甘露熔け出で夢路に腐る 

 本丸番号・辰の五八一七番、審神者名・山葡萄(やまぶどう)の刀剣男士から緊急通報が入ったのはもう夕方のことで、明星(あけほし)の石切丸は待機として寮に帰ろうと立ち上がったところだった。課長である鳩羽(はとば)と目が合う。
「君が行ってくれると助かるなあ」
彼は人間でありながらなかなかに食えない性格をしていることを石切丸は知っているので、ただそういう案件なのかな、とだけ問うた。
「そうだなあ、君が思ってるのよりは綺麗な案件じゃあないと思うけど」
「…君が綺麗な案件を私に回してきたことがあるのかい?」
「ないかもね」
君はとても頼りになるから。
 全くそんなことを思っていないであろう彼に石切丸は笑った。
 石切丸を顕現させた明星の知人である鳩羽がいたから、石切丸は明星の死後、この課で働くことを決めた。けれどもそれは数年前までの話だ。彼は既に違うものへと変貌している。それを言えば同じだよ、と彼は言うのだろうけれど。
「蓬莱柿をつけるから」
それでも彼が今一番信用している部下をつけると言われてはゴネることも出来ない。そもそも緊急通報なのだからゴネている暇などないのだが。
「…分かったよ」
行こうか、蓬莱柿、と男に声を掛ければもう準備は出来てる、と返ってきた。
 行った先には怪物がいた。怪物と呼ぶに相応しいものだった。石切丸をしてもこんなものは見たことがないと言えるものだったが、男の方はすぐにどのようなものか判別がついたらしい。山葡萄の安否を確認して来てくれ、と言われて素直に頷く。優先されるは審神者と刀剣男士の安全だ。石切丸が彼らの安否確認をしている間に男があれをゲートから引き離すだろう。そうして一旦別行動をして、山葡萄の安否確認をした。彼女は憔悴した面持ちではあったものの、自らの刀剣男士に囲まれており無事だった。慣れないながらも結界を張ることが出来たらしい。救援を待つ審神者としては僥倖だ。そんな山葡萄を護衛しつつゲートまで送り届け、この本丸に石切丸と男とあのよく分からないものだけになる。否、男は術師のはずだから式の一つや二つ持っているだろうけれど。
 気配を辿って男の元へと駆けつけた石切丸はああ、と思った。
―――山葡萄と同じ気配がする。
こういうものは扱いに困る。刀剣男士である石切丸にどうこう出来ないという訳ではなく、行動の結果何かが起こったとして、その監督責任はこの場にいない仮契約主である雨水(うすい)に行くのだ。この場にいる蓬莱柿ではなく。それを考えるとあまり下手な行動は出来ない。
 だから、聞いてみることにした。
「斬るかい?」
「斬るな」
「斬ってはいけないものなのかな」
「…多分」
耐えられないと思う、と男が呟いたのを石切丸はちゃんと聞いていた。なるほど、やはりそういう類のものらしい。人間というのは難儀だな、と思っているとそれが動く。ぎしゃぎしゃぎしゃ、と不快な音を立てて向かってくる。
「とは言っても何か案はあるのかい」
「捕縛だろうな」
「出来るのかい?」
「やる」
避けながらそう会話をすると、男はミキ、と呼んだ。
「はいなー!」
ぽんっ! と音がして空中から人型をしたものが現れる。式だろう。
「ええー? 聞いてましたけど聞いてた以上にひどくないですか? これ? 普通に今ここでアケイシさんに斬ってもらって事故として裏処理してもらう方が手っ取り早いのでは?」
「………お前よくこのオープン回線でそれ言えるよな」
「やだあ! 主様! それじゃあまるで秘匿回線だったら言っていいみたいじゃないですかあ!」
男は否定しなかった。石切丸もまた、否定しなかった。
 お前なら出来るだろ、という信頼なのか投げっぱなしなのかよく分からない指示に男の式はにこにこと返事をして、それからは面白みもなくそれは鎮圧された。石切丸にも何が起こったのか分からなかったが、恐らく説明されることはないだろう。式というのは術師の生命線でもある。早々に手の内を明かしたりはしない。けれども封をしたのだろうな、というのは推測出来た。まやかしの一種だ。夢でも見ている、そんな状態にしたのだろう。
「なんだったのだろうね」
石切丸が聞いたのはこういったことは人間の方が分かるだろうと思ったからだ。
「夢を見たんだろうよ」
 だから、思っていたことを見透かされたような言葉にどきり、とした。
「とびきりの夢をな」
 呟いた男の顔は見えなかった。



正気から切り離された幻想は信じがたい怪物を生み出す。
フランシスコ・ゴヤ

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20180323