白煙は快晴に融ける 

 不思議なことに、死にたいと思ったことはなかった。例え死んだとしても何からも逃げられないと知っていたからかもしれない。だから妹があのようなことをしていることに無感動になれたし、泣き喚いたりすることもなかった。
―――無駄なのに。
それが恐らく生きてきた中で唯一、妹に対して冷たく思ったことだっただろう。
 オレをこの世界へと縛り付けるのは何だろう、それは問うまでもないこと。モノクロ、褪せたセピア色。くるくる廻る知らない記憶。昔話だと馬鹿にされる幻夢。
「大丈夫ですよ、主様」
どの世界にもいなかった相棒が、今のオレにはいる。
「…うん」
「今日の主様は何だか素直ですね!? 出会った時より素直です! ヒュー! 可愛い!!」
「お前の頭殴ったら都合よく記憶ぶっ飛んだりしねえかな…」
「いやー横暴!」
ミキが笑っていた。
 それだけで良かった。

***

お前のことなんか大嫌いだ 

 彼女がいないのを再認識させられる瞬間が嫌いだった。
 いつかこんな時が来ると分かっていたのに、いや、分かっていたからこそ涙すら流せない自分のことが嫌いだった。自室の椅子を蹴り飛ばすと、少し前から増えた同居人は驚いたような顔をしてみせた。
「そう荒れるなよ」
「………薄情な神様とは違うんで」
「その台詞も聞き慣れたなあ」
けたけたと笑う白いカミサマは、本当にオレなんかよりずっと悲しそうにしてみせるから、余計に嫌いだった。

***

こどくのそこ 

 師匠と仰いだ人が最初に放り込んだのは正直なところ今なら言えるが、ド素人を放り込むような場所ではなかった。師匠がオレを其処に放り込んだのは別に悪意あってのことではなく、完全に善意百パーセントのことだったのなだから余計に質が悪い。信じられない。人非人。まあ術なんてものに関わる人間は総じて人間じゃない―――という一般的なスーパー悪口も正直責められたものじゃないと思った。
 思ったけれども放り込まれた側としてはなんとしてでも生き残るしかなくて。そうでなければたった一人残った最後の家族、愛すべき妹を守れない。妹を守るのは兄の責務だなんて大げさなことは言わないが、それでもオレは妹を守りたかった。だからその地獄のような底でがむしゃらに戦って、一つだけ分かったことがある。足りないのは言葉? それとも経験?
―――どっちでもない。
 必要なのは運だった。どうやっても生き残る、悪運だった。

***

妹へ 

 お前がどんなに聞き分けが悪くて素行も最悪で兄のことを兄とも思っていないような最低な人間だったらどれだけ良かっただろう。確かにお前は少々世間からは浮いていたけれども問題を起こした訳でもなく、その生きづらい世界でまっとうに生きている。その涙ぐましい努力を誰が否定出来るだろう。死にたいと願われても、殺してくれと喚かれても良かったのに、お前は結局そんなことを一度も言わず、世界のことが好きではないのに結局世界のために戦う歯車の一つになって。つまらない世界だったろう、それでもお前が生きていくことを選んだのはどうしてだったのか、なんて聞かなくても本当は分かっている。何も望まない、そのままでいてくれさえすれば。愛してくれなくて良い、嫌ってくれて良い、我が侭なんて聞いてくれなくたって良い、傍にいさせて、傍にいさせて。それ以上何も望まない。望めない。
 だと言うのに、ああ、カミサマなんて奴が本当にいるとしたら。

***

 瞬きをしたら其処は迷宮だった。
 こんな出だしだったらきっと川端康成だってあんなにも後世にウケはしなかっただろう、と思う。
「ド畜生!」
そんな思考をしながらそう叫んだ蓬莱柿に、罪はないと思いたい。

みちゆきに花、未練に咎 

 そもそも本丸というのは現世と幽世だとかそういう呼び方をされるものの間に存在している亜空間を拡張して、生活居住が叶う前線基地として利用可能であるように造られた空間だ。元からそういう空間だからこそ、謎空間に巻き込まれることもそこそこにあったのではあるが、此処は違う、と直感した。雑に言うと本丸に生み出された空間ではない、と思った。こういう勘は大事にしておいた方が良い。
 そもそも今日、この本丸に来たのは何か庭の様子が可笑しくて、ブラックホールのようなものが見える、というものだったので、もしかして本丸という空間そのものに穴が開いたのではないか、と派遣されたのであった。それよりももっと非道い事態になっているのは自分の位置情報がどうせロストしているだろうので、すぐに分かっただろうし、あの本丸にいたものはすべてすぐに脱出の手はずを整えているはずだった。
―――嗚呼、
こういったものは久しぶりだった。あの空間に手っ取り早く餌になりやすい蓬莱柿が来たから呑み込まれたのだろう。仮にも同族であるミキはご丁寧にも弾いたのはそういうことだ。厄介なものに捕まった、とは思うけれどもさて、どうしたものか。
 本丸座標のことを考える。詳しい座標のことなどいちいち知らないし、そもそもそれは機密であるので、仕事で必要になった時に上に閲覧申請をして初めて知るようなことが出来るものではあるのだが、まあそれなりに法則性はあるので、雑にこの辺りだろう、とアタリをつけることは出来るのだ。
 先程言った通り、本丸のある空間というのは現世の上にある薄っぺらなテクスチャのようなものである。故に、現世の影響を受ける時は受けるのだ。それが物質的なものであれ、霊的なものであれ。
 これは、後者だった。それを思うとやっていられないな、と思う。本丸というのは仮にも結界が組み込まれており、所謂有象無象はついてきたところで本丸空間に居着けずに弾き出されることの方が多いのだ。それを、現世の方から干渉した挙げ句、餌を引き込む、というのはそこそこに強力なものだろう。それは大抵ボスとして空間に鎮座しているし、引き込まれた方からすれば二つに一つだった。そもそも救助なんて見込めない空間であるのだし、自分でなんとかするしかない。
 二つに一つ、というのはボスを倒すかスルーしてとっとと逃げるか、だった。これは呪いの類だった。ボスを倒せば少なからずこの身は削れるだろう。神というのはそういうものだった、人間のことをどうでも良いとうたいながら、その実忘れられれば大暴れをする。だから蓬莱柿は神のことが嫌いだった。
 さて、と思う。このまま逃げることは可能だろう。感知によればボスは鈍足だ。この空間だってそんなに強固なものではない。それだけ力がなくなっているということだろうが、それだけ相手が必死であるとも言えた。でも鈍足だ、逃げ切るのは容易い。しかし、此処で逃げた場合この呪いは一番近い現世へと広まるだろう。目測があっていればそう人の多い地域ではないはずだ、というか殆ど禁足地状態になっているはずだった。ならば出る被害も少ないだろう、そもそも相談課職員の仕事は審神者のサポートをすることであって、こういった不思議現象をどうこうするものではないし、それは所属組織の方でもそうだった。
 だから、と蓬莱柿は印を結ぶ。
 蓬莱柿は、別にヒーローになるために生まれてきた訳では、なかった。



 どすん、と音がする。尻もちをつくなんて本当に久しぶりだなあ、と思いながら蓬莱柿はいてて、と言う間もなく何かに飛びつかれたことを知った。否、それが何か分かっていたから避けなかったのもあるのだが。
「主様ッ!」
「ミキ」
「うわあああん本物の主様だ! このままっいなくなっちゃうのかとっミキはっ」
涙なんて本当は出ないくせにそんな素振りを見せながら言うミキを、引き離すことはしない。
「避難は?」
「全部済んでます」
「じゃあとっとと帰るぞ。凍結だろ」
「ええ、らしいです。課長さんが止めてました」
「何分くらいだった」
「三分」
「三分でこれかよ」
苦笑が出てしまったけれど、まあ、分からなくもない。
 追跡防止の術を一応張りながら普通に門から出て、そうしたらそのまま浄化部署へと運ばれた。

 浄化は何事もなく済んで課に戻ると、もう凍結作業は終わっていたらしかった。あの本丸の審神者と刀剣男士には大変なことだろう。資源も何も失ったばかりで、まあ、そこはこの課や担当さんがサポートするので頑張って欲しいところだが。残念ながら巻き込まれたとはいえ報告義務が免除される訳もない。
「呪いは完全には解いて来ませんでした」
課長にはそれだけで分かる。そう思っての報告だった。
 それを聞いた課長はにっこりと笑う。
「君はいつでも正しい選択をするね」
その言葉はいつだって甘やかだが、蓬莱柿はそれを信用しないことにしている。信頼はしているし、課長なくしてこの課は成り立たないのだが、それは別の話だった。
「君を失うのは組織にとっても課にとっても損失だからね。僕から上に話は通しておくよ。だから、君は何もしなくて良い=v
「…分かりました」
蓬莱柿は課長のことを、特に変わったあとの課長のことを人間だと思ったことはないし、かと言って嫌いな神か何かの類だとも思ったことはないけれど。
「気にしなくて良いんだよ」
追撃のように課長は言った。
「君は、正しい判断をしたのだから」
 いつもは茶々を入れてくるミキが何も言わないことで、課内も触れないことに決めたらしかった。

 何処かで聞いたような名前の地名が封印指定されたと聞いたのは、それから暫くのことだった。
「もう何処へも行かないでくださいね、主様」
「約束は出来ねえよ」
「分かってますけど」
「嘘は嫌だろ」
「そうですけどお!」
そんなんだから女心が分からないって言われるんですからね! と叫ぶミキに安心感を覚えるなんて、嗚呼、本当に末期だった。

***




流れ星は落ちない 

 死んでしまえば良い、と何度だってそう思ったような気がする。他人事のようだな、とこの話は結局主様にだってしていない。それは許されていて、それがとても心地好い。そっちの話はさておき。でもそう思う度に自分が死ねば良いのに、それですべてが丸く収まるのに。そうとも思っていた。こっちの方が自分の思考のようだった。近かった。
 何もかも忘れているはずの心(多分心)にちぐはぐにぽつりぽつりと浮かんでくるこの思いを主様には知られたくなくて、でもきっと言わなければ主様に嫌なことが降りかかりそうで。
「主様」
こんな声で呼ばなくちゃいけなくなる度に世界なんて失くなってしまえば良いと、強く、願った。

***

いつか橋を渡って夢を見る 

 何をしたかったのだろうと、そういうことはただただ覚えていない。元々自分がなんだったのか、聞かれても分からなかった。彼処にいただけなのかもしれない、でも何処かで人間に迫害された、そんなうっすらとした記憶だけが残っていて。
―――悔しい。
こんなにも、人間が、好きなのに。
 だから最初に聞いたのだ、食べてしまっても良いのかと。食べるつもりなんてなかった、食べることはきっと出来たと思うけれど。食べても何にもならなかった、きっと元々人間を食べるためのものじゃあなかったから。
 それでも彼は良いよと言った、彼の夢を遵守してくれるなら、それでも良いよと。
 だから、きっと。
 わたしは、泣いたのだ。
 「ねえ主様、この世界は美しいよね」
これから満たされるための希望のために、わたしは声を上げて泣いたのだ。



飛行機の翼の上で踊ったら目がつぶれそう真夜中の虹 /穂村弘

***

君とおはなしがしてみたい 

 両親のことを重荷に思ったことはないと言ったら嘘になるだろうな、と主様は言った。主様はいつだってミキに対して正直だった。何故ならミキは主様の相棒だから。
「妹は覚えていないからな、そっちの方が良かったと思う」
「覚えていない方がですか?」
「だって覚えていなければそんなもんかで流せるからな」
覚えているから、と主様は言う。それでもそれは何処か嬉しそうなのだ。
 主様、とミキは思う。ミキは人間のことなんて何一つ理解が出来ないけれど、主様がご両親のことを覚えていて良かったと、同じくらいに思っていることくらいは分かるんですよ、と。
 だって主様のミキですから!



椿館(ホテル・カメリア)に火を放とうか火の中で笑って融ける父が見たさに/純血/冬服のモイラ / 松野志保

***

 食べて良いよ、と言うのが本気だったことをミキは本当は誰よりも知っていた。

もうすぐバラバラになるあなたをあなたを吐く 

 ミキには主様に会うまでの記憶がない。封印されたのだろう、そしてしたのは自分自身なのだろう、という見立てからじゃあ要らないや、と言うのがミキの出した結論で、主様もミキが良いなら、と何も言わなかった。
―――お前に食べられたら、何か変わるかなあ。
そう言った主様の顔を、ミキは忘れることが出来ない。そう、主様の顔だった。でも、遠い昔にミキに同じことを言ったものがいたような気がして。それが人間なのか別の何かなのか、ミキには全然分からないし本当は分かる理由もないはずなのだけれど。
「主様」
「どうした」
「ミキって呼んで」
「ミキ」
「うん」
「ミキ」
「はい」
「ミキ」
「ミキは主様の相棒だよね」
「ああ」
「なら、大丈夫」
こんなに不安になるなんて、きっと、ああ、本当に人間に近付き過ぎたのだろうけれども、主様がミキと名付けてくれたミキは、このままで良いのだ。



image song「ステロイド」天野月子

***




愛が嫌いですか 

 大丈夫か、とそれが言ったのを蓬莱柿は真面に取り合わないことに決めている。何故ならそれが本心からの言葉であると知っているからだ。
「蓬莱柿」
「何だ鶴丸国永」
「無視は良くないだろう」
「いつもの独り言かと」
「思っていないくせに」
鶴丸国永はその眉を少しだけ顰めて、それから笑った。
「君が神様のことが嫌いなのは分かっているが、それでも俺たちは多分きっと君のことが好きだぜ」
「そうやって愛を安売りするから嫌なんだよお前らは。しかも重いし」
「はは、違いない」
 だから君と仮契約なんて結んだんだろうな、と鶴丸国永は言う。
「アイツのように、着いて行ってやることが出来なかったんだ」



うっすらと君が泣くのが分かるけど一人でないのも分かっちゃう距離 / 高島津

***



20190922