星々の遺言 

 主である男が現世へと仕事で帰還した際に敵襲に合い、護衛でついていっていた初期刀共々倒されたと聞いたのは少し前のことだった。遺された男の刀剣男士たちはその時の状況の説明や今後の説明を受け、葬儀前の男に会った。勿論、本丸を完全に開ける訳にはいかないので入れ替わり立ち替わりではあったが。
 どうやら男は新人の審神者と一緒にいたらしい。複数人いた新人の盾になったのだと聞いて、本丸一同、らしいなと頷いてしまった。そういう気質の男だと理解していた。だから悲しみで本質を見失って、伝えにきた政府職員に食ってかかるようなことはしなかった。政府職員がどうにもここ数日眠っていない様子だったのも手伝ったような気がするが。
 主である男が亡くなったことで、この本丸の存続は不可能になった。政府職員はいくつかの道を提案した。この本丸ごと残して、引き継ぎの審神者を入れるか。それとも、別々に他の審神者の元へと引き継がれるか。
「勿論刀解希望でもそれが拒否されることはありませんし、本丸に残る、引き継がれる組で別れても大丈夫です。基本的に残る場合は本丸を構える審神者との契約をおすすめします」
「まるで他の仕事があるように聞こえますが」
本丸を代表して対応したのは前田藤四郎である。彼はこの本丸の初鍛刀であり、よく働いてくれた。
「あります。政府の各部署でも刀剣男士が働いていることはあります」
「それは…」
「正直なところ、大抵が訳ありです。本丸に居られない理由があるからこそ、政府で働いているのだとご理解ください。彼らを否定することはしませんが、刀剣男士というのは戦うために喚ばれているもの。あまり戦場と離れる仕事はおすすめしません」
政府職員の言葉は尤もだった。男の采配は、近年はとても良いものだったが、最初の頃は誰もが通る道であるように平均的な出陣というものが上手く出来ずに悩んでいた。その頃本丸にいた刀剣男士の多くは、戦場から遠ざかることの不安や焦燥を覚えているだろう。
 刀剣男士は戦うために喚ばれているもの。政府職員の言葉は正しかったし、何よりこの本丸の刀剣男士にとって戦いの場とはそのまま審神者の指揮する戦場だった。
「時間は、どれほどいただけるのでしょう」
「出来ればあと三日のうちに決めていただけると嬉しいです。本来であればもう少し時間を取ることが出来るのですが、今は本丸を維持するための手が足りないのです。引き継ぎを選ぶ際には日数を取れなかったことを加味してスケジュールを組みますので、すぐに新たな生活に順応していただく、ということにはならないよう配慮します」
「…僕たちは、」
前田藤四郎が息を吸う。
「どちらにせよ、主君の力とはあと三日でお別れなのですね」
「はい」
それは恐らく刀剣男士にとって一番に主を失ったのだと分かるものだろう。
 力の供給が途絶えたと分かった時より、表情のない遺体を見た時より。
 この身に流れ込んでいる力が、男のものでなくなった時が、刀剣男士にとっては永劫の別れの始まりなのだ。
「顕現を保ちやすくするため、景趣を変えてもいいでしょうか」
「ええ。…桜、ですよね」
「はい」
「執務室の場所はご存知でしょうが僕がご案内します」
「よろしくお願いします」
前田藤四郎が政府職員と部屋を出て行くのを、同田貫正国はぼうっと見つめていた。
 この本丸が恐らく引き継ぎの審神者を受け入れる方向で進めるのだろうということを同田貫正国は知っていた。この本丸の古参とも言える同田貫正国は、主である男が自分の刀剣男士をそのように育てたことを知っていた。けれども同田貫正国は自分がその輪に加わっている様子が思い描けなかった。理由の検討はついている。
 ―――主である男と同田貫正国は、恋仲だったのだから。



 その想いを認識したのはいつだっただろう、名前も知らない感情を少しずつ育てていく反面、男は人間であり自分たちとは違う存在なのだという想いがあり、伝えることはないと思っていた。伝えられなくても良い、と思っていた。人間はすぐに死んでしまうから、その一生のうちの寄り添える時間を大切にしたらいい、と。
 しかしながら男が敏かったのか、はたまた神とやらの悪戯か。同田貫正国がその想いに恋と名前を付け、一刀剣男士として男を支える中で、男はある夜同田貫正国に訥々と語り始めたのだ。酒も入っていない夜だった。だから今でもつまびらかに思い出せる。自意識過剰なら申し訳ないが、から始まって、自分は好かれているように感じること、それが嬉しいこと、何故なら自分も同田貫正国を好いているから―――と。男の言うのが主従や友愛に基づくものだと思って相槌を打っていると、男は困ったような顔をして更に言葉を重ねた。
「私は、君といろいろなことがしてみたいんだ」
「いろいろな、こと」
「例えば、床を共にする、だとか」
ただ同じ布団で眠ることを指しているのではないと流石に分かる。それはどうなのだ、と自分の感情には触れぬまま言えば、別に完全に禁止されている訳ではないんだよ、と男は照れくさそうに笑った。同田貫正国に話すためだけに男が調べたことは確かだった。
「確かに推奨はされてはいないさ。けれども古来より、心というものに恋を禁ずるのはきっと難しいのだろうよ」
いつもは何かの所為にすることがない男がそのような物言いをしたことが印象的だった。
「後悔してんのか」
だからそれだけを聞いたのだろう。
 まさか、と男は笑った。
「こんなに君が愛おしいのに、後悔なんてどうやって出来るだろう」



 いろいろなところが骨ばっているような、そんな抱き甲斐のない男だった。やわらかいところがある訳でもなし、特別床上手な訳でもなし。それでも同田貫正国は自らの主である男を抱いたし、それは相互の理解に基づくものだった。
 決して楽しいだけの時間ではなかっただろう、彼に苦労もかけただろう。手入れで治るのだから自分が受け手に回っても良いと思っていたくらいだった。
「でも、同田貫、君、」
男はただ笑って、
「私を抱きたいんだろう」
 まったくすっきり同田貫正国の心を見透かしたのだ。
 だからこの関係はこの形に収まっていた。
 審神者と刀剣男士の間に恋愛に基づく関係、更には肉体関係が生まれた場合、基本的にはこんのすけと担当職員に申請することが求められる。これは人間と人間でないものが交わることにおいて、双方に悪影響が出るのを未然に防ぐための措置だ。真面目な男はその申請を怠らなかったし、担当の方にも連絡が行っていた。だから、政府の方も同田貫正国が刀解を申し出ることはある程度予想しているだろう。
 同田貫正国にとって、実のところ男のいない世界というのは上手く思い描けていなかった。こんな性格だ、性質だ、男を残して折れるのだろうと、そんなことを思っていたのに。現実は男の方が先に消えてしまった。
 迎えてしまった世界はただの一つも変わることなく、男が何処にもいないのに静かに回っていた。男がいなくても腹は減るし眠気は来るし、人のような身はまるで人間のように生活を続けろと指示を出す。同田貫正国にはそれが信じられなかった。こんなのは欠陥だ、とすら思った。主を失ったのに、恋人を失ったのに、同田貫正国の身体は涙の一つすら出しはしない。何もかもが間違っている、と思う。何もかも間違っているから、もう、すべて、終わりにしようと。政府職員が答えを聞きに来るのは明日だった。明日、同田貫正国は刀解されよう。それが良い、それが正しい、何もかも人間に寄り添うことが出来なかったのであればその最期くらいは。
 そしてその夜、夢を見た。



 やあ、と言ったその顔は本丸を出て行く前と何も変わらないように思えた。暗闇の中にぼう、と淡く光り輝くように佇むその男が、記憶などから出て来たものではないのだとどうしてか同田貫正国には
分かった。
「…アンタ、死んだんだぞ」
「ああ、うん。そうだね。知っているよ」
いやあ結構頑張ったつもりなんだけどねえ、と言う男は何処か満足気に見える。
「山姥切を巻き込んでしまったことだけ申し訳なく思うな。君は結構、仲が良かっただろう」
「アンタの横で最期まで戦えたのならそれは本望だろうさ」
「そういうものかなあ」
結局私は君たちのことを最期まで理解することは出来なかったのかもね、と男は言う。それを言うのならば同田貫正国だってそうだった。人間のことを、男のことを最期まで理解し切れた気はしない。
「…俺も、そうなるんだと思ってた」
「そうしたかった?」
「分からねえ」
そうなるだろうと思っていただけに、そうしたかったかどうかは分からなかった。想定していた結末が望んでいたものかどうか、それはまた違う話だと思っていたから。
「私は君が遺ってくれて良かったと思っているけれどねえ。山姥切には悪いけれど、あの朝、君を連れて行こうと思い立たなくて良かった、なんて、ね」
「…何だそれ。死んでんだぞ」
「私は人間だからね、人間とは多分きっとそういうものなのさ」
「アンタにしちゃ随分曖昧な言い方だ」
「これが夢だからかもしれないね」
 男が言って、同田貫正国はああそうだ、と思い出した。決してこの男が幻だとは思わないが、それでもこれは夢なのだ。男の淡い輝きに呼応するように、足元に一筋の大きな流れが見え始めた。最早辺りは闇ではなかった。
「見なさい、同田貫正国。あれが私であり私たちだ」
川のようだ、いつかみた天の川のような。男のように淡く輝くものたちがそこには多くひしめいて、一つの大きな流れになっている。
「大いなる川の流れ、その星々の一つ。それが私たちなんだよ」
男が指を差して歩き出す。同田貫正国の足は動かない。
「君は憶えているだろう、私の身体の固さを」
「ああ」
「君は憶えているだろう、私が囁いた愛の数々を」
「ああ」
 男は遠退いて行く。あの川の一つになってしまう。
「ならば君は行くんだ、光のある方へ。君はもう、何を見据えれば良いのか分かっている。君は、私の刀剣男士なのだから。君は、私の―――愛したものなのだから」

 目の前が光で真っ白になったと思ったら鳥の鳴き声が聞こえて、同田貫正国は朝が来たことを知った。
 そして、自分の目元が濡れて腫れていることも、知った。



 いつものように身支度を整える。完全武装とまではいかなくとも、戦える格好というのが刀剣男士にとっての正装だと思っていた。男がいた時と世界は大きな意味では変わらないが、変わらないことこそ男の望んだことだったのだろう。ならば同田貫正国の取る未来は一つだけだ。
「同田貫さん」
「…前田か」
身支度を整えた同田貫正国を見て、前田藤四郎は笑った。
「決まったのですね」
「ああ」
頷く。
「俺は、出て行く」
「…はい」
「なんだ、驚かないのか」
「何となく、そうなるかと思っていました」
 その言葉には素直に驚いた。同田貫正国自身、自分は今日刀解を選ぶのだと昨晩まで思っていたと言うのに。
「同田貫さんが守りたいのは主君の御心だと思っていましたから」
「…それがどうして、出てくことに繋がるんだよ」
「主君の御心は、きっと此処にはないだろうと思ったからです」
だから、貴方は出て行かれるのだろうと思っていました。
 前田藤四郎は少し潤んだ目で同田貫正国を見上げて、それから、あとのことはお任せください、と胸を張った。
―――なんだ。
すとん、と何かが落ちてきたような。
―――アンタの心は俺たち全員にちゃあんと伝わってんじゃねえか。
「ご武運を」
一度頭を下げた前田藤四郎に何と答えたら良いのか少し迷ってから、同田貫正国は手を差し出した。
「こういう時は握手とか、すんだろ」
「…はい!」
 これから戦う場は変わるだろう、それでも共に戦った日々が消える訳ではない。
 互いに固く手を握り合って、それから照れくさくなったのかぱっと離して、それだけだった。それだけで充分だった。

 先行する、と言って頷きを確認してから走る。歴史修正主義者対策本部審神者相談窓口、通称・相談課に異動してからも、やはり何が変わった訳でもなかった。今でも前田藤四郎とは親交があるし、あの本丸の仲間が新しい審神者と上手くやっていることも知っている。
 本丸に侵入して来たらしい異形のものから走って逃げている審神者を発見し、見つけたと通信機に叫ぶ。そして、その間に割って入ってまずは異形を弾き飛ばした。
「俺は相談課現場職員、青山(せいざん)の同田貫正国」
驚いたのか転んだ審神者に手を差し伸べる。
「アンタを助けに来たぜ」

 いつか愛した男のいた、その大いなる流れを守るために。

***



20180223