勘違いの意図の絡まった糸 

 彼と最初に会った時、ああなるほど、と思ったのを覚えている。此処にやってくる刀剣男士の中で鯰尾藤四郎は比較的にちゃんと%ェの働く刀剣男士だった。大体此処に送り込まれる刀剣男士たちは疲弊していて、少しだけでも頭を休ませたいと、そう願うところに付け込まれたのだろうなあ、と思う。彼らは普通、一様に賢かった。それを鯰尾藤四郎は知っている。知っているからこそ鯰尾藤四郎今此処にいることが出来るのであった。ただ、当時自分が動くまでもない、と判断しただけである。
 鯰尾藤四郎はあの劣悪な環境からいつだって飛び立つ準備があった。それを理解していなかったのは人間たちだけだ。
 幸か不幸か、新しく与えられた主は賢かった。
 賢かったから、時が来たらちゃんと刀解してあげる、と鯰尾藤四郎に囁いて、鯰尾藤四郎は馬鹿じゃないの、と言う羽目になった。
 こんなところに彼だけを残して行くなんて。
 そんなことは出来ない。
 賢くて馬鹿な人間だった、だから鯰尾藤四郎は見捨てられなかった。感情に名前を付けて、そして隣にいる権利を得た。
「主、」
呼ぶと彼は素直に頭を預けてくれる。
「あるじ、」
「どうしたの、鯰尾」
大好き、なんて。分かりきったこと。
 ぎゅう、と抱きしめた腕の中で主が苦しいよ、と少し笑った。

***

灰色の夢 

 鯰尾藤四郎は自分の二度目の主が何を願っていたのか、実のところ知っていた。彼が誰にも知られずにつけていた日記を覗いてしまったのはきっと自分だけだろう、という推測もあった。
 その日記には拙い字で夢が書いてあった。自分の家族のこと、憧れの姉のこと。何気ない思い出や此処へ来てからの記録、それらがすべて綺麗に書こうという努力の見られる字で書いてあった。誰も見ないのに、と日記中で彼は書いていた。でもちょうどいいから頑張る、とも。そして、
―――いえに帰りたいと、思わないこと。
みんなが我慢しているのだから、能力があるのなら、と最初は書いてあったけれどもそれは次第に様相を替え、最近になると帰ったらいけない、と書いてあるようになった。賢くて、賢くて、可哀想な子供。
 届かない夢に手を伸ばすことは愚かなことか。
 それはその通りだっただろう、彼は賢いからそれが分かっていた。それでも鯰尾藤四郎はいつか、と思うことを忘れられずにいた。本当はただの人間である主が普通の生活に戻ることが出来るような、そんな夢を忘れられずにいた。

***

三回回ってわん 

 此処から出るなと言われて、どうして素直に頷いたのか、もう忘れてしまった。とても痛かったからかもしれないし、でも、鯰尾がそんなことは忘れて良いと言ったから、忘れたような気がした。
 此処から出られなくて、畑も潰されて。正直やることなんてなかった。此処へ連れてこられる刀剣男士は殆どがやる気を失っていて、それこそ子供のおれにはどうしようも出来ないことで。
「主!」
鯰尾がおれを呼ぶ。
「ねえ、今日もとってもいい天気ですよ!」
 この本丸の空は現在≠ニ同期してあるのだと富海さんが教えてくれていた。それも作戦のうちなんだろうね、と鯰尾が笑った。富海さんは悪くないので、勿論帰ってからだったけれど。
「この空を、みんな見てるのかなあ」
「そうですね。主の出身時代のものとは、違うみたいですけど」
おんなじ空を見てる人は、いっぱいますよ。
 鯰尾はにっと笑って、だからおれも笑った。
 空だけがそう、すべてに平等だった。

***

明日天気にしておくれ 

 嘘ばっかりだ、と思う。嘘を吐くことはいけないことだよ、と母や姉が言っていたような気がするけれど、あまり会わなかった父も言っていたような気がするけれど、彼らの顔ももう満足に思い出せないけれど。それでも言われていたことを破ってしまったなあ、と田嶌風(たつたかぜ)は思う。まだ小学生の風に出来ることなんて少なかったかもしれないけれど、それでもごめんなさい、と思うのだ。
―――会いたかった。
そう、せめて。その願いだけでも。
「でも、だめかなあ」
 雲ひとつない空には手が届きそうな気がした。

***

夏色スタートダッシュ 

 生きてるよ、と言ったのはきっと鯰尾藤四郎だった。このひどい箱庭の中で唯一、普通に振る舞ってくれる刀剣男士。何もかもを知っていて、それでも笑ってくれる強い刀剣男士。
「うん、生きてる」
そう言って立ち上がった食葉に、他の刀剣男士はだから何なのだろう、という顔をした。生きているから何なんのだろう。
「さあ、畑を整えなくちゃ」
もう怒る人はいないから。
「おれは頑張るよ」
折角手に入れた自由だから。
「…どうして、生きる?」
 多分、骨喰藤四郎の声だった。だから食葉は振り返る。
「生きてるからだよ」
理由なんてない。ただの言葉遊び。生きているから生きている、その言葉の他に何が此処の証明になるのだろう。
「朱殷! どうしたら良いの?」
「まずは土を耕さなきゃ」
「分かった!」

***

君がいない世界なんて考えられない 

 嘘みたいに穏やかな日々だった。こんなことが許されても良いのかと思うくらい。でも時々思い出したように不安になって、寄り添って。足りないところを補い合う、そう、傷を庇い合うみたいに。情けないと思う? でも、欠けているところを抑えるのは一人じゃあどうしても手が届かないから。
「でも。好きだよ、鯰尾」
そう言ってくれる彼のことが、とても好きだから。

***

天国より 

 ここは天国だよ、と言う新しい主のことがにっかり青江は不思議で仕方なかった。よくよく落ち着いてみれば彼だって烙印を押されたようなものだったのに、どうして笑っていられるのだろう。けれども時間を掛けて眺めている中で、それが彼なりの祈りであるのだと気付いた。
 緩やかに、緩やかに、風に乗せて。いつか、いつか、届くように。
「青江」
優しい声がする。
「ご飯、出来たよ! 一緒に食べよう?」
「…うん」
 ああ、これが生きるっていうことなんだ、とにっかり青江は恐らく顕現されて初めて理解したのだった。

***

ココニイルヨ 

 空っていうのは変わらないんだな、と思う。違って良いはずなのに、それが出来ないのは単に自分にそれだけの力がないからか。
 世界から切り離されて。それは理解していたことだった。もう二度と会えない、顔も見たことのない姉のこと。どうして思ったのだろう、彼女も自分に会いたがっていてくれると、どうして今でも信じていられるのだろう、そんなこと、誰も言ってはくれなかったのに。肌で感じる孤独。テレパシーのように。出来ることなら姉には何もなければ、とそんなことを思うのは。
「馨姉さん」
一度だけでも、その名前を呼ぶことが出来たら。

***

貴方は神様 

 死にたいと思ったことはなかった。でもちょっと、思ったらどう思うのか、というどうでも良いことが気になってしまった。だから鯰尾藤四郎に問うたのだ。彼以外に、こんなことを聞けるものはいないから。きっと、誰も。
 でもきっと、こんなことを聞く主は主としてふさわしくない。彼が泣きそうな顔で、自分の肩をそっと掴んだのは、そういうことなのだ。どうしてもって言うんなら、俺を殺してからにしてよ。やさしい声で、やさしい顔で、彼はそんなことを言う。
「―――もう出来ないの、知ってるくせに」

***

ここが地獄なら天国は何処にあるの? 

 連れて来られた刀剣男士は鯰尾藤四郎と言うらしかった。彼の目を見ながら、食葉は思う。
―――珍しい。
富海さんが(別に富海さんが連れて来ると決めている訳ではないのだけれども、仲介をさせられているのは富海さんなので)連れて来る刀剣男士は皆目が死んでいて、此処の状況を何とも思わないような、もしくはそんなことを考える余裕がないようなものが多かったから。
 鯰尾藤四郎の目は生きていた。だから食葉にはそれが不思議だった。
「アンタが、此処の審神者?」
「うん、そうだよ。食葉って名乗ってる」
「俺は鯰尾藤四郎」
じっと、鯰尾藤四郎はこちらを観察している。
「ねえあのさ、」
「うん」
「アンタも此処に閉じ込められてんの」
「…まあ、そうかな」
自分のことを被害者だと言うようなことは少し、辛かった。だって紛れもなく食葉は加害者側の存在だったはずだから。
「ふうん」
 鯰尾藤四郎は興が削がれたように笑って、それから手を差し出した。まるで、どっちでも良いみたいに。
「ま、これからよろしく。主」
―――そんなはずがないのに。
飛び付くようにその手を握って、食葉は鯰尾藤四郎を見上げた。鯰尾藤四郎は驚いたように瞬きをする。
「いろんな人がいるなんて、理解は出来ても納得は出来ない」
「…うん」
「だから、鯰尾藤四郎」
 事情も何も知らない鯰尾藤四郎の手を、どうして取る気になったのか。
「おれと、戦って」
きっとそれは恐らく、手を差し伸べられたから、それ以外にないのだ。

***



20190922