私の傍にはやっぱりよく青江さんがいた。リーダーだからなのか、未だ私は検分でもされているのか、まあ何にせよ何もしないというのはつまらないので、鶯丸さん主導による私への勉強会は今日も盛況だった。どうやら此処には普通の学校教育に使う教科書類もあるらしく、私の普通の勉強も教えてもらえる。というか鶯丸さんは出来ないことないのだろうか。と思ったけれどもどうやら勉強は趣味らしかった。私は出来たら勉強なんてしたくはない派なので、趣味と言われるとくらっとしてしまうのだったが。今はその趣味がこの上なく役立っていると思うので何も言わない。勉強があまり好きでなくても、今やらなければ将来の選択肢が狭まることは分かっていた。
 勿論、勉強会をしているのはそれだけが理由ではない。誰も口に出して言いはしなかったけれど、此処には私の生命を狙う人たちがたくさんいるのだ。気軽に外を出歩かれるのも困るだろう。だからと言って軟禁するのも、私のテンションに関わる。幾ら生命が危ないからと言われても軟禁は軟禁だ。用事もないのにずっと其処に隠れていなさい、というのは正直モチベーションが下がることだと思う。これから審神者として、主として、というのを青江さんたちがどう思っているのかはまだよく分からないが、少なくとも一緒に暮らしていくことをする、したいと思っている人間に出来るだけ悪印象を植え付けたくないと言うのも何となく分かる。まあ、生命が狙われたりしている時点で悪印象も何もないと思うが。
 私だって、好印象というものがコツコツ貯めるしかないことくらい分かっている。だからこそ、こうして勉強会をしつつ私を軟禁することにしたのだろう。生命も大事だし、勉強も大事。お題目はバッチリだ。
 と、まあぐだぐだ言ったものの理由は理解しているし軟禁だって仕方ないと思う。それでも私に配慮してくれているというか、少しでも穏やかに過ごせるようにと気を遣われているのが分かって、嫌な気分はしないな、と思っていた。
 そんなふうにして、数日が過ぎたある日。
 青江さんがちょうど席を外した時に、机右、と外から声が掛かった。
「はい」
「今良いか」
「ちょっと待ってくださいね、画面落とすので…はい、大丈夫です。どうしましたか、骨喰さん」
私は青江さんたちに言われていた通り、話を始める前に画面を落とす。この画面、いろいろな機密情報も見れたりするので、手を離す時はまず画面を落とすように、と口をすっぱくして言われたのだ。これで出来なかったらどんな顔をされるか考えたくない。
「紹介したい奴を連れてきた」
 青江に話は通してある、と骨喰さんは言った。とりあえずこんのすけと顔を見合わせて、頷く。元々受け入れ派の粟田口派と仮契約を交わした時に、数人連れて来たいものがいるという話をしていたのだと言う。その話は青江さんから聞いたものだし、私に話したということは私がある程度窓口になっても良いということじゃないだろうか。…いや、言い過ぎた。多分青江さんはそこまで考えてなかったとは思うが、大丈夫だろう。大丈夫じゃなくてもこっちにはこんのすけがいるので、警戒さえしておけばなんとかなる。ついこの間一対一での対面は禁止、と言われたような気がするけれども骨喰さんがいるんだから一対一ではないだろう。だから大丈夫だ。私は一人言い訳をした。青江さんに怒られるのだけは御免だし、やっぱり苦労は掛けたくない。
 どうぞ、と言うと骨喰さんは静かに障子を開けた。それから部屋を見回して、青江はいないのか、と聞いた。
「ええと、さっきちょっと用事があるって言って出ていきました」
「………良いのか」
「骨喰さんがいるから大丈夫かなって思ったんですけど、だめでしょうか」
骨喰さんは少しだけ悩んだような顔をして、大丈夫だと思う、と言った。
「連れてきたやつも、ちゃんと受け入れ派だ」
「はい」
「だから、机右が困るようなことはない」
「分かりました」
私は姿勢を正して、それからこんのすけが私の膝に乗った。骨喰さんはそれを確認してから廊下の向こうに呼び掛ける。
 そしてその姿が見えた時、私はなんとも言えない気持ちに襲われた。怖い、ではないけれど、何だろう。その人が私に敵意を持っている訳ではない、と思う。なのに、何だろう、私は彼の前にいてはいけないような、そんな気分になる。
「三日月宗近」
私の様子に気付いたのか、こんのすけが声を上げた。骨喰さんが連れてきた人の名前だろうか。
「机右様は知らない場所に馴染もうと、必死で努力しています。貴方にも事情はあるでしょうが、机右様はまだ年端もいかない少女。あまりそのような警戒をされますと、それはそのまま机右様の萎縮に繋がります。敵方と知っていればそのようなことにはならないでしょうが、貴方は骨喰藤四郎の連れてきた刀剣男士。受け入れ派なのでしょう」
「…ああ、それはすまなかった。俺の警戒が伝わってしまったか」
そう言われて、警戒されていたのだと知った。なるほど、だから此処にいてはいけないような気分になったのか。私はどうやら極限状態で、いつもよりずっと相手の素振りをよく観察しているらしい。
「三日月宗近と言う」
 三日月さんとやらは数度深呼吸をすると、改めて頭を下げてくれた。
「先程は、悪かった」
「いえ、ええと、こちらこそ、なんだかすみません」
「前任のこと、その後の政府の対応を思うと、俺はどうやら人間に対して不信感を少々抱いてしまっているようだ。…ああ、青江からも骨喰からも聞いている。お前は何も知らないのだろう? 誘拐されて来たと」
「ええ、まあ、はい。正直何で連れて来られたのかもよく分かっていません」
「お前でなくてはならなかったのだろうな」
「………それ、青江さんにも言われました」
どうやらこの三日月さんにも何か分かるらしい。聞いた方が良いのかもしれないが、私は今結構いっぱいいっぱいなのでとりあえず後回しにしたい。聞いた方が良いならこんのすけが言うだろう、というのもある。あとはぶっちゃけ私自身があまりまだ呪いだとか何だとか、信じていないのもあるだろう。馬鹿にしたらいけないのは分かるのでそんなの信じて、なんてことは言わないけれど、イマイチ言われてもピンとは来ないのだ。私が現代人だからだろうか。付喪神、と言われても正直未だピンと来ないのもある。
 三日月さんは賢いな、とだけ呟いた。私は自分が賢いだなんて思ったことはなかったので、そうですか? とだけ聞いた。三日月さんは頷く。
「愚昧であればいっそ…と思ったが、そうか、お前はそう生きるのか」
それは独り言のようだった。私にはその意味が分からなかった。
「ええと…」
「何、気にしないでくれ。………俺も、俺の出来ることをしよう。受け入れ派として、力を尽くす」
「え、あ、はい。よろしくお願いします」
慌てて頭を下げると、三日月さんは少しだけ眉を下げた。
 私にはその表情がなんだか諦めのそれに似ているように見えて、落ち着かなかった。

 骨喰さんと三日月さんはすぐに帰っていった。それこそ青江さんが帰ってくるより前に。勿論帰ってきた青江さんに説明しない訳にもいかないので、ちゃんと説明はした。当たり前のように微妙な顔はされたけれども。まあ骨喰くんと三日月殿なら良いか…と言われたので、どうやらあの二人はそれなりに青江さんに信頼されているらしい。
「だめでしたか」
「…だめ、じゃあないけど」
「じゃあこれからもして良いですか」
「………君に言っても聞かなそうだから、僕からみんなに言っておくね。君が一人の時には訪ねないように、って」
あ、これ信用されてないやつだ。
 私だって、納得出来る理由があれば大人しくしていると言うのに、青江さんには説明する気がないらしい。残念です、とだけ言えば腕の中でこんのすけがため息を吐いた。



 それから私が一人になることは寝ている時以外なくなった。寝ている時もこんのすけが一緒なので、それを考えたら完全に一人になれる瞬間なんてないのかもしれない。こんのすけについては、私はもう慣れたけれど。見た目も狐…最初は猫と思ったけれど狐な訳だし。喋ることを除けばペットとしてもふもふするのもありではあると思う。でも本当に一人の時間が欲しい人は大変だろうな、と思った。私は別にそういうの、気にしないけれど。
 勿論、今この状況が結構特殊であることも分かっている。それでもきつい人にはきついんだろうな、なんて。そういえばこんのすけが受け皿になるサービスか何かがあるって言っていたような気がする。そういうものでどうにかなるのか。…人のことを、気にしている場合じゃあないけれど。
「青江ー!」
そんな少々ひねくれた思考に割って入ってきたのは、とても明るい声だった。私が画面を落としている間に青江さんが対応する。
「愛染くんじゃないか。お揃いで」
「入っても良いか?」
「君なら僕がだめって言ってもなんやかんやで粘るだろう」
「別にオレそんなことしねえよ」
「知ってるよ」
どうやら来客は青江さんとは仲が良いらしい。私はこんのすけと顔を見合わせてから、ほっと息を吐いた。青江さんは怒っているような素振りを一切見せなかったし、私も怒らせるようなことをしたとは思っていなかったけれど、きっと私の行動は青江さんにとってはあまり受け入れられないものだったのだと思うから。こうして青江さんが笑ってくれる来客が来たのは素直に嬉しかった。
 座布団を出して、客を招き入れる。三人いるらしい。三人とも入ったのを見届けてから、青江さんは障子を閉めて戻ってきた。
 それで、と青江さんが切り出す。
「君がこっちに来たってことはもう受け入れ派に入るってことで良いのかな?」
「おう!」
赤い髪の一番小さな子が元気よく頷いた。両脇の二人もうんうん、と頷いている。この子がリーダーなのだろうか。
「机右」
 同じように頷いた青江さんが私の方を見て、紹介するね、と言った。
「こっちから蛍丸、愛染国俊、明石国行だよ」
「よろしくな! 机右って言うんだっけ。主って呼ばれるの慣れてないんだって? 机右って呼んでも良いか?」
「あ、ええ、はい。お願いします」
別に良いけれど、この話は広まっているのだろうか。それともこの愛染くんが青江さんと仲が良いらしいから知っていただけなのか。元々主と呼ぶのが普通な人たちに、名前で呼んでねと言うのはどうなのだろう、とちょっと不安になる。
 そういうのも含めて、青江さんに丸投げ出来たら良かったのかもしれない。でもきっと、それが出来たら私ではない気もする。あとで聞こう、と思う。
 一人決意する私を、明石さんと紹介された人は頬を掻きながら眺めていた。
「自分はえろう迷ってたんですけどねえ、」
「ま、国行が国俊に勝てる訳なかったよね〜」
愛染くんを巻き込んで、蛍丸くんが笑う。肩に体重を掛けられた愛染くんはまあな、と言いたげな顔だ。
「確かに明石くんって結構慎重だよね」
「そりゃあ、保護者ですし」
「一番しっかりしてるの国俊だけどね」
「蛍ぅ〜。それ言ったら自分の立場ないですやん」
「国行の立場があったこと、あった?」
「流石にそれはひどいんちゃう?」
「うーん。でも、よく説得したよね」
明石くんってのらりくらり躱しちゃうイメージだったよ、と青江さんが言うと、身内だとそうでもないよ、と蛍丸くんが返す。仕上げとばかりに愛染くんがにっこりした。
「ヤバそうだったら鞍替えしたら良いだろって言った」
絶句。
 可愛い顔してこの子、やりおる。
「ま、オレにそんなつもりなかったんだけどな」
「そうなんですか?」
「だって、アンタが悪い奴じゃないって、見てたら分かるし」
「でも国行はオレらの保護者だからさ、何か決定的な理由とか、切り札みたいなのがないと動けない訳」
「蛍、勘弁して」
なるほど、この三人の力関係がなんとなく分かった。いいな、と思う。見ていて気持ちがいい。
「ま、そんなんだから国行は慎重にならざるを得ないけど、オレたちだって自分で見て決められるのは同じだからさ。オレはアンタを見てて、賭けてみようって思ったんだ。そして、それに一緒に乗って欲しいって蛍と国行を誘った」
 愛染くんは笑顔だけれど、その決心にどれだけの勇気が必要だったのだろう。私には分からない。
「アンタにしたら、突然賭けられて困るかもしれないけど、今は勘弁してくれよな」
「まあ、別に気にしてませんけど」
「そう言ってもらえて助かるぜ」
また愛染くんは笑って、手を差し出した。私はそれに答える。
 普通の手だった。私より小さくて、少しかたくて、多分、戦っているものの手だったけれど。それでも私の手と変わらないように思えた。
 でも多分、それは口にしない方が良いことだ。
「よろしく」
「よろしくお願いします」
愛染くんに、私は笑顔を返した。返すことが、出来たと思った。



 三人が帰っていくと、青江さんが長く息を吐いた。ため息ではなく、安心した息のように聞こえる。
「お疲れ様です」
「君こそ。突然三人来たから驚いただろう」
「ええ、まあ。それなりに」
 落ち着いたところで、私はさっき疑問に思ったことを聞いてみることにした。
「青江さん。青江さんって、私のことを名前で…まあ名前じゃないんですけど名前で、呼ぶことって、どう思っていますか?」
「え? どう、って言われても…特に何も思ってないけど。どういうことが聞きたいんだい?」
「ええと…その、青江さんも最初、私のこと主って呼ぼうとしてたでしょう。だから、それが普通なのかなって。私が…名前で呼んで欲しいって言うの、もしかしたら気に入らない人とか、いるんじゃないかって思って」
「ああ…そういうこと」
どうだろうなあ、と青江さんは考え込む。今まで考えたことはなかったのかもしれない。
「僕が君にそう言われた時は、別にそういう人間もいるのかあ、程度だったなあ。言われてみれば今の時代に主≠ネんて呼ばれる人間は少ないし、慣れないって言われたらなるほど、って感じだったかな」
「…嫌では、なかった?」
「嫌とは感じなかったかな。確かに今まで考えたことはなかったけどね、主を名前で呼ぶなんてこと」
でもない訳じゃないと思うよ、と青江さんは続ける。
「こういうことこそ、こんのすけに聞いたら良かったんじゃないか」
「にっかり青江。これは事例がある・なしの問題ではないこと、分かっているでしょう」
「はいはい。手厳しいなあ」
 青江さんは笑ってから、私に向き直った。
「机右」
「はい」
「細かいことは、そんなに気にしなくても良いよ。気になったことをそのまま抱えていられるのも不安だから、どんどん聞いてくれて良いけれど、そこまで気にしなくて良い」
「そういう、ものですか」
「うん、そういうもの。君が言ったんじゃないか。五十三振り全員と円滑コミュニケーションは無理ゲーだって」
「そんなことも言いましたね。でも、一週間此処にいて、無理ゲーとか言ってらんないって思いました。勿論、出来ないことを出来るって言い張るのは違うと思いますし、無理ゲーなのは事実だと思います。それでも、努力、というか、そういうこと…。最初から諦めるのは、違うなって、そう思ったんです」
「…うん」
青江さんは頷く。
「そうだね」
 それが思いの外重々しい色をしていてびっくりした。
「丸投げしてくれても良いのに」
君はしないんだろうけど、と次に笑った青江さんには、一瞬前の重々しい空気はまるでなくて、私は何か幻でも見てしまったのかと戸惑った。
「丸投げ…した方が良いのかなとも思ったんですけど、そういうの落ち着きませんし」
「君、野面皮なところあるしなあ」
「ちょっと言葉の意味は分かりませんけど馬鹿にしましたよね? 雰囲気で分かりますよ!!」
「褒めたんだよ。図々しいって」
「それ褒めてないですよね!?」
ごめんごめん、と笑ってから青江さんは今は、と続けた。
「今は君のしたいようにはさせてあげられないけど、考える分には構わないから。君はどんな審神者になりたいのか、考えてみて」
「どんな、審神者…」
「刀派のことを学ぶでも、その刀の特徴を知るでも良い。きっと、聞けば教えてくれるさ。話せる逸話なんてたくさんあるんだし、面と向かって聞くのに抵抗があるならこんのすけに聞いたって良い。やりようは幾らでもあるよ。でも、今は大人しくしていて」
「…生命が危ないから、ですか?」
「うん、そうだよ」
 何度も何度も言われていることなのに、どうしても私には実感がわかない。実感がわかないということは、それだけ危ない目に合っていないということでもあるから、その点は感謝すべきなのだろうけれど。青江さんの足を引っ張ってしまわないだろうかと、それだけが心配だった。
 でも、私にはそれを言い表す言葉がなかった。だから、話を変える。
「そういえば、あの三人も同じ刀派だったりするんですか」
「そうだよ」
青江さんは私の話題転換に乗ってくれた。
「あの三人は来派ってくくりで呼ばれていてね」
「らいは」
「因みに行く・来るの来るの方ね」
「来派」
「浮いていた層の一つかな。まあ、愛染くんがいるから早々にこっちに来るだろうとは思っていたけれど」
どうやら愛染くんは元々受け入れ派寄りの子だったらしい。明朗快活、あれで頭も舌もよく回るから早めにこっちに来てくれて助かったよ、と青江さんは笑う。青江さんがこんなふうに言うなんて初めてだな、と思った。私はそんなに青江さんのことを知っている訳でもないのに。
「どんな人たちなんですか?」
「明るい愛染くんと、比較的落ち着いてる蛍丸。蛍丸はああいう姿だけど、大太刀なんだよ。それに、この本丸に来たのは遅かったけど、明石くん。彼はそうだな…マイペース、かな。あんまり働きたくないとか言うけど、やる時はちゃんとやるしね。来派は…そうだね、僕は家族みたいだなって思ってた」
「家族」
「うん。別に、他の刀派が家族っぽくないって話じゃないんだけどね」
この間の粟田口派の話をしてくれた時とは別だ。
「三人だけなのは珍しくも何ともないけど、それにしたって結束力が強いっていうか、絆が見て取れる、っていうか…なんだろうね、ちょっとだけ羨ましかったのかもね」
「羨ましい…」
思わず繰り返してしまった。青江さんがそう言った時の表情が妙に楽しそうだったからかもしれない。
「その、聞きにくいことを聞きますが、青江さんにはそういう人、いないんですか」
「同じ刀派の刀剣男士?」
「はい」
兄弟とか、家族とか。そういうものを羨ましいと思うのは、いないから、なのだろうか。それとも敵対してしまっている?
「そうだね、いるにはいるけど、この本丸にはいないかな」
「ええと、それはまだ顕現してない、みたいな…?」
「うん。顕現が難しい部類みたいでね。前任はレアって言ってたよ」
「レア」
「レア」
何ともまあゲームみたいな呼び方をする。
「今は…どうだっけな、もう少し先の戦場で、縁を結べることがあるみたいだけど」
「そうなんですか」
私はどう答えて良いか分からず、ただそれだけを答えるに留まった。それはどうやら、青江さんにとっては意外だったようだ。
「君は、会わせてあげるとは言わないんだね」
「それは、だって、」
―――私には審神者としての力はないから。
 とは言っても、私は此処で審神者になるべく勉強をしているし、これからもなんとかしてやっていくのが良いのだろう。呪いなんてものがある以上、しかもそれがこんのすけ曰くややこしいものである以上、あまり楽観的になる訳にはいかない。
 結局青江さんには詳しいことは話していないので、私はその言葉を続けることが出来なかった。それでも青江さんには私の言いたいことが分かったのだろう。なんでもないよ、と笑って、それが何とも言えない表情だったので打ち消すように私はそういえば、と切り出す。そういえばって、さっきも言った気がするのに。
「どうして青江さんって、受け入れ派のリーダーやってるんですか?」
気まずい空気なのだから気まずいことを上乗せだ。ええい。
「あ、別に青江さんがリーダーなのに不満がある訳じゃないですよ。ぶっちゃけ、最初に話したのが青江さんで良かったと思ってますし。それに、派閥にリーダーがいた方が話がスムーズっていうのも、何となく分かります。でも、なんで青江さんだったのかなって。だって青江さん、別に人間が好きだとか、人間を殺してはいけないと思っているとか、そういうの、ないでしょう」
 正直なところ、青江さんは積極的にその手段を選ばないというだけで、人間を、自分の仕える主である審神者を殺すというのは選択肢に入っていると思うのだ。そして、それをそう悪いことだとは思っていない。勿論、人間の価値観というものに照らし合わせているとは思うが、それでも最悪の選択肢だとは思っていないだろう。この際前任の死に様というのは置いておく。
「なのになんで―――そうですね、敢えて言うなら、リーダーになってくれた≠でしょう」
 青江さんは暫く黙っていた。これは早いところ答えたくないなら良いんですけど、と付け足すべきかな、と思っていると、はあ、とため息を吐かれる。
「一個訂正するけどね、」
「はい」
「僕は―――いや、僕らは、かな」
青江さんは手を伸ばしたりしない。それは私が人間だからだと思っていたけれど。
「人間が、とても好きだよ」
 触れても良いかい、と聞かれて、少し戸惑っていると手を握らせてくれるだけで良い、と重ねられて頷いた。
「だから付喪神になっているんだ」
「そういうものですか?」
「うん。そういうもの」
青江さんはそのまま私の手をむにむにと触っていた。それが何とも言えない心地で、けれども青江さんは小さな子が積み木で遊ぶ時のような顔をするから。どうして良いのか分からずにやりたいようにさせておく。楽しいですか? と聞くのも何か違うような気がした。楽しいのならもっと、楽しそうな顔をしそうなものだから。
 こんな妙に真剣に小難しい顔をしているのだから、私が何か言うのは違うような気がする。
 暫くして、青江さんは気が済んだのかむにむにとするのを止めた。けれども手は離さないまま口を開く。
「うーん…。元々、本丸内が分裂し始めて、このままじゃまずい、って思っていたのは何振りもいたんだよね。だからこそこうして受け入れ派が整っている部分もあるんだけど」
確かに、烏合の衆と言うには彼らはあまりに均整が取れている。青江さんがいろんなものの調整をするのに従うのは、彼らもまた、そうするのが良いと思っているからなのだろう。力関係ではないのだ、とそれは分かっている。
「で、その時に動くなら早めに動こう、って言った刀剣男士がいて、僕は彼とそこそこ仲が良かったものだから、一緒に動くことになった。でも彼は矢面に立つのは兎も角、前に立って全員をまとめるというのが壊滅的に下手でね。政治力がないと言うか…それは僕も同じなんだけど、それにしたって僕の方がマシだったから、かな」
「………その、仲の良かった人って、今、この派閥にはいないんですね」
確信だった。
「うん、そうだよ。君はどんどん賢くなるね」
「緊張状態が続いているんでしょうね」
「やっぱりそっか。糸が張り詰めちゃってる?」
「はい」
「それを、本当はほぐしてあげるのが良いんだろうけどね」
青江さんはため息を吐く。そうも状況が許さないからね、と。
「君には出来るだけ、自分で考えて自分の身を守れるようにしていて欲しい。勿論僕たちはちゃんと君を守るけど、君がしっかりしていれば出来ることは増えるから。それに、正直他の派閥との正面衝突は避けられないと思うから」
「それは分かってますし、青江さんたちがいろいろやってくれているのは知っています。だから、大丈夫です」
「その言葉はとても心強いけど、やっぱり刀剣男士としてはちょっとモヤモヤするね」
本当は君を守るから、君は何も考えなくて良いと言いたいのに。
 そんな青江さんを見て、私はピン、と糸が繋がっていくのを感じた。
「その人、」
これもまた、確信だった。
「殺害派にいるんですね」
「そうだよ」
青江さんは隠すつもりがなかったのだろう。すぐに頷く。
「だから、僕は殺害派のことを一番に警戒しているんだ」
一番に信頼していた人。きっとそれは、裏切りとかそういう話ではないのだ。
 青江さんが私を真っ直ぐに見ている。私は頷く。それが何に対しての頷きだったのか、よく分からないけれど。
「青江さん」
「うん」
「私、」
大きく息を吸う。
「―――生き残ります。だから、力を貸してください」
「勿論」

 青江さんの手はあたたかった。それが妙に、私の中に消化されずに残っていくようだった。



 また夢を見た。
 夢の中で私はやっぱり小さい女の子で、お姉ちゃん、とずっと泣いていた。夢の中での私の自由度はあまり高くないまま変わらない。なんで泣いているんだろう、と私は思う。夢の中だからか、周りの風景はあんまりよく見えないというか、殺風景というか、女の子と視界を共有しているので涙で見えないのもあるのだろうけれど、多分、周りが、ないのだと思う。これは女の子の夢なのか、それとも私の夢なのか。こんのすけと話してみたこともあるけれどもどっちかよく分からないのだと言う。まあ、もしも女の子の夢だったとして、私がどうしてこんな知らない女の子―――そう、多分知らない女の子の夢を見ているのかよく分からないということになるのだ。私の今の状況的にこれが前任関連の何かしらである可能性が一番高いのだけれど、私もこんのすけも前任の顔を知らないし、そもそも私は夢の中でも女の子の顔を見れないのだし、今の時点でいろいろ考えても意味がない。
 お姉ちゃん、と女の子は泣き続けている。それに応える声はない。それは多分きっと寂しいことなんだろうな、と思っているうちに朝になった。

 起きて簡単な朝食の用意をして、いつものメンバーで朝食を取る。
「今日僕は一緒にいられないから、三日月殿に護衛を頼もうと思う」
その席で、青江さんはそう言った。
「三日月さん」
「顔合わせは済んだんだろう?」
「それは、そうですけど…」
「………何か気になることでもあった? 骨喰くんからは特に何も言われてないんだけど…三日月殿のこと、苦手?」
「あ、えっと、そういう訳じゃなくて…」
何と言ったら良いのだろう。
 青江さんは付喪神というのは人間が好きなのだと言った。でもそれでも、三日月さんは人間を警戒してしまうのだと言っていた。そんな三日月さんに、私の護衛を頼むというのはちょっと、なんというか、申し訳ない気がする。三日月さんが私に何かするとか、そんなことは思っていないけれど、やっぱりあんまり楽しいことではないんじゃないのかと思ってしまうのだ。
「…三日月さんは、なんて言ってたんですか?」
「特に何も言ってなかったと思うけど…。寧ろ、楽しみにしてるように見えたよ」
「あれ…そうなんですか。なら大丈夫です」
「本当に何かあった訳じゃないんだね?」
青江さんがじっと私を見てくる。だから私はちゃんと青江さんを見つめ返す。
「何かあった訳じゃないです。本当に、それは大丈夫です」
「…何かあったら、すぐに駆け付けるからね。こんのすけにもいろいろと機能があるから、手放さないように」
「分かってます。でも、本当に青江さんが心配するようなことはないですから」
 青江さんは暫く迷っていたようだったけれど、私が嘘を言っていないと判断したのか、分かったよ、と言った。私は青江さんから見たらそんなに信用がないのだろうか。それとも他の人が青江さんから見たら評価が高いのか。
 部屋に戻って少しすると、三日月さんがやって来た。
「青江に釘を刺されてしまった」
「すみません。私が上手に言えなかった所為で」
勝手に座るぞ、と座布団と碁盤を出してきた。勝手知ったるという感じだ。
「俺は嫌われてしまったのかと少し心配したが…別にそうではないようだな」
「いや、あんまり知らないのに嫌うとか、そういうの。あんまりないんじゃないですか。初対面ですごい態度とったならまだしも」
「すごい態度はとっていなかっただろうが…俺はお前を怖がらせてしまったからなあ」
「あー…。まあ、私は分かってなかった訳ですし。怖がってたかと言うと微妙ですし。その辺はノーカンですよ」
「ノーカンか」
「はい」
「では、何故?」
三日月さんは私をじっと見つめていた。その瞳が不思議な色をしていることに今始めて気付いた。カラコンでもしてるみたいだ。
 きっとこのまま答えられなくても良いと、三日月さんが思っているのは分かった。多分、分かるようにしてくれた。でもやっぱりこれは言うべきだろう、と思う。上手に言えるかどうか分からないけど。
「…三日月さん、人間に不信感を抱いてるって言ってましたし。私の護衛とか、あんまり楽しくないんじゃないかって思ったんです。でも、それを青江さんに言うのは、なんだかちょっと違うかなって思って」
「別に、言ってくれても良かったぞ」
「なんか、ほら、告げ口みたいじゃないですか。そういうのって良くないかなって」
「思っていたよりも机右は真面目なんだな」
「思っていたよりもってなんですか、思っていたよりもって」
思わずいつもの調子でツッコんでしまった。それに三日月さんはやわらかく笑う。
「いつも青江が隠してしまうからな。自分では何の判断も出来ないような子供かと思っていた」
「………子供と言われると反論が出来ないんですけど…」
「けれど、机右は子供なりに考えているのだな」
「この状況で何にも考えないとか、無理でしょう」
「それもそうか」
 三日月さんは笑ったまま、ますますその目を弛ませてすう、と息を吸った。
「左沢の殺害には俺が使われたらしい」
軽いものだが取り調べを受けた、と三日月さんは言う。密やかな声。これが秘密の話であるのだと、聞かなくても分かる。もしもこれが演技だと言うのならば大したものだ。
「その、ええと、本体? が、ですか?」
「そうだ」
「それって貸し出しとか、他人のものを使うことって出来るんですか?」
「可能性としては出来る。やはり使い勝手は違うししっくりは来ぬが、貸し借りをしたところで何かしら不具合が起きることもない。だが持ち主に気付かれぬように持ち出すのは不可能だろうよ」
「ですよね」
まあ本当に演技であったとして、私に見抜けるかというとそんな特技はないけれど。
「受取箱、というのがあるだろう。あれには所謂ダブりが入っている。あそこにいる刀剣ならば起きてはいないし、取っていくのも可能だろうな」
「大事な話の最中に申し訳ないんですが、三日月さんが普通にダブりとか言うとちょっと面白くなってくるの私だけですか」
「服の所為か?」
「多分そうです」
「慣れろ」
「多分そのうち慣れます」
普通にカタカナ語が通じるのは嬉しい。私はどうあがいても現代人な訳だし。此処からしたら過去の人間なのだろうが。
「聞いたかもしれんが、前任…左沢はあまり…そうだな、将としては不足の人材だった」
「そう、ですか」
「まあ時代が時代だからな、それは俺たちも承知の上だ。けれどもまあ…なんというか、見通しが甘いにも程があると言うか、学習能力が低いと言うか…、すぐにサボりたがると言うか、遊びたい盛りというのは分かったが…」
「………何となくニュアンスは掴めました」
前に青江さんも言ってたが、何となく、末っ子気質なことはよく分かった。本当に末っ子かはさておき。私も一人っ子なので何とも言えない。
「だから出来るだけ日課任務で審神者の力を必要としないものは、刀剣男士だけで済ませてしまおうという形式でな」
「それって、良いんですか」
「別に悪くはない、とだけ言っておこうか」
向かないことを無理にやらせるよりはいいさ、と三日月さんは言う。
「実際本丸の運営には問題はなかった訳だしな。…恐らく、本来であれば左沢以外の人間…出来ればそういった機関の人間を交えて今後の方針を大まかにでも決めておけば良かったんだろう。俺たちはそれを怠った。その点については反省している」
「外にそういう機関はあるんですか」
「あると聞いている。しかし、左沢は嫌がってなあ。プライドが高いとでも言えば良いのか…」
「ああ…」
 何となく、言いたいことは分かる。いるいる、そういう人、と気軽に言えないのは今自分が絶賛巻き込まれ中だからだろうか。三日月さんは話を続けることにしたようだった。
「まあ真面目に答えれば、そうだな…。俺たちは人間ではない、だからこそ、俺たちは人間に俺たちの責任を取ってくれる者が必要なんだろうな」
「刀剣男士の、責任…」
「俺たちがこうして人間の戦争なんかに協力していなければ、話は違っただろうさ。けれども現状として、俺たちは手を貸している。何事もなければそれは嬉しいことだろうが、人間というのは何かが起こった時に、責任を求めるだろう」
「………そう、ですね」
「だから、責任を取る者…もっと噛み砕けば、監督者が必要なのだ」
「それが、審神者だと?」
「少なくとも俺はそう思っている」
学校で言う担任の先生、部活で言う顧問の先生、前任のことを見てきた彼らにとって審神者とは、そういうものだったのかもしれない。最低でもそういうものであってほしかったのかもしれない。
 けれども、前任はそれすら要求値に達しなかった。だから殺されたとでも言うのだろうか。そこのところは分からないけれど。
「話を戻すが、そういう訳で錬結というのは、俺たちが勝手にやる日課の一つだった」
「錬結…っていうと、ダブりを吸収して…って、あ」
「その通りだ」
「もしかしてその錬結資材みたいなのも、誰かが用意しておく感じだったり…?」
「ああ、そうだ」
 分かってしまった。
「事件が発覚する前にその日の日課は済ませてしまっていてな。前任は朝も遅かったから誰も気にしていなかった。掃除に出た奴が発見して…という流れだったと記憶している」
「そりゃあ、まあ…」
なんとも効率的な凶器の隠し方だ。食べてしまったものは出せないだろう。昔見たドラマを思い出す。凶器の冷凍イカを調理してしまうという話。あれは味が可笑しくて残していたから証拠として機能したけれど。
 息を吸う。
「罪を着せられたと?」
「どうだろうな。誰でも良かったのか、俺に個人的な怨みがあったのかどうか、それは下手人でなければ分からんさ」
「貴方がやったのではないとは言わないんですね」
「…俺は、」
 三日月さんの視線がすっと遠くなる。
「もしも自分がやっていても可笑しくはないと、そう思ったからな」
嫌いだったのだろうか、それとも憎かった? それは三日月さんでなければ分からないことだし、私がここで踏み込むのも可笑しな話だと思ったので何も言わなかった。その代わり、私は無難な言葉を探す。
「でもやっていないんでしょう」
 三日月さんが受け入れ派にいるからではない。私はただ、不信感を抱いているというその点と今の話の仕方からそう思った。三日月さんはしっかりしている、と思う。それは此処へ来てから会った人たちすべてに言えることだったけれども。だから私は少し背伸びして言葉を選ぶ。まるで、大人みたいに。
「例えそう思っていたとしても、やっていないのならやっていないと言って良いんですよ。確かに私はまだ皆さんを信用しきってはいませんけど、三日月さんが何を言うのも私に関係なく自由ですよ」
「…ああ」
押し出されるような頷き。
「そうだな」
 三日月さんは笑った。
 今まで見た中で一番にやわらかな笑みだった。それでも固さが残るのは、やはり私、というよりかは人間に不信感が残っているからだろうか。
「何だったか、血液反応というのは消せないのだろう」
「ルミノール反応でしたっけ」
「そんな感じの名前だ」
何だか消せないこともないと聞いた気がするけれどもまあ今はそういう問題じゃないんだろう。
「俺の本体からはそれが出なかった」
「…何も斬ったことがないと?」
それはそれでどうなのだろう、と思う。私は日本刀というのは武器だと思っていたのだけれど。
 人を殺す、道具だと。
「正確には、人間は斬ったことがない、だな」
「人間」
「そうさ」
元々の三日月宗近の話ではない、と三日月さんは繰り返す。あくまでもこの身に下りてからの話で、謂わば局地的な話なのだと。
「戦場には出ていたし、敵を屠ったこともある。仲間内で鍛錬をするのに熱中しすぎて我を忘れたこともまあ、恥ずかしながらある」
刀剣男士というのはこの世に一つしかない本尊と限りなくニアリーイコールであるがしかし、完全にイコールという訳ではないのだと。
「それでも、俺はこの身に下りてから人間は斬っていないのだ」
 その何処か物語るような声を聞きながら、私は少し俯いた。三日月さんの顔を見つめていることが出来なかった。
「実際にまあ、その反応とやらが出なかったから、俺は刀解されずに此処にいるんだがな」
「まあそうでしょうね」
人が殺されて。本当にそこに捜査の手が入らなかったとは考えにくい。というか信じたい。こうして此処に私が誘拐されて来ている時点でアレだとは思うけれど、それでも。最低限のことはしていてほしい。こんのすけの例もあることだし、その辺りは期待している。まあでも、そんな完全なる隠蔽をしてしまえば捜査も打ち切りだろうが。
「その…錬結の記録って、残らないんですか」
「連結をした、という記録は残るが、誰が何を連結したかは記録には残らないな。一回に五振りまで連結可能なのは知っているな?」
「はい」
「それを二回、連結の日課があるのは知っているだろう」
「はい。マニュアルで見ました」
「まあ五振りでなくても良いんだが…だから俺たちは倉庫を圧迫していない時以外は一回一振りでこなしていたな。まあ大体前日の担当だったものが数も決めるが、十以上は置かなかったな」
「もし、一振り増えたりしてても、可笑しいとは思わない?」
「思わないだろうな」
「そう、ですよね」
二振り以上置いてあっても圧迫し始めたのか、で済んでしまう話である。在庫の管理なんて毎回気に掛けることじゃあないだろうし。当番がいたのであれば尚更。
 頭が回る、と言えば良いのか。それとも底意地が悪いと思うべきか。私には分からない。けれども私は一つ、答えが出たと思った。
「三日月さん」
私は顔を上げる。
「私は合格ですか?」
「おや」
三日月さんの瞳の中に、名前の通りに月が浮いている。それが分かるくらいには私にだって余裕が出て来た。
「お前を不合格だなんて思ったことはないさ。最初に会った時からな」
 今日の勉強は囲碁にしよう、あっちの部屋にルールブックがあったはずだから探してくる、と三日月さんは立ち上がって行ってしまった。
「………誤魔化された」
「まあ、不合格でないだけ良いとしましょう、机右様。今は、まだ」
こんのすけの言葉に、ただ頷くしか出来なかった。



 翌日、青江さんと審神者部屋で勉強会をしていた時のことである。すみません、と訪ねて来たのは五虎退くんだった。
「どうしたんだい」
「ええと、その、燭台切さんと御手杵さんが…台所で…言い争いをしていて…」
「よりにもよってその二振りか…。どうせ御手杵くんに燭台切くんが突っかかっているんだろう」
五虎退くんはもしかして伝令役なのだろうか。確かに短刀のみんなは威圧感がないし、その中でも五虎退くんはなんというか、守りたい感じがする。勿論私よりずーっと強いのだろうけれど。このちょっと気弱そうな五虎退くんだって戦場に出ることがあるのだと、そう思うとやっぱり何とも言えない気持ちになる。
 五虎退くんは青江さんに来て欲しいんだろうけれど、青江さんがこのまま離脱することってないんじゃないかな、と思って見上げると、青江さんはじっと黙り込んでいた。あれ、と思う。
「………」
見られる。これ、迷っている。あれ、と二回目を思う。つい数日前は私が一人で誰かに会ってしまうかもしれないから、と一人でいることすら許してくれなかった青江さんが。これは進歩じゃないのか、と思う。
「…青江さん」
「………君、自分の状況分かっているね?」
「あの、そこまで私信用ないですか」
「君の信用がないと言うよりかは、君がいた時代にそういうことはそうそうないだろうっていうことを心配してるんだけどね…」
そう言われると確かにそうだけれど。私だって今まで生命を狙われたことなんかなかった訳だし。
 青江さんはため息を吐いてから、五虎退くんに行くよ、と言った。五虎退くんは残りましょうか、と言ってくれたんだけれどもそれはそれで困るらしい。五虎退くんには五虎退くんの持ち場があるのだとか。流石にそれは私が口を出すことではないので黙っている。適材適所というか、青江さんはそういうのが得意らしい。
 青江さんが出ていってしまって、私は本当に本当に大人しくしているつもりだった。
青江さんが私のためにあれこれしてくれているのは分かっていたし、それくらには私は青江さんのことを信用することにしていた。そもそも、部屋にいて私に困ることってそうそうないと思うし。大人しく、本当に大人しくしているつもりだったのだ。
「…机右様」
こんのすけが申し訳なさそうに私を呼んだ。
 どうやら、セキュリティチェックをこんのすけはずっとしていたらしいのだが、たった今、台所でおかしな挙動を発見したらしい。もしかしたらそこから外部に助けを求めることが出来るかもしれない。
 でも、今私がこんのすけを連れてのこのこ部屋を出るのは危険だ。
「うん、分かった。大丈夫だよ」
この部屋にはこんのすけの結界が張ってある。だから私が招き入れなければ誰も入れない。青江さんだってそれを理解して出て行ったのだ。だから大丈夫だよ、と言ってこんのすけを送り出す。そんなに時間は掛からないだろうし。私だって馬鹿じゃない。こんのすけは青江さんよりも私を信用してくれているし。
 そうして暇を持て余そうとした私は、開いたままの障子戸から見慣れないものを見つけてしまった。
「………あれ、」
前に、青江さんが言っていたことを私は覚えている。
 仕事用の端末が行方不明なのだと。
 私はそれを私を誘拐して来た人たちが取り上げたと思っていたが、そうではなかったのかもしれない。タブレットをもうちょっと薄くしたようなものが、私の視界にある。廊下に置かれた棚の上に、置かれている。再度言うが、私は本当に大人しくしているつもりだったのだ。私は馬鹿ではないし天邪鬼でもない。分かっている、情報としてはちゃんと、自分の置かれている状況を分かっている。でも、青江さんが多分大切なものだと思うと言っていた端末かもしれないものを、放っておけるほど楽観的ではない。あれは多分誰かがあそこに置いたのだと思うし、なら置かれているうちに手に入れなければならない。一瞬罠だとか考えたけれども、そんな確率の低い罠を仕掛けるほど敵対派閥も暇じゃあないだろう。日本刀を持っているんだからそれこそ特攻してくれば良いのだし。
 部屋からは出ることになるけれど、まあ、周りに誰も見えないし、一瞬で行って一瞬で帰ってくれば良い。
「よし」
私は気合を入れる。
「ゴー!」
 そして、走り出した。



 目的の場所にはすぐについた。ちなみに障子は万が一のために開けっ放しである。
開けっ放しにしないように青江さんに言われているのは普通に、部屋の中で私が何をしているとか、そういうのを見られるのがよくない、という話である。普通であれば部屋に入られて困ることはあまりないのだと言う。確かに青江さんを始め受け入れ派の人たちは普通に部屋に入ってくるし、多分ちゃんとした審神者も仕事の補佐とかしてもらうことがあったりするんじゃないだろうか。知らないけど。だからいつも障子を閉め切っているのは、現状が現状だからなのだ。つまり、この緊急事態においては障子を開けっ放しにしても許される。
 そうして私は、それを手に取った。
「おおー! これが噂の端末! ………やっぱりタブレットでは? もっと未来なんだから軽量化してるものと思ってたけど」
操作は結構分かりやすそうだった。それで私はテンションが上がってしまってその場でいじってみようとしてしまった。
 この時、持ってすぐ部屋に戻れば良かったのかもしれない。過ぎてしまったことは何とも言えないが。
「何を見ようとしている」
ぬっと影が掛かって、視界に黄色が入った。
 小狐丸さんだ。私の中で現在要注意人物のダントツ一位を走り抜ける人。
「ええと、マニュアルとかですけど」
そういうのが見れる、と青江さんが言っていた。ような気がする。正直いろいろあって記憶が怪しい。小狐丸さんは納得してなさそうな顔をした。
「政府に連絡をとるつもりなのだろう」
「とれるならとった方が良くないですか?」
私の件とかは完全に隠蔽されているものだろうし、恐らくこの端末を触ったくらいで何が変わる訳でもないのだろうけれど。それでも何か情報が増えることは喜ばしい。私を監禁した奴らの見落とした穴なんかが見えてくるかもしれない。向こうが何人かは知らないが、こっちだって徐々に派閥の人数は増えているのだ。三人寄れば文殊の知恵と言うように、頭が幾つあっても悪くない。私が足りない頭で一人悶々するのではないのだ、希望くらい持っていいと思う。
 という考えで私はこうして端末を手にしているのだったけれども、どうやら小狐丸さんは違うらしい。というか、大分怒っている。ように見える。肌がびりびりとする。これが殺気なのだろうか。私にはよく分からない。分からないながら、なんとなく、昔隣の家に住んでいたお姉さんのことを思い出した。お姉さんは今の私と同じくらいの頃に、家に帰りたくないのだと言いながら私に勉強を教えてくれた。お姉さんはそれから数年後、引っ越してしまったけれども。
 お姉さんが教えてくれたのはそれだけじゃない。
―――良い? もしもね、悪い人に出会ったら、目を逸らしちゃだめよ。
優しい声で、でも強い声で教えてくれたのはどうしてだったのだろう。
―――決して黙ってはいけない。黙ってしまったら、相手にもう捕まえた、って思わせちゃうから。
―――なんでも良いから喋って、お前のことなんか怖くないって、そう、相手に思わせなきゃだめよ。怖いって思っても、思ってるって、思わせちゃだめなの。
お姉さんの言葉の意味と、引っ越しの理由が分かったのは、たった数年前のことで、もうお姉さんが引っ越してからずっと経ってしまっていた。連絡先も知らない。引っ越す前に言う言葉は悲しいとか寂しいとかではなかった。遅れて引っ越すことになったお姉さんのお父さんにも、言う言葉はお元気で、とかじゃなかったはずなのに。
 私は子供で、だから仕方ないと、きっと誰もが言っただろうけれど。
「それとも、見られたら困る情報がでも入ってでもいるんですか?」
時間を稼ぐつもりで発した言葉が、間違いだったのだと気付いたのは言ってからだった。
「…ったあ…」
思わず声を上げてしまったが、頬を抑えることはしない。私は小狐丸さんを見上げる。私は怖いとは思っていない、そう思い込んで見つめ返す。出来るだけ、睨むような顔になっていないと良いと思う。怒りと恐怖は連動するから、凪いだ視線の方がきっと良い。小狐丸さんが悪い人だとは言わないけれど、言い切らないけれど。
 今は、きっと。
 敵、だから。
「これ、小狐丸さんのものじゃないんですよね?」
「私のものだ」
「左沢のものだと聞いていますけれど」
「ぬしさまのものを守るのが私の仕事だ」
「ちょっと見たら返すでも良いんですけど」
「ぬしさまのものを勝手に見るな」
「ほんのちょっとで良いんですけど」
「貴様、調子に乗るな」
「乗ってませんて! こっちも死活問題なだけで」
「………」
小狐丸さんはじっと私を見下ろしていた。私はちょっとだけ意外だな、と思って見上げる。頬の痛みは忘れることにした。少なくとも、今だけは。
 小狐丸さんはお前が死んでも別に気にしないとか、そういう類のことを言ってくると思っていたのだけれど、どうやら言わないらしい。
「………」
「………」
互いに沈黙の時間が続く。
「………その、」
「何だ」
「何だって私の台詞なんですけど…何なんですか。小狐丸さん何がしたいんです?」
「………」
「結局これ、返して欲しいんですか?」
「…返すも何も、それはぬしさまのものだ」
会話が噛み合っているようで噛み合っていない。
「そもそも小狐丸さんは何でこれを持っていたいんですか?」
「それはぬしさまの大切なものだ」
「はい」
「だから…私が管理する」
堂々巡りになりそうだ。そして多分、左沢は死んだのに? と言うのは得策ではない。それこそ殺されかねない。
「………分かりました」
「は、最初からそうしていれば良いものを」
「大事にしてくださいね」
「言われずとも」
 端末を差し出せば、小狐丸さんはそれ以上何もして来なかった。私など目に入らない様子だ。そのまま私に背を向けて歩いていった。
 小狐丸さんがいなくなったのを確認して、私はやっと座り込んだ。じくじくと痛む頬を抑えながら、くそ、と思う。これで二度目だ。もう三度目はない、と私は思っていた。前任がどれだけひどかろうが何をしていようが正直なところ私には関係のない話だし、毛嫌いはまあ相性の問題もあるので置いておいても暴力とかあれやこれや。
 許されるものか。
 拳を握る。次はない、次があったらその場でやり返す、と決めた。しかも端末は持って行かれてしまったし。あの様子だとずっと小狐丸さんが持っていたと見て間違いないだろう。そういう私物化は良くないんじゃないのか。
 とは言え、あれが小狐丸さんにとっても最後の砦のようなものであることは分かった。この情報が何に使えるのか分からないし、もしかしたら何の役にも立たないのかもしれないけれど。
「机右?」
足音はしなかった。
 でも私はその声の主を知っている。
「加州さん」
「えっ!? 机右、それどうしたの」
「小狐丸さんにやられました。一人で端末覗こうとしたとこ見つかりまして」
「はああ!?」
私でもそういう反応をすると思う。
「ま、最初に比べたら力加減はされてるんでしょうけどそれはそれ、これはこれですよね。クッソ痛いですし。そもそも私最初の件もまだ謝ってもらってないですし」
今はそういう話じゃないのは分かっているけれど、加州さんが何かを言うより先に私は吐き出していた。
 悲しみとか恐怖とか、そういう感情よりもずっと強く、怒りが湧いてくる。どうしようもないな、と思った。こういうところがあるからきっと、青江さんは私を信用しないのだろう。そう考えてみると妥当だとすら思う。
 加州さんは顔をくしゃりと歪めてから、手を伸ばしてきた。
「ああ、もう、なんで一人でいるかなあ。こんのすけはどうしたの」
「こんのすけは台所ですよ。さっきまで一緒にいたにはいたんです」
「早く冷やさないと腫れちゃうよ」
「…これ、先に言っておきますけど悪気のない普通の感想なんですけど、初日に私の頬を腫らしてくれた人の言葉だと思うとちょっとおもしろいですね」
「…それは、悪かったってば」
腫れているだろう辺りを彷徨っていた手は私の手をぎゅっと握って、そのまま台所へと連行される。ナチュラルに手を繋がれたけどツッコむ余裕はなかった。でも加州さんは何となくこういうのが許されるタイプな気もする。役得なのか、そうでもないのか。分からないけれども素直に従っておくことにした。
 加州さんはあの時すぐに謝ってくれたし、今だって、手、痛くない? と聞いてくれる。元々気遣いの出来る人なのかもしれない。

 台所に着くとまずこんのすけが悲鳴を上げた。
「机右様!?」
「ごめんね、こんのすけ。ちょっと油断してた」
「油断、ではありませんよう!!」
慌ててこんのすけが冷やすものを用意してくれる。その向こうで青江さんがすごい顔をしているのが見えた。鶯丸さんの表情は変わらない。今剣くんも同じくだ。折角信頼してくれたのに、悪いことをしてしまったような気になる。いや、私は悪くないけれど。そもそも触れられたくらいであんなに怒るなら、肌身離さず持っていれば良かったのに。
 五虎退くんが薬を持ってきます…! と言って出て行くのを見送ってから、また何で、と青江さんは言った。
「僕は君のこと、そこまで馬鹿じゃないと思っていたんだけどね」
「私だって何もなければ部屋を出たりしませんでした」
これだけは譲れない。流石にそこまで馬鹿じゃない。
「結果として、端末は小狐丸さんが持ってることが分かりましたし」
この情報は別に開示しても良いだろう、と思って言うと、そこにいた全員が一瞬であー…という顔になった。
「あれ、何ですか。皆さん予想ついてました?」
「予想、というほどでもないけどね。端末の行方に関しては多分知ってるとしたら小狐丸か加州くんだろうって思ってたし」
「まあ、思っていただけで誰も証拠らしい証拠がない上に、本人たちとの和解も今のところ取っ掛かりが見えない。だから後回しにしていたのさ」
「私が言うのもなんですけど、鶯丸さんって結構マイペースですよね…」
というか取っ掛かりが見えないとか言うのを本人が目の前にいるのに言うのか。良いのだろうか、そういうの。
 言われた加州さんは苦笑しただけだった。まあそう思われてると思ってたよ、と言っただけでそれ以上はない。仕方ないので気になったことを聞いてみることにした。
「端末って、何か特別な機能とか、あるんですか」
「特別な機能が何を指すかにもよるなあ」
「小狐丸さんが、どうしても手放したくないみたいだったので。会話になってない会話して、返しちゃったんですけど」
「それで良いと思うよ。端末を取るために君が斬られちゃ話にならない」
痛かっただろう、と言われて頷く。青江さんが怖かっただろう、と聞かないのは私の自業自得だと思っているからか、それとも。
「そうだなあ、多分、小狐丸が執着しているのは、記録、じゃないかな」
「記録」
「端末には、審神者が何をしたか、例えば出陣とか手入れとか鍛刀も錬結…はまあ左沢はやっていなかったけれど。そういう記録が表示されて、記録されるから。左沢は日記をつけるようなタイプじゃなかったみたいだし、小狐丸にとってはあの端末が彼女が生きていた証なのかもね」
「―――」
 生きていた、証。
 そう言われて初めて、私は前任もまた、私と同じ人間だったのだと強く感じたのだ。



 あの後五虎退くんが持ってきてくれた薬はとてもよく聞いた。私の頬は何事もなかったかのようである。痣にでもなるかと思っていたがそれもない。二十三世紀だからと言ってすごすぎやしないだろうか。そんなことを思っていたら自己治癒能力を上げる薬なので、机右様の健康状態が良いのですよ、とこんのすけに言われた。多分そんなにすごいことじゃないと言いたかったのだろうが、私からしてみれば何そのファンタジー物によくある薬! である。テンション上がる。
 頬が何ともないように、私の生活にも変わりはなかった。また軟禁生活が始まるかと思ったのだが、そうはならなかった。私が気付いていないだけで短刀の誰かとかがついているのかもしれなかったけれど。青江さんが諦めたのか、失望したのか、それだけは少し気になった。流石に面と向かって聞くほど私は図太くなかったけれど。
「今日は鯰尾くんが護衛につくからね」
 朝そう言われて、私は一瞬鯰尾さんって誰だっけ、と考えてしまった。鯰尾藤四郎さんだ。顔合わせの日に、一番最初に自己紹介してくれた、右端にいた人。明るそうな黒髪の人だ。
「君、今ちょっと忘れていただろう」
「バレましたか。他の人はそこそこ顔出してくれるんですけど、鯰尾さんはそうでもなかったな、って思って」
短刀のみんなは個別に仕事をしているらしいから、鯰尾さんも何かしら動いているのかもしれなかったけれど。その辺りは詳しく聞いていないので分からない。もしそうなのだとしても、骨喰さんはよく顔を出してくれるし、青江さんもなんだかんだずっと一緒にいるようなものだし、刀種ごとの行動ではなさそうだ。もし鯰尾さんが何か任務を背負っているのだとしたら、鯰尾さん本人の問題…というと何か違うが、由来とか、そういうものなのだろう。
「そういえばそうだね」
 と、思っていたのだけれど青江さんの反応を見る限りそういうこともないらしい。ないのか。折角考えたのに。
「明るそうな人だと思ったんですけど、もしかして人見知りとかなんですか?」
「いや…僕はそうは思っていなかったなあ。どうしたんだろう」
「じゃあ単純に私が嫌われたんですかね?」
「君ってよくそんなネガティブなことをポジティブに言えるよね」
青江さんはため息を吐いて、何かあったらすぐに呼ぶんだよ、と言った。
「こんのすけも手放さないこと=H」
「そう、その通り。ちゃんと自衛してね」
「…してない訳じゃあないですよ」
軽率だったとは思っていますけど、と付け足すとそれくらいの自覚はあったようで何よりだよ、と言われる。
「もうこんのすけは何があっても机右様から離れませんので、ご安心を」
「そりゃあ嬉しいね」
 そういえばこんのすけが私の傍を離れる原因になった台所の不審な挙動は、ただ単に軽い処理落ちをしていただけだったらしい。何が、と思ったけれど、そもそも本丸という空間は…と長くSF話が続きそうだったので遠慮した。兎に角、セキュリティに問題はなく、逆に言えばそこから外部に助けを求めることも出来なかった。セキュリティに問題がないことは良いことなのだけれども、後者がついてくるとなると素直に喜べない。こんのすけが耳と尻尾を下げて謝る姿には流石に申し訳なく思った。こんのすけが悪い訳じゃあないのに。でも青江さんのいる前でそれを言うとそうだね、悪いのは君だからね、とでも言われかねないので言わなかった。部屋に帰ってからこんのすけには謝った。
 そんな会話をしていたものだから、柄にもなく鯰尾さんがやって来るのに対して私は緊張していたのだ。
「ああえっと…こうして改めて顔を合わせるのは初めてです…ね?」
「ああ、ええと…はい、そうですね…?」
流石に鯰尾さんは私のことが嫌いですか? と聞けるほど図太くはない。私にだって人並みに傷付くことはあるのだ。実は顔が嫌いなタイプで…とかどうしようもないことを言われてみろ、再起不能になる可能性すらある。私と鯰尾さんはお互いのことを嫌ったり好いたり出来るほど相手のことを知らないもの同士だとも思うので、もし嫌われたのだとしたらそれは完全に見た目とかどうしようもないことに違いない。私だって傷付きたくないという思いはある。
「あ、そういえば青江から聞いたんだけど、机右さん、俺に嫌われてると思ってるんですか?」
「…青江さんってすぐそういう余計なこと言いますよね!!」
「はは、そう言うってことは本当なんですね」
鯰尾さんは笑ってから、そんなことないですよ、と言った。
「まあ、かと言って好きでもないですけど」
「分かってましたけど改めて言葉にされると普通にダメージ来ますね…」
「机右さんも、そういうこと思うんですね」
「流石に言われたら思いますよ」
普通だったら気にしませんけど、と言うと鯰尾さんはふうん、と呟いた。
「そういうもの、ですか」
 その言い方が、なんだか引っかかった。

 今日は何をする予定ですか? と聞かれて私は素直に決まっていないことを伝えた。勉強をするでも、勉強と銘打って囲碁や将棋を教えて貰うのも。護衛としてついてくれている人が結構好き勝手決めている部分もあった。審神者の仕事としての基礎の部分は殆ど終えているらしいし、誘拐だと言えども引き継ぎということで任務は免除されている。まだ本丸の中が派閥争いをしている中で、実地訓練と行く訳にもいかない。なので結局各々私に教えたいことを教えるような感じになってしまっている。勿論、普通の学校の勉強をやっている時もあるけれど、全部を全部そういう勉強に当てる訳にもいかない。私が飽きる。ので適度に他の勉強やそう銘打ったゲームを一緒にやってもらっているのが現状だ。青江さんとしては部屋で大人しくしてくれていれば良いのだろうし。何をして欲しい、という指示があったことはない。
 と、いうのをこんのすけが噛み砕いて説明して、鯰尾さんは苦笑した。
「なら今日は普通に休みにしましょう」
俺もこの部屋にある本、読んでみたかったし。
 鯰尾さんが出来るだけ私と喋らないものを選んだと分かったけれども、指摘するほど私は馬鹿じゃなかった。
 …と、格好付けたのも束の間。
「そういえば、下手人ってまったく分かってないんですよね」
沈黙に耐えきれなかった私はよりにもよって、多分一番聞きにくいことを聞いたのだった。こんのすけがあー…という顔をしている。分かる。私でもこれはどれだけ考えなしの能天気な選択だよ、と思う。でもどっちにせよいつか聞くことだったのだし、それが今だっただけで別に良いと思う。まだお互いのことを知らない時の方が傷は浅いかもしれないし。
 鯰尾さんも流石に今それ聞く? と言いたげにゆっくりと本から顔を上げた。
「…気になります?」
「気にならないと言えば嘘になりますけど、まあ日本刀ってそもそも人を殺す道具だと思っていますし…。あんまりこれ言ったら怒られそうですけど」
「そうですね。中には儀式用に作られたものもあることですし。勿論儀式用とは言え、魔を祓うですとか、刀という形である意味はあると思われますが」
「難しいなあ」
鯰尾さんはそれで自分が会話から外れたと思ったのか、本に戻ろうとする。半自爆気味な私は素直に逃がすような真似はしない。
「鯰尾さんはどう思います?」
「え? 儀式用の刀剣についてですか?」
「あ、いえ、そっちじゃなくて、下手人についてです」
鯰尾さんの表情が固まった。
「…どう、でしょうね」
「これから先探せとか言われないと良いんですけど」
「そういったことは審神者様の管轄ではありませんからご安心を。もし探すとなったとしても、他の部署が動くはずですよ。現時点では外への連絡経路が経たれておりますので、今後どうなることか」
「その外への連絡って、やっぱり出来ないとまずい?」
「まずいです。極端な例を言いますと、この本丸が敵に見つかり襲撃されたとしても、
救難信号が出せません」
そういうこともあるんだ、と思った。此処は人が一人死んでいるというのにひどく平和に見えて、私は事あるごとにそれが戦争中だからなのかもしれない、なんて思う。きっとそうではないのだけれど。
「そういえば任務は今されてますし、そんな状況じゃないのは分かってますけど、戦場には出れるんですよね? そこからこう、他の本丸に助けを求めることとかって出来ないんですか?」
「出来ない、と言い切ることは出来ません。が、基本的には刀剣男士の出陣というのはブッキングしないようになっています。同じ場所、同じ時間に出陣していても今まで他の本丸の刀剣男士と出会ったことはないでしょう? それは政府の方で調節をしているからなのです。勿論一部隊では足りない作戦もありますし、同時出撃を出来るように弄ることは可能です。ですがそれは弄ったからこそ可能なのです」
「可能性があってもすっごく少ない、ってことですね」
「はい…申し訳ありません、机右様」
「大丈夫だよ、こんのすけ。でも希望があるならまあ、取っておいても良いよね」
正直鯰尾さんの着眼点はきっと私じゃあ出て来なかったものだと思うし、可能性の一つとして覚えておくことは悪いことじゃあないだろう。
 今度こそ会話が終わったと、鯰尾さんは確信したのだろう。読書に戻っていく。
「やっぱり下手人は殺害派にいるんですかねえ」
だから私のそれは、ただの呟きだった。
「…どうでしょう。俺は、前任も机右さんも、殺したいとまで思ったことはないですから」
「今私の名前入れる必要ありました?」
「………なかったかもしれませんね」
 それがその日最後の会話だった。
 鯰尾さんが黙ってしまったのもあるが、私もそれ以上話し掛けるのも気が引けてしまったのだった。



 青江さんに鯰尾くんとはどうだった、と聞かれて私は曖昧に誤魔化した。青江さんは私から無理に聞き出そうとすることはしなかった。多分、鯰尾さんにも聞いていないんだと思う。まあ仲良くなることが目標ではないのでそういうこともあるよね、なのかもしれない。青江さんはもっと大きな問題と向き合ってくれているのだし。個人的な問題で手を煩わせるのは違うと思う。
 そんなことを考えつつ青江さんと台所から部屋に戻る最中、向こうから誰かがやってくるのが見えた。知らない顔だったので、多分違う派閥の人なのだと思う。その人は私たちとすれ違うより先に立ち止まった。少し間を開けて向き合う形だ。しかし、この眼帯の人、何となく見覚えがあるような。
 その人は何も喋らないでじっと私を見つめている。青江さんをまるっと無視とはいい度胸な気がするけれど、そういうものだろうか。しかし、こんなにじっと見つめられるは落ち着かない。一体、何処でこの人を見たのだろうか。此処へ来た最初の日、最初の部屋には全員が集まっていたと聞くけれど、正直あの時印象に残った人はいなかったはずなのだけれど。なんかいっぱいいた、くらいで。そんなふうに考えていて、
「あ」
やっと思い出した。初日に仕事部屋でたむろしてた中の、一番最初に逃げた人だ。ええと、この場合どうしたら良いのだろう。一度逃げられたということはあまり私と顔を合わせていたくないんじゃないのか。
 そんな私の思案を他所に、その人―――その黒い人は逃げなかった。別に私は廊下の真ん中に立っている訳じゃないし、多分青江さんも追い掛けたりしないと思うし、逃げるなと言っている訳じゃないと思うし、何で逃げないんだろう。
「…燭台切くん」
痺れを切らしたように青江さんが声を掛けた。燭台切さんと言うらしい。
「用があるなら言ってくれなきゃ机右には通じないよ」
「ちょっと青江さん、それ私がまるで馬鹿みたいじゃないですか!」
「馬鹿じゃないとでも思ってたのかい?」
「それを言われると否定しづらいの分かって言ってますよね!?」
 青江さんなりに空気を和ませようとした結果なのだろうけれど。実際膠着状態という感じだったし。けれどももっと言い方があったのではないかと思う。否定しづらいのがまた嫌なところだ。けれども青江さんの気遣いが功を奏したのか、その人は口を開いた。
「君、」
一体何を言われるのだろう。私は身構える。
「包丁も握れないってホント?」
「失礼な!! 握れますよ!? さては今剣くんですね!?」
「机右、僕も君が包丁を真面に握れているとは思っていないよ」
「青江さんまで!? まさかの裏切り!?」
私の身構えた意味とは。いや勝手に身構えたんだけどこれはあんまりだ。
「お米くらい炊けますし!?」
「大人数用炊飯器は米を洗う機能もついてるから、そのアピールは燭台切くんには効かないよ」
「くっ…! まさか便利さが仇になるとは!」
畜生二十三世紀! と地団太を踏む私に、青江さんがまあまあ、とフォローをくれた。
「味見はそこそこいい線行くんだけどねえ」
「味見………」
「褒めてるんだよ?」
「本当ですか?」
「本当さ。今までちゃんと食べてきてるから味がちゃんと分かるんだよ」
「ううん…? 褒められてる実感があんまりありませんけど…ありがとうございます…?」
多分褒められたのだと思って私は素直に頷くことにした。青江さんはちょっとだけにやにやしている。でも指摘してもこういう顔だよと躱されそうなのでツッコまないことにした。
「僕は…」
 燭台切さんのことは知らないけれど、このコントのあとに普通に発言を続ける辺り結構図太いのではないだろうか。私と同じ匂いがする。言ったら怒られそうだけれど。
「料理が好きなんだ」
しかも話題が自分語りと来た。まだ自己紹介すらされてないのに。
「だから、台所を広げたい」
「………すみません、これ、大事な話だと思うんで渾身のツッコミさせてもらっていいですか?」
「良いよ」
燭台切さんより先に青江さんが許可をくれた。ので私は思いっきり叫ぶ。
「あれ以上にですか!?」
「狭いじゃないか!!」
「せま…ッ狭い!? どういう!? 台所で何をするつもりなんです!?」
「料理だよ!! 冷蔵庫をあと二つと業務用のコンベクションオーブンを二台入れたら狭くなるんだって!!」
「何か呪文が聞こえた気がするんですけど冷蔵庫をあと二つ?」
「うん。野菜と魚類・肉とその他で分けたいんだよ」
「………そうすることのメリットをどうぞ」
「お買い得の時に買いだめしやすくなる」
「青江さん、判定は」
「わりとありだと思うかなあ。前任の時は結構無駄があったとは思うし。問題は…」
「私が文無しってことですよね」
「そ。君には前任の残した貯蓄があるけどそれはまあ微々たるものだ。ちょっと本丸の増築や設備の買い足しは出来ないよ」
「僕だって、今すぐ、とは言わないよ」
最早何なのか分からない。私、何の話をしていたんだっけ?
「…君は、メリットは、って聞いてくれた」
「はい? まあ、聞くでしょう」
「前任はそうじゃなかったよ」
 燭台切さんが笑う。
「貴方はいてくれるだけで良いの=v
スッと、背筋を嫌なものが走り抜けた。
「僕が前任に言われたことさ」
 私は審神者とか刀剣男士とか、まだ全然分からないことだらけだけれど、これだけは分かる。
「ずっと、僕もそれが正しいんだと思っていた。…思おうと、していた」
燭台切さんは、きっと、そう言われたくなかったんだ。
「でも、僕は刀剣男士だから」
 刀剣男士というのが、私と、人間とどう違うのか、私にはまだ分からない。
「戦いには…それでも、彼女に言ってくれる人がいたから、多数決じゃないけど…そういう感じで、出れてた。でも、台所は…彼女、台所って怪我をするところだと思っているらしかったから」
「…まあ、危険はいっぱいですよね」
「危険を危険でないように技を習得するのが一般的なんじゃないかな?」
「すみません、青江さんはちょっと黙っててくれますか」
「仕方ないなあ」
真面なことを言ったはずなのに、と青江さんが言うのにはもうツッコまない。燭台切さんも呆れたような顔をしたけれど、そのまま話を戻した。やっぱりこの人図太いのでは。
「でも君はメリットを聞いてくれた。僕がただ料理がしたくて言っただけかもしれないのに」
「そうだとしても、こう…なんかそれなりのメリットは提示してくると思ってましたし。やりたいことなら、尚更」
「………君、可愛くないね」
「知ってますけどどうしてこんなに可愛くないんでしょうねえええ」
確かに元々可愛げのある人間じゃなかったとは思うし、その自覚もあったが、此処へ来てから一層それに拍車が掛かったとも思っている。
「燭台切くんの料理は美味しいよ」
 一通りの話は終わった、と思ったのか青江さんが口を開く。
「そうなんですか」
「時々ね、前任の目を盗んでは台所に入れていたことはあったんだ。その時に作ってもらったから、間違いないよ」
「…青江くんにそう言ってもらえると嬉しいな」
「………青江さんが手放しに褒めるような料理、気になりますけど…。私、一文無しですからね」
「だからすぐに、なんて思ってないってば」
 やっと、燭台切さんは笑った。
「君が考えてくれただけで、僕は救われたよ」
「え、いや、救うとかそんな大層なこと」
「君は何もしてないかもしれない。君は普通にしていただけかもしれない。でも、その普通っていうのが、多分僕らの求めていたものだったんだ。………僕は燭台切光忠。青銅の燭台だって切れるんだよ。………はは、やっぱりかっこつかないや」
「名前から察してましたけど燭台切れるって相当じゃないですか!?」
「相当だよねえ」
「青江くんだって石灯籠斬ったっていう逸話持ちじゃないか」
「待って!? 青江さんそんなヤバそうなもの斬ってるんですか!?」
「逸話だよ」
「普通逸話でも石灯籠斬ったとかついてる時点でやばいと思います」
そんな会話をしてから、燭台切さんは派閥替えを申し出た。青江さんは一つだけ頷いて、この話は終了した。



20180323