おいでおいでおいでおいでぱんだ


ネーウシトラウータツミーウマヒツジサルトリイヌイー 

 へし切長谷部はその日、縁側を歩いていて思わず声を上げた。
 縁側から見える、その美しい庭の小さな木の根本。其処に丸まるようにして、伏せっている姿。見慣れた何処か艶のある木賊色の髪、いつ何時も手放されない死の色。
「青江!!」
慌てて靴下のまま庭に飛び降りる。
 別に、今が春の庭であれば靴を持ってきて、なんて余裕もあっただろう。縁側には誰でも使えるつっかけだって置いてある。しかしながらへし切長谷部にはそれを履く余裕すらなかった。四季が楽しめないこの箱庭では、審神者の采配によって庭の季節が変わる。今は、冬の庭だった。雪も降っている。確かに、へし切長谷部もにっかり青江も、人ではないが。
 こうして仮初でも身体がある以上、死というものはいつだって傍にある。
 ぞっと、冷たいものが背中を走り抜ける。根本の身体は動かない。雪の中に、丸まって。木賊色を投げ出して、四肢に力はなく。まるで、それは。
「青江…ッ」
辿り着いたところで、もぞり、とそれは動いた。
「…ん? あれ…、長谷部くん?」
くるり、と回された首が、今しがた昼寝から起きたというような微睡む眸でへし切長谷部を映した。
 ほ、と安堵が全身を駆け巡り、思わずその場に膝をつく。
「ああ、僕、寝てたのか…」
くあ、と欠伸をする様子は無理をしているようには見えなかった。
「………寒く、ないのか」
 元が刀剣で仮にも神の名を冠しているのだとは言え、その身は今や人より少し丈夫なだけの、大差ないものであるはずだったが。流石に雪の中で眠りこけるなんて、そのまま死んだとしても可笑しくないのだ。確認するようにぺたぺたと触る。しかし、にっかり青江の身体はどこもあたたかく感じられて、首を傾げた。
「さむくないよー。どっちかって言うとあったかいかな」
あったかいからついね、ねむくなっちゃってね、と続ける言葉にも、嘘はなさそうだ。
「それより長谷部くん、積極的だね?」
「馬鹿か、心配しているんだ」
「…君、最近可愛げがなくなってきたよねえ」
「そこはお前の冗談を流せるくらいに成長したと喜ぶべきところではないか?」
そんな軽口を叩きながらも、まだへし切長谷部の杞憂は拭えない。
「不調はないか?」
「不調じゃないけど…まだねむいかな」
誰かさんが途中で起こした所為でね、と軽快な不機嫌を織り交ぜる口に眉を寄せる。
「それは大丈夫なのか」
「なんで?」
 傾げられた首は、純粋の色をしている気がした。
「…寒すぎると、人は死ぬと聞いた」
この身になって、主に死ぬなという言葉を貰って。勤勉な質であったのだろうへし切長谷部は、人間の身体についていろいろなことを調べた。斬れば、人間は死ぬ。刀剣であった時分は、それくらいのことしか知らなかったから。
「人は身体の機能を保っていられる温度があって、それを下回ると、眠るようにして凍って死んでいく、と…」
だから、と言葉に詰まったへし切長谷部の頬に触れて、にっかり青江ははあ、と頷く。
「君は勤勉だねぇ」
 そんなことでひとはしぬんだね、とその呟きは悪気のないように聞こえた。ともすれば、幼子の新たな発見のような、そういった危うい純粋ささえ含んでいるような。
「でも僕は人間じゃあないよ」
しっかりと、目が合わせられた。
「君の、目の前に、いるのは。にっかり青江、だよ」
一つひとつ、区切るように。ちゃんと、へし切長谷部に飲み込ませるように。
 そんなことも忘れたのかと、微かな嘲弄すら滲ませて。
 小さく、分かっている、と答えれば、なら良いけど、と返された。それに、と続けられる。
「僕が眠いのはあったかいからだから。寒いからじゃないから、大丈夫だよ」
そういえば、と思う。
 庭には雪が降っていた。結構な量だ。にっかり青江の周りにも、それは見られる。
 が、当のにっかり青江には、雪の積もった様子は見受けられない。まるで―――何かが、彼を雪から守っていたかのように。
「おや」
その視線が、自分から逸らされたのを感じて追う。白い庭の中に、一点の黒。猫だ。何処から迷い込んできたのだろう。此処は微妙な時空間にあって、あまり外のからの訪問者というのはない、のだが。隣のにっかり青江はそんなこと、気にしていないようだった。猫を呼びたいのか、チッチッと舌を鳴らして手招きする。
 けれども猫の方はにっかり青江とへし切長谷部を見比べて、それからなぁん、とまるで拒絶のような重低音で鳴くと、また姿を消した。ざざ、と猫の消えた生け垣が揺れて、その揺れもそのうちに収まる。
「あーあ」
残念だなあ、と降ろされる手。
「僕、生きてる動物には嫌われてしまうんだよねえ」
だから馬当番も外されちゃった、とにっかり青江は言う。そんなに猫と戯れたかったのかと思う反面、その言い方にひっかかりを覚えた。
「…それは、死んでいる動物には好かれるような言い方だな」
 ひゅるり、と冬の風が吹いた。
 木賊色の髪がぶわりと押されて、一瞬その表情を覆い隠す。
「そうだね」
髪を除(の)けたにっかり青江は、いつもと同じ表情に見えた。
「僕らみたいな存在がいるのだから、幽霊だって、動物霊だって、いるのかもしれないね」
「…幽霊はいるだろう。お前が斬ったんだから」
「僕が斬ったのは石灯籠だよ」
「同じようなものだろう」
「ええ、そうかなあ」
 話は終わりだ、とばかりに立ち上がる。いくらにっかり青江があたたかいと主張していてもへし切長谷部にとっては此処は寒いし、まだ雪もやんではいない。ほら、と手を差し出せばありがとう、とその手は取られた。そのまま引き上げる。
「ねえ長谷部くん、僕コアラ抱いてみたいんだけどさあ」
「コアラ…?」
「なんかこれくらいの、灰色のやつ。かわいいよ」
「それはこの国の動物か?」
「なんか地球の反対の国だって聞いたよ」
「………主に聞いておいてやろう」
どうでも良い話をしながら戻っていく。
 縁側から上がったら濡れた靴下を脱いで、それからあたたかいお茶を二人分、淹れようと思った。

***

少女のかんばせ 

 にっかり青江の唇はよく動く。ふわふわと浮世離れしたこと囀っていたと思ったら真逆の戦場の香りを持ち込んでみたりと、その持ち主の気まぐれで何をするかは変わるけれども。
 今日も今日とてその動く様を見ていたへし切長谷部に、にっかり青江は話を中断してあれ、と声を上げた。
「ところでねえ、長谷部くん、」
そのかんばせがこちらを見遣る。いつもはその艶のある木賊に隠された瞳が、べらりと本性を現す。
 血のように、鮮やかなその瞳。そこまで思ってあれ――――とへし切長谷部は思った。今まで彼そのその目を、血のような、となど思ったことはあっただろうか。
「君、そんなに可愛らしかったっけ?」
どくり、何処かで歓喜の声が聞こえた。
―――そうなの、そうなの、わたし、かわいいの!
幻聴だった。へし切長谷部の耳の中で、知らないおんなの声がする。にっかり青江はまるでそれが聞こえているように、ふうん、そうなの、と返す。微塵も思っていないような顔だ、とへし切長谷部は思った。にっかり青江は様々なことを喋るが、既にへし切長谷部にはその真偽が分かるようになっている。
 それがにっかり青江にとって、喜ばしいことなのか否かまでは、分からずにいるけれど。彼に問えばきっといいことなんじゃないかなあ、といつもの興味なさげな顔で言うのだろうけれど、そういう問題ではないのだ。
「そうだね、君は可愛らしいのかもしれないね」
にっかり青江は笑う。その名前の如く、にっかりと笑う。
「でもね、それは長谷部くんなんだ。へし切長谷部。すごくよく斬れる刀の付喪神の器」
まるで幼子でも諭すような物言い。
「だからね、」
にっかり青江は刀に手を掛けない。それどころか、手すら伸ばさない。ただ見つめて、命じる。彼曰く、それはお願いしているだけ、らしいけれど。
―――真っ直ぐ見つめて言うお願いごとなんて断られたためしがないのだから、それは命令と同じではないのか。
 口には、しない。
「彼から、出て行ってくれないかなあ」

 ふわり、肩の力が抜けて初めてその辺りが重かったことに気付いた。擦っていると、もう大丈夫だね、とにっかり青江は言う。
「僕らの器は這入りやすいのかなあ」
「曖昧な存在だからか」
「そうとも言うねえ」
今のは誤魔化されたのではない。実際、いろいろな要因が入り交じっているのだろう。ああ、と声があがる。
「血に塗れているから、それが媒介となるのかもね」
きゃらきゃらと、そうであれば良いと願っているような。
「べつに、原因を知りたい訳じゃない」
「おや、勤勉な君らしくないね」
「どうしようも出来ないこともこの世にはあると、分かっているだけだ」
「なんだあ、諦観か。もうちょっと頑張りなよ」
「諦観でもない」
 あの目は既に木賊に隠れていた。それにへし切長谷部は手を伸ばす。かき分けた先の瞳を見ながら、ああ、と思う。
「お前がどうにかしてくれるだろう」
「………君も、頼るなんてことをするんだねえ…」
 飴玉。
 いつも、この目を見るとそんなことを思ってしまう。ああ、あと、とにっかり青江はまた唇を動かす。わんわんと、その辺りの歯がさんざめく。
「君はいつでも可愛らしいと思うよ」
 なんだか胸中を見透かされたような気がして、そのまま触れるだけで幼子のような唇を塞いだ。



「あれこんなに可愛かったっけ?」
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***

明日死ぬんだってさ、 

 まるで他人事のようにそういった木賊の向こうの顔は見えなかった。へし切長谷部はそれをちらりと見遣っただけで返事はしなかった。
「死ぬんだよ」
髪を掻き上げて彼は言う。いつもは隠されている右の目が、晒される。
「まるで人間みたいにさあ、はらわたを引きずり出されて、それで死ぬんだ。これってすごいことだと思わない? 僕が死ぬんだよ、ねえ、すごいでしょ?」
興奮しているのか、彼はだんだんと畳を叩く。へし切長谷部のところにまで、それは揺れとして伝わってくる。まるで小さな地震でも起きたかのように。
 さて、とへし切長谷部は思った。どうすべきだろうか、と思案した。もうこのような事態に慣れていたし、今回だってただ待つだけで良いのだろうが。元々戦いの道具だからだろうか、実のところただ待っているだけというのは性に合わないのだ。以前そんなことを言ったら彼は笑って、まるで働き蟻だね、とあののんびりした口調で言っていたけれど。
 へし切長谷部が斬ったのは茶坊主だ。棚だ。残念ながらそれらは此岸のものだ。
「ああ、遅くなって悪かったね」
ふわり、風の吹いた心地がする。
「ごめんねえ、僕は死なないんだ。明日も、明後日も、明々後日も」
死なないんだよ、と優しく穏やかな声と共に、その切っ先が彼へと向けられる。
「ああ、死ねない、という方が近いのかな? いやでも、伊邪那美命は亡くなっていたねぇ…僕らにもやはり死という概念はあるのかな?」
子供のように放られる疑問。彼はその解えを求めてはいない。
 今のはすべてただの独り言だ。だからへし切長谷部も答えない。
「でもきっと、僕らは黄泉には入れないだろうからねぇ、やはり死ねないんだろうな」
だから、本当に、ごめんね。
 謝罪など微塵も感じさせない穏やかさで、刃が身体を斬り裂いた。
「君みたいな斬れ味ならもっとかっこよく出来たかなぁ」
「…それは燭台切の台詞だろう」
「もー折角来た恋人の前で他のひとの名前出さないでよ」
「連想させるお前が悪い」
引き寄せる。
「青江」
「うん」
「青江」
「長谷部くん」
「お前はにっかり青江だ」
「うん」
「お前が、にっかり青江だ」
「うん。君がへし切長谷部のようにね」
答え合わせのようなものだった。それだけで安堵が全身を駆け巡る。
「青江」
「なぁに」
先ほど彼の振るった彼自身には、何もついていなかった。
「抱き締めていいか」
「いいよ」
「接吻けは」
「君に任せるさ」
 木賊の髪が揺れる。艶のある、力のある、木賊が目に映る。
「青江」
「なぁに」
抱き寄せた身体はあたたかい。
「お前は素晴らしい刀だ」
「…長谷部くんがそんなふうに褒めてくれるなんて、珍しいね?」
照れたのだろう、僅かに紅く染まる耳を視界の端に確認しながら、へし切長谷部は静かに接吻けを落とした。そうして目を閉じる。
 きっと次に目を開けた時、きっとにっかり青江が一番に目に映ることを、へし切長谷部は知っていた。



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***

この世界にあるものがひっくりかえるよ 

 「長谷部くんは盲信とか、しなさそうなひとだと思っていたけれど」
にっかり青江が首を傾げるのを、へし切長谷部は何を突然言い出したんだ、と見遣った。
「盲信?」
「盲信」
「何についてだ?」
 主について、であるのならばまあ、とは思うがへし切長谷部は主のことを好いてはいるが盲信しているつもりはない。
「んー…ぼく、かな」
こうやって口にするととんでもない自意識過剰みたいだねえ、と眉がハの字になる。
「君さ、僕の言うこと、疑わないでしょう」
「お前の冗談は何度も否定してやったはずだが」
「そうじゃなくて、もう、分かってるくせにはぐらかそうとしないでよ」
ふくり、とわざとらしく膨らせられた頬に、はあ、と息を吐く。
「幽霊を斬った話のことか」
「それもあるけど」
「じゃあお前が今もまだ、そういうものが見えているという話か」
「………そう、それ」
 付喪神といえども、それは幽霊やらとは違う存在だ。どちらかと言えば、妖怪に近いのかもしれない。それは人間からしたら大差ないように見えるかもしれないが、当事者となってみるとその差異はよく分かる。
「別に、盲信じゃあない」
「そうなの?」
それが分かっているから、口にする。それでにっかり青江が安心するなら、とへし切長谷部は思う。
「それが嘘でも本当でも、俺には結局見えないものだからな、そう気にしていないだけだ」
その言葉ににっかり青江は少しだけ考えこんで、そういうものかな? と首を傾げた。だからそういうものだ、と返しておいた。
 ああ。
 確かにこれは盲信かもしれなかった。



(君を疑ったことなんて一度もないんだ)



まったく、ふしぎなことなのです。あの王子さまを愛しているあなたがたと、ぼくにとっては、ぼくたちの知らない、どこかのヒツジが、どこかに咲いているバラの花を、たべたか、たべなかったかで、この世界にあるものが、なにもかも、ちがってしまうのです……
星の王子さまより

***

枯れるだけの桜 

 もうね、時間がないんだ、とにっかり青江は言った。
「ねえ、だから、長谷部くん」
するり、とその指がへし切長谷部の頬を滑っていく。細そうに見えて、しっかりと男のかたちをした指。ところどころ豆の潰した痕が、いびつにゆがんでいる。
「花見酒をしよう」
 どうしてそうなった、というのは既にへし切長谷部の中ではしないことになっている質問だった。聞けばきっと彼は答えるのだろうが、にっかり青江とへし切長谷部では見ている世界が違いすぎる。それが分かっていたし、許容していたため、へし切長谷部は問うことはしなかった。
「主に許可は取ったのか」
「勿論。次郎太刀からとっときも分けてもらってきたよ」
「よくアイツから酒を奪えたな…」
「奪っただなんてとんでもない。お願いしたらもらえただけだよー」
その見返りに何を差し出したか、聞くのはやめておいたほうがいいかもしれない。へし切長谷部は別に、自らの胃を痛めつける趣味はない。
 それで、と仕切りなおす。
「今すぐか」
「今すぐ」
「分かった」
「いいの?」
首を傾げるにっかり青江に、ああ、と頷く。
「お前に振り回されるのは、もう慣れた」
 そういう訳で、本丸から少し離れた山奥でふたりきり、盃を交わすこととなった。大きな桜が一本、あるだけ。と言うとまるで殺風景のようであるが、その桜がそれはそれは見事に咲いていて、一本であることを忘れそうになる。
「美しいな」
へし切長谷部は素直に呟いた。
「うん、そうだろう」
にっかり青江が同意を返す。
「間に合って良かった」
「そうか」
「君に、見て欲しかったんだ」
「そうか。………美しいものを見れてよかった、ありがとう」
 きっと、にっかり青江の言葉の真意はそこにはなかった。けれどもへし切長谷部は気付かないふりで頷いてやる。言葉を濁されたのなら、それは少なくとも今は£ヌ求してやるべきではない。
「…うん」
傾ける盃に、ひらり、桜の花片が舞い降りる。
「どう、いたしまして」



@sousaku_odaibot

***

金切り声に似た風音 

 空が泣いてるね、と隣で声がした。へし切長谷部はそうか、と答えた。
「もう、君、それだけ?」
「何か言ってほしかったのか」
「空が泣く訳ないだろう、とか」
「お前、実は被虐趣味があるのか?」
器用に片眉を上げてみせた、その様子ににっかり青江は不機嫌そうに頬をふくらませる。こういうところはこどものようだな、と思った。そしてそれは彼も自覚するところで、故に今の仕草はわざとだろう。
「似合わないぞ、それ」
「えー」
 ひゅるひゅると音がしていた。風の音だった。確かに泣いているようにも聞こえるな、と思ってから、にっかり青江がそう言うならばそういうことで良いと、そう思った。
 ひどい話だ、と一人笑ったら、何一人で笑ってるのさ、と頬をつままれた。



空耳
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***

貴方はきっと、そうしか言わない(たとえ、今が、    でも)。


かなしいゆめ 

 長谷部くん、とにっかり青江がへし切長谷部の部屋を訪ねてきたのは夜も更けてからだった。
「一緒に寝て」
ご丁寧に自分の枕まで持ってきた彼を追い返すことは不可能だと思って、へし切長谷部は大人しく布団の半分を明け渡す。
 その部分に滑りこむにっかり青江を暗がりで見つめながら、どうしたんだ、と静かに問うてみた。
「…かなしいゆめをみたんだ」
だからひとりでいるのが嫌になって。そんなふうに続けるにっかり青江は、確かに少し疲弊しているようにも感じられた。眠れるようになるまで、話を聞いてくれる? そう小さく呟いたにっかり青江に、へし切長谷部はこくり、とだけ頷く。
 あのね、とやわらかい声で、そのかなしいゆめの話は始まった。
「昔々あるところに…そうだね、きっと今では減ってしまったけれど、巫女だとかシャーマンっていうんだよね、そういう資質を持った少女がいたんだ」
まるで御伽話のような不確実さで、寝物語のような優しさで。
「その子はね、普通に暮らしていたんだけれど、まぁ信仰心のある子で、でも彼女が通って掃除している社はとっくにからっぽになっていたんだよ。その村での信仰はもう廃れていたからね」
よくある話だ、とへし切長谷部は思う。
 村から少し離れた場所、誰からも忘れられてしまったところにぽつん、佇む社。
「だから、彼女に目をつけたのは、本物の神様よりもそこを塒(ねぐら)にしていたものが先だった」
「…神、ではなかったのか」
「うん、まぁ、そのままいたら、そして信仰を受け入れていたら、分祀として神になることは可能だったかもしれないけれど、たぶん違ったんだよ。その時は、っていうかそのあとも、なんだけど。根拠もあるけどネタバレになるから今は黙っておくね」
くつくつと喉を鳴らしながらにっかり青江は続ける。
「それでね、そういうものに目をつけられた少女は、ある日夢を見た」
 石灯籠が襲ってくる夢だ、とその囁きだけが妙に冷たかった。
「少女は大層恐ろしかったようだが、夜が明けてそれが夢でなかったことを知った。それが悪夢のはじまりだったと知った」
悪夢、とへし切長谷部は繰り返す。悪夢、とにっかり青江も重ねる。
「起きた少女はね、すぐ両親に手を引かれ村のお医者様のところへ連れて行かれたんだよ。今朝神様が夢に出てきて、この子を嫁に選んだと言った、子がいるはずだ、ってね」
外堀を埋める、という言葉が脳裏をよぎった。
「両親も夢を見ていたんだよ、少女が見たものとは比べものにならないほど、高貴そうな夢を。まぁ騙されたんだね」
そういう存在は、そういうことが、得意だからね。その言葉に自嘲を感じたのは、へし切長谷部の杞憂だったろうか。
「少女の腹には、彼らの言った通り子がいた。すぐにでも生まれそうな音がしていた、って」
少女の絶望をへし切長谷部は推し量ることは出来ない。得体のしれないものが腹の中にいる、それはどんな恐怖なのだろう。
 もしも、と思う。もしも、人間のようにへし切長谷部にそういった欲があれば―――そもそも今の話をそのまま呑み込むのであれば、人間でなくとも。
「両親は続けるんだ、社にこの子を置いておけ、とその後はこの村を守ってやると神様は約束してくれた、とね」
もしも。
「ひどい話なんて何処にでもあるものさ。その村はずっと飢饉に悩まされていて、神に祈ることさえも放棄していたのだから。そこへ助けてくれる宣言だ、自分の子供でも差し出すさ」
いつか、
「社に入れられた少女は、目隠しをされ手足を縛られ、けれどもその状態から装束も何もかも残して、まるで蒸発したように消えてしまったらしいよ」
「…村は」
「さっき言ったろう? 神様じゃあないんだよ。神様にだって得意分野があるのに、そんなものに村を守れると思う?」
そんなものを、向けてしまうことに、なったら。
 へし切長谷部の心情などお構いなしに、にっかり青江は物語を綴り続ける。
「少女は恨みがましい子供を抱かされ、その石灯籠に縛り付けられた。子供はね、石灯籠の栄養供給源、と言ったら良いのかな。そういうものでね、それを抱いたものから生気だとかそういうものを吸い上げるために使われていたんだ。勿論、少女からも」
「…最初から、それが目的だったのか」
「まぁ、そういうことだろうね。少女を好いていた訳ではないんじゃないかな、その辺は僕には分からないけれど…。それに、少女は力を持っていたと言っただろう? だからそれを残しておけばいつか逆に食い殺されるとわかっていたんだろうね。でも、一瞬で喰らってしまうには勿体ないものだった。だから彼女はずっと傍におかれて、衰弱しながらいつまでも赤子を抱いたまま、石灯籠から離れることが出来なかった」
でもね、と声が僅かに明るくなる。
「ある日、一人の男に出会うんだ」
 ああ、ここから物語が始まる、とへし切長谷部は思った。本当の意味で、物語はここからだ、と思った。
「珍しくね、その男は帯刀していて、そして彼自身自覚はなかったのだけれど破邪の気を帯びていたんだよ。彼女はこれだ、って思った。だからにっかりと笑って、男に赤子を差し出したんだ」
「…自ら、斬られることを望んだのか」
「そうだね、そういうこと」
 どんな、気持ちだったのだろう。それはどれに向けた感情か分からなかったが、どれに向けたものであっても、どこまでいっても、こうして人のような身を持ったとしても、刀剣であることの誇りを見失わない、見失えないへし切長谷部からすれば、逆立ちしても分からないことなのかもしれない。
「彼女の思惑通り、媒介であった赤子から本体であった石灯籠が斬れて、彼女も斬られた。さっき言ったネタバレになる、っていうのはこういうことさ。もしも仮にも神様であれば、石灯籠が斬られるなんてこと、なかっただろうし。それに例え斬られたとしても、神殺しをしてその人間が真面に生きていられる訳がないよ。だからつまり、そういうことだったんだ。石灯籠は最後まで神様になれずに、斬られて終わった。それで、本当なら話は此処で終わり。彼女はそのまま天へなり何処へなり、行くところへ行くのだと思ったんだけどねえ」
 もう声は眠気を帯びていた。このまま話を終わらせて、きっとにっかり青江は寝入るだろう。
「泣いて感謝して、貴方を守ります、って言うんだ。貴方は恩人です、もう自分の力のことは分かっています、だから貴方のお役に立ちたい、って。馬鹿を言うと思ったね、そんなことをすれば今度こそ妖に身を落とすようなものだ。今のまま逝けば、彼女はまた人間に生まれ変わって今度こそ神に愛されるかもしれないのに、何を無駄にすることがある、って。でもね、彼女聞かないんだよ。ここで恩人の力になれなければきっと天は私を見放すでしょう、これこそが私に与えられた贖罪なのです、私を思ってくださるのなら、おそばにおいてください、ってさ」
まぁそれからは君も知っている通りさ、と続けたのは、もう眠気で物語と現実の区別がついていないからだったのだろうか。
「元々破邪の気を帯びた者に、持たれていた所為か、刀の方にも、少しそれは移っていてね…そこに、彼女の力が加われば百人力、だろう…?」
ふつり、と声が落ちる。もう話は終わりなのだろう、それを確かめるために青江、と呼び掛けた。
「何の話だったか」
へし切長谷部は問う。もう夢の狭間にいる、にっかり青江に向かって。
「かなしい、ゆめのはなし」
 まるで最初から決められていたことのようににっかりと、彼は名前の通りに笑ってみせた。

***

どこにもいかない、だれにもわたさない 

 春にやりたいことは何?
 もう初夏だろうと返すとこの箱庭はまだ春だよ、なんてこどものようなことを返された。
「やりたいことと言ってもなぁ」
花見も花見酒も春らしいことは大抵やった気がする。大抵、この男に手を引かれて、ではあるが。
「ああ」
一つ、思いつく。
「桜が、あるだろう」
「うん」
「桜に攫われる、と言うだろう」
「…君もそんな俗なこと知ってるんだねえ」
構わず続けた。
「お前は攫われそうだからな」
「あのひとたちはそんなことしないよ」
「俺はお前の言葉を全面的に信用してる訳ではない」
「うーん…信用してほしい訳でもないけど」
 立ち上がる。
「だから、一度宣言しておきたいと思っていた」
「宣言?」
「ああ」
頷いて立ち上がる。庭の美しい桜を見据えてから、その手をとって抱き締める。
「お前は俺のものだから、やらんと」
「………きみ、ってさぁ」
はああ、と吐かれるため息。
「ほんと、ロマンチストだよねぇ…」
 僕の心臓が保たない、と力を抜く身体を支えながら、まるで祝福するような笑い声を聞いたような気がした。



ask

***

悲しい思い出 

 血みたいだ、と呟きが聞こえた。否定することでもなかったのでそうだな、と返した。
「彼岸花っていうんだよ」
人間は面白い名前をつけるね、と言うものだからこの世のものとは思えないほど美しく思えたのだろう、と頷く。
 驚きが、返ってきた。それを無視して歩き出す。
「お前と見られてよかった」
「…なにそれ」
「そのままの意味だ」
はは、と笑い声が追いかけてきた。
 二度目のなにそれ、には答えなかった。



「良い思い出」だって。笑えるね。
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***

氷の水槽 

 お祭りがやってるんだって、といつもの調子で言われて、抗うのも面倒だと言われるままに浴衣に着替え、人波に紛れる。こうしてみると人間も付喪神も関係がないように見えた。きっと彼の目にはもっと関係のないように、入り混じった風景が見えているのかもしれない。
「あ、ほら、長谷部くん、金魚だよ」
「…掬うのか」
「やってみたいけど、上手くいくかなぁ」
「誰が世話するんだ」
「それは、ほら、君とか」
大丈夫だよ、どうにかなるって、とのらりくらりするその横顔にため息を吐く。
 生き物に嫌われてしまうのだと公言しているわりには、どうもこの男は生き物が好きらしい。あまり馬当番にだって入らないように調整されているのに、こうして自分から生き物に近付いて、その都度妙な顔をする。
 傷付いている訳では、ないのだと思う。思うが、あまりへし切長谷部はその顔が好きな訳ではない。
「でも、金魚だしねえ」
「金魚だとなんなんだ」
「きっとすぐ死んじゃうな、って思って」
ああ、と思った。
「…分かった」
「えっ何が」
「金魚すくいするぞ」
「おや、優しいね?」
くすくす笑いながらついてくる彼に、ため息を吐く。
「俺が優しくないことがあったか」
「人のおやつを横取りした翌日に言う台詞じゃあないねえ」
屋台の水槽の中で、金魚はきらきらと泳いでいた。
 これが彼の周りを舞っていたらきっと美しいだろうと、そう思った。



ask
縁日で金魚すくいをする話
このあとめちゃくちゃすくえなくて屋台のおじさんにおまけしてもらった

***



20161202