微笑む。
「それじゃあ俺たちの無花果は喜ばないんだ」



やわはだをすべる三日月 君はただ後ろから抱かれていればいい / 笹井宏之

***




柩にしまうのなら物言わぬ骸に 

 兄からの過保護という名の開示規約スレスレの報告を貰って、自分の刀剣男士にとあるケースとして共有したあとのこと。いつものように傍にいた鶴丸国永は困ったような顔をした。
「もしも君が眠って、生きているのに起きなくなってしまったら、俺はどうすれば良いんだろうな。俺はきっと君の望むことは何でも出来るが、どれを選んだら良いのか分からないんだ」
「…つるは、少し頭が固いんだな」
「む。頭が固いとは何だ。俺はこれでも君のことを考えてだな」
「だからそれが頭が固いのだと言っているんだ」
何もかも君だけでやる必要はない、と言えば鶴丸国永はその目をまん丸くする。零れそうだ、なんて思った。
「三日月辺りが何かするだろうさ」
三日月宗近はこの本丸では静かな部類だが、その実頑固でなかなかの食わせ者だ。審神者にもしものことがあれば率先して動くだろうし、それはとても公平を期する結果になるだろう。今だって、そういった対策を立てているかもしれない。もっと言えば、この話をするより前から持っていた考えかもしれない。
 それは正しいことだ。もしもの時には動けないよりは動けた方が絶対に良い。
「その辺りで君が悩む必要はない」
そういい切ると、鶴丸国永はこれでもかと言うほど顔を歪めてみせた。
「だけど三日月なら君を殺すだろう」
「そうだろうな」
「俺たちは君を誰にも取られたくないと思っている。口を割らぬのならば、もう戻って来やしないのならば、あいつらは君を自分の手で殺したいと願うだろう」
「ああ」
分かっている。
 分かっていて、三日月宗近に任せたらいいと言った。
 それを鶴丸国永も遅ればせながら気付いたらしい。
「君は、どうして、」
「はは」
笑みが漏れるのは本当に分からないからだた。
 「どうしてだろうな」

***



20180223