自分のその嗜好を認識したのは本当に幼い頃だったと思う。盛大に転んで大泣きするより先に、その派手に出た自分の血に心が踊るのを感じた。
―――赤い。
そうして手を伸ばした傷口は熱くて、ああこれを飲み込んだらどうなるんだろうと思って。
 実行するより先に後ろから駆けつけた親に傷口から手を剥がされた。

貴方の希望になりたい 

 それがいけないことなのだと知ったのは物語を読んでもらった時だと思う。吸血鬼の話で、詳しいことは忘れたけれど。物語の中の吸血鬼のことを母は怖いね、と言って私は怖いの? と聞いたのだと思う。怖くないの? と聞き返されて頷いたら、強い子なのね、と微笑まれた。それが最初、それが始まり。年齢を重ねるにつれて私の嗜好は周りには受け入れられないことなのだと、誰かに言ったら可笑しいと言われるのだと、そう理解していった。私は黙ることはとても得意だったので、そのまま日常に溶け込んでいった。
 溶け込めていたと思っていた。
 だから審神者になって、最初。
 重傷を負った蜂須賀虎徹を手入れしながら私はぎゅっと唇を噛み締めていた。唾液が出て来るのが分かったから。その表情を見て蜂須賀は私が血が苦手なのだと思ったようだった。蜂須賀は元からこの時代が平面上は戦いとは無縁であり、血なんてそうそう流れるようなものではないと知っていたらしい。私が何も言わないのを見て彼は大丈夫だよ、と言った。きっと君が努力した分だけ君の刀剣男士は強くなる。だから、こんな怪我は負わないよ、と。彼の言葉は正しかったし、それから来る刀剣男士も彼の言葉を聞いているらしく、無茶な進軍を希望する声は一つもなかった。
 刀剣男士たちが皆、自分のことを心配しているのを知っていた。血が苦手だと思われていることによって誰かから何か言われるのではないかと思って気を配っていたけれど、そういうこともなかった。蜂須賀が全て声を封殺している訳でもなかったし、恐らく私は本当に私と相性の良い刀剣男士を喚ぶことが出来たらしい。私だって刀剣男士が怪我を負うことは知っていたはずだった。だた、彼らは人間ではないから。付喪神で、私にとっては神だったから。だからその身体の作りがここまで人間に近いとは思っていなかった。その血から、人間と同じ匂いがするなんて、思っていなかった。
 それでも、そんな本丸でも戦っているのだ、まったくの無傷とはいかない。私はいつも顔が蒼白になるほど唇を噛み締めながら、手入れをしていた。私にとって濃厚な香りの立ち込める部屋にずっといるのは気が狂いそうなほどの試練だった。まるで目の前にご馳走が置かれているのに食べてはいけないような心地だ。それでも、私には人間であるという自覚があった。私は鬼ではないと、そういう自覚があった。それが最後のラインを保っていた。

 その日は検非違使に遭遇して中傷が多く出ていた。私はいつも通りに手入れを施していた。私はあまり審神者としての才能が高い訳ではなかったので、手入れは手入れ部屋にこもって該当の刀剣男士と向き合って行う。つまり、私と負傷した刀剣男士たちの距離は近い。その距離で理性を保つのに必死になっていて、私はつい、数を数えるのを忘れていた。
 全員終わった、と息をついた瞬間。
「主? 悪い、軽傷だったから当番手伝ってたら遅れた」
がらり、と手入れ部屋の硝子格子戸が飽き、誰かが入ってきた。
―――赤い。
ぐらり、と思う。
 そうして私は今までずっと守ってきた一線の、その向こう側へと足を一歩、踏み出した。



 和泉守兼定を顕現させた主はとてもじゃないが将として頼りがいがある、というタイプではないように思えた。女性であることはさておき、あまり血が得意なようではなかったし、手入れをするにもいつも青い顔をしていたし。だけれどもいつだって逃げようとしない彼女のことをこの本丸の刀剣男士たちは評価していたし、彼女の戦績も良いものだった。
 彼女の刀剣男士として在れることが喜びだったし、彼女が守りたいと願うこの国の歴史を、未来を、守りたいと思った。
 その彼女に、今、和泉守兼定は伸し掛かられている。
「主?」
彼女の力はとても弱いものだったが虚を衝かれた和泉守兼定は床に倒れ込む。その腹の上に縋るように、彼女は乗っている。
 震えていた。主、ともう一度呼ぼうとした時、和泉守、と名前を呼ばれる。
「和泉守、」
彼女は泣きそうな声で言った。
「お願い」
 彼女が何を求めているのか分かっていた。彼女に、力は弱いけれども信仰心とも呼べるものが強い彼女の元に喚ばれた和泉守兼定は、どちらかと言えば神のような存在に近かった。
 だから、人間の、しかも主の願いとなれば。
「…ああ、主」
腕を差し出す。そこには先程戦場で負った傷がある。
 まだ、血が滲んでいる。
 そこに静かに唇が寄せられる。
 その様はとても美しく、弱々しく、和泉守兼定はこの弱い生き物をずっと守っていけたら良いのにと、そう思った。

***



20180223