何処か何処でもない僕たちへ 

 にっかり青江があ、と言って、へし切長谷部が今度は何だと返した。それはいつもの遣り取りで、とりあげて特別なことはなにもない。へし切長谷部がとりあえず何よりも先にやると決めているのは、にっかり青江のその声色の種類を勝手に分類したものに振り分けることだった。今回のものは緊急性がない。困った様子もない。何処か悪戯を思いついた子供然としていて、へし切長谷部は今後のスケジュールを咄嗟に確認した。何もない。八つ時休憩としてにっかり青江と縁側で涼んでいたところでの冒頭だった。明日は朝早くの出陣部隊に組まれているが、にっかり青江の様子を見る限りそう長く掛かるものではないのだろう。
 ここまで読めるようになったな、と思う。
 にっかり青江という刀剣男士に共通する性質であるのか、それともこのにっかり青江が特別そうであるのかは分からなかったが、なかなか思っていることを読ませないのだ、にっかり青江というのは。その感情の動きをここまで読めるようになったのは一重ににっかり青江が、へし切長谷部にそれを許しているのと、へし切長谷部がそれなりの努力をしたからだろうと思う。努力、なんて言うと大層なもののように感じるが、でも、恐らく何か既存の名称で呼ぶとしたらそれは努力、であった。
「どうしたんだ」
だからへし切長谷部は問う。問うて良いことだと思ったから。
「うん。ねえ、長谷部くん。暑いよね」
「そうだな」
今は夏だった。この本丸の景趣は現代≠ノ同期してあるので、それは現代≠ェ夏であるということでもあった。
「だから、ちょっと向こうへ行こう」
「何があるのか、というのは聞いても良いのか」
「良いけど…まあ、僕はついてからのお楽しみ、ってしておきたいかなあ」
「そうか」
「良いの?」
「気にすると思うのか? 何か必要なものは」
「手ぶらで大丈夫だよ」
 立ち上がったにっかり青江を追って、へし切長谷部も歩き出す。そのつま先は、中庭の池へと向かっているようだった。
「この辺、らしいんだよね」
にっかり青江がしゃがんで髪を耳に掛けた。その仕草に太陽光が当たって、それは本物かも分からないのに、なんだか妙にじりじり灼けるような心地にさせる。刀剣男士に日焼けはないから便利、だと言っていたのは加州清光だっただろうか、乱藤四郎も言っていた気がする。でもそれはそれとして日焼け止めのチェックはしとかないとねえ、なんて。きゃらきゃらと笑う彼らは眩しく、にっかり青江もよく楽しそうだねえ、と見ている。
「長谷部くん、それ」
 にっかり青江が指さしたのはへし切長谷部の足元だった。
「これか?」
拾うのだろうとは思ったが、一応拾う前に確かめる。そうするとにっかり青江は安心したように、長谷部くんは慎重だね、と笑った。この少しの手間くらいでにっかり青江が笑うのであれば、それはへし切長谷部にとってとてつもなく安い買い物である。
 拾ったそれをにっかり青江に差し出すと、その手ごと掴まれた。そうして引き寄せられて、にっかり青江の左耳とへし切長谷部の右耳の間に、その石は鎮座する。
 シィ。
 にっかり青江が唇に人差し指を当てて、耳を。澄ませる。
 ざん、と音がした。知っている気がする、と思った。さよならを告げるつもりはない、どんな短い嘘だって吐かない、だから赤く、つながるものは何も、ない。大丈夫だよ、とにっかり青江は言った。大丈夫だよ、と。
「僕らには大それたことなんか何も出来やしない…ううん、出来たとしても、しないんだから」
ね? と、一瞬表情を消してから、海の音がするね? とにっかり青江は首を傾げた。そうすると不思議とへし切長谷部の耳にも、知らないはずの塩水のたまりの音が聞こえてくるのだった。



春の日はきみと白い靴下を干す つま先に海が透けてる / 陣崎草子



image song「正しい街」椎名林檎

***

綺羅星は万病に効く

 にっかり青江が万屋に行きたい、と言い出したのは突然のことだった。
「また、何故なのか聞いても良いか」
「秋田くんが、風邪を引いているだろう」
「ああ、そうだな」
 刀剣男士もその身体が人間と同様のつくりをしているからか、風邪を引く。一説にはその精神の有り様が関係しているらしいが、この本丸の刀剣男士は良くも悪くも性質がばらばらであって、風邪を引く者もいるのだった。それでも特に不便なくやっている。
 自分が何者か、なんて。自分で決めるのが良いにきまっている。
「だから、薬を買いに行きたいと思って」「薬なら薬研が趣味で調合していなかったか」
「まあ、そうなんだけどね。そうじゃなくて…」
「なんだ、歯切れが悪いな」
珍しい。石切丸が何も言っていなかったので、秋田藤四郎の風邪は別段そういう類のものではないと思っていたのだが。にっかり青江の歯切れが悪い時は大抵そういったもの関連であることが多い。
「うん、ええとね、風邪は風邪なんだよ。それは間違いない」
「そうか」
「でも、風邪を引いた原因がね………僕が、お遣いを頼んで、それで、水に浸かった所為、だから」
 そこまで言われてへし切長谷部はやっと理解する。つまり。
「見舞いがしたいんだな」
「………うん」
「薬なんて言わずとも、付き合ってやるのに」
「…うん、それは、分かって、いたんだけどね」
ちょっと、不甲斐ない気がして、とにっかり青江が俯くので頭をぽん、と一度だけ撫でる。
「そんなことは気にしなくて良いんだ」
「でも、」
「秋田だってお前にそうやって落ち込んでほしくはないだろう」
「そうかなあ」
「そうに決まっている。というか、俺がもし風邪を引いた時に、お前があまりに気にしているという顔でやってきたら風邪が悪化すると思う」
「………君、風邪引かないじゃないか」
「たとえ話だ」
けれどもそれで、にっかり青江は理解したらしかった。
「うん、長谷部くんの言う通りだ」
「ああ」
「お見舞い、何が良いかな」
「とりあえず万屋に行ってから考えるでも良いんじゃないのか」
「主に外出許可取らないとね」
「そうだな」
 なんとなく、双方気が向いたので手を伸ばした。そのまま繋ぐ。
「長谷部くん」
「何だ」
「一発で元気が出そうなお見舞い品、選ぼうね」
「分かった。気合いを入れて選んでやる」



春のかぜこんぺいとうが効きました / 田邉香代子

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君は僕のみちしるべ 

 大丈夫だよ、とにっかり青江は言った。だからへし切長谷部はそうか、と呟いた。呟くだけだった。特に近くにいる秋田藤四郎なんかは気付いていただろうが、秋田藤四郎はにっかり青江が大丈夫だと言った理由をすぐに理解の出来る刀剣男士だった。「何か、俺に、して欲しいことは」
「そうだなあ…」
にっかり青江は少し悩んで、それから手を繋いでいてくれないかい、と言った。それで、僕のことを考えていて、と。
「それだけで良いのか」
「君にしか出来ないことさ」
「そうか」
手を繋ぐ。にっかり青江が大きく息を吸ってから、目を瞑る。きっと、へし切長谷部にとってはそう長い時間ではないのだろう。けれどもにっかり青江は戦いに出たのだ。彼にしか出来ない戦いへと。
 ぎゅう、と手を握る。近くにいた秋田藤四郎が、大丈夫ですよ、と笑った。



立ち眩む僕らを繋ぎ止めるような真昼の月の淡い残響 / 湖の底

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祈りの寿命 

 朝になった、と薄目を開ける。そうして起き上がろうとして、だめだよ、と隣のにっかり青江に止められた。此処は遠征先の宿である。潜めた声に、他の面々が起きる気配はない。
「あれ、もう少し、待って」
この時代には、そぐわぬ、影。
「…切らなくて良いのか」
「良いよ、六百年もすれば消えてなくなってしまうものなんだから」
心配なら主に申請を出してみるかい? と言われて考えると、確かに現代≠ヘこの時代よりも六百年はあとなのだった。
「いや、別に良い」
「そう」
「でも、別でお前と出掛けることが出来るのならそれは楽しいだろうな」
「…主、そんなにすごい人ではないからなあ」
「お師匠様と較べるものじゃあないぞ」
「分かっているよ。あの人は規格外だから」
うっすらと、朝日の中に影が消えていく。その行進の背中を見つめながら、なんとなく、ただなんとなく、へし切長谷部は愛おしいと思ったのだった。



朝、窓の向こうには兵幻影の干上がるまでの数分を待て / 中澤系

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なにもけっしてまるで 

 長谷部さんは、と話し掛けられて秋田藤四郎が思案から浮かんで来たのだとへし切長谷部は知った。
「僕のこと、何も思わないんですか」
曖昧な言葉だったが、へし切長谷部には彼が何を言いたいのか分かる。
 秋田藤四郎は聡い。どうしてそこまで聡いのか、分からないほどに。説明の仕方が分からないのかもねえ、と言ったのはにっかり青江だった。だからへし切長谷部はそうなのか、と言っただけで。
「何も思わないと言うと、嘘にはなるだろうな」
「なら、」
「けれども、」
秋田藤四郎の力は単なる―――と言ったらそれはずば抜けているのだろうが―――推理だった、思考だった。手の及ばない、不思議の世界ではない。
「理解の出来ないことくらい、この世界にはたくさんあるさ」
それとも、とへし切長谷部は笑う。
「青江の横にいる俺は、何もかもを理解しているようにでも見えたか?」
 秋田藤四郎は少し口ごもってから、すみません、見えないです、と言った。それは少し寂しかったけれど―――何故ならにっかり青江にもそう見えているということだから―――へし切長谷部が秋田藤四郎に言いたいことは正しく伝わったらしかった。それなら良いのだ。
 例えそこに少しの寂しさが、横たわり続けようとも。



image song「虚言癖」椎名林檎

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夏の魔物 

 ずっと君と一緒にいたい、って言ったら? とその影が聞いてくるのをへし切長谷部はじっと黙って聞いていた。何でもない、いつもの光景だった、もう慣れてしまった、でも未だ嫌だなと思う気持ちが薄れてはいないのを感じて安心する。へし切長谷部は人間ではないのに、この心はとても人間のような動きをする。
「それが本気なら応えるさ」
俺の出来るすべてでもってして、とへし切長谷部は答えてから、でもお前に言う言葉じゃないしお前に言われるようなことでもないし心配ならなおのことだ、と切り捨てた。それは言葉によってのものであって自身によって斬り捨てた訳ではないので、きっとへし切長谷部も人間色に染まっていっているのだろう、と思う。
 影はいつの間にか消えていた。夏の匂いがした、ひまわり畑が静かに佇んでいる。



永遠に迷子になりたくなるような夏からはもう落ちこぼれるね / 田丸まひる

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果つる先 

 どうする? とにっかり青江が問う。だからへし切長谷部は行かんだろう、と言う。
「だよねえ」
「行きたかったか」
「ううーん。そう聞かれると、答えに迷ってしまうなあ」
曖昧な笑みで。
「いつか、とは思うよ」
 僕らはこんなものだから、とにっかり青江は手を差し伸べた。
「でも、今じゃあないかな、と思うんだ」
「同感だ」
取った手はあたたかかった。
 この身体の元は鉄であるのに、それでも人間のような温度がするのだった。



結ばれてしまう運命なのでしょうたとえば蝶のようなかたちに / 黒木うめ

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星と星の間で三回転 

 空を見上げていた。星空だった。いつもはへし切長谷部がこうして何もしないでいるとにっかり青江が来るのだったが、今日はそんなこともなかった。何故なら、にっかり青江は今、いないからだ。遠征で外に出ている。そういうことだってある、刀剣男士なのだから。今更それについて文句を言うことはないし、文句を言うようなことでもない。
 なんて思っていたら、主がへし切長谷部を呼んだ。
「どうしましたか、主」
「何かあった訳じゃあないですけど、石切丸が、長谷部を呼んだら良いって」
その言葉に少しだけ考えて、ありがとうございます、と答えた。
「オレ、何もしてないですよ」
「いえ。主が俺を呼びに来てくれたので、それに対するお礼です」
「そういうもの?」
「そういうものです」
遠征の報告が入るのだ、と分かった。だから石切丸がへし切長谷部を呼ぶように言ったのだろう。これはいつも迷惑を掛けられていることに対する謝罪のつもりなのかもしれない。
 へし切長谷部が主と共に通信部屋に入ると、ちょうどよく通信が入った。
『おや、長谷部くんもいるのかい』
「はい。石切丸が呼べって」
『へえ、石切丸が』
「主、そういうのは良いから」
早く報告を聞きなよ、と石切丸が渋面を作って主が報告を聞いて、それからへし切長谷部にどうぞ、と通信機が渡された。
「…青江」
『やあ』
元気かい? なんてにっかり青江は言うけれど朝普通に会ったばかりだ。こうして一日程度離れるのもそう珍しいことでもない。
『何してた?』
「空を見ていた」
『何か見えた?』
「流れ星が」
『へえ、僕もさっき見たよ、流れ星』
その言葉に、胸が少しだけ跳ねたのが分かった。
―――同じ、空を。
まさかそんなことはないだろうけれど。この本丸の空は現代≠ニ同期したものであって、にっかり青江がいるのは現代≠ナはなくて。だから違う、違うことを知っている。
 でも。
 通信機の先でにっかり青江は微笑む。
『きっと僕たちの中には似たものがあるんだろうね』
だから同じものを見つけるのだろうね。そう言ったにっかり青江にへし切長谷部は、そりゃあ同じ鉄から出来たものだろう、とだけ言った。



image song「月」ELLEGARDEN

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汗のにおい、ひとのはだ 

 今は宇宙にだって簡単に旅行に行けるんだって、とにっかり青江が言うので行きたいのか、と問うてみた。
「いや別に」
「だろうと思った」
「でも聞いたから、君に伝えたくなって」
 夏だからかな、とにっかり青江は笑う。むせ返るような向日葵の香りが、風と一緒にその木賊を翻していった。



ロケットに積むなら摘みたて向日葵を 通りの御日様拾って帰る / ロボもうふ1ごう

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祷りは空に、恋ゆるは胸に 

 大雨が降っていた。この本丸は現代≠ノ景趣を同期させているため、この大雨は現代≠フ天気である。雨は仕方ないですよね、と主が笑っていたこともあり、今日、この本丸はのんびりとした運営だ。元々主は師匠からそう切り詰めて運営をするなと口を酸っぱくして言われているらしく、そこそこの戦績を収めつつ余裕のある運営を心掛けている。追い詰められる時はどうせ来る、というのが主の師匠の言い分であったが、やはりへし切長谷部としてはそんな時が主に来て欲しくはないと思うのだった。
 人間の、生命は短い。
 主の思いに沿って顕現されたへし切長谷部は、そんなことを思う。どう足掻いても人間にはなれない、人間寄りにもなれない、武器であることに誇りを持てることを好ましく思うからそれはそれで良いけれど。それでも人間のような心の動きはどうしてかこの胸に埋まっているのだと、そんなことを思っていた。
「…暇だね」
隣でにっかり青江が呟いた。それにへし切長谷部は静かにそうだな、と返す。その声は本当に静かで、雨の音に掻き消えてしまう。洗濯物が干せないなあ、と昨晩ニュースを見ながら堀川国広が呟いていたのを思い出した。別に堀川国広は洗濯物担当ではなかったはずなのだが、本人が好きなのかよく当番でなくとも手伝っている。
 暇なことは良いことだった。天気の一つで休めるくらいに戦況が安定していることを、へし切長谷部は嬉しく思う。本当に、心の底から。
「長谷部くん」
「なんだ」
あれ、とにっかり青江が指をさす。大雨が開け放った障子の窓の向こうを見えなくしている。すごいね、とにっかり青江は言った。何も見えないね、閉じ込められてしまったね、と。へし切長谷部はそんな言葉気にせずに、思ったことを口にする。
「こうして見ると雨のカーテンだ」
「…君のそういうところ、好きだよ」
でも明日は晴れると良いな、と言うにっかり青江が何を望んでいるのか分からずとも、へし切長谷部にはちゃんと、寄り添える身体があるのだから。

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20190328