鈴が、首輪が、ついていない子猫 

 今は審神者ではなくなってしまった、自分の馬鹿な甘さが招いたその結果を受け入れてくれた主に、和泉守兼定は時々、このままで良いのだろうか、と思うことをする。彼女は和泉守兼定が待ってくれているから、とこの業界に残ることに決めたのだと言うけれど、それは彼女にとって良いことだったのだと言うけれど、本当にそうなのだろうか、と和泉守兼定は疑問に思うのだ。
―――自分が、
 彼女の傍に居続けることは、彼女にとって重荷になるのではないのか?
 人間の一生というのは短い、そして人間というものは脆い。和泉守兼定は彼女の相棒として、現在の仕事でも役に立っているという自覚はあった。けれどもそれとこれとは別の話で。
「別に、良いと思うけれどね」
花林果さんのカウンセリング結果でまずいものが出ている訳でもないんだし、と医師は言う。
「ま、どんちゃん吐き出すと良いよ。そのために私たちカウンセラーがいるんだからね」
「先生は、つらくはないのか」
「この仕事が?」
「ああ」
「別に、そういうことは考えたことなかったなあ」
でも確かにいろんな人や刀剣男士と喋らないといけないし、どうやって心というものを導いたら良いのかって考えるのは難しいことだけどね、と医師は続けた。
「遣り甲斐、だけじゃないけどさあ。この仕事も好きでやってる訳でもないけどさあ。うん、でもやっぱり、うん、そうだね。つらくはないよ」
「…そうか」
「でもつらくなったら休めるし、私だけじゃなくて、多分みんなそうしてるし。ああ、そういうふうに考えたらきっと、帰る日常とか、あと、なんていうの、一人じゃないっていうのが、つらくならない原因なのかなあ。原因って言っちゃうとアレだけど」
「ひとりじゃ、ない…」
「うん」
それを自覚するのって多分、とっても大事なことだよ、と重ねられる。その言葉に優しさはない。ただの日常、当たり前のこと。こういうことが言えるから、真面なこの医師がこの職場でやっていけているのだろうな、と思う。
「…そうか」
「参考になったかな」
「興味深いな、とは思った」
「そっか」
なら良かったのかな? と医師は首を傾げて、報告書を送信した。
 和泉守兼定は自室へと戻る。カウンセリング施設の一室にある和泉守兼定の部屋は、殆ど無菌室のような状態だった。だからきっと、其処にいる和泉守兼定も保菌していない状態、と言えるのだろう。自室に入るのにも厳重なセキュリティを抜けないといけなかったし、それを承諾したのは和泉守兼定自身だったから別に良いけれど。
 ぼふり、とベッドに倒れ込む。いつもであれば昔の記録をさらったりなどして時間を潰すが、今日はそんな元気はもう残っていなかった。ひとりじゃない、と医師の言っていた言葉を思い出す。今、主は和泉守兼定の存在によって一人じゃない状態、なのだろう。それが良いことも分かっている。では、和泉守兼定以外の何かが彼女の前に現れて、彼女が和泉守兼定以外でも一人じゃなくなったら? 首を振る。シーツが頬にこすれる。
 それは、今考えるべきことではなかった。そうなった時に、今日のように医師に相談したり、同僚に相談したり、そういうことをすれば良いのだろう。和泉守兼定はもう方法を知ってしまっていた、だからもう、知らなかった頃には戻れない。
 自分一人では、もう、何も出来ないのと同然だった。
 でも恐らく、それが人間の望む人間らしさだった。

***




忘れられたキンモクセイ 

 平和な案件もあるとは聞いていたが、というのは正直な感想だった。そんなものは一生回っては来ないのだろうと、少なくとも和泉守兼定はそう思っていたのに。課長にはいつもの顔で此処がそんなブラックな職場に見えるかい? と聞かれてしまった。勿論そんなことはありません、と丁寧に返しておいた。
「…でも、実際私もそんなものないと思っていたんだけれど」
「だよなあ」
自然調査、と言われたそれは実質散歩のように感じられた。
 先日、一人の審神者が亡くなった。老衰であって、事件性はない。その刀剣男士も老いのことは承知しており、各々の身の振り方を既に決めていたから特に揉めたりということもなかった、と聞いている。刀剣男士たちは居残るものは幾らかいたけれども、大半が刀解を選んだのだと。主についていくことを選んだのだと。そして、残ったものは引き継ぎや政府への異動と言ったものを経ており、もうこの本丸には誰も何もいないのだった。そういう本丸は大抵、中古物件として使い回しをされる。清掃業者が入って、役人の立ち入り検査があって。本丸という空間はそれこそ血を吐くような努力の上に成り立っているものなので、人が死んだくらいでは潰されないのだという。特に、今回のように老衰であると分かっているのならば。
 ざあ、と風が吹く。
 花林果が音につられるように顔を上げて、和泉守兼定もそれに倣った。キンモクセイ、と花林果が呟く。和泉守兼定もそれは知っていた。
「…自生、したんじゃないよね」
「だろうな」
こんな立派なものが自生したのだとは考えにくい。ある程度の大きさのものを移植した、という方がしっくり来るだろう。
「何を思って晴日様はこれを此処に植えたんだろうね」
「さてなあ。普通にキンモクセイが好きだったのかもしれねえぜ」
それに刀剣男士が植えたのかもしれない、と付け足す。
 そして。
 笑おうとして失敗した。だから諦めて、和泉守兼定は花林果に向き直る。
「主、そういうことは考えなくて良いんだ」
対外的には主、ではなかった。けれどもやはり和泉守兼定を顕現させたのは花林果であって、それは彼女が審神者でなくなった今でも変わらない。だから和泉守兼定は彼女のことを主、と呼ぶ。例えその呼び方で、彼女の過去が露わになるのだとしても。
「心に寄り添うのは審神者の仕事。主はそれをずっとやってくれた。だから、これからは相談課職員として歩まなきゃなんねえ」
「…うん」
「オレに出来ることは何でもするさ、だから、主、」
 鉱山のカナリアをやることは別に苦ではなかった。そこまで凄惨な現場を見ないというのも勿論あったけれど。
「もう他のものに心を傾けたりしなくて良い」
もし花林果が、主が。そういうことを気にしているのだとしたら、それは違う、と和泉守兼定は胸を張って言える。これは和泉守兼定の選んだ仕事だ。主を支えたくて、それと同時に。
「オレみたいに、優しさを間違えないでくれ」
自分のようなものを増やしたくなくて決めた、仕事だった。
「………和泉守は、間違ってなんかいないわ」
「そうか」
「うん。主の私が言うんだから」
強がって笑ってみせた、彼女の笑顔をどうやったら永劫守れるのか、和泉守兼定にはどうしたって分からないのだ。

***




過去を破り捨てる 

 警報の出だしで課長が私を呼んで、私は書類の期限を伸ばしてください! と叫びながら、すぐにキーを繋げて和泉守兼定を伴って飛び出した。ショートカットゲートの入力はオペレーターがしてくれていた。いつもながら惚れ惚れするほどの速さだ。人命に関わることなのだから当たり前かもしれないけれど、その当たり前を出来る人間はそう多くない。だから此処で働く人間は本当に、出来ているなあ、と私は思うのだった。そんなふうにして辿り着いた本丸で、私よりずっと気配に敏い和泉守兼定に先行してもらう。私はそれについてく。
 通報はこんのすけから、内容は審神者が刀剣男士の血を飲んでいる、ということ。私はそれを聞いて苦しかったけれど、課長が私に行かせたのは正しいとも思った。すぐに和泉守兼定がこの本丸の審神者・薄群青(うすぐんじょう)と、刀剣男士―――山姥切国広を見つけて引き離した。薄群青はもっと飲ませろと暴れたため、捕縛装置を使った。和泉守兼定に取り押さえられた山姥切国広にも、同じものを使った。これで仕事の大半は終わった。取締局に捕縛の連絡をして、帰って報告書を上げるだけだ。
「…お前も、同じ匂いがする」
取締局に連絡を入れようとした私に、山姥切国広は吐き出すように言った。
 和泉守兼定は何事かと寄ってきたこの本丸の刀剣男士に事情を掻い摘んで説明している。
「神の愛がそう簡単に消えると思うなよ」
それはまるで呪いのようだった。山姥切国広の瞳はしっかりと和泉守兼定を捉えている。分かっているのだ、ちゃんと分かっていて、言っている。はったりなんかじゃない。そう思ったから、私は連絡の前にちゃんと答えることにした。
「だからこそよ」
私がそう簡単に返したのは予想外だったらしい。
「だからこそ、私は和泉守に報いるの。こんな馬鹿な私でも主として仰いでくれる彼に、彼を愛してこの心を育てた人間たちが、私たちが。生きる世界を守るために、歴史を守るために」
 それだけ一気に言うと、私は連絡作業に戻る。すぐに繋がって、取締局もやって来た。
「あの本丸はどうなるかな」
「さあな」
「薄群青はどうなるんだろう」
「分からねえ」
いつもの会話をしてから、私は笑う。
「和泉守」
「何だ」
「ありがとう」
「…ああ、俺からも、ありがとう」
お疲れ、と言い合って、それから書類やだなあ、と弱音を吐いた。

***




花粉にやられた君 

 君たちも花見に行くと良いよ!
 そう言ってきたのは相談課に出向してきている雪人先生の同僚、らしかった。雪人先生はこんな奴のこと覚えなくて良いから、と言って名前も教えてくれなかったし、護衛だろうか一緒にいた浦島も先生、ほら、帰るよ、と首根っこをおさえて引きずって行ってしまっただけだったので、本当の本当に名前は分からなかった。
「ええと…」
「ああ、あれは子供みたいなものだから」
雪人先生はため息を吐きながら言う。
「あの浦島虎徹が花見で喜んでくれたのが、ひどく嬉しかったんだろう」
それを自慢しにきたという訳だよ、と再びため息を吐いた雪人先生に、とてもとても仲が良いんですね、とは言えなかった。それこそ口が裂けても。
 そういう訳で(どういう訳で?)私たちは花見に来ていた。和泉守は術をあれこれ施された歩く無菌室状態だったけれど、それでも楽しんでいるようだった。
「和泉守」
「どうした、主」
「いつか、そういう重たいのがなくなって和泉守がお花見を出来るように、私、頑張るから」
 その言葉に、和泉守の足が止まる。私は覗き込もうとして、それから流石にそれは、と思ってやめた。ず、と鼻をすする音が聞こえる。私は何も言わない。
 花粉症なんだよ、と見え透いた嘘くらいなら吐けるようになった和泉守に、私は一体どうしたら良いのか分からないままだ。

***




薫る終焉 

 凄惨な事件を見たあとよりも、平和な本丸、審神者と刀剣男士を見たあとの方が、ふっと不安になる。
「ねえ和泉守、」
和泉守兼定は、基本的に事件がない時はずっとカウンセリング施設にいる。彼の主である花林果でさえ、普段会うことは出来ない。鉱山のカナリア、上司はそう言っていたし、論文も読んで理解した。出動したあとはいつだってお祓いやら浄化やら何から何までオンパレードなのだと、以前こぼしていた。
 だから、自由時間を使っても出来るのは電話越しの会話、くらいで。
「いつまでも一緒にいてくれる?」
和泉守兼定は、もっと、他の人間のためにその心を使うべきなんじゃないのか。そんなことをふっと思ったから。
『―――それは出来ねえ相談だな』
電話―――実際は通信機なのだけれども電話と呼ばれているので電話―――の向こうで彼は笑う。
『主は人間、オレは刀剣男士』
 分かっている。一緒にいると答えて欲しい訳じゃあなかった。お前は違うのだと、今日見たあの、戦っているのにとても平和そうな審神者ではないのだと、言ってほしかったのだと思う。
『かえるところが違うんだ』
お前は、幸せになってはいけない人間なのだと。
『主、オレは主の人間としての幸せを思っている』
 息を吸い込んだ音は伝わってしまっただろうか。
『いつか誰かと結婚して、子を設けて、オレはそれが見れたら結構良いかな、とは思うぜ? まあ強制はしねえけど』
「………どうかしらね。私の罪も全部受けとめてくれる人じゃなきゃ」
『その前にオレのお眼鏡に適う奴じゃないとな』
「…厳しいんじゃない?」
『厳しいかもな』
女性の審神者の結婚には、刀剣男士の存在がよく立ちはだかるのだと花林果は知っている。そのような相談が舞い込んで来ることもある。花林果はもう審神者ではないけれど。
『でも主の伴侶なら、それくらいオレだって気合いが入るんだぜ?』
だから、大丈夫だ。
 何も知らないはずなのに和泉守兼定はそう言って、花林果は暫く電話を抱き締めるようにして頷いていた。



[helpless]
http://www5.pf-x.net/~conxxxx/

***



20190922