![]() その日も浦島虎徹の仮契約主である男はいつもの通りだった。いつもの通りに自分の端末を眺めて、それからあーと少し間の抜けた声を出した。 「困ったな」 「何が?」 「君に何の処置もしてないってことが敵さんにバレたかーって思って」 「………は?」 何を言ってるのか分からなくて聞き返す。 「だからね、君に特別な機械を埋め込んであるっていうの、あれ、嘘」 「はああああ!?!?」 当たり前だがそんなことは初耳だった。 春の色に染まる暇もない この菊花中央国立大学研究棟第八号館はとてもとてもセキュリティが厳重なことで有名である。そりゃあ国家機密である刀剣男士に関する研究がすべて集中している場所なのだから当たり前だ、浦島虎徹が此処へやって来てから侵入騒ぎは一度しかなかったし、その一度もこの男がすぐに解決した。 昔話はさておき。 浦島虎徹というのはたったひとつきりの存在ではない。人間と違って、他の浦島虎徹はたくさんいる。性格は恐らく多少違うだろうが、それでも身体の造りは同じだ。虹彩なんかも。だから浦島虎徹がこの研究棟に出入りするために、浦島虎徹の身体には特別な発信機か何かそういうものが埋め込まれている―――と聞いていたのだが。 「嘘なの」 「嘘だよ」 「何で」 「ざっくり言うと予算が下りなかったからかな」 でもこれで前例が出来たから予算下りるよー、と男は言う。そういう問題じゃない。 「………俺の名前が出たってことは、他の浦島虎徹が侵入して来てるの」 「うん」 他の出入りしてる刀剣男士の名前と所属もリストアップして今すぐ確保するように言わなきゃ、と男は関係各所に連絡を始める。その作業は早い、とても早い、迅速だ。だが、それも確かにしなくてはいけない作業だが、今優先しなくてはならないのは侵入者の件ではないのだろうか。 「捕まえに行かなくて良いの」 「とりあえず今地下の書庫まで追い詰めてる最中」 この男、本当に仕事だけは出来る。 浦島虎徹は、顔も知らない―――いや顔自体はいつも鏡で見ているが―――浦島虎徹に少しだけ、同情した。 * この施設付きの刀剣男士の所在がすべて取れたところで男は立ち上がった。侵入した浦島虎徹を捕縛するためである。 「え、ていうかなんで君着いてこようとしてるの」 「だって先生一人じゃどうしようも出来ないだろ」 「ええ、そんなことないよ。今までのぼくの仕事、ちゃんと見てた?」 「そうじゃなくて!」 浦島虎徹は知っている。男は特に矯正器具を用いずに刀剣男士を見ることは出来るが、それは本当に見えるだけ、と言ったような辛うじての適正なのだ。恐らく本丸運営などは出来ないだろう。本丸に放り込まれたとしても維持が出来ないに違いない。それくらいお粗末な適正なのは仮契約のみでも分かる。 「どうせ戦闘になるよ」 「話し合いが出来るかもしれないじゃないか」 「何で先生ってこういう時だけ能天気なこと言うの? ツッコミ待ち?」 「ツッコむようなところあった?」 「先生って天然なの? それとも悪辣?」 「どちらでもないんじゃないかなあ」 そんなことを言う男に浦島虎徹は着いていく。何故、とは問うても男が着いて来るなと言うことはない。 「本当にちゃんと追い詰められてるの?」 「うん」 「ていうか何で先生が行くの…。先生何にも出来ないじゃん。戦闘出来る人呼びなよ」 「ええー…呼んでるうちに逃げられちゃいそうだし」 「だからって」 「ちゃんと霊力測定器も持ってきたし。これで上の階に半籠城中の部下が通信してくれるよ」 「…本当、何で此処、戦闘の出来る人がいないの?」 「適材適所という言葉があるからかな」 「正論だけど普通に侵入された前例があるんだから護衛というか…そういう部署か役割作りなよ…」 「ええ、だって、基本的にそういうのはないことになってるし。もしもの時の万全なんて備えてたらやっぱり不安があるんだろって言われる世の中だから」 「人間って馬鹿なの?」 「馬鹿じゃなかったら戦争なんてしてないと思うよ」 男があまりにも興味なさそうな返答しかしてこないので、浦島虎徹は諦めた。元からこういう人間だと分かっていたはずだが、まあ一言申せたので良いだろう。話が通じるとは思っていない。 いつものピピ、という音がして画面が空中に表示される。 『出ました。審神者名・嫩黄(どんこう)。ざっくり言うと裏切り者ですね』 あんまりにざっくりした情報に浦島虎徹はため息を吐いた。この男にしてこの部下、とでも言うべきなのだろうか。いやこれだって重要な情報ではあるし、この緊急事態だ、分かりやすい方が良いには決まっている。良いには決まっているが、やはり浦島虎徹は言い方ってものがあると思う。 『特筆するような事柄はないみたいです。離脱時に引き抜いた刀剣男士は当時半数が破壊、残留したものも大抵が刀解済み、政府に残っている刀剣男士には厳重な監視がついていますので手引き等々の可能性は考えなくても良いとのことです。ここ数年で何度か嫩黄の刀剣男士が侵入を試みていましたので、まあ諜報要員として使われているのだろうというのが上の見解です。これ見解なのでとりあえず保留しといても大丈夫です。で、その都度捕まえて情報貰ってたり何だりしてるので、離脱時と手持ちが変わっていないとすると今回の浦島虎徹で最後ですね』 「わ〜なかなか大胆。増えてるのかな〜その場合ってやっぱり向こうの敵の形のものを使役、ってことになるのかな」 『さあ? まあその辺りはこっちの考えることじゃあないですよ』 「確かにそうだね〜。捕縛優先?」 『普通はそうですけど、今出てるのが貴方なので無理って書類作っておきますね。心置きなく破壊で良いです』 「まあそうなるよね〜」 『小粒研究員に戦闘能力はなく、その相棒である篝火の浦島虎徹もまた、契約における制約があるため…』 「読み上げなくても良いよ〜」 知ってからね、と言う男の言葉に嘘はない。捕縛というのは本当に余裕がない限り出来ないことだと浦島虎徹は知っているし、そもそも今までで情報が得られているのであれば無理する必要もない。一応この男は研究員の中でも地位が高いらしく、その人命が失われるようなことがあれば、その指示を出した人間の首が物理的に飛びかねないのだ。だから、侵入者に対しての迎撃結果の目標をそこに設定することに疑問はない。侵入者が刀剣男士であるから、その言葉が破壊となることも分からなくはない。ただしかし、仮にもこちら側≠フ刀剣男士である浦島虎徹に聞かせるような話なのだろうか。そう思っただけで。 「どうしたの、浦島虎徹」 男はきょとん、とした顔でこちらを見る。 「あ、もしかして戦えないことが不満?」 「………そうじゃないよ」 この発言が本気なものであるのだから、浦島虎徹はため息すら吐くのも惜しいのだ。 * 書庫に閉じ込めたよ、という男の言葉でその侵入してきた浦島虎徹との対面は男の宣言した通り、書庫になることが決まった。 「ていうか良いの、書庫であれこれして」 「いやほら、話し合いで済むかもしれないし」 「それ本気で言ってる?」 「うん」 自分たちが入る時に侵入者が出ていかないように隔壁を下ろした上で書庫へと入る。隔離され追い詰められたという自覚が、侵入者にはあるだろう。 もし、浦島虎徹自身が侵入者だったら。 考えるまでもない。書庫の扉が再び施錠されたことを確認して、男が隔壁を上げる。 「やあ、初めまして。この施設で働いている―――」 小粒と申します、という言葉は刃と刃がぶつかる甲高い音に掻き消された。 「………せめて自己紹介くらい聞いてくれたって良いと思うんだけどなあ」 そんな馬鹿なことを呟いている男から、侵入者を引き剥がす。 浦島虎徹自身が、侵入者なら。まず、入ってきた敵を殺すか人質に取るかして、此処から出ようと思うだろう。きっと彼の目的は此処にはないだろうから、余計に。はあ、と大きく息を吸う。 「ほら俺のこと連れてきて良かっただろ! 話し合いなんて出来るなら最初から施設侵入なんて馬鹿なことしないって!」 「浦島虎徹、君、本当にスレたねえ…最初はあんなに可愛かったのに」 「俺先生の前で可愛かったことなんて一度もないと思うけど!?」 「あ、不正アクセス記録出た」 「一応聞くけど何処」 「連結に関してのところ」 目の前の同じ顔を見る。 すっと、血の気が引く。失敗してしまった、それが表情にありありと出るのはどうしてなのだろう。古巣で現在の敵対組織。その研究機関に侵入すると言うのに、どうしてこの浦島虎徹はこんなに分かりやすい顔をしてみせるのだろう。それが演技にはどうしても見えなくて、分からないな、と思った。 「…お前、」 「お前の所為で俺がとばっちりくらいそうだったから来ただけで、別にあの人の悪趣味とかじゃないから安心して。まあ、それとは別としてあの人は趣味悪いけど」 「えー浦島虎徹、そんなこと思ってたの?」 「逆に悪趣味じゃないと思ってたの? 先生」 「うん」 これもまた本気だから困る。 「………その悪趣味な男を主にしてるの」 「それ、そっくりそのまま返せるけど」 刀剣男士というのは、まあ言い方はいろいろあれど所謂本霊が、政府主導のこの戦争に関わることをよしとして、それで今自分や目の前の浦島虎徹のような刀剣男士≠ニいうのが存在している。つまり、主が政府を裏切った時点でその大元の契約は破られたことになるのだ。末端も末端の自分たちが本霊に与える影響など殆どないと言って良いけれど、そして浦島虎徹自身もまた、契約に違反したことがないかと言えばそうとも言えないけれど。 ―――どんな、思考回路なんだろう。 それは冷たい考えなのかもしれなかった。 想っている主がいて、その主が政府を裏切って、それに着いていく。刀剣男士というものが生まれた経緯を考えたら理解の出来ない出来事だし、きっとこんなふう≠ノなってしまった浦島虎徹には、一生理解の出来ないものなのだろう。 「ッ、お前にだって、分かるだろ!」 そんな男でも、主と呼ぶなら、と侵入者は言う。 「主が、着いてきて欲しいって言ったんだ、俺でも良いって、俺が良いって、だから…ッ!! でも、他のやつらは、主には、もう、俺しか…俺は、主のために、絶対に帰らないといけないんだ。お前が、」 ―――お前が、その男を守ったみたいに。 刃のこすれる音。刃毀れしないと良いな、と思う。男の審神者適正は殆どないようなもので、それこそ浦島虎徹とこうして仮契約を結んで顕現を維持しているのも奇跡みたいなもので、つまりそれは顕現以外のすべての審神者業務がクソということでもあって。研究所にだって刀剣男士の手入れをする装置はあるけれど、男がやるとどうにも気分が悪いのだ。ちゃんと治ることを知っている、男がいろいろと勉強しているのも知っている、それでもやはり、最低限の才能ではこうなるんだな、というのを浦島虎徹は実体験として知っていた。誰が悪い訳でもないけれど、自主的に報告書として能力の低い審神者を起用することへの提言を上げたくらいだ。絶対に良くない。浦島虎徹は自分の立ち位置を分かっているからこの気持ちの悪さにも納得しているが、これが最初からずっと主であったら無用な軋轢が生まれそうだ。 「政府所属って、楽しい?」 「別に、普通」 「普通なのに戦うの」 「うん」 音と音の間に短い言葉が落ちていく。この浦島虎徹は、一体何を言って欲しかったのだろう。見逃す、とか、そういうことじゃあない気がした。でも、覚悟もなしに侵入なんか企てた訳ではないらしい。 殺気は、十全。 男について学会やら何やら外で敵と遭遇することが多いので、浦島虎徹は分類出来る。 ―――これは、敵だ。 紛れもなく、敵だ。 この浦島虎徹の欲しい言葉は分からなかった、が、言ってやりたい言葉は幾らか見つかった。それでも浦島虎徹は黙っている。時折掛けられる言葉に返事をしながら、刃を交える。違うんだよ、と浦島虎徹は言えなかった。違うんだよ、俺は先生を守った訳じゃないし、そもそも先生は俺の主さんじゃあないんだ。でも、言わない。それはきっと、切り札になると浦島虎徹は分かってしまっているから。 「ッ、く、そ…っ」 侵入者は敵わない、と悟ったらしかった。政府所属になってからもレベル上げを怠らず、他の審神者の元で手合わせに混ぜてもらい、挙句の果てには外での会敵をどうにかやり過ごしたりして。浦島虎徹は普通の刀剣男士とは違う、強さを身に付けていた。それは、この浦島虎徹も同じだったのかもしれないけれど。嫌な言い方をすれば諦観が、浦島虎徹に強さを齎した。 どうせ生かされたのであれば。 何かが、分かるまで。 「―――これで、どうだ…っ!!」 そんなふうに少しだけ思考を離れさせていたからだろう、侵入者が取り出したものへの反応が、少し遅れた。 「先生」 手を伸ばすことはしなかった。ちらり、と視界の端に捉えた男は、既に防御壁を稼働させていた。あれなら死ぬことはあるまい。 カッと目の前で風が爆発して、浦島虎徹は身を守るために身体を丸めた。 * がらがら、と音がする。どうやら火は使わないタイプのものだったらしい。男が大丈夫だと言ったとは言え、やはり目の前で本が燃えるのは少々胸の痛む光景だっただろうから、そういうものを選んでくれて良かった、と思う。風は書庫内を荒らしていって、本棚が倒れ、本がその中から落ちていく。その音が書庫内にわんわんと響いている。術式の反応は上で取っているだろうから、きっと騒ぎは大きくなっているのだろうなあ、とさっき話した男の部下を思い出す。あの部下が慌てているところは想像出来なかったけれど、此処にだって普通の人間はいるのだ。 さて、と本の中から起き上がって、男の所在を確認する。防御壁を張っていたのは見たけれど、だからと言ってこれに巻き込まれない訳ではない。本に埋もれているのではないか、と思いながら、さてどうしたものか、と考える。 繰り返しになるが男にあるのは辛うじて£度の審神者適正だ。本契約も結んでいない浦島虎徹を見分けられる訳がない。それを侵入者が分かっていたかどうか分からないけれど、きっとこれが目的だったのだろうな、と思う。 ―――一瞬でも、この♂Y島虎徹に成り代わることが出来るなら。 男の、油断をつけるなら。 それだけで充分だ。なんてことない人間と刀剣男士では、軍配がどちらに上がるか言うまでもない。 崩れた本棚の隙間に男の姿を確認する。それは向こうも同じようだった。けれども向こうはこちらが気付いていることに気付いていない。当の男はげほげほ、と苦しそうな咳をするくらいでどちらがどちらなんて言う判別をつけることが出来ないだろう。 「………ま、……つ」 男の、弱々しい声を聞いた。初めて聞くような、今にも泣き出しそうな声だった。 「―――浦島虎徹!」 そして一瞬前のそれを突き破るように男が叫ぶ。 「ぼくを、助けて!!」 * 動いたのは向こうの方が先だった。 先だった、と言うとまるで浦島虎徹が動いたようであったが、残念なことに浦島虎徹は微塵も動かなかった。一瞬考えはしたが、それはやはり考えただけだ。ぼうっと、その様子を眺めている。 先生、と叫ぶその声は、いつも聞いている自分のものと寸分違わず同じだった。当たり前だ、同じ浦島虎徹なのだから。本の波を掻き分けるように侵入者は男の元へと急ぐ、時間にしたらきっと数十秒、のこと。 「分かった。君だ」 浦島虎徹が男の腕を掴んだ瞬間、男は彼に向かって強制刀解権を発動した。元はと言えばそれはこの、篝火の浦島虎徹のために彼に与えられたものだったのだが、どうやら他の審神者の刀剣男士にも使えるらしい。捕まった浦島虎徹はどうして、と叫びながらもがいて、そうして消えていった。 周りが静かになる。 上では大騒ぎだろうに、その声も聞こえない。本棚から本は落ちきってしまったらしい。その中で、浦島虎徹は男の元に歩いて行く。 「………俺が、」 だからだろうか、声がひどく響いて聞こえた。 「俺が、本当に先生を助けに行ったらどうするつもりだったの」 そう聞いたら、男はええ、と驚いたような顔をした。そんなことを聞かれるとは思っていなかったような顔。 「君はぼくがそういうこと言わないって、知ってると思ってたけど」 あまりにあっけらかんとした言葉に、それでもそれが信頼だとかそういうものではないと分かってしまっている浦島虎徹は、目を数度瞬(しばたた)かせて、それから、思わず笑った。 その通りだった。浦島虎徹は男が助けてと叫んだとしても、そうしないことを分かっている。 「それに、君はぼくの意をちゃんと汲んでくれるからね」 「…そんなことないよ」 「でも君には嫌なものを見せてしまったかなあ」 けれども男はやけに優しい声で続ける。背筋が寒い。 「だって君が君の主と決別したのは、兄である長曽祢虎徹が目の前で強制刀解されたからだ。その時のことを思い出してしまったかな」 「違うでしょ」 その言葉になんだ疑っていただけなのか、とほっとする。 「俺が主さんを殺したのは、蜂須賀兄ちゃんが強制刀解されたからだ」 「そうだったっけ」 「うん。長曽祢兄ちゃんは主さんによる重傷放置で暫く意識が戻らなかった。刀解はされたけど、それは希望してのことでちゃんとした役人さんがやってくれたって聞いてる。もう、何処にもいないけど、もしかしたらもう何処かにいるのかもしれないけど」 「…そっか」 「あの浦島虎徹はちゃんと還れたのかなあ」 「さあ、どうだろうね。刀解したのぼくだし」 「やっぱり審神者以外がやるとだめなの?」 「分かんないよ。だって誰も刀解されたあとのことなんて知らない訳だし。それに、さっきの子は強制的に刀解されたからね。同意を伴わない刀解は苦痛が凄まじいらしいって報告は出てるから」 「…それに、しては」 先程の浦島虎徹の最期の表情に、苦しさは見て取れなかったけれど。 それを指摘したところで男はそうだった? ととぼけるのだろう。もしくは本当に気にしていない。 「あー…これ、ぼくが片付けるのかなあ」 「…流石に、先生は報告書優先してって言われるんじゃないの」 「それもそうだね」 あーあ、めんどくさいなあ、と伸びをする男の背中がやけに小さく見えて、思わず伸ばしかけた手を引っ込める羽目になった。 *** 20190328 |