![]() 嗚呼強欲な人間よ 審神者にはなる前の研修がある。とは言ってもこれは希望者のみが体験出来る制度であり、その通知をもらった女が審神者になった時には面倒なのでお断りしていた。初期の頃はなかったと聞いているが、そもそも何処の城も自分のところの経営と指揮にてんてこ舞いであって、そんな余裕もなかったのだろう。そう考えるとそういった細部へと手が回るようになってきたのは母体数が増えたこと、戦況が安定してきたことを示しているのだろう―――が、しかし。 「これはなあ…」 画面を眺める女に主、と声がかかる。 「そろそろ仕事は切り上げて俺をかまってくれよ。書類仕事されてると全く君に触れられもしない」 「そりゃあ機密事項ばかりだからね」 「君の名前とか、か」 「まあそれもあるけど、君、別に本名を知ったところで何が出来る訳でもないだろう」 「縁は深まるさ。で、それも、とは」 「例えば風の強い日に君がその襖を開けたとする」 「ああ」 「結界がなかったら部屋に風が吹き込み書類は飛んでいく」 「待て、そんなことのためにこの部屋は結界が張ってあるのか?」 「そういう側面もあるという話だ。書類が風で飛ばされないのは単純に私にとっては嬉しいことだからな」 「………君、部屋は綺麗にしているのか?」 「察してくれ」 笑って誤魔化すと、襖の向こうからは呆れたような空気が漂ってきた。 鶴丸国永が来たばかりの頃はこんな会話が出来るとは思わなかったな、と思う。食事を拒否していた頃の彼が何を考えていたのか、聞いたことはなかったけれども恐らく想像の通りだったのだろう、と一人結論付けていた。 本当に大丈夫だろうな、その部屋に俺たちは入れないんだぞ、と続ける鶴丸国永に、苦笑して大丈夫だ、と返す。 「そもそも書面に起こされるのなんて重要書類しかないよ。だから量がない」 「そうなのか」 「基本的にはデータでのやり取りだからな」 「あー、君がよくキーボードをカタカタ言わせているのはそのためなのか」 「そういうことだ」 この執務室にあるキーボードは兄が買ってきたもので、やたらとカタカタ音がする。それが煩いのではなく心地よい音なのでまた、仕事がそう苦ではないのだ。 「で、君は今度は何を悩んでいる? 俺は聞いてはいけないことか?」 「ああ、別に大したことじゃない…。見習い受け入れを上から頼まれてね」 「見習い? つまり、この城に将来審神者になる人間が来るということか」 「理解が早くて助かるよ」 「して、主はそれを受け入れるかを悩んでいるのか?」 「そういうことになるね。まあ、レアケースではあるんだが、時たまこの職業を誤解している人間というのはいてね…。君たちは…その、美麗だろう」 「人の身のことか?」 「ああ」 「自分では分からんが、まあ、君たちが言うのを聞く限りそうなんだろうなあ」 「…まあ、そういうことだから、その美麗なものが自らを主と慕ってくる状況に、妙な憧れを抱いている人間もいない訳ではなくて」 「ああ、兄上が取り締まっているような事案か」 「そう。まあ、早い話が時たま勘違いをしている人間が混じっているから、そういうものに当たった時の対処をどうしよう、と思うと面倒で」 「端折っただろ、君。…断れないのか? 心を鬼にして言うが、君は審神者としての能力がそうそう高い訳でもないだろう。うちは基本滞りなく回ってはいるが、戦績が良い方ではないんじゃないのか?」 「それはそうなんだが。審神者が増えることは純粋に嬉しいのが一つ、見習いを受け入れすると特別手当が出るのが一つ。勘ぐった話をするのなら見習いを断るということは何かやましいことがあるのでは、という不信感を上に抱かせることにはなるだろうな…」 「………難しいところだな」 ふうむ、と鶴丸国永が唸る。あれから彼はこの本丸の面々によく関わっている。元よりこちらが本性なのだろう、よく食べよく働く鶴丸国永に、最初は警戒していた面々も徐々にそれを緩めていった。 「兄上はどう言ってるんだ?」 「兄さんは今不在みたいなものだ。兄さんの職場の関わっていない、普通に上層部から突然下りてきたものなんだよ」 「そりゃあ、まあ。きな臭いな」 ふうむ、と二回目の唸り声。諌めるように鶴丸殿、と声が掛かる。近侍の蜻蛉切だ。そう、そもそも鶴丸国永は趣味で此処にいるのであって、近侍ではない。 「君、その…そうだな、見習いが勘違いしていた場合のパターンはまとめられるか」 「それなりに…だが。迎え撃つつもりか?」 「その方が良いんだろう?」 「鶴丸殿」 「分かってるぜ、蜻蛉切。主に不利になることは決してしないさ。俺にだってそれくらいの矜持はある」 「………自分は、それを疑っているのではないのです」 それからは早かった。今まで分かっているだけのパターンをまとめ、全員にそれを教え、見習い研修用にスケジュールを組み直す。 そうして迎えたその日。 「相模国本丸番号寅の一万五十三(いちまんとんでごじゅうさん)番、審神者名・無花果(いちじく)です。はじめまして」 「はじめまして。審神者仮名・若榴(ざくろ)です。これから一ヶ月、よろしくお願いします」 やってきた少女は勝ち誇ったような笑みでこちらを見て笑った。 それがあまりにも隠す気のない嘲笑だったため、あ、これだめかも、なんて他人事のように思ったのだった。 * 見習い研修は滞りなく進んでいるように見えた。 あくまでも、見えた≠ニいう話ではあったが。 「やられた…」 事前にそういう事例が少なからず存在するから気をつけるように、と勉強会を行ったからだろう。見習いが刀剣男士に媚びを売ろうとすれば審神者としての心構えの講釈になり、一人になろうとすれば誰かが傍に行ってその様子を伺った。勿論、そうでない場合もある、そうでない場合の方が多い、と主である女は強調して言っていたものの、初日の印象が彼女に力を貸す刀剣男士たちからは不評だったらしい。 とは言え、初対面の態度で主も察したらしく、いつも以上に慎重になっていた。そんなふうに言うと厳戒態勢だったように聞こえるだろうが表面上は本当にただの研修だった。元よりこの城には主の兄である人間の尽力によっていろいろな呪術が施されているため、見習いの一挙一動に目を光らせる、くらいで充分だったけれど。こういった場合、刀剣男士との既成事実を作ってしまえば事は楽に進むと考えられているようだが、そもそもこの城の各部屋には中のものが招き入れなければ入れないという軽い呪(まじな)いが掛けてある。だから、気付いたら乗っかられていた、という事態は起こっていない。 しかし、それでも見習いは諦めなかった。これを逃したら機会がないからかもしれないが、それにしても必死過ぎるのではないか、と鶴丸国永は思う。 「夜中に勝手に鍛刀部屋に入り込んで資材消費ってどうなんだ…。しかも、all950ばかりって…レア狙いか…」 「意外と俺辺りが諦められていたりしてな」 笑ってそんなことを言うと、それはそれで見習いを煽ってしまうのでは、と主は苦い顔をした。 いつもの通り、近侍は蜻蛉切のままだった。しかしそれを差し置いても鶴丸国永はいつだって暇さえあれば彼女の隣にいたし、なんなら許される範囲で延々と触れ合っている。今回、見習いという完全なる第三者の目があるため自重はしているが、だからと言って彼女の傍にいくことをやめる意味もなかった。 「そもそも、見習いが鍛刀することは可能なのか?」 「いや、この城の持ち主は私だから、名義の書き換えをしない限り彼女に出来ることはないはずだよ」 だから手入れも彼女は失敗していただろう? と主が言うのを、ああなるほど、と頷く。見習いは何度かここは私がやります! としゃしゃり出てきてはいたが、毎度失敗しているから審神者としての能力が低いのかと思っていた。まさか名義式だったとは。 「………じゃあ、資材は」 「ただの無駄打ちだろうね。レアどころか刀の形になったかも怪しい」 「それをあの見習いは知らないんだろう」 「教えてくれとも言われなかったしね」 これくらいは許されるだろ、と言った主に、確かにな、と苦笑した。 本来見習い研修というのは見学しか出来ないようになっているらしい。元から弟子として迎え入れている審神者なんかは、名義をいじるための申請を出して、あれこれ世話を焼くようだったが。見習いであるのなら彼らには必ず新しい本丸が用意されている。彼ら専用のこんのすけも、其処で待っているはずだ。だというのに彼女は。 そんなにまでして、何故お下がりが欲しいのだろう。 昼食を摂っている主の元へ顔を出すと、見習いはそわそわと主の顔色を窺っていた。資材を無駄打ちしたのがバレていないかと窺っているようだった。朝一でバレている、と教えてやりたくなったが此処は抑えて、何でもないように話し掛ける。 「なあ主、そういえば備蓄の計算は最近しているかい」 面白いように見習いの肩が跳ねた。周りにいた刀剣男士たちにはそれだけで大体の理由が分かっただろう。 「…いや、最近はそっちまで手が回っていないな。心もとなくなっていたか」 「そうだな、心もとないとまではいかないが…。俺たちはもしも≠想定しなくてはならないからな」 このもしも≠ニいうのは本丸の位置を敵に知られ攻め込まれ、手入れ部屋に結界を張っての籠城戦になったら、ということである。きっとこの見習いはまだそんなことを考えていないのだろう。だからこそ、形にもならなかったものを前にして重い配合を回すことが出来たのだ。 まあ、元々備蓄はしっかりと出来ているので、見習いがそんなちまちましたことをしても痛くも痒くもない。どちらかと言えばそれでも消費された依頼札の方が惜しい。 「なるほど。急だけれども、遠征を組むか…」 「それなら、無花果様、鶴丸国永様に頼んでみては?」 良いことを思い付いた! と言わんばかりに見習いは手を叩く。 「私、これでもたくさん勉強してきたんです! 座学で、鶴丸国永様は退屈が大層お嫌いだと習いました。ですが、こちらの鶴丸国永様は出撃も遠征もあまり出られず、ずっと無花果様と一緒に居られますから…」 そこまで言ってから少し恥じ入ったように頬を染めて、 「あっ…私のような若輩者が、差し出がましいことを申し訳ありません…」 と俯いた。よくやるものだ、と思う。 鶴丸国永は最近までずっと遠征隊長を務めていたし、こうして待機になったのは新たな戦場が政府の方から通達されたからだった。まだ手探りであり安定して周回出来はしないという状態なため、この見習い研修期間は出撃しない、という方向で決まっただけだ。鶴丸国永と同じ思考に至ったであう刀剣男士たちを目で制してから、主、と声を掛ける。 「任せてくれるなら、誰か一振り、他につけてくれればさっさと行って帰って来るぞ?」 それだけで主は察したらしい。 「一振りだけなんて、寂しくはないか? 上限まで組んで大丈夫だ。選抜は君に任せよう」 「おお、それは有り難い。じゃあ、とりあえず今剣。お前も最近暇だろう? ちょっと散歩に行こうじゃないか。他に行きたい奴はいるか? 行き先は美濃国だが」 美濃国の決戦=A通称・C1の遠征任務は四時間のものだ。依頼札も三枚手に入るし、見習いが勝手に消費した分には足りないがないよりは良いだろう。 「…俺も行く」 骨喰藤四郎が手を上げた。珍しいな、と思ったがすぐにその視線の先に気付いて頷く。 「三日月も…来るか?」 骨喰藤四郎がそう問うと、三日月宗近はゆっくりと首を振った。 「確かに今は暇を持て余してはいるが、休むことも必要だ。俺はもう少し、ゆっくりしていたい」 「そうか。なら存分に休んでくれ」 そのあと左文字一派が名乗りを上げて、遠征メンバーは決定した。 「蜻蛉切、加州」 鶴丸国永の小さな呼び声に二振りが微かに反応を見せる。 「留守を任せたぞ」 答えの代わりに、二振りは主、と呼んで彼女に駆け寄った。 支度をしないと、と二振りを連れて外へ出た彼女を、少し時間を置いてから追いかけた。鶴丸国永の手の中にあるのは人間らしい冷たさではない。 主は一度資料部屋へと入ったようだった。外にいた蜻蛉切に声を掛けて入る。 「主」 振り返った顔は、いつもの采配をしている時の顔と同じだった。 「遠征呼び戻し鳩は部屋に隠してあるな?」 「………君まで、そんなことを言うのか」 「言うさ。こんのすけは」 「執務室で待機してもらっている。政府の方にもそれとなく問い合わせをしてもらってはいるが…」 「尻尾が掴めない?」 「そんなところだ」 見えない敵と戦うことに、彼女は慣れていない。それは分かっている。 「蜻蛉切にお守りは持たせたか」 「言われなくても極を持たせてある」 だから、鶴丸国永は手を打っておくことにした。人間らしくない冷たさ、無機物の冷たさ。 「今剣を連れておけ」 「…待て、本体に戻したのか」 「ちゃんと合意の上だ。短刀がどういった場面で使われるのか、君だって知らない訳じゃあないだろう」 勿論知らないとは思っていなかった。が、流石にその想定には笑みが漏れたらしい。 「………あの子が、そこまで豪胆に見えたか?」 自分一人では何一つ出来ない少女。 まるで、かつての自分を見ているようで。 どうして、彼女の思うことがこんなにも手に取るように分かるのだろう。 「見えなかった。が、人間は見てくれで決まるものではないからな」 「…それも、そうだ。でも、君が戻って来るまで、私は私で主として出来ることはするつもりだ」 真っ直ぐに見上げられる。 「頼りないかもしれないが、信じてくれ」 「信じてはいる」 鶴丸国永の返す言葉は決まっていた。 「けれども君は弱い」 「腹を空かせた付喪神一人、満足に満たしてやれないほどに?」 「その話を蒸し返すのはやめてくれ…」 主は笑った。だから鶴丸国永も笑うしかなかった。 * 急いで組んだ鶴丸国永の隊を、見習いの少女は見送りにも来なかった。遠征の時間までは把握していないだろうから、行動を起こすとしたら直ぐだろう。彼女は邪魔者を遠ざけたと思っているはずだから、少しでも早く行動を起こすだろう。 三日月宗近が残ったのは、自らが人間に―――ことに最近では審神者に求められていることを自覚しているからだろう。囮だ、と思う。蜻蛉切は近侍を前田藤四郎に任せて何処かへ行ったし、加州清光もそれに付いていった。此処にいる刀剣男士たちは皆が皆、自分で考えて動く。それは主である自分の力量が足りないことの証左でもあったが、アイディアの豊富さから見てもとても助かっていた。 一時間、何も起こらなかった。見習いの少女につけた監視は生きている、逐一報告が来るのを待っていた。審神者の姿が見えないことを彼女はまったく気にしないらしい。これで姿を現したらどうなるのだろうか、ついていてくれた前田藤四郎にそう話して、一人と一振りで見習いのいる方へと向かう。 今のところ問題はない、という連絡がまた入った。妙に焦っている、とも。それと同時に自信があるようにも見える、と。 ―――嫌な予感がする。 そう思って早く見習いの元へと行かなければ、と足を早めた瞬間。 一瞬の出来事だった。 身体の中に、突然手を差し入れられたような心地。 「主君?」 前田藤四郎が見上げてくる。もう少し、もう少しだった。少し遅かった。身体の中を引っ掻き回されたようだった。 「あら、審神者様」 見習いが近付いて来る。勝ち誇った笑み。気分が悪い。 何をした。睨み付けないように背筋を伸ばせば、足音がした。 「おや、無花果殿」 ああ、主≠ナはなくなった。 ぶわり、漏れ出るものが何なのか、分からない。 「………うわ」 思わず声が漏れる。吐きそうだ。 色が付いていないはずなのに、濃いピンクをしているように見える。匂いが付いていないはずなのに、甘ったるい匂いがするように感じる。 「主君、そういえば政府から新しい書類が届いたと、さきほどこんのすけが言っておりましたよ」 「ああ、じゃあ、執務室に戻ることにするよ」 「はい。部屋の前までご一緒しますね」 「ありがとう、前田」 いち早く異変に気付いた前田藤四郎がささ、と手を引いた。こんのすけは執務室で待機したままだ。政府から書類が届く時間でもない。けれども真面目に研修を受けていない見習いは前田藤四郎の言葉を不思議に思った様子はなく、前田くんは審神者様の右腕ですね、などと笑っていた。何故此処に審神者がいるのか、それは気にならないらしい。それとも。 手に入ったからどうでも良いのか。 「…主君」 「前田、全員に伝達を頼めるか」 「それは構いませんが、誰か代わりのものが来るまでお待ちを。貴方を一人にする訳にはまいりません」 「式神を飛ばす。五虎退は今日は非番だったな?」 「はい。見習いについていたでしょうから、式には隠蔽の術をお掛けください」 「分かった」 向かったのは私室の方だった。部屋に入って式を飛ばす。前田藤四郎に言われた通りに術は施した。これなら五虎退にしか式は見えない。そうして隠していた遠征鳩を飛ばすと、布団を引っ張り出して一度倒れ込んだ。 「主」 今帰った、と声がして目を開ける。きっと数分も経っていない。確認をしてから招き入れると、襖の向こうで五虎退が不安そうに虎を抱えているのが見えた。落ち着いたらまた万屋に買い物に連れて行こう、なんて場違いなことを思う。戦利品は骨喰に任せた、と鶴丸国永が襖を閉めて、それも見えなくなる。 「大丈夫か」 「すまない、鶴丸」 布団に転がったままの身体に鶴丸国永は手を差し入れ、そのまま抱き締めてきた。 いつも触れている分、鶴丸国永には霊力が染み付いている。誰でもない、自分自身の霊力。この城は自分のものであるから至るところに流れているはずではあったが、刀剣男士の一振りを奪われたことによって、思いの外動揺してしまったらしい。 「これくらい。いつも君の霊力を独り占めしている俺からのお返しだ」 自分の霊力にすっぽりと包まれて、人心地が付いたのを確認して、鶴丸国永は口を開いた。 「誰がやられた」 「一期一振だ」 「そっちに行ったのか」 「まさかこんな短時間でやられるなんて思っていなかったし、三日月に行くものだと思ってた…。なんで一期なんだ…」 「君はあいつのタラシスキルを甘く見すぎていると思うぞ…」 君が靡かないのは主だからであって、あれは他の人間には毒だ、と鶴丸国永が言うのを黙って聞いているしか出来ない。 「一期は、どういう状態なんだ」 「簡単に言えばヤク漬け状態だ」 「………君、伝わるから良いが、その言い方はどうなんだ?」 「術で瞬間的に霊力を無理矢理叩き込んだんだろう。それにプラスして魅了系の術がおまけでついている感じか…? 術は専門じゃないから、分析は出来ないが…。所有権は私のままだが、一期の認識では恐らく、私はもう主ではない」 「見習いを主だと思っている、と?」 「そこまでは力がなかったのか…主とは呼んでいなかったな。若榴呼びは継続だったと前田から聞いた」 そもそも審神者と刀剣男士の関係は契約≠ナある。隷属≠ナはない。 見習いが用いたのは目を媒介にする術である、という証言は取れている。しかし、あくまでもそれは証言だ。しかも、刀剣男士の。刀剣男士に人権はない。勿論、それに相当するものは存在するが、基本的に刀剣男士というのは自らを喚んだ主を庇うのだ。だから、その証言はあまり重く見られない。こんのすけを部屋で待機させていたのは失敗だった。こんのすけは術式を載せたロボットであるため、証言として認められるのだ。感情がある、と言われているがこんのすけは人工知能であり、その起伏も学習によって作られたものである。だから、刀剣男士の証言よりは重用される。 「君が危惧していた事態、ということで良いんだな?」 「ああ」 「蜻蛉切は」 「君が帰還したらすぐにでも話し合いが出来るように待機してもらっている」 「兄上は呼ばないのか」 「………その呼び方すると怒られるんじゃないの」 「それも含めて気に入っている」 首を振ったのは、兄は最初から呼べないことが分かっていたからだ。寧ろ、兄が来られないのを分かっているからこそ、彼女が来たと思って良い。 ならば、出来ることは一つだけだ。 「戦力を二分しようと思う」 ―――売られた喧嘩は、買え。 「このまま一期だけを抜かれると奪還は無理だ。彼女が新しく自分の本丸を持って、そこに一期を連れていけば手入れも何もかも好きに出来るからな。その上、各部屋の結界もなくなるとなれば、やりたい放題になるだろう。見たところ、性交渉にまでは至っていない。それくらいにはまだ、一期の理性が残っていると見ていいだろう」 「君を主と呼ばなくなったのに、か?」 「それはそうだが、審神者名では呼ばれているし、彼女を主と呼ぶこともしていない。私を見習いと思っている様子でもなさそうだ。彼女には基本的な知識が殆どない。あの術で本気で籠絡出来たつもりになっているのなら、やりようは幾らでもある」 最早これは決定事項だった。 「三日月はこっちに残すとして………三日月であの子妥協してくれるかな。鶴丸連れて行ったらブチ切れるだろうか…」 「君の手元にカンストが誰もいなくなるのはちと心配だな。………というより、」 鶴丸国永は険しい顔をしてみせる。 「一期をああまでして、まだ飽き足らんと?」 「ああいう輩は一つ手に入ればすぐに十が欲しくなるんだよ」 「なるほどな」 「加州は初期刀だし、初期刀が離反する率は低いって統計もらってるし…」 「本当に兄上を呼ばなくても良いのか」 「連絡だけはしてあるよ」 乗り込んで来ようとしたから止めたけど、と言うと眉を顰められたので、本業の方が忙しいらしい、と付け足す。 「私は兄さんが私を大切に思ってくれていることをちゃんと知っている。それを重いだなんて思ったこともない。でもな、今抱えている仕事をほっぽりだしてまで来て欲しいとは思わないんだよ」 これは私への侮辱ととって良いものだった。兄さえいなければ私も、私の育て上げた刀剣男士も、すべて、横取りするのは容易いと、そんなことを思われているのだ。私のことは良い、しかし刀剣男士と触れ合い、育て、戦う中で、そんなものだと思われるのは屈辱だった。 「短刀は出来たら全員連れていきたいな…。懐刀だから、って胸を張って言ってもらえばごまかせなくもないだろうが、粟田口が納得するか…」 「ちなみに短刀を連れていきたい理由はなんだ?」 「………あまり、考えたくはないけれども、一期奪還に失敗した時のことを考えて」 「ほう?」 「ああいう輩は、結構………短刀を使い捨てにするようなことを、平気でするから」 「………そうだな、君にしてみたらそんな可能性のある場所に彼らを置いていけないだろう」 「でも、そんなこと言ったらあの子のお眼鏡に叶わなかった刀剣男士全員が、危ない」 考える。どうしたら、良いのか。鶴丸国永からは私の心地がした。頭の回転は戻ってくる。 「………極にしておけば、流石に使い捨てにされるようなことはない、か…?」 「残したいのか」 「術を掛けるのに使った媒介が目であっても、別に一期をああいうふうにしている媒介があるはずだから。それを探さないと…そういうのはやっぱり、身体が小さい方が探しやすいし、短刀なら…そういうものを何処に隠すか、というのを見てきているかもしれない、っていう期待もある。そうと決まればレベル上げをしないと。研修最終日までは流石に行動を起こさないだろうと思うが、早い方が良い」 「君は、」 立ち上がろうとしたのは、鶴丸国永に阻まれた。 「どうして一期一振のみを切り捨てれば良いことから目を逸らす?」 また腕の中に収まる。掴まれた手首は、痛むことはないと彼は知っているはずなのに。 「確かに一期一振はレアに分類されるだろう。だが君は、そう鍛刀運は悪くないだろう。それに、アレはそう賢くも、強くもない。末席とは言え神である俺たちを籠絡するのは、精々一振りが充分だろう。そして、それも恐らく長くは続くまい。君もそれは分かっている。だから、いのいちに心配することが残していったやつらの扱いが悪くなること、なんだ。君は別段強い訳ではないが、賢い選択が出来る人間だろう。なら、」 「鶴丸国永」 遮ったのはそれ以上言わせたくなかったからだ。 「一期一振は私が鍛刀した刀だ。顕現させたのも私だ。それをみすみす、ぽっと出の奴にくれてやる義理はない」 もしも主である私が納得が出来て、刀剣男士本人も納得しているというのなら、引き継ぎをすることだって頭にない訳ではない。 「一期一振だけじゃない、この城にいるすべての刀剣男士は私のものだ。誰も手放したくない。本音を言えば、例えそれが一瞬でも。私に力さえあれば今からでも殴りに行きたい気分だ」 でも、彼女をそれを踏みにじったのだ。許す理由はない。 「強欲だな」 「強欲で結構。そういう欲があるからこそ私は此処まで来た」 「君は、」 声が震えるようなことはなかった。 「どうして一人で背負い込む」 「どうして、って」 「どうして俺を頼らない」 「―――頼っている、つもりなんだが」 「…君から離れても良い」 絞り出すように鶴丸国永は言った。 「その上で君に一期一振を必ず取り返すと約束しよう」 「鶴丸、何を」 「ただ、その代わり君にはそれなりの報酬を約束してもらう」 鶴丸国永の指が唇に触れる。 思い出すのはホットミルクの味。 「前払いでも良いぞ」 「君は…」 「兄上に殴られる覚悟なら出来ている」 「………馬鹿じゃないのか」 「かもしれない」 「…危険じゃあ、ないのか」 「一期を取り戻すのに、危険じゃない作戦なんてないだろうさ。何せ短期決戦だ」 「…そうだな」 もう了承以外のものは認めて貰えそうになかった。 唇の端を噛み切る。微量な量の血液を、鶴丸国永の舌が掬い取っていく。 「君が連れて離脱する刀剣だが、明石も何とかねじ込んでやってくれ」 「明石国行? 一応彼もレアだろう。彼女が黙っているか?」 「そこは俺の演技力に期待しておいてくれ」 その日から、研修の傍らで本格的な対見習いスケジュールが敢行されることとなった。 * 本当ならば研修修了一週間前までに術を解いてしまえれば、此処まで引っ張ることもなかったのだが。やっとのことで奪った一期一振を絶対に手放すものか、とでも思ったのか。あの日から暇さえあれば見習いは一期一振にくっついていた。その傍らせっせと他の刀剣男士を引き込むことは忘れないようで、一期一振にべったりのまま媚びを売って来るのは流石に笑えたが。一期一振の方には中途半端に正しい主への忠誠心が残っているらしく、見習いが一期一振の傍を離れるのを見計らって主が部屋を訪ねてみたが、返って来たのは主から部屋にやすやすと人を入れるなと言われている≠ニいう言葉だった。 もしもこれがちゃんとした術師であったら―――少なくとも、主の兄である人間が在籍するあの場所にいるようなものが来ていたなら、と思うとぞっとする。ぞっとするが、まず集中すべきは目の前の痴れ者だった。一期一振に張り付いたまま他の刀剣男士を誘惑する彼女はそう霊力が高い訳ではない。隙なく張り付かれてさえいなければ術の媒介など探さなくとも良かっただろう。 勿論、その場合には見習いの生命は保証出来なかったが。 主もなんとなくそれが予想出来たから、見習いの寝ずの番を申し出た一期一振を捕獲する、なんて荒業を言い出さなかったのだろう。 最終的に決まった離脱組は少なかった。基本の近侍である蜻蛉切、臨時の近侍を任されることが多い前田藤四郎、初期刀の加州清光、来派、そして三日月宗近。少数ではあるが練度上限に達しているものが四振りいるのだ。充分良い選択だったと思う。愛染国俊に至っては極の修行も終わっている。三日月宗近は当初は囮にする予定だったが、鶴丸国永が抜ける穴を埋めるため離脱組になった。とはしているが、まあ鶴丸国永が味方になったという印象を見習いにつけるためには三日月宗近と対立するのが一番だろう、ということになったのだ。その方が画になる、と言ったら流石に主は呆れた顔をしていたが。 本当のところ、鶴丸国永は一期一振を斬り捨てても良いと思っていた。勿論、主である彼女が望み、鶴丸国永が約束したものを反故にするつもりはなかったが、術を掛けられたとは言え主を裏切っているのだ。それが鶴丸国永には許せない。 「鶴丸殿」 けれども見習いがトイレに行った隙に一期一振が呟いたのは、 「無花果殿はとても素晴らしい方ですね」 「…ああ」 「私は、あの方に初めて会った気がしないのです」 もっと、前から知っているような。 そりゃあ当たり前だ、と返さなかっただけ鶴丸国永は人間の中で暮らすことに慣れていたと言えるだろう。一期一振も刀剣男士ではあったが、それでもきっと、鶴丸国永よりは人間のような感情を会得していただろうから。 そして同時に、理解した。ような気がした。 ―――どうして、彼女があれほどまでに自らのものだと固執するのか。 その欠片が、ようやっと手に落ちてきた気がした。 そうしてイベントは起こる。修了日まで待つことは出来なかった。まだ見習いが見習いでいるうちに、事を起こさねばならなかった。だから鶴丸国永は朝食の席で立ち上がる。既に離脱組にはおにぎりを持たせてあるので、全員が食べ終わってなくても問題はない。 「なあ、無花果」 刀を向けるようなことはしなかった。例え籠絡されていてもきっとそんなことをしないだろうと、そういう矜持があった。 「出て行ってくれないか」 ことり、と主は箸を置く。これがイベントなければ食事中に行儀が悪いと一声飛んで来るところだ。 「此処は私の城だ。それが分かった上での台詞か?」 「君の城? こりゃ驚いた。まだそんなつもりでいるのか」 「つもり、とは」 「もっと相応しいものがいるだろう?」 次の瞬間、刃と刃のぶつかり合う音がした。鶴丸国永が抜いた刃を三日月宗近が絶対零度の目線で受けている。これが演技などと見習いは見抜けないだろうな、と鶴丸国永は笑った。否、演技などではない。本気で怒っているのだ。演技とは言え作戦とは言え、いつもあのような行動をとっている鶴丸国永がこうして主に刃を向けることを。 「鶴丸よ、まさかお前が主を見紛うとはな」 「おっと、それはこっちの台詞だぜ? 三日月。君こそ耄碌するにはちと早いんじゃないのか?」 その後ろでは彼女を守るように、あの日からずっと近侍を任されている前田藤四郎が立っている。 「恩を仇で返すか」 「そう言いたいのはこっちなんだが、なっ!!」 一旦刃を弾き返して距離を取る二振りを見て、前田藤四郎が主君、と声を掛けた。 「此処は危険です。一旦離脱を」 「…分かった」 「主、退路は任せて」 「殿(しんがり)は俺で良いな」 加州清光と三日月宗近を中心に、離脱組が主を避難させる。鶴丸国永の後ろで見習いが一期一振に抱き着き、何やら騒いでいるが気にしない。あとで時間がたっぷり出来たあとに録音を聞いたら良いだろう。 「―――」 もう、彼女の幸運は祈らない。 何故なら、それはすべてを任された鶴丸国永が、自身で掴み取るものなのだから。 * 事前に話を通してあった兄と兄の同僚は、唐突に課にやってきた一行を文句も言わずに迎え入れてくれた。大変だったね、大丈夫? とお茶やらお菓子やらを出してくれる中、兄だけが怖い顔をしていた。 「鶴丸国永はどうした」 絶対についてくると思っていた、との言葉に頷く。いつもの行動を見ていればそう思うだろう、事実、当初の作戦では三日月宗近が囮組にいたのだから。 そうして、彼を顕現しハンストを半ば強制的に終わらせてから初めて、彼が傍にいないことに気付いた。 「残る、と」 やっとのことで出した声は震えていた。 「私に出来ることはすべてしたつもりだ」 そのはずだった。けれども震えが止まらない。 本当に万全だったか? 本当に上手く行くのか? 本当に前払いというのは足りているのか? 「兄さん」 怖い、別口の仕事を任された時でさえ、こんな怖くは思わなかったのに。 「私は、彼らを捨てたのだろうか」 「そんなことはない」 兄はすぐさま返してくれた。でも今はそれが用意されたものにしか聞こえない。息が苦しい。 ―――そうだ。 思い出す。 こんなに世界は息がしづらい場所だった。 「鶴丸国永は私に信じろと言った」 「ああ」 「私は信じた。信じたいと思ったから、信じることにした」 「ああ」 「でも、それは甘えではないのか?」 「違う」 答えたのは兄ではなかった。加州清光が、こっちを見ろとばかりに手を引く。 「主は、ちゃんと頑張ってる」 「でも、」 「今回のは鶴丸の発案でしょ?」 「けど、」 「信じるのと甘えが違うって、俺たちはちゃあんと分かってる。鶴丸もね。その上で俺たちは鶴丸の発案を飲むっていう、主の指示に従ったんだ。何にも甘えじゃないよ」 ぎゅっと、握ってくれた爪の先に目が行った。ラメが入ったマニキュア。審神者になって三年目に加州清光に贈ったものだった。 「主はちゃんと、将だよ」 それは、初期刀の俺が一番よく知ってる。 少しだけ、息が戻ってきた。彼らは間違いなく、私の育てた刀剣男士だった。 あー…と、その沈黙を破ったのは明石国行だった。 「そういえば、なんで自分を引き抜いてくれはったんです?」 言われて気が付く。 「ああ…そういえば理由を聞いていなかったな。戦力分散について話し合っていた時に、君だけはなんとか私の方に引き抜いてくれと。あまり向こうに残したくはなかったし、そのまま流れるように決まったが…何だったんだろう?」 「それって、鶴丸はんが?」 「そうだが?」 「あー………」 なるほど、と言いたげに明石国行は頬を掻く。 「そう言うてはったの」 「うん? ああ、そうだけれど…」 なんだろう、歯切れが悪い。 「主はん、ええと、うーん、なんて言うたら良えのか…」 「もうなんか全部言っちゃえば?」 「素直になれよー」 同じ刀派の二振りに押される形で、明石国行は照れたように頬を掻く。 「もっと、こう…ちゃんと収まるとこ収まってから、言おうと思うてたんですけどね」 「うん?」 「自分、一期はんが好きなんですわ」 「………えっ?」 思わず間抜けが声が出た。 「で、多分だけど一期も国行のこと好きだよ」 「ま、多分とか言っても粟田口の短刀に聞いた感じじゃ八割方そうだと思うんだけどなー」 隣でぽん、と兄が手を叩いた。 「なるほど。両片思い中の相手が術とは言え、見習いなんぞにへらへらしてるのを見るのは辛かろうという配慮か」 思っていたよりもデキるな、という兄に思わず膝をつく。気付かなかった、まったく 気付かなかった。そもそも一期一振と明石国行が関わりが多いことも気付か―――そういえば二人をよく内番で組ませていたのは自分だった。来たばかりの頃にいろいろ困っていたらしい明石国行を、一期一振に任せたのは自分だった。 どうやら事件がうまく片付いたとしても、まだ一山残っていそうだ。 * 鶴丸国永が提案した作戦はそう難しいものではなかった。既に術中に落ちている一期一振から見習いを遠ざけるべく、主に小狐丸(当初は三日月宗近だったが、作戦を変更してから小狐丸の方が適役だと気付いた)と結託して見習いに擦り寄る。その間に他のものが悟られないように媒介を見つけ出す、というものだ。幸いこちらには短刀も脇差も多く残っている。媒介の在り処を見つけることはそう難しいことではないだろう。 破壊出来るかとなると、変わってくるだろうが。 「なんて、ひどい…!」 主の去った本丸で、見習いはまるで悲劇でも演じているかのように大仰な仕草をしてみせた。その瞳からは涙が溢れている。 「神である刀剣男士様を騙して、その上逃げるなんて…!!」 分かっているじゃないか、と思ったが口にはしない。鶴丸国永はこの見習いの拙い術中にいる。彼女を愛おしく思っている。それこそ、人間か何かのように。 刀剣男士の恋というものを否定するつもりはない。 ないがしかし、こんなものではないはずだ、という怒りも捨てることは出来なかった。自らを顕現した審神者と恋に落ちるものもあるだろう、刀剣男士同士で恋に落ちるものもあるだろう、またはあまり機会はないとは思うが、審神者以外の人間と恋に落ちるものもあるだろう、鶴丸国永はそのすべてを否定しない。むしろ、そんな感情を抱くことの出来る相手を見つけられたことを羨む気持ちすらある。 ―――どう足掻いても無花果に向ける感情は、恋ではなかった。 それを塗り替えたつもりでいるこの浅ましい女が、憎らしかった。 「気にすることはないさ」 鶴丸国永は抜いたままだった自身をしまった。その動作に広間にいた大半がほっとしたようだった。彼らも分かっているのだ、鶴丸国永が彼女を斬りかねないということを。彼らの心配も尤もだが、それでも鶴丸国永は約束したのだ。誰でもない、自分の主に。 「君は、彼女以上のものをくれるんだろう?」 だから俺は君を選んだんだ、と鶴丸国永は言う。見習いはその言葉に頬を染めて、だが歓喜の情を隠せないかのように笑ってみせた。 「ええ」 「約束だぞ?」 「ええ、鶴丸国永様。約束いたします」 ああ、と思う。 仮にも神なんて名のつくものと、そう簡単に約束するものではない。 鶴丸国永は勿論、彼女に顕現された刀剣男士はそのことをよく知っているし、それを悪用しようなどとは思っていないだろうが―――こうして、主の居場所が奪われようとしているのならば話は別だ。 それが第二の開戦の合図だった。 やっぱりね、身に付けてるよ。で、外すつもりはないみたい。あ、でも飲み込んではいないよ。乱藤四郎からの報告を聞いて、鶴丸国永はため息を吐いた。身に付けているのは分かっていた。主である女がいなくなったところで油断して外すかとも思ったが、流石にそこまで愚鈍ではないらしい。 「分かった」 見習いが死体になろうが鶴丸国永としては知ったこっちゃなかったが、それでは彼女が困ってしまう。今ですら忙しい彼女にこれ以上負担を強いるのは、鶴丸国永とて本意ではない。 「ありがとう、乱」 「これくらい。あるじさんのためだもん」 乱藤四郎は可愛らしく笑う。先日修行を終えてその衣装が一段と可愛らしくなったのもあって、本当に心が休まる。 「でも、鶴丸さん、どうするの?」 「ん?」 「身に付けてるってことは、お風呂の時も外してないよ?」 「ああ」 風呂に乱入作戦は、一番抵抗がなさそうな乱藤四郎を始めとする短刀勢でもだめだった。だめですよ! 女の子は肌をそうやすやす晒してはいけないんです! そう言った見習いが毎晩一期一振に今晩は一緒にいてくれますか…? と言っているのを全員が知っていた。 「それは既に策を練ってあるんだ」 短刀が無理だったのはきっと、抱かれる想像が上手く出来ないからだろう。短刀たちの方が知識も多いだろうし、いろいろと配慮はしてくれそうだが。人間の娘にとってやはりちょうどよく対象になるのは太刀や打刀なのかもしれない。 月がきれいな夜だった。こんな夜に主がいないことがとても悲しい。もしも彼女がいれば、月見酒でもしようと、台所からくすねてくるのに。いるかい、と問うとはい、と緊張した声が返って来た。慌てて開かれる障子。ああ、何もかもが甘い。 「…君には、一期がいるのは分かっているんだが、どうも、心を抑えきれなくて…な」 えっとか細い声が上がる。 「女性である君にこんなことを頼むのは、勿論失礼なことと分かっている…だが、一晩だけでも良い、俺に夢を見せてくれないか」 指先を顎下に滑り込ませれば、潤んだ瞳が目に入った。それは歓喜だ、怯えではない。 「一晩で良い」 「鶴丸国永様…」 「一夜の夢で良いんだ」 「一晩と言わずとも…」 かかった。 ならば、と鶴丸国永は息を吐いた。甘くなるように、心がけて。 「君のすべてをくれ」 睦言のように呟く。 「君の魂まで、すべてを」 組み敷かれた少女が艶めかしい悦びを目に浮かべるのを、鶴丸国永は舌なめずりして見下ろしていた。 * 「来ました! 緊急信号です!」 早かったな、と兄が呟くのを聞いていた。本丸を出てから二日も経っていなかった。動くのは三日目以降になるかもしれないとそう言われていたので、何かあったのではないかと胸が煩い。逸って飛び出しそうになるのを、加州清光が大丈夫だから、と諌める。 基本的に緊急信号というのはこんのすけが害された場合に発されるものだが、実のところこんのすけに緊急性が高いと判断された場合発することが出来るようになっている。だから、今回は離脱前にこんのすけに命じたのだ。あのこんのすけの主は私であったし、見習いは私を一旦でも追い出したことで満足したらしく、本丸の名義を変える手続きすらしていなかった。そもそもそんなものを知らないのだと思うが。聞かれなかったし、教えなかった。元々他の本丸で何かする時は大仰な書類が必要であるし、研修でそれが必要になることは基本的にはないのだから、こちらの不手際ではない。 そうして一日半ぶりに足を踏み入れた本丸で、目にしたものとは。 「………鶴め」 三日月宗近が苦虫を噛み潰したような顔をする。加州清光があーあ、という顔をしていた。その他は、全員が棒立ちになっていた。 部屋の隅で可哀想なほどに震えている見習いは真面に服を着付けていなかったし、鶴丸国永も半分脱いでいるようなものだった。何があったのか一目瞭然である。兄なんかははっとして叫び出そうとしてその式神に口を塞がれていた。彼が耳打ちした、叫んでる暇があったら証拠抑えて現行犯逮捕ですよう! がなければ暫くそこで意味のない動きをしていたかもしれない。一期一振が抜刀して見習いを睨み付けている時点でこの事態が本当に収束したことは分かったが、それでも術の媒介であったらしい鏡のペンダントを握り潰したまま動かない鶴丸国永に、何と言葉を掛けて良いのか分からなかった。 言葉を探していると、俯いたままで鶴丸国永が口を開く。 「………主」 「つ、鶴丸?」 「つかれた」 「え、あ、うん、お疲れ様」 「約束、守ったぞ」 「ああ、ありがとう。…本当に、ありがとう」 それで魔法が解けたようだった。歩み寄る。 「約束だからな。…ああ、血で汚れるぞ」 「今更。最初の頃は人手が足りなくて、私が重傷を負ったものを手入れ部屋まで背負っていっていたんだぞ」 「鏡の破片が刺さるかもしれん」 「何、気にすることないさ。それより、何か包帯でも…」 「君、」 腕が回された。今日着ているのは相談課にあった兄の私服で、白地のワイシャツだった。思い切り背中辺りに血がついただろうが、まあ違うものを買って返そう。 「先に言うがな」 「うん」 「挿れてないからな」 「………見れば分かるが」 「どうしても必要だったから触れはしたが、粘膜は死守したし、君の顔も審神者名も忘れてないし、君との約束だって。いや勿論、接吻けくらいなら大丈夫だっただろうし、君の前払いは足りていた。足りていたがな、しかし、俺が嫌だった」 「…ああ」 「君が触れてくれた記憶を上塗りされるようで、嫌だった」 「ああ」 ―――おかえり。 抱き締めると、鶴丸国永の身体はほんのりとあたたかかった。人間ではなくても人間のような、そんな温度。 「これから政府か」 「そうなるだろうな」 「今すぐにでも寝たいんだが」 「一人でなら」 「それじゃあ意味がないと分かっているだろう」 「ちょっと待て、どういうことだ」 「兄上は黙っていてくれ。それなら起きている。君についている」 「だからお前に兄上と呼ばれる筋合いはない!!」 「分かった。頼む」 「妹も聞いて!?」 「ああ、兄上、これは壊してしまったが証拠品になるだろうか」 「あ? ああ…媒介か。なるから寄越せ」 「頼んだ」 「よくやった。だから妹から離れろ」 「それは嫌だ」 とは言えこのままでは動けない。少し離れるように言おうとしたところで、鶴丸国永の声には痛切さが増した。 「君が良いんだ」 それは。 口を開くより前に言葉が続く。 「勿論、君が言いたいことも分かっている。俺を顕現したのは君で、刀剣男士は基本的に顕現させた主が一番だと思う、と。誘導みたいな軽いものだが、君はそれを言っても納得しないだろう。それも分かっている。分かっているが、それを知った上でも、君が良いんだ」 それはきっと、どんな告白よりもずっと真摯に私に届く。 「俺の、この鶴丸国永の主は君しかいない。―――無花果」 「…何だ、鶴丸国永」 「作戦のためとは言え、君の元を一瞬でも離れた俺を、これからも傍においてくれるか」 「………当たり前だ」 息苦しさはもう、なくなっていた。 * 今回はこんのすけの記録機能もあって相談課よりも更に上の組織への通報がスムーズに行った。見習いはあれこれ口を滑らせていたらしく、刀剣男士の証言が認められずともこんのすけの記録だけで充分だった。見習いは審神者用の法律で裁かれ、二度と審神者にはなれないようになるらしい。まあその辺りは上に立つ人間が今後どう対応するかにもよるだろう。あの見習いにさしたる後ろ盾はなかったことになっているが、それならばまずどうして滑り込めたのかが分からない。 とは言え、これ以上は既に鶴丸国永の手にも、主の手にも、更に言えば主の兄上の手にも負えない事案だった。これを取り締まるのは兄上のいる相談課ではなく、それより上の取締局になるのだろう。巻き込まれたのに細部を知らされないまま、というのもまあ怖いには違いないが、世の中には身の丈にあった情報というものがある。あまり首を突っ込みすぎると、戻ってこれなくなるのが世の常だ。 主がこんのすけにあぶらあげをやっているのに出くわしたため、そのままあの朝の録音を聞いてみることにした。こうして聞くと、元から言うと決めていたはずの台詞よりも滑りが良い。離脱組に三日月宗近を押し込んで良かった、と思う。画になっていただろう? と言うと主はそういう問題じゃあない、と呟いた。確かにそうかもしれないが、美醜を気にする人間にとって画になるというのは結構重要だと思う。録音を聞き続けていると、後ろで見習いが何を叫んでいたのかも聞こえた。私のために争わないで! とは、また。あの場面でそんな台詞を言っていたのか。あまりにも能天気な頭だ。 「君ならこういう時どうするんだ?」 「刀剣男士同士で戦い始めた時か?」 「ああ」 「審神者を始めた頃だが、そういうことがあったよ。堀川と陸奥が喧嘩をしてね、そのまま抜刀騒ぎになった」 「もしかして基本抜刀禁止を破ると罰があるのは、そういうことがあったからなのか」 「そうだよ。とは言え緊急時にはそんなことも言っていられないからな。禁止というところには重きを置かないようにしているんだ」 「ああ、確かになあ…」 「ちなみにその時は、座布団を持ってそのまま投げつけた」 「………座布団」 「今だったら言霊で行動制限くらい出来そうだが、まあ、まだ新人だったしな。刀剣男士がどういうものかも分からなかったし、でも兎に角止めなければならないと思った」 「そりゃあ…そうだろうなあ」 しかし、そんな新人の頃に男の形をしたものが本気で殺し合おうとする姿を目の前で見るとは、かなりの打撃だったのではないか。そう思うけれども鶴丸国永はそれを口にしない。 「結果的にその時は二振りとも我に返ったから、本体を預かって表で殴り合いをしてもらった。僅差で堀川が勝った」 「喧嘩の理由は何だったんだ」 「それが途中で原因を忘れたらしくてな。玄関を出る時は右足からか左足からかまでしか遡れなかった」 「………なんだそれは?」 「連想ゲームみたいになっていったんだろう」 そんなものさ、と主は笑って、これ以上は聞かなくても良いだろう、とこんのすけの録音を止めた。 こんのすけがくあ、とあくびをしてから、あぶらあげが恋しいですなあ、とぬけぬけと言うので、笑ってもう一枚出した。 20170416 |