いのちのあじはこころにしみる 

はとぽっぽほろほろはひふへほ ひなたのおへやにゃふえをふく


 鶴丸国永が食事をとらないということに、主である身としてはほとほとに困り果てていた。相手は仮にも付喪神という存在で人間用の点滴などは使えないし、そもそも食べられない≠フではなく食べない≠フであるから手に負えない。つまりこの問題は、鶴丸国永自身が好きでやっていることなのだ。そうである以上、相手の協力は得られないし、寧ろ突っぱねられたからこそここまで来ている。
 一応は上に相談してみたものの、簡略化するとお前の部下だろ≠ニいうふうな返事しか返って来ないし、鶴丸国永は鶴丸国永でこちらを避けているし。刀剣男士の中でも彼を心配しているものはいるらしいが、あまりにその雲隠れっぷりが凄まじくて、これが政府リストによるレア太刀か…と思わざるを得ないようだ。
 食事を。
 とりたくないという気持ちは、正直分からないでもない。此処で無理におしたところで逆効果になるのは目に見えている。それに、これだけ長いこと食事をとっていないとなれば、例えその人の身が紛い物だとて消化が上手く行くとは思えない。
 と、なれば。
 手の中にはほかほかと湯気を立てるマグカップ。ほんのり漂う甘い香り。皆さんご存知、あったかはちみつみるくである。あたためた牛乳にはちみつを一匙溶かすだけの簡単なものだ。
「これなら飲めないだろうか?」
そうして審神者としての全力を発揮して見つけ出した鶴丸国永の前に、それを差し出した。
 まるで、彼らが戰場でするように。
 逃げるな、と目で制して。
 捕まった鶴丸国永は驚いたような顔をして、それからふわりと笑って言った。
「君が俺にかかずらうことはないさ」
ああ見覚えがある、と思う。見慣れすぎている、と。こちらがそう思っているのならば、鶴丸国永も同じことを思っているのではないか、そんなことすら。でもきっと、何もまだ気付いてはいないのだろう。相手が例え神の名を冠する存在だとは言え、人の身を得て経験を積んだ期間、それはどうあがいてもこちらの方が長い。伊達に生きながらえていないのだ、平和な世界だったとは言え。
「放っておいてくれ」
ふい、と横を向くのは悪手だ、と思う。けれども、口には出してやらない。
 なら仕方ない、とそのマグカップは片付けてしまうことにした。口を付ける。甘い香りが鼻に抜けていって、やはりこれは美味しいな、と思った。人があったかはちみつみるくを飲み干すのを観察していた鶴丸国永は、喉が動いてすべて飲み込んだのを確認してから、安心したようだった。口移しでも警戒していたのだろう。その警戒は正しい。
 そして、その警戒を解いたのは、正しくない。
 まだ甘みの残る口で、マグカップを置いてずい、と身を乗り出させる。
「じゃあこれならどうだ」
言うやいなや、がりりと音を立てて自分の唇を噛み切った。そして、驚いた顔をしている鶴丸国永の両頬を捕まえて、その薄っぺらい唇へと合わせる。
 はとぽっぽ。
 そんな言葉が頭で閃く。どちらかと言えばつばめだとか、そういうイメージの方が強いのかもしれないけれど、何故か瞬時に浮かんだのは鳩だった。目の前にいるのは鶴なのに。慌てて離れようとする身体に必死で縋り付く。こちらの一大決心を無にかえされてたまるか、というプライドで。
 はなせ、とでも言うように腕がぎりりと掴まれた。長袖の下の肌は見えないけれど、きっと痣になるだろう。それでも良い、と思った。張り付き続ける。ここまでくればあとは我慢比べだ。
 口を開かないように、と噛み締めていたその唇にも、血はじんわりと染み渡っていった。そうして目の前の瞳から、徐々に光が失われていく。もう少し、と思う。あとすこし。そして、
 鶴丸国永が、動いた。
 岩のように閉ざされていた唇が開き、飢えた舌がこちらの口腔内へと侵入してくる。それから逃げないでいれば、ぐり、と舌が傷口を抉っていった。もっと、と言うように口腔内が吸われる。血を媒介に霊力とかそういったものが向こうに急激に流れ込んで、貧血に陥ったような眩暈を感じた。それこそ快楽と錯覚しそうなほど、甘美なもの。
 身体からどんどん力が抜けていっても、まだ流れ出る血に鶴丸国永は止まらない。乾いたスポンジに水を吸い上げさせる実験をしたことがあるだろうか。あんな感じだ。背中でごつん、と音がする。何も敷いていない木の廊下に強く押し付けられて痛みが走ったが、それでも鶴丸国永は満足しないようだった。逃げる気も見せない人間に、逃がさないとばかりに縋り付いてじゅる、と吸い上げる。それほどに霊力が枯渇していたのだろう。これでは本当に消える寸前だったのではないか。
 その存在の名に神が入ってようと、死ぬものは死ぬ。それをつきつけられたようで、震えた。そうしてそれを望む彼に、親近感を抱(いだ)いた。
 抱いた、が。そのままにしておける訳がない。これは仕事であるのだし―――もしかしたら、抱いたから、なのかもしれなかったが。どちらにせよ、今出来るのはただ黙って、彼が満足するのを待つことだけだった。
 じゅるり、とまた力が抜き取られる。
 このまますべてなくなってしまったらどうなるのだろうな、なんて他人事のように彼のその後ろの青い空を見上げながら思った。



 結局、意識が飛んでしまう前にその行為は止まった。
 子猫のように必死で口内を舐めまわしていた舌がようやく止まって、もしかするとただ単にもう血が止まったからなのかもしれなかったけれど、やっと唇が離れた。そのままもぞもぞとひとの上から退いたと思ったら、廊下に蹲る。丸まる。先ほど子猫のようだと言ったけれど、あながち間違いではないかもしれない。猫のようだ。
 よいしょ、と身を転がせて丸まってしまった鶴丸国永を見遣る。顔は見えないが、耳が赤いのが分かる。ついでに首筋も真っ赤だ。これは正気に戻ったと見て良いだろうか。
「…鶴丸」
呼んでみる。返事はない。
「鶴丸、鶴丸国永」
「………なんだよ」
仮にも主に向かってなんだよとはなんだよである。
「満足したか」
「〜〜―――ッ、君って、やつは…」
「いい年こいてハンストなんかする方が悪いんじゃないか?」
 君、人間と比べてとっても年上だろうと言ってやると、ああーっと彼は頭を抱えた。
「はんすと、ってなんだ…」
「ハンガーストライキの略だ。飢餓による非暴力抵抗運動」
「別に、俺は抵抗運動をしていたつもりはないが…」
どうだって一緒である。大事なのは結果だ、今こうして主である人間の霊力を吸い尽くすレベルまで食事を我慢していて、結局吸い尽くす寸前まで行った。それが、結果だ。
「ああー口の中が痛い」
「悪かった」
「誰かさんが意固地になってるからー」
「だから悪かったって」
 もう言うなよ、と鶴丸国永は立ち上がった。その顔はまだ赤い。開き直ったなあこれは、と思いながら、それでも先ほどよりも何かしらふっきれたような表情に、もう食事から逃げるということはないのだろうと、そんなことを思った。それは、きっと。
 いいこと、なのだ。
「君もはやく起き上がってくれ」
まるで俺が悪いみたいじゃないか、と言われて笑う。まさしく鶴丸国永が悪い所為で今此処に転がっているのだが、まあそれは突っ込まなくて良いだろう。
「いや、別に君を責めるつもりはこれっぽっちもないんだが」
「ん?」
「起きられないんだ」
「は?」
 ぱちり。睫毛が長いなあ、とその顔を見上げる。
「誰かさんが遠慮なしに霊力持ってったから」
力が抜けてしまって、と続ければまたその頬がかあーっと赤く染まった。元々が白いからそれがよく分かる。鶴とはよく言ったものだ、なんて思う。
「なんていうかもう、今日は寝るしかないと思う」
誰かさんの所為で、ともう一度繰り返してやれば、責めるつもりはないんじゃなかったのか、とじっとりとした目で見られた。別に、責めているつもりはこれっぽっちもない。からかっているつもりはあるが。
 はあ、と鶴丸国永はため息を吐くと、一度しゃがんでから背中と膝裏に手を入れる。
「上体起こすから首に手でも掛けといてくれ」
「うん、意味は分かるけどそれ、首絞めろって言ってるみたいだね?」
所謂お姫様抱っこというやつである。やったことのある身としては、なんだかんだこれが一番安定するのだと分かってはいるが。
 分かっているんだろ、という目で鶴丸国永から見られて、素直に首に手を回す。予備動作も掛け声もなしに持ち上げられて、こんなに細くても戦うものなのだな、とそんな当たり前のことを思った。
「…君は、」
静かな声にん? と顔を上げる。
「こんなことを、誰にでも?」
 きょとり、とする。この場面でこの台詞というのはあまりにフラグらしく見えるが、まぁ、そうではないだろう。
「まさか」
だから、笑う。
「君だけだ、鶴丸」
まあ、とそのあとに続ける言葉など、最初から決まっているのだから。
「そもそもハンストなんて馬鹿なこと、君くらいしかしないがな」
「どっちだ!?」
「驚かすならもっと良い驚きで私の心を潤わせてくれ」
「いや別に驚かせようと思っていた訳じゃあ…」
話を逸らすことには成功したようだ。
「そんな驚かされ方をされては、心臓に悪い」
「だから、驚かせようと思った訳じゃないんだが…というか、君は、まさかそんな理由で俺を引き止めたのか?」
 息を。
 吸う音。
「…君が、消えたいと思っているのとは、少し違うと、そう思っただけの話さ」
鶴丸国永はきっと誤解してくれないだろう。審神者として、顕現させた刀剣男士を失うというのは上からの心象が良くないだとか、そういうことで。
「………なんとなく、そういうのは分かるからね」
だから、素直に告げることにする。別に隠すことでもない。
「まぁただの自己肯定さ。気にしてくれなくて良い」
「………それは、」
 鶴丸国永の目線がちらり、剥がれる。
「君のその、疵と、関係があるのか?」
言われて初めて、袖がめくれ上がっていることに気付いた。うわあ、という顔をしたのだと思う。先ほど腕を押さえつけられた際にずり下がったのか、暴れたつもりはなかったのだけれど。全然気付かなかった。意外と余裕がなかったらしい。
「君は、………まったく」
うまく、言葉が出ない。
 特に、隠すつもりはなかった。言うつもりも、なかったけれど。
「君が袖の長い服を好む理由が分かったぜ」
「べつに、隠さなくても良いとは、思うんだけれどね」
しかし、こうも露見してみると、何を言ったら良いのか分からなくなる。
「君の、理由は。何だったのか、聞いても?」
「つまらないことさ」
そう、本当につまらないことだ。
「この世界がつまらなく感じた、それだけだよ。つまらないだろう?」
「………ああ、そうだな。まったく、つまらない理由だ」
 背中を支えている手がぽんぽん、と慰めるように動く。別に慰められるようなことでもないのだけれどなあ、と思う。
「驚きは向こうからは来てはくれないんだぜ」
「さっきまでハンストしていた奴の言葉とは思えないな」
「君が思い出させたんだ」
「はいはい」
自室として利用している部屋はすぐそこだった。きっと鶴丸国永は布団を敷いてくれるだろう。その間にこの袖を直して、そうして朝までぐっすり眠ってしまおう、と心に決めた。
 とても、眠たかった。
 きっと夢も見ずに眠れるだろうと、そう思った。



20150605
20161019 移動