小さな頃から不思議な現象に巻き込まれたりなんだり、そういうことには慣れていた。それが周りの人間には視えていないことも早い段階で分かっていたけれど、自分に害をなすものではなかったから気にしないことにしていた。
 時々ぼうっとしているけれど、そこまで変な子じゃあない。
 それが、私に対する大半の評価だったのだと今なら思う。

災い転じて福となす 

 道で転んで痛みに一瞬目を瞑って、そうして目を開けたら知らない場所だった。
 なんて言って一体何人の人が信じるだろう。けれどもそうだったのだから仕方がない。何か禍々しいものが立ち込める日本家屋。あまりにホラーである。不思議現象に巻き込まれたりなんだりとは言ったけれども、それは自分に害をなすものではなかったのでこんなどう見たってヤバそうな場所には来たことがなかったのである。
 しかしながら一周回って冷静になっているらしく、私は装備品の確認から始めた。携帯、電源は生きている。電波は死んでいる。こういう時は匿名掲示板だけには繋がるとかいうのはお約束ではなかったのか。小銭入れ、生きている。合わせたら千円くらいになるであろう小銭たちが此処で貨幣として通用するかは疑問だが。家の鍵、生きている。とはいえ此処は私の住んでいる家ではないので役に立つ未来は見えないのだが。
 そもそもちょっとコンビニに行こう、と道を歩いていたのだ。近くのコンビニなのだし、すぐに家に帰るつもりだったし、そんなに装備品は多くない。携帯、小銭入れ、鍵。最低限である。最低限で出たはずだった。
 はず、だったのだが。
「これ持って出た記憶ないんだけどなあ」
手元にあるのは刀だった。法律の厳しいこのご時世、申請が面倒で模造刀ではあるが、確かに日本刀の形をしたものである。ちなみに今は亡き祖父が買ってくれたもので、私にとってはとても馴染み深い品である。小さい頃からよく振り回していたにも関わらず、よく壊れずに此処まで来たものだ。
 まあ鈍器くらいにはなるだろう。そう思って模造刀を握り直すと、私はホラー家屋に向き直った。どうやら後ろには下がれない、というか後ろに道がない。空間が切り落とされている、とでも表現すれば良いのか、反発は感じないが何かに阻まれているようで物理的に後ろには下がれない。なら前に進むしかない。お誂え向きに武器まで用意されているのだし。普通であれば留まるという選択肢が出てきそうではあったが、空は今にも雨が降り出しそうであったし、出来ることなら雨をしのげる場所にいたかった。
「よし」
気合いを込めて木造の門を潜る。
 ごめんください、という声に返事はなかった。



 しかし、まあ、立派な日本家屋である。どことなくホラーな空気はさておき、別に荒れ果てているという訳でもないし、屋根はしっかりしているし。妙におどろおどろしい空気があるだけで他はちゃんとした日本家屋だ。ホラーでよくあるやたらめったら踏み込んだ先がきしきし言うとかもないし、それなりに綺麗である。
「ごめんくださーい…」
玄関であるので靴を脱ぐのはそうなのだが、脱いだ靴をどうするかで少し迷った。どう考えても知らない場所だ。もしもの時を考えて靴は持っていた方が良いような気はするのだが、持っていくとなると少なくとも片手は塞がる。さてどうしたものか、と暫く悩んで、持っていこうと決めた。そして靴を拾い上げようとした時。
「う、わっ」
思い切りバランスを崩した。
 目の前には傘立て。このままだとぶつかる。手は間に合わない。そう思ったら目を瞑っていた。次に来るであろう痛みに身体が備える。備えた。
 のに。
 ぽふり、とやわらかい何かに当たった。
「…?」
「まったく、君は意外とドジなんだな」
目を開けると白いものがいた。妙に気安い彼はひどく美しい顔をしている。あ、と声が出た。
「つ、鶴丸国永だ…」
「ん? ああ、そうだ。鶴丸国永だ」
「真剣?」
「ああ。だから刃のところには触れてくれるなよ」
 腰から下げてある刀に触れると、彼は一回手を退けろ、と言ってから抜いて見せてくれた。よく斬れそうだ。私の持っている模造刀とは違って。いや、これもこれで鈍器くらいにはなるだろうが。
「ええ…。紛らわしいな。じゃあこっちはレプリカ先生で」
「それは作品が違わないか」
笑う彼に良いでしょ別に、と言ってから立ち上がる。
「奥に行くのか?」
「後ろには行けないみたいだから。このお屋敷の持ち主がいれば、事情を説明すればどうにかしてくれるかもしれないし」
「それは楽観的すぎないか?」
「楽観的になるしか、前に進む方法が分からないんだよ」
歩き始める私に彼はなるほど、と頷いてからああ、君、と私を呼び止めた。
「名前は教えるなよ」
「名前?」
「ああ。名前というのは力を持つからな。何か偽名を言うのが良いだろうな」
「偽名て。そんなのいきなり言われても…」
「思い付かないのなら俺がつけてやろう」
そうして彼は形だけ悩むように首を傾げて、呟いた。
「そうだな、南天というのはどうだ」
「南天って、あの赤いやつ?」
「そうだ」
よく玄関先で見る赤い実を付ける植物のことは私でも知っていた。
「それならまあ、聞き慣れてるし大丈夫」
「なら良かった」
 じゃあ君は今から南天だな、と彼は笑う。私の名を仮にでもつけることが出来て嬉しいようだ。私は思うところがない訳じゃあなかったけれど、まあ彼が嬉しそうなので放っておく。靴を忘れてきたことに気付いたが、今更戻るのも変な気分なのでそのままにすることにした。彼は軽い足取りでついてくる。
「なあ君、暫く俺に守られていてくれないか?」
「…守られるようなことが発生するの」
「するだろうな。いや、会話が出来ればそんなことにはならんだろうが…君、頼むから挑発するような真似はしてくれるなよ」
人のことを何だと思っているのだろう、と思い出してから最近あった学校での出来事を思い出した。クラスの、所謂ボス猿である女子に私は突っかかっられたのであった。それを思い切り挑発して、手を出させて向こうを停学処分に追い込んだのは記憶に新しい。彼がそれを知っているかはさておき、私はそういう人間だった。挑発するなという彼の忠告はありがたく受け取っておくことにする。とは言え、生来の性質を変えることはすぐに出来ることではない。
「私は黙っていた方が良いのかな」
「………そうだな、俺が代わりに交渉事はしよう。勿論、君の意見は尊重するが」
「ものすごい間をありがとう。とりあえず任せるね」
彼からの信頼がものすごくないことはよく分かった。まあ自分にも納得出来る部分はあるので何も言わないが。
 と、勝手に先を行っていた彼がふと足を止めた。
「どうしたの?」
「お出迎えだ」
「真っ白なのにブラックジョークが得意なの?」
流石に平穏な日常を送ってきた私でも分かる。嫌な気がひしひしと、これはきっと殺気というものだ。
 次の瞬間、ものすごい音がした。下がれ、と言われて言われるがままに下がる。動けたことにびっくりしたけれど、今のは私の意志じゃあなかった気もする。まあ、あまり気にしている余裕もない。
 彼はいつの間にか刀を抜いていた。その向こうに影が見える。敵襲だ、と思った。襲撃犯もこれまた、やたらと顔が良い。
「おいおい三日月宗近。随分な歓迎だな?」
「俺たちはこれ以上人間を受け入れる気はない」
「まず会話をしろよ。会話は大事だぜ?」
先程挑発するなと言ったものとは思えない言動だ。だがしかし私が口を挟んだらもっとひどくなるのは目に見えているので、言われたとおりに黙っている。はじめましてくらいは言った方が良い気もしたが、まあこの殺気満々の中はじめまして〜なんて呑気に言っていられるほど強くない。
「それとも天下五剣様の格とやらもそこまで落ちたのか?」
「貴様、俺を愚弄するか」
「愚弄して事が済むんなら幾らだってしてやるさ。言葉だって立派な武器だからな」
「余程自信があるとみえる」
「そりゃああるだろうさ。その辺の野良とは違うんでね」
「野良だと」
「野良だろうが。それとも他の奴の名前でも出すか?」
その言葉で、やたらと顔の良い襲撃犯は諦めたようだった。刀が鞘にしまわれ、唾でも吐きそうな顔をされる。やたらと顔が良い人間は怒った顔も様になるというのは本当だったらしい。いや、人間じゃないかもしれないけれど。
「審神者の部屋はこの先だ。勝手に使え。それから俺たちに指図はするな」
「指図と言われても、何をすれば良いかも分からないんですが」
「ならば大人しくしておれ。お前に此処を維持する以上のことは期待していない。贄は贄らしく飼われておれば良い」
「随分な言い草だな」
彼と同じ反応を私はする。贄とはまた穏やかじゃない。
「お言葉に甘えて部屋は使わせて貰うぜ」
彼はそれ以上突っ込まないことにしたようだった。
 いくぞ南天、と呼ばれてそういえば私は此処ではそういう名前だったのだと思い出した。



 やたらと顔の良い青いものはついてこなかった。あんなに素人にも分かる殺気びしばしなものについてこられても困るが、彼と二人きりでは何も分からないような気がする。
「ねえ」
「何だ?」
「本当のその、えっと、部屋? って使っていいの?」
「使えと言われたんだから良いんじゃないか? あいつだって自分の言葉には責任持つだろうさ」
「ええと、その…さにわさん…? て人がいるんじゃ」
「審神者というのは役職名と思っていい。人間にしか務まらない役職だ」
「なら、その役職に就いている人がいるんじゃあ…」
「いないだろうな」
妙に断定口調だ。彼は此処のことを知っているのだろうか。私と違って。
「どうして、っていうのは聞いても?」
「まあ有り体に言えば追い出されたんだろうさ」
穏やかじゃない。
「………それは、ええと…」
「君が何を聞きたいのかは何となく分かる。前任は悪事を働いたのか、ってことだろう? 流石にそこまでは俺にも分からない。部屋に手がかりがあることを願おうぜ」
「あ、万能って訳じゃあないんだ」
「ああ、万能って訳じゃない。でも君のことは守るから安心してくれ」
守るから安心してくれと言われても、どうにも情報不足すぎて安心出来ない。彼を信用していない訳ではないのだ、ただ渦中にいるのにも関わらず何も知らないというのは、少し。
 此処だな、と彼がスパーンと開けた襖の向こうは、整然とした部屋だった。あまりこの部屋は使っていなかったのだろうな、と感じるくらいに人の気配がなかった。
「なるほど、きれいなもんだな」
「そうだね」
「とりあえず座布団を出して来ようか。君はそこに座って待っていろ」
「レプリカ先生は?」
「好きにしたら良い。レプリカ先生の分も座布団はいるか?」
「あー…あるなら置いてあげたい」
「了解した」
レプリカ先生をご老体とは言わないが、子供が小さい頃からやたらめったらに振り回してきたものだ。休める時に休んでおきたいだろう。
 彼は押入れから座布団を取り出して来て、とりあえずレプリカ先生もそのうちの一つに鎮座した。満足そうに見えるのはまあ私の希望だが。さて、と彼は切り出す。
「いろいろ説明すべきことはあるが、まあ、さっきの奴についてからかな。あいつみたいなのは此処には幾らかいて、戦っている。此処みたいな場所は他にもあって、何処も審神者という職業についた人間が統治している。そう、さっきの奴や他の奴らは、は人間じゃない。刀剣男士と言って、刀剣から励起された心が人の形になったものだ。同じ形のものも幾つもいる」
「とうけん、だんし」
「付喪神って分類で良いかな。神とも妖怪ともつかないものだ。その性質は扱う人間によって変わると言っても良いだろう」
「神と扱えば神で、妖怪と扱えば妖怪? 天使と悪魔みたいな話だね」
「まあ元来人間なんてものはそんな生き物だしな」
彼の言葉に私は頷く。
「刀剣、っていうからには刀剣の付喪神、なの?」
「ああ。さっきのは三日月宗近。君だって名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
「ええと、あー…トーハクの」
「そうだ」
以前東京国立博物館に行った時に、ちょうど展示されていた刀剣。別の展示(かえる関連の展示だった)(私はかえるが好きだ)を見に行った時に、祖父に今展示しているから見てこいと言われたのだ。正直うろ覚えだが、なるほどあの刀剣の付喪神。そりゃあ顔がよくもなる訳だ。
「…私はどうして此処に?」
とりあえず聞かなければならないと思った。彼が知っているかどうかは別として。
「事故、としか言いようがないな」
「事故」
「何かの意図だとか、そういうことはないぜ。ただ君はただ只管に、不運だっただけだ」
「不運…」
「とは言え土壇場のツキは持ってるみたいだがな!」
笑えるような状況ではないが、こうして笑い飛ばしてもらえると少しは心が安らぐ。
「―――帰れるの?」
 不意をついたつもりはなかった。彼は彼で、聞かれることを予測していたはずだから。
「そりゃあ、どうだろうな。何とも言いかねる」
彼は誤魔化さなかった。
「…そう。ありがとう」
「礼を言われるようなことじゃあないさ」
 妙な沈黙が流れる。それに割って入るように、きし、と廊下で音がした。誰かがそこで屈んだような影。審神者様、と細い声がして、私は彼に視線を投げた。



 出ても大丈夫だ、と言うので私は呼ばれるままに襖を開けた。その向こうには下げられた頭。
「ええと、あの? 頭を上げてください?」
「刀解処分を、お願いしたく」
いきなり本題に入られた。
 私が言ったからなのか、それとも話すのに顔を見ずに、というのはいけないと思ったのか、来訪者は顔を上げる。水色の長い髪が美しい人だった。何だ何だ、此処には顔が良い奴しかいないのか。
「え、えっと…?」
「一度やってきた政府の人間は私の刀解を拒否しましたが、今此処の審神者は貴方です。貴方になら刀解の権限があります」
「え、あ、ちょっと待ってください。本当に私、何も分からなくて、だからトウカイっていうのが何なのかも、本当に…分からなくて…何を言われているのかさっぱりです」
変換すら出来ない。だが、後ろに処分とついている辺り、何となく察することは出来る。解凍だとかそういうものではないとは分かる。
「あ、あと多分雰囲気から鑑みるに重要案件ですよね、話を聞いてもすぐには決断出来ないと思います。本当に私は今何も知らないんです。ですから、その、話はちゃんと聞きますが、私もいろいろ混乱しているので、時間をください」
なんだか悲壮感を漂わせる麗人(麗人で良いだろう)(多分人ではなく刀剣男士とやらなのだろうけれど)を突っぱねるのもどうかと思ったが、口車に乗せられるような形で何かしらやらかすのも怖い。
 麗人は一瞬言葉に詰まってから、眉間に皺を寄せた。怒ったか? と一瞬身構えたけれども、どうやら怒ったというよりも諦めたという表情に見えた。
「…貴方も、なのですか」
「え?」
「いえ、こちらの話です。では、まず…刀解について、説明しましょうか」
そのトウカイとやらを私が思っているよりも多く拒否されてきたのかもしれない。なんにも知らない人間に説明することになって申し訳ないとは思うが、情報がないことには何の判断も下せない。そもそも私は本当にその審神者とやらなのだろうか。というか何で刀剣の付喪神なんかが集まっているのだろう。彼の話を聞く限り、こんなような場所が他に幾つもあるようだし。
 説明しないのか、出来ないのか。その辺りを聞いておく必要もありそうだ、と麗人の話に耳を戻した。
 トウカイもとい刀解について聞いた私はとりあえず、と一旦頭を抱えてから叫んだ。
「重要案件じゃないですか!?」
「そうだぞ、重要案件だ」
今更何を、と言う彼は知っていたのか、予想がついてたのか。澄ました顔がムカつく。というかそんな重要案件を人間だからという理由で右も左も分からないやつに任せたらいけないだろうと思うのだが、こんな怪しさ満点の人間でも頼らざるを得ない状況なのだろうか、それとも刀解してくれるなら誰でも良いのか。私は頭を抱えたまま絞り出す。
「一旦保留とさせてください。あ、ええと、一応貴方の名前を聞いても良いですか」
「江雪左文字と申します」
「江雪左文字さんですね。覚えておきます」
 そこで話は一旦終わりとなった。江雪さんも一度で要望が通ると思っていなかったのか、また来ます、と下がっていった。そうして江雪さんが部屋から去って、すぐ。私は気付く。
「あ、あの!」
急いで廊下に出ると、まだ江雪さんは廊下にいた。
「…何でしょう」
 刀解する訳でもないのに呼び止めるなとでも言いたげだ。表情の薄い人かと思ったがそこそこ分かりやすい。
「此処って、台所とか…そういうの、ありますか」
「此処を真っ直ぐ行って、左に曲がると分かると思います」
「ありがとうございます!」
そのやりとりを聞いていた彼がぶふっとふき出したが、食事は大事だ。行ってみよう、と言えば彼もまた立ち上がる。
「君はお腹空かないの」
「そうだなあ…食べられるのであれば食べられるにこしたことはない、という感じだ。そもそも食料があるとも限らない。俺の分もあればご相伴に預かろう」
「了解。願っておくね」
そう言って江雪さんに言われた通り、廊下を真っ直ぐに行って左に曲がることにした。



 台所には普通に食料があった。
 此処に一体何人の(何振りの?)刀剣男士がいるかは分からないが、業務用の冷蔵庫が四つもある台所だ、ここから二人分失敬しても正直大丈夫な気がした。
「勝手に貰って良いと思う? 豚になったりしない?」
「君なあ…。だめだったら江雪が止めてるんじゃないのか?」
「それもそうか。台所に行くって何か食べる以外に思いつかないし」
「一応書き置きでもしておくか?」
「あ、そうしよう」
ほら、と彼は袂に手を突っ込むと、筆記用具とメモを取り出した。もしかして彼の袂は四次元ポケットか何かなのだろうか。受け取って少し迷ってから、借ります、とだけでかでかと書いた。誰かが見たら何を? と思うかもしれないが、さっきの三日月さんの反応を見るに人間がやってきたことは伝わっていそうだ。どういう仕組みなのかは知らないが。ならこんなメモを置いておくのは人間、となりそうなものだし、まあ、大丈夫だろう。
 大きな炊飯器を開けてみると大量の白米があった。ほかほかの炊きたてのように見えるが、誰かがよそったような跡も見受けられた。茶碗も箸もあったが、流石にそれを使うのは申し訳ないだろう。何となく三匹のくまを思い出した。ちょうどいいと思って使ったらそのまま壊してしまうかもしれないし。
 なのでとりあえずボウルを借りようと思って振り返ると、入り口から覗く影に気付いた。
「あ」
「あ」
彼が何も言わなかったのでまあ放っておいて良いのだろうが、此処に住んでいる人だろうので会釈をしておく。
 すると、覗いていた影はおずおずと出て来た。三日月さん、江雪さんに続いてこれまた顔が良かった。やはり此処には顔がいいものしかいないのかもしれない。
「お借りしてます」
流石の私でも分かる。確実に伊達政宗ゆかりの刀剣だ。逆にそうじゃなかったらどうしようと思うくらいそれっぽい。
「ど、どうぞ…? 何もないところだけど…」
「いや普通にほぼ何でもあるんじゃないですか…?」
どうやら相手も混乱しているらしかった。この何でも揃っている台所の何処を見たら何もないなんて言えるのか。それとも此処ではこれが何もないに類するのだろうか。こっちまで混乱してくる。
「あ、ああ、そうだね…。何でもあるよね…」
どうやら混乱していただけらしい。価値観の違いで衝突なんてことにはならなそうだ。
「あ、ボウル借ります」
「え、あ、どうぞ」
 沈黙。どうやら眼帯の人(恐らく人間じゃあないがもう良い)もまた、料理をしに来たようだった。お腹が空いているのだろうか。とは言え私には関係がないことだと思うので何も言わない。ご飯は見たとおりほかほかだった。熱い。沈黙に耐えかねたように、眼帯の彼は言葉を発した。
「何かしていないと、落ち着かなくて」
「へえ、そうなんですか」
 沈黙再び。
 まるで無視しているみたいだなとは思ったが、言うことがないのは事実なのでそのままおにぎりを握り続ける。目の前に混ぜ込みわかめがあったのでそれを失敬することした。簡単な料理なら出来なくもないが、如何せん今日はもう疲れたのであれこれしたくないのだ。
「君は…何も聞かないの」
「何も、とは。正直分からないことしかなくて何から聞いたら良いのか分からないんですよね。あ、出来たよどーぞ」
彼に握りたてのおにぎりを渡すと、とても嬉しそうにされた。何だそういう顔も出来るのか。そんなことを思いながら自分の分を握る。味見してみたがなかなか美味しかった。私の知ってる混ぜ込みわかめじゃない。
「僕は燭台切光忠」
「はい?」
「青銅の燭台だって切れるんだよ。………はは、やっぱり格好つかないなあ」
「あっ、自己紹介」
南天と名乗っています、と言うとふうん、と光忠さんは頷いた。あからさまに偽名です、本名じゃないです、と示したが気にしないらしい。もしかして此処では偽名を使うのが当たり前なのだろうか。
 しかし、何故今名乗ったのだろう。さっきの三日月さんの態度と言い、江雪さんの要望と言い、あまり人間と上手く行っていない感がひしひしとするのだが。そこまで考えてふと思った。よく殺されないな私。
「光忠」
ボウルを水につけて自分の分のおにぎりに手を付けていると、ついさっき聞いた声がした。三日月さんである。ちょっとだけ身構えたが、さっきと格好が違う。どうやら刀は持っていないらしい。知り合い同士の話に割って入るほど無遠慮ではないので黙って米を咀嚼する。美味しい。混ぜ込みこんぶもあったので、今度使ってみよう。怒られなかったら、だけど。まあその光忠さんが怒っていないので、大丈夫だとは思うが。しかし米が旨い。
「それは人間だぞ」
「うん、分かってるよ。大丈夫だよ、三日月さん」
やっぱり何処か不穏だ。三日月さんはもう隠すつもりもない感じだが、光忠さんもなかなかに人間―――前任と何かあったような空気である。こんなに穏やかな表情をしているのに、人間でも人間でなくとも裏はあるということだろうか。
 そんなことより、どうして今このタイミングで三日月さんが出て来たのだろう。もしかして見張っていたのだろうか、と思って、あ、と思い至った。
「私たちって不審者か」
「だろうなあ。何せ突然現れたからな」
「なるほど、じゃあ三日月さんは監視ってことですね」
同意を求めるつもりはなかったがうっかり話し掛けてしまって思いっきり睨まれた。彼に怒られるかとも思ったが、私同様米の美味しさに魅了されたらしく三個目に突入していた。早い。
「…三日月さんも食べます?」
「要らん」
「そうですか。一応冷蔵庫に残り入れておくのでお腹すいたらどうぞ」
「要らないと言っている」
「光忠さんも良かったらどうぞ」
「ああ、僕は貰うよ」
「貰うんですね」
「その代わり、」
光忠さんはいい笑顔をしたまま言う。
「僕を刀解して欲しいな」
「…それは、既に江雪さんにお伺いしましたが、保留中です」
「あれ、そうなの。江雪くん行動が早いなあ。君ならやってくれると思ったのに」
「何にも知識ないですからね。流石に突然何かのスイッチ差し出されて、何かも分からないまま押すような強い心の持ち主じゃないですよ」
「意外だなあ」
「さらっと貶しましたよね、今」
特に気にしている訳ではないのでそのまま流す。おにぎりは二個食べた。三個目はいらない。
 三日月さんもこれ以上会話をするつもりはないようだった。会話をするつもりはないけれど、こちらの動向は確認しておきたいというやつなのか。まあ、どっちにしろ大人しくしているつもりではあったけれど。
「あ、そうだ。お風呂ってありますか?」
「風呂は向こうだ」
「ありがとうございます、三日月さん。探してみます」
「沸いているから好きに使え」
「タオルも使って良いからね。使い終わったら洗濯機に入れておけば、明日の朝には洗濯終わってるから」
「はい、分かりました」
何だそれ、と思ったが普通に返しておいた。今の言い方だと誰かが勝手にやってくれているという感じではなかった。
 疲れたしやることはないしで、そのままお風呂に向かうことにした。台所の様相から予想はしていたが、見たこともないほど広くて見たこともないほど最新式というかなんというか、此処に人間がいたら確実に堕落する気がする、と思った。中を一通り見た彼が見張っているから入ってこい、と言ってくれたのでお言葉に甘えてさっさと済ませることにした。
 とてもきれいなお風呂だったので、こんな状況じゃなければ楽しめたんだろうなあ、と思う。そこだけは悔やまれた。私はこれでも温泉とかが好きだ。洗濯機も、放り込んでおけば勝手に洗濯をしてくれるようだった。洗い終われば干して乾かしてくれるし、皺を伸ばすのもやってくれるらしい。何なんだ此処は。人間をだめにする場所か? いろいろ気になる点はあったが、気分が未だ間借りである以上、首を突っ込むべきことじゃあない。
 部屋に戻ると、彼は押入れから布団を出してくれた。そこまでしてくれなくても良いのに、と手伝おうとすると、君は君が思っている以上に疲れている、と言われる。なるほどそうかもしれない。予想外のことが立て続けに起こっているから麻痺しているだけで。
「俺は寝る必要はないから、安心して寝ろ」
「…私が枕変わると寝れないタイプだったらどうするの」
「君、そんなたまかい?」
彼が笑って、私は言い返せなかったので瞼を閉じる。
 そしてそのまま、夢も見ずに眠りに落ちた。



 朝はすっきりと目が覚めた。結構神経が太い方な自覚はあったが、ここまでとは。正直自分でもびっくりする。
「おはよう」
「おはよう、よく眠れたか」
「お陰様ですっきり」
眠らなくても大丈夫だと言ったのは嘘ではなかったようで、彼は辛そうな顔は一切していなかった。もしもこれが私に向けるためだけに作られた顔だったのなら、見抜けないとは思ったが。
「顔を洗って、朝ごはんにしようか」
「それが良いな」
 朝ごはんはちょうどいた光忠さんに使っていないお茶碗と箸を借りて、座って食べた。混ぜ込みこんぶも気になっていたが、それはまた機会があったらにしよう。それから昨日から寝泊まりしている部屋を散策すると、あれこれの書類と、あとはタブレットが出て来た。こういうタブレットは大体ロックが掛かっているものと思っていたがそういうことはなく、すんなり中身を見られた。
 中身は記録だった。審神者の仕事の記録、だろう。此処にいる刀剣男士とやらの一覧、ステータス、レベル。ゲームか? と思うくらいに簡素で分かりやすい画面だった。出陣、というボタンもあったが、そこはロックが掛かっていて押すことは出来ない。刀帳というのも見られた。どうやら刀剣男士というのは結構な数いるらしい。そして、手に入れるとこうして記録される、と。ますますゲームか? となる。刀帳とやらは結構埋まっているという印象だったが、それは私がポケモンの図鑑埋めを積極的にやらない人間だからかもしれない。彼は早々に興味を失くしたようで、刀帳の検分は私に任された。しかし、まあ、見事に顔が良いものしかいない。長いこと人間に愛されたものはこうなるのか。途中まで真剣に見ていたが段々全員同じ顔に見えてきたので所持リストの方へと切り替えた。三日美人とも言うし、此処までずらりと並ぶと感覚が麻痺するらしい。
 所持リストの方は刀帳に比べると大分少なく感じた。もしかして刀帳は出会った刀剣男士を勝手に登録してくれるものなのだろうか。先程これまたロックされていたが演練というボタンもあったし、彼もまた此処と同じような場所は幾つもあると言っていたから、他の審神者との演習と考えて良いだろう。と、そこまで考えて流石にそれはないか、と息を吐いた。
 追い出された前任、人間を何処か嫌っているらしい刀剣男士、刀解して欲しいとの要望。こりゃあ何かあるなあ、と思ったけれどもそもそも私が何があったのか知ることに意味はあるのだろうか? 完全に首を突っ込みに行ってないだろうか? 私は帰れるまで此処で少し間借りさせて貰えれば良いだけなのに、前任が追い出された理由を探ったり、あれこれ触ったり。これでは完全にその審神者とやらになりたい人のようではないか? 頭を抱えそうになるが、とりあえず所持リストの顔と名前は一致させた。これから顔を合わせるかもしれないのだ、顔を知らないより知っている方が幾らかマシだろう。何がマシなのか分からないが。
 これで大丈夫だ、と思って私が顔を上げると、見計らったかのように棚を弄っていた彼が戻ってきた。
「君、気は済んだかい?」
「気は済んだって…君が見ろと言ったようなものじゃないの」
「はは、バレたか」
笑って彼は何やら小さなものを手渡す。USBに似ているがそれにしてはひどく薄っぺらい。
「棚にあったぞ。審神者マニュアルだそうだ」
「別に審神者になりたい訳じゃあないんだけど」
それに何だろう、これは。端末の上でひらひらと動かしていると、認識されたのか端末の画面が変わった。よくよく見ると端末にもこのひらひらしたものを固定するためらしい箇所がある。場所は取らなそうだが、すぐに失くしてしまいそうだ。そんなことを思いながら一度外す。マニュアルとやらは今すぐに見なくて良い気がした。さっきも言った通り、審神者になりたい訳ではないのだ。
 彼の手が伸びてきて、まだ触れていなかった出陣記録のボタンに触れる。
「俺がいないと見られないのか?」
「…まあ、一人ではちょっと、ね」
何となく、予想が出来ていた。
 此処は閉鎖空間らしいのは何となく分かっていた。そこで行われる戦争ゲームのようなこと。募りすぎた不満。ぱっと浮かぶのは指揮が上手くなかったか、人間関係(以下略)が上手く行っていなかったか、その両方か。出陣した戦場の名前、進軍履歴、面子、そして続く中傷、重傷、破壊、の文字。
「…破壊って、そのままの意味? ポケモンで言うひんし、じゃなくて?」
「そのままの意味だろうな。ロストだ」
「ロスト…」
そのまま手入れとやらの履歴もさらってみたが、出陣記録と日が離れて手入れされているものが多すぎる。ため息を吐く。
「ロストかあ…」
 私に出来ることは何もなかった。
 だからだろう、彼は気にするなよ、とだけ呟いた。



 記録ばかり見ていたら昼になっていた。そろそろ昼食を作りに行こう、と部屋を出る。昨日はおにぎり、今朝はちりめんじゃこで済ませてしまったので、そろそろ何かおかずものが食べたかった。とは言えあまり手の込んだことはやりたくないので、野菜炒めでも出来たら良いと思う。創味シャンタンはなさそうだが多分代わりになるものはあるだろうし、混ぜ込みわかめの件もあるので私の知っている調味料より美味しくなっているかもしれない。
「肉ってあるのかな」
「昨日冷蔵庫覗いたらあったぜ」
「使っていいかなあ」
「光忠に聞けば良いだろうさ」
「いるかな」
「いるんじゃないか? 今あいつらは暇みたいだし、光忠は台所で何かしてる方が気が紛れるとも言っていたし」
「あ、それもそうだね」
「アンタが昨日から来たっていう人間かあ。出歩いてて大丈夫なのか?」
「!?」
うっかり声を上げそうになった。慌てて彼の方を見るとあくびをしていたので、気付いていて放っておいたのだろう。私は一応一般人であるのに、ひどい扱いである。
 どどどど、と煩い心臓を抑えつつ改めて声を掛けてきたものを見ると、なるほどさっきのリストで見た顔だった。名前は御手杵。種類は槍だったはずだ。昨日出て来た三日月さんのような分かりやすい殺気は感じられないが、光忠さんのような例もある。安心して良い訳ではない気がする。あー…と彼は困ったような顔を見せる。
「悪いなあ、人間はこういうのに慣れてねえって忘れちまうんだよなあ」
こういうの、とは。
 聞きたいような聞きたくないようなだったのでそのまま流すことにした。好奇心に殺されに行く理由はない。けれども何となくいい人―――のような気がした。安心は出来ないが。これから台所に昼食を作りに行くが、一緒に来るかと聞いてみた。とは言え光忠さんがああやって気を紛らわせるのに料理をしているのなら、彼が作ったものの方が良いかもしれない。何となく光忠さんは料理が上手そうだったし。
 そんな予想を裏切って、御手杵さんはもう食べたから大丈夫だ、と言った。
「知ってるかもしれないけど、食器は食洗機に入れれば良いからな」
「あ、はい。光忠さんがしているのを見ました。ありがとうございます」
どうやら親切らしい。一歩踏み込んでみても大丈夫だろうか、と彼の方を一度確認してから、御手杵さんを見上げる。
「一つ、聞いても良いでしょうか」
「なんだあ?」
「これは好奇心なので答えなくても良いんですけど、前任の審神者は、貴方にとってどんな人でした?」
「ううーん」
御手杵さんは頬をかりかりと掻いて見せた。やはり、なかなか普通そうなお兄さんである。
「あんまり、思い出したくねえなあ」
「そうですか。立ち入ったことを聞いてしまってすみません」
「いや、別に。気になるのも分からなくはないから」
そう言って御手杵さんは台所とは逆方向へと消えていった。
 あまり、思い出したくはない。
 その言葉を、私は噛み締めておくことにした。



 創味シャンタンはなかったが代わりの調味料があったので軽い野菜炒めを作って、冷蔵庫にあった肉を分けてもらい、更には光忠さんの作ったスープも分けて貰ったので結構昼食はボリュームがあった。彼はたくさん食べられることに喜んでいたが、光忠さんは微妙な表情をしていた。
「君、僕が毒でも仕込んでいたらどうするつもりだったの」
そういえばそうだった、と思い出す。初日の三日月さん然り、どうやら人間を大きな括りとして嫌っているものが多いところだった。私の表情に私がそんなことを考えていなかったことを察したのだろう、光忠さんはすぐに死にそう、と感想を漏らしてくれた。多分今のは完全に漏れ出たものだろうが、特にツッコミはしない。
 光忠さんには私が無防備に見えるだろうし、私だってそんな気がしてる。私がどれだけ気を張ってもなるようにしかならないし、転んで瞬間移動した時に真面なツッコミとはさよならバイバイしたのだ。だって瞬間移動だったし。
 此処の食事情は気になったが、まあ料理出来るのが光忠さんだけではないだろう、と放っておくことにする。私は事故で此処にやってきただけなのだ。明らかに面倒事が目の前に転がっているところに、飛び込んでいくお人好しではない。自分たちの分と、とりあえず光忠さんに聞くだけ聞いて(もう食べ終わっていたらしい)(もしかしたら御手杵さんと一緒に食べたのかもしれない)昼食にする。そういえば今日はまだ三日月さんを見ていないな、と思った。でも聞くのも違うだろう。三日月さんは三日月さんで私たちという不審者を監視しているはずなのだから。
 そんなことを考えながら昼食は終わった。光忠さんから中庭の景色が良いのだと教えて貰ったので、部屋に戻らずに中庭に行くことにした。
 此処はとても静かだ。所持リストによればそれでも大体三十体(数え方は体で良いのだろうか?)の刀剣男士がいるはずだったが、誰にも会わない。いや、会ってもどうしようもないのだから、このまま会わない方向で行きたい。
「…桜だ」
「ああ、桜だな」
美しかった、とても美しかった。全部がどうでも良くなるくらいに。ふわふわと、私が私でなくなるような。
「った、」
腕に痛みが走って、振り向けば彼が真面目な顔をしていた。
「桜は境界線を曖昧にするからな」
その言葉には数度瞬きをして、そう、と返した。
「そういうものなんだ」
「そういうものさ」
 手はもう離されている。
「あいつらは主有りきの存在なんだろう。それを、今は君がうっかり収まって―――いる訳でもなさそうだが。不安定なんだろうぜ。だから、景趣を桜にして安定をはかっているんだろうさ」
「ふうん」
彼の言葉に、私は思い出していた。昔、延々と続く桜並木に迷い込んだこと。あの時も、そうだった。痛いくらいの力で一瞬、腕を掴まれて、振り返ったらもう元の道に戻っていた。桜が咲くはずもない、夏の話である。何が何だか分からずにいた私を近所の人が見つけて、ようやく家に帰れた、まだ本当に小さかった頃の話。腕には痣なども残っていなかったし、そもそも夏に桜が満開になるはずもないので、全部夢だったと言われてそういうものなのかと思っていた。
 あの時もそうじゃなかったのかもしれない、そんなことを考えていると、ふと彼が顔を上げた。
「なんか騒がしくないか」
「………無視してたんだけどなあ!」



 騒ぎの方へと向かうと、三日月さんと誰かが門を挟んで向き合っていた。
「断る」
「その断るを断る」
 ギャグだろうか。
 思わず踵を返しそうになったのを彼が止めた。行け、と目で言われる。そもそも彼のけしかけで此処まで来たのだった。私がこのまま回れ右をする方法はないのだろうか。なさそうだ。
「監視案件の本丸の中の生体認証はこっちで見られるんだよ」
「ならば人間が来たのも分かっておろう?」
「だから来たんだよ! オレが来るの明後日の予定だったのになあ!」
おかげで徹夜だ! という男の顔は確かに寝ていなさそうだった。この顔は一回の徹夜どころじゃない気がする。大丈夫なのだろうか。
「政府の人間ならもう来た。これ以上人間を入れるつもりはない」
「だから、そんなのは聞いてないってんだろ!」
「寄越したのはお前たちだろう。あの贄を」
「そんな人非人みたいなことすっか!!」
今政府と聞こえた気がした。聞き間違いだと思いたいが逃げる訳にもいかない。彼が服の裾を掴んでいるので逃げるに逃げられない。
「あの、」
仕方がないので、私は思い切って声を上げる。ええい、ままよ。
「人間は大人しく部屋に篭っておれ」
「あっ、どうもー。歴史修正主義者対策本部審神者相談窓口、通称・相談課の職員です」
「政府の狗はとくと去ね」
「あの…とりあえず、話だけでも聞きたいのですが」
「そうして政府の狗と結託する気か。呪術の使い方でも教わるか?」
「あのな? 三日月宗近。お前が言ってるのって巷で噂の乗っ取り系のアレだと思うんだけど、オレはアレを取り締まるために睡眠削ってる方の人間だからな? その発言は喧嘩売ってんだと見做すぞ」
やっぱり政府と言っている。こんな付喪神なんてものを集めて何をしているのだかよく分からないのだが、政府が関わっている時点でもうなんだか完全にまずいことに頭を突っ込んだ気しかしない。いや、まずいことだと分かっていても後戻りが出来なかったのだから仕方ない。止まっているのは性に合わないのだ。
 睨み合う二人のところまで寄っていく。
「あの…では、三日月さんも一緒にどうですか」
言ってからこれ完全に飛んで火に入るなんとやらだと思ったがもうあとには引けない。彼は彼で笑いを堪えているのが見える。こうなるのが分かっていて行かせたな、とも。とは言えこの行動を選択したのは私なのでとやかく言えない。あとで一発殴っても許されそうだが。
「私も聞きたいことがたくさんあります。兎にも角にも、私は知らないことが多すぎるし、貴方たちと歩み寄りないしは何処か妥協点を見つけたいと思っています。政府の役人さんだと言うのなら私の質問には答えられるでしょうし、その辺りの話し合いも出来ると思います。貴方たちがこれ以上人間がこの本丸にいることを望まないのであれば、私が何もかも出来るようにならなくてはなりません。そうでなくては私が此処に留まる意味がなくなります」
「…俺は、それならば別に構わん。だが政府の狗が納得するか」
「だから喧嘩売ってんのか三日月宗近。オレはそもそも刀剣男士に聞かれて困るような話は最初からしねえよ」
面倒だったのでじゃあ合意ということで、と言って踵を返した。
 今にも抜刀しそうな三日月さんとそれに対抗しそうな(出来そうな)役人さんは睨み合いながら着いてきた。



 そうして客間に通していの一番に、役人さんは頭を下げた。
「何やら手違いがあったようで申し訳ありません」
蓬莱柿と申します、と言った彼は先程までの態度が嘘のようだった。
「すぐに上に報告して手違いを正しますので、審神者名を教えてください」
「さにわめい…? あ、えっと、此処で名乗ってるのは南天です」
「南天様ですね。というか待ってください、今聞き違いでなければ審神者名がなんだか分からないように聞こえたのですが」
「あ、ええ。というか昨日からさにわさにわと言われているんですが正直それもよく分からないです」
蓬莱柿さんが絶句した。そんなに驚くようなことだったのだろうか。
「………あの、一応聞きますが、えっと…。此処にはどうやって来ました?」
「信じて貰えないかもしれないんですが、転んで一瞬の痛みに目を瞑った瞬間に移動していました」
「………マジで言ってます?」
「マジで言ってます」
どういうことだよ、と蓬莱柿さんが言うがこちらもどういうことだよ、なのでそれ以上の説明は出来ない。
 ショックから立ち直った蓬莱柿さんの話をまとめる。まず、今は二二〇五年らしい。この時点で既に意味が分からない。私が生活していたのは二〇一六年だったはずなのだがタイムトリップでもしたのだろうか。訳が分からない。どうやら此処は前任を追い出してから、刀剣男士たちがもう審神者は要らないとそう言って人間を拒絶していたらしく、とりあえず一週間の猶予を与えてそれまでに今後を考えておくように、とされていたらしい。だからまず言われたのが刀解についてだったのだろう、なるほど人間なら誰でも良い訳ではなく、少しズレてもやってきた人間だからそういうことをするものだと思われていたのか。江雪さんには少し悪いことをした気がする。
「…なんだか、すみません」
事故とは言え私が途中で変に出現してしまった所為で、此処の状況をよりややこしくしてしまった気がする。君が謝ることじゃないさ、と彼は言うし確かにそれはそうなのだけれども(だって不可抗力だ)、だからと言って此処で謝らないのも違う気がする。
「いえ、こちらこそ、本当はオレが来る案件でしたのに申し訳ありません」
「この小娘を寄越したのはお前たち人間だろう」
「だから違えって言ってんだろ」
 この二人は相性が悪いのだろうか、三日月さんがどうしても人間が気に食わないのと、蓬莱柿さんが逆方向なのが奇跡的に噛み合っているのだろうか。蓬莱柿さんも、何だか刀剣男士があまり好きではないようだし。とは言え目の前であれこれやり合われるのは落ち着かないので咳払いをする。
「ちなみに、蓬莱柿さんが普通に此処に派遣されていたらどうされたんですか」
「そうですねえ…。やり方なんてその時々ですが三日月宗近の態度から鑑みるに…とりあえず全員と戦ってからもう一回手入れ部屋にぶち込んで、それから話し合いまで持っていくルートが妥当ですかね…? 普通に話し合いだけ出来ればそれに越したことはないんですが」
なるほどこの人、お人好しそうな顔をしてバリバリの蛮族だ。
 手入れというのもさっきタブレットで見ていたので突っ込まないことにした。出陣というワードで既に不穏なのだ。関わらないでおきたい。…今、は。正直完全に頭を突っ込んだと思うので逃げていられるのも時間の問題な気がする。諦めが肝心だとも言うが、腹をくくる時間も欲しい。
 ので、そのまま話を逸らすことにした。
「こういった本丸の扱いは通例ではどうなっているんですか」
「…南天様はどの辺りまで話を聞いていますか?」
「前任のその審神者が、彼らに非道いことをしたのだということくらいしか。内容は聞いていません」
「それが正解ですね」
あまり貴方のような年齢の方が聞くような話ではない、と蓬莱柿さんは目を細めた。実際には内容については話を聞いたどころか、こっちで勝手にタブレットやら何やらをいじり、推測しているものでしかないのだが。蓬莱柿さんの反応を見る限りきっとデータに出る以上のことがあったのだろう。
 破壊、の文字が未だ目に焼き付いている。
 彼らが人間ではないのだと言われても、人間の目にそれは死というように映るのではないだろうか。それを、常時モニタリング出来る状態で見ていて、目の当たりにする。想像しただけでも、重い。
「………私に、刀解処分を求めてくるものもいます。私は、そういうことはまったく分からないので断りましたが、このまま断り続けても良いものでしょうか」
「それは、」
一瞬躊躇ったようだった。
「…刀解のことはどれくらい理解していますか」
「その刀剣そのものが、失くなることだと」
「そうですね、大まかにそれで合っています。人間で言えば死としか言えないところが難点なのですが、破壊によってのそれとは違って穏やかに戻ることが出来ます。勿論破壊がすべて悪だとは言いません。最後まで戦場に在ることが出来たということを誇って逝った彼らのこともオレは知っていますから。…オレたちはそれを本霊に戻る行為と好意的に解釈していますが、まあ人それぞれです。オレは刀解処分を申し出られたらとりあえず話をしてみます。そうして、本当に刀解が望ましいと思った刀剣男士は望みどおりに刀解をします。まだ考える余地があるのでは、と思った場合はその旨を伝えてもう一度考え直してもらいます。勿論その場合はアフターケアもします。上層部の一部はレアリティの高い刀剣男士は刀解などもってのほかなんて馬鹿なことを言いますが、オレは刀剣男士自身が納得の上刀解を希望しているのならば叶えます」
「レアリティがあるんですか」
「お、知らないんですね? よし、それは知らないままで行きましょう。レアリティなんてない!!」
「はあ…」
「いやこれが本当に、最近レアリティに目がくらんだ人間のあれこれ行動が目に余ることが多くて…現時点では知らないままでいて欲しいのが本音です。勿論南天様が審神者になるのでありましたら必要な知識でしょうし、こちらで講習も組みますが」
そこまで聞いてあれっと思った。これは完全に巻き込まれる方向に話が行ってないか? 私は出来たら蓬莱柿さんからのそんなことはしなくて良いです、だとかそういう言葉を期待していたのだが、猫の手も借りたい状態なのだろうか。不安すぎる。
 それに。
 違和感というにはそれはあまりにやわらかい。
「どうしてそんなに優しくしてくれるんですか」
「優しいんじゃなくて仕事だからね!? 君を放置しておくと仕事が増えるんだからね!?」
「いえ、違うでしょう」
口調を崩してまで否定してくれたが、違うと断言出来た。これでも人を見る目はある方だと思う。
 彼は何も言わない。興味ないとばかりにお手玉を始めている。待て、それは何処から出した。
「………やめてくれ」
少し黙ってから、蓬莱柿さんは絞り出した。そんなに顔に出ていたのか、と言いたげに口をへの字にしている。年上の男性に可愛いなんて形容詞を思うことがあるとは思わなかった。
「君と同じ年頃の妹がいるんだ」
「…それは、まあ…」
年の離れた兄妹だ。だから余計に妹さんが可愛いのだろうか。ああもう、それは今は関係ないですから、と蓬莱柿さんは強引に話を戻す。
「まあ、当初オレが想定していたよりも事態はマシそうで安心しました。貴方が殺されるようなことはなさそうだ」
「………やっぱり、殺されるような環境なんですか」
「じゃなきゃここまで必死に貴方を止めたりしないでしょうね」
でも思っていたより状況は悪くない、と蓬莱柿さんは言う。
「当面生命の保証はされそうですし、気楽に考えてください」
「人間め、俺たちが刀剣男士であることを忘れているのか?」
「忘れたくても忘れられねえなあ、それは。目の前に芋虫出されてこれはきゅうりですって言われるくらい無理がある」
どうして息をするように喧嘩を売るのだろう。三日月さんのこめかみに青筋が立ったのが見えた。慌ててあー! あー!! と声を上げる。どうして私がこんな仲裁じみたことをやらなければいけないんだ。こういうのは向いていないというのに。最早逆に私を和ませるためにやってくれている気さえしてきた。絶対にそんなことはないが。
「言いたいことは幾つかありましたが、そちらの彼が大体は把握してくれていそうです」
だからオレが言うことはとりあえず今はありません、と蓬莱柿さんは締めくくって、それを見ていた三日月さんがはんっと鼻を鳴らした。詰まらない、と言いたげな顔に蓬莱柿さんが妙に煽るような表情を返して、私は何度目か分からない声を上げる羽目になった。
 とりあえず初回の話が終わったところで(次回があるかどうか分からないが)、何やら機械に手を翳して欲しいと言ってきた。生体反応を記録して、持ち帰って照らし合わせるらしい。此処が私の住んでいた世界の未来だとしても、過去の人間まで探すことは可能なのか。聞いたら負けな気がする。何も聞かずに手を差し出して、小さな機械が何か記録していくのに任せる。というか生体反応を記録して、って何なんだろう、本当に未来なのか。

 帰り際。
「君は俺に冷たいな」
彼が気にした様子もなくそう言えば、蓬莱柿さんは笑って応えた。
 「オレは神様なんて嫌いなんだよ」



 蓬莱柿さんはいろいろなことをしてくれた。まずこの屋敷―――本丸の名義を、仮名義としてだが私の名義にしてくれたことだ。これでとりあえず、此処の衣食住については困らない。どうやら刀解も本来は契約した人間しか出来ないらしく、私は安請け合いしなかったことに今更ながらほっとしていた。
 とは言え、事故で来たこともある。蓬莱柿さんは蓬莱柿さんでそういった事例がないか調べると言ってくれたし、私がこのまま審神者とやらになるかどうか(ならないといけないかどうか)も持ち帰って審議ということになるらしい。既に此処の刀剣男士が条件付きとは言えども人間を受け入れている(どうやら強制排除に乗り出さない、イコール、受け入れたになるらしい)(ハードルが高いのか低いのか)ことで、恐らく暫くは此処で生活することになるだろう、と言っていた。こちらとしてもまあ、衣食住の確保は大切なので頷いておいた。詳しいことは書面で起こしてサインという形式らしいので、とりあえず騙されているなんてことは―――いや一応警戒しておくべきなのだろうけれど。
 仮名義で出来ないことは幾つかあるらしいが、進退の決まらない今、通販だけでも使えれば困ることはない。着替えが完全にゼロだったのでそれは本心で嬉しかった。お金はどうしたら良いのだろう、と聞いてみたが、いい笑顔でどうにかしますと言われてしまえば触れない方が良いのだろうと思う。またいろいろ進退が決まったら教えてくれるかもしれないし、何はともあれ目の前のことだ。
「まさか刀解処分とかいう重要案件を任されるとは…」
「体よく使われてるなあ」
彼は笑うが交換条件、として出されたので仕方ない。恐らくだけれど、蓬莱柿さんには此処から私を引っ張り出すことが可能だったのではないだろうか。強そうだったし。何処にでもチートじみた人間はいるものだ。でもそれをせずに、私を此処に残した。彼の言った通り、体よく使うためもあるだろうが、それなら蓬莱柿さんがちゃきちゃき面接をして決めた方が良い気がする。もしかしたら私が此処から出るとまた違った面倒事があるのかもしれない、とぼんやり思った。が、まあ、既に贄なんて言われているのだ。それ以上に困ったことなどない気がする。
 と、そう言えばまだ聞いていなかったことを思い出した。三日月さんが傍にいたら教えてくれなさそうだと思ったので、頭の隅に留めておいた質問。
「蓬莱柿さんが言ってたこと、って?」
「うん? ああ、俺が把握していること、か」
どうやら忘れていたらしい。
「三日月はこの本丸の所謂ボスって奴じゃあないってことだろうなあ」
「えっ」
 思わず声が出た。
「違うの? だって昨日も一番最初に出て来たじゃん。というか刀向けてきたっていうかこう…アレだったじゃん」
「ああ。多分、あれは演技だ」
演技。フリーズする。演技で私は刀を向けられたのか。これでも怖かったんだぞ、という気持ちになるのも仕方ない。
「ボスは別にいるだろうな。それこそ君にまだ接触を図っていない面子だろう」
接触を図っていないも、そもそも三日月さん以外で接触したのは江雪さんと光忠さんと御手杵さんくらいで。誰がいるというのはデータとしては把握したし頭に叩き込んだが、会いに行く理由もない。そもそも姿を見せないのだ、三日月さんに一任しておけば安泰だとでも思っているのではないだろうか。
 このまま接触せずにいけますように、というのは面倒なことにならずに家に帰れますように、という願いと同等だった。私は何も出来ないに等しい。彼の言う通り土壇場のツキは持っているのかもしれなかったが、それは私の力じゃあない。
「怖いか?」
しん、と流れた沈黙に彼が言葉を乗せる。
「怖いよ」
 マニュアルの刀解のところはまだ開けなかった。
 蓬莱柿さんの言葉もあることだし、破壊も刀解も悪いものである訳ではないだろう、けれども生まれてこの方不思議に巻き込まれたことはあっても不穏に巻き込まれたことはなかったのだ。そんな私にとって、死としか言えないものを自分の手で下すなんてことはあまりに恐ろしい。
 けれどもきっと現実は待ってはくれないのだ。廊下が軋む音がする。部屋の外で、誰かが屈んでいる。審神者様、と細い声を私はもう知っていた。



 「江雪左文字です」
「お、お久しぶりです…」
お久しぶりも何も、昨日ぶりである。
「貴方に、刀解処分の決定が一任されたと聞いたので」
「三日月さん、ちゃんとほうれんそうしてるんですね…」
「ほうれんそう…?
「報告連絡相談です」
現実は待ってはくれない。私はまだ腹をくくってもいない。
「………ひどいことを聞くようですが、何故、ですか」
蓬莱柿さんはちゃんと話を聞くと言った。話を聞いて、それで決める、と。けれども蓬莱柿さんは私が前任の仕打ちを詳しく聞いていないことにほっとしていたし、そもそも私には話を聞いて引き止められそうなものだったとしても、適切なフォローを入れることが出来ない。ならば聞かない方が良い、それは分かっているのに。
 これは好奇心ではなかった。どちらかと言えば、死なばもろとも、という方が近かったのかもしれない。これから関わらなくてはいけなくなる、それへ対する覚悟をするのに、腹をくくるのに、一番最初に飛び込んできた江雪さんを巻き込もうとしているのだ。
「刀剣男士にとっての刀解が、どういうものなのか私には分からないんです。人間にとっては死としか言いようがないと聞きました。でも、貴方の様子を見る限り違うような気がします」
全うな言葉を、使って。
 江雪さんは私の言葉の端々に嘘を感じていたようだったが、それでも頷いて話してくれた。
「分祀、という概念を知っていますか」
「ぼんやりと、は。同じ神様をいろんなところで祀っている、あれですよね」
「はい。私たちは所謂分霊という方であって、現実に刀剣としてある江雪左文字、所謂本霊が私たちすべての源となっております。基本的には破壊でも刀解でも―――そうですね、私たちにそれがあるとは分かりませんが、魂…のようなものが、本霊へと還るのだと、思っています。勿論、そこまで考えていないものもいるでしょうが、少なくとも私はそう考えています」
「たましいが、かえる」
「はい」
江雪さんは続ける。
 やさしいものだとは思いませんか、と。
「主は―――いえ、前任と呼びましょう。前任は、人間の男でした」
「あ、男性だったんですか」
「はい。経緯は省きますが、徐々に彼は変わって行き、私たちに性行為を強いるようになりました。ゆかりのある刀剣を…そうですね、所謂人質にとって。破壊されたくなければ、と彼は言いました。私たちは彼がどうしてそんなことをするのか分からなかった。それが始まり…だったのかは今はもう分かりませんが、いずれにせよ彼は壊れ続け、進軍で失敗を連続し、あまりにもそれが目に余ったため政府の方から監察が入る―――その前夜に、三日月殿を始めとした一部の刀剣が、彼に退任を迫ったのです」
 げえ。
 というのが素直な感想だった。よくその前任は殺されなかったな、と蓬莱柿さんに相対ししていた三日月さんの態度を思い出して思う。もしかしたら殺したのかもしれなかったが、彼らの場合、殺したのならば殺したと言いそうだ。なら、退任を迫った、追い出した、というのは嘘ではないのだろう。五体満足かまでは私の知るべきを越えていると思うので、それ以上は聞かないが。話してくれてありがとうございます、と言うといいえ、これくらい、と江雪さんは言う。
 刀剣男士にとって刀解とは、言葉のイメージとしては昇華、とかそういうものなのかもしれなかった。少なくとも、江雪さんにとっては。
「これは答えなくても良いんですが」
「はい」
「前任を恨んでいますか?」
「さあ、どうでしょうね。今はただ、哀れに思います」
―――哀れ。
 そう言われてしまった前任に抱いたのが同情だなんて、きっと気の所為だ。
「分かりました」
私の言葉に彼は午前中に見つけたマニュアルを出して来た。そこに刀解の手順も載っているのだろう。
 開いた画面には何を知りたいのか、という文字が浮かび、刀解、と言えばその手順が示された。Siriのようだ。江雪さんが本体であろう刀剣を差し出す。刀解の手順はとても簡単だった。本体に触れて、名前を呼んで、刀解、と言うだけ。それだけで一つの儀式らしかった。
「別れ、とかは」
「済ませてあります」
江雪さんは静かに言った。そもそも、私が兄と名乗って良いのかも分かりませんが、と続いたのを聞いてその手を取る。
「それ、本当に済ませたって言えるんですか」
ぎゅ、と力が篭っただろうに江雪さんは振り払わなかった。
「刀解を拒否するつもりはありません。でも、そんな状態で刀解とやらを出来るほど、私は…ッ! 私は!!」
 ぐい、と服の裾を後ろから引っ張らてはっとする。
「おい君、そんなに声を荒げるもんじゃないぜ。江雪が驚いてるじゃないか」
「…っ、ごめ、んなさい」
「いえ…」
今度は江雪さんが分かりました、と呟いた。
「兄弟ともう一度、話をしてきます。その後で、どうか、刀解をしてくださいね」
「…分かりました」
江雪さんは本体である刀剣を置いたまま、部屋を出て行った。
「さよならが言えなかったやつでもいるのか」
「…いないよ」
私は前を向いて、江雪さんを待つ。
 「そんなこと、一度も」



 暫くして部屋に戻ってきた江雪さんは、青い少年とやたら棘のある美人を引き連れていた。何故増えた。
「江雪兄様から話は聞きました」
「兄の要望を受け入れてくださって、どうもありがとうございます」
それぞれ小夜左文字です、宗三左文字です、と名乗った彼らは江雪さんの兄弟刀に当たるらしい。横にいた彼に目線を投げると、どうやら刀派…作った集団やら何やらが同じであれば、兄弟と看做されるようで。なるほど分かりやすい定義付けをする。もしかしてこれは作った人同士が仲悪かったりすると、それがそのまま刀剣男士たちの関係にも影響するのだろうか。
 小夜くんと宗三さんは、特に刀解して欲しい訳ではないようだった。ただ、江雪さんが最後に話をしに来たため、その証明としてやってきたらしい。面倒を掛けてしまった、と思うが謝ることはしない。
「貴方は全員にこんな対応をするつもりですか」
「こんな対応、とは」
「理由を聞いたり、別れを促したり」
「…正直、江雪さんに話を聞けたのでこれ以上突っ込んで聞きたいとは思いません。聞いていて楽しい内容ではないですし」
「それもそうですね」
「ですから今後は軽い聞き取りというかこう、形式くらいにしていけたらと思っています。江雪さんには申し訳ないですが、第一号だったということで」
「まるで実験台ですねえ」
宗三さんの言葉に上手い返しが思いつかなかった。
「その通りです」
だから素直に言う。後ろで彼がぶふっとふき出したのが聞こえたが、どうせ分かっていてその想像通りになったから笑っているのだ。気にしない。というかこんな空気の中よく笑えるな、と呆れ半分感心半分。
「江雪さんだからとかそういう訳ではなく、ただ単に江雪さんが一番最初だったから、いろいろと聞きました。今後は流石にもう突っ込んだことは聞きたくないです。私の精神安寧のためにも」
「…貴方は、なんとなく察しがついていたのではないですか。私に話を聞くより先に」
「それは…」
別に、察しがついていたというほどのものではない。閉鎖空間らしい場所、開いた口が塞がらないほどの美形揃い、それがどういう仕組みかは知らないが、主従関係のように見える審神者と刀剣男士の関係。あからさまなただ力に頼っただけの暴力であれば、きっと蓬莱柿さんはあんなふうな言い方をしなかったと思った、それだけだ。
「…二世紀経っても人間は変わらないのだと、思いたくなかったからかもしれません」
悲しいニュースは何度も聞いた。その全てが他人事だった。
「そうですか」
「はい」
「貴方のいた時代のことは知りませんが、恐らく人間はそう簡単に変わる生き物ではないのでしょう」
「心に留めておきます」
 話は終わりだった。江雪さんが頷く。宗三さんも、小夜くんも、黙って私を見ている。心を込めて、名前を呼んで、本体である刀剣に手を翳す。
―――どうかこれが還るための旅であるのなら、
―――それが穏やかなものであるように。

 江雪左文字、刀解。



 江雪さんを刀解したあと、私の手の中には幾らかの資源が残った。刀解とはそういうものらしい。この資源とやらも限りがあるようで、宗三さんと小夜くんに聞いてみると資源庫があるのだと言う。あとで入れておきます、という宗三さんに資源を渡すと気が抜けそうになった。まだ宗三さんも小夜くんもいるのだ、と気を取り直す。
 じゃあ僕たちはこれで、と部屋を宗三さんが部屋を出ようとする傍ら、小夜くんはこちらを見上げてきた。
「貴方はこの本丸の主になるの?」
「お小夜」
窘めるように宗三さんが小夜くんを呼ぶが、私は答える。
「…どう、でしょう。まだよく分かりません。此処に来たのも事故ですし、審神者というのも此処へ来てから知りましたし、いろいろ結論を出すには時間も短いですし」
彼は戻れないとは言わなかった、蓬莱柿さんもまた、このまま審神者になるしかないとは言わなかった。私はこれでも穏健派なのだ。少しの希望でもあるのならば捨てずにおきたい。
「…そう」
そもそも政府なんて呼ばれるものが刀剣の付喪神なんて集めている二二〇〇年代、という一文だけでもパワーがありすぎる。何なんだ、戦争でもやっているのか。
「貴方は主になるとは言わないんだね」
「と、言うと?」
「前の審神者を追い出した後、政府の役人が来たんだ」
「役人というと、蓬莱柿さん?」
「今日の人じゃあなかったよ。女の人だった。その人はとりあえずの手入れとか、人間にしか出来ない調整をやってすぐ帰ったんだけど…僕たちを見て、可哀想に、って言ったんだ」
「かわいそう」
私は繰り返す。
「それから、私が貴方たちの主になれたら良かったのに≠ニも」
 その人はなれなかったのだろうか。
「貴方はそういうことを言わなかった」
「それは…」
一瞬たじろいだ。それは事実だ。
 でも、小夜くんだって刀剣男士なのだ。子供の形はしていても、きっと私なんかよりもずっとしっかり考えているはずだ。だから、私は息を吸う。
「それは、私が、いっぱいいっぱいだったからですよ」
小夜くんは素直に疑問を顔に出した。その様子が年相応に見えて、一瞬すべて忘れて可愛らしいなあ、と思った。いやいや今はそんなことを言っている場合じゃない、と持ち直す。
「私だって、その役人さんと同じくらいの知識を持っていて、同じような境遇で此処へやってきたら、そう言ったかもしれません」
「そうなの?」
「そういうものですよ。立場、境遇、タイミング、いろいろと変われば出て来る言葉も変わったりするものです。本当に筋の通った人くらいじゃないでしょうか、どんな状況でも同じことが言える、というのは」
小夜くんはあからさまに気落ちした表情をしてみせて、私はなんとなく居心地が悪くなったがこのまま勘違いさせたままでおくのも違うと思った。ええい、そもそも付喪神というのならば姿は子供でも精神年齢は私のウン十倍はあるはずだ、と自分を鼓舞する。
 宗三さんはすみませんね、と頭を下げて出て行った。見送る。
「頑張ったな」
彼がぽん、と頭を撫でてきて、それで一気に気が抜けてしまった。すとん、とその場に崩れ落ちる。
「き、んちょう、した」
「ああ。よく頑張った」
「あれで良かった?」
「江雪は苦しそうに見えたか? 宗三や小夜は?」
「…私には、そうは見えなかった」
でもそれは、私が刀解を行う側だからかもしれない。
 見たくないものを見ないようにして、そればかり。
「俺にもそう見えたさ」
だから宗三も小夜も、静かに帰っていったんじゃないか、と彼は落ち着いた声で繰り返す。大丈夫だ、君は頑張った、出来ることを、任されたことをちゃんとした―――こんなふうに褒められるのは、久しぶりだった気がする。泣きそうになったが、泣いている場合じゃあない。
 私が落ち着いたのを見計らって、彼は思っていた以上の収穫もあったさ、と言った。
「収穫?」
「宗三がこっちに来たことさ。正直予想外だった」
「…ちなみにどんな刀剣なの?」
「天下取りの刀と言われていたかな。織田信長が今川から勝ち取ったところから始まって天下人を渡り歩いてきた刀だ。正直、人間を見る目は肥えているんじゃないか?」
「うわ。責任重大じゃないのそれ」
「最初から君は責任重大さ」
彼はそうは言うくせに、弱音を吐けなどとそういうことは言わなかった。吐くつもりもなかったけれど、言われないのは安心する。
「今は負け戦と見ていないから来たのもあるんだろうな。まあ、これに勝ち負けがある訳でもないんだが…。恐らく、君が自分たちにとって不利益な行動をとれば、すぐにでも小夜を折って君を斬るだろうさ」
「…物騒だなあ」
「刀なんてみな物騒だ」
そもそも人を斬るための道具なんだぜ、と言われればそれもそうか、としか言えない。
「まあ、小夜トラップも越えたことだし、とりあえず当分は安泰なんじゃないか?」
「トラップ…? ってもしかしてさっきのは私を試すため?」
「小夜がそう思ったのは本当だろうが、わざわざ言わせたのは宗三の考えだろうなあ」
そもそも小夜はそう感情を露わにするタイプではないんじゃないか? と彼は言った。なんてことだ、私はまた刀剣男士の演技に乗せられたというのか。いやでも小夜くんが小首を傾げるのとかは可愛らしかったし、三日月さんのような実害じみたものがあるわけではないから良いのでは…? となるのは最早此処に毒されている気がする。
 今日はもう休もうか、と彼は言った。
「でも、まだ夕飯も、お風呂も…」
「君は君が思っている以上に疲れてると思うぜ? 君が夕飯も風呂もサボったところで誰も怒らないさ」
「…三日月さんとか、不審に思わないかな?」
「三日月が何か言ってきたら俺が追い払っておくさ」
「それはそれで、心配だなあ」
布団を敷かれてぐいぐいと押し込まれてしまえば無理に抵抗するのも馬鹿らしくなってしまった。買った服はすぐさま届いたので着替えは済ませているし、まあ明日の朝にシャワーでもすれば良い。食事だって、一回抜いたくらいで死にはしない。
 彼の言った通り疲れていたのか、私はそのまま眠りに落ちた。



 それからしばらく刀剣男士と会うことはなかった。台所に行っても前のように光忠さんに会うこともなく、避けられているんだろうなあ、と思った。江雪さんを刀解したのが全員に伝わったのかもしれない。別に、言われたから刀解しただけなんだけどなあ、と思いながら彼と二人、混ぜ込みこんぶを作って静かに咀嚼する。彼の食べる分量がいまいち把握出来ないので、多めに作っては余った分を冷蔵庫にメモと一緒に入れていたが、どうやら誰かが食べているようなのでまあ、江雪さんを刀解したことによって状況が悪くなった訳ではないのだろう。なら、個人の都合というやつだろうか。
 そんなことを考えていたら、あ、と入り口の方で声がした。
「光忠さん」
「うん…。久しぶり」
やってきた光忠さんはとてもアンニュイな顔をしていた。こういう顔も本当にさまになるのだな、と私は混ぜ込みこんぶを貪る。美味しい。
「江雪くんのこと、聞いたよ」
「お耳が早い…?」
「まる四日経ってから来たんだから、そうでもないかなあ」
まあ本当はその日に宗三くんから聞いていたんだけどね、と光忠さんは息を吐く。
「前回は保留にしましたが、今回はそれなりに私が納得出来る理由をざっくりで良いので述べてくれれば、頑張りますけど」
「うん、それなんだけどね」
光忠さんは少し微笑んだ。
「僕は刀解を、一旦保留にしようと思う」
 これは予想外だった。
「保留の保留?」
「うん。悪いね、君も大変だろうに」
「いえ、まあ、大変なのは否定しませんが、光忠さんの言ったことを覚えていることくらい、出来ますし」
「ありがとう。君ならそう言ってくれると思っていたよ」
光忠さんが椅子に座ったので、お茶をすすめる。此処にあったものだからどっちかと言うと光忠さんのお茶である気がするけれど、まあ私が淹れたんだから良いだろう。
「最終的に僕が刀解されたいというのは変わりない」
「何か心残りが? 私を斬るとかそういう方向のものはやめてくださいね」
「そんなことはしないよ。…まあ、人間が憎い、って思うのも分からなくはないけどね。僕は前任と君が違うことを、一応分かってるし」
一応、という言葉は胸に留めておこうと思った。殺されたくないし。
「事によっては君に協力してもらうかも」
「ええ…安請け合いは出来ない案件ですよね? それ」
「ガード固いなあ」
「慎重にもなりますよ。何せ右も左も分かりませんからね」
「その割には手の内を明かすんだね」
「隠匿するほどの情報がないとも言いますよ」
「君は思っていたよりも肝が据わっているんだね」
「据わらせざるを得ない状況なだけです」
元より私はそんなに舌戦だとか腹芸だとか、そういうものが得意な方ではない。プレゼンだとか研究結果発表だとか、人に何かを説明して納得してもらうというのがあんまり得意ではないのだ。なのにこんなことになってしまって、最近やっとああ本当に不運だったんだな…と思えるだけの余裕が出て来た。人間、睡眠と食事は大事なのだと再実感したまである。
「そうだよね」
光忠さんはまた笑うと言った。
「君は別に審神者って訳でも、僕たちの主っていう訳じゃあ、ないんだもんね」
 それがなんとなく別の意味をはらんでいるような気がして、私は口の中からおにぎりの味が消えていく気がした。



 光忠さんがそれを言いに来ただけだから、と去っていくのとは入れ替わりに、台所には三日月さんがやってきた。一応おにぎりを食べるかどうか聞いてみたが断られる。食洗機に使ったものを入れて、手を洗ってから三日月さんに向き直る。
 なんとなく今日は、監視のついでに立ち寄った、という感じではないと思ったのだ。それが正しかったのか、三日月さんは嫌そうな顔をした。そういう趣味はないが、まあ美人なのでそういう顔もさまになるのだなあ、と本当に私は余裕が出てきたらしい。
「来い」
凡そ三日月さんの今までの態度からは想像も出来ない言葉が聞こえた気がして、私は彼と顔を見合わせた。
「来いって聞こえた」
「いやあ鯉かもしれんぞ。庭には池があったからな」
「なら恋ってことも。三日月さん誰かに恋をしてるのかも」
「ふざけるのも大概にしろ」
怒られた。
 再び怒られる前に立ち上がると、三日月さんは先導するように歩き出した。着いていく。刀剣男士の部屋がある区域に向かっているので大丈夫なのかと思ったが、彼が何も言わずに着いてきているのだから良いのだろう。そのうちの一つの部屋を三日月さんが入るぞ、と声を掛けてさっさと開けたので、そのまま一緒に覗き込んだ。
「岩融」
部屋の奥には人影があった。どうにも薄暗いように思えるこの部屋は、部屋の主の趣味なのだろうか。
「三日月殿か。久しいな」
「久しくはない。昨日も俺はこの部屋を訪れた」
その声は何処か細く聞こえた。元々は明朗快活に喋っていただろう気がしたが、その直感があっているのか、私には判ずる術がない。
 岩融。
 唯一の薙刀。
 彼の顔は所持リストで見ていた。岩融さんは三日月さんから私に目線を写すと、びっくりしたように目を見開く。
「人間…」
「その話もしたはずだ」
「新しい審神者か?」
「いや、贄だ」
「贄じゃないですからね。三日月さんしれっと嘘吐かないでくださいね。ただの迷子で居候ですから」
「家路も分からぬ毛虫と」
「そんなことは言っていませんけど!?」
私たちの遣り取りを見て岩融さんは笑った。いや、笑おうとした。妙に歪んだ笑顔は笑うという時にどういう顔をするのか忘れてしまったようにも見えた。
「この小娘は、一時的に政府の人間から刀解の権限を与えられている」
 その言葉に、岩融さんはむっとしたようだった。
「三日月殿、まだ言うか」
「何度でも言うさ。同じ三条のよしみだ」
「よしみだと言うのならば放っておいてくれ」
「幻影に惑わされる仲間を捨て置けと?」
「幻影だと―――!? 今剣は折れてなどいない!!」
 今剣。
 その名前を私は見ていた。所持リストの中、ではない。
―――出陣記録の中に、破壊という文字と並んで。
「今だって、此処におるではないか!」
 話が見えないが折れた今剣くんとやらは岩融さんとゆかりがあるとか仲が良いとかそううい刀剣男士なのだろう。そんな今剣くんが折れてしまって、岩融さんはそれを信じたくなくて今剣くんがいるように振る舞っている。そこまで弾き出して、これは私の手に負えない案件なのではないか? と思い至った。
「あ、あのっ三日月さん!」
「何だ」
「ええと、私はとりあえず本人…本人? まあいいや本人! が納得してなければ、刀解はしないつもりでいるので、その、岩融さんは納得していないように見えますし、その、今すぐ、ではなくても…」
「今すぐでないとならんのだ」
「はい…?」
三日月さんはなんとなく焦っているようだった。私が感じるくらいなのだから相当なのだろう。
「お前は俺たちのことを何だと聞いている?」
「刀剣男士、だと」
「では、刀剣男士とは?」
「ええと、刀剣の付喪神…?」
「そうだ、俺たちは付喪神。仮にも名に神のつくもの。それが口にする言葉に力がないと思うか?」
「言霊、とかそういう話ですか?」
「左様」
こくり、と三日月さんは頷いて見せる。
「岩融は今剣が折れたことを認めず、まるで今剣がまだいるように振る舞っている。人間にはそれが許されるかもしれんが、刀剣男士がそれではいけないのだ」
「力のある言葉に、現実ではない言葉によくないものが寄ってくるって話だろうよ」
岩融をよく見てみろ、とやっと喋った彼に囁かれるままに目を凝らすと、その背中にいやな空気を背負っているのが分かって、動揺して蹌踉めいた。それを彼がさっと支えてくれる。礼を言いながら私はぞっと体温が下がっていくような心地に襲われていた。
 あれは敵だ、と警鐘が鳴る。どうして、何も知らない刀剣男士なのに、あの嫌な空気が原因なのだろうか、それとも―――
「大丈夫だ」
いつの間にか彼は私の手を握っていた。
「君が不安なのも分かるが、岩融は君に害をなしたりはしないさ。…今は、な」
「ああ。だから大丈夫なうちにどうにかしたいのだ」
「って言っても真正面から否定してもこういのってだめじゃないんですか? もっと頑なになるだけでは?」
「君もなんだかんだ言ってしまっているけどな」
「う、うるさい!」
反動でぎゅっと彼の手を握り返してしまったけれども、彼は涼しい顔をしている。今更離すのもなんだかな、でそのまま一歩前に出た。岩融さんは完全に珍妙なものを見るような目をしている。ええい、そんな目で見られるとちょっと恥ずかしくなってきたぞ。三日月さんの表情は考えたくない。
「あー…えっと、岩融さん」
「何だ」
「今剣くんって、どんな刀剣男士なんですか」
「は?」
 私に出来ることは少ない。
 でも多分、このままにしておいてはいけない。このままにしておいたら帰るとか、そういうことも出来なくなってしまいそうだ。だから私は必死に言葉を紡ぐ。
「ええと、三日月さんから聞いていると思うんですけど、私は何も知らないんです。だから、岩融さんの話を聞いてみたくなって」
「俺の、話」
「今剣くんのこと、よく知っているんでしょう? 私は、全然、知らないから」
「…知って、どうする」
「どうも何も、………特に何も考えてないです」
三日月さんの視線がぐさぐさと刺さっている気がする。
「…ただ、でも、知りたいなって思ったんですよ。何にもならないかもしれないけど、知らないよりはきっと良いから」
「―――」
岩融さんは一瞬虚を突かれたような顔をした。
 それからすぐに、
「はは、ははははは!!」
笑うと、いいぞ、と言う。
「聞かせてやろう、今剣の話を」



 岩融さんは武蔵坊弁慶の薙刀で、今剣くんは源義経の刀らしい。元の持ち主が主従関係にあったこともあり、この本丸に喚び起こされてからというもの、とても仲良くしていたらしい。岩融さんが来るまでには時間がかかってしまい、結構長いこと今剣くんを待たせてしまったようだが、それでも岩融さんが顕現した時、今剣くんはにっこり笑ってようこそ、と言ってくれたのだと言う。
 今剣くんは天狗を自称する、とても天真爛漫な刀剣男士で、岩融さんは何度か振り回されることはあったものの楽しく過ごしていたらしい。
「今剣が遠征に行った時、美しい石を見つけたと、土産にくれたことがあった」
岩融さんは机(こういうのを文机と言うのだろうか)(分からない)の上を指差した。そこには岩融さんの言う通り、きれいな石がある。
「粟田口の刀剣がそういうことに詳しかったらしい。元々美しかった石を、きれいに磨いて、重しとして使えるようにしたのだと、自慢気に」
なるほどペーパーウェイト。奥は縁側に通じる障子硝子戸もあるようだし、空気の入れ替えや庭を見たい時などは良いのかもしれない。岩融さんだって、縁側で月見酒をしたい時だってあるかもしれないし。と思ってから岩融さんの格好が僧侶のようだと気付いた。お酒は飲むのだろうか?
「………自分の、髪の色と似ているから、大事にしろと、生意気に言って………」
 ペーパーウェイトは全体的に白かった。白く濁った水晶、とでも言えば良いのか、いびつな形をしてはいるが射し込む光に静かにきらきらと踊っているようにも見える。中には幾筋か別の色が淡く流れていた。今剣くんとは色彩豊かな刀剣男士だったのかもしれない。刀帳を見てきた方が良かったか、と思ったけれども、それだったらきっと私のイメージが先行してしまうだろう。
 今必要なのは私のイメージではない。岩融さんの話なのだ。きらきら、きらきらとペーパーウェイトは光り続けていた。きれいだな、と思う。
「…人間よ」
「………あっ、私のことか! はい、何でしょう」
「おぬしには、今剣が見えんのか」
どう答えようか迷った。迷って、迷って、迷って、私は正直に言うことにした。
「………はい。見えません」
見えると言っても嘘を吐くのなんて慣れていないのだ、すぐにボロが出る。それならば正直に答えた方が幾分マシだ。
 それが、岩融さんを傷付けるであろう答えでも。
「………そう、か…」
予想に反して、岩融さんの声は傷付いたというよりも気が抜けたように聞こえた。
「そう、なのか」
繰り返す岩融さんは俯く。私は何をしたら良いのか分からなくておろおろする。彼も三日月さんも言葉を発しない。どうやらこの状況をどうにか出来るのは私だけらしい。
「そうかあ…」
 もう一度繰り返してから、岩融さんは長く、長く息を吐いた。そしてそれから差し出される本体。
「えっ?」
「三日月殿、俺は刀解を受け入れよう」
「そうか」
「世話を掛けた」
「いや、俺が好きでやったことだ」
人を挟んで会話を続けないで欲しい。
「人間よ」
「はい」
「刀解してもらえるか」
「良いんですか」
 ゆらり、と岩融さんの背中の嫌な気配が揺らめいた。それは広がる前というよりかは、収束する動きに見える。
「諦めがついた」
引導を渡したのは明らかに私だった。刀剣男士もまた、私の目から見れば一つの生命と変わりはない。江雪さんの解釈を聞いても尚、私には何処か罪の意識があるのだと言う。まるで、犯罪に加担しているかのような。
「人間よ、これを貰ってはくれぬか」
岩融さんが手に取ったのは先程のペーパーウェイトだった。きらり、とまた光を受けて輝く。
「大事なものなんでしょう、私なんかに預けて良いんですか」
「三日月殿に預けるよりかは数倍マシだろうさ」
「俺とて預けられれば大切にする」
「預けられればだろう?」
さあ、と岩融さんがペーパーウェイトと、本体を持って近付いてくる。差し出されたものを受け取らずにいると、彼が横から早く受け取ってやれと肩を叩いて来た。
「君が倒れても俺がちゃんと部屋まで運ぶさ」
「待って倒れるようなことだったっけ? 刀解って」
「君の精神状態を鑑みただけさ。倒れても大丈夫と言いたかったんだ。…君は意地でも倒れなさそうだが」
彼がそういたずらっぽく笑ったのを見て、決心がついた。
 岩融さんからペーパーウェイトと、本体を受け取る。ペーパーウェイトは少し迷って、パーカーのポケットに入れることにした。大きく息を吸って、正座をし直して、本体に向き直る。どんな心を込めたら良いのだろう、まだ分からないけれど私が迷っていたら岩融さんも迷ってしまうような気がする。だから、私は本体に触れて目を閉じる。真っ直ぐ、心を落ち着けて、江雪さんの時と同じに旅に送り出すような気持ちで。と言っても江雪さんの時に思ったのだが、私はそんなことしたことがないのだ。だから、お世話になった先生の離任式を思い出すことにした。
―――どうか、この先を私は知ることが出来ないけれど、
―――愁いもすべて、貴方の道を照らすものとなりますように。
 見たこともない少年が風のように走り抜けていくのが見えた気がした。

 岩融、刀解。



20170416