此処は戦場ではない 

 可笑しな話だぜ、と白い男は呟いた。自身の書いたやたらと達筆な日記には、此処へ来てから解決した大なり小なりの事件が記してあるらしい。それは最早日記ではなく記録簿なのではないかと思ったが、彼が好きでやっていることに私が口を出すことはない。
「何がだ」
問うてみると、男は嬉しそうに笑う。
「これだけ君の元に事件が舞い込んで来るのに、どれ一つ取り沙汰されないと思ってな」
「…されたものもあっただろう」
「君というものが俺の言いたいことが分からないはずがないだろう?」
 おし黙る。
「そういうことがあっても、良いんじゃないか」
「…君はそういうところは本当に変わらないなあ」
そもそもそんな大きな事件など起こらなくて良いのだ。そんな事件があったことも忘れてしまえる方が、人間にとっては心地好いに違いない。
 これは、日常の延長線上にあるのだ。
「此処は、戦場ではないんだよ、つる」



誰も彼も 寂しさ抱き 暮らしつつ 人の嘆きに 気付かずにいる / 千罪

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何処かで猫がくしゃみをしました。 

 君を愛している、とその妙に白い男は言った。まるで練習をしているような独り言だったので、私に言っているのではないのだろうと思い、返事をしなかった。そして私の予想は合っていたらしい。君はいつでも正解を選ぶんだな、と男は笑った。
「いつでも、という訳ではないさ」
「でも俺が君に出会ってからはいつもだ」
「偶然に過ぎない」
「俺と出会ったからだとは言ってくれないんだな」
男は再会という言葉は使わなかった。私も使わなかった。どれだけ記憶があっても私たちは私たちでしかなく、ファンタジーの中には生きられない。現実に埋没していく。でもそれで良いんだ、と男はソファの上に伏せた。
 私は彼曰く正解が選べるらしいので、その頭をくしゃくしゃと撫でた。



君のこと欲しいと思うより更に私を欲しいと思ってほしい / 栞

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かなしみとしあわせのはざまで 

 再会という言葉を使わなかったのはそれが定められたものではなく、この身が初めて選んだ何かであればいいと思ったからだった。記憶の有無など、最初から気になどしていなかった。なければないでまた作ればいいと、そう思っていたから。
「それで良かったんだろう」
彼女は笑う。
 笑って。
「だってその方が、素敵だろう」



いつの世もきみをえらびてきたること菜の花がそっと教えてくれぬ / 土橋磨由未

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独占欲なんて呼んでいいのかしら 

 その唇が私の名を紡ぐ度に不思議な心持ちになる。私も、私の記憶も、別の名前で呼ばれることが多かったから。
「青、でなくて良かった」
ある日彼はそう言った。
 「だってそうだったら、俺はきっと多くの人間に嫉妬していただろうから」



こいびとの名前はわたしが呼ぶための詩(だったらいいな)西日の隙間 / 田丸まひる

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傷跡が愛しくて堪らないの 

 これがあったから君にたどり着けたんだ、と彼は言った。まるでそれだけ聞いているととんでもない思考の持ち主のように感じるが、彼にも私にもつけた覚えのない傷があった。まるで、ずっと昔に同じ場所に傷をつけ合ったかのように。
「君のはそういうんじゃないんだぜ」
少しだけつまらなそうに言う彼に、じゃあ今つけてみるかと問えば、何を言い出すんだととても怒られた。



朝は来ない @asa_k_bot

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少しずつ酸素を奪って行く 

 君といると息がしやすい、と言う。初対面で鶴と名乗った青年はまるで当たり前のようにそんなことを言った。
「前はそんなこと不思議とも何とも思わなかったんだが、今となっては不思議で仕方がない。そして、少し怖い」
「どうして」
「だって息がしやすいということは、酸素の供給がうまくいっているということだろう。それなら俺は君が吸うはずだったものまで奪ってしまっているということにはならないか?」
「…その発想はなかったな」
あまりに唐突に言葉にそれでも笑ってそれでもいいなと思ったことを言えずにいた。



神威
http://nanos.jp/kamuy2/

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カナル型は耳に大きい 

 電車の揺れに合わせてかこん、とそれは耳から落ちた。耳に引っ掛けていればまだこうして外れることはないのかもしれないが、それはそれで煩わしい。そもそもこういったものは向いていないのかもしれなかった。
「何を聞いているんだ?」
静かに彼は問う。
 「逃げるための曲だよ」



生き延びるために聴いてる音楽が自分で死んだひとのばかりだ / 岡野大嗣

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退屈なんてひとつもない世界で 

 家の庭で猫が死んでいるのを見つけた。
 知らない猫だったから恐らく死期を悟って隠れるために此処へ来たのだろう、と思う。依頼という形でその亡骸の撤去を幼馴染と青年に頼むと、彼らはいつもの表情でやってきた。
「このようなことをすまない」
「別に。依頼って形で寄越してくれてありがとう。とんぼになら友達料金でやってやるのに」
「それはきっちりしないと…」
「まったく、真面目だな」
そんな遣り取りの傍らで、青年はしゃがんで猫をじっくり見つめる。
「知り合いかい?」
「いや。猫を死期を悟ると身を隠すというから、何処からかやってきたのだろう」
「ああ、なるほど」
作業着に、軍手とスコップ、麻袋。一見すると怪しさこの上ない格好だが。
「―――貴方は、猫ではないですよね」
そんなふうに聞いてしまったのは幼馴染が場を離れた時だった。
 青年は少しだけぱちくりと目を瞬(しばたた)かせて、それからにっこりと笑った。
「俺は猫ではないし、此処は退屈してる暇なんてひとつもありゃしないんだぜ」



あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。うつくしいものをうつくしいと言おう。幼い猫と遊ぶ一刻はうつくしいと。シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。何ひとつ永遠なんてなく、いつかすべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。
長田弘「世界はうつくしいと」

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五千円、一万円、一万五千円 

 事務所の机の上には丸っこい狐の形をした貯金箱があった。それに小銭を投げ込んではいっぱいになったものを両替して、また別の貯金箱に投げ込むのを青年は知っている。
「君はずっと此処にいるのかい」
「引っ越さないのかという問いなら、今のところそういうつもりはないなあ」
「いや違う、旅行とか、そういうことだ。セイレイから君はまったく此処から遠出することはないと聞いたからな。修学旅行も拒否しようとしたっていうのは本当かい?」
「本当だが…とんぼめ、そこまで言わなくてもいいだろうに」
その貯金が一体どのようなものなのか、青年には分からなかった。
「俺を待っていたからか?」
「………かもしれないな」
「行く先で俺が見つかるとは思っていなかったのか」
「思っていなかった」
 前≠燻vったけれども彼女の考えていることはいまいち分からない。
「事実、君は私を見つけただろう」
青年は、そこまで彼女に信用してもらえるほどのことをしたという自覚がなかったし、
事実彼女がそこまで青年を信用するに足ることを前≠セってしていなかったと思う。なのに、どうして。
 そんな、無防備にまで。
「君に見つけてもらったことだし、何処にでも行けるな」
「…き、みなあ!」
「君が先に言ったんだろう。何処か行きたいところでもあるのか?」
「俺はまだ兄上に殺されたくはないぜ…」
「ならば日帰りだな」
「泊まらなきゃいいってことでもないだろ」
「つるは行きたくないのか?」
「…行きたい」
「なら行こう」
「ああもう、君は…」
そこまで言われてしまえば断る術を思いつかなかった。
 後日例の貯金箱が開けられているのを見て、また一悶着あったのは別の話。



一緒にね、こう地球儀を回したらどこへでもゆけそうで怖いね / 笹井宏之

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みぎ、した、まるかいて、した。みぎ、みぎ、した、ななめ。 

 探偵なんて職業の所為なのか、それとも元来の性質なのか、ごたごたに巻き込まれることは少なくない。ということで黒ずくめのスーツの男たちに追い掛け回されるこの現状に、心当たりは幾つでもあるのだった。
「大丈夫さ」
隣で居候の青年は言う。
「君と一緒ならなんだって乗り越えられる」
「…かもな」
思わず笑ってしまうのはそれが本当にいつもの軽口と一緒だったからだ。なのに言った方はびっくりしたと言わんばかりにその瞳を見開くものだから。
「君がそんなことを言うなんて珍しい」
「そうか?」
 また笑う。似合わないことを言っているというのなら、心当たりは一つしかなかった。
「誰かさんのロマンチストが感染ったんだろうな」



孤独な愛の育て方 @kimi_ha_dekiru

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20170416